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2017年07月16日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ファーゴ編(過去記事より)

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ファーゴ編(過去記事より)
いすゞプラザ訪問記念、、第5弾は『WFR51、62/WFS51、62型ファーゴ(ワゴン=WFR:2WD WFS:4WD)』を取り上げます!

※2011年9月UP

ファーゴ…憶えてますか? てか若い方はご存じないクルマかもしれませんね・・・

今や乗用車生産/販売から撤退したいすゞは有名な乗用車=ジェミニや117/ピアッツァだけではなく多人数乗車可能&RVの1BOXも造っていました、それがファーゴワゴンです。
ファーゴはバン/マイクロバス(15人乗り)とトラックもラインナップ(むしろバンがメイン)してましたがココではワゴンを中心に取り上げバン/トラ/バスの詳細は割愛させて頂きます。

ファーゴワゴン、一般的にはレア車になるかもしれませんがいすゞ勤めの友人がかつて愛用しておりレジャーではよく借りコイツが1BOXの楽しさを教えてくれたワタクシには結構思い入れ深いクルマです。
尚、ファーゴは95年に2代目が発売されてますがこれはネーミングのみを継いだモノ、実質はそれまでのライバルの一つである日産キャラバン/ホーミーE24型のOEMとなっていますので初代ファーゴは立派な『一発屋』認定ですネ!!

初代ファーゴ、発売は大昔の81/1、いすゞ初の1BOXワゴンとしてバンと共に発売されました!

↓カプセルのような流麗スタイルが特徴的だった81/1発売のファーゴ・ワゴン(期型)


ファーゴ、いすゞではそれまで重量級運搬用にトラックベースのエルフルートバンが唯一のキャブオーバー型クローズドボディの貨物車でしたが当時、需要の高まった宅配用/小口配達用に小型キャブオーバーのバンとして開発されました、しかし70年代後半から始まった1BOXブームにも参画しようとバンに加えられて乗用ワゴンとして手直しされデビューしています。
サイズ的にはフルサイズ1BOXでありライバルはトヨタ・ハイエース(♯H20系)や日産キャラバン/ホーミー(E23型)となっていました!
この為室内はとにかく広大でカプセル型のボディと広いグラスエリアのおかげで実寸以上に広々した明るい室内が印象的でこのクラスになるとさすがに最前席でも窮屈感はなく全体がゆったり座れました(但し3人掛けするとキツキツ…汗)

当初はバンの付属的存在だった為グレードは3種、搭載エンジンは1種、ミッションもコラム5MTのみというラインナップで当時ライバル車達は1BOXブーム到来でベースはファーゴ同様バンながらATやフロアMT、サンルーフ、回転対座シート等のRV装備、イージードライブが常識化していた中でファーゴワゴンはこれら装備や設定がなく非常に不利、バンはそれなりの販売台数を記録しながらワゴンはあまり見かけずどちらかと言えば送迎用のマイクロの方がバン以外では見かけるのでは?という状況でしたねー。
ワタクシの地元はいすゞの地元(神奈川県)ですので他県より比較的多いとは思いますが初期型ワゴンは非常に少なかったです・・・

↓お膝元の神奈川県、川崎(当時)と藤沢はいすゞの聖地なので公用車に多く見られました。
(写真は中期型消防指揮車)


さて、ファーゴワゴンの概要ですがスタイリングは当時としては先進的でカプセルのようなスタイリッシュなモノ、個人的にはスタイルだけはライバルよりは美しくお洒落だったと思います!
エンジンはいすゞらしくワゴンはディーゼルエンジンのみで4FC1型 2L D 直4 66ps(グロス)を搭載、このDは後年に経験ありますが2Lではさすがに非力、友人のヤツは後に換装されたD-T(ディーゼルターボ)だったのでさほど非力感はありませんでしたがNAではDの特徴であるトルク感も不満、元々乗用車(ジェミニ)ベースのエンジンなので1t少々のこれと較べファーゴは1t半、厳しかったですねー。
ハイエース、キャラ/ホーもこの時代はNAですしいすゞのDと較べるとあらゆる面で劣っていましたがこれらはガソリン車もラインナップされており“乗用”としてはまだガソリン車が有利の時代でしたからいすゞのDに対する意地は感じたもののこの面では不利だったかもしれません。(ファーゴもバンにはガソリン設定アリ)
脚廻りはFr:Wウィッシュボーン、Rr:リーフリジット 乗り味はこの形式では容易に想像が付くとは思いますが良く言えばしっかり踏ん張り頼れる足、悪く言えばトラックに近い堅さで後席でもそれが分かる程のハードさ、運転席は悪路では悲惨でした~。
キャブオーバーですのである程度は仕方ないですがバン、エルフ(トラック)とそう変わらない堅さ、ある意味いすゞらしかったかもです(笑)
グレードはジェミニを彷彿させる設定で9人乗りにLS/LT、10人乗りにLDを用意、ミッションは5速コラムのみ、駆動はFRです。

改歴は下記の通り。

(82/7)一部変更=LSにフロアシフト(5MT)と回転対座シート、サンルーフ装着モデルをラインナップしライバルに遜色ない装備を得ます。

↓フロアシフト設定がなされたLSのインパネ


(84/1)エンジン換装=ターボ化 4FC1型Dエンジンはターボ付きとなり66ps→82ps(グロス)パワーUP!! 友人が乗っていたのはこの時期のファーゴで“速い”とはお世辞には言えませんが必要充分なパワーはありこの時代のターボですのでドッカン気味(絶対パワーはないのでほんの少しのドッカン)で音はイイ音してました~!

(84/11)パートタイム式4WDを新設定、バンは前年に4駆設定をしていましたが好評の為ワゴンにも設定しRV要素を強めています。

(86/1)発売5年で初の小変更を除く初のマイチェンを実施、異形ライトと新デザインの顔に変更、新色ボディカラーや新柄シート、内装もスポーティなイメージ化を行っています。

↓5年目でのマイチェンにてより現代的にイメージ変更、中期型に。


(87/1)2駆モデルのみに4速ATを設定、発売6年でようやくイージードライブに対応、この時期からそれまでバン重視→乗用モデルを充実化してゆきます

(88/10)キャブオーバートラックのエントリーモデル、ファーゴトラックを新設定、2tベースのエルフの1ランク下で1tベースとなりエルフが物流関係で信頼性が高くこの下、一般商店の小口配送用に発売。

↓88/10~はトラックもラインナップ(写真は91年型)


(91/1)2度目のマイチェンでフェイスリフトと各部デザイン、味付けを変更します。
グリルをスポーティ化、内外装をより高級イメージにします。
また、エンジンを換装し4FG1型2.4L OHC 直4 85ps/16.2kgm(ネット)を新搭載、ターボ→NA化しておりこの関係から型式を従来の51→62型に変更。

↓91/1~後期型


↓10年ぶりの新エンジン4FG1型を搭載!


(93/8)小変更にて最終型となります!
内外装に大きな変更はありませんが安全対策がなされ再びエンジンをターボ化、4FG1型にターボを装着しpsはそのままにトルクを17.5kgmにUP、このエンジン搭載車は経験ないのですがNAの4FG1でも充分な乗り味でしたのでトルクフルになっている分最終型として完成の域に達していたのでは?と推測します。。。

↓93/8~再度ターボエンジン搭載の最終モデル(4WD LSサンルーフ)


↓最終型Rrビュー、しかしRrは初期からほぼ変更なし。


このようなファーゴワゴン、いすゞの御多聞に漏れず各部リフレッシュを適宣行いましたが発売初期のワゴンモデルの冷遇とバンモデルが一定人気で需要も多く最初から最後までワゴンの存在は広まりまえんでした。しかし細々と15年の長寿をまっとうし95/8、後任をE24型日産キャラバン/ホーミーOEMが2代目を襲名、お役御免となります(これによりバス、トラックは廃版)

↓2代目ファーゴはそれまでのライバル車、キャラバン/ホーミーに!!


E24になり立ての頃はいすゞ社内でも非常に複雑だったようでディーラーさんも昨日までライバル視していたキャラバン(ホーミー)を今日から売るというのに切り替えが大変だったようです、今でこそ各社OEMが当たり前になっていますが95年当時はまだまだ各メーカー、例え売れなくても自社製品で頑張る時代、E24といすゞのエルフ→日産アトラス/UDコンドルの相互OEMでいすゞが乗用車撤退を決めた事によるファーゴのOEM化=OEM活発の走りでした。

初代ファーゴ、横綱ハイエース、キャラ/ホーに果敢に挑戦し最初から最後まで勝負にはなりませんでしたがいすゞが乗用車にヤル気満マン時代の証人ですね、このクルマも見なくなりましたが忘れたくない1台です!
Posted at 2017/07/16 16:14:48 | コメント(1) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2017年07月16日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…アスカ編(過去記事より)

保存版“華麗なる一発屋!!!”…アスカ編(過去記事より)
いすゞプラザ訪問記念、、第4弾は『JJ110/120/510型いすゞ・アスカ』です!!

※2011年8月UP

かつて乗用車をラインナップしていたいすゞ、生産/販売した乗用車のうち正常進化(モデルチェンジ/自社開発の代替わり)したのはジェミニと117(→ピアッツァ)を除いてはほぼ『一発屋』(ベレル、ベレット、フローリアン、アスカ)という不名誉な記録かも?しれませんが好むと好まざるを得ず長期生産=乗用車の普通1モデルサイクルが標準で4年と考えた場合 という特徴がどのモデルにもあるのはご承知の通り、いすゞだけではなく弱小メーカーは大メーカーのように潤沢な開発資金により新モデルを次々に開発、送り出す事ができない為、魅力あるモデルも末期は旧態化し必死に特別モデルや新エンジン等を搭載し何とか商品力を維持しながらに寿命更新を図るのが常、アスカも先代に当たるフローリアンほど過保護ではなくいすゞとしては短命ながら83/4~89/3の約6年生存したいすゞの上級車でした!

アスカは発売時のみ車格的に前任であったフローリアンのファーストネームを持つ『いすゞフローリアン・アスカ』を名乗るもすぐに『いすゞ・アスカ』となっています。(以下「アスカ」で記載)
尚、前任のフローリアンとは全くクルマ的脈略はなくフローリアンは60年代にいすゞが自社開発したモノ、アスカは提携先GMが主導開発したグローバルカー、そして90年に後続として登場した『アスカCX』が乗用車撤退に向けた富士重のレガシィOEMであったので立派な『一発屋!!!』、認定です(^_^;)

GM開発のグローバルカー、日本では『アスカ』として登場(83y前期型)


前任はあの名車?迷車?である『フローリアン』!


67y~82yという実に15年に渡りいすゞの上級セダンとして生き続けたフローリン製廃後、83/3に発売されたアスカは先記のようにGMが主導した所謂J-CAR(グローバルカー=世界戦略車構想)に参画したいすゞがフローリアン代替わりとして日本で発売したモノ、姉妹車がオペルやキャデラック、ホールデンやシボレーに生息しました。但し開発はオペル、GM、いすゞの3社がそれぞれに個別で行った為、本国(=アスカの場合は日本)オリジナリティ度が高く足回りと一部外装に共通部分はあるも味付けや意匠等はいすゞ独自開発(姉妹車の一部にいすゞ製エンジンやミッション搭載はあり。)
このやり方は74yに格下だったベレット→ジェミニへの代替わり時に行った事を手本としたものでした。

久々の新型車、アスカはかなり気合の入ったモデルで概要は横置きエンジン+FF方式を採用、この頃には既に小型クラスがFR→FF化の波が訪れていましたがライバルとした両横綱のトヨタ・コロナや日産ブルーバード他三菱ギャラン/エテルナ(Σ)等がまだFRだった時期に一早くFFで登場して注目を集めました!
搭載エンジンも全てアスカ用に新開発されたもので旧フローリアンやピアッツア初期の旧態化したG系/C系エンジンは載せられていません・・・
載せられたエンジンは非常に多彩でいすゞらしくデーゼルエンジン車も設定、下記がエンジンラインナップとなります。

(直4気筒OHCガソリンエンジン)
・1.8L 4ZB1型105ps=JJ110型
・2L  4ZC1型110ps=JJ120型
・2L  4ZC1型電子制御キャブ110ps =JJ120型
・2L  4ZC1-T型ECGI ガソリンターボ150ps=同

(直4気筒OHCディーゼルエンジン)
・2L  4FC1-J66ps=JJ510型
・2L  4FC1-Tディーゼルターボ89ps=JJ510型  (以上psはグロス表示)

いすゞ車、最強モデルではこれまでも意外と走りのHOTモデルを持っていましたが旧態化した2バルブのDOHCをピアッツァ、ジェミニにまだ載せていた時代に初めてアスカはガソリン+ターボを搭載、150psというパワフルなモノでこの初期ガソリンターボ、ワタクシも経験ありますが既存だった日産やトヨタのターボエンジンとフィーリングがやや異なり、それらが典型的ドッカンだったモノっであったのに対し比較的低回転から効くターボフィーリングが新鮮でその大人しい外観に対して意外な速さに驚きを隠せなかったのを憶えています。
それでも後年~現代のターボ車に較べるとドッカンでしたが当時のターボ車の水準とは異なる“スムーズな速さ”を感じましたネ~。
また、これの反対に位置するディーゼル(以下D)とディーゼルターボも低温時のみ始動性にDらしい気遣いは必要ながらそれまでのD車とは違い特にガソリン車に対して神経質という部分は殆どなく振動、騒音も極力ガソリンエンジンの静かさとスムーズさを達成しており特に旧フローリアンDと比較すると天と地の差を感じました。このアスカとジェミニのDでいすゞがこの時期から『ディーゼル乗用車王国』を築いたのも今は昔ですが古くはベレルから乗用ディーゼルにTRYしてきたいすゞの努力を実感できる出来だったのがこのアスカDでした!!

スタイリングはサイドウィンドゥにアメ車の雰囲気は残すも全体的におとなしくフォーマルなセダンとしては及第点だったと思います、ただ個人的には先にデビューしたピアッツァや後年(85y~)のFFジェミニ等秀逸デザインが目を惹いたモノに較べ真面目過ぎオーソドックス過ぎて遊び心がなく地味なイメージに鈍化していた感じがします。強力なライバルが多いこのクラスだからこそもう少しインパクトのあるスタイルだったらアスカのその後も違ったモノになったのでは?なんて思いますが。。。

アスカの脚廻りはまたまたいすゞらしくや々凝ったモノでFrは平凡なストラットながらRrにトレーディングアームとトーションビームを組み合わせ独立式(4独)ではないながらこれに近いしなやかさを実現するとう触れ込みのもの、しかし実際にドライブしてみると私的にはよくできたリンク式リジットとそんなに差は?という感じでした。
ミッションは当初5MTと3速ながらロックアップ式ATを設定、AT車は当時でも4ATが常識化していましたがGM製の高コストATを使っており生産に苦労したとの事、この為イージードライブモデルにはいすゞが苦心の末に開発→商品化した意欲作、NAVi5(電子制御5速AT)を84/8、まずガソリンモデルに、85/2にディーゼルモデルに設定しています。
NAVi5はそれまでのトルコンによる自動変速ではなくMT車で人間が操作する=クラッチを切る→ギアチェンジ→クラッチを繋ぐ という操作をコンピーユータが判断しロボット的に自動変速させる特徴的なものでいすゞの独自開発、開発の意図はMTをベースにするためATミッション開発費が抑えられ機構的にもトルコンのスリップによる伝達ロス=燃費悪化を抑えよりMTに近いフェーリングでイージードライブを実現するというものでした!
ただデビュー時のこのNAVi5はワタクシもドライブ経験ありますが感触はまさにゲテ物以外の何物でもなく変速タイミングやクラッチの繋がり時の振動や微妙なタイムラグ、特徴的なのは繋がる一瞬に空ぶかし状態になり精神的に落ち着かない感じが嫌でしたねー、シフトパターンもATセレクター方式ではなくMT車を意識(手動変速も選べた為)した変速的H型パターンでこれも馴染めませんでした…。
特にディーゼル車では元々が振動があるエンジンなので意図しない空ぶかし時の騒音/振動が非常に気になり一時いすゞはこれの発展型NAVi6という4tトラックのフォワードにも搭載したりしてましたがこれなどアスカの比ではない位乗りにくいものでした。
市場的にもこのNAVi5(6)は受け入れられずアスカと一時ジェミニに搭載したのを最後にその後の設定はされずいすゞも一般的なトルコンATを採用しています。
ただ現代のスムーサー(トラックの自動変速)にもNAVi5の基本技術は生き発展継承、出だしののそれを知っている者としては今のエルフ/フォワード/GIGAのスムーサーにあの極端な違和感は殆ど感じず技術革新をつくづく感じますね。

NAVi5搭載のアスカ2000LJ-Dのインパネ&インテリア


尚マイナーチェンジは83年デビュー後に認可されたドアミラーを84年に採用に85/7、にはフェイスリフトを行い高級イメージに振り廉価版(1.8LT)を廃止します。

84y~、ドアミラー装着の前期型(2.0LS)


85/7~、マイチェン後の後期型(2.0ガソリンLX)


↓後期型Rrビュー(2.0ターボD LF)


更に同85/11になるとガソリンターボをベースにしたHOTバージョンである『イルムシャー』が追加されます!
イルムシャーはご承知の通り西ドイツのチューナー『イルムシャー』が脚廻りにドイツのしなやかさをチューンング、角目4灯の専用グリルや専用エアロホイールキャップ、momoステにレカロといった味付けがなされほぼ同時にピアッツァにもこのイルムシャーを追加設定、86yにはジェミニにも設定され後年のロータスバージョン(ピアッツァ/ジェミニ)以前のいすゞのHOTバージョンとして注目されました!!

85/11に追加されたHOTバージョン『イルムシャー』


↓momoステとレカロがムーディなイルムシャーのインパネ


イルムシャーは地味なイメージのアスカが西ドイツのセンスいいジェントルなスポーティさを身に付けガラリとイメージが変わりこの種のモデルが好きな層にアピールできる充分な魅力があったと思います、イルムシャーはいすゞに勤める友人が買い何度かドライブしましたが勇ましい外観の割にダンパーやバネともに仕様変更しハードになりながらもセダンとしての乗り心地を犠牲にしておらず落ち着いた大人っぽい印象でした。
またこのイルムシャー前後にはこれ以外の一部モデルも大型アームレストやチルトステアリング他充実装備を行っておりイルムシャーとこの充実変更効果もありアスカは旧フローリアンに較べものにならない販売台数を85y~86yに記録(約250,000台)、この時期いすゞとしてはHITと呼べる数字では?と思います。
この他同じ85yにディーゼルのNA版も66ps→73psにパワーUP!

しかし普通ならモデル末期=発売4年目になる87yになると販売は下がり始めこれを危惧したいすゞ最上級モデルとして『LG』を設定します。
LGはシックな高級ボディカラーや新デザインのアルミホイール、Frエアダム、Rrアンダースポイラーにイルムシャー同様にレカロシート、momoステを装備した豪華モデル、や々やり過ぎ?外観のイルムシャーに抵抗のある層にもアピールしながらいすゞ最上級セダンとしての風格を与えアスカ全体のイメージUPを狙います。
LGではNAVi5のパターンをトルコンATのセレクター風に変更、エコノミーモードを新設しておりmomoやレカロも高級味付けとなっていました。

外観も内装もいすゞ最上級車として相応しい味付けがなされた『LG』


↓LGのインパネ


↓LGのインテリア


この他これまで設定のなかったデーゼルターボにNAVi5モデルを追加したり小変更にてカンフル注射し商品価値の維持を行いますが効果はなく87yから始まった販売下降は喰い止められず88yにはピーク時(85y)の約1/3まで減った事もあり翌89年3月、いすゞ上級セダンとしてフローリアン以来売れないながら67yより長く生きてきたこのカテゴリーを去る事を決断し製廃となります。
この時期は格下のジェミニが絶好調だった事もあり不人気でモデルレンジも長くなり商品力の衰えを隠せなかったアスカは先代のような長寿は時代もあり達成できませんでしたね~、お気の毒ながら。。。

当時はバブル景気盛んな時代、セダンでも大きなセールスポイントがないと生き残れずマークⅡに代表されるハイソセダンの一方でレガシィやブルのSSS-R、ギャランVR-4等のようなフルタイム4駆+DOHCターボのスーパーウェポン的セダンが台頭し速そうなスタイルやイメージがなくイルムシャーと言ってもそれらに較べると迫力不足、高級バージョンのLG等もマークⅡ/ローレルと言った老舗との対決は厳しくいすゞは売れ線であったジェミニに集中(新型開発真っ只中…ただこの新型ジェミニ=3代目JT151/191/641型が大スベリしていすゞの乗用車撤退を招く原因となる訳ですが…/('ё')\ )すべくアスカの撤退を選んだ訳です。

尚、アスカ代替ユーザーやいすゞ社内での上級車(重役他社内上位者)の為に後続に富士重工からスバル・レガシィのOEMを受けアスカ廃止翌年の90/6から『アスカCX』として発売されますが冒頭で記載した通りに当然クルマ的脈略は全いので『いすゞアスカ』は自社開発としては一代限りとなってしまいました。。。

後続はレガシィOEMの『アスカCX』


アスカ、一時期、ほんの一時期に売れたばかりにフローリアンのように手がかけてもらえずそれ同様の長寿は達成できませんでしたがイルムシャーという魅力あるモデルや現在トラックシュアNo1を達成した要因の一つであるスムーサーの元祖→意欲作NAVi5、そしてディーゼル乗用=いすゞと言わしめた実力等、当時の勢いは今でも鮮やかに印象に残っておりベレット、117やピアッツァ、2代目ジェミニのような華やかさはなかったものの“縁の下の力持ち”的な『一発屋!!!』だったと思いま~~す!
Posted at 2017/07/16 15:58:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2017年07月16日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…フローリアン編(過去記事より)

保存版“華麗なる一発屋!!!”…フローリアン編(過去記事より)いすゞプラザ訪問記念、、第三弾は67y~82yの15年間を実に基本スタイルを変えずに生き永らえたいすゞ版シーラカンスの『PA20/30型フローリアン』の登場です!

※2011年8月UP

フローリアン、今やトラックメーカーになってしまったいすゞが造っていた非常にマイナーな車で今の40代以下はよほどのクルマ好きでないとご存じないと思いますし多分このブログの喰いつき?も悪い予想が簡単にできる程の稀代の不人気車で3回のマイチェンをし前期(67~70)中期(70~77)後期(77~82)と分けたとして中期後半以降は教習車と一部個人タクシーでの需要しかないような状態で現役時も中期以降一般オーナーが走らせる姿は滅多にないというモノ(一部を除く=後発ディーゼル車)、当方地元神奈川でいすゞの工場があるにも関わらず一般車は珍しかったので他方ではそれ以上の”レア物”だったのではないでしょうか…
まぁ、多分このクルマを取り上げるような変人はそうもいないと思いますのでお付き合い下さいナ(汗)

フローリアンはご承知の方も多いとは思いますがあの流麗で気品高い名車『117クーペ』のセダンバージョン!
その野暮なスタイルからは想像できませんが117クーペと同じれっきとした伊・カロッツェリア・ギアのデザインで両車発売の前年のモーターシューでは『117サルーン』として発表もされてとか!!
そのような訳でフローリアンはシヤーシやエンジンは117と一部下級ベレットのモノを流用して造られ当時いすゞの人気車、ベレットの上級セダンとして発売されました。

フローリアン、次期型である82年登場の『アスカ』が当初『フローリアン・アスカ』と名乗っていたので一発屋ではないのでは?とのご指摘もあるかもしれませんが81yの117→ピアッツアの場合シャーシやエンジンはそのまま117を使っているのでネーミング変更した117の2代目(=つまり一発屋ではない)として見れますがアスカの場合はネーミングにフローリアンがごく初期だけ残っただけのシャーシはおろかエンジンも一部流用がある程度、しかもアスカは業務提携先のGM設計のグローバルカーでありフローリアンとは脈略もないので『一発屋』と認定させて頂きました!

67年にベレット上級ユーザー獲得の為期待を寄せられ発売された初期型モデル(PA20型)


フローリアンが一応先代の立ち位置(ベレット上級という意味)に当たるベレル、下級ベレットがそれぞれデザインや凝り過ぎた足廻りで失敗や不評を買っていたのもありごくオーソドックスなセダンとして登場、6ライトという国産には珍しいイギリスちっくな両サイドで3枚のグラスエリア=計6ライト+セミファストバックに逆スラントの前後スタイル、角型ライトという特徴的なスタイルではあったが117の流麗さやベレットのように奇をてらったモノではなく落ち着いた雰囲気で発売時は主に年配層には好評であったようです、一般ユース向けボディはこのセダンのみで他にコマーシャルカーのバンとトラック(ファスター→後年追加)が設定されてます。

シャシを同じとする『名車』117クーペ!(初期型PA90)


フローリアンの特徴的なのは外観のみならずインパネも変わっていて左右対称のメーターが半楕円式というモノ、ワタクシ、以前ある仕事でこのフローリアンの教習車を大量買い付けした経験がありこの時このクルマも乗りましたがこれほど変っていてかつ変なインパネと思ったクルマは他にないです、左右ボコボコしてて見にくいのもありますが生理的に合わない感じでした…。
それでもノーマルならまだしもオプションのクーラー付き(エアコンではない)になると本来のグローブBOXの位置にクーラーが入り何とも見栄えが悪いと言うか何というか。。。(-_-;)

↓インパネ(初期型)


↓クーラー付のインパネ (中期型TS)


搭載エンジンはベレット1600から流用したG160型OHV84psのみ、脚廻りはベレットで散々酷評(一部マニアには好評)された独特な4独ではなくオーソドックスなFr:Wウイッシュボーン、Rr:リーフを採用していました。

ただ67年というのは日本のスポーツカー、スポーティカーの夜明けとも言われる年、各社から高性能で流麗なスタイル、セダンであってもブルーバードSSSやコロナSのようにハイパワーエンジンが次々に現れた時期に速そうでもないスタイル、速くもないエンジンのフローリアンは当初からメジャーな存在にはなり得ず新型車の割には全く目立たない、出た時期が悪すぎた感アリですねー。。。
そこでいすゞは69/3にブルSSS、コロナS/SLを標的にした長い生涯で唯一のHOTバージョン『TS(ツーリング・スポーツ)を追加します。

69/3追加のスポーツグレード1600TS


TSは精悍な丸目4灯の顔付になり当初はボンネットも艶消し黒で塗るなど気合を入れておりFrには初めてディスクブレーキを採用、タコメーター付3連メーター、エンジンもツインキャブ化により6ps高めて90psとしライバルに遜色ないモデルに仕上がっていました!
しかしライバルの牙城は高くデビュー時からすっかり控えめな印象のフローリアンにはこのスポーツグレードは全く相応しくなく市場の反応もほぼ無に等しかった模様、同じスポーティならば格下のベレットが既に旧くなっていた時期とは言え知名度は格段に上だったので致し方なかったとも思います。
尚69年3月にはベースのフローリアンもグリルとテールの一部意匠小変更を受け同年10月にはエンジンを全てOHC化しています。

TS追加というカンフル剤を投入しても一向に“鳴かず飛ばず”状況の為70年に大幅なマイチェンが行われました!
お約束である前後の意匠変更ですが全車丸型4灯に改められかつ旧TSよりも造形の深い立体的な高級感を演出するものとなり見栄えは大幅にUP!
高級イメージ戦略に合わせてエンジンもG180 1800ccOHC100psと1600から格上げされたTS用のG180 1800ccOHCツインキャブ115psが追加されて1600と含めフローリアンとしては最大のバリエーションを誇りました。(1800=PA30型)

70年~中期型


小変更は頻繁に、また大幅なテコ入れも効果はなく既に登場7年を経た73年、フローリアンに賭ける情熱を失ったかのようにこの年代辺りから車種整理断行に入ってゆきます、乗用車としては弱小メーカーの悲しい性で人気ない→売れない→モデルチェンジができない→余計に売れれない という負のスパイラルのドツボにはまったフローリアン、ライバル車達が次々に最新型にモデルチェンジしてゆく中でこの頃から需要は一部個人タクシーと教習車として一極化してゆきます…
73年、まず1600を廃止 75年11月は排ガス規制適合不可の為ツインキャブG180(TS)を廃止、そして76年9月には外装をより高級化しボディー色もマルーンのみというモノグレード(スーパーDX)化に踏み切ります。!

76年モノグレード化された1800スーパーDX


スーパーDXは内外装を高級化、ボディ同色ホイールキャップ、幅広モール、モケット張りシートとこれまでのフローリアンには見られない高級感を得て再度一般需要にアピールするも車格とのアンバランス、タクシーや教習車には不要な高級仕様という部分から余計に悪い結果しか招かず僅か1年でこの路線は捨てましたね、もう放置状態のやけくそプレイにしか当時中学生のワタクシには見えませんでしたが今のようにOEMなんて考えられもしない時代、必死だったのでしょうね~(笑)

し!しかし!・・・いすゞは何と77年11月に大博打に打ってでました~( ̄□ ̄;)!!
「ココまで古くて(この時点で既に10年選手)まだやるか!」が当時の心境で大幅なマイチェンなんですが何と60年代の古ぼけたボディに80年代の顔とお尻をくっ付けるという大技を繰り出してきましたたぁ。

77/11~最終型のFr及びRrビュー



ワタクシ、色んなクルマを見て触ってきましたがこれほど笑えて貧乏たらしいマイナーチェンジは後にも先のもこの後期フローリアンが唯一だと思います、もうコレは呆れるを通り越して一種の芸術かも。。。
中学生のプラモデル改造レベルの意匠変更で大幅に印象を変えた顔ながらフェンダーやボンネットすらそのまま、要は費用を抑える為?でしょうがボディ側はプレスライン含め一切触らずハリボテのように当時~80年代初期に流行した角目4灯ライトとロールスロイス並の立派なグリルを無理矢理付け大型バンパーで武装したというモノ、Rrも同様に現代風デザインの横長コンビネーションタイトを文字通り“取って付け”ていました(爆)
まー、Rrはそれでもサマになっていたとは思いますがFrはあきらかなミスマッチ!オーバーデコレーション!その他に何か相応しい言葉あるかな?という程の醜い出来だった気がします(あくまで個人的見解)
このスタイルにはいくら売れないといっても丸目が絶対似合っていたと思うしココまでしても生廃できないいすゞの事情にただただ同情しかないんでしょうね~~ 。
ただ人間の感覚って不思議です、今は見慣れたせいかそんなに違和感なく見えてしまいますが出た当時はもう卒倒するようなチグハグ感でした!
尚このチェンジ以降の後期型は『フローリアンSⅡ』というネーミングになっています。

しかし・・・このキモイ顔が逆にフローリアンを際立たせたのも事実、後年このブサイク具合がイイと一部マニアには人気が上昇した時期もありましたから不思議なモノです。
(尚、余談ですが中期型のFrマスクで丸目2灯にしたフローリアンのトラック=ファスターにこの頃4WDモデルが設定、RVブームの走りの時期で物珍しさとアメリカで人気を得た同型輸出仕様GM名シボレー・ラヴのイメージがこの種のマニアにはセダンとは違い絶大な支持を受けていた時期もありました~)

このマイチェンで唯一いすゞに拍手を送りたいのはこの後期モデルから得意のディーゼルエンジン搭載を果たしこれをメインにしていった事ですね!
2tクラスNo1を誇るトラックの名車『エルフ』に搭載されていたC190型1951cc4気筒ディーゼルエンジンを乗用車用に改良、62ps/12.5kgというスペックのエンジンは自重1.2kg強のクルマとしては鈍重でしたが乗った感じはそれほどのパワー不足感はなくディーゼルらしく粘りがありトルクフルでギアチェンジもさぼれるほどの楽なドライブができたモノです。
ただいくら乗用に改良されているとは言えその音はまるっきりのエルフで音だけ聴いてるとトラックを運転してる錯覚に陥りましたネ(笑)
この頃、OILショック以後のガソリン高騰でディーゼル車が見直された時期でもあり日産セドリックがかなり以前から細々とディーゼルを造り続けていて急激にその販売が伸びた時期、この時流に上手く乗っかったフローリンDは“飛ぶ鳥を落とす勢い”には無理がありますがマイチェェン前までの忘れ去られた存在ではなくなり街でも一般ユーザーがドライブする同車を見られるようになりましたのでいすゞの為には博打のチェンジ、大成功!!(実際にはマイチェンそのものよりはディーゼル特需だったと思いますが。。。)と喜ぶべきでしょー・・・
この他、中期以降に搭載されていたガソリン1800も相変わらずカタログモデルでしたがもうこの時はフローリアンの存在価値はディーゼルだからこそ!という感じで恐らくLPG仕様のタクシーにしか需要はなかったのでは?と思います。

ディーゼル搭載で蘇りかけたフローリアンですが皮肉なもので逆にディーゼルで浴びる脚光を他メーカーが黙認する筈もなく翌78年から元祖的存在のセドリックD 330はディーゼルグレードを充実、ローレル230にもディーゼルモデルを設定、トヨタもS110クラウンやX40マークⅡ(79y)にもディーゼルモデルを設定する等各社一斉にディーゼルセダンの発売に躍起になり設計の旧いフローリアンは再び蹴落とされてまたしても教習車に安住の地を求めるしかなくなっていきました(泣)
新設計のライバル達は当然の如くATもパワステも用意していましたがフローリアンにはこの類の設定はなくイージードライブの時流に向かっていた当時、蹴落とされて当然ですが・・・

そんな可哀想なフローリアン、いよいよ最後の大幅?マイチェンが80年3月に行われます、SⅡとなってからも小変更は行なわれていましたがココまで大規模変更はありませんでした→そう、あの『変なインパネ』がようやくモデル末期にきて全面改良されました!!

↓登場以来13年守り通したインパネを遂に変更


↑どうですか皆様~?ようやく80年代のインパネを手に入れましたネ、良かった×2!!
このインパネになりようやくと言うか今更と言うか・・・クーラーからエアコン装着が可能になるというオチもあります(笑)
80年当時でクーラーというのは商業車、軽、低グレードの一部セダン位なもので顔とお尻、そして中だけはようやく時代に追い付きました!
この時からAT仕様も追加されており時、既に遅しですが最後にきてディーゼルセダンとしての体裁を完全に整える事ができたのではないでしょうか・・・?

この改良から2年半後の82/10をもってフローリアンは遂に生廃を迎えます、生涯を通して陽の目を見なかったフローリアン、産まれながらにして地味なのは他の『一発屋』と同様ですがお家の事情から負のスパイラルにハマリこみ前半は必死に逃れようにも浮上できずにモデルシェンジの機会を失い埋没、瀕死になりながら“ディーゼルエンジン”というお家の最大の武器で蘇りかけたのも束の間、その武器が仇になるという涙なくしてこのクルマの生涯は見れないですよねー。
しかし高度背成長期でしたからこのような存在でも15年生き永らえたのでしょうし不幸な生涯にも負けなかったフローリアン、これぞ『華麗なる一発屋』!!!に思えます。

このフローリアン、特に後半のディーゼルモデルの経験から後のジェミニにそれをフィートバックしジェミニ・アスカ(初代)現役時代はディーゼル乗用車=いすゞというイメージ確立もしていましたし決してフローリアンの存在は無駄にはなっていなかったとワタクシには思え供養の言葉にしたいと思います(^^)v

特典映像=あの70年代最強のアクションドラマ、“大都会PARTⅢ”に何と初期型フローリンのカーチェイスがあります!
元々犯人車のフローリアンを黒岩と弁慶が手に入れもう1台、極悪犯が乗るC30ローレルとの激しいアクションをどうぞ!(いすゞファンの方は心臓に悪いかも…汗)

動画は→こちら
Posted at 2017/07/16 15:36:52 | コメント(2) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2017年07月16日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ベレット編(過去記事より)

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ベレット編(過去記事より)  いすゞプラザ訪問記念第二弾はベレット編になります(^^)v

※2011年8月UP


60年代のメジャー級で高人気車、10年の長寿を誇り未だいすゞの代表車種として名車の名を得て愛好家も多く存在する『PR10~50/60/80/90/91/95/95N PRD10 ベレット』を取り上げます!!

このクルマ、非常にモデル変更/追加、バリェーションが多く10年という長寿の為、相当長文で写真も多くなりますので興味のない方はスルー、興味のある方も覚悟願いますネ(;^_^A

1963年6月、『オーバルライン』という卵のような柔らかい曲線デザインで登場したベレット、ヒルマンで戦後、乗用車技術を学んだいすゞはそれにより習得した技術と経験を元に二つの自社開発乗用車を生み出します。
その一つが前年4月に発売したラージクラスで先日“華麗なる一発屋!!!”…12でも取り上げた『ベレル』、そしてもう一つがこの『ベレット』になります!
戦前からトラックにて車造りの経験は豊富ながら“乗用車”というカテゴリーがまだまだ外国車に頼っていた時代、ヒルマンを基礎にした当時のいすゞ技術の集大成がこの2車だった訳ですね。

ベレルが官公庁やタクシーでの使用を前提にした平凡な造りだったのに対しベレットはハナからオーナードライバー重視という事もありそこには様々ないすゞ技術のチャレンジとアイデアがフィートバックされた非常に個性的なクルマでそれまでの国産にはない新鮮さと個性がふんだんに盛り込まれたモノでした!!
これによりベレルとは逆に発売以来話題となり高人気を獲得、この為様々なモデル追加、マイチェンを幾度も繰り返しご承知のようにモデルチェンジはせず10年という年月をいすゞ乗用車の屋台骨を支えたクルマです。

63/6に“オーバルライン”の個性的スタイルで登場した「ベレット(前・前期型)」


ベレットの概要はライバルは小型クラスの王者だったコロナ(T30~40系)とブルーバード(410系)、ボディはモノコック構造、駆動は当時常識的なエンジン縦置きのFR方式、そしてベレット最大の売りが国産FR車としては例を見なかった4輪独立サスを備えステアリングもこの時代でラック&ピニオン方式を採用した事です!
4独サスはFrWウィッシュボーン、Rrがいすゞ独自のダイアゴナルスイングアクスルであり詳細はwikiでも検索頂き(汗)このサスはワタクシも叔父が後年のGTタイプRを乗ってた時に経験しましたがジャッキUP現象という高負荷コーナリング時にテールが浮く現象が見られ簡単にテールスライドを起こし今なら峠続が涙モノになるであろう乗り味、この為クセがあり走りを好む層には非常に魅力的ながら一般ユーザーには転倒の可能性もあるこの特殊な操縦性を嫌がる向きも多かったようです。
加えてシャープなハンドリングを実現するラック&ピニオンですからねー、その気になって転がす時には腕と相談という玄人好みのクルマでありこれがRのようなスポーツグレードでなく普及タイプのや1500等でも起きたというのが伝説的のようです。。。

このようなベレットですのでそれまで「動けばいいんだろ?」的だった国産車市場には革命的な存在となり腕に覚えのある方々には強い支持を得ました!
丸み帯びて空力的にも有利なスタイリング、内装/インパネ、顔やお尻もそれまでにないスポーティなイメージがウけ王者コロナに迫る人気を得ています!
また、当時は横型のバー(または指針)式メーター、コラムシフトが教科書だったところ日本ではまだ珍しかった丸型メーター、フロアシフトを採用(4速、尚コラムもアリ)、これもこの方式をいち早く取り入れたヒルマンからのフィートバックでした。

“おむすび”のようなテールランプが個性的なRrビュー


ヒルマン譲りの丸型メーター、フロアシフトを採用し話題を集めた運転席


尚、ボディは発売時は4ドアセダンの一種のみ(商用トラック=ワスプも設定)搭載エンジンはG150型1.5L OHV63ps(PR20型)を主としながらいすゞらしくベレルで注目を集めたディーゼルエンジンも搭載、ベレルが2Lディーゼルだった事もあり弟的立場のベレットディーゼルは1.8L 55psというモノ、実際にはベレルDがそうであったように需要はほぼタクシーのみの時代でしたから決して多くない小型タクシー専用のようなものでありベレットD(PRD10型)は数は出なかったようです、しかし後年、フローリアンDを経て“ディーゼル乗用車=いすゞ”と言われた時代(80年代~90年代中期)の基礎を早くもココでベレルと共に築いていた訳ですね…

不評兄貴分のベレルとは真逆な、市場から大歓迎を受け自信を得たいすゞはベレットを翌64年からモデル拡大/バリエーション追加等でより魅力を高めてゆきます。

まず、64/4にベレットの性格を如実に表すかのように1600GT(PR90型)が追加されます!
1600GTは63/10のモーターショーで参考出品され話題を集めたベレットのプロトタイプ、1500GTの市販版でより強力エンジンを搭載して登場しました。
1600GT、通称“ベレG”で親しまれたこのモデル、この種のパイオニア的存在となる2ドアクーペとして発売、日本で初めて“GT”を名乗ったのはあまりにも有名です!!
基本メカやスタイルはセダンを受け継ぎながら全高を抑えRrウインドゥの傾斜を強くしたスポーティなデザインを得たGT、ラジオアンテナを当時としては珍しいルーフTOPのセンターに配置、これを起こして俊敏に走行する丸っこいベレGの姿を揶揄して「ハイウェイのゴキブリ」なんて一部では言われたたとか(笑) 確かにすばしっこいベレGにはいい意味でぴったりの悪口(んな日本語はありませんが…汗)かもしれませんネ(^^;)

日本初の“GT”となる64/4追加のクーペボディの1600GT(前・前期型)


1600GTは後年にスポーツモデルの定番となる連メーター(7連)を採用しスポーツモデルを鮮明に打ち出し当時の若者には熱狂的に迎えられたようです!
64yと言えばまだコロナもブルーバードもHTやクーペもない時代、セダン一辺倒の時にこのスタイルと味は叔父の話からも分かりますが相当な熱狂だったという事で当然な事と頷けますネ!
エンジンは1500 G150を100ccスケールUPしたG160型をツインキャブで武装、88ps(OHV)とベースに較べて25psのパワーUPをしており“名ばかりのGT”ではなかったのを実証しておりその証拠?に後にデビューしたこの時代のサーキットの王者であったスカG(S54/S54B)の良きライバルでした!!

余談ですがベレットというクルマはあくまでファミリーカーであり本来セダンが主力でGTは付属的なバリェーションモデルでありながらGT発売以降のベレットは元々からスポーツ性が強いこのクルマのイメージを決定的にし現存車もほぼGT一色、愛好家もGTでないとベレットに非ず的な方々が多いように見受けられます、事実現役時代もセダンよりGT(クーペ)の方が多く見かけた記憶があり国産車の中でも稀有な存在に感じます。。。

今見ると古い電車の運転台のような感じですが64yでは驚きの7連メーターを
採用した1600GTのインパネ


1600GT、エクステリアもセダンとは異なるデザインとされFr/Rrとも精悍なイメージを与えられており顔付は丸2灯+フォグというもの、運転席は7連メーターに加えナルディタイプのウッド3本スポークステアリング!これはかなり当時のヤンチャ層はヤル気になったのでしょうね~~。

1600GTのRrにはセダンの“おむすび”から大型コンビの精悍なモノとなる


1600GT追加で勢いに乗るベレット、同64/10に一気にバリェーションを拡大、2ドアセダン、1300シリーズ(PR10型)とクーペ1500及び1500GT(PR80型)、そして商用バンであるエキスプレスを追加、この時に若干のグリル変更を行います。

まず廉価版設定となる1300シリーズは顔を丸目2灯に改めエンジンはG150のボアダウン版であるG130型1.3LOHV58psを搭載し価格を抑え普及促進をはかります。

丸目2灯式とされた1300


そしてクーペ1500は1600GTのボディに従来型G150 63psを搭載するGTの廉価版、1500GTはG150に1600GT同様のツインキャブ装着による77psとしたクーペ/GTシーリーズの中間&普及モデルとして設定されています。

1600GTと同じボディをまとった1500クーペ/1500GT(写真は1500GT)


このようにワイドバリェーション化したベレットは65/9にボルグワーナー製ATを1500セダンに設定しイージードライブにも対応、66/4にまずセダン系をマイナーチェンジを行います。

定番である前後の意匠変更で1300と1500の顔を共通化、これまで1500のみだった丸目4灯を1300も得ておりまた旧1500より内側ライトを大型化しグリルをリファインしています。テールはクーペ/GTと共通とされインパネは新設計新デザインのモノになりライト他スイッチがノブ式から新デザインになりインパネに溶け込むようにスッキリしまとめられた各スイッチは使いやすくこれまでに類を見ないモノでした。またこの新インパネは後年のフローリアンにも生かされた輸出(左ハンドル)化を容易に行える左右対称型というのも特徴でした。
尚、この時ミッションをフルシンクロ化し時代の要求に応えています。

66/4~前・後期型4ドアセダン


↓インパネも新設計、新デザインとなる。


セダンがマイチェンによりより現代的イメージに変身、お次はGT系のマイチェンとなります!
66/9、まず1500シングルキャブの1500クーペと1500ツインキャブの1500GTは廃止しクーペ系は1600GTモノグレード化されます。
エンジンはG160ツインキャブを1579ccから1584ccとし90psにパワーUPしたG161型に換装しより戦力を増強(型式をPR91型とする)、セダン同様にインパネを新デザインのものに変更し顔の意匠変更がなされ丸目2灯に改められました。
インパネは以降最終型まで採用されるモノで旧タイプと較べると連メーターが旧型ではセンターコンソロールにまとめて配置されていたものがダッシュボードに並べられ視認性を格段に上げ大好評を得たとの事です。

再び1600GTのみとし戦力UPした前・後期型1600GT


GTのインパネはメーター視認性を高めよりエキサイティングなイメージに!


尚、1600GTのテールには変更はありません。

66/11、「もう一つのベレット」と言われたベレットBタイプが4ドアセダン1300/1500/1800Dに追加されます。
Bタイプ(以下B)は例のクセのあるRrサスを一般的なリジットサスに改めより親しみやすいドライブを求めるユーザー向けに設定されたモノ。
ダイアゴナルスイングアクスルで少々危険?さが伴い乗り手を選ぶ脚とGT以降のスポーツイメージが強く特にブルーバードやコロナに多かった営業用や社用車などには普及しなかったベレットのより広いカテゴリーでの普及を試みたBは外観上も大きく従来型とは異なりFrは異形角型2灯式としRrスタイルは従来型がヒップダウンでエンドをスラントにしていたデザインをハイデッキでスクエアなデザインにリファインしエンドも逆スラント化されていました。
一つの車種で二つのデザインで別方式の脚を持つ4ドアセダンがあるというのもメーカーがいかにベレット情熱を注いだかが見えますネ~。

当時では珍しい異形角ライトをまとった「Bタイプ」


BタイプのRrスタイルはまるで別のクルマに見えるほどのリファインが行われた。


B追加と同時に従来型含めATを内製化、また従来型の2/4ドアセダンに廃止された1500GTのG150型ツインキャブ77psを載せたセダン初のスポーツグレード「1500スポーツ」を追加しています。これは旧1500GTの性能を居住性の高いセダンボディで実現したスポーツドライブ派のファミリー向けでありクーペボディの1500GTより付加価値の高い(1600GTが存在する為)モデルとして一定の需要を得たようです。

66/12、1600GTにも「もう一つのベレット」が現れます!! ベレット、どんだけ増殖するんだ?位の勢いですがモデル数が少ないいすゞ(当時は乗用ではベレルとベレットのみ)だからこそのワイドバリェーションだったのではと推測されます、つまり一つの車種で幅広いユーザーに対応すると言った弱小メーカーの恒ですネ…
1600GTに追加されたのは受注生産という形をとった「1600GTファストバック(PR91G型)」です。こちらはBと違い1600GTのメカ的な部分はそのままにBピラーから後ろをフルファストバック化し前後のデザインを変更したものです。
フルファストバック化は1600GTの泣き所だった後席のヘッドスペースのさ狭さを克服するのが目的、GT購入層からこの部分が一番の改善要望が多かったとの事でこれに対応したものでした。しかし実際にはファストバック化による車重増(940kg→975kg)と受注生産による高額化(約10万円高)から殆ど出回る事はなくいすゞ地元である我が神奈川でもお目にかかった事は殆どない幻のモデル的存在でした、旧車イベントでは見かけた事もありますが街を普通に走ってるのは幼少時代にも記憶はないですね~。。。

↓こちらも全く別のクルマに見える1600GTファストバック




このように増殖度会いを高めるベレット、67/10にもまた追加モデルが登場します。コレはBの顔を持つ従来型(=Rrが独立サス)の新設定でRrスタイルはヒップダウンのスタイルでした(これを「セダン新仕様」=以下この表現 と表していました)ここまでくるともう何が何だか分からなくなりますが・・・
(・_・;)

そして再度のマイチェンでベレットシリーズは後・前期モデルとなります!
まず68/3に1600GTが、同68/7にセダンが意匠変更されます。
GTは再度丸目4灯のデュアル化、テールをそれまでレッドのみだったレンズをアンンバーを組み入れた横長コンビネーションに変更、セダンは従来型をGT同様のグリル(GTはFrウインカー/スモールがバンパー下だったがセダンはバンパー上)とテール、新仕様は顔をそのままにテールをGTと同一とし、Bは変更なし。
尚この時にセダン1500スポーツは1600スポーツ(PR50型)となり1600GT同等性能を手に入れてます。

68/3以降、GT/セダンが順次後・前期型にマイチェン(㊤Fr㊦Rrビュー)



この後69/3~9に安全対策や小変更を受けセダンの顔がGTと同一化(スモールがバンパー下となる)、GTも含めスモールレンズが大型化、またセダン1600DXを追加、これは1600スポーツのG161 OHVをOHC化し90psとした新エンジンを搭載、また従来のエンジン=G130/150/161ツインキャブも全てOHV→OHC化しています。

そしていよいよ69/10に“最強のベレット”である「1600GTタイプR」(=PR91W型、以下GT-R)がシリーズ最高峰として追加されます!
世はハイパワーブームの幕開期で来る70年代に迎えようとする中、スポーティイメージで一世を風靡したベレGも発売6年を経過、その後に現れたライバル達に魅力は低下し特にトヨタのDOHC攻勢(RT55トヨタ1600GTやRT72コロナマークⅡGSS)にいつしか霞みはじめていました。
そこでいすゞは前年68年に発売したパーソナル・クーペである上級117クーペのG161W型DOHC+ソレックスツイン120psを移植、心臓だけだなく脚廻りやブレーキを強化、インテリアではハイバックのバケットタイプシートを装着、エクステリアもFf2分割バンパー+大型フォグランプ、ボンネットをレース/ラリーのフィートバックから艶消しブラックとし太線のサイフドストライプで雰囲気も盛り上げたモデルでした!
元々77psで設計していたボディも各部強化、車重970kgに120psの強心臓GT-Rは後発(70y発売)の同じ1.6L DOHC搭載モデル、ほぼ同重量のセリカGT(TA22)やコルト・ギャランGTO-MR(A53C)が共に新開発の新車種だったところに8年前のシャーシ、スタイルで挑んでも充分戦闘能力があるものでセリカより5ps上、GTOより5ps下というスペック、荒々しさはこれらライバルにない魅力あるものだったとの事、特に誰でも扱えるセリカに較べると伝統の乗り手を選ぶベレG-Rは当時のスポーツ車としての評価は上で“硬派のGT”として現在では伝説的名車となっています!

69/10に加わった最強のベレット「1600GTタイプR」



GT-Rに搭載されたG161W DOHCエンジン(写真は117クーペのもの)


この後ベレットは70/11に1600GTとGT-Rの中間グレードになる1800GTを追加します。
1800GT(PR95型)には上級車種のフローリアンTS用に開発されたG180型OHCツインキャブ115psを搭載していました。

翌71/10、ベレットは遂に最終型となる後・後期型となります!
あまりにも増えすぎた車種、グレードの整理/見直しを行います。
    ↓
(セダンの廃止)
・Bタイプ:ボディ
・新仕様:ボディ
・ディーゼル:エンジン
・1600スポーツ:グレード及びエンジン
・1300シリーズ:グレード及びエンジン
・1500シリーズ:グレード及びエンジン

(GT系の廃止)
・1600GT:グレード及びエンジン
・1600GTファストバック:グレード及びエンジン

(セダンの新設定)
・1800スポーツ=1800GTの115psツインキャブエンジン搭載するセダンスポグレード
・1600スペシャル=69/9に廃止されたG161OHVエンジン復活搭載した1600廉価版

(GT系の新設定)
・1800GTN=G180型シングルキャブ100psを搭載するGT廉価版

(セダンの変更なし)
・従来型:ボディ

(GT系の変更なし)
・1600GT-R::グレード及びエンジン
・1800GT:グレード及びエンジン

尚最終型となり定番である前後の意匠変更を実施しています(セダン/GT系=共通デザイン)

最終となる後・後期型㊤Fr㊦Rrビュー(72y1800GTN)



このように幾度も変更、追加、整理を繰り返しながら存在したベレットですが60年代には人気車でも65~のマイカー元年通り70年代に入った頃からはライバル車の急増と古さによる商品力の低下が顕著になり売り上げも下降、さすがのピカイチ人気を誇ったGT系も第1次ハイパワーブームで新設計のライバルスポーツ車には色褪せ発売10年を待たずして73/3、セダンに先駆けて生廃、そのセダンも同73/10、10年4カ月で生廃となりました・・・

その後いすゞはこのクラスのカテゴリー、車種設定が一時途絶えますがベレット生廃1年後の74/11、立ち位置的後続の『PF50型ベレット・ジェミニ(75y以降はジェミニ)』が発売されブランク後にバトンを渡す形になりました。

カテゴリー後続は1年のブランクを経て登場した「ベレットジェミニ」
(74yセダン)


ジェミニはその継続性を主張するかのように『ベレット』の名前を当初名乗りましたが旧ベレットは完全自社開発だったものだがジェミニは提携先GM開発のオペル・カデットをベースとしたもので日本仕様にいすゞがアレンジしたモノ、依って名前にベレットは入るモノのクルマとしての脈略はないため旧ベレット=一発屋認定です!

いすゞの乗用車はお家の事情もありどれも長寿、117が68~81yの13年、フローリアンが67~82yの15年、ジェミニが74~93yの19年(93~00yはホンダ・ドマーニOEM)、アスカが83~89yの6年(90~02yはスバル・レガシィ、ホンダ・アコードOEM)
なのでベレットは今振り返れば10年でもアスカに次ぐ短命でしたね(汗)

しかし我々が子供の頃のスポ車と言えば最初の方に名前が上がったベレット、10年に渡りいすゞ乗用部門の屋台骨だった功績は大きくこのクルマの成功から同社の後出モデルにも様々好影響を与えた事は決して忘れられない『偉大なる、華麗な一発屋』に間違いない!!そう確信するのでした!!
Posted at 2017/07/16 15:20:58 | コメント(3) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2017年07月16日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ベレル編(過去記事より)

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ベレル編(過去記事より) いすゞプラザ訪問記念?って訳でクルマ好きの神奈川県民として決っして無関心ではいられなかったいすゞ製乗用車に関するブログを過去、綴っておりますのでそれを改めてご紹介させて頂きます(^^)v

第一弾はマニア以外では知るヒトも今は少ない『ベレル』となります・・・

※2011年9月UP


今回取り上げるのは1962~67年迄生産された『PA10/PAD10型いすゞ・ベレル』です!

ベレル、これはさすがに産まれる前に出たモデルであり乗った事はありません、学生時代にそれ系の学校行ってたので教材で不動のディーゼル車がありましたので結構触りまくってはいますが。。。

いすゞのフェンの方でないと特に若い方には未知のクルマでしょう、不人気で現役時もタクシーが殆どだったとの事でワタクシも幼少時を思い返しても殆ど走ってる姿は記憶にありませんです(^_^;)



さて、ベレルですがいすゞが戦後の1953年(~64年)にイギリスのヒルマンをノックダウン生産しながら乗用車造りの技術を学んだ末、その吸収した知識、経験を元に自主開発されたクルマが二つあり一つは後にいすゞの名声を高める人気車になった『ベレット(63y発売)』、そしてもう一つがこのベレルです!
ベレットを当時売れ線のコロナやブルーバードに対抗する1.3~1.6Lクラスの設定したのに対し ベレルは2L級ラージクラス、クラウン、セドリック、グロリアをターゲットとして登場しています!

発売前年の61yの全日本自動車ショー(現在のモーターショー)
で現行ヒルマンに次ぐ自社製サルーンとして展示されたベレル
(手前が既存ヒルマン)


62/1にいすゞ初開発モデルとして登場したベレル(前期型62/4~63/10)


それまでのヒルマンとは異なり、大きく伸びやかなラインで構成されるスタイル、大人6人がゆったり乗れメーカーも「動く応接間」をキャッチフレーズにしていました!
確かに学校にあったベレル、中は横・縦・頭上も広々しており多分デビュー時はまだライバル達は普通車旧規格(排気量1500cc迄)の時代に設計された小柄なボディ(クラウン=RS30 セドリック=D30 グロリア=BLSI)だったので一番大きく広々が売りだったのでは?と想像します!(巾は現在同様5ナンバーフルの1690mm)

搭載エンジンはライバルがまだ1500や1900を主としていた時期に規格いっぱいの2000ccGL201型4気筒OHV85psを主流としまた、世界初の量産乗用車ディーゼルであるDL201型55psディーゼルエンジン、廉価版/普及型として73psの1500も設定されていました。
後年同社がフローリンを経てジェミニやアスカ等で一時はディーゼル乗用車=いすゞ と言わせた程のディーゼル技術は当時から既に形成されていたものでクラウンやセドリックにもディーゼルは設定していましたがこの頃既にトラッックのエルフがタフ、信頼性で好評、そのエンジンを搭載しまだLPGの普及がなかったタクシー業界には低燃費、経済性で熱い支持を受けLPG普及前の昭和30年代ではタクシーの3割以上がベレルだったと言うのも当然に思います。
尚、ボディはモノコック、脚廻りはヒルマンで学んだFrウィッシュボーン、Rrリーフリジット。

ベレルが売りにしたのは何と言っても”ローヤルライン”と呼ばれる直線美とハイウェイスコープなる広いFrグラスエリア、三角のテールランプもそれまでの機能一辺倒の国産車とは違い遊び心を持つモノで当初、これらは結構話題にはなったようです!

前期/中期型は特徴的三角テールが売り!(写真は中期型)


「ハイウェイスコープ」と銘打った広いガラスエリアが特徴的なインパネ周り


この“ハイウェイスコープ”、運転席の眺めは正に絶景だったかも(笑)
感覚的には右肩口までFウィンドゥがあるって感じ?に違和感憶えたのが印象に残っています。
ただこの広い前方視界を確保する為このウィンドゥがスタイリングの印象に与えた影響は絶大でラウンドしたFrガラスの犠牲になったFrサイドウィンドゥのグラスエリアがRrのサイドと較べ極端に小さくなってしまい全体のバランスが破綻してしまっている感じ、しかも悪い事にベレル発売の同年にはライバルのクラウン、グロリアが次々にフルチェンし米国発の流行であるフラットデッキスタイル、デュアルヘッドライト、横長のテールランプ等でより広く伸びやかなスタイリングを誇りベレルはいい意味、悪い意味でも個性はありながらも地味な印象になってしまい一気に古ぼけ不人気車へと転落してしまいました。。。
不運だったのが生産する藤沢工場が立ち上げと同時にベレルを生産しましたが工場設備の不具合、設計上のミス等が重なりトヨタ、日産の大メーカーにはない不安感がつきまとう印象が拭えなかったようです…
そんなベレル、テコ入れの為62/11にはツインキャブで武装し95psとした最高級のスペシャルDXを追加しました!
ツインキャブと言うのはヒルマンが国内初で取り入れたモノ、いすずはこの種のモデルのパイオニアでありベレル高級バージョンに応用しています。
翌63/4にディーゼル版スペシャルDXを、同年6月からバンを追加しています。
バンはその後いすゞ商用バンに名付けられた「エクスプレス」を同社初めて名乗ったモデルでした!

63/10、Frとテールを小変更し中期型(前)となり更に64/10、Frグリルを再度変更し中期(後)を受けてます(タイトル画像のモデル) このマイチェンはライバルを意識し少しでも大きく幅広に見せ豪華なイメージとするのが目的でしたがベレルの人気はどんどん低下の一途、これにより65/10に大規模なマイチェンを実施して後期型となります。

65/10~67/5後期型のFrビュー


同後期型のRrビュー


このマイチェンによりライバルに見劣りしないFrデュアルライトとRrに横長のコンビネーションランプを得て高級車としての生き残りを賭けますが3強+64y発売のA30三菱デボネア等のライバルの壁は果てしなく高く当時高級車としては当然直6 OHCエンジンが主流の時代に相変わらず4発OHVでは外観をいくら高級イメージにしても追い付かずまた、その外観も不評のFrサイドウィンドゥの形状はそのまま、ある意味個性的であった前期モデルの顔や尻がFrでは米車や国内では初代D30セドリックの前期型(60y発売)で既に見慣れたモノであり尻も最大の特徴だった三角テールが没個性の横長デュアルになってしまった事はかえってベレルの個性を失わせファンからも残念な声が上がっていたようです。今見ても個人的に前期にベレルらしさをやはり感じますネ~。

大規模マイチェンも失敗、更に65yを頼みの綱であったタクシー業界も急速にLPG化が進みディーゼルは前時代の扱いとなりデビュー時は経済性で喝さいを浴びるもこの時期ではディーゼルの欠点である騒音と振動が嫌われタクシー業界ではベレルに乗るドライバーには別途ディーゼル手当も出たとか!(汗)
そりゃガソリン車の静粛とそれよりは力は劣るモノのパワフルかつ軽油より安いLPGに流れるのは致し方ないですよねー…
そんな訳でベレルはチェンジ後2年もしない67/5に生廃を迎えます、下級ベレットが絶好調であり後年発売予定だった117クーペに集中の為66yには早くも放置状態化、ガソリン/ディーゼル併せて○台まとめていくら!!! みたいな投げ売りもなされたとか(+_+)

その後いすゞはベレル以降このカテゴリーにはよほど懲りたのか参入せず同社上級車としては1.6~1.8級のフローリアンがベレットの上級としての立ち位置的後続に据えています、ただクルマ的な脈略はなくまた前身?ヒルマンは自社開発ではないので一発屋らしい一発屋と言えるでしょう!

その後ベレル以後に参入した三菱デボネアも3強の前には歯が立たなかったのはベレル同様ながら巨大な三菱関連企業専用と化しながらも生き永らえたのとは対照的な人(車)生を感じます!

しかしベレル、特に最後は嫌われ者になったディーゼルモデルがその後のいすゞの発展の基礎なっており他が着目しなかった分野で一時、満開の花を咲かせたのは君がいたからだ!という言葉を供養に捧げたい、そんなクルマです!


※特典映像→こちら
74年放送の大映ドラマ、『事件狩り』で正義の為にあえて貧乏弁護士でいる石立鉄男、助手の石橋正次、鈴木ヒロミツの足となるのが今はもちろん当時でも激レアな初期型ベレル!
破壊はありませんが滅多に見れない走行シーン、特に2:52~のA30Lテールのデボネアとのチェイスには共にクラウン/セドリックに撃墜されたモノ同志、感慨深く感じるのはワタクシだけでしょうか???(汗)
Posted at 2017/07/16 14:09:13 | コメント(1) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ

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