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2011年09月07日 イイね!

保存版・“華麗なる一発屋!!!”…フロンテ800編

保存版・“華麗なる一発屋!!!”…フロンテ800編 “華麗なる一発屋!!!”…今回は初のスズキ車!! スズキがバイク→軽自動車と歩み初めて普通車に名乗りをあげたモデルである『C10型フロンテ800』です!!

フロンテ800、65/12に当時の小型エントリークラスであるアンダー1000ccのマーケットにスズキがこれまでのバイク技術や62y発売以来着実な評価を得てきた軽乗用車スズライト・フロンテ(現在のアルトの祖先)の経験を注ぎ込んだスズキ発の小型車として登場しました!
さすがにこのクルマはワタクシも乗った事はありません、やはりこれも学生時代に教材として触った経験もありますが最後の見たのは15年位前、その頃ですと地方等を走行しているとスズキのサブディーラーの片隅や納屋の一角に恐らく不動であろう同車をたま~~に見かけたモノですがさすがにもういないですねー。
若い方は多分ご存じないクルマ、現在はその絶望的な残存からスズキファンには幻のクルマで神的扱いされているようです…!

65/12、スズキ初の普通車として話題を呼んだフロンテ800


Rrビュー


65y当時、アンダー1Lクラスではライバルが多くトヨタパブリカ、三菱コルト、ダイハツコンパーノ、マツダファミリア等どれも先行投入されそれなりの実績と名を売るライバル達の中でフロンテ800はライバルにない「FF方式」を武器としていました。
まだまだ当時FFはヨーロッパ車では常識になりつつもありながら国内では異端児扱い、軽や小型車などサイズの小さい車では居室スペースの確保にこれほど有効な手段はないながらコスト高と特に駆動系のパーツにまだ技術的な未熟さもあり普及はしておらずまた一部に見られたFF特有のクセ(タックインやアンダーステア)が嫌われる傾向もまだまだ強かった時代、そんな中スズキはFFの軽乗用であったスズライトフロンテで学んだFF技術を生かして開発され日本初のFF小型車として登場しました!

ヨーロッパ超のモダンで落ち着きあるスタイルは同じフロンテの名前ながらも軽と普通車の違いから全く異質のデザイン、スズライトは機能優先でデザインという考えはないに等しいようなスタイルでしたが800は広く伸びやかなモノであり空力をも計算したスラント気味のノーズやFr曲面ガラスなどこの時代としては斬新なデザインでした!
搭載エンジンはスズキらしいC10型2st水冷3気筒 785cc 41ps/8.1kgと言う性能、770kgのボディを走らすには充分パワーのあるもので2st特有のパンチ力は1Lクラスの加速に何ら遜色がなかったとの事です。
日本初の2st3発エンジン、以後スズキの看板となり異論的には4st6発のバランスに匹敵という宣伝文句はこの後延々と謳われていました~。実際は独特な“パンパンパン”というやかましいエンジンでとても縦6のスムーズさ、静粛さは味わえませんが(笑)

C10型3気筒エンジン


足廻りもFFの最大の利点を生かし4独、Frウィッシュボーン Rrトレーディングアームという他車がFrは独立でもRrがリジットの時代に高級な足を提供し快適な乗り心地を実現、プロペラシャフトのフロアトンネルがない室内やトランク等このクラスNo1の広さを実現していました!

上級車並の居住性を実現した室内とトランクスペース



800の室内はこの時代のこのクラスでは信じられないフトリム化がなされシートも明るい色彩とデザインの物でしてワタクシも初めて見た時はスズキやフロンテのブランドからなるイメージとは離れた豪華さを感じましたねー。
インパネもコラムというのが時代を感じさせますが4速!インパネもパブリカやファミリアに較べるとソウフトパッドの使用も多く車格以上の感覚でした!

ラジオ/ヒーターも備える豪華なインパネ!


このように800c大衆車としては先進的なクルマではありましたが当時はアンダー1Lに加え1L~の新型車が続々登場した所謂“マイカー元年”期でもあり初代カローラ(KE10)やサニー(B10)、スバル1000に加えコルトやファミリア、コンパーノ等も後には続々1Lに格上げされた超激戦区となり販売力がまだ弱く、またホンダN360発売以降活気づいた軽自動車市場でホンダやスバルとの激戦を繰り広げるべくスズライトをフルチェンしフロンテとしこちらに没頭する為メーカーもまだ「付随的」だった普通車、フロンテ800は積極的販売も行われなかった様子、実際65年の登場後1年後の66年にリクライイニングシート仕様を追加(67/3からはこれが標準)した程度で目立った変更やテコ入れはナシ、ライバルが800→1000と格上げされてゆく中で一応1Lの開発はなされていたようですが2stが公害問題から問題視され始めてもおり、また先進的FFをとった事によるコスト高、不人気による採算割れ等もあり徐々に放置、他車がワイドバリェーションを誇る中グレードも当初からモノグレードのままという始末…
機能では先進的ながらその存在は地味で子供の頃でも走行しているのを見た記憶はワタクシにもございません…

このような事から1Lカークラスの他車ライバル達がそれぞれエキサイトしていくのとは裏腹にいつしかフロンテ800は忘れられた存在となり69yいっぱいでひっそりと生廃されてしまいます。。。
これはスズキが軽メーカーとして生きる道を選択した回答であり1973年~2007年の34年間、皆さんもご存じのように「軽No1のスズキです」のCMが印象的な軽TOPメーカーに上りつめる為の犠牲が800だったかもしれませんね~~
尚、800以降軽市場を抑え安定感を得たスズキは1983年に800以来の普通車参入をカルタスで再度行い現在のスイフト等の基盤になっています!

46年も前に現代の水準に近い機構を持っていた先進的なフロンテ800、お家の事情からお化粧直しすら行われず軽自動車の犠牲で消え現在では恐らく実動車はナイ!!とまで言われる不憫なモデル、しかし一瞬でもスズキの技術力と先進性を実証したフロンテ800!!今ココに『華麗なる一発屋』として認定しちゃいますv(^^)v
Posted at 2016/11/07 21:34:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2011年09月06日 イイね!

保存版・“華麗なる一発屋!!!”アプローズ編

保存版・“華麗なる一発屋!!!”アプローズ編“華麗なる一発屋!!!”、第31弾は正に一発屋お得意メーカーの一発屋らしい一発屋?の『A101S/A111Sダイハツ・アプローズ』を取り上げます!

“アプローズ”=拍手、喝采という意味ですが後に不幸な火災事故が発生し『喝采どころか火災』と揶揄されたのはあまりにも有名な話、まだ三菱のリコール騒ぎの以前、マスコミに徹底的にたたかれたのも思い出されます…
そのせいかこのクルマを思うととにかく~リコール~という文字がつきまとう、そんな風に思われる方も多いのではないでしょうか…?

アプローズはまだまだバブルの盛りであった89/7に発売、バブル期でイケイケの時代でしたから親会社のトヨタより独自開発のOKが出て87年に生産中止したシャルマンの後を継ぐダイハツのフラッグシップとして発売されました!
ご承知の通り親会社の意向もあり軽自動車とコンパクトカー専業メーカーとして生きるダイハツには長い間小型クラスの自社開発は許されず上級車種を望むダイハツユーザー向けにはカローラ(20系、70系)をベースにしたシャルマンが長い事存在しましたが87年の時点で79年発売の70カローラベースの2代目シャルマンがさすがに旧態化し商品価値を失い生廃、その後を受けたのがアプローズで77年のシヤレード以来の完全自社開発車の為かなり気合を入れたモデルに仕上がっていました!!

89/7、ダイハツフラッグシップとして登場したアプローズ(前期型)


↓インパネ


↓新開発1.6L HD-E型エンジン


アプローズの最大の特徴は『スーパーリッド』と言われる一見何の変哲もない3BOXセダンに見えながら実は5ドア(HB)というボディ形態でしょう…
ヨーロッパでは人気がある5ドアセダン、まだステーションワゴンが一般的でなかった60/70年代からその使い勝手の良さから日本でも数ある車種に採用されながら何故か売れない5ドア車、ダイハツはその売れない原因がスタイルにあると判断、それまでの5ドア=セミファストバックスタイルを改め外見上は保守的な3BOXセダンとして抵抗を和らげるという意欲作になりもちろんこの形式は後にも先にも国内ではアプローズが唯一のモノでした!
ラゲッジ拡大は後席座面を跳ね上げシートバックを倒すライトバン形式のモノでセダン形式のため当然高さ的には広がりないもののそのスペースは広大で当時クラス最大のラゲッジルームを誇ったものでした。

↓“スーパーリッド”が最大の武器!!



このアプローズ、後輩がダイハツの営業やっており乗る事多かったですがこのスーパーリッドは斬新だったと思います、スタイルはともかくとして見かけは見慣れたセダンで実は使いやすいHBの良さを持つというパッケージングは面白味もあり申し訳ないですがこれがダイハツでなければそれなりに普及したのでは?なんて思えます、ダイハツだからこそ『ゲテ物』扱いされてしまいましたが保守的ユーザーにはそれなりに魅力あるものだと思いますし。。。

さて、アプロースの概要ですがダイハツ最上級でもサイズ的にはカローラやサニー等大衆車クラス、駆動は基本のFFに加えLSD付センターデフ方式の4WDもラインナップ、当時脚光を浴びてたセダン4駆もしっかりラインナップしていました。
エンジンは専用に開発された(ベースはシャレードのHE型)HD-E型OHC1.6L 16バルブでEFI120psと1キャブ97psの二つのチューンを設定、脚廻りはALLストラットの4独。

アプローズ、乗り味は可もなく不可もないい意味“フツーの車”という表現がピッタリで驚くような動力性能も目を見張るスタイルでもない代り誰が乗っても安心して普通に転がせファミリーユースもシツなくこなす、そんなクルマだと思います。
ただ…出た時期が89年という世はまさに第三次ハイパワーブームの真っ只中でありR32GT-Rを代表とし他にスープラターボA、レガシィRS/GTやギャランVR-4、パルサーGT-iR等と当時は各社高性能ウェポンに躍起になっている時代にごく“フツーのクルマ”を出したダイハツの良心は理解できるも注目度、話題性は殆ど無かったですね~。

不運だったのはこのクルマ、発売直後にAT/オルタネーターでリコールが届出されたのを起点にガソリンタンクの不具合も発覚、不幸な事に気圧が保たれず給油時に逆流噴出した燃料に火がついてしまい火災発生という最悪な事故が発生、この事から一気にアプローズ=欠陥車の烙印が押されてしまい元々地味なこのクルマの販売に非常に足かせとなってしまいました。

そんな不幸な出来事の中、イメージを変えようとしたのか車名にθをプラスして『アプローズθ』と90/10から名乗りエンジンをEFI 120psに統一します。

↓90/10~92/7までは『アプローズθ』と名乗ります!


92/7に初のマイチェン、お決まりの前後デザインの変更とネーミングを再び『アプローズ』に戻し94/4、エアバック等安全対策を行いこの時4WDを廃止します。
この中期型は5年に渡り生存したアプローズの中での最長寿命を誇るモノでマイチェン時は多少スポーティな外観イメージに振る等の改良がなされましたがこれによるイメージUPはなされませんでした~。

92/7~97/8の長期に渡り存在した中期型


97/9、世間的には「まだあったの?」的なアプローズ、この時点で8年経過の旧態車でしたがこれでも再度のマイチェンを行い寿命更新をします。
このマイチェンではダイハツのフラッグシップらしくかつてのシャルマンのように車格以上の不必要な高級感が与えられ地味ながら車格にマッチし好感の持てたマイチェン前のモデルに対しキンキラ悪趣味的外観となりインパネも金襴豪華なモノに変更されています、車種整理も行われ2グレードにまとめています。

ボディカラーや意匠を車格以上の高級感で飾った最終型(97/9~00/5)


インパネも高級仕様に変更


しかしこのマイチェンにも何ら効果はなく3年もたずに2000/5、遂にアプローズはようやく?やっと?製廃の時を迎えます…
売れないながら弱小メーカーの常でフルチェンできず結果的に11年の長期に渡り存在したアプローズ、発売直後のリコール発生や不幸な事故によりその生涯は最後までネガティブなイメージでしか世間には受け入れら得なかった悲運なモデル、クルマの出来としては決して悪くはなくアイディアやコンセプトは斬新でしたが火災→マスコミのネガティブキャンペーンの影響から『華麗』とは裏腹の『悲運NO.1の一発屋!!!』として認定しちゃいます(;^_^A

尚ダイハツフラッグシップとして立位置的にアプローズ後続は『アルティス』となりますがこれは完全にトヨタ・カムリグラシアのバッジ違いのモデルであり勿論トヨタが開発したもの、よってアプローズとの車的脈略は全くなく先記のように前任シャルマンとの脈略もない事からアプローズは立派な『一発屋』ですネ!

↓アプローズ後続はカムリ双子の『アルティス』

Posted at 2016/11/06 17:20:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2011年09月05日 イイね!

保存版・“華麗なる一発屋!!!”…スカイラインRS編

保存版・“華麗なる一発屋!!!”…スカイラインRS編
“華麗なる一発屋!!!”…今回は趣向を変えて(汗)

今回取り上げるのは『DR30型スカイラインRS』!!

ん?何でやねん?何でスカイラインが!とクレームを出そうとしているアナタ!
ちょっと待って下さいね(;^_^A

スカイラインはもちろん一発屋どころか1957年からに発売され名将、桜井真一郎氏の手により育てられ磨かれ(7代目まで)て今現在まで国産車では稀に見る伝説と人気を得ている日本を代表するクルマの一つ!それが何で一発屋???

ワタクシが今回取り上げたいのは“華麗なるエンジン一発屋”と言い変えた方がイイと思います、これなら納得して頂けますよねー。。。


RSに搭載されたFJ20 DOHC 4バルブエンジン



な訳でその一発屋エンジンのFJ20Eを搭載した6代目DR30型スカイラインRSを紹介させて下さい!

有名なスカイラインですからワタクシごときがその歴史をくどくど解説はするべきではありあせんが紹介上少しだけR30以前にも触れさせて下さいネm(_ _)m

スカイラインと言えばそう、GT-Rがお約束!S20型DOHC 4バルブソレックス3連160psと文字を読むだけでもワクワクするようなエンジンが一番の魅力!3代目ハコスカC10時代に旧S54Bの流れで登場して以来伝説を作ったトヨタ2000GTと並ぶ国産1,2の名車、そのGT-Rが4代目ケンメリ時代に排ガス規制やOILショックの絡みで消え51年規制時には普及型L20ツインキャブモデル(GT-X)ですら消え去り排ガス規制でスポイルされた鈍重で魅力を失せたスカイライン、ケンメリ後期から5代目C210ジャパンの末期までこの状況が続き規制後もDOHCを載せ続けそれでなければ『GT』の称号は与えていなかったトヨタからセリカのCMで~名ばかりのGTは道を空ける~と屈辱的言葉までコピーされる始末でした(78~79y頃)

しかしスカイラインは80年になると逆襲を始めます、まずは80年にジャパンにターボを追加、81/8に6代目R30にフルチェンジ後もターボ路線で進むと思いきや81/10に今回の主役である久しぶりにDOHC搭載した『RS』を追加し本格的逆襲に転じます!

81/10に登場した最初期RS(HT/セダン)


RSの専用カタログ冒頭にはこう書いてあります↓

↑凄い!自信と憎悪の塊の文章って感じ(爆)

レーシングスポーツ=RS の名に恥じず既に世の中が贅沢志向に向かいスカイラインもジャパン以降ややバブリー化してきてハコ/ケンメリ世代には?が付き始めた不安をこのRSは見事打ち消すかのように“ハードな男のクルマ”そのものの超硬派にて登場、パワステ?パワーウィンドゥ?何それ?と言う感じのおよそ走りには関係ない装備は一切奢られずラジオすらオプション、そっ気なさ過ぎる程のインテリアや内装でした。
ただ、ワタクシもこの初期RSは乗っていましたがこの時期の日産のインパネ、あまり好きではなく内装も黒なら“スパルタン”と言い訳できましたがワタシのはグレーでしたのでそれはもう「タクシーか?」と思う程ビニールと樹脂パーツ丸出しの悲しくなるモノで友人のマークⅡやセド/グロが眩しく見えたモノでした(-_-;)

RS前期インパネ(81/10~83/8)


しかし、ショボイ内装の代りに脚廻りは伝統のFrストラットRrセミトレのハード4独サス、減衰力切り替えダンパー、ノンスリが組み込まれシートだけは見栄えも機能もなかなかのバケット、そしてFJ20Eエンジンの野太いサウンドでドライブ中の居住空間は快適かつ楽しいモノでした!
ただRSに限らずトヨタや三菱に慣れてると日産のクルマのシフト位置って当時これらよりも遠く最後までシフト感覚にはワタシの体形(一応標準体形ですから~、残念。笑)では違和感がアリましたねー。
エクステリアは顔付がGT/TIのハニカムグリルを横太線3本にし睨みを利かせテールはGTでお馴染の◎◎です!

さて真打、FJ20エンジン!赤いカムカバーが何ともスパルタンでイイ!!
2000ccDOHC 4バルブ EGI 150psという当時の2Lとしてはド肝を抜くスペック!
当時の標的、2LDOHCトヨタ18R-GやいすゞG200W(共に2バルブ)が135psでしたから一気に15psの差を付けていましたからねー、スポ車好きにはまさに『GT-R復活』を感じさせました。
ただ熱烈なGT-Rファン、スカイラインファンには「4気筒モデルではGT-Rとは言わせない」と言う意見も多く日産はネーミングをRSにしたという経緯もあります、しかしカタログには思いっきりGT-Rを意識させる表現や写真も使われていましたが…。
またこの1年後の82年、トヨタがDOHC+ターボのセリカ/カリーナ/コロナを出した時に『GT-(T)R』というグレードをあっさり設定、またそれらが4A-G搭載時にはズバリの『GT-R』もパクられてしまい日産のこだわりは何だったんだ?というオチもあります(笑)

話は逸れましたがFJ20E、ブロックベースはセドリックのタクシー仕様やボントラ・ジュニアに積んでいたH20というやたら古い4気筒でしたがそれが故に頑強で弄る楽しみもかなりあった模様、2段駆動のタイミングチェーン、市販社車初のシーケンシャルインジェクションも魅力、当時としても《やかましい》部類のエンジンでしたが完調時のその音質はメカ好きにはたまらない音を奏でていました~。

しかしこのエンジン、まるで60/70年代のスポ車の如く気難しいモノで日産に整備出しても調整しきれないと言われた程の神経質、後年日産の人間が「あれは欠陥エンジンだった」と言ったとか言わないとか???
メンテナンスフリーが当たり前の80年代でも少し手を抜くとご機嫌ななめになるしエンジンそのものより補機類との相性の悪さ、エアフロの不調等ワタクシも随分手間かけられました、自分のFJだけがこうなのかと思いきや結構不具合が調整できずに泣いたユーザーは多かったようです。
結局このような気難しさがこのエンジンを短命で終わらせてしまったのですが街の腕のいいチューニングショップでメンテされた完調のFJは今でも一線級の力だと思います。。。

さて、ボディの方(汗) RSですがデビュー時はモノグレード、82/10に新デザインのホイールにようやく認可された60タイヤを履きいっそう迫力UP、旧アルミはGT系と同一だったが新デザインはRS専用のモノでした。

60タイヤを手に入れた82/10~83/8 RS(HT)


83/2、FJ20Eにターボチャージャーを装着、出力を190psとし「史上最強のスカイライン」のCMコピーにてRSターボを追加、RS以降のトヨタツインカムターボ勢、ソアラやXX、マツダREターボで第二次ハイパワーブームが到来した中、ただでさえ獰猛なRSが再びターボ化により最強の座に着きます。
このRSターボでハコスカ以来のレース復帰もなされシルエットフォーミラー化されたHTのレーシングマシンは心底カッコ良かったです!

そうそう、当時の大人気刑事ドラマ『西部警察』でマシンRSとして凶悪犯をブチのめした勇者(車?)のもこの190psのRSターボでしたネ!!
当時このドラマの影響を受けたまがいもののエアロパーツも販売されたり(もちろん本物も)自作でドラマ仕様に改造するのも一部マニア間では流行りました!

↓西部警察で活躍した『マシンRS』 当初は1台、その後2台が西部署に配備され3台のマシンRSがスーパーZと活躍していました…


83/8、マイチェンにより後期型へ変身!前後の意匠変更で、大型バンパーを採用、顔付は通称【鉄仮面】と呼ばれるグリルレス、薄型ライトになる。
個人的には前期3本グリルの方が精悍で好きでしたがコレはコレで結構人気ありました…

後期HT(83/3~)“鉄仮面”


テールは◎◎はもちろんながら立体感を演出する豪華なイメージに変貌、それに呼応するかのように遂にターボRS-Xというフル装備(パワーランバーサポート・パワステ・パワーウインド・オーデイォ等)をを装備した豪華仕様版を追加、世はバブルに向かう好景気でさすがのRSもタクシー内装ではやっていけなくなったのでしょう、時代の要請もあり売れ筋はこの『X』に移ってゆきます、とココまではいいんですが83/10にはNAのRS(2000RS-X)に何とATまで設定、これには萎えましたねー(=_=;)
このAT版、一度乗りましたがFJエンジンとの相性はあまりよくなく当り前ながらFJの特性を生かしきれないミッションでコレで女性や年配者がドライブしても絶対プラグ被る!それが印象でした(汗)
実際GT系のL20/同ターボ+ATはしっくりきてたし何でRSにAT設定したのか今も理解不能。。。

84/2、モデル終盤にきてそれこそ最強の『RS/RS-XターボC』を追加、インタークーラー付きFJ20ET型を搭載、当時はグロス表示ながら205psと言う2L初の200ps超えを実現、87yの我がギャランVR-4(E39A)がネット205psで登場するまで2L国内最強を誇りました(ターボC発売の84~86y頃の間に国産車のps表示がグロス→ネット表示化されてます)
ターボC、外観上はほぼ190ps版と同じだがFrエアダム左下にインタークーラー用ダクトが開けられており当時先に190ps版を購入した方々はこの「穴」に強いコンプレックスを抱いていたとか…
マイチェンが気に入り190psを買ったヒトは1年もしないで205psに出られた日にゃ、そりゃ泣けますよね~~。

RS-XターボC(84/2~85/8)㊤セダン㊦HT



そして84/8、RS最後の追加モデルとしてエンジンの点火系変更し「プラズマエンジン」とした新FJ20ET化、最高峰のターボC RS-XにATを設定しています。

85/8、スカイラインは7代目R31型にフルチェンしこの時RSシリーズも終了、FJ20エンジンは1代限りで廃版となります。
FJ20はスカイラインRS以降,、S110系シルビア/ガゼールにも搭載され83yにこれらがS12に代替わりした際も継続して載せられたものの86yには廃止されスカイライン~シルビア/ガゼールでトータル5年という短命で終わってしまいました、先記のように気難しいエンジンであった事が短命の原因で、もうそういった類のエンジンでは80年代後半~は生きていけないの事を悟っていた日産は今度こそと6気筒の4バルブのRB20DE/DET型を開発しFJに代って次代のR31で搭載、やがてコレが発展してGT-S・R、そしてR32でRB26DETTと発展し本当のGT-R復活となる訳です。。。

太く短く生きたFJ20型エンジン、この咆哮が聴けたのは僅かな期間でしたがその鮮烈な印象は充分当時のスポ車マニアを酔わせてくれました!

パッと出たパッといなくなったFJ(RS)、これぞ“鮮烈で華麗な一発屋”だとワタクシめは信じて疑いませんです!!!!!
Posted at 2017/04/17 18:21:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2011年09月03日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…スタリオン編

保存版“華麗なる一発屋!!!”…スタリオン編 好評(?)“華麗なる一発屋!!!”シリーズ、再び三菱車になります(^^;)
いやー、結構条件厳しく考えてもあてはまる『一発屋』が我が三菱に多いのは喜ぶべきか悲しむべきか????

今回取り上げたい『一発屋』は現役時は決していい評価は得られずスポ車不人気の代表格とされていながら今現在、菱マニアから火が付き最終型ではマニア以外でも結構注人気高い注目の『A182/183A型スタリオン』です!!!

スタリオンは82/5に発売されたモノ、70yのギャランGTO→76yのギャランΛの三菱のスペシャリティカー路線を継承したモデルです。

82/5、Λに代る新車種として登場したスタリオン初期型(GSR-X)



シャーシやエンジン、機構は80/5発売のA162~164,167系の二代目Λをそのまま流用、これに流行のリトラの顔を持つスポーツカーの衣装を着せたのがスタリオンです!
ΛはセダンであるΣの2HTバージョンとして初代は大ヒットしましたがキープコンセプトでフルチェンされた2代目はあまりにも外観が先代と変わらず中身は大幅に進化はしていながらΣも並んで初代ほどのヒットにはならず特に82年頃には2HTの人気が急速に低下、各車(社)これまでスポ-ティの花形だった2HTをカタログモデルから落としたり当時これに代る注目を集めた4HTに移行したりという時期、2HTだからこそのΛはこの頃から行き場を失いかけており三菱は土台は残してよりスポーツ度の高いスタリオンとして登場させた訳です。 (尚、Λは車種整理しGSRのみ暫く併売され84yに生廃)
よって厳しい視点ですと代替わりが行われたΛのネーミング変更でないの?とも取れますがΛ時代パーソナルカー的コンセプトからスポ根路線に変更された事、これにより対象ユーザーの変更もありネーミングも違いまた立ち位置的に後続のGTO(Z16系)はディアマンテベースの4WDという全く別系統の新車種となりますのでスタリオンは一代限り!これにて『一発屋』として認定、一件落着です(^▽^;)>゛

↓ベースとなったギャランΛ/エテルナΛ(前期81yギャランΛGSRターボ)


さて、スタリオンですが機構やエンジン等はΛから流用され搭載エンジンは2種。
メインとなるのはΛ/Σでお馴染のシリウス80 G63BT 4気筒OHC-ECI 三菱重工TC05ターボチャージャー付145ps/22kgと廉価版用にG63Bの1キャブレターNA 110psを設定、これをオーソドックスに縦置き+FRというのもΣ/Λと当然同一です!

この種のモデルとしては当初グレードが多く上からGSR-X、GSR-Ⅲ、GSR-Ⅱ、GSR-Ⅰ、GXの5モデルがラインナップされていたのは驚きでライバルとしたZやセリカXX、サバンナRX-7等より一時は多いモノでした。
これらはGXを除き装備の差でして一番初期モデルで見かけたのはやはり最高峰のXとⅢだったかなと思います。

↓GSR-Ⅲ


脚廻りはGXを除いてΣ/ΛのGSR系で好評だったオールストラットの4独、GXはRrがリンク式リジット…。

スタイリングはやはり三菱!って感じですね~、Z、XXやRX-7のような流麗さはなく一言『ゴツイ』。。。
流行のリトラの顔はいいとしてもバンパーから下の処理はお得意の“ガンダムチック” インパネなんかも他ライバルに較べるとゴツさがありまたはどちらかと言うとファミリーカーと大差ない?って感じで個人的には迫力不足を感じました。

インパネはまたもやクラスタースイッチの登場(写真は終盤GSR-VR、基本は初期からほぼ変更なし)


余談ですがルーツのギャランGTO、初代Λがズラリと並ぶ連メーターで非常にスポーティムード満点でしたからこのインパネはセダンのΣと大差なくガックリがワタクシ正直なところでしたが後続のZ16系GTOではその連メーターが復活しかなり嬉しくインパネだけでも買ってもいいかな?なんて思えたクルマでした(汗)

スタリオンはこうして第二次ハイパワーブームの中、華々しくデビューしましたが三菱の目論みとは異なり激戦のライバルが次々にハードモデルを発売、追加してゆく中これに埋もれたようにあまり話題にはならず当時現役のスポ車○チ○イのワタクシもXXやZから目を向ける魅力は正直なかったです。。。

そこで83/7、GSR-ⅡとⅠにG63BTに日本初の空冷式インタークーラーが装着され175ps(グロス)としパワーUP、この時廉価版GXはカタログ落ちしてますがワタクシ、GXって多分実車見た事ありません?今の世でお目にかかってみたいものですが以前みんともE33さんの調査では現存6台との事!意外に残ってる?感じですがどんなヒトがお持ちなのか興味深々です。。。

84/6、マイナーチェンジが行われフォグ埋め込みの大型スモール&ターンシグナルのより迫力ある顔となり同時に可変バルブ式3バルブ化した「シリウスDASH」とネーミングされたG63BT、インタークーラーターボ グロス200psのハードモデル、GSR-Vを追加、これはかなりの注目度でシリウスダッシュはワタクシ、同じく新搭載されたE1系Σで経験しましたが後のVR-4の荒々しい加速とは異なるモノのこめかみを掴まれてグイッと引っ張られるような加速が非常に魅力あるエンジンでしたねー。
VR-4やエボで名機と謳われたDOHC4バルブインタークーラーターボの4G63が後にあまりにもメジャー化したので忘れかけられていますが非常に印象にあるG63系エンジンのもう一つの傑作だと思います!

そしてスタリオンは85/9に小変更を経て87/2、特別限定車としてGSR-VRを追加します。
GSR-VRは性能等はGSR-Vを踏襲しながらワイドボディ化され3ナンバーボディを手に入れました!
これは北米仕様のボディ、ブリスターフェンダーとなりその迫力はそれまでのスタリオンが一気に色褪せる程のイメージ一新で5ナンバー時ではゴツイさだけで迫力は感じなかったモノが一気にマッチョ化し相変わらず流麗さでは劣るモノの一層のド迫力という点でライバルに勝負を挑みました!!

84yに追加されたGSR-V(写真は85y~モデル)と87y追加の限定車GSR-VR


しかしスタリオンは度重なる変更や高性能化、ハードモデル追加がなされながら人気は三菱が期待する程の上昇はならず更なるテコ入れ策としてモデル終盤にきて思い切った策を取ります!
88/4に前年限定で発売したGSR-VRが一定の評価があった事と税制が変わり3ナンバー車が有利に流通するようになった背景を捉え車種編成を見直しモノグレード化、ボディはワイドボディーとし何と搭載エンジンを86年までA30デボネアに積まれていた古いG54B型4気筒2600ccOHCにインタークーラーを装着した2600GSR-VRのみのラインナップとしました!

88/4、終盤になり思い切ったグレード整理の末モノグレード化された2600GSR-VR


この2600には驚きましたねー心底( ̄□ ̄;)!!
「スタリオン、ヤケクソか?」ってな具合で…
これはエンジン、せっかく気合を入れ新開発したシリウスダッシュを捨ててまで忘れかけていたデボネアのエンジン、G54Bを積むとは何で今更こんなん引っ張り出してきたん?と思いましたがコレは日本ではイマイチながら人気の高いアメリカ市場を意識した政策で馬力よりはトルクフルを重視する米人好みに合わせたモノ、もちろんデボネア時代のNAではなくこれにインタークーラーターボを組み合わせNAの120psという頼りないものから175ps/32kgというまさに“アメリカン”的ツアラーに味付けされていました!
シリウスダッシュの200psを失ったのは残念ですが性格を上記のように高速ツアラーに変更した最終モデル、見かけ同様トルクでグイグイ走る別の存在価値を見出したかのように最終に来てこれにより人気も上昇、皮肉にも性格変更した最終型スタリオンが一番輝いていたと感じましたねー。
性格を表すかかのように2600になりAT率が高かったのももはやマニュアルでガンガン攻める走りは87年に発売されたE39AギャランVR-4に潔く譲った結果だったと。。。

さて、スタリオンは三菱らしくモータースポーツでも大活躍していました!
詳細はwikiを見て頂く事として(手抜き…汗)グループA/Bへの参戦と実際には諸般の事情で実戦参加はなかったもののWRC制覇を見込んでスタリオン4WDラリーを開発、当時WRCで最速と言われたアウディ・クワトロの走行性能をも上回る片鱗をのぞかせていました。
この4WDラリーはその後WRC以外の実戦走行も行われその後も研究、開発は続けられその成果は後のギャランVR-4→ランサー・エボリューションで花開く事となります!!

Gr.B参戦用に開発された360ps/32.0kg-mを発生する2091ccのイン
タークーラー付シリウス・ダッシュ、ビスカス4WDシステムを搭載し
たスタリオン・4WDラリー


こちらはスタリオンターボGr.A


この他国内ツーリングカーレースを始め海外のサーキットでも活躍しています!

そしてワタクシ目線でのスタリオンのもう一つのスタリオンの活躍→それは“メディアなスタリオン”です(笑)

89年~放送された石原プロ製作のアクションドラマ「ゴリラ 警視庁捜査第8班」!!
このドラマは西部警察を大ヒットさせた石原プロが石原裕次郎氏死去後、渡哲也氏が社長に就任、亡き裕次郎にオマージュの為製作された西部警察を上回るアクションを売りにしたモノ、まぁドラマの中身はイマイチだったのですが大都会シリーズ~西部迄石プロ伝統だった車輛提供(協力)=日産自動車からこれが何故か三菱自動車に変更、ドラマの中では各三菱車が活躍しましたがこの中、主役の渡哲也にE39AギャランVR-4、準主役の神田正輝にデボネアAMG、そしてもう一人の準主役の舘ひろしが操るスーパーマシンとして最終スタリオン2600GSRを採用、ギャラン/デボネアは外観に変更ないがスタリオンはドアを前作、西部警察のスーパーマシンであったS130フェアレディZがそうであったようにドアをガルウイングに改造され大注目されました。
このガル仕様はファンの要望もあり東京三菱自販で限定5台が販売され国内初の市販ガルウイングでありました!

「ゴリラ 警視庁捜査第8班」に登場したスーパーマシン・ガルウイングスタリオン


以上のように81yのスカイラインRSが火を付けた第二次ハイパワーブームにのっかり82yにデビューしながらゴツイスタイルが災いして必死のライバルへの追撃も身を結ばなかったスタリオン、最終になり方針転換しアメリカン的GTカーになり注目されるも時既に遅し、時代は89yに280psで登場したZ32フェアレディを皮切りによりハイパワー路線に向かい始めた日本のスポ車市場に対し三菱はこれに呼応するために80y設計(Λ)の古いシャーシであるスタリオンに見切りを付け新たに4WD+280psの新星GTOに後続を託しスタリオンは90年をもって生廃となります。
振り返れば8年間という長きに渡り三菱スポーツのTOPを受け持ちながら決して脚光は浴びませんでしたが次期GTOの評価が芳しくない事や生産期間の短さ、レア度から最終2600GSR-VRは中古車市場、スポ車専門店でも高額プレミアが付き始めており少ない三菱の【名車】にどうやら入閣か!っていう現在、遅きに訪れたスタリオンの春を現役時のイマイチ人気を知る世代には感慨深いモノがあると思います!
名車列伝には乗り切れないかもしれませんが間違いなく“華麗なる一発屋”であると確信しておりますv(^^)v
Posted at 2017/06/06 21:33:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2011年09月02日 イイね!

保存版・“華麗なる一発屋!!!”…ロードペーサー編

保存版・“華麗なる一発屋!!!”…ロードペーサー編
”華麗なる一発屋!!!” シリーズ、今回はコレ→『RA13S型マツダ・ロードペーサー』を取り上げます!

ロードペーサー…何かレースの先頭で青いパトランプ回してそうなな名前ですがそんなクルマではなく75~79yにマツダ(当時東洋工業)が最上級サルーンとして送り出したモノです。

ロードペーサー、60年代中盤~70年代前半当時、最高級国産ショーファードリブンの市場はトヨタセンチュリー、日産プレジデントが2分しておりこの状況に第3メーカー以下(三菱、マツダ、いすゞ)は風穴を開けようと試みました。マツダの挑戦がこのロードペーサーになる訳です!

75/4、マツダ発の3ナンバーショーファードリブンとして登場したロードペーサー(前期型)


↓Rrビュー


まず三菱はセンチュリー/プレジとはやや下のクラスになるものの自社の高級車、デボネア(A31型)73yのマイチェンよりそれまでオーナーカーの方向で販促されていたものを見つめ直しショーファーとしての性格を強めました。ハイヤーや三菱関連企業の社用車としては一定の実績を持っていたデボネアは一応この転換が成功し86年までこのスタイルを通したのはご承知の通りです、一時提携先のクライスラーからプリマス等のセダン他を輸入しショーファーカー的に販売した時期もありました(75~77y頃)が自社デボネアを推す事で一定の成果を得ています・・・

ただマツダといすゞは上位3メーカーのように広い一般マーケットを対象にできないにも関わらず開発費や生産コスト(少量生産)をかけてまで自社開発をする資金的余裕はなくこの為海外車を購入し自社ブランドで販売するという方法でこのクラス参入を試みました。
いすゞとマツダが選んだ車種はほぼ同一のモノ、まずいすゞが73yにオーストラリアのGMホールデン・ステーツマンをそのまま購入しネーミングを「いすゞステーツマン・デビル」として販売、当時未認可だったドアミラーをフェンダーミラー化するのみでエンジン等はオリジナル(5L V8 240ps)、当時既にGMと提携していたいすゞは同じ右ハンドルのオーストラリア産は非常に都合のいいものでしたが販売力の弱さから僅か250台弱、2年で撤退という事になっています。

そしていよいよマツダですがいすゞや三菱のように海外メーカーとの提携がない時代(フォードとの提携は後年)だった為両社のように「できた物を輸入し国内基準に合わすだけの小変更で販売する」という手法ではなくボディ(シャーシ)を海外から購入し当時マツダが情熱を賭けていたREエンジンを搭載して送り出す手法が取られました!
そこでベースとして選んだのはいすゞ同様右ハンドルのホールデン、但しいすゞのステーツマンではなくプレミアムという車種、これはステーツマンの1クラス下という位置付けながら兄弟車で外見上はほぼ同一車でした。

このホールデンのステーツマンやプレミアム、70年代の米他アクション映画等では結構お目にかかれあのM・ギブソン主演の豪映画「マッドマックス」では近未来風にリデザインされたPC仕様が登場してました~~。

さて、このような経緯のロ-ドペーサー、最大の特徴はやはりREエンジンです!!
選ばれたREは73yにルーチェグランツーリスモに搭載されたRE13B型654×2 135ps/ 19.0kg、OILショックで無政策に載せられていたREエンジンを政策見直しでスポーツカーとパーソナルカー/高級車に限定して搭載という新方針に従ったルーチェに続く第2弾となった訳です。

ボディは借り物でも心臓はマツダの自信作であるRE13Bを搭載


本来5L V8が載るべきスペースにコンパクトなREエンジン搭載の為、ワタクシも一度このクルマを眺めましたがボンネット内は現代から見るとスカスカの部類でしたねー、ドライブはした事ありませんがV8より格段に軽いエンジン重量ですしバランス的にどうだったのか…?

サイズは海外ではミディアムクラスのモノながら国内では立派なショーファーカーサイズ、センチュリーやプレジと較べてもサイズ的にやや長さがないだけで幅と高さは堂々としたものです。
装備は当然フル装備、後席重視なショーファーらしくオーディオや空調コントロールが後席でもできるのはセンチュリーやプレジ同様、内装は日本人好みの豪華さに仕立てられモノグレードながら5人乗りセパレートシート仕様と6人乗りベンチシート仕様が設定されています。
ミッションは3速ATのみ、脚廻りはプレミアムのままでFr Wウィッシュボーン、Rrリーフリジットという平凡なモノ。

ショーファーとして相応しい豪華な内装(写真はセパレートシート仕様)


↓インパネはほぼプレミアムのまま


以上のようなロードペーサー、75/4に発売後同年10月にはマツダAPシステムにより51年規制に適合、77/8に小変更(グリルの意匠変更と新色追加、快適装備の充実化、メーターを横型→丸型)しています。この変更、特に新色追加は思うように販売が伸びない中でのオーナードライバーにアピールするものでした!

若干グリル変更、新色追加を行いオーナー層にもアピールした後期型(77/8~)


しかしテコ入れも虚しくロードペーサーの販売は月間目標の1/10以下という悲惨な状況は改善されませんでした。
センチュリーとプレジデントの2極化した市場開拓は非常に高い壁がそびえ困難な事と本来V8のゆとりあるトルクで車重約1.6tのボディをストレスなく走らせるのが前提のこのクルマにさすがのREエンジンも非力さは否めなくまた、いかに燃費を問題としないこのクラスであっても重さ/非力+3速ATとういう組み合わせと当時のREの燃費に関する悪評から一向に販売は伸びる事なく発売約3年の78y、いすゞステーツマン同様に短命でこの世を去る事となりました。

実際には当時3.4Lのセンチュリーや4.4Lのプレジとはそう燃費も変わらなかったとの事ですが当時はRE=ガソリンだだ漏れ みたいな意識のある時代でしたから風評被害と言いますか何と言いますか気の毒なお亡くなり方だったと思います(T_T)/~

このクルマもそう滅多には見れないモノでしたがやはり舶来品(古っ)の為国産車とは明らかに違うオーラがあり特にインパネやRrスタイルはアメリカンそのままの雰囲気が結構個人的に好きでした~。
OILショックがなければ?自社開発だったら?…野球同様“たら、れば”はいけませんが丸の内や官庁街でこれら障害がなければ今でももしかしたらあの独特なREサウンドが黒塗りから聴こえてたかもしれませんね、その存在はあっという間に終わりましたが国産唯一の“ロータリーショーファードリブン”であるロードペーサー、名前の響きもカッコいいし記憶に留めたい『華麗なる一発屋』でした!!
Posted at 2017/08/23 22:42:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ

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