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2015年05月18日 イイね!

保存版・珍車PART538

保存版・珍車PART538 久々太古車を見つけたんでUP!!

ここまでくると今のヤングな若者にはクラシックカーレベルでしょう(笑)
まぁ、そんな事言ってるとまたどこぞのクラシック・ヲタクは「こんなのは現代車!」とか吠えられそうですが(^_^;)

しかしコレは間違いなくもう博物館、または有名どころのイベントで位しか見れないでしょう、街中で走る姿なんてはもうはるかいにしえの果て…

⇒『昭和44年(1969)3代目HA30型日産プリンスグロリアスーパー6』!!(グレードは推察)


どうですかご同輩、縦グロですよ縦グロ!

こんなのがウッカリしてるとまだ流通の場に現れるんですよねー、ここまでなるとマニア対象ですしクチコミで売るのが普通ですが稀にこうして業オク出品されたりします、各オークション会場、旧車フェアみたいなイベントも時々やっますのでネ。

縦グロ、これはワタシが免許取った3?年前でもかろうじてまだ街にいたかな?ってレベルの太古車、この型は純朴な4ドアセダンのみでしたので当時のヤンキー諸氏は古くてもこれの次世代である230が人気で230の2/4HTをベタベタシャコタンにしたりロッドにしたりでHA30やセドリックの130(これもセダンのみ)は単なる古ぼけたオヤジ臭いセダン扱い、うーん、今でイメージするると10〜20セルシオとかY34セドグロとか140クラウンって感じかな…!?
当時の刑事ドラマ、アクション映画では130、MS40/50クラウンと並ぶ定番の破壊車輌でしたのでね、映像の世界で葬られた30グロリアもかなり多かった事と思います。

ただこれは中学時代のやたら怖ぇー先輩が愛車にしていてバハ履きロッドにした真っ黒な縦グロ、やたらシブくてカッコ良かったので非常印象にも残ってます。

印象に残ると言えば我々世代のヒーロー「仮面ライダー」の旧1号〜2号ではショッカーが乗る“悪の秘密組織”のクルマがこれ!
当時幼少期ですからね、街で縦グロ見ると「ショッカーのクルマだ!」と無意味にテンション上げていた頃が懐かしいっす(笑)

ご承知の通り縦グロは日産と合併前のプリンスの設計、66年に合併しましたが縦グロはその1年後発売でしたのでそれまでは『プリンス・グロリア』が正式名称でしたが30グロリアから『日産プリンスグロアリア』と呼ぶようになりました。

グロリアはプリンスの誇る高級車として1959年発売、この時代に発売されていった初代クラウン(RS10〜30)、セドリック(D50)と並ぶ我が国が誇る高級車3羽ガラスでした。

そんなグロリアもお家の様々な事情から日産に吸収、71年の4代目グロリア以降はセドリックと双子兄弟となっており2004年のセドグロ→フーガ統一まで33年間その立位置は不変でした。

高級車を二つ抱える事となった日産の苦肉の策により双子となったグロリアですがそれ以降もどことなくセドリックよりも高級、プレミアなイメージがありワタシもそうですが販売台数はセドリックに較べ少ないながらも意外にグロリアの方がイイ!というファンも多かった、特に合併前のプリンスを知る世代では同じクルマながら『GROLIA』のエンブレムがないと納得しない方々も多かったとかでその辺にプリンスマニアの日産への抵抗があったんでしょうねー…

さて、出品車ですがHA30の末期型、この型は67〜71年のモデルライフで大まかに2度のMCが施されており現車はその2度目のMC直後のモデルです。

ロイヤルルックと言われた特徴的な縦型デュアルライトの顔はグリルデザインの変更程度ですが最終型はテールを大幅に手入れ、元々アメ車(キャデラック等)のデザインを模倣している部分も多くその出で立ちはまさにアメリカンでしたがテールを最終型では日本ではそれまで類のないバンパーに下半分のテールランプを埋め込みバックを含むスモールをセンターガーニッシュ的にあしらうオシャレなデザインに変更、これはワタシも子供心に刺さりましたね〜、実に素敵なアメリカンナイズされた後姿!(^^)!

前期中期がFrのデュアルライトに合わせるような縦長の平凡な?デザインだったのに対し最終のこれはクラウンやセドリックにない高級感があり心奪われたものです、先輩が乗っていたのもコレでしたしまたロッドにするとこの後姿が非常に映えるんだよナぁ(笑)

↓かなり痛みはありなかなか完調状態にするには手も金もかかりすですがベースとしては上物だと思います!


評価はR点、内外C,Eですがこれに関してはR点とかは気にしてられないですし内装や外装は年式を考えたらかなりイイ状態、外装は強いてレストアは不要かもしれませんね、細かな点は勿論修正加修は必要でしょうが。

それよりもワイパーとクラッチが問題?いくら旧車パーツが比較的出る日産でもHA30のパーツは絶望的、最終モデルの6発は日産製L20エンジン(中期まではプリンスG7型)なのでこの部分では流用も効くのでしょうが動力系やワイパーモーターって???
ワイパー動かないとまず車検が取れませんしね、乗り出しにはまずココが難関かも!?

出品車、グレード記載ナシでしたので推測で書いてます、この型はH20エンジン(4気筒)モデルと6発(先記)が存在、4気筒は廉価/営業用のSTDで6気筒がスーパー6、スーパーDX、最終型のも最高峰GLのラインナップだったと思いますがエンブレム欠品しているので内装の意匠、装備からスーパー6と推察していますがスーデラの可能性もあり、GLは明らかに豪華さが異なります!

↓今では神扱いのベンコラ!昔は高級車は当たり前でしたよねー…C評価の内装はとても46年経過車には見えません!


“ロイヤルルック”と言われる所以は一定世代では常識?

それは天皇陛下御料車だった日産プリンスロイヤルの顔付きと瓜二つだったためでグロリアは初代〜2代目ではまだ当時では珍しかった横並びの丸型4灯ライトを特徴としていたのを一気に縦目にしたのはこのロイヤルを意識しての事、もちろん旧プリンスの作品ですが日産がプリンスを欲しがったのはトヨタを上回る名誉=御料車納入という実績を当時の日産社長が欲しかったという一説もある程です。

まっ、そのいきさつは各文献やwikiでも確認できますんで興味あるナウなヤングな若者は読んでみれば?(笑)

↓2,3回のALLペンはやっているでしょう、Rrビュー問題ナシ!このテールに痺れました〜


♪白い、クラウン〜 じゃないですがこの時代のこのクラス車はまだまだオーナーカー需要は少なく殆どが黒塗り、現車がオリジナルで白かどうかは不明ですが30グロでは黒がやはりイメージが強い、最終のGLでオーナーカーを意識してゴールドをカタログカラーにしていましたが白も滅多に見た記憶はなし、現在見てもとても白いグロリア、新鮮です。

↓ロイヤルルックはこの代限りでしたが十字グリルやボンネットマスコットは230以降も長らくグロリアの必須アイテムとして継承されました!


出品地は北、落札はもちろん100を簡単にオーバーしています(100万円台前半)、これでも縦グロ、これだけの程度のモノとしては安いでしょうね!

クラッチなど気になる点はありますが何とかここまでの内外状態の縦グロもそうは殆ど残っていませんし多分旧車ショップの落札でしょうからしっかり整備されこ倍位のプライスで並ぶのでしょうね〜…
(^^)/~~~
Posted at 2017/11/24 22:05:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2015年05月17日 イイね!

保存版・珍車PART534

保存版・珍車PART534 エボ・レクイエム第7弾ですねー…

?辺りから“珍車”コーナーに相応しくないな!と思いながらやってますが今回はレクイエム番外編のPART?で高年式ながら“珍”を用意しました(^^ゞ

⇒『平成16年(2004)6代目CS5A型ランサーセダンラリーアート』!!


ラリーアート(RA)、菱ファンとしては感慨深いいにしえの名称になりつつありますね〜…

CS型ランサー、エボに換算?すると第三世代ですがランサーとしては通産6代目に充たるモデルかつ先だって廃盤となったギャランの名を持つランサー=ギャラン・フォルティスをギャランとしたならばセダンとして非エボランサーでは最後のモデルですネ。

1973年のA73型ランサー1600GSR登場以来、数々のラリーシーンで活躍し三菱ではギャランに次ぐスポーツセダンのイメージが強かったランサー、それは現在でもかろうじてエボ?に血筋は引き継がれていますがその本流モデルはエボ以前のGSRというTOPグレードだった訳です!

93年から追加されたエボリューションに完全にそお株は奪われてきましたがそれでも2000年の5代目終了までは非エボのTOPグレードとしてエボの影に隠れるように地味にライナンップされていました。

エボ登場以降、当然人気/販売はそちらに集中、非エボのGSRに興味を抱くファンは少なく「エボほど尖らずにまた、ATで高性能のランサーが欲しい」といった変わり者?しか需要がなかった感じで街で見かけるのも稀、限定販売だったエボの方が遥かに見かけましたしね〜…

非エボGSRの時代はまだエボにGT-AなるATモデルがありませんでしたし既に時代はイージードライブ化に完全移行しておりましたのでAT設定のあったGSR、もう少し出るかと思ったんですがやはりエボの存在は偉大でした!

そんなGSRですが2000年、6代目が『ランサーセディア』となった時点でリスト落ち、ワゴンブームの最中でセディアワゴンには旧GSRの流れを含む1.8LI/Cターボエンジン搭載モデル(Tツーリング他)が2001年から設定されるもセダンには未設定、長年“スポーツセダン”のイメージ戦略もセダン→ワゴン化され寂しい思いをしたモノです…

セディアとなって全体的にマイルドな、そしてファミリーを基本としながらも実際には時代の要請でセダンは既にビジネス需要がほぼなっていた時代、この施策はセダン人気の衰退から致し方なかった事とは思います、この時期ランサーに限らず他社含め魅力溢れる各社のセダン達が退場してゆきました…

しかしランサーは死なず!って感じで2003年にセディアの名を取り以前の『ランサー』となるMC実施、翌2004年に4年半ぶりにGSRがラリーアートと名を変えて戻ってきた訳です!

ワゴン系に搭載されていたGDI 4G93型16V I/Cターボ165psを搭載、エボ(当時は?)の280psと較べても、また、先々代〜先代(エボ第一〜第二世代)のCD5A/CM5A型GSRの205psと較べても見劣りするパワーながら当時は環境エンジン(GDI)とハイパワーを融合したモノとしてセールスされていました、まっ、GDIは…なので今こんな事言われてもorzって感じですがね(-_-;)

そんなRA、三菱ファンとしては刺さるネーミングにわざわざ変更していましたがワタシのようなOLDファンは73年のA73やギャランGTOから続いた“栄光のグレード”名の復活を希望したかった、RAもいいんですがGSRのネームバリューには負ける気がするのはワタシだけ…!?!?

ただRAが出た時ってあのブーレイ顔全盛期の時期、この面構えだけは個人的にNG、世間的にもあれは評判悪くこれもRA普及の妨げになったか?と本気で思います、あまりにもあの顔は酷かった…

よせばいいのにあの頃って”フルラインブーレイ顔”に近かったですからね、例の事件も当然ですがブーレイ統一のアイディンティが完全に下手コイた気がします、コレ以来三菱は沈んだままって感じがしますね、クルマや全体のデザインは良かったのにあの顔が…と思える車種、かなりありましたし(+_+)

結局ブーレイはあまりの評判の悪さで数年にて廃止、ランサーも2005年にこれをやめ所謂ウルトラマン顔に再度MC、個人的には初期のセディア時代の角ばったFr/Rrhが一番好みでしたがとりあえずブーレイでなくなりメデタシ×2って感じでした(笑)

と前置きがまた長くなってしまいましたが出品車を見てみましょう(汗)

平成16年(2004)ですからRAデビュー時のもの、RAのみ最後までブーレイ(他グレードが2005/1、RAは2005/12までブーレイ)2007/6には次期フォルティスデビューによりCS系は車種整理がなされRAは廃盤となりますのでRAに関してはブーレイ期の方が長く見るとすれば、またイメージもRAはブーレイって気がします…。

↓事故落ちですがRA点となっており内外も年式からしたら当たり前のB、C評価距離も7万km台ですので程度は良さそうです!


RAは内外共に素グレードと較べると大人しいCS系の中ではなかなかスポーティな味付け、しかしあくまで上にエボがいるため過激さはなく控えめでジェントルな佇まいでこれがイイ!というファン、特に年配者のランサー好きはこちらを支持する方々も少数ながらおりました。

↓スポーテイな雰囲気は充分ながらハンドルやシートがエボに較べるとかなりマイルド!


この時期のエボⅦとインパネ&室内の味付けは共通、エボⅦ自体が歴代エボの中でも大人しい雰囲気でしたのでね、第一、第2世代と較べると大人な感じのインテリアという印象を個人的には持っています。

↓うちのランカゴも同じデザインのインパネ、スポーツマインドは少ないですが使い勝手がよく視認性もなかなかいいインパネです!


このGDIの4G93ターボ、非GDI時代やエボ/ギャランの4G63に較べると過激さは皆無、低速から効くターボチャージヤーは街乗りでは非常に扱い易いモノでしたし何より良かったのは他グレードのATがCVTだったのに対しトルコンだった事かな?
どうしても加速モッサリのCVTではターボといえどもまどろっこしさ、モヤモヤが残るCVTを使わなかったのはまぁ、ターボパワーを受け止めるCVT用意できなかったという側面もあるように感じます(あきまで個人の推測)が正解!せっかくのターボパワー、イージードライブでもやはり少しでも楽しい方がいいですし…

↓エボの主張とは裏腹にさりげなく遠慮がちなRrスポがRAの立場を表していますネ!


↓C評価の外装、艶も充分で大傷大凹もなく画像の限り程度は良さそうです!

出品地は東、落札額は二桁に近い一桁…これ、人気無かったんでねー、エボのような訳にはいきませんね(-_-;)


さて7回に渡りお届けしてきたエボ・レクエムですが今回にて終了とさせて頂きます。

エボⅦ〜Ⅹに関してはまだまだ普通に見れるし市場でもかなりの流通量ですのでね、これといって取り上げるにはあまりにも多すぎますし何よりこのコーナー=『珍車』を取り上げるコーナーですから趣旨に外れますのでこの辺にて終了、次回からは本筋に戻り通常の?“珍車”をまた取り上げていきたいと思ってまぁす(^o^)/
Posted at 2017/11/24 21:42:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三菱 | クルマ
2015年05月17日 イイね!

保存版・珍車PART533

保存版・珍車PART533
まだやるエボ・レクイエム企画(^^ゞ
この辺になってくるとタイトルに偽りあり?別に珍車ではなくなってきていますがまっ、そんな細かな事は気にしない!って〜んで第6弾はこのモデルになりますねー

⇒『平成10年(1998)CP9A型ランサーGSRエボリューションⅤ』!!


エボ?、これも?〜?(第三/第四世代)への代替で一時は中古市場に溢れましたがここ最近はなかなか姿を見せなくなってきています、現役時はこれも高い人気で結構無茶なのもいましたからね、比較的大人しめのイメージだった?や?に程度のいいのが残ってますが?や?はかなり弄られたり大事故やってたりと極上と言えるのは少ない感じ…

出品車も8万km台と?としては少走行、デビューはもうこれでも16年前ですから10万km以内のモノはなかなかないです。

現車もお約束?の通りR点、しかも結構な勢いでやらかしている様子で出品票の限り、記載はないですがRB評価って気がします。

↓内外C、R点なのでさほど上物ではなさそうながら年式としては距離浅な点が魅力!


さて、エボⅤ…

ご存知エボ初の3ナンバーボディとなった訳ですがワタシがエボⅣ1号機を乗ってる時にデビュー、迫力のワイドとレッド&オーバーフェンダー、ブレンボのブレーキが非常に眩しく憧れたモノです…。

当時、Ⅳを下取りに出して買おうとも考えましたが大枚300万払った?をそう簡単に売る度胸もなく諦めましたが欲しかったですねー。

エアロパーツの形状も?よりも戦闘的、ただ、顔付きはベースのランサーの後期型へのMCに合わせFrのグリルが大型化、ライトも拡大されテールも高級意匠、この辺は?のデザインの方が個人的にはソソるものがありました!

WRCにてWRカーに対向するためのトレッド拡大でしたので特に街乗り用GSRは見た目ポイントの比重が高かったですが押し出しはかなりのモノ、しかしワイドボディ化にしただけで一気に値段も上がりブレンボは頼もしかったですがVR-4時代〜エボⅣまで300万でお釣り来てたモノがⅤになり遂に300万オーバー(GSRのみ=324万円 RS=259.8万円)になりましたからね、Ⅳから代替するにも追い金、用意できなかったっす(-_-)

Ⅴは当然エボⅣの弱点を改良、信頼ある鋳造ピストンに戻したりⅣでは異音続出だったAYCも改良、ワイトレによるタイヤサイズ拡大、そして前述のブレンボでようやく“止まるエボ”を実現、WRCでもGrAでも大活躍し世界最速ラリーカーの称号を手にいれましたねー。

Ⅴの次世代=Ⅵでも好評の基本スタイルを継承、しかしエクステリアのリファインはあまり評判が良くなく未だに?の方が人気も高い、Ⅵ、6.5(トミマキ)がイケイケになり過ぎた?ってのもあったと思います。

↓インパネはⅣと同意匠、純正レカロはホールド性をやや落とし乗降性の良いものに変更されました!


まぁ、Ⅳ→Ⅴ→Ⅵ/6.5の第2世代、スタイリング的には4世代のエボの中で一番エキサイティングだったかな??以降のセディア型(第三世代)が一気に落ち着いた感じになりましたからエボの印象は個人的には第2世代が一番強いです、これはもちろん世代によって変わると思いますが。

↓RrスポはⅣより好みでしたが高級化したテールランプは個人的換装ではエボには似合わない印象でした!


そうそう、Ⅲのイメージカラーで好評を博したダンディライオンイエロー、Ⅳでは未設定ながらⅤで復活!! どぎつい黄色は刺激強すぎたのか無難な白やシルバーが?でも多かった気がしますがイメーシとしてはこのイエローの存在感は凄かったと思いません?以前にも書いた通り黄色いクルマ=キ○ガイ病院のクルマ ってイメージでしたがエボⅢ、Ⅴ、そしてやはりこれの設定があったⅦ~、これらは黄色がイイですわw

↓C評価の外観、小傷は多そうですが艶もあり手を入れる必要はなさそうですね!


出品地はこれも東、落札価格は40を少し超えた程度…最近のエボの相場を見ると一時かなり開きがあった?と?、そして?の価格、最近はそう変わらないものになってきている印象…

まぁ、第2世代最終の6.5ですら発売は99年ともう16年前で税制的には立派な“旧車”とみなされますんでね、ここまでなってくると特にこの手のクルマはコンディション優先ですから?も?も横一線に今後はますますなるのではないかと思います!

それは同時にⅣもⅤも程度のいいのが減ってきている証拠、今流通しているのは比較的程度のいいものが残っている現状で今後は全てのエボがコレクターアイテム化すると思いますんでエボファンで捕獲を考えている方、しつけーですが今ならまだ比較的手の届く金額保護できる最後だと思いますんでね、欲しい方はワタシに続いてどうぞお早めにぃ〜(*^^)v
Posted at 2017/11/24 21:37:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三菱 | クルマ
2015年05月17日 イイね!

保存版・OEMモデル“ザ・ベストテン”

保存版・OEMモデル“ザ・ベストテン”
あいやー、ネタ枯れに付き休眠していたこの企画、新しいネタが浮かびましたんで久々やってみたいと思います(^_^)v

題して『OEMモデル“ザ・ベストテン” 』!!

こんな企画やると西の方に存在する某OEM撲滅党の書記長からクレーム来そうですが構わずやってみたいと思います(笑)


さて、昨今流行りのOEM、これは自動車に限らず家電やPC、スマホまで近頃は当たり前に?なってきていますよねー。
クルマの場合もメーカーにとっては不採算車種を整理しながら開発費をかけずに新モデルや代替車種を用意できる打ち出の小槌の如く大盛況、まぁ、人口が年々減少する日本で〜90年代までのようにラインナップを用意すればする程売れる時代ではないしメーカーさんがこれにハマるのも解るんですがね、ファンとしては各社の特徴がどんどん薄れバッジ付け替えだけの偽車が増えるのを苦々しくしか見れないと思います。

そんなOEMモデル、大した存在価値はないように一般には思えますがメーカーや販社の内部の事情やら昔とは違い今や軽自動車の売り上げを無視できなくなった大メーカーでの事情等、皆さんがお考えになっている以上にこれの需要は高かったりします。

昔と違い今や実質的に独り立ちできているメーカーは3社、いや、2社?他は“寄らば大樹”の如く大メーカーの傘下にいないとやっていけない時代、そんな事からOEMが持て囃される(あくまでも造り手側の目線で…)理由であります、確かに各メーカーが同じカテゴリーにそれぞれが車種を用意するのは資源の無駄遣い?でもあり合理的ではありますがね、OEMモデルというもの、クルマ好きにとっては随分ナめられた提案に思うのですが昔のようにクルマにそう五月蝿い事を求めず経済的で壊れずにきちんと足代わりになってくれればいい、とういユーザーの方が多くバッジなんてどこでもいいという市場の姿勢も多分にあり安易なOEM乱発にも繋がっていると思います、あくまで個人的見解であるのは云うまでもないですがね、一応業界人の端くれにいますしあながち間違いではないと思います…

さっ、前置きはこの位にしてOEMモデル“ザ・ベストテン”、やってみたいと思います!

OEM、何も今始まった事ではなくかなり大昔からある手法、但し現在のOEMの存在理由とは異なりやむにやまれずこの施策を取っていたと言っていいでしょう、少なくとも昔のそれにコストダウン等の理由は現在のような1番の理由ではありませんでした。

またOEMには現在は主流となる相互OEMと一方通行のOEMが存在、前者は互いにあるカテゴリーの車種を造り分けてそれをお互いがお互いに融通するモノ、後者は主に自主開発能力(資金的な部分がほぼ)が回らないカテゴリーに親、若しくは提携先が一方的に供給するモノで前者は比較的近年、後者は昔からあるやり方、今回のベストテンではそれら全てまとめたランキングとしております。

例によって国産車のみのランク、軽も含んでおります。
単にワタシの好みで順位付けになっていますのでご了承願います。

さぁ、今週の!?第10位!!

【いすゞジェミニ MJ1〜6型(1990〜2000)】

↑4代目MJ1型いすゞジェミニ(元ネタ:ホンダドマーニ)

かつては自前で乗用車生産を行っていたいすゞですが本業はトラックメーカー、それでもトラックやバスの利益は絶大でしたのでその貯蓄でマニアックで専門的で販社も他メーカー程多くなく少数しか出ないながらも細々90年代までは乗用車をラインナップしてきました、しかしバブル崩壊後の深刻な経営不振からその余力も序々に減少、かつては名車117クーペ→ピァッツァ、アスカ、ジェミニと大衆クラス、小型クラス、パーソナルクーペを独立車種で用意していましたがまず不採算のアスカを当時提携していたスバルからレガシィセダンをビッグホーンと相互OEM、これが2代目アスカですが3代目はスバル→ホンダに提携先が代わった事もあり3代目アスカはホンダよりよりアコードの供給となりました。

一方、ジェミニはそんな中いすゞ乗用の基幹車種で最後まで自前生産をしていましたがオリジナル最終(JT151型他)が提携先のGMの意向を嫌々ながら多く取り入れた結果大コケし社員ですら敬遠する不人気車となり僅か3年で廃盤、いよいよ乗用生産/開発する余力がなくなりこれもホンダより供給を受ける事となりそれがMJ1〜6型4/5代目ジェミニとなります。

このランクiINはワタシ、と言うか神奈川県人のみのものかもしれません、何せ神奈川には川崎と
藤沢に当時は二つもいすゞの工場があり本社は都内ながら実質的な本拠地でしたんでね、関連企業、下請けも多く神奈川の場合は元ネタのホンダドマーニよりも現役時代は多く(と言ってもそれほど多くはいませんでしたが…)見かけたものでした。

当然、狭山や鈴鹿ではこんなバカな事ある筈もなく全国的にもホンダディーラーの方がいすゞよりも数倍も多かったですからね、ドマーニそのものもシビックの影に隠れ決して多く出たクルマではないにせよ数はジェミニより絶対多かった筈ですが当地では前述の理由でこの型は“ジェミニ”というイメージが強い…

当時のいすゞの置かれた状況、そしてRVブーム最中でまだRVモデルを用意できなかったホンダとの思惑が一致、現在とは違う止むに止まれぬ事情も理解でき個人的にはこの相互OEMは好意的に見ていましたし最終オリジナルジェミニ、酷評でしたからいすゞには友人がいたり取引ディーラーもあり中のヒト、皆喜んでいましたっけ(笑)

尚、アスカ、ジェミニの見返り?のいすゞ側のモデルはビッグホーンとミューというホンダが持っていなかったSUVモデルでした。

続いて第9位!!

【いすゞジェミネット? AP8/9型(1988〜1993)】

(元ネタ:スバルレオーネバン)

いすゞが連続、これも神奈川県だけのイメージで9位ランクINですネ(^^ゞ

元ネタは富士重工のスバルレオーネバン、レオーネにはセダン、ワゴン、クーペにライトバンがラインナップしていましたがバンのみの供給でした。

いすゞは太古の昔からライトバンをラインナップ、ベレットエキスプレス→フローリアンバンを持ち少数の一般販売、そして社内/関連会社の社用として必要性はありましたが1983年、フローリアンが同アスカにFMCした際に多くの需要を見込めない商用モデルは廃盤、そこで当時提携していたスズキからカルタスバンをOEM供給を受けジェミニのライトバン的立ち位置にした『ジェミネット』としてラインナップしました。

しかしカルタスは当時流行った所謂“節税バン”、これは元々HBモデルのRrシートを4ナンバー規定に改良し荷崩れ防止バーを1本Rrサイドウィンドウに通せばバンモデルになる事から消費税導入前の物品税健在の頃にこれがかからない節税乗用として一時各社がリッターカークラスでは多くラインナップカルタスバンもこのタイプであるため積載能力は低く旧フローリアンバンが本格ライトバン400kgの積載だったのに対し300kg、しかも元々乗用3HBボディのため荷台スペースも狭く内部の社用は勿論、ライトバンとしては役不足であったため僅か2年でこれをもう一つの提携先であった富士重からレーオーネバン供給に切り替え『ジェミネット?』がデビューした訳です。

これは積載能力も本格バンとして問題なく当時神奈川ではよく見かけいすゞディーラーでは必ずサービスカーで配置、レオーネバンよりも遥かに見れたのはドマーニジェミニ同様ですね(笑)

そんな事からワタシ的には今でもこの型を見ると即座に『ジェミネット?』の名前が浮かび堂々9位とさせて頂きました、スバヲタさんには申し訳ないですが(^_^;)


さぁ、8位行ってみましょー!

【初代日産クリッパーバン/トラック 、日産NV100クリッパーバン/トラックU71/72型(2003〜2013)】

(元ネタ:三菱ミニキャブ)

ご存知我が三菱がミニキャブを供給したクリッパー、如何ですか?皆様の街角ではミニキャブとクリッパー、どちらが多いですか?

そりゃ勿論ミニキャブでしょ!と言い切りたいのですが残念ながらワタシの生息する関東圏ではクリッパーの方が多く見かける感じです…

さすが日産の販売力!同様にOEMであるマツダボンゴ-日産バネットにしても元ネタより偽が多いのは日産販社の数の多さと販売力以外にはないでしょう、これ(クリッパー)に関しては三菱ファンとしてはただただ日産にお礼の気持ち、何せ傾いた三菱の生産力、売り上げをクリッパーと同時にOEMされたek-オッティと共に維持でき貢献してくれた立役者ですからねー、実際は造っても造っても利益の乏しい軽自動車ですから多大な貢献ではなかったとは思いますがそれでも三菱単独でミニキャブやekを販売するよりは遥かに力ありますからね。

日産にしてもトヨタに先んずる軽自動車のラインナップにより「日産は軽もやってる!」という印象が
一般人に高まりイメージupになりましたのでこれもお互いに+になるOEMだったと思います。

三菱ファンとして悔しい、悲しいかな前社長が成した現在でも三菱自が存続する一つの成功例だったとも思いますしね、肯定したくなくともこれは肯定せざるをえない、クリッパーを見るとそんな複雑な心境になり印象も強く8位と致しました。


盛り上がってまいりました(汗)第7位!!

【初代、2代目スバルビッグホーンUBS系(1988〜1993)/ホンダホライゾンUBS(1993〜1999)、ホンダジャズ UCS系(1993〜1996)】

↑初代スバルビッグホーン(元ネタ:初代いすゞビッグホーン)

7位は10、9位で少し触れたアスカやジェミニの相互OEMのもう片方の主役です!

スバルもホンダも当時のRVブームに乗り遅れSUV車型を持っておらずトヨタのランクル、三菱のパジェロ、そしいすゞのビッグホーンにミュー、そして小さくはなりますがスズキやダイハツ等の軽メーカーですらエスクードやロッキー、ラガーでブームに乗るこれらモデルの好調なる売り上げ(挙げた全てではないですが…)を横目に見ながらセダンやバンを供給する代わりに白羽の矢を立てたのが自社ラインナップにないSUVモデルでした。

スバルは88年、OEM契約でそのまいすゞの名称の「ビッグホーン」で販売、この時代はOEMと言えどもグリルを変えたり一部をリデザインしたりしながら最後の?各社のプライドを見せていましたがスバルはそれすらもしない、今風のバッジ変更だけというヤル気のなさでセールスも殆どなされず未だかつてスバルがビックホーンを売っていた事など知らね〜!って感じのヒトも多いようです。

スバルビッグホーンは本家よりグレードや車種編成も大幅に少なくこれはレオーネ-ジエミネット?に準じていますね、それでも本家のFMCに合わせて2代目も販売しますが直後にOEM契約終了で2代目は僅か1年の存在、初代と合わせてこれほど知名度、ヤル気もないOEM車はなかなかなく果たして必要だったのか?スバルに何がいい事あったのか?と今でも疑問な部分で印象が強くこの順位としました(笑)

↓ホンダホライゾン(元ネタ:2代目いすゞビッグホーン)


富士重→ホンダに提携先が変更になった事によりホンダへもビッグホーンが供給されました、但しホンダはスバルよりヤル気を感じさせ名称も『ホランゾン』と変更、Hマークの輝くFrグリルもビッグホーンとは別あつらい!と言う手間のかけようでした(笑)

↓ホンダジャズ(元ネタ:いすゞミュー)


ホンダはアスカ用にアコード、ジェミニ用のドマーニを供給していましたのでいすゞ側はビッグホーン、ミューを差し出す恰好ですね!

こちらもHマークグリルはホライゾン程オリジナリティは感じられませんがスバルよりはヤル気を感じさせるモノでした。

これは埼玉や三重の方に聞きたいですが果たしてこの地方ではいすゞのように本家より見れたのか!?埼玉は同じ関東でチョコチョコ行く事もありましたがまず見た事ないです、スバルビッグホーンにしても群馬にはあったのか?過去群馬で1度目撃、最近長野で目撃以外はないですわwww

ビッグホーン、ミュー共に基本ディーゼルモデルが主役このためDeエンジン車のスキルのないスバル、ホンダともに販売先ディーラーでは修理できずいすゞに持ち込みというケースが多かったのは当然でサービス面での不安がユーザーには残り販売は低迷した感じです、そりゃそうでしょう、レオーネやアコード、ドマーニはいすゞで直せてもこればかりはエンジン部のトラブルは…

どんどん行きます、第6位!!

【マツダブランドのスズキ製軽自動車(型式、年代はモデルが多岐に渡るため割愛、モデルは本分に記載)】

↑3代目スクラムワゴン(元ネタ:スズキエブリィワゴン)

元々軽自動車でスタートしたマツダ(当時東洋工業)、独創的なR360クーペや初代キャロルでそこそこの評価を得ましたが先発のスバル、ほぼ同時期の三菱、後発のホンダやダイハツの攻勢に適わず75年のキャロル→シャンテにて商用(ポーター系)以外の軽市場から撤退、暫くは普通車メーカーとして生きますが好景気時代の89年、シャシ、エンジンはスズキからの借り物(アルト)ながら自前のボディを載せた2代目キャロルで返り咲きました。
しかし景気低迷を理由にそれも適わなくなり4代目キャロルからはアルトの完全バッジ違いというモノになっています。

↓現行キャロル(元ネタ:スズキアルト)


この他提携先のスズキからはワゴンR-AZワゴン→フレア、キャリィ/エブリィ-スクラム、ジムニー-AZオフロード、ラパン-スピアーノ、ハスラー-フレアクロスオーバー、スペーシア-フレアワゴンとほぼ軽の全モデル供給を受けているのはご承知の事と思います。

↓初代AZワゴン(元ネタ:スズキワゴンR)


現在ではスバル、トヨタ、日産が軽モデルは他社を全てOEMという現状で珍しくもないですがマツダはかなり昔、90年代からこれをやっているせいか一定の売り上げを維持、勿論本家の台数には適わないながらも特に軽自動車が重宝がられる地方では比較的マツダマークの上記モデルも見かけますネ!

関東圏ではスズキの販売力も強大ですが西、特に山陰山陽地方ではマツダの販売力も大きいので東に強い本家、西の地盤もマツダで成功のOEMだと思います。

マツダ軽をこの順位としたのは1メーカーの殆どをラインナップそのまま持ってくる!というこれほど壮大な?OEMも他に例はなくスズキの太っ腹とマツダの臆面のない偉大なやり方に敬意を表してみました(笑)
まっ、最近の三菱の普通車、スバルの軽もマツダの軽と変わりなくなってますから憎まれ口はこの辺で(*_*;


☆☆☆〜今週のスポットライト!!〜☆☆☆

今一歩、惜しくもベストテンに入らなかったモデルはこちら…

【3代目日産アトラス2〜3t AKR、他型(1995〜2012)、現行NT450アトラス FE他型(2013〜現行)/3代目日産ディーゼル及びUDコンドル2〜3t BKR他型(1995〜2013)】

↑3代目コンドルBKR型(元ネタ:いすゞエルフ)

90年代の半ば、折からの経営悪化により日産はまず商用車部門を大リストラ、それまで当然自前で開発してきていた小型1BOXバン及び750kg〜1t積のバネットをコストダウン=開発費削減によりマツダからOEM供給を受ける事としました。
日野、三菱、いすゞの事実上3大ディーゼルメーカーでシェアを分け台数が従来もそれほど出ていない2〜3.5tトラック部門もリストラ、こちらはいすゞと提携しエルフの供給を受ける事になりました。

1t〜1,.5tクラスのアトラスは従来通りの内製でしたが2t以上はいすゞとなりそれまで日産のトラックというのは耐久力、エンジンにしてもあまり評判の芳しいモノではなかったですがこのOEMにより皮肉にも2t車では評価の高かったエルフとなった事で一気にトラック販売も加速、日産のセールスも顧客も諸手を挙げて喜んだという成功OEMの代表的事例がエルフアトラスでした。

日産側はアトラスの代償に1BOXのキャラバンをいすゞファーゴ→コモとして、エルグランドE50をフィリー として供給、いすゞも不採算な小型部門の完全撤退ながら売れ線の多人数乗車モデルの穴埋めができた相互OEMでした。

アトラスは資本関係にある当時の日産ディーゼルにも以前から『コンドル2』のネーミングで兄弟展開をしていましたが本家アトラスのエルフ化によりコンドルもエルフOEMとなっています。

95年にアトラス/コンドルのエルフOEM化が始まり2012年一杯まで、実に20年近くによるこのラインナップでしたがいすゞのトヨタ傘下入りや日産と三菱、日産ディーゼル→UDトラックスと三菱ふそうの関係強化により2013年からはエルフ→キャンターに元ネタが変更され現在に至ります。(コンドルは廃盤)

↓日産NT450アトラス(元ネタ:三菱ふそうキャンター)


エルフとキャンター、昔から2t車市場を2分してきた言わば普通車で言えばクラウンとセドリックのようなモノ、これ以外には滅多にいないといって良いほどこの2車の占有率が高かったのはトラックに関わる方ならご承知の事と思います、OEMという方策によりアトラス/コンドルは最大のライバル2車をベースにするという数奇な運命を辿る訳でこれはいくらOEM流行りの現在でも1社で他社の激烈なライバル関係車を導入というのはないケースでしてその珍しさから圏外ながらも11位という高順位と致しました!


さぁ、ベストテンに戻ります!今週の第5位!!

【スズキキャラ PG6SS型(1993〜1995)】

(元ネタ:マツダオートザムAZ-1)

89年の2代目キャロルの登場の時にマツダと関係強化がなされたスズキ、前述の通りスズキの軽丸投げで驚かせてくれましたが対するマツダがスズキに供給したのがあの伝説の名車?であるAZ-1を『キャラ』として発売しました。

AZ-1はエンジンこそアルトワークスのF6A型を搭載しましたが開発はマツダ、軽初のガルウィング、完全2シーターのミッドシップ等バブル期ならではの冗談っぽいモデルでしたが造りは意外に真剣なモノ、コスモやRX-7でスポ−ツカー設計には精通したマツダらしい作品でおもちゃっぽい見かけとは裏腹に硬派なモデルでした。

そんなAZ-1をエンジン供給元のスズキに供給、当時スズキは同じF6Aを搭載するFRオープンであるカプチーノを持っておりクローズドミッドシップとFRオープンを揃えこの類で一番人気であったホンダビートに対向、しかしビート程の評判は取れずに終わりましたが軽自動車にもこんな時代があったんだよねーと言う意味で5位という高順位としました。

尚、AZ-1とキャラの違いはフォグランプのあり(キャラ)なし(AZ-1)程度で後はバッジチェンジのみ、当時はバブルも終わりかけの頃でAZ-1、キャラ共狭く荷物スペースも殆どない事から在任期間は非常に短く3年程度でしたが現在、その稀有な存在感と本格的スポーツ度が見直されプレミア価格になっているのはご承知の通り、当時は「黄色ナンバーでガルウィングなんて恥ずかしくてコンビにも行けない!」なんて笑い話もありましたが嘘のような存在価値に化けましたわ〜。。。


いよいよ上位に行きます、第4位!!

【日産キックスKIX H59型(2008〜2012)及び初代〜2代目同オッティH91型(2005〜2013)】

↑2代目オッティ(元ネタ:2代目三菱ekワゴン)

ミニキャブ→クリッパーで関係強化が進んだ日産と三菱の軽OEM第2弾がekワゴン→オッティ、第3弾がパジェロミニ→キックスですねー…

正直菱ヲタとしてはミニキャブやekはともかく三菱の良心でもあり三菱の傑作でもあるパジェロミニのOEM供給は信じ難く憤慨でしたね(-"-)

ジープから始まり長年オフロード4駆では第一人者でしたしパリダカなど過去の過酷なラリー体験から生まれたパジェロミニ、それは正に三菱だからできた軽SUVであり三菱のプライドであって欲しかったのですがいくら経営難とはいえこれまで日産に差し出す、その代償はADバン→ランサーカーゴ、あまりにも間尺の合わない交換劇だったと思います、日産に部があり過ぎ!!

さすがにミニキャブと違いオッティにせよキックスにせよ知名度的にも本家を上回る事はなく街で見かけるのも本家のekやパジェロミニの方が多いのが菱ファンとしては救い、しかし日産バッジもそれなりに多いですからクリッパー同様に日産の販売力には驚きます、日産はスズキからもMRワゴン→モコ等も供給受けてますしスズキ、三菱の売り上げに多大な貢献をしている事は反論しようがないですね。

↓キックス(元ネタ:2代目三菱パジェロミニ)


パジェロミニ廃盤と同時にキックスも廃盤、ekもFMCに合わせてオッティはデイズと名を変えて存続し現在に至りますがオッティは完全に三菱からの供給だったところデイズは現在ポシャリましたが日産と三菱で合弁会社まで造り共同開発した!が建前で日産側の一つの売りにもなっています、実際には三菱開発ですが販売はデイズが勝っている、軒先貸して?を地でやられた三菱のマヌケさに呆れますがゴーンさんはしたたかですね、慈善事業じゃあるまいし三菱とOEM契約し一番三菱が苦しい時代に助けたのもこれ(つまりは軽自動車のいろはを持っていくため)が目的だった?と勘ぐってしまいます、あくまで巷の噂とワタシ個人の憶測ですが…。

以上パジェロミニの件といいデイズの件といい何か釈然としないこのOEM劇、別の意味で印象的なので4位としました。


ベスト3に入ります!今週の第3位!!

【初代トヨタブリザード D10系(1980〜1984)】

(元ネタ:ダイハツタフト)

1967年の業務提携という名のトヨタの子会社入りしたダイハツはその直後から当時OEMという言葉はありませんでしがトヨタ車をダイハツブランドでも展開、今のOEM真っ盛りを見越した先見の明があった?いやいや、そうではなくそこには被吸収側(ダイハツ)の哀しい事情が見え隠れする涙なくしては語れない歴史なのですwww

親=トヨタ 子=ダイハツの位置付けでしたのでね、ほぼ同じ時期に日野自動車も傘下に収めたトヨタは基本、乗用〜小型トラックを自社、中型〜大型トラックを日野、軽自動車をダイハツと分業化によりながらもフルラインメーカーとなりました(この区分けは一部例外もあり)

軽専業とされたダイハツ、しかし提携前は普通車もトラックもラインナップしておりこれらの代替ユーザーのためにそれぞれグループ内から融通して今で言うOEMモデルをラインナップ(コンソルテやデルタ)していました。
このように親の押し付け?を販売する事が当たり前になりつつあったダイハツですがトヨタのモデルに抵触しない小型4駆の開発生産が親から許され登場したのがダイハツ『タフト』、そしてこれを今度は反対にダイハツ→トヨタに初めて供給したのがタフト→初代『ブリザード』でした。

当時はオフロード4駆=クロカンはまだまだ特殊モデル、三菱ジープ、日産パトロール、トヨタランドクルーザーという大型のモノかこれより小さいのは軽のスズキジムニーだけという時代にこれらの中間的サイズのタフト、久々の自社開発とい点もありは大いに注目されましたが販売的にはまだRVブームには届いておらず芳しいモノではなかった…

ブリザードも同様にセールスはパッとしないながらもさすがトヨタの販売力、顔付きも伝統あるランクルの意匠にしたりしてタフトにはない魅力も添付されまずは見かけなかったタフトに対してそれなりの台数は出しておりこの結果が余計にダイハツの悲壮感を際立たせるものでもありましたね〜。

タフトはFMCでラガー、ロッキーと名を変えましたがブリザードはそれの供給ながら長らくネーミングを維持し2代目もこれを通し知名度的にもこれもダイハツからしてみては軒先貸して?って感じだったでしょう。

ブリザードを思うと必ず影にダイハツの悲壮をシャルマンと共に思い出してしまう世代、そんな事からブリザード、堂々3位としました!


とうとう来ました!第2位!!

【3代目〜現行日産バネット SS,SE,SK型(1994〜)】

↑バネットバン(元ネタ:マツダボンゴバン)

これです、これこそ最強の“軒先”ケースのOEMではないかと思います(*_*;

多分、これは一部山陰地区を除いては全国的に本家よりOEM供給モデルの方が多く見かけるのではないでしょうか=『バネット』

94年、日産の商用リストラの一環でマツダよりADバンと相互OEMでボンゴ/ボンゴブローニー(ロング)のトラックとバンが供給されたのが始まりで現在まで続く施策、マツダがトヨタとの関係を強める中、どうかなぁ?と行き先を見ていますが未だしぶとくADバン→ファミリアバンと共に生き続けています、日産は2009年に久々の自主開発商用版としてミニバンタイプのNV200バネットを発売しましたが積載能力はこの旧態依然の1BOXバネットボンゴに分があり需要もある事から続行していますね!

一時は三菱デリカとしてもボンゴは供給されておりそれを合わせるとこの型の普及の仕方は相当なモノ、特にライバルのトヨタがタウンエース/ライトトエースバンを早くからミニバンタイプに変更しておりこの点でも安全性や乗り心地は劣るもスペース優先の商用バンでは1BOXが好まれた事もありボンゴ・バネット・デリカ連合軍の生息はかなりのものがあります。

中でもバネットは69年のサニー/チェリーキャブから始まる非常に歴史あるもの、これのFMCの際にバネットと名を変え78年〜94年は1度のFMCを経ながら内製でしたしこの時に知名度を植え付けたのもありボンゴになってからもその販売力を活かし本家を上回る台数を出す“オバケOEM”となった訳ですね。

商用モデル、ハッキリ言ってきちんと働けばバッシなんかはこだわらないといユーザーも多い、その寛容さは乗用車の比ではないですしね、強大で強固な日産販社に支えられ本家マツダで買うより安心感も高い!というお客さんも数多く出会ってますし。

クルマ知らなければ見かけるバッジの多さでこれがオリジナルのバネットでも通るんじゃないかな?それ位市民生活に密着したボンゴバネット、これも偉大です、ハイ、なので2位という位置にもって来ました(^_^)v


さっ、そしてオオトリ!今週のTOPを飾るのは…

【ダイハツコンソルテ EP30/40型 (1969〜1977)】

↑コンソルテベルリーナ(元ネタ:トヨタパブリカ)

ワタシの知る限りでのメジャーなOEM(当時その言葉はなし)では最古参ではないでしょうかね、ブリザードの項でも触れましたようにコンソルテはトヨタ傘下入り前に生産販売していたコンパーノベルリーナユーザーの代替車種とて提携後の69年、コンパーノのFMCという形で2代目パブリカをトヨタから供給を受けて発売、このため初期型にはコンパンーノ時代の『ベルリーナ』という名称も残されていました。

ただ、完全にパブリカと双子ながらもエンジンは旧コンパーノから引き継ぐダイハツ製1000ccFE型を搭載、パブリカのK型エンジンとは一線を画すFE型搭載は旧ダイハツファンの溜飲を下げるものだったのではないかと思います。
しかし後に追加された1200モデルはまんまパブリカの3K型を搭載、ダイハツに拘るユーザーはあえて1000ccモデルを選ぶ!と言ったケースも多かったそうです。

元々コンパーノは初代パブリカの強力なライバルでしたのでね、これも昨日の敵は今日の友の如く皮肉な運命(ダイハツ側目線)を感じられずにはおられません…

本家のMCなどにコンソルテも準じますが72年、本家パブリカにクーペモデルとなるパブリカスターレットを追加した事により73年、ダイハツも『コンソルテクーペ』としてスターレットが供給開始されます、こちらも1Lはダイハツ製、1.2Lはトヨタ製エンジンを搭載してまいました。

本家スターレットはJアローデザインの小さいながらも非常にオシャレでスタイリッシュなファストバッククーペでしたがコンソルテクーペは単なるバッジチェンジ以上に各部の意匠が変更されそれが逆にスターレットの美しさを壊す形になり後年の中古市場でもスターレットは人気ながらコンソルテは没人気、そこでワタシの若い頃なんかは安いコンソルテを買いスターレットの外装のする猛者もおりましたっけ(笑)
そのイメージからコンソルテ=スターレットを買えない貧乏人 というイメージが当時強固でしたし「オマエのダボハツのコンソルテだろ?」なんてよくバカにしていた青春時代を思い出しますw

↓コンソルテクーペ(元ネタ:トヨタパブリカスターレット/スターレットクーペ)


この事から当然?パブリカ/スターレットとコンソルテの比率は9.5対0.5位の割合だったかな?大阪池田地区に限っては例外でしょうが(笑)

尚、クーペ追加後にはスターレットに4ドアセダンが追加、コンソルテ4ドアとしこれも供給されたので最終的には2ドア(パブリカ)クーペ、4ドア(スターレット)というワイドバリエーションがコンソルテでも実現、しかしそれも本家ではスターレット、せりカで採用したフルチョイスシステム(内装、外装、エンジンが自由に組み合わせができグレード分類の概念がなかったシステム)で幾通りにも設定できたのに対しコンソルテは従来通りのグレード分けがなされておりこの辺も“差別”でもありましたねー。

↓コンソルテのベースになった2代目KP30系トヨタパブリカ


結局コンソルテは最初から最後まで本家モデルの影に隠れた感があり本家モデル、特にスターレットクーペは人気車の一つながらダイハツのためにとってそれほど重要な役割はせずに終了、74年にカローラ20系のコンポーネンツ使いながらオリジナルティに溢れた初代シャルマンがデビューするとまずコンソルテ4ドアは廃盤、そして77年に本家がパブリカとスターレットを統合したKP61型トヨタ1300スターレットデビュー、この後は細々と2ドアだけ残りますがダイハツもスターレットに抵触しない1L専用モデルとして親から開発を許された初代G10型シャレードの誕生をもって廃止、あれから40年近く経過し今では憶えてるヒトもまず少なくなった最古の?OEMモデル、コンソルテの哀しき人(車)生に久々にスポットを当てたく1位とさせて頂きました、トヨタにもダイハツにもあまり意味のなかった存在ではありましたがここからOEMの歴史は始まったと捉えて頂いても結構でしょう…


ランキングは以上となります!

恒例、圏外は下記の通りとなりました、今回の場合11位以下はOEM化され驚愕した度合いでの順位としています。

11位:日産アトラス/NT450アトラス、日産ディーゼル・UDトラックスコンドル(1995〜現行)=いすゞエルフ
12位:7代目スバルサンバーバン及びトラック S300系(2012〜バン現行、トラック〜2014)=ダイハツハイゼット
13位:三菱ミニキャブ及びタウンボックス DSA64型(2014〜現行)=スズキキャリィ、エブリィ
14位:三菱ランサーカーゴY12型(2008〜現行)=日産ADバン、ADエキスパート
15位:マツダファミリアバンY10〜12型(1994〜現行)=日産ADバン、ADエキスパート
16位:2代目三菱プラウディア/ディグニティ Y51型(2012〜現行)=日産シーマ、フーガ
17位:2代目いすゞアスカCX BC系(1990〜 - 1993)=スバルレガシィセダン
18位:ダイハツメビウス ZVW41型(2013〜現行)=トヨタプリウス
19位:6代目トヨタダイナ及び6代目トヨエースU300〜400系(1999〜2011)=日野デュトロ
20位:いすゞジェミネットAA43Z型(1986〜1988)=スズキカルタス

如何でしたか?毎回〆では書きますがクドイですがあくまでもこの企画はお遊び、『それは違うだろ?』とか『あれが入ってねーじゃん!!』的な反論もあるでしょうがこれはワタクシの基準、これを読んで皆様も独自なベストテンを楽しんで頂けたらと思います。

OEM、現在の自動車メーカーが置かれた立場を考えると必要悪?ではあると思います。

しかしこれの乱発は自らユーザーに提唱するモデルの設計を放棄する事でもありそれならばそのクルマいらんでしょ?となるのは当然の成り行き、偽物はあくまで偽物、事情は様々あろうかと思いますし仕事上の義理とか個人的にもその販社や営業個人の付き合いを優先してやむなくOEMモデルを手にしなければならない事もあるでしょう、しかしそのクルマの本質を知るにはあらゆる面で本家を買った方が解るものですしリセールバリューも殆どのケースで本家の方が下取り、買取値は高い、新車購入時は同額でも…

現在のご時勢を考慮して決して“愚作”とまでは言い切れませんし90年代までのOEMではそれぞれ理由も充分納得できました、しかし今は容易に乱発のし過ぎで三菱などはその典型的な姿ですよね?
ラインナップの半分がOEM、これではもう国内の販売だけに関して言えば自動車メーカーとしは失格、販社やそれに携わる関連会社、社員さんなどもいるので自社開発せずに会社を維持するには止むを得ない事だとは思いますがOEM車ばかり並べてもそのメーカーから顧客は離れるばかり、イチファンとしては責任ないので言えますがもう国内販売は撤退をすべきと考えます。

ただ、これは三菱以外にも言える事であるジャンルだけを全てOEMを並べるとうのも同罪、それならばそのジャンルから撤退の方が潔くユーザーも余計な選択や値引き合戦に巻き込まれる迷いもなくなろうと言うものですし。

まぁ、そう簡単にいかないのを承知で語ってますがね、しかしこのままでは日本はOEM天国でどんどん小メーカーのクルマ造りが退化していきそうで不安です、実際事実上もう3社だけの争いって感じになっていますしね、かつてのように各メーカー大小関係なく一長一短い持ちながらも独自の思想と論理でクルマを造りし我が国が自動車大国と言われるまで成長した産業、人口減少→飽和状態の負の連鎖、これを象徴するOEMモデルもまた、日本の文化なんでしょうかね〜…!?!?!?

おしまーーい(^^)/~~~
Posted at 2017/11/18 17:09:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | ザ・ベストテン | クルマ
2015年05月13日 イイね!

保存版・スバヲタ即死、間違いナシ(笑)

保存版・スバヲタ即死、間違いナシ(笑)

これはよく行く得意先のヤードの風景…

OLDスバヲタにはタマらん風景ではないでしょうか?Gure、不愉快になるので(!?…笑)ここはなるべく通らないようにしてるんだけんど今日はタマタマw



↓見るヒトが見たら発狂するような光景?バブリーSVXが気の毒だやな~、何十万もかけて必死にメンテして乗っているLEONSさんに教えたい(^_^;)


今では滅多に見れないレオーネバンやてんとう虫、工場の中には初代R-2に2代目レオーネも垣間見えましたわ、ここはスバリスト、スバヲタにはパラダイス?

↓このスナップだけでここがDANGER地帯って気がしますわ(爆)


あっ、三菱のこうした光景が見れる得意先もあるんで口直しにw今度UPしよっと(^。^)y-.。o○
Posted at 2017/09/19 21:40:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | スバル | クルマ

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何シテル?   10/10 18:44
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