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2025年02月12日 イイね!

大化けした往年のNICE MODEL VOL.14~初代PF60型ジェミニZZ

大化けした往年のNICE MODEL VOL.14~初代PF60型ジェミニZZ
少年時代~青春期~壮年期~老年期wと常に日本のクルマ達を愛して止まず公私に係わらずに凝視し続けてきた元Gureが送る”大化けした往年のNICE MODEL”VOL.14となります!


尚、この企画では詳しいスペックや改歴などは省きソフト面=当時とその後の市場反応や人気の推移を重点に振り返ってみたいと思います、長文になるんでお暇がある時にお付き合い頂くと幸いです<(_ _)>


※内容についてはあくまで元Gure個人の思い出話です、内容に正確性を欠く部分もあるかもしれない事をご了承願います。

それではVol.14~PF60ジェミニZZ、早速やりましょう!
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60年代、永年に渡りいすゞ乗用の中心車種としてラインナップしてきたベレット、しかしまだ新型モデルが概ね4年に一度生まれ変わるのに対しトラックを主力としていたいすゞ、乗用車に避けるリソースもなく一つのモデルを長期間造るのが恒でありベレットも約10年のモデルライフを過ごした1974年、どうしても設計の旧さからなる陳腐化により売行きも不振となり遂にベレットをFMC、提携していたGMのオペルカデットをベースとした新型車『ジェミニ』がデビューしました。

正式には当初のみ”ベレット・ジェミニ”と名乗りベレットの後続モデルである事をアピールしますが75年以降は”いすゞ・ジェミニ”としています。

ジェミニは1.6L SOHC 1キャブからスタート、77年のMCを挟み78年、1.8L SOHC 1キャブを追加しますがこの時まで先代ベレットに存在したスポーティモデル DOHCモデルやツインキャブモデルは未設定、完全なるファミリーユースモデルでありスポ車好きには殆ど見向きもされない状況ながらいすゞはジェミニをベースにレースやラリー等競技活動も行っています!

サーキットデビューしたジェミニ
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しかし頂点に殆どのモデルがスポーティモデルを設定する中、どうしても訴求のお弱いジェミニでしたが登場後5年目の79年、前後デザインを大幅にリファインするBigマイナーを挟み80年にベレットGTタイプR以来のDOHC搭載モデルを追加、これが『ZZ(ダブルジィー)』でした!

ジェミニ初と言っていい本格的スポーティモデルは往年のベレG以来!
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ベースのジェミニセダン/クーペ両モデルに設定されたZZ
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セダンZZ-R

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クーペZZ-T

ZZにはラリーベースのハードバージョンのZZ-R(レーシング)、街乗り用装備充実のZZ-T(ツーリング)の2バリェーション、搭載エンジンは上級117クーペより換装したG180W型DOHC(2バルブ)ECGI(FI)130ps(グロス)を搭載、車重1t程度のジェミニには当時としたらパワーウェイトレシオは目を見張るモノ、DOHC王国のトヨタの看板エンジンである1.6L 2T-G(EU)と2L 18R-G(EU)の中間となる排気量ながら実力は軽量ボディと相まってトヨタの2L DOHCモデルを凌ぐ実力、これは当時スポ車マニアに注目を浴びるのは充分のモノでした!

117クーペより換装されたG180W型DOHCエンジン
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60~70年代初頭ではトヨタを始め日産、三菱、ホンダ、いすゞがラインナップしていたDOHCながら排ガス規制が主に要因で70年代中期~80年代当初、DOHCエンジンが希少な存在となりながら搭載モデルが多く台数を捌いていたトヨタ=DOHCのイメージが強固、いすゞも細々と117クーペでラインアップ継続をしていたものの高級パーソナルクーペの117にスポーツのイメージはなくベレット以来久々のいすゞがスポーティ訴求するモノでした…。

ラジオすら廃したスパルタンなZZ-Rの室内&インパネ
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ZZ-Tは快適装備の街乗り仕様!
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しかしZZはデビュー時こそ話題にはなるもやはりDOHC王国のトヨタの壁は高くマニアには選ばれるも人気はトヨタの下級にあるカローラGT/レビン(TE71)やセリカ/カリーナ1600GT(TA40系)と上級2000GTシリーズ(コロナ/セリカ/カリーナ/セリカカムリ)の中間という排気量が中途半端に受け取られよりリーズナブル派は1600GT系、よりハイパフォーマンスを期待する向きには2000GT系が選ばれZZが広く普及する事はありませんでした…。

余談ながらこの当時、元GureはTE71レビン、友人がジェミニZZ-Rに乗っていて若気の至りで夜な夜なよく箱根の峠走りしていましたが2T-Gでは全く適わない、腕の差はお互い免許取ったのもほぼ同時だしそんなに差はないと思うもまず出だしで置いていかれいくら廻してもZZに追いつく事なかった、他の友人がカリーナの2000GTでしたがこれすら追いつけない、その位ZZは速くヤツはキング扱いだったなぁ~…

しかし実力では上でもなかなかメジャーな人気を得られないZZはテコ入れで81年にファッショナブルな『ZZ-L』を追加、-Tを上回る高級バージョンでした。

ZZ-L
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81年にはZZとしては初のMC、例に漏れず長期モデルとなっていたジェミニなので74年以来の旧態インパネを新設計、テールは従来型を継続するもFrを整形し現代的な異形ライトも採用した後期型となります!

ZZ後期型、インパネ
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この後ZZはベースのジェミニが85年にFFにFMC後も残され87年までラインナップ、実にZZだけでも8年のロングライフモデルとなりますが次期型でもFFとなりながらZZのネーミングは継続されいすゞのスポーティグレードの代表格となりました。

最終型ドアミラー化したZZ


一部マニアにはその実力から絶大な支持を得ながらいすゞらしく設計の旧さ、無骨さから鳴かず飛ばずとは言えないまでも決して人気モデルにはならずトヨタDOHCがチヤホヤされるのを他所に地味な存在、中古市場でも90年代までは低空飛行でしたが2000年代に入るとFRのDOHCという点から価値が見い出され再評価、同じFRテンパチの三菱のランサーEXターボ(ランタボ)と並びこの時期から走り屋層に人気が出始め価格は徐々に上昇、トヨタ車やランタボに較べても新車販売が少なかった分今では希少で残存していれば程度が悪くても100~150万、程度が良ければ200万オーバーという”大化け”を見せています💦

若き頃はその地味さからハナも引っ掛けなかったPFジェミニのZZ、今見るとやたらシブいし今のプレミア価格も解る気がしますが毎度お馴染みながらあの80~90年代の安値を知る世代として溜息しか出ませんナ(^^;


往年のNICE MODEL VOL.14・いすゞPF60型ジェミニZZ編…終
Posted at 2025/02/12 00:07:24 | コメント(3) | トラックバック(0) | プレミアム化モデル | クルマ
2024年12月13日 イイね!

大化けした往年のNICE MODEL VOL.13~7代目R31型スカイライン4HT編

大化けした往年のNICE MODEL VOL.13~7代目R31型スカイライン4HT編少年時代~青春期~壮年期~老年期wと常に日本のクルマ達を愛して止まず公私に係わらずに凝視し続けてきた元Gureが送る”大化けした往年のNICE MODEL”VOL.13となります!

尚、この企画では詳しいスペックや改歴などは省きソフト面=当時とその後の市場反応や人気の推移を重点に振り返ってみたいと思います、長文になるんでお暇がある時にお付き合い頂くと幸いです<(_ _)>


※内容についてはあくまで元Gure個人の思い出話です、内容に正確性を欠く部分もあるかもしれない事をご了承願います。

それではVol.13~R31スカイライン4HT、早速やりましょう!
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往時を知る世代にはデビュー時”史上最低のスカイライン”とさんざん揶揄されていたのが鮮明に記憶にある御仁も多いのではないでしょうか…?

先代6代目R30がケンメリGT-R以来の4バルブDOHCのRSや当時2L最高psのRSターボC等を矢継ぎ早にラインナップし絶大な人気を誇り今後スカイラインはどこまで過激になる?と多くのクルママニアが注目する中、1985年にFMCされてデビューしたのが7代目、通称セブンス(7th)スカイライン、CMキャッチコピーは”都市工学スカイラン”という通り先代までの男臭さを封印し都会的な洗濯された新スカイラインとなりました…。
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しかしその中身を見てみると多くのマニアの期待とは裏腹にR31は当時のハイソカーブームのすさまじさにはさすがに勝てず従来のスポーツ路線をかなぐり捨てハイソ路線に全振り、ボディは4ドアセダンと新設の4HTとなりセダンは旧R30セダンを肥大化させたような出で立ちになりR30のバランスを崩す、4HTは上級にローレル(当時C32)、下級にブルーバード(U11)に日産オリジナルで現代のように衝突安全基準も厳しくなく緩い中で人気の高かったセンターピラーレス4HTをスカイラインにまで追加、兄弟車ローレルがあるのに何故にスカイラインまで2ドアを捨ててハイソ4HTになるのか!?と疑問だらけ、まぁ当時のトヨタマークⅡ兄弟の絶大なる支持の中、スカイラインがそちらになびくのも今となってみれば致し方ないのかもしれませんが当時は日産の姿勢、大いに反感を買い”史上最悪”という有難くない形容詞が与えられてしまった訳ですねぇ。。。

随所にスカイラインらしいスポーティさは感じられるもローレルと何が違う?と酷評だったR31 4HT
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ケンメリ(C110)からの伝統である◎テールは健在(GTシリーズ)ながらもスカイラインらしさが消滅!?
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しかしエンジンは長年主役の座を張ったL型(L20S/L20E)がようやく引退、新開発のRB20型エンジンに換装となり6気筒SOHC、同ターボ、同DOHC 24V、同DOHC 24V I/Cターボ(廉価版に1.8L 4気筒CA18Sや2.8Deも存在)を大々的にアピール、足回りも伝統の4独サス(GT系)に加え4輪操舵となるHICASも設定されハードの部分では先代から大幅に進化!

新開発RB20(DET)エンジン、その後の日産中級モデルのメインとなり今では名機の称号も…
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廉価モデルはR30からキャリーオーバーするCA18Sエンジン、地味ながらR32までラインナップ
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4HTのバリェーシンはR30でややとっちらかっていたのを整理、2000系はGTを基本にベーシックモデルにエクセル、高級モデルにパサージュを設定、どちらもスポーティ要素な味付けはほぼなく全体をハイソ路線としこの時期流行った場末のバーのようなふかふかギャザードのシート、ワインカラーの内装はマークⅡ、ローレルに倣いメイン化…

GTパサージュの豪華な室内
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インパネも先代で質素過ぎると芳しくない評判を反省、この時期に日産特有の絶壁調の豪華路線に変更、外観同様カクカクしたインパネ、前方視界にやや難はありながらR30のオーナーだったワタシとしてはあまりの変わりように驚いた気も!?

ジャパン(5代目C210)からの伝統である水平0指針メーターはそのままにハイソ全振りになったインパネ
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仕事柄これが出た当時、GTパサージュのMTを納車でそこそこの距離乗りましたがさすがスカイラインで走りの良さは健在だしRB20DETもFJ20のワイルドさはなくなるも充分にパワーがあり巷で酷評されるような悪いクルマではなかった印象、足回りはトヨタ以上でドライブフィールは上々、まぁ、この印象はローレルやレパードでも味わえたんで”男臭さ”を失ったスカイラインに以前のようなカリスマ性が消え失せた感は確かにありましたが…。

85年夏にデビューしたR31、ハイソ路線全振りが仇となり前述の通り酷評、ワゴンやセダンはともかく一番の売りであった2ドアモデルの消失は全スカイラインファンを敵に廻した格好となり日産は慌てて開発中だった2ドアクーペを翌年86年早々に時期を早めて投入、ハコスカ~R30の2HTに変わる2ドアクーペの設定でスカイラインマニアには受け入れられこれいよりR31はようやく市民権を得た感じになりました。

86年に追加され人気挽回の立役者となった2ドアクーペ!
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R31デビュー前から企画はされていたものの当時のハイソブームを睨み4HTを優先してデビューさせたR31、スカイラインの顔であった2ドアを封印してまでもこうした判断を摺る程当時のハイソカーブームが凄かったという証明ですね!

2ドアクーペで人気挽回となったR31ですが87年、従来のセダン/4HTも後期型にMC、4HTは前期に比較しクーペの風味を味付けしたグレード(GTS)やフェイスリフトでスポーティ寄りになるも相変わらず不人気、R31はクーペこそ!という定説が長年に渡りクルマ好きには認識されていた感じです。

後期型R31 4HT
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しかし近年、このR31 4HTの中古市場にも変化が起きそれまでスカイラインというクルマはモデルを問わず他モデルと違い比較的早くプレミア化、旧いスカイラインというだけでその価値が見い出される中、R31 4HTだけは最近まで鳴かず飛ばずの捨て値で売られていたながらこの最近では一気に爆上がりしだし程度如何によっては200~300という個体も見られるようになってきました(+_+)

往時を知る世代には信じられない金額、人気ドラマ『あぶない刑事』の劇用車に採用されていたのもありそうした部分が再評価?の要因かもしれませんが若い世代にはこれも魅力的に映るのでしょう、確かに年配世代でも今のスカイラインから較べるとR31 4HTでも”スカイラインらしいスカイライン”である事は間違いないと思うしV35~より魅力的に映るのはワタシだけでしょうかネ!?!?

尚R31セダンについては4HT以上の不人気で絶滅危惧?現在の市場でもほぼ見かけず今回の対象にはしておりませんが程度極上の残存車があればいいお値段するのではと推測します、、まぁ個人的には例え買える資力があっても4HTなら入手してもいいけどセダンはいらんかな~、R30やR32なら4枚、大歓迎だけどwww

往年のNICE MODEL VOL.13・日産R31スカイライン4HT編…終
Posted at 2024/12/13 16:32:35 | コメント(3) | トラックバック(0) | プレミアム化モデル | クルマ
2024年10月13日 イイね!

大化けした往年のNICE MODEL VOL.12~3代目B210型サニー編~

大化けした往年のNICE MODEL VOL.12~3代目B210型サニー編~

少年時代~青春期~壮年期~老年期wと常に日本のクルマ達を愛して止まず公私に係わらずに凝視し続けてきた元Gureが送る”大化けした往年のNICE MODEL”VOL.12となります!

尚、この企画では詳しいスペックや改歴などは省きソフト面=当時とその後の市場反応や人気の推移を重点に振り返ってみたいと思います、長文になるんでお暇がある時にお付き合い頂くと幸いです<(_ _)>


※内容についてはあくまで元Gure個人の思い出話です、内容に正確性を欠く部分もあるかもしれない事をご了承願います。

それではVol.12~B210サニー、早速やりましょう!
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1965年マイカーブームの火付け役となったB10型初代、そして70年にデビューした2代目B110型はレースの活躍もあり大人気、続くサニー3代目となるB210が今回の主役…

B210は過去2代のサニーのイメージを覆す出で立ちでデビュー、B10~B110が軽量軽快なボディに名機の名を欲しいままにしているOHVながら元気のいいA型エンジンで何より爽快なドラバビリティを提供した秀逸なファミリーカー、しかし最大のライバルであったカローラがサニーよりも重厚で高級感を訴求するスタイリングで常に優位、走りではカローラに勝るも当時の高度成長期の世で”高級”に見える事は重要で過去2代、サニーはカローラに苦渋を舐めさせられていました。

そこで日産は1973年のFMCにより3代目B210では方針を転換、内外装に高級感を持たせカローラに真っ向から立ち向かう方針に出ました!

1973年大きく、豪華路線となったB210サニー(セダンエクセレント1400)
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当時日産が凝っていたCピラーを太く、ボディ全体を丸み帯びさせるインポブルメントデザインを採用、これは上級ブルーバードU610、710バイオレット、そして後の330セドグロやS10シルビア等と共通する日産の統一イメージの一環で各車、トヨタライバル車に較べどうも安っぽいと言われた悪評を払拭したい日産の意気込みでもあった訳です。

しかしこのデザインは概ね不評、ブルーバードにせよサニーにせよ前作(ブル510,サニーB110)が好評だったのに対し贅肉をタップリ蓄えるイメージとなってしまい日産の意図する”高級感”ではなく重々しく鈍重な印象でセドグロ330以外はほぼ前作を上回る評価は得られず撃沈と言っても差し支えない程人気は得られませんでした…

6ライトで当時流行しだしたハッチゲートを持つHBを最大の売りとしたクーペも背むしのような鈍重さが不評でした!
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バックドア&可倒式Rrシートで多用途性をアピールするクーペ
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当時ライバルのカローラがオーソドックスで奇をてらわないデザインで相変わらず売り上げNo1、B210時代は旧型E20型。74年にはE30型となりますがコンサバな佇まいは好評でありB210は冒険心に溢れた斬新さはカローラを上回るも当時の日本人には”んっ!?!?”と首を傾げるデザインだったと感じます、今見れば決っしてブサイクでないも当時ワタシも子供心に「変なクルマ‼」としか感想はなかったですねぇw

インパネの雰囲気も当時としては異様な感じ?冒険的で使いにくいって訳でもないながらデザインが独特でこれも不評の一因

普及モデル(STD、DX、GL)
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スポーツグレード(GX)
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そんなB210は先代から継承するメインはファミリーカー必須のセダン(2/4ドア)、こちらはクーペに較べ幾分大人しめのデザインながらやはり太いCピラーによる後方視界の悪さから一般ユーザーには不評、この点でもオーソドックスなカローラ(20/30)と比較されると辛い部分がありましたね…。

セダンシリーズ(1200 2ドア及び4ドア)
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ウエストラインが高く窓が小さめ、太いCピラーにより室内はこの時代の日産車にありがちな暗いイメージ
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B210は先代後半から追加された高級バージョンのエクセレントと呼ばれた1400と普及版1200の2タイプが存在、ボディは先記のようにHBクーペと2/4セダン、そして2/4バンにB110からキャリーオーバーのトラックのワイドバリェーション、エクセレントは上級のブルーバードに遜色ない高級装備、イメージが与えられるも実際の走りはOHCで重々しいL14型エンジンより軽いOHVの名機A12型の1200の方が軽快で従来のサニーの走りを味わえました、昔1200もエクセレントもよく転がしましたが軽量は宝を如実に感じるのがこのB210、ハンドリングの軽快さ、コーナーでの挙動、加速感と気持ちいい回転フィール、どれをとってもエクセレントは1200を上回る感覚はなく強いて言えば?静粛性はややL14が勝っていたかな!?と…

先代B110の1200でその走りの良さが定評でありFrストラット、Rrリジットリーフという何の変哲もない足回りながら110の良さをかろうじて継承した1200は見かけで損するも決してサニーらしさは失っていなかったと思います!

名機と言われたA12型(ツインキャブ付き)エンジン
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高級な感覚を売りとしたL14型エンジン
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A12はサニーデビュー以来の看板エンジン、L14はブルーバード510や710バイオレットと共有する1クラス上のエンジンでありユーザーに幅広い選択肢を与えるのはライバルのカローラのワイドバリェーションに対抗するもの、普及は圧倒的に1200でしたがエクセレントも特にクーペはそれなりに見かけたモノです。

76~77年にかけてB210はMCを実施、この時に昭和51年規制NAPSにより適合化、この排ガス規制によりパワーダウンを余儀なくされたため従来の1200に加えA14型のOHV1400を設定、この新生1400には排ガス規制後も最後までツインキャブをラインナップ、ライバルが早々とスポーツグレードは残るもエンジンは普及型と落とされる中で日産の技術力を見せつけた感じ、尚、それまでのエクセレント1400はL16型のOHC1600に排気量UPを行いエクセレント1600となりますがこちらはツインキャブは未設定、既に上級のブルーバード、バイオレットにはEGI(FI)のL16Eが奢られていましたがエクセレントには未設定でアツイ走りは1400GXに任せた!とでも言いましょうか…

前期型1400セダン(GX-T)
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後期型1200クーペ(DX)
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後期型エクセレント1600クーペ(GX)
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B210は1973年~77年までのモデルライフで次期310型4代目に移行しますがやはりカローラの牙城は崩せずかつ冒険的デザインと従来型のイメージとあまりにも違う点が敬遠され商業的には芳しい成績ではありませんでした(それでもf代表的大衆車としての実績は残しています。)

その後の中古再販期になると走りにサニーのイメージが残る1200GX(セダン/クーペ)は残るも他モデルは人気もなくほぼほぼ潰される運命で以降つい近年まで、B10、110,310が名車と崇められ走り層から主に熱い視線がそそられこれらのクーペモデルはチューニングベースに用いられ酷使の上に数を減らします、そこでマニアは競ってクーペ以外のセダン、バン、トラックに目を付けこれらも早々にプレミアム化、B10はさすがに古すぎて90年代でもほぼ残らずながらB110、310は90年代以降、ボディ形状に係わらず新車時価格を上回る取引額でした。

そんな中忘れ去れていたB210、さすがにこれ以外のサニーの数が絶望的になってきた2010年頃から徐々に値段上昇、現在では状態良ければ200~300という”大化け”を見せていますネ(-_-;)

若き頃整備学校の教材だったB210、あれこれ分解してこのクルマで基礎を学んだので思い入れはありますが個人的には名車110と310に挟まれた”駄作”感は拭えずあれほど以前は箸にも棒にも掛からないと嫌われた中古市場でこれほどの価格が実現するとはお釈迦様でも思わんかったでしょう(^^;

往年のNICE MODEL VOL.12・日産B210サニー編…終

Posted at 2024/10/13 16:23:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | プレミアム化モデル | クルマ
2024年09月03日 イイね!

大化けした往年のNICE MODEL VOL.11~初代JR120/130型いすゞピアッツア編~

大化けした往年のNICE MODEL VOL.11~初代JR120/130型いすゞピアッツア編~少年時代~青春期~壮年期~老年期wと常に日本のクルマ達を愛して止まず公私に係わらずに凝視し続けてきた元Gureが送る”大化けした往年のNICE MODEL”VOL.11となります!

尚、この企画では詳しいスペックや改歴などは省きソフト面=当時とその後の市場反応や人気の推移を重点に振り返ってみたいと思います、長文になるんでお暇がある時にお付き合い頂くと幸いです<(_ _)>


※内容についてはあくまで元Gure個人の思い出話です、内容に正確性を欠く部分もあるかもしれない事をご了承願います。

それではVol.11~JR120/130ピアッツア、早速やりましょう!
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1968年にデビュー以来、いすゞのイメージリーダーカーとして唯我独尊の高級スペシャリティクーペとして13年の長きに渡り親しまれた117クーペの後を受けて1981年に登場したのが初代JR130型ピアッツァ!

ピアッツアは117以来親交の深かったJアーロに再びデザインを依頼、Jアーロはショーモデルながら市販を前提とした「アッソ・ディ・フィオーリ」を出品、その後更にデザイン変更を受けたショーカーが1979年の東京モーターショーに出品、好評を博し1981年、117後続モデルとしてピアッツァがデビューしています。

奇才、Jアーロデザインのアッソ・ディ・フィオーリ
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ピアッツァと名前は変えながらも市販モデルはほぼそのままアッソを呈しており実用性や生産性を考慮し多少なりともショーモデルと市販モデルはデザインが異なるのが常、そんな中ピアッツァは世界的に絶賛された美しいデザインそのままで登場、エアロダイナミックスを追求しながらさすがJアーロを思わせる実用と流麗さを見事に調和させたデザイン、リアルで見ていた世代としては当時80年代が始まったばかりの頃に子供が見る?クルマ図鑑に出てくるような”未来のクルマ”的感覚で90年代を通り越し2000年代以降のデザイン!?って感じに映りましたっけ…

デザインに関してはジャーナリスト等には概ね高評価、しかし世界で絶賛されたスタイルも日本人には受け入れられずその姿カタチから”マヨネーズ”と揶揄される始末、個人的にも当時はヘンテコに見えましたがいすゞ乗用車というのは10年、20年先行くデザインというモノが多くこのピアッツアも正にそれ、80年代ではヘンテコでも2000年代、いや、現在見ても充分に美しくカッコ良く先進的なデザインである事を時が経つと証明してくれている気がします、Jアーロ、やはり偉大!!

1981年、13年ぶりの新型クーペとして注目を集めたすゞピアッツア
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しかしピアッツア、出る時期が悪過ぎた…

同年81年にはトヨタから衝撃的デビューと言っても言い過ぎではない初代ソアラが登場、従来のMA40/50系セリカXXで高級パーソナル市場にデビュー以来熟成を重ねXXをより発展させたソアラ、新開発のシャシに高性能DOHCエンジン、贅を尽くした内外装に世間の注目はソアラに集中、更に前年の80年には日産もレパードでこの市場に参入しており60年代には唯一の高級パーソナル独占だったいすゞも強敵ライバル出揃う熾烈な市場となっていました。

更にピアッツアが不利だったのはトヨタや日産からしたらマイナーメーカー、従ってピアッツア専用に新シャーシや新エンジンを用意する事はなくそれらは旧117からキャリーオーバー、見た目は遠く2000年代を思わせる未来感に反し中身は60年代の遺品というアンバランスさが不評を買いデビュー当初は目を見張るデザインと評論家筋でも好評だったところ中身を見るとガックリ、評判は芳しいモノでなく人気もじり貧といった感じ、元祖パーソナルクーペはすっかりソアラ/レパードに塗り替えられた感じでした。

法規の関係からデビュー時はその美しい出で立ちをブチ壊すファンダ―ミラー仕様だったのも酷評されたピアッツァ、デザイナーのJアーロもこれには激怒したという逸話も…
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搭載エンジンも改良されているとは言え従来から存在する1.8L G180型と2L DOHC G200型、TOPグレードには117同様にこのDOHCを搭載するも当時既に2バルブのDOHCは時代遅れ感が強く設計が大古のこのDOHCはピアッツァを大きく訴求するには明らかに役不足でした、スポ車好きの元Gureも当時、”今時の新型なのに117のエンジンかぁ~”とネガティブにしか受け止められなかったのを憶えていますねー。

メインエンジンは旧117クーペからキャリーオーバーしたDOHC 2LのG200型エンジン
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また、シャーシも改良型とは言え117のものを使用した事によりサイズに対しW/Bが短く若干のアンバランス感が否めない、足回りもこの時代でも高性能モデルは4IRSが当たり前の中、旧態以前のRrはリジットの3リンク式(FrはWウイッシュボーン)、117は板バネだったので進歩と言えば進歩ながらソアラやレパードは当然のように4IRSの足を持つ中で見劣り感はハンパない…

後輪リジットリンク式のピアッツアの足回り
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上記のようにマイナスポイントも多かったピアッツアながら先進的なエクステリアに相応しいインテリアは好評、クーペながら大人二人がしっかり座れるRrシートもこの類のモデルとしては異例、この部分に関しては高級パーソナルの面目は保っていました!

新時代を思わせるサテライトS/Wを採用しシンプルながら高級感も演出したインパネ
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ソアラによって大流行したデジパネも上級XEグレードでしっかり採用!
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こんなカタチである意味鳴り物入りで登場したピアッツア、結果的にいすゞという乗用車弱小メーカーの性で1991年までの10年のモデルライフを送ります、その間には着実にアップデート、83年のドアミラー解禁に併せて本来のデザインを活かすドアミラー仕様に変貌、84年にはアスカと共用する新開発エンジンの4AC1-T型I/Cターボエンジンモデルも追加されます。

旧態G型エンジンに対しようやく出で立ちに似合う新エンジンを搭載
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また、同84年には旧西ドイツのチューナー「イルムシャー」が手を入れるイルムシャーグレードを追加、同年ヤナセ扱いでFrデザインを特徴的なセミリトラ2灯式から角目4灯とした「ネロ」も設定、88年にはロータス社との提携による「ハンドリングbyロータス」も追加されております。

ピアッツァ・ネロ イルムシャー
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ピアッツア・ハンドリングbyロータス
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いすゞのイメージリーダーらしくアップデートは決して怠らず1991年までの10年間をまっとうしたピアッツアでしたが次期モデルでは格下ジェミニと兄弟化されてしまい実質的にピアッツア単独としての存在感があるのはこの初代モデルのみでした。

初代最終モデル
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10年の永きに渡り存在した初代ピアッツアでしたが上述のネガティブ記事が要因で人気は芳しいモノではなく117から継承する一部いすゞマニアに愛されたのみで一般受けは決してせず中古期になっても同年式のメジャーなソアラ、他にスカイラインやZ、RX-7やスタリオン等に較べても人気、需要は低く前任の117が90年代から名車と崇められ徐々にプレミアム化していくのとは裏腹に取り引き実情、価格も低空飛行のまま!というのが何年も続きました。

しかしこれも大化けと言っていいモデルに変貌、やはり旧車バブルも一因でこの2~3年で再評価され始め価格は一気上昇、4~5年前なら最終型でも5~60万で推移していたモノが現在で200~300万オーバーの個体も現れており今や117に次ぐいすゞの名車扱い、もう”マヨネーズ”なんて揶揄する向きは遠い昔になったという事なんでしょうねぇ…。


往年のNICE MODEL VOL.11・いすゞJR120/130ピアッツア編…終
Posted at 2024/09/03 19:12:48 | コメント(3) | トラックバック(0) | プレミアム化モデル | クルマ
2024年08月16日 イイね!

大化けした往年のNICE MODEL VOL.10~S130型日産フェアレディZ編~

大化けした往年のNICE MODEL VOL.10~S130型日産フェアレディZ編~
少年時代~青春期~壮年期~老年期wと常に日本のクルマ達を愛して止まず公私に係わらずに凝視し続けてきた元Gureが送る”大化けした往年のNICE MODEL”VOL.10となります!

尚、この企画では詳しいスペックや改歴などは省きソフト面=当時とその後の市場反応や人気の推移を重点に振り返ってみたいと思います、長文になるんでお暇がある時にお付き合い頂くと幸いです<(_ _)>


※内容についてはあくまで元Gure個人の思い出話です、内容に正確性を欠く部分もあるかもしれない事をご了承願います。

それではVol.10~S130フェアレディZ、早速やりましょう!
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1969年、従来のオープンスポーツのフェアレディ(SP/SR311)のFMC版としてデビューした初代S30Z、当時のスポーツカーの最高峰であった欧州のそれを目標とされ開発、それらに見劣りしない高性能と反して廉価だった事により海外、主に北米で大ヒット、アメリカでは”Z(ズィ)カー”の愛称で大人気となり10年近くのモデルライフを送った世界的な稀代な名車とも言えるでしょう…

完全クローズの2シーターHBクーペとなったS130Z、流れるようなスタイリング、特徴的な抉れたライトのFrマスクも国産他に類のない個性的デザインは現代にも通じる(現に現在のRZ34型はS30のモチーフ)存在感を示し国内でも大人気となりましたね!

国内でも69~78年の9年間という長きに渡るモデルライフを経てZとしては初めてのFMCで登場した2代目S130Z、デザインモチーフは先代を継承しながら主要マーケットからの要望もありボディを大型化、随所に時代に応じた新機構も取り入れ80年代のスポーツカーとして登場しました。
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先代後半にデビューした4人乗りの2by2と元祖2シーターの2種のボディ、そして先代では末期、排ガス対策の影響もありL20型2Lエンジンのみのところに新たにセドリック/グロリアから2.8L L28型エンジンの280Zを新設定、未対策時代の名スポーツである240Zを彷彿させる存在感を示します!

最高グレードとなる280Z-T 2by2
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S130はS30の精神を可能な限り継ぎコクピットやキャビンは低い着座に潜り込むようなドラポジはスポーツ気分満点、そのムーディな出で立ちを男心をくすぐるに充分でした…
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しかしS130Z、まず大きく重くなった事、強敵ライバルの出現、そして排ガス対策過渡期のデビューという不利な条件もあり評価は先代S30Zを下回ってしまいます…

ボディの拡大で居住性はUP(特に2by2)するも車重は先代の900~1t少しというものに対し1.2tを超え更に先代の51年規制NAPS→53年規制NAPSと若干ながら技術の進歩でパワーと取り戻せるも本来の力を失ったL20(E)エンジンでは明らかに非力、トルクの太いL28モデルでようやくZらしい走りができるのが実情、当時は税制改革前で3ナンバーモデルが異様に高い税金の時代であり一部の富裕層以外280Zは縁遠いクルマで販売も極少数、日産のイメージリーダー的な存在でもありました。

Zらしい走りを味わうにはL28E 6気筒SOHC EGI 145psエンジン
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足回りがALLストラット→Rrセミトレに変更され量産型となるもバネ下重量増加も不評…
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重ねてS30Z時代は唯一無二の国産スポーツカーとして君臨するもS130とほぼ同時期にマツダからサバンナRX-7が登場、REパワーとピュアスポ―ツとしてのドライバビリティは5ナンバーモデルの比較では明らかにRX-7が上回りこれに人気を取られS130は苦戦を強いられてしまいRX-7との比較からZはスポーツカーではなくグランドツーリング的な見方が強くなります。

S130もIMSA-GTOレースに参戦し”スポーツカー”アピールは欠かしていない…
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当時のRX-7の追撃は凄まじくS130も時代を追う事に次々に新バージョンを追加、アメリカで人気の高いマンハッタンカラー(2トーン)やTバールーフモデルを設定して人気上昇に取り組みます。

国産初のTバールーフ&マンハッタンカラーで人気獲得!
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また、大人気アクションドラマ『西部警察』と日産のタイアップにより主要劇用車に280Zの特別仕様車が出演、てこれにより免許を持たない低年齢層にもZの名前を知らしめました!

西部警察、大門団長専用車としてドラマで大活躍した”スーパーZ”
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これ以外にもL20/28共ECCSによる出力UP等も行われZの魅力を維持、280Zでは出力を155psまで高めスポーツカーの名目を保ちます。

81年~後期型S130Z
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こうして大量販売できないZへのたゆまぬ情熱を掛ける日産の矜持を見た思いもしましたが81年の初のMC以降終盤を迎えて1982年、遂に”最強のS130Z”を銘打って200Zにターボモデルが追加されます!

82年~Zターボ
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暴走族が社会問題化していた当時、ターボ=高性能=暴走と捉える時の運輸省の存在が走りのイメージの強いZのターボ化を阻み1979年より国産市販初ターボ登場以降、数々のモデルでターボ攻勢を掛ける日産も運輸省の顔色見ながら一番ターボが欲しかったZながら最後発のデビューとなってしまいカーマニアは430セドグロターボ以降首を長くして待ったZターボ、実に3年遅れ、モデル末期のデビューでした。

L20ET型145psターボエンジン
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L20ETはセドグロ、ローレル、スカイラインで既に搭載されていたモノで目新しさはなく加えてS130自体がモデル末期で期待したほどの話題にもならず市場の結果は日産の期待には程遠い感じ?ターボ追加時には次期型の噂も囁かれていたので致し方ないとは思いますがもう少しデビューが早ければ違った評価だったかもしれません…。

そしてZは83年に3代目となるZ31型が登場、S130はS30の9年には及ばず5年でお役御免となりました。

腐ってもZですからS30を下回るとは言えそれなりの人気のあったS130でしたが中古期になるとその後のZ31→Z32の進化、評価が著しく90年代に入る頃の中古市場では評単なる型遅れスポーツとして評価は芳しくなく常に一線の高性能とカッコ良さを求められるZとしては人気薄、90~2000年代では底値となりこの頃には逆に先代S30Zがプレミア化、同じ中古でも既にZ31/32も出回り始めS130は忘れられたかのような存在になってしまいました。

このように現役時代を除き長い事不遇を味わったS130Z、ここ4~5年で大古になった部分と旧スポーツカーバブルの影響から急激に取引価格が上昇、2010年頃では30~50万で取引されていたものが現在では200~300万、状態が良ければ400万以上という個体も存在、中古期の長い暗黒時代を知る者としてはアッと声出る価格帯で現在並ぶ”大化けモデル”と言っていいでしょう…。

何気に元Gureも過去、この130Zは200Zの2by2に短期間愛車にした経験があり53年規制のL20Eの動力性能は”悲惨”としか言いようがなく箱根の坂道では青色吐息、とてもスタイルと性能が合っておらずすぐに手放してしまいましたが”Zに乗っている”という満足感、若かったので外部からのアツイ視線は他に数多く乗った愛車郡の中でも一番だったと思もいますねぇ。。。

元愛車の2by2 200Z-L
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このS130、確か手放した時って15万位だった筈(平成元年頃)、今あれば少なくともその10倍では売れたでしょうねぇ、過去を振り返ると2輪/4輪に係わらず多数の”大化け”を粗末に扱っており未来が見える力があれば今では億万長者!?だったかもしれません、そんな思いを感じながら今売られているS130を眺めています!


往年のNICE MODEL VOL.10・日産S130フェアレディZ編…終

Posted at 2024/08/16 14:37:26 | コメント(2) | トラックバック(0) | プレミアム化モデル | クルマ

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