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2011年09月02日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ランティス編

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ランティス編
“華麗なる一発屋!!!今回は『CBAEP/CBA8P型ランティス』を取り上げます!

ランティスは93/9にそれまでにない少し変わった風味のクーペと4HTで登場、但しクーペと言っても『4ドアクーペ』とメーカーは名乗っており後に専門家や書籍で「4ドアとしては背が低過ぎて狭く落第」なんて不評も目にしましたがメーカーは「4ドアだが精神はスポーツクーペ!居住性よりスタイリングと走りに目を向け欲しい」という主張は現在のRX-8の原点だったように感じます! (クーペ=実際には5ドアHB)

93/9、日本で初めて「4ドアクーペ」を名乗って発売されたランティス・クーペ


↓クーペRrビュー


クーペは当時トヨタのカリーナEDが火をつけた4ドアスポーツを突きつめたモノ、即ちそれまで“スポーティ&スタイリッツィュ”なクルマ=2ドアHTまたはクーペという常識を破り4ドアの利便性を持ちながらも都会的なお洒落感覚とセダンを超えた走りをも楽しめるという触れ込みで登場したモノ、先発のEDやこれに類じたC33ローレル、三菱エメロード等がありますがこれらはどちらかと言うと『お洒落感覚』を強く意識した所謂“デートカー”を意識したモデル、しかしランティス・クーペは走りを訴求した点が特徴でデートカー的志向は同時に設定した4HTに任せてクーペは徹底的に抑えた全高とRrオーバーハングと投影面積を思い切って絞り込み空力を最大限に考慮した触れ込み通り4ドアとは思えない非常にスポーティかつ特徴的なデザインでした!
尚4HT(センターピラー付ドアサッシュレス4ドア)はクーペとはまるっきりデザインテイストが異なり外板もクーペと共通なのは前後ドアのみというリ・デザインされたモノ、元々は違うクルマとして設計されただけありまるで別物の印象。雰囲気はクーペよりも常識的で落ち着いたイメージで広い年齢層にアピールができこちらはある程度4ドアとしての居住性を考慮した仕上がりでした。
尚、この時期のマツダは妙にウネウネしたデザインを内外装に取り入れていましたがランティスに関してはその具合はかなり抑え気味にしておりシャープに振ったモノ、個人的にウネウネスタイルは受け付けなかったので好感持てました!

4HTは4ドアスポーツのテイストはクーペと共通ながら落ち着いたデザイン


↓4HT Rrビュー


搭載エンジンは1.8L 直4DOHC135ps BP-ZE型と2LV6DOHC 170ps KF-ZE型の2種、当時はバブル期の急増小排気量V6がブームの頃でわざわざ1800や2000でV6にする必要ある?みたいなエンジンが雨後のタケノコのように各社から発売されてましたがワタクシ、このランティスのV6に乗った時はそういう悪印象を吹き飛ばす程のパワフル感に舌を巻いたの憶えています…。
ある比較テストで各社小排気量V6を乗り較べた事があるのですが回転、トルクの盛り上がり方が絶妙でNAとは思えない盛り上がり方は驚愕の味、事実データでも高評価な数字が並んでおり決して軽くない乾燥車重1.2tのボディを軽々とパワフルに引っ張りシャーシとのバランスは優れモノでしたねー、5000rpm位から唸る独特なエンジン音も魅力的…。
ドライブ系の各ギア比セッティングも適正でかなり煮詰めて設計されたものと認識できました。
クロノス他にもこのKF V6は積まれていましたがランティスのそれは吸排気系の見直しで10psUPが行われクロノス他では感じられなかったパワフル感はこれも影響してるのだと思います、宣伝文句の「4ドアスポーツ」に嘘はなかったです!
尚、全体的に不人気モデルの烙印を押されましたがこのV6のクーペ最高峰のタイプRのMTだけはその走りの良さから一時別格の人気を中古車市場で示した時期もありました~。
一方の1800ですがこちらは平凡なエンジン、不足はないですがKF程特徴的印象はありませんです。。。

室内はクーペはもうタイトの一言でクーペとしては語ってはいけない後席、やはり4ドアという観点で見たらコレはもう×というレベルですが従来の“2ドアクーペ”として見れば必要充分です、4HTに関してもお世辞にも広いとは言えない感じでデートカーなら充分でしょうがファミリーユースには落第、もっともこのモデルにそれを求めるのが非常識なので雰囲気的を大事にする、と言う観点でであればこれはこれでいいのだと納得しますが。

↓インパネはこの時期のマツダ特有の“ウネウネ”したものではなくシャープでスポーティ


ALLストラットの脚廻りはハードな味付け、Rは当然ながら低グレードでもそこそこしっかりはしていて追従性も良かったですがやはり裏腹のゴツゴツ感は拭えない部分があり少々悪い路面は走りたくない!そんな印象が残ってます。

ランティスは非常に真面目に煮詰めた設計でクルマとしては良くできたモノだったと思います、しかし登場した時期が悪すぎましたねー…
この時期、93年というのはマツダはバブル好景気時(80年代終盤~91年頃)に驀進した販売多チャンネル化(5チャンネル)に合わせた急激な新車種を乱発しまだまだ販売力やマーケットがそれに準じていなかった事がバブル崩壊後に露呈しただでさえマツダのマーケットが低い中で身内の車種同士で食い潰す現象に苦慮している時期であり全体的に低迷期でもありランティスも素生は良いモノながらそれに巻き込まれてしまい人気、販売は低迷、非常に個性的なデザインも拒絶反応が強く好き嫌いがハッキリと分かれるものでありクーペのみならず普及版4HTでもこの現象が見られ商業的には陽を見る事はありませんでした。
発売後新色追加や一部変更を行い96/7には安全装置(SRSエアバック、ABS)を充実させたり小規模の意匠変更等も行いテコ入れは行いましたが一向に販売は上向く事ありませんでした。
この事から『マツダ323』のネーミングで海外では人気があったので輸出モデルは継続されるも97/8で国内モデルは生廃、98年に在庫処理の販売が確認されて終了を迎えます。

一時はツーリングカーレース参入や一部走り屋層には注目されるもこのモデル(特にクーペ)は“4ドア”という点が裏目に出たのでは?と思えます、クーペだけでも素直に2ドアとしていればもっと華やかな人(車)生が送れたのではないかなー と。。。
また時期的にも不運で車種編成がしっかりなされた後に出てくればまた違ったのではないかとも感じます。
マツダは70年代にもカペラを出しその後サバンナを出すとカペラが売れなくなる、ファミリアを出しグランド・ファミリアを出すとファミリアが売れなくなる、コスモを出せばルーチェが影響を受け人気モデルの派生(ファミリア→エチュード)は鳴かず飛ばず…と車種同士のキャラやコンセプトが近過ぎて潰し合ってしまうという醜態を演じこの事からバブルの勢いで多チャンネル化しながらもこれもマーケット層の見誤りで失敗しかつての悲劇を繰り返してしまいましたがランティスのようにこれに埋もれながらも素生のいいモデルも少なからず存在し非常に勿体無く感じますね、ランティスはそんな“勿体無い”『華麗なる一発屋』としたいです!!
Posted at 2017/07/28 19:50:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2011年09月01日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…バモスホンダ・ホンダZ・ホンダライフステップバン編

保存版“華麗なる一発屋!!!”…バモスホンダ・ホンダZ・ホンダライフステップバン編
“華麗なる一発屋!!!”、今回は60年~70年代のまだ在野精神旺盛な時代のホンダの名作ミニ3車種をを取り上げます!

1967年(昭和42年)に発売以後、軽自動車の概念を変えたN360は爆発的ヒット作となり今では名車に数えられる一つであるのはご承知の通りですがあれだけ売れまくり人気も高かったN360、当然のように派生車種が次々にデビューします。

同じエンジンを使うキャブオーバー型トラック/バンのTNシリーズ(現在のアクティ)やN360後続(つまりは同じシャーシ)を使うユニークかつ実用性の高いライフステップバン(ピックアップ)、雰囲気のみながらバギー調で遊び精神旺盛なバモスホンダ(現在のバモスとは一切関わりなし)、スペシャリティカーのホンダZ等がそうなのですが今回はこの中からバモス、Z、ステップを取り上げたいと思います。

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(バモスホンダ)

“華麗なる一発屋!!!”、ホンダのカルト車?変態車?…実にマニアックな『TN360型バモスホンダ』になります。


バモス、現行でもありますねー ホンダの軽ミニバン…
但し現行は「ホンダ・バモス」が正式であり「バモス」が前に付くか後ろに付くかで全く異なるクルマになってしまします。
ホンダ・バモス(HM1/2型)はTN360の軽箱バンをルーツにする99yに発売された旧アクティストリートの次期型であり現在も人気の軽ミニバンの一つ、結構やんちゃ気味にドレスUPされた個体をよく見かけます…
ホンダバモスとバモスホンダではクルマ的脈略や殆どなく生い立ちに一部関連がある程度(先祖がT/TN360と言う軽トラ)で先日取り上げた“華麗なる一発屋!!!”…42のホンダZ同様、ホンダ製の軽自動車 という点が2車を比較した時、唯一の共通項!?って感じです、従ってバモスホンダは立派な『一発屋!!!』に認定しちゃいます!!

バモスホンダは70/11に登場した形式上は“軽トラック”となります。
但し普通に想像する軽自動車とはイメージを異にする出で立ちが大きなポイントです!
当時はアメリカで流行っていたサンドバギーというオフロード車に日本も注目し70年の大阪万博に限定で発売されたダイハツフェロー・バギーが登場、結局このバギーは日本では広まらなかったようですがこの時にホンダが提案したのがバモスホンダでした!

国産市販唯一のバギー車、ダイハツフェロー・バギーを意識!?


バモスホンダは既存の軽トラであるTN360のシャーシに個性的なボディを載せたモノ、軽ジープ(商標権の関係で“ジープ”とは名乗れませんでしたが…→ジープは三菱がライセンス生産の為)として高い注目を集めたスズキジムニー(70/4発売)とユニークなバギースタイルそのもののフェローバギーの中間のような性格で非常に独創的でした。
ジムニーのような本格4駆ではないながオープン、オフ車的要素がありながらら実用もある程度こなせフェローのような完全遊び車でもなくオールラウンダー的にオーナーが自由に使える楽しさがありスタイリング的にはあえて先記の2車に捉われない新感覚、Frにスペアタイヤを取り着けたにこやかな顔付も非常に個性的なモノでした、ワタクシは後年に2代目ミゼットが出た時はすぐにバモスホンダを思い出してしましました~(^^;)

ワタクシ、幼心にこのクルマは非常に強く印象に残りましたネー、ユニークな顔付とドアがない!というワイルド感は遊園地の乗り物の様で町に停まってるとシゲシゲ眺め暫く動きませんでした(笑)
今見るとゴルフ場のカートみたいな頼りなさですがコイツは行きつけの長野県のペンションのオーナーさんに頼まれ、昔納車で横浜~長野に納車した事がありその時初めて乗りました!
もうこのクルマに関しては力とか乗り心地とかを語るレベルではなくただただ楽しい(スリル満点)の一言!冬は乗れたモノではないと思いますが(ヒーターなんて当然空冷オープン商用車には設定されてません!!)走行時に“ガチャン”と装着する転落防止のバー1本だけで地面はすぐそこ、狭まっ苦しいキャビンとオープンにした時の解放感はクルマというより遊戯物、おもちゃに乗ってる気分でした。
走りは360ccながら軽い(データでは540kg!!)のとオープンor幌なので体感速度は実際の倍位に感じました!

ユニークなスタイルがカルトオーラ出しまくりの『バモスホンダ』(フォー)


↓「ツー」


↓「フルホロ」 


↓ベースは軽トラの「TN360」


バモスホンダは先記のように商用軽トラックのTN360がベース、エンジン/サスペンションも全て共通。
エンジンはN/TNで好評のお馴染N360E型空冷2気筒OHC、商用TN用にデチューンされた30psタイプを搭載、TN同様水平横置きで後輪駆動です。
脚はTN同様Fr:ストラット、Rr:ドデオンアクスルリーフ方式。

↓エンジンはN/TNでお馴染空冷N360E型エンジン


ボディは計3種類のボディが用意され全て取外し可能の幌車、2人乗りの「ツー」、4人乗りの「フォー」、4人乗りで荷台部まで全て幌が被る「フルホロ」が用意されていました、ワタクシ乗ったのはフォーという写真のヤツでしたが幌は雨よけ程度の効用だったと思います、走行感覚は幌を装着しようが外そうがオープンそのものでした。価格も比較的安価で「ツー」が321,000円、「フォー」が351,000円、「フルホロ」で369,000円というもの。

「フォー」のRrビュー


「フォー」幌開閉時


インパネ…と言うより計器盤と言った方がピッタリのメーター周りはワイルドそのもので鉄板むき出しでメーターがポンと付いてるだけながらオープンカーの為防水防塵だったとの事です。
運転操作に必要ないものは一切ない運転席はジープのそれに近いイメージですが惜しい事にジープや初代ジムニーのようにFrスクリーンは可倒式ではなく固定でした。

↓ワイルドそのもののインパネ


↓バイクのようにフラッシャーも左右点灯はなく[TURN]ランプ一つのみ


このクルマは一応?トラックですので立派な荷台も備えていたのも特徴的で「ツー」で約160omm(長さ)、TNにはないWキャブ的に荷物と4人の移動ができる「フォー/フルホロ」でも790㎜の内寸を持つ荷台は結構重宝していたようです。

こんなユニークでおもしろ車だったバモスホンダ、後年のバブルのような時期ならば生きる道もあったと思います、しかしこの時代では感覚的にこのような実用不向きなクルマはやはり評価は得られなかったようで発売2年半後の73年中旬には製廃となってしまします。
トラックとしてはオープンで冬場の使用が躊躇われジムニーのようなクロカン使用や当初ライバルとしたフェロー・バギーのような本格的な遊び車には徹しておらず故にその方面での評価も得られず“ハンパ”なイメージが災いし販売も伸びなかったとの事、本格4駆のジムニーが発売以後そのスタンスを永年貫き根強いファンに支えられているのとは正反対の運命を辿ってしまったように思います。
バモスホンダも4駆を発売する計画もあったらしくその証拠にシフトレバー前の丸い皿のような小物入れ?の部分にが2←→4のトランスファ切り替えシフトが付く予定だったとか!
実現はしなかったながらコイツの4WDが登場していたらジムニーの良きライバルとして魅力的でありまた生きる道も違ってたかもしれませんネ~。

↓軽4駆のパイオニア、ジムニーの敵にはなれず…


しかし今振り返れば充分にこのクルマも楽しさ、ユニークさ満点であり70年代初頭ならではの市販車でもありながら少し出るのが早過ぎた感がありますね矛盾しますが…
ステップバンといいこのバモスホンダといいユニークなクルマを送り出してきたホンダの独創性は時として失敗作、無駄と言われたクルマをも出したりしてましたがホンダのチャレンジ精神旺盛な青春時代を振り返ると実用と合理性、コストダウン一辺倒の現代が非常に淋しく感じてしまいます。。。

バモスホンダ、コイツは“華麗なるユニークミニ一発屋!!!”として忘れたくないクルマです!

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(ホンダZ)

“華麗なる一発屋!!!”、サブロク時代の軽の傑作車!名車!と言われる『SA型ホンダ・Z』を取り上げます!

ホンダZ…このネーミングは最近もありましたネ、98y~2002yに存在、床下にミッドシップエンジンを搭載した軽SUV!!  ん?ならばこれが2代目Zなので『一発屋』じゃねーべ!!
はい、その通りです。
その通りなのですが初代Zと2代目Zでは“軽自動車” “ホンダ製” と言う事以外全く共通項がなく性格や味付けも方や軽ハイパワーブームに呼応したスペシャリティ・ミニ、方やフルタイム4駆の背高SUV…
ですので名前のみの復活(初代と2代目では24年もの開きがあります!)と判断し初代Zは(2代目もですが…汗)一発屋として独断と偏見ながら認定させて頂きました~!!

な訳でホンダZ、先記の通り70年代前半に起きた軽ハイパワーブーム真っ只中の70/10にセダン(ホンダN360)ベースの軽スペシャリティカーとして登場しました!

そもそも軽ハイパワーブーム、これの先駆けとなったのがこのN360でN以前の軽と言えばせいぜい20ps、当然の如く2stエンジンの為白煙モクモクでようやく100kmを必死に達成する、そんな時代にいきなり4stのOHC、31ps、最高速度115kmというスペックで登場した訳ですから一躍人気者になりライバル他社がこのNを標的にし次々とパワーアップやフルチェン、ちょうど普通車の世界でもDOHC、ツインキャブ、RE等のハイパワー化が訪れこれに相応しいスポーツ、スペシャリティカーがもてはやされこの流れがNをきっかにしたヒパワー化が軽市場にも押し寄せていました。
Nを撃沈すべく各ライバル車はNの後発新型車でツインキャブを装備、リッター/100ps超のスーパーミニを次々に発売、ホンダも黙っておらずNに同様のスポーツモデル(N360TS)を追加して迎撃してましたが年々エスカレートする中、Nの鮮度落ち(67y発売)から後発三菱ミニカ、フェローMAX、スバルR-2等に見劣りし始めた為ホンダはNの車台、機構をそのままにスポーティなボディを載せた所謂“スペシャルティカー”を開発しホンダZとして発売したのでした。

70/10、軽初のスエシャリティカーとして登場!(前期型)


機構やエンジンはもちろんN360を踏襲し開発費を抑えています、横置きFF駆動やFrストラット/Rrリ-フリジットの脚廻りも当然Nそのもの、あの単車(CB450)のエンジンをそんままポンとボンネット内に収めたような空冷エンジンに単車そのものだったドッグクラッチもNそのままです。

↓Nで大きな話題を呼んだバイクそのもののN360E型空冷エンジン


↓ベースは“名車”の名を欲しいままにするN360!!


ホンダZはそのスタイリングが特徴的かつ実用性に優れており後発のスペシャリィティ・ミニがよりスポーツ度の高いボディ(フロンテとミニカがクーペボディ、フェローMAXはHT)で対抗してきましたがZはこれらとは異なる3ドアHB!しかしながらロングノーズでFrウィンドゥも傾斜を強めHBとして “どファミリー” 的な印象はなく小さいボディながら見事に 低く長く を実現していました。しかもこのボディ形式の為、ライバルが後席は赤ん坊以外使い道にならないモノだったところ大人がきちんと座れルーフもきちんと頭上までありしかも可等式シートと合わせると広大なる!?カーゴスペースまで用意され実用性/スポーツ性を兼ね添えたモデルでした!
尚、HBのRrハッチ部分がABS樹脂製そのままの黒色、この形態から『水中メガネ』の愛称で親しまれました(^^)

↓独特なハッチ形状で“水中メガネ”の愛称で親しまれました!(前期型)


Zはこの種のモデルとしては珍しいワイドバリェーション、当初4種の設定(上からGT、TS、PRO、ACT)で71/1に最高峰GSが追加され5種を誇るモノとなっています。

ACT/PROが N360E型空冷2気筒OHC 360cc シングルキャブ31psを、これ以上が同ツィンキャブ36psエンジンを搭載、最上級のGSはまだ普通車のスポーツグレードでも少なかった5MT(軽初搭載!)が奢られ他にもハードサス、145ラジアルタイヤ、前輪ディスクブレーキといった本格装備で人気を得ました。

71/1追加の最高峰GSは普通車スポーツをもアッと言わせた本格装備!


Zはインパネも兄貴分『ホンダ1300クーペ』が採用した“フライトコクピット”で武装、機能一辺倒だったNのそれとは違いソフトパッドで覆われた豪華な造形とされN同様のダッシュチェンジ(コラムとフロアの中間)ながらNよりはフロアに近い位置までシフトレバーを下げ最上級GSでは普通車並にセンターコンソロールまで採用し操作性と見た目の豪華さも実現させています。

↓GSのインパネ


このような充実度満点のZは発売後、Nが低下した戦闘能力を補い後発フロンテ・クーペとハイパワー・ミニの1、2を常に争う高人気を得、これを維持する為様々なバージョンUP!!と新モデル追加が矢継ぎ早に行われてゆきます…

まず、71/2にゴールデンシリーズを発売(以下G)、Gは外見を大人しくかつ高級イメージ化しておりシルバーのホイールとボディ同色ハッチ(例の水中メガネ部)が特徴、エンジンは31psチューンのみでした。
GにはATも設定しておりこれを一つのグレード化、他にカスタム、ホリディと高級版GTLがGの内容。尚、従来型はこの時にダイナミックシリーズ(以下D)と名付けられています。

71/12、Zは大きな変革がなされ時代の要請からいよいよ水冷化となります!
ベースのN360の進化版、NⅢ360が71/6、ホンダ・ライフにフルチェンジ(NⅢは車種整理して72yまでライフと併売)、ライフはハナから水冷で設計されておりシャーシも新設計、この為Zはボディスタイルはそのままにプラットフォームをこのライフのモノに変更、この為若干ホイールベースが延長となりよりロングノーズ化しています。 脚廻りには変更なく(形状的に) ストラット/リーフ式。
尚、この時に前後を意匠、FrグリルをHマーク&横線基調のデザインとしテールランプに赤一色から保安基準変更に合わせアンバーを追加、他各部小変更のマイチェンも実施され中期型に移行しますが71/12はまずDが、年が明けて72/1にGが中期になっています。

↓ライフべースになりよりロングノーズ化、グリルにHマークが入りやや大人しめのイメージとなった中期型


換装された水冷エンジンはライフのモノを換装、EA型360cc 直2 シングルキャブ30ps/ツインキャブ36psという性能でシングルで1psダウンながらツインではリッター/100psを維持!!

↓新たに搭載された水冷EA型エンジン


↓中期型以降はN360の後釜『ライフ』をベースに!


水冷化と同時にエンジン換装=ミッションも換装により例の特徴的だった“ダッシュチェンジ”が改められ通常のフロアシフト化がなされおり水冷になりN/Zでの最大のウォークポイントであったヒーターの機能が強化されています。
時代の要求による進化には間違いなく一つの完全なる自動車としてはこれが正しい道、しかしながら創意工夫のたまものであったNの特徴が次々に消されていったZに淋しさを感じたホンダ・ファンも多かったとか。

ワタクシZは後期の水冷しか経験ありませんがNは以前セカンドカーで乗っていた時期もあり確かにやかましくて高速時の熱ダレ感、登坂/渋滞での不安、冬場のエンジン熱ダイレクト送風のヒーターでOIL/ガソリン臭が酷い空冷(N)に較べごく普通に乗れ中期以降のZは安心でしたがNや前期Zのおもしろみさが消え去ったのも事実、荒々しさも空冷時代が強くて空冷→水冷を乗り較べるとあのフィーリングが味わえなくなった当時のファンの淋しさが実感できましたね~。

ただそれでも(中期以降)のZもサブロク特有の気の抜けないドライビングは健在でスズキや三菱の2stツインキャブ(3キャブ)程ではないにしろ狭いパワーバンドに合わせるようにギアチェンジを繰り返し少したあの感覚は懐かしいですな~~。

↓デザイン変更はないもののダッシュチェンジ→フロアに変更された中期型以降のインパネ


この後Zは72/11に二度めのマイチェンを実施し後期型となり普通車でブームになっていたHTボディを手に入れています。
従来型のフォルムはそのままにセンターピラーを廃し、ドアサッシュレス、Rr巻き上げサイドウィンドゥを新たに採用しました。
またFrとRrを以上変更、Frはハニカム二分割の彫の深いデザインに変更し高級感をUP!! テールはそれまで下部にスペアタイヤ収納の開口式取り出し口があったものをこれ(スペアタイヤ取り出し)をラゲッジ取り出しに変更、このため一体式Rrパネルとなり分割バンパー、ナンバプレートの下部への移動を行いイメージを一新します。
尚、これまでGとDに分けていたシリーズを一体化し旧Dシリーズの外装に統一、“水中メガネ”のみのボディエクステリアになりグレード名も一新しSS/GL/GT/GSSとされました!

72/11、後期型ではHTボディを採用


↓後期型Rrビュー、分割バンパー&ナンバー位置移動でイメージを一新


この後73/8に排ガス対策(48年規制=シャコールキャニスタ等の採用)と安全対策(ブレーキマスターシリンダー強化)を行い74年いっぱい生産されました。

来る昭和50年は軽の規格拡大、排ガス規制の強化などが待ち受けておりホンダはこれのクリアを断念、莫大な開発費をかけてこれをクリアしても採算でペイできない事が一点、急速に去った軽ハイパワーブームも手伝って軽乗用に情熱を失った事が一点、以上の理由と72yに発売した普通車・初代シビックが絶好調で永年の夢であった普通車市場でのメジャー化をようやく果たしばかりでこれの充実安定化と上級車開発(初代アコード)に専念する為、商用、軽トラのTN7(TN360の発展型)を残して軽乗用市場から撤退してしまいました。発売4年経過しながらまだまだ人気の高かったZの製廃は非常に惜しまれていたのを記憶しています。。。
この後88年の初代トゥデイ(JA-1)の乗用5ナンバー発売(4ナンバートゥデイ=JW-1型は85年登場)まで軽乗用市場には沈黙を決め込み冒頭で触れました通りZ製廃後24年を経て98y、新星『ホンダ・Z』が発売されています!

24年後の2代目?Zは全くコンセプトの違う軽SUV


ただ、しつこいですが2代目に初代Zからの継続性、共通性は全くない事からSA型ホンダZは文句ない『華麗なるミニ・スポーツ一発屋!!!』とワタクシは信じて疑いませんです!

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(ホンダライフステップバン/ライフピックアップ)

今回は生存は僅か2年少しでしたが後年、70年代後半~80年代にその変わった?個性ある出で立ちから人気となりわが国では少ない軽商業車ながらの『名車』とされているコイツ→『VA型ホンダライフ・ステップバン』を取り上げます!


ホンダライフ・ステップ・バンはまだ軽自動車規格が360cc時代の72/9に発売された全く新しい思想の軽商用車として登場しました。
ベースをセダンである「ホンダライフ」としこのシャーシに現代のミニバンや軽箱バンで主流となったカタチ=1.5BOXとなる“セミキャブオーバー”のボディをまとってデビューしました!!

見慣れない1.5BOXセミキャブオーバースタイルでデビューした『ステップバン』


新車販売時は鳴かず飛ばず…しかし製廃後や後年に人気がウナギ登りになる、というモデルは他にも多い(特に日産)ですがこのステップ・バンはその最たるモノ、特に軽商用でこのようなケースは少なく他に目立つのは先日 “華麗なる一発屋!!!”…33 で取り上げたスズキ・マイティボーイ位でしようか…

このステップ・バンが発売された時代、ワタクシはまだ小学生でしたが子供心に「変なカッコで最悪~」と思いました!
市場の反応もどうやら子供の感覚と同様だったらしく新車時は街で見かける回数も少なく滅多に当時走ってる;姿って記憶にありません…
しかしながら後年、サーファー(丘含む)を中心にブームが起き、現在製廃30年を過ぎながらも愛用者、クラブ等が存在するという現実を誰が当時想像できたか…それ位の不人気車でした。

当時ステップバンが不人気だった理由は割と単純明快で一口に言えば「産まれたのが早過ぎた」=「異端児」だった事ですね。

当時は商業車の場合、軽バン(トラック)はキャブオーバータイプかボンバン(ピックアップ)が当たり前の形態、前者は同じホンダのTN360(現在のアクティやバモスの先祖)や三菱ミニキャブ、スズキキャリィ、ダイハツハイゼット、後者はライフバン、ミニカバン、フロンテハッチ(アルトの先祖)やフェローバン(ミラの先祖)が常識のところに見慣れないセミキャブの妙に背高のバンでしたから「異端児扱い」も当然の事、この形式は海外等では小口配達専用バンでは既に広まってきていたのですが国内でこの形態を取ったのはステップバンが初!! 当然“ミニバン”なんて言葉はありませんでしたが今見ても全く違和感ないスタイリングでグラスエリアが小さい以外は現代の軽ハイト系や軽箱バン、ミニバンと同じスタイリングでもありFFという点を除くと似たような造りというのも驚き!

FFセダンのライフをベースにした事によりエンジン他動力系を全て前方にまとめボンネットを設ける事により乗降性(軽バンでは小口配達などで乗り降り回数が多くこの「乗降性」も立派な設計思想になりえます)と慣れていた乗用車(3BOX=ボンネット付きという意味)から違和感なく乗り換えができる!! を売りとしていたのも現在のミニバン各社がデビューした時にセールスポイントとしていたのも記憶に新しいと思います。
現代車は衝突安全基準によるクラッシユスペースの拡大からこの1.5BOXを採用していったのでステップバンの思想とは異なりながらも結果的に同じカタチになっていってたという点がおもしろいですネ~~。

2995×1295×1620mmというボディ寸法、長さと幅はサブロク旧々規格ながら高さは当時の軽バンとしては超ハイトであり現代の軽とさほど変わりません、もしろんバンですから大事な内寸にしても当時クラス最大高さの1135mmを持っており当然、「商業車」としても立派なモノでした。

↓当時のカタログでは居住性、積載スペース、乗降性をアピール!



このような“新ジャンル”のステップ・バンでしたが結果は見事過ぎる位にスベりました(=_=;)
その要因はやはり違和感アリアリのスタイルと鼻のあるスタイルが災いするカーゴルームの小ささが原因です。
キャブオーバーに較べ鼻がある分のシワ寄せは当然荷台に現れ当時の平均的キャブオーバー・バンの荷台長さ(約1500mm弱)より約20cm短い1270mmという内寸は少しでも荷物を積みたい使用者側には不利も当然、これの裏腹の利点=セミキャブの為タイヤ上に座らず乗り心地がイイ→「乗用車と変わらない乗り心地、操縦性」 という部分は商業車には大したセールスポイントにはならず前者の理由が大きな要因でステップ・バンは嫌われたようです。高さでは有利ながらそれは長さ程有利な条件にはならなかったという訳ですねー。
慣れた乗用車からの違和感をなくすヒンジ式のRrドアを採用したのも逆効果で他箱バンのスライドドアに較べ積載時の実用性で劣っていたのも不評を買ったようです。。。

また当時はFF自体が乗用含めてまだまだ珍しい時代、乗用ならFRより広い室内が実現できるFFという最大の売りも悪点(操縦性)以上のセールスポイントになれても商用車の場合、貨物を積載すると前輪荷重が小さくなり操縦性に変化が出過ぎてしまいFFは適しておらずその証拠にステップバン以降、後年~今日に至るまでワンボックス、セミキャブの商用バンにはFFは採用されていません。

↓「高さ」による積載性をアピールしたが…


このようなステップ・バンですがFF化による利点はもう一つ、当然な事ながら動力機構が後部にない事から低くフラットなフロアが生まれそのフロアと高いルーフ、開口面積の大きなドアなどによって実現しており「積みやすく、乗りやすい」を徹底的な売りにしまた。「アイデアあふれる商用設計」も特徴とし機能的なインパネ設計がなされており車内での伝票処理などを考慮したトレイタイプのダッシュボードに加えセンター集中メーターなど斬新な装備もなされていました。(センターメーターは機能的ダッシュボードを実現する観点意外に実際には存在しなかってた輸出左ハンドルにもコスト安で対応したい という考えもあったようです。)

↓現在では珍しくないトレイ式ダッシュはセンターメーターも斬新なるアイディでした!


ステップ・バンは他ホンダ車のパーツをうまく流用しコストダウンにも挑戦しておりキャブオーバー・バンとしては廉価を達成、バリェーションは2種でベースのSTDが376,000円、上級装備のスーパーDXで403,000円は積載能力が小さい同じホンダのライフ・バン(ボンバン)よりも安かったです!

エンジンもライフのEA型水冷直2 OHC360cc 30psを搭載、国産初のタイベル使用やバランサーを採用した静粛性、スムーズさでは定評のあるものでキャビン内にエンジンを載せない非キャブオーバーの利点がココでも光っていました。尚、脚はFrストラット/Rrリ-フリジットです。

↓エンジンはライフやZのEA型をそのまま流用


このクルマ、後年に後輩が一時乗っていました!後輩が乗っていた時期で既にもう10年を経過しておりボロかったのでドライバビリティはあまり参考にできませんがメーカーが新車時に売りにした程の居住性はやはり旧々規格の“狭さ”だけが印象にあり確かに高さは上級車や当時の550軽箱と比較しても遜色ないモノながら窮屈感は否めなく正直このサイズだとキャブオーバーだろうがセミキャブだろうがさほど変わらない?感じでした。ただボロでも高さのある荷台、後席倒せば結構なスペースがありその能力はバカにできなかった記憶アリです!
30psのEAエンジンは当時のライフやホンダZで馴染みのあるモノ、まだ当時では生存していた2stと較べてももちろん、軽としては静粛でZ等の京浜精ツインキャブに較べれば大人しいながらホンダらしくよく回るモノでした。

ステップ・バンは73/8にボディバリェーションを拡大、バンのボディをトラック化した『ライフ・ピックアップ(PA型)』を追加します。

73/8に追加されたステップ・バンのトラック『ライフ・ピックアップ』


ピックアップはステップ・バンのBピラー以降を切り取り荷台としたモノで今見るとトラック、商用車らしくないお洒落さで個人的にはステップ・バン以上の注目度があると思います! スズキのマー坊も真っ青の豪快なテイストと出で立ちは今ならコレを本来の商用、仕事に使えば物凄いインパクトで文字通り「動く広告塔」になるのでは?と思います。
ただこのピックアップもステップ・バン同様、当時ではやはり“ゲテ物”扱い、実用的にもキャブオーバーの常識的な軽トラ(ホンダTN360、ミニキャブやサンバー、キャリィのトラック)には遠く及ばず荷台の小ささが命取りでステップ・バン以上に市場には受け入れられず失敗作とされてしましました。

↓積載量は軽トラと遜色ない350kgを実現しながら荷台内寸の不足が致命的でした。


マー坊もそうでしたが現役時代に商用として“失格”の烙印を押されたモノに限って後年本来の使用目的ではないお遊びやファッション的には高い注目を集めカスタマイズされながら生き残るというのも現役時代を知る者には感慨がありますネ(^^)

ステップ・バン、ライフピックアップ追加しシリーズも充実させましたが先記に記載の通り市場では失敗作、販売は振るわず月販売計画の数字に対し1/3の実績(計画=月/2000台、実績/700台)という結果から74/10、僅か2年1カ月で製廃となってしまいます。

非常に先見のあるコンセプトとアイディアが詰まったステップ・バン(ピック)でしたがやはり既存の軽商用とあまりにもかけ離れ当時はただ「異端児」にしか受け入れられなかったという点が致命傷で短命でした。
ミニバンなどという概念が影もカタチもなかった当時はお洒落とかアイディアなんて事よりも一つでも多く米や段ボール、ビールケースを積めるのが「いいクルマ」であった時代ですので製廃は致し方なかったと思います。

ただ、現役時は不幸な人(車)生ながらステップバン(ピック)が中古車市場で注目を集め始めたのは70年代後半から訪れたアメリカから「バニング」=サーファーが主にバンをカスタマイズして遊びクルマにする 文化が日本にも飛び火し個性溢れるこのクルマがこれのベースとなり中古価格も高騰した時期がありこの時に道具のように使いまくられて廃車にされた個体も多いですがここを生き抜いた程度のいいこのモデル、現在ではプレミア価値モノとなっいます!

尚ステップ・バン(ピック)は製廃後メーカーそのものが軽自動車に情熱を失い75年以降は軽トラのTNを除いて軽市場から撤退した事もあり当然後続モデルは設定されずこれは現在に至るまで継続しています、ただ冒頭で触れたように現在はミニバンと言われる30年前のステップ・バンのフォルムが常識化していますね!!
これは93yに「新たなコンセプトの軽自動車」として大人気を得たスズキ・ワゴンRが発端ですがこれを見た瞬間に“ステップの焼き直し?”と思ったのはワタクシだけでなくステップ・バンを知る世代は誰でも感じたのではないでしょうか…

↓93yデビュー時にはステップ・バンを真っ先に想像した初代スズキ・ワゴンR


尚、ホンダ自身もかつては泣かず飛ばずのお荷物だったステップ・バンの後年の盛り上がりには驚いたのか96年の乗用ミニバンに『ステップ・ワゴン』=ネーミングを、同時発売のあの“走るラブホテル”『S-MX』のキャッチフレーズで~ステップ・バーン~を使いステップ・バンへのオマージュをしていました!!

このクルマも現役は決して“華麗”ではないながら後年は『華麗過ぎ!?なるミニ・一発屋!!!』として忘れられない存在ですネ。。。
Posted at 2017/07/29 18:38:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2011年09月01日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ダイハツリーザ編

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ダイハツリーザ編 “華麗なる一発屋!!!”…今回は『L100S(セダン)/L100V(バン)ダイハツリーザ』となります。

リーザほ70年代の軽ハイパワーブームの終焉以来、各メーカーが軽自動車をセダン(ボンバン)タイプのみにシフトしていく中、スズキがフロンテクーペを継ぐ軽スペシャリティ、セルボを残しこの分野では独走状態、そこでバブル入口の86年に好調ミラ/ミラ・クオーレをベースにセルボに待ったをかけようと登場したのがダイハツの軽スペシャリティカーとして発売されたのモデルです!

86/11、L70型ミラをベースにして“半円球+オーバルフェイス(卵型)を組み合わせた特徴的なスタイルで登場しました!

86/11、ダイハツとして初の“スペシャリティカー”としてデビューした『リーザ』(前期型バンY タイトル画像も同様)


70年代、スズキはフロンテクーペ、三菱はミニカスキッパー、ホンダはZとそれぞれセダンベースのスペシャリティモデルをラインナップしていましたがダイハツは既存フェローMAXをHT化しただけのスポーツバージョンであった為リーザはダイハツの軽としては初のスペシャリティカーでした!

↓リーザ、Rrビュー


↓ベースのL70型ミラ(TR-XX)


スタイリングはL70ミラに丸味を持たせRrを切り詰め全長をや々縮めFrグラスを寝かせミラ同様に基本的にはHBモデルでありましたがRrの傾斜もより角度を付けクーペに近いイメージ、個人的には短か過ぎてルーフ部の長さが寸足らずに感じ軽の枠という問題はありますがもう少し長ければかなり“カッコイイ!”と思えるスタイルだったかな?と思います。
余談ながらこれのヘッドライトの形状がカレーライスの皿の形に似ていたのでワタクシ周辺ではリーザを“カレーライス”と親しみ込めて呼んでました(^w^;)

実用性はこのスタイルの為、ほぼ二人乗りと割り切りが見られ一応お飾り的なRrシートは設置していましたがこれは赤ちゃん用と思った方が良いという程度、その代わり前席は幅は限度ある為他社と変わらないモノの縦方向はかなりの余裕で軽としては驚きの余裕、Lカー並でした。

当時はまだ物品税が生きていて4ナンバー商用登録であれば圧倒的に新車登録時の税制が有利であった為、元々後席を飾りにするほぼ2シーター的なクルマであった事も働き4ナンバーバン登録モデルを主力とし5ナンバーも一応用意されてはいましたがバリェーションもバンが充実していました。
完全セダンタイプの軽に関しては5と4の後席の違いは天と地でしたがリーザの場合5であってもそれは殆ど機能しないため圧倒的に4が有利です、何故5を用意したのかが理解できませんでした。。。
ただバンは当時の法規からRrウィンドウに荷崩れ破損防止用のバーが義務付けられていたのでミラやアルトではこれが窓から覗いていてもそう違和感はなかったのですがリーザのような“スタイリッシュ”を訴求するデザインだとこのバーが非常にアンバランス、これ考えると5の存在価値もあったのかも…

インテリアやインパネのデザインは凝った外観の割には至って普通の印象、ミラでは評判の良かったトレイタイプの2段式インパネではなくごく普通の一体型、仕上がりはさすがトヨタグループ!当時の軽自動車としては異例なフルトリムのインテリアは軽としては上等な出来だったと思います。

↓インパネはごく普通の印象、スポーティなイメージは感じないながら上質な仕上がり。


エンジンや脚廻りはベースのミラからの流用、搭載されるEB型水冷3気筒OHCは普及タイプがシングルキャブ32ps、スポーツモデルのバンZターボにインタークーラーターボ付き50psを搭載、ミッションは4/5MTと2ATがグレードにより載せ分けられています。
バンを主力としていたのでターボモデルは4ナンバーに設定というのもこの時代特有のラインナップでした!
足はFr:ストラット/Rr:セミトレの4独で普及型は可もなく不可もないモノ、しかしターボモデルでは明らかに役不足で最低ショックはもう少しハードなものに変えてやりたいところ、ただハンドリングはラック&ピニオンの為、前期のパワーアシストがない時代でも重々しくなくFFの悪癖も顕著でもなく満足、逆に後期でパワステが用意されましたがこれの感覚、何と言うか…飛ばすと頼りなく前輪の位置がつかみにくい感じがして個人的には重ステ時代の方が好きなフィーリングでした。

このリーザのターボ(後追加のTR-ZZ EFI)は友人が乗っていて何度か借りましたがコレは速いです、とにかく!!
ミラTR-XXも初めて乗った時は危険を感じる速さで驚きましたがリーザも同様、着座位置のせいかミラほど不安は感じず、さりとて安心して飛ばせるまではいかないながら楽に1.2~1.3Lクラスのスポーティモデルならカモれる実力がありあの“韋駄天ターボ”で鳴らしたEP71スターレットターボやマーチターボでも出足では互角、1.6LでもNAなら苦労せずついてゆけました!
ただシャージもボディも大パワーに追い付いてなく少しハードに振るとキシミ、ユガミが嫌でも分かってしまいこの意味での危険さはミラと同様でパワー感は大差を感じないながらシャーシではやはりワークスやダンガンが少し上に感じましたネー。

リーザは発売後、特に女性に支持されたと記憶しています。
ミラもミニカ、レックス等より女性の支持が高いモノでしたがリーザは特にスタイリングが女性的だったのもあるのでしょう、男性では少々恥ずかしい感じでしたがリーザは女性がよく似合う、そんなイメージをワタクシは持ってます・・・
スズキのセルボも女性ターゲットでしたから良きライバルで激戦だったようで人気、販売とも一定の数字は出したようですね、ただ当時はミラがあまりにも人気だった為コレには及ばなかったと元ダイハツマンは申しておりましたが。

リーザの改歴ですが発売後、女性支持が多い という部分から87y~女性をターゲットにした特別仕様の「チャチャ」と男性にもアピールしたエアロ付き「オキシー(OXY)」を設定、89/1に初のマイチェンを受けます。
全般的にはお約束のフェイスリフト(テールはほぼ変更ナシ)と内装デザインの変更がなされましたがこの時最上級グレードとして「TR-ZZ」を設定します。

TR-ZZは本格エアロのいかつい出で立ちで人気のミラTR-XX同様に従来のTOPグレード「Z」をより鋭いエアロで武装しながら高級感を持たせたモノでした!(TR-ZZによりZは廃版)

↓89/1追加の最高峰「TR-ZZ」


TR-ZZには従来のZと同一のキャブターボ50psとEFIターボ64psの2種を設定、前年ミラTR-XX EFIターボの心臓をそのまま移植したスーパーミニでありその実力は先記の通りです。
尚この時同時に上級ATモデルには3ATを設定しています。

89/4、一時5ナンバーモデルを廃版にしますが同年10月に特別仕様車「ケンドーンS」として1グレードのみ復活、90/8に一部変更を受けます。
変更の大きな点は“エンジン”、この年は軽自動車の規格改正が行われダイハツもミラや軽トラハイゼット等は既に(90/3)フルチェンジとマイチェンにて新規格化(550cc→660cc)していましたが遅れる事半年でリーザも新規格660となりました、これにより型式は「L111S」に変更、そう、型式「S」が示すようにこの時からリーザは5ナンバー・セダンのみのラインナップとなっています。
これは消費税導入の代りに物品税が廃止され軽商用4ナンバーはこれまでの有利さがなくなってしまいそれならばと5ナンバーに絞った訳です。
尚ボディはL100時代と同様ですが前後バンパーの大型化により全長がやや伸びています。グレードも大幅に整理され廉価版RとOXY(オキシー)、女性向けチャチャの3種、エンジンや駆動系はベースのミラ(クオーレは消滅)がL200系に代替わりしたのを受けベースをこれに変更、搭載エンジンも一旦はL200の普及タイプ660cc EF-HL型直3 OHC キヤブ50psのみに一旦統一しています。

↓後期型660OXY


91/1 、ミラTR-XXと同一のEF-JL型直3 OHC EFIインタークーラーターボ64psを搭載するOXY-Rを追加し91/11、オープンモデルの「スパイダー」が追加されました!

“スパイダー”はダイハツのかつて人気が高かったオープンカー「コンパーノ・スパイダー」にちなんで久しぶりのオープンにちなんで命名されました、この年のモーターシューに参考出品され評判が良く市販化に踏み切った事。

↓91/11追加の本格オープンは由緒ある“スパイダー”を名乗る!


スパイダーはショーモデルではセダン同様Rrのミニマムシートが存在してましたが市販化では思い切って2シーターに変更、これは英断だったと思います!!
このようなモデルだからこそ2シーターに非常に意味がある!ワタクシは思っています、元々実用性のないRrシートをほんの少しの実用を考え残したところで役には立たず完全遊びクルマのスパイダーだからこそこういった贅沢さが許されてオッケーだと思います…

スパイダーはセダンのルーフをバッサリ切りボディを補強、このため車重は90kg増加、エンジンはターボ仕様のみ。
このスパイダーもあるテストで乗ったのですが完全に雰囲気を楽しむモデルとしてダイハツが掲げたライバルのカプチーノやビートが走りの部分にかなり真剣だった専用設計に較べるとどうしてもセダン=ミラベースの為これらには劣りましたねー、ボディ剛性も普通に走る分には問題ないですが波状路や連続コーナーではすぐボディが音を上げてしまいゆがみが怖くて飛ばせないナ~が実感、そういう走りをするモデルではないので欠点ではないと思いますが少し不安の残る仕上がりで幌使用時の快適性も今一歩でした。。。
パワーは元々危険に感じる程のモノですからセダンと較べるとウェイト増の分、損ですが殆どそれを感じさせない機敏さは失ってなかったと思います!

↓スパイダーのキャビンは雰囲気満点!


スパイダーのスタイルは賛否両論でワタクシ的にはベースのデザイン、しつこいですがルーフ部の直線部分が足りなくてこのクルマのスタイルを破綻させていたと考えていたのでその問題部分がバッサリなくなり“なかなかじゃん!!”と思っていました、しかしオリジナルデザインが好みだった層には不評、実用性も低く最大の売りである“スタイリッシュ”という部分でも!?評価だったらしく僅か380台の生産で93/5、本流のリーザ製廃と同時にスパイダーもお亡くなりになっています。

リーザ製廃の前年92/1にダイハツはやはりミラベースのスペシャル軽として「オプティ」(L300S型)を既に発売しており後継はこのクルマ充たると思いますがオプティはリーザとは異なるコンセプトで実用性も考慮されモデル全体を完全に女性ターゲットに絞っていました、立位置的に ~ミラの分身~ という部分で共通しますが車的、性格的にはリーザとは異なる為、リーザを立派な『一発屋!!!』に認定しました!

↓後継となる初代オプティ、1年以上リーザと併売


一方のスパイダーは現行コペンがその意思を継いでいますネ、スパイダーの欠点を見事に修正し現在実用、ハイト系全盛の中で一人オープン、スペシャル系として気を吐き見かける度にリーザ・スパイダーの存在が無駄でなかったと思うとホッとします(^^)

リーザ、出だし(発売時)はそこそこ売れ評判良かったんですげねー、イマイチこの時期のスペシャリティとしては思い切りがなくミラと大して変わらず訴求性が低かったかもしれません、最後はこのメーカーの得意の1代限りで終了しましたがバブリー軽時代の遺物、コイツは『軽スペシャリティになりきれなかった一発屋!!!』として憶えておこうと思います!
Posted at 2017/03/19 15:18:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2011年08月31日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…スバルヴィヴィオ編

保存版“華麗なる一発屋!!!”…スバルヴィヴィオ編
今回の“華麗なる一発屋!!!”『KK/KW/KY型スバル・ヴィヴィオ』となります!

尚あらかじめお断りしますがこのクルマ、比較的人気の高い軽自動車でそれ故にバリェーションが豊富で6年強生存、この中でモデル改歴も数多い事から全てを詳細に記述できませんのでやむなく割愛する部分がある思いますがその辺はご了承願います…m(_ _)m

さて、ヴィヴィオですが92/3に登場、車名の由来はなかなかいいとこ突いてる?って感じの有名な名付けです!
初の新規格軽自動車(90年に軽の排気量550cc→660ccに改正)として開発された事から新排気量「660」をローマ字表記した場合、”VI VI 0” となりコレをそのまま車名とした小ジャレた憎いネーミングだと思います。
先代に当たるのは1972y~92yの長い期間、富士重の軽乗用を支えた『レックス』となりレックスはこの以前が旧R-2←スバル360という由緒正しい系統を血筋に持っています。ただ、新規格となりシャーシ等が全て新設計のヴィヴィオは1代限り、後続はハイト系になりこれまでのボンバン/HBタイプとは異なる思想の『プレオ』になるので『一発屋!!!』に認定した次第です!

92/3、富士重の新星軽自動車として登場した『ヴィヴィオ』(㊤3ドアセダンex㊦3ドアセダンRX-R 前期型)


↓前任は20年間、富士重の軽自動車代表として親しまれた『REX』
(90y最終型CX-i)


ヴィヴィオはワタクシも一時、1カ月程ですが中期型のGXというグレード(ECVT)を足に使っていた事もあり非常に印象に残っています。とにかくこのクルマは軽自動車として富士重らしい真面目で良心のこもった設計、出来に感心し使い易くまた“速さ=快適”も文句ないモノ、これは上級のミニ・スーパーウェポンであるRX-R等というような特殊モデル以外でも充分あてはまる数ある軽の中でも秀作に感じます!
残念ながらスズキのワゴンRの爆発的ヒットから軽乗用はハイト系が主力になり前時代?的になってしまったこの種(所謂セダン系)は現在廃れてしまいましたが軽本来の使い易い「道具」、サンダル代りの「足」としての機能は充分持ち合わせていて気軽に使えたこのタイプ、ヴィヴィオに限らずミラ、アルト(フロンテ)、ミニカ等の衰退は残念に思います…

ヴィヴィオのスタイリングは曲線を生かしグラスエリアを広く取った平凡ながら嫌みのないオーソドックスなHBスタイル、先代REXと比較しても丸味帯びたデザインと高級志向のカラーリング等全体的に高級感を漂わせたイメージに変更していました!

ボデイタイプは3ドアと5ドアのHBに4ナンバー貨物登録のバン、バンは基本を3ドアHBとしながらRrゲート開口部は別設計(専用テールランプや大型ゲート)し積載を考慮したモノとなっていたのも節税軽だけではなく真面目に商用車としても考えられていたのも見逃せませんネ!!

冒頭で記載の通りヴィヴィオはスバルの軽では初めて軽新規格対応の新設計がなされこの時期の軽自動車の衝突保安基準=時速30km安全確保という部分では10km上回る時速40kmでの衝突安全を確保、ライバル他車の中でも抜群の安全性生、強度と剛性を誇っていました。
また、「ドライバーズ・ミニ・コンセプト」を設計の旗印に挙げ ~軽自動車は1名乗車の機会が多い~という調査結果を基本に運転席重視(居住性)の設計=「ドライバーズ・ミニ・コンセプト」により前席のレイアウトを設計、更に助手席と較べても運転席空間を広く取りシフトやサイドブレーキにフロアトンネルまでもが左側にOFFセット配置されるという徹底ぶり!!
これは現代のボディまで拡大された新規格の軽にはかなわないながら当時では運転席の余裕はライバルに較べかなり余裕があるもので男性には高評価でした!

センターをや々左にOFFセットされたヴィヴィオのインパネ&室内


搭載エンジンはREXから引き継ぐCLOVER4 と呼ばれた直列4気筒のEN07型(チューンは4種)を横置きに搭載、駆動はFFを基本に生活4駆にパートタイムの4WD、スポーツ4駆にビスカスカップリングのフルタイム4WDを設定していました。

(搭載エンジン)
EN07型 660cc OHC NA 1キャブ42ps(KW3/4=バン)
  同        同EMPI(電子燃料噴射)48ps(MTは52ps KK3/4=セダン)
  同        同 同+スーパーチャージャー64ps(ECVT用)
  同       DOHC       同        64ps(5MT用)

以上が基本、但し改歴過程でSOHC+5MTやDOHC+ECVT等組み合わせ変更も行われています。
スーパーチャージャーモデルはご存じREX時代に他ライバルがターボで武装する中、飛行機屋さんらしくダイレクト感にこだわったモノでREXから引き継ぎヴィヴィオでもモータースポーツ(ラリー)等で活躍、フルタイム4駆モデルで代表的なグレード、最高峰RX-Rは現代までにおいても「最速軽」の名を欲しいままにしており今でもスバリストを始めとしたファンは多いですね!
RX-Rは並居るミニ・ウェポン=ミラ・TR-XXやアルト・ワークス、ミニカ・DANGAN等と比較してもとても“安心感”を持てる速さがあり他車が危険を憶えるような速度域や極限走行パターンでも限界が高くライバルと“速さ”的には同じながら不安が極端に少ない、そんなモデルでレガシィやインプで鍛え定評ある4WD技術のフィートバック が成功、同じような機構を持つH3系ミニカDANGANと比較して重心が低い分コーナーも安心でエボvsインプでは互角?に思うもミニの世界では正直我が三菱、RX-R転がすと明らかに“負け”てたように思います(-_-;)

↓今でも最速ミニとしてファンの多い『RX-R(96y型、タイトル画像=92yRX-R)』


↓スパルタンなRX-Rのインパネ&インテリア


ヴィヴィオの脚廻りは伝統の4独、ALLストラットながらレガシィで好評のRrはセミトレ→デュアルリンク式に進化、スポーツモデルはパワーに応じて強化は当然です!

尚、ミッションは5MTとトルコン方式の3AT、そしてスバルお得意の無段変速ECVTを用意、ECVT後期(97y~)には6速マニユアルモード搭載の「スポーツシフト」も設定されました。
ECVTはジャスティにて商品化されたスバルの苦心作ですね、ただジャスティ時代より出来は確かに良くはなってますがそれでもワタシは生理的にやはりこのECVTは苦手です、フィーリングは我慢したとしても相変わらず耐久性には不安が残り実際7、8万㎞走行したECVT車はガタが酷かった部分が目に焼き付いてますし…
これはメーカーも承知していたらしく4ナンバーバンでは当初ECVTを採用しながら比較的早い時期に3ATに換装、知己整備業者等の話を聞いてもECVT車は故障したらごまかしきかなく理念は唸るも問題は耐久性と申しておりました。。。

ヴィヴィオの特徴としてベースモデルは地味なイメージでそれ程話題にはならなかったものの派生モデルが非常に魅力的or高人気、大きく分けて二つの派生が誕生、一つが遊び心満載で実用としては不向きながら大きな話題となった『T-Top』、そしてもう一つがクラシカルな意匠を各部に取り入れながらかつ軽自動車にこれまでなかった英国風の気品とお洒落な感覚を上手に表現させ大人気を得た『ビストロ』シリーズですね~~。

まずはT-Top(KY3型)、これは93/5に3000台限定で富士重工40周年記念車として追加、タルガTOPとするためボディは強度を持たせる3BOXの設計、電動格納リアウィンドウとベースにはないサッシュレスドアでオープン仕様を始め4種類のオープンエアドライブが選べたのが売り!
Rrトランクの洒落たキャリア(レスもあり)やカラフルな内装が特徴的でイージーなECVTと走りを楽しむ5速MTを設定していました。今ではスバリストを始め『レア車』として希少価値も付くモデルでありなかなかお目にかかれないモノ、これはワタクシも初めて見た時(ドライブ経験はありません)スタイル的にはイマイチ感が否めなかったものの楽しさは非常に感じ他にもこの時代はご存じスズキ・カプチーノ、ホンダ・ビート、マツダAZ-1/スズキ・キャラ等という楽しく小洒落たおふざけ?モデルの存在が許され、現在実用一辺倒になってしまった軽自動車の世界もバブル期は夢のある世界だった事を今更ながら実感します。。。

↓特別限定車『T-Top』


↓4種のモーターエアドライブが楽しめたのがT-Topの魅力


↓T-Topのカラフルなインテリア


一方の『ビストロ』は95/10に発売されその後のヴィヴィオの販売の主力になっていった程の人気モデルでこれは限定でなく『ヴィヴィオ・ビストロ』として一つのラインナップを形成、シリーズ化され基本のヴィヴィオとは別動したバリェーション展開がなされていました。

↓95/11に追加以来ヴィヴィオ販売の要となる人気シリーズとなった『ビストロ』


↓格調高いビストロのインテリアは軽自動車の概念を破りました!


尚、ビストロシリーズはドア形式、仕様、塗色や意匠の味付けの差で8バリエーション(ベース含み)を展開していました。

以上が派生モデルの概要です。
一方、ベースのヴィヴィオの改歴ですが毎年のように小変更がなされています、バリェーションは普及型の『e』シリーズをベースに高級モデル『M300』、若者向けベースの『GX』、HOT系『RX』、廉価及び商用の『バン』に先記のビストロ等、多彩な展開の為特徴的な変更(マイチェンや特別モデル追加)のみを記載したいと思います。
まず、94yのマイチェンにてNA車のフロントフェイスを変更、安全対策(後席3点式シートベルト標準装備化)が行われます。

↓94yのマイチェンで中期型となったNAモデル


95/6、スバル軽自動車販売300万台達成を記念したM300を追加、こちらもビストロのように『M300シリーズ』とされベースグレード、廉価版~スーパーチャージャーの高級モデルまで装備の差別化がなされた4種が設定されていました !

↓95/6~追加された『M300(tyreS)』


97/9、再度NA車の顔をマイチェンし最終型となります。
しかしこの頃になると93yに新コンセプトで登場したスズキのワゴンRをきっかけにしこれを追うダイハツムーブ、三菱ミニカトッポ、同BJ、ホンダライフなど所謂ハイト系ワゴンタイプが軽乗用の主流となってきており従来型セダンタイプの軽乗用は旧世代と言われ急速に市場での商品力を落としてゆきます。
他社、スズキや三菱、ダイハツ、ホンダに較べ軽自動車のラインナップを多数持つ余裕は富士重にはない事から他社が主にバンタイプや5ナンバーでもHOTバージョンや廉価版はまだセダンをラインナップしながらハイト系を充実してゆく中、富士重は98/10をもってヴィヴィオを製廃する事となってしまします。

↓97/9~の後期型(最終型)


後続はヴィヴィオのシャーシを改良、流行りのハイト系ながらヴィヴィオ代替ユーザーの兼ね合いもあり他社のようにハイト専門車種は設定できず苦肉の策から「セミ・ハイト」とされた『プレオ』となります。

98/10、ヴィヴィオ後続として登場した『プレオ』


プレオは時代の要請とお家の事情からハイト系の使い勝手と従来型からの意向になるべく抵抗のないセミハイト系としてコンセプトを変更、スバル360から長い年月をかけて築いたスバル軽乗用セダン最後の非常に完成度の高かったヴィヴィオ、残念ながら1世代で終わってしましました~。

しかしヴィヴィオ、走りのRX-Rを代表としてその魅力は未だ衰える事なく “一番イイ時代” の軽自動車市場で光った存在だった事は確かであり『華麗なるミニ・一発屋!!!』として憶えておきたいでーーーす!
Posted at 2017/11/13 19:23:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2011年08月31日 イイね!

保存版・“華麗なる一発屋!!!”…マイティボーイ編

保存版・“華麗なる一発屋!!!”…マイティボーイ編今回はホントに華麗で印象深い可愛いヤツを取り上げます!

アラフォー世代には青春時代の郷愁を感じさせるコイツ→『SS40T型スズキ・マイティボーイ』です!!

「スズキのマー坊と呼んでくれ」「お金はないけどマイティボーイ」などのCMキャッチコピーが未だに印象に残ってる方、ワタクシ含め多いのではないでしょうか?
このクルマが出た83/2、ワタクシはかろうじてまだ学生で免許は既得でしたが当然の如く貧乏学生(今は貧乏中年…爆)でしたから「お金はないけど…」のコピーにはやられた感じでこのCMが流れるとついTVに目が行ってしまい(^^;)

このマイティボーイは後年友人が中古でセカンドカー購入、ちょくちょく借りて乗りましたがその愉快さ、便利さは特筆モノでした!

マイティボーイは82/6に2代目にフルチェンされたスズキが誇る?軽のスペシャリティカー、セルボをベースにしセルボのBピラー後半をブッタ切りラゲッジ部分を荷台にするという斬新と言うか乱暴と言うか…こうして4ナンバー貨物登録のピックアップとして登場しました。
貨物車輛ではありますがメーカーとしてはスタイリッシュなピックアップという位置付けで貨物故に税金が安く2名乗車に割り切り若者の移動手段、足替わり、サンダル替わり的使用を提案したモノ、事実当時の軽トラックの荷台内寸(長さ)の約1/3程度の660mmしかなく実用としては全く役に立たない荷台もないよりは便利ですしサーフボードを立てて積載するなどお洒落な使い方も後に人気となりました!

スタイリッシュ・ピックアップとしてデビューしたマイティボーイ(前期型PS-A
タイトル=前期型PS-L)


ベースとなったSS40型2代目セルボ


ベースのセルボと言うとルーツを軽スーパーカー(?)だったJアーロデザインベースのフロンテクーペに持ち初代SS20型セルボはそのフロンテクーペのスタイルをそのまま採用した550新規格版として人気の高かったモノ、2代目SS40となりスタイリングはかなり大人しめにはなりながらもフロンテやアルトに対するスポーツバージョンという立位置は同様でドラポジ等もスポーティ、Frガラスもフロンテ/アルトより寝ておりこの辺はSS20譲りでした。
キャビン前席スペースはセルボと共通するマイティボーイ、よって同様にスポーティなものとなり当然セルボ同様に着座は低くピックアップながら荷台を犠牲にした分2名の乗車スペースは充分なモノ、ワタクシの体形(174cm)あるとシートを一番下げてもまだきつくシートバックをより寝かせストレッチアーム気味にするとピッタリな感じ、この姿勢が低い着座と相まってなかなかヤル気になるモノでした!!
このシートバックの後方にちょっとしたスペースがありココに雨に濡れては困るモノやスピーカーを押し込め重宝したものです。。。
大したパワーのないエンジンながら500kg強の軽い車重+FFでRrはほぼ何にもない感じのフロントヘビーさが産む挙動はオモしれー!の一言、絶対パワーがない分いくらでも振り回せてよく遊んだモノです(汗)
その味は本家スポーツのセルボをも超える格別なモノがありましたね~。
また燃費もその軽さ故に非常に良く財布に優しくどんなにブン回してもまたAC入れても(友人のは生意気にAC付いてました!)コンスタントに20㎞近くは走っていました。
ボディ形状以外はほぼセルボを踏襲しますがライトがセルボの角目に対し丸目、テールは共通ながらテールゲートの関係からナンバーがバンパー下に配置されていました。

インパネ&ドラポジはまんまセルボ!


さて、郷愁はこの辺にしてマイティボーイの概要ですがエンジンは当時のスズキのメインエンジンだったF5A型550cc 3気筒OHC 28psという頼りないスペック、しかしながら元気のいいエンジンで2st時代の気難しさ、パワフルさはないものの先記のようにライトウェイトの為充分軽快に走らせるモノです。
脚廻りはトラック(?)らしくFr:ストラット、Rrリジットリーフ、リーフならではの堅さがRrをポンポン跳ねさせ面白さをより増幅させてました!但し決して女性を乗せられるモノではなかったです(笑)
バリェーションは当初は2タイプ、ベースグレードのPS-Aと豪華仕様PS-Lを設定、PS-Aは79年に“47万円”でセンセーショナルに登場した初代SS30V型アルトよりも安い当時の市販車最安値の45万円!! これが「お金はなくとも~」の所以でありましたがその装備は誠に簡素で時計やトリップメーター、内装カーペットすら装備されない徹底したコストダウンはアルト47万円に倣ったモノでした。
PS-Lにはタコメータやトノカバー、繊維シート(Aはビニール)等を装備、これでも498,000円というお値打ちもの!!

ミッションは当初4MTのみで後にPS-QLというLのAT(2速)を追加、85/2のマイチェンでは5MTもLに追加しています。
マイチェンでは丸目2灯→角目2灯としセルボフェイスとしグリルも変更、エンジン出力を31psにUP、前期型であまりのも貧しいと不評の声もあり上級PS-Lはトノカバーを廃止しルーフレールを装着、ホイールを10インチ→12インチとしディスクブレーキも装備、遊び心と走行性能を高める仕様にしていますが代りに548,000円に値上げされています(Aは角目に変更のみの値段据え置き)

後期型マイチェンではPS-Lは豪華にイメージUP!!


後期型でも当時の最安を守ったPS-A


このように若者の、貧乏人の味方?なマイティボーイでしたが47万でブレークしたアルトとの決定的違い=アルトはまがりなりにも4人乗車可能、マイティボーイは2名 という部分からHITとはなりませんでした。
アルトは当時原チャリ(パッソルやロードパル)から流れ幼児がいる主婦層にも高い支持を受けセカンドカーとしても人気、しかしマイティボーイはファミリーユースには向かずさりとて実用では軽トラの比ではなく当初ターゲットにした独身の若者という層にもあまりにも簡素化された出で立ちから「貧乏くさい」と敬遠されていあた感もありましたねー、2匹目のどじょうを狙ったメーカーの思惑は外れ売上は年々低下し88/1、ベースのセルボがモデルチェンジされた時点で製廃となってしまい後続は現在まで存在していません・・・。

ただマイティボーイは製廃後にその個性が見直され徐々に人気が盛り上がり現在では“絶版軽名車”にホンダライフ・ステップバンと並んで数えられる程になりそれと並んで現在でもカスタマイズされたマイティボーイが数多く生息しているようです。
セルボはもちろん比較的台数が出たフロンテ/アルトと共用パーツが多く従って部品取り車輛も容易に探せるのも製廃後20年以上を経た軽商用としては驚異的残存数に繋がっていると思われます!

生存した5年少しは「安物カー」「貧乏車」的扱いで決して華やかな人(車)生ではありませんでしたが製廃後のブレークは現役当時のマイティボーイを知りサンダルのように使った身のワタクシには遅い春ながらも感涙モノ、パッとしなかった現役を上回る充実?の車生を今過ごすこのクルマに『華麗なる一発屋!!!』の称号を堂々与えたいと思います!
Posted at 2017/08/22 18:54:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ

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