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2019年06月30日 イイね!

あのクルマの系譜・その10 ~トヨタカルディナ編~

あのクルマの系譜・その10 ~トヨタカルディナ編~‟あのクルマの系譜”その10、現在は廃版となってしまったかつてのトヨタミドル級ステーションワゴンの『カルディナ』に焦点を当てます!

廃版になり早12年、現在はイギリス生産でありカルディナ現役時代も併売されていたアベンシスにステーションワゴンカテゴリーを集約され実質はこれがカルディナ後継の立ち位置、しかしアベンシスは純粋な日本ユーザーを主体とした開発モデルではなくかつカルディナのみならずマークⅡワゴン→マークⅡブリットやクラウンエステートの後継も担うモデルでもありカルディナと直接の脈略はありません。

ブーム時にはミドル級ステーションワゴンの雄であったスバルレガシィに果敢にも挑んだカルディナも忘れられつつになっておりますが再びここで振り返ってみたいと…


それではあのクルマの系譜・トヨタカルディナ やってみましょう。

【3代目(最終型)カルディナ】
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(2002~2007)

・初代、2代目と比較してステーションワゴン人気の下降もありそれらが利便性の高いワゴン&RV要素を訴求したのに対しスポーティハッチバック(登録はワゴン)風味を強め従来モデルのオーナー層訴求とはまた違う方向性を示しデザインも挑戦的になる。
・従来型では輸出モデルも存在するも3代目からは輸出モデルを廃止し現地生産のアベンシスに立ち位置を移行、カルディナは国内専用モデル化。
・セリカGT-FOUR同様の最高峰グレード(3S-GTE 2L DOHCターボ260ps)搭載のGT-FOURはニュルブルックリンにて当時のトヨタスーパースポーツであるJZA80型スープラのタイムを上回る数値を叩き出し話題となり”最速ワゴン”と一部では注目される。
・搭載エンジンは直4 1.8L 同2L、駆動はFF/4WD、ミッションは4AT。
・ボディサイズそのもを拡大し全車3ナンバー化。


【2代目カルディナ】
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(1997~2002)

・クラス一番人気のレガシィへの対抗策を強め先代のRV要素に加えスポーツワゴンの要素を強める。
・シャーシは先代同様、ベースはプレミオ(コロナ)/アリオン(カリーナ)
・4ナンバー商用バン(カルディナバン)に限り先代を継続販売、インパネのみ2代目及びコロナプレミオ(T210系)に更新。
・搭載エンジンは直4 1.8L 同2L、同2.2Lディーゼル、駆動はFF/4WD、ミッションは5MT/4AT。
最高峰であるGT-Tにはカルディナ初のVVT-i(可変バルタイ)エンジンを搭載。
・輸出仕様に初代『アベンシス』名義を採用。
・仕様により一部3ナンバーモデルもラインナップ。


【初代カルディナ】
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(ワゴン 1992~1997)

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(バン 1992~2002)

・スバルレガシィにより空前のステーションワゴンブームが到来、レガシィ人気はカリスマ的であり各社刺客を送るが結果はレガシィの一人勝ち、トヨタも例外ではなかったもののレガシィ潰しに用意されたのが初代カルディナ。
・5ナンバー乗用モデル(ワゴン)と4ナンバー商用モデル(バン)を用意。
・ワゴンとしては従来のカリーナサーフの立ち位置を継承、バンはコロナバン、カリーナバンの統合であった。
・シャーシは6代目カリーナ/10代目コロナ(T190系)。
・対レガシィ対策として本格的ステーションワゴンを訴求、当初は標準エンジンのみのモデル編成ながら95年からはやはりスポーツワゴンとしても認知度の高いレガシィに対抗してスポーツツインカムモデルをワゴンに追加、一定以上の支持を得る。
・搭載エンジンは直4 1.5L 1.8L 同2L、同2.2Lディーゼル、駆動はFF/4WD、ミッションは5MT/4AT。
・レガシィ人気に引っ張られそれには及ばないモノの空前のステーションワゴンの潮流に乗り3代に渡ったカルディナの中では最高人気を得た。


【8代目コロナバン/4代目カリーナバン/2代目カリーナサーフ】
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(8代目コロナバン 1987~1992)

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(2代目カリーナサーフ 1988~1992)

・現行プレミオ/アリオンの前身がコロナ/カリーナ、この2モデルは一部スタイリングやインパネ、販売店のみを異とする双子兄弟モデル(かつては別モデル 84年以前)でありそれぞれに商用バンと乗用ワゴンをラインアップしておりこれらがカルディナの前身に充る。
・コロナはバンのみ、カリーナは先代同様バンと『サーフ』のサブネームが付くワゴンもラインナップ。
・ベースのセダン系ではコロナは9代目、カリーナは5代目となるもコロナは8代目時代は7代目バンを継続、カリーナバンもカリーナ4代目時代に3代目バンを継続しているので両者、代目数えがセダン系と1代ズレがある。
カリーナサーフは3代目セダン系時代で設定されたのでサーフとしては2代目となる。
・バンに関してはコロナ/カリーナはインパネのみオリジナルでグリルや極一部の外板のみの変更。
・搭載エンジンはコロナバン/カリーナバンが直4 1.5L 同2Lディーゼル、カリーナサーフに直4 1.5L 1.8L 同2Lディーゼル、駆動はFF/4WD、ミッションは5MT/4AT、駆動はFF/4WD。
・バンに関しては長らくベースモデルがFF移行後もFR駆動を採ってきたが初のFF転換モデルであった。


【7代目コロナバン/3代目カリーナバン/初代カリーナサーフ】
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(コロナバン 1982~1987)

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(カリーナサーフ 1981~1988)

・コロナは1957年、カリーナは1970年から続いたFR駆動の最終モデルでありベースのセダン系が初めてコロナ・カリーナ・セリカでシャシ共有化。
・コロナ/カリーナにはバン、カリーナのみ1981年の3代目デビューの1年後にバンをベースとした5ナンバーワゴンとなるサーフを新設。
・バンに関してはコロナ/カリーナはインパネのみオリジナルでグリル変更程度の双子兄弟、サーフは乗用に準じた意匠が施される。
・搭載エンジンはコロナバン/カリーナバンが直4 1.6L→1.5L 同1.8Lディーゼル→2Lディーゼル、カリーナサーフに直4 1.5L 1.8L 同1.8Lディーゼル、、ミッションは4MT/5MT/3AT/4AT、駆動はFR。
・FR→FF転換期に付きセダン系はコロナが82年、カリーナが84年から順次FF化されるもバン、ワゴン(サーフ)はFRを次々型まで継続。


【6代目コロナバン/2代目カリーナバン】
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(コロナバン 1978~1982)

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(カリーナバン 1977~1981)

・6代目T130系コロナ、2代目A40系カリーナのコマーシャル(バン)モデル。
・コロナ、カリーナが別シャーシ時代の最後のモデル、次世代からコストダウンにてシャシ統合、次々型からシャシ番号も統一され「T」を持つコロナにカリーナ(セリカも)が吸収された。
・搭載エンジンはコロナバンが直4 1.6L 同1.8L、カリーナバンが直4 1.4L 同1.6L 駆動はFR、ミッションは3AT/4MT。


【5代目コロナバン/初代カリーナバン】
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(コロナバン 1973~1978)

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(カリーナバン 1975~1977)

・5代目T100~120系コロナ、初代A30系カリーナのコマーシャル(バン)モデル。
・初代カリーナ(A10/30)が1970年発売に対しカリーナバンはよりきめ細かい商用ラインナップを目指し5年後に下級カローラ30系のパーツを利用して追加設定。
コロナバンは2/4ドアモデル、カリーナバンは4ドアモデルのみの設定。
・搭載エンジンはコロナバンが直4 1.6L 同1.8L、カリーナバンが直4 1.4L 同1.6L 駆動はFR、ミッションは3AT/4MT。


【4代目コロナバン】
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(1970~1973)

・通称「ブラボーコロナ」と言われた4代目T80系コロナのコマーシャルモデル
・イヤーモデル制を採用されており1年に一度のMCはバンにも適用される。
・バンは2ドアバン、4ドアバンを設定。
・搭載エンジンは直4 1.5L 駆動はFR、ミッションは3MTコラム/4MTフロア。


【3代目コロナバン】
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(1964~1970)

・アローライン、バリカンコロナとして大人気を誇った3代目T40系コロナのコマーシャルモデル、他にピックアップ、Wピックもラインナップされ商用モデル重要視の時代を象徴。
・先代までは商用モデルは「コロナ・ライン」とされていたがこの代より「バン」とされる。
・従来の2ドアバンに加え4ドアバンモデルも新設定。
・搭載エンジンは直4 1.3L 同1.5 駆動はFR、ミッションは3MTコラム/4MTコラム。


【2代目コロナバン(コロナライン)】
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(コロナラインライトバン 1960~1964)

・2代目20系コロナのコマーシャルモデルでコロナラインの別名義、ラインにはピックアップとライトバンを設定。
・コロナラインライトバンは2ドアモデル。
・搭載エンジンは直4 1L 駆動はFR、ミッションは3MTコラム。

【初代コロナバン(コロナライン)】
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・戦後の本格的小型セダンとして大人気を誇った日産・ダットサン110/210/ブルーバードに対抗して急造モデルとしてデビューしたのが初代コロナ、既存車種のトヨペットクラウンやマスター(クラウンのタクシーモデル)のパーツを用いトヨタ量産初のモノコックボディを採用したのがコロナ、これをロングルーフ化し荷室重視したものがバンモデルの初代コロナライン。
・コロナラインライトバンは2ドアモデル。
・搭載エンジンは直4 1L 駆動はFR、ミッションは3MTコラム。
・後のカルディナやアベンシスには直接の脈略はないながらもコロナ→カルディナの遍歴からルーツはこの初代コロナラインとなる。


あのクルマの系譜 ~トヨタカルディナ編~…
Posted at 2019/06/30 19:18:09 | コメント(1) | トラックバック(0) | 系譜 | クルマ
2019年06月26日 イイね!

19××〜あの頃?1970年代(後編)

19××〜あの頃?1970年代(後編) ※この記事は2016/8に上げたモノの改訂版です。

60年代のイケイケがそのまま続き繁栄に酔いしれる市民の影に忍び寄る暗い影、73年のOILショックや75年の排ガス規制はクルマ社会は当然の事、市民生活にも多大な影響を及ぼし60年代の明るい時代から一気に、特に中盤以降は不況、インフレに人々は苦しみ過ぎ去った60年代が夢のような時代と思えた時期、各自動車メーカーにとっては苦難の年代ながら今振り返らば世界一になるための試練の年代でもあった訳ですね。

そんな時代の各社モデルの振り返り、後編はホンダ〜ダイハツまでを取り上げてみたいと思います。

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(ホンダ)
各社にとって苦難以外何者でもなかった70年代ですがホンダにとってはその卓越した技術を世に広めた絶好の時期、世界一排ガスが綺麗と言われたCVCC技術を武器に現在の地位を築く基礎になった時期です。

浜松のいちバイク屋が世界のホンダとして認められた70年代、50〜60年代の2輪での優秀性は既に定評あるものでしたが4輪でも当時世界No3、国内No1であったトヨタですら排ガス対策技術に教えを乞う程の技術力を持つまでに登りつめた実績、CVCCこそがホンダが花開いた瞬間でえあったと言えるでしょう。

そのCVCCを広めたのが初代シビック(72y)!

まだ他社が60年代を引きづるハイパワーモデルの呪縛が解けずやれDOHCだソレックスだ、やれツインキャブだREだとやってる中にホンダは排ガス規制という強敵に備え早くから準備、他社が過去の亡霊に捕らわれていた時期に着実に研究開発を怠らずかつホンダにとっては吉であったOILショクが到来、それまで1psでも出力が高く10kmでもMAXスピードが高い方がイイ車!と言われていた中でのOILショック、当然こうしたハイパワーでは燃料他お金もかかる、OILショックにより景気もどん底になる中で庶民は従来のようにがぶ飲みの不経済車は見向きもしなくなりました。

その変革は正に急激でつい昨日までケンメリRだセリカだ騒いでいた若者でさえこれらが脚光を浴びてる頃にポッと出てきたシビックに人気の的は一夜にして変革、派手なクーペやHTとは無縁であるFFの2BOX、1200ccで性能こそ平凡ながら低燃費とクリーンな排ガスによる優遇税制などが注目され73年に追加されたCVCCを搭載でその人気は不動のシビックブームが起こった程で元祖エコブーム、ちょうど数年前の猫も杓子もプリウスって時代にそっくりと言えば若い方も理解できるでしょう…

↓ブームを作った初代シビック!


シビックの大成功により以後シビックのコンセプトを注ぐ中級車市場にアコード(76y)で参入、これまで軽〜1500ccクラスで生きてきたホンダ初の1600〜1800級への飛躍もアコードで果たします、このクラスは老舗コロナブルーバード他並み居る強豪が揃うクラス、この中で当時第5第6メーカーであったホンダながらシビック同様にCVCCが最大の売りとなり成功を収めました。

↓シビックコンセプトで1クラス上に訴求したアコードも発売


このようにどうしても70年代のホンダと言えば“CVCC”の印象が強いのですが70年代初頭ではハイパワーブームを継承しリッター100psで鳴らしたスーパーミニのホンダN360から発展した軽スペシャリティのホンダZ(70y)や空冷4気筒4キャブでこちらもリッター100psのスーパー大衆車?で驚かせたホンダ1300を発展させたホンダ1300クーペもリリース、Zは高性能ミニが人気の時期に独特な個性的スタイルでスズキフロンテクーペや三菱ミニカスキッパ−、ダイハツフェローMAX HTと並びスーパーミニ市場を彩りました。

↓排ガス、OILショック以前の名作、ホンダZ


1300シリーズはホンダならではの拘りのクルマ、DDAC(一体二重空冷)や当時は異質なFF方式、4キャブ(1キャブもあり)によるクラスを超える高性能さをアピールしますが市場受けはならず商業的には失敗に終わります。

↓意欲作、ホンダ1300クーペ


しかしこの頃からホンダの変わり身の早さは既に現れておりその背景にはCVCCの予想を超えた成功もありますがあれほどN360で軽市場を活性化しながらも排ガス対策に不利と見るや軽市場から撤退(75y)やDOHCを軽トラに乗せその後Sシ―リーズでスポーツイメージで売りながらもCVCC以降はスポーツモデルを一切否定する等の姿勢は一部で批判を浴びました。

※他のホンダ70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・バモスホンダ(70y)・ライフ(71y)・ライフステップバン(72y)・145(72y)


(いすゞ)
50〜60年代は日本のBig3に数えられたいすゞでしたが高度成長期の需要の伸びから本業であるトラック事業があくまでメインとなり乗用市部門はサブ的立ち位置に変化、トラックの利益で乗用をリリースするスタンスに70年代からシフト、その姿勢は乗用撤退となる90年代まで不変、ここに至るまで徐々にシェアも減らし車種も減らしてゆきますがいすゞらしい先進性とワイルドなエンジンを組み合わせた独創性に長けたクルマ造りは最後まで不変、70年代はまだまだいすゞ車の魅力がふんだんに味わえるモデルがラインナップされていました。

基本は60年代同様の小型乗用のベレット→ジェミニ(74y)に中級ファミリー用セダンのフローリアンにスペシャリティ高級クーペの117というライン、いすゞというメーカーは冒頭申し上げたようにトラックのサブ的乗用開発の為乗用車を頻繁にFMCする事が出来ずその部分で不利ながら時代時代に於いて更新するのを惜しまず特にイメージリーダーで国際的にも認められた117クーペに於いては15年近くの生産期間をもっても最後まで魅力を失わず廃盤になって改めてデザイナー(Jアロー)の奇才ぶりが実感できたモデルだったと思います。

そんな”長寿”が特徴のいすゞ車ですが長らくいすゞ乗用を支えてきたベレットが74年にジェミニ(当初はベレットジェミニ)にFMC、フローリアンと117は更新更新で変わらずラインナップされています。

↓70年代初頭はDOHC搭載もなされたベレット(GTタイプR)


↓74年に10年ぶりにFMCされたベレット後継のジェミニ


フローリアンはデビュー時からパッとしないクルマ、第一次ハイパワーブームと被りながら速そうなスタイルもハイパワーの心臓も持たない地味なセダンでしたので不遇のデビュー、それが祟り発売後不人気車の代表的な扱いでしたのでいすゞはフローリアンの処遇を再考、76年以降は対コロナや対ブルーバード戦略を諦めタクシーや公用車需要に振り77年のBigマイナー以降は当時脚光を浴びだしたディーゼルエンジンをメインに据えたベレル以来のDe乗用のリリースは一定の評価を受けフローリアンの名を遅まきながら知らしめる事にもなりました。

↓プアマンズ・ロールスの異名?で語られる80年代顔になった60年代車フローリアンもDeエンジンで見直されました!


OIlショックによるガソリン高騰時代にいすゞの得意分野であるDeで訴求する姿勢はさすがでフローリアンに始まりジェミニや117にすらDeを設定し乗用Deの先駆者として高い役割を果たした、そんないすゞの70年代だったと思います。

※他のいすゞ70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・フォワード(70y)・ジャーニーS(70y)・ニューパワーZ(72y)


(富士重工)
ここもホンダに次いで排ガス対策に真摯に取り組んだメーカー、大手が青色吐息も中でそれに対する努力は相当なモノがあり大手が50年→51年→53年の各規制に期限ぎりぎり飛び込む中で比較的早くパスするなどのさすが元飛行機屋のエンジン技術を見せつけました。

リリース車輌は60年代同様で相変わらずの唯我独尊、大衆迎合せず自身の信じた技術を売れようが売れまいが関係なく訴求しそれに応えるのは少数の頑固なファンのみという姿は相変わらず…

ラインアップは基本的には60年代の流れを継承、スバル360はR-2に変貌後にレックス(72y)となりスバル1000はff-1/1300Gを経て71年にこの後長らく富士重の屋台骨を支えるレオーネがデビューしています。

レックスは50年代から長く親しまれた名車てんとう虫=スバル360の思想を受け継ぐ軽自動車。間のR-2も含め伝統のRR方式を継承、後発のホンダN360〜ライフによりサイズの小さい軽自動車では圧倒的にFF有利というのが世に知れ渡った後でも頑固にRRを採用、走破性の部分で理はあるもそろそろ普通車でもFf化が視野に入り始めた70年代後半でもRRを踏襲した姿は良く言えば矜持を崩さず立派、悪く言えば時代お…以下自粛(笑)

↓スバル360の思想を継承したR-2とレックス



レオーネもスバル1000の水平対向エンジンを頑固に維持、今ほどまだフラットの価値は庶民には受け入れられておらず生産性の悪いエンジンに「何故にそこまで拘る?」って感じで相変わらず変人しか乗らないレオーネというイメージでしたが特にトヨタデザインに影響を受け鋭いウェッジシェイブや直線的な戦闘的なデザインとなったレオーネは1000時代に較べるとかなり庶民性をアピールする姿勢がありました。

↓フラット固辞の姿勢は崩さずも大衆迎合は成しワイドレンジで幅広いユーザーに訴求したレオーネ


レオーネはワイドバリェーションで確実に支持を得るトヨタに学び普通車ではレオーネブランドのみながら車型は幅広く設定、2/4セダンを基本にHTやクーペ、ワゴン/バンにHB(スイングバック)などを取り揃え“スバリスト”相手だけではなく幅広いユーザーに訴求開始したのもこの年代、支持はメーカーが企むほどには広がりませんでしたがいち早い4WD乗用車のリリースを代表としてツウ好みのクルマを造るメーカーとして浸透してゆきました!


(スズキ)
スズキの70年代と言えばこれに尽きるでしょう⇒初代アルト47万円!!(79y)

排ガス規制以降、これに適合させるのに不利である小排気量の軽自動車、360cc→500を挟み550ccまで排気量UPはなされるも不利には違いないこのクラスをホンダやマツダが撤退する中“軽No1”のプライドに賭けてスズキは至難な排ガス対策に取り組み血の出る努力からスズキの特徴だったパワフル&スムーズが売りの2st3気筒のままでこれをクリア!下駄変わり、我慢車と蔑まれていた軽自動車に対し情熱を賭けるスズキの姿は感動モノでした。

そしてその努力の花開いたのがアルト47!!

排ガス対策費用や上昇志向から他社が年々贅沢に、そして高額化する軽自動車を見つめ直し“そもそも軽は安いのが一番の魅力”という根本に立ち返り消費税導入前の物品税の盲点に目をつけ徹底したコストダウンから当時60〜70万だった軽自動車の価格帯で破格な47万円というプライスでデビューし一世を風靡、アルトの大成功により各社もこれに準じるモデルをリリースする中で元祖であるスズキは順調にアルトを売り上げ足許を確固たるした時代でした。

↓エポックメイキングで軽自動車界に旋風を起こしたアルト47!


とは言えアルトは70年代終盤の79年発売ですのでスズキが過ごした70年代は決してラクな時代ではなく前述通りの排ガス対策の苦境と1970年を境に年々シュアが下がり続けた軽自動車市場の衰退との闘いの日々、普通車メインメーカーならば撤退するのも選択肢ながらスズキに場合そうはいかない、市場研究と新技術、そして弛まぬコストダウンを追及する10年間がアルトで報われた、そんな時代。

↓メイン車種フロンテはFF→RRになりながらスティングレイルックで若者に訴求


軽自動車に賭けるスズキは他社が見放すor縮小する中で最後までパンチがありコスト安の2stに拘ったり軽スペシャリティもラインナップし続けるなど軽No1メーカーの意地は相当のモノでこの時の姿勢が現在も常に大メーカーの傘の下にいるダイハツと互角に戦う実力と評価を得たと思います。

↓76年まで存在した軽スペシャリティフロンテクーペはセルボ(77y)と名を変えて唯一の軽スポーツとして存在!


※他のスズキ70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・ジムニー(70y)・フロンテハッチ(73y)・ジムニー8(77y)


(ダイハツ)
トヨタグループ参画後は軽自動車をメインとするメーカーに変貌したダイハツ、大型部門の日野、普普通車部門のトヨタと密な連携を取りながら軽自動車の第一人者であるスズキに追いつけ追い越せの時代がダイハツの70年代でした。

70年代初頭は軽ハイパワーの頂点を取ったリッター100ps超えの360cc40psといレーシング並みの高性能ミニをフェローから変わるフェローMAXに搭載しアッと言わせますがこれ以外はトヨタの下請け、旧コンパーノやベスタ等の代替えユーザー向けにトヨタOEM車のみ普通車市場にラインナップ(コンソルテ、デルタ系)、オリジナルはフェローMAXと商用ハイゼットのみの存在感の薄い時代でした。

↓普通車はトヨタパブリカ、スターレットのOEMコンソルテをリリース


しかし親会社が排ガス規制で手間取る70年代中盤、それら軽では2stは諦めながらも4st化に統一しながらも小排気量で排ガス対策をクリア、規格改正の過渡期には真っ先に新規格の大柄ボディをリリースする等の存在感を示しながらも当時まだ多く残っていた軽免許ユーザーに対するフォローで360ccを最後まで残すという良心も捨てない姿は好感を持てましたねー。

↓550(過渡期は500cc)新規格ボディを真っ先に採用し普通車並みの室内を実現したMAXクオーレ!


そして77年、小排気量が排ガス対策に不利であるため各社が見切った1Lモデルでしたが普通車ボトムとなる1000ccカーを発売、これが話題を呼んだ初代シャレードでありダイハツとしては久しぶりの普通車のNEWモデルとして注目を集め時代の要請でもある経済性も人気、トヨタパブリカ、スターレットの1200〜1300に抵触しないため開発許可が得られたシャレードはダイハツの技術力とアイデア力を久方ぶりに見せつけたエポックなクルマでこれ以後日産(マーチ)、スバル(ジャスティ)、カルタス(スズキ)等1Lカーブームの火付け役となったものでした。

↓小さく経済性の高い元祖コンパクトのシャレードは”5㎡カー”として大人気を呼びました!


シャレードの成功は地味だったダイハツに勢いを与え本業の軽自動車開発にも弾みが付きスズキと真っ向勝負する80年代に開花、アルトに対向するフェロー元祖のクオーレやミラクオーレの発売に繋がりこれらの成功がやがてスズキから“軽No1の座”を引きずり下ろす事となる訳です。

車種が少ない中小だった分、排ガス規制の混乱期も比較的落ち着いていたダイハツ、シャレード以降の勢いには目を見張るモノがあり50年代に健闘したダイハツ、70年代は後半僅か3年で第2弾の光輝いた時代であったと思います。

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前編後編に渡りご紹介した70年代の国産9社、如何でしたか?

各社の各モデルには個人の主観で思い入れはそれぞれだと思いますが造れば売れまくる時代から一気に苦境の時期に様変わりした日本のモータリゼーションの混乱期の中、各社の苦難が少しでも感じて頂けたらと思います!

長文読破、お疲れサマでした<(_ _)>


19××〜あの頃?1980年代(前編)に続く

※アップ時期未定(^^;
Posted at 2019/06/26 20:53:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2019年06月25日 イイね!

19××〜あの頃?1970年代(前編)

19&#215;&#215;〜あの頃?1970年代(前編)※この記事は2016/7に上げたモノの改訂版です。

悲惨な敗戦から僅か20数年で急成長した日本、その繁栄に酔いしれる人々は豊かになった経済の中、“3種の神器”と言われたその一つである車=CARに対する思い入れは相当なモノがあり60年代中頃から憧れ→現実へと庶民に車が“道具”として本格的に浸透したのが70年代でした。


70年には大阪にて万国博覧会が華々しく開催、私もこの時の盛り上がりは子供ながら強く感じ今でもその日本の盛り上がる雰囲気と明るさはハッキリと記憶しております!

10年間、前半は60年代から引き継ぐ留まるところがない成長を果たす車業界、しかしこの10年は60年代のようにイケイケどんどんという時代ではなく予想を上回る自動車台数に比例して様々な問題が発生、2回に渡るOILショック、社会問題となった公害に対し世界一厳しい排ガス規制の励行等、60年代の“産めよ増やせよ”と右肩上がりの発展という訳には行かず各メーカー、直面した課題に足踏みを余技なくされ一時は日本のモータリゼーションに暗雲が立ち込め暗く、展望がない時期もありました…

しかしそんな問題に全身全霊で立ち向かい課題を乗り越えた事が技術水準を高め後半には世界一クリーンで高性能な日本車は世界各国で注目を集める存在となり次世代(80年代)には貿易摩擦という問題まで起こる程の威力を持つモノとなりました。

逆境から世界一までという60年代にも引けを取らない70年代の日本車、私が知る50年の歴史の中で色んな意味で激動だったこの時代のクルマ、早速振り返ってみましょう!

定義としては一度でも乗用車を生産した国産メーカーが対象、従ってこれの経験がないUDトラックス(日産ディーゼル)は除きますし二輪オンリー(川崎重工、ヤマハ発動機)も同様。
また乗用メーカーであっても60年代以前、前後に倒産、吸収、消滅しているメーカー(プリンス、オオタ、NJ、オカムラ、愛知機械等)や60年代に乗用撤退したメーカー(日野)も対象外、ベースモデルが他社となる光岡も同様ですので宜しくお願いします!

※長文になるので前編/後編に分けています。

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(トヨタ)
60年代に安定の人気を果たしたトヨタ、既にシュア1位、50%に届くシュア等で盤石な地位を築いたのが70年代でした。

初代パブリカで国民車構想に応えこれを発展させたカローラでマイカーブームを牽引、そのカローラを更に育て世界戦略車に成長させ莫大な利益をもたらすモノとし国内ではどこの家庭にもカローラがある、それが当たり前の光景でもありました。

↓69年から国内販売No1の座を明け渡さないドル箱に成長したカローラ!


そして60年代に学んだワイドレンジ、ワイドバリェーションによるユーザーニーズに的確に応える布陣で車種ラインナップを更に充実、幅広いクラスに万編なくランナップする事による“グレードアップ”戦略をし敷設、パブリカのユーザーをカローラに、カローラのユーザーは更にその上のクラスに誘導、成長するのみと信じられていた時代にマッチするこの作戦は大成果を得、現在に見られる1強時代の基礎を築いたのが70年代のトヨタでした!

これに合わせ割賦販売(ローン)の普及にも積極的に取り組み若年層にも気軽にクルマを持てる環境を整備、ソフト、ハード面からクルマを欲しい!という欲求に応える努力は相当なモノで“販売のトヨタ”の名に恥じない展開をします。

このグレードアップ作戦により様々な新車種もリリース、カローラ〜コロナ間を産めるカリーナ、そしてこれをベースとする新ジャンルのスペシャリティーであるセリカ等のリリースは1億総中流意識、若年層に訴求するリーズナブルなスポーツモデルの提供は時代にマッチ、トヨタファンを大幅に拡大しました。

↓若いファミリー層に大きな支持を受けた初代カリーナ


↓カリーナをベースにスポーティ要素を加味、安価でスポーツカーの走りを提供したセリカ!


70年代初頭は60年代から引き継ぐスポーツカーブームにもきめ細かく対応、その筆頭がセリカでトヨタ2000GTや1600GT、マークⅡ2000GSSから継承する高性能DOHCエンジンをメインにしながらベースを大量生産するカリーナにする事から安価での提供を可能(このようなモデルをスペシャリティカーと命名)とし若い世代に大人気を博します、また、従来モデルであるコロナ、そしてカリーナもスポーティなHTモデルやDOHCモデルを配置、大衆車であるカローラやスプリンターにもレビン/トレノとしてDOHCモデルを設定、セリカをメインに日産にやや遅れたイメージだった部分をにモータースポーツ積極的によりトヨタ=スポーツイメージを高めました。

↓大衆車にDOHC、絶大なインパクトだったスプリンタートレノ


こうしたスポーツ路線も73年に発生した第一次OILショック、そして75年に施行された排ガス規制によりトヨタに限らずにこうした傾向は沈静化、新たな時代のトレンドを模索する機会を止む無く与えられます。

トヨタはこの時期脇目を振らずに施したラインナップ拡大とスポーツ路線への傾倒戦略のツケが廻り他社がいち早く省燃費、低公害にシフトした事に遅れを取り苦しみますがその風穴を高級車やRVに見い出し従来から定評ある我が国を代表する高級車に成長したクラウン、そしてハイオーナーカーであったマークⅡをよりクラウンに寄せた戦略にキャラ変更し富裕層に訴求、また、ライフスタイルの変化に合わせ多人数乗車のワゴンや4WDモデルを70年末期までにラインナップに加えます。
これらは従来の商用車をベースにして乗用、若しくはそれに準じた仕様に仕立ててオーナードライバーに訴求し成功を収めました。

↓コロナのスポーティバージョンを決別しクラウン路線の高級化を果たした3代目マークⅡ


↓新たなファミリーカー、そしてレジャーベースとして発売したタウンエースワゴン!


このように時代が前半と後半では大きく様変わりした自動車業界、特に後半は手隙であった環境対策、燃費対策で他車に遅れを取りやや勢いを失速したトヨタでしたがこの苦い経験が80年代の巻き返しと90年代の絶対地位の確立の基盤になったと言えるでしょう。

※他のトヨタ70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・ライトエース(70y)・パブリカスターレット(73y)・タウンエース(76y)・チェイサー(77y)・セリカXX(78y)


(日産)
“技術の日産”で60年代を歩んできた日産、トヨタとは一線を画す先進的技術とそれを如実に示すモータースポーツでの活躍から腕に覚えのあるクルマ好き、ドライブ好き等に好まれていました。
その日産の個性を基に70年代の日産はワイドレンジ、グレードアップで支持を拡大し僅かに先を行くトヨタ1点に照準を定めた展開を試みます。

しかしその手法はトヨタの後追い政策、成功しているトヨタの作法を追いかけ車種編成を拡大充実、トヨタのラインナップに全て対抗させるラインナップを敷き徹底抗戦を本格化させました。

しかしファンの支持するスポーツ路線もより充実、長年オープンスポーツとして伝統あるフェアレディを69年にクローズドボディとしたZシリーズにスカイラインGTRから24V DOHCエンジンを換装したZ432、輸出用2.4Lエンジンを搭載するスーパースポーツとなる240Z等が人気、他にマツダが市販化したロータリーエンジンにも着目、これを自車開発し試作に成功し高性能エンジンの新たな可能性も模索、トヨタのDOHC攻勢に切り札として期待されました。

↓オープンからクローズドスポーツに変貌したフェアレディは70年代に大飛躍!


また日産らしく将来のファミリーカーの王道となる小型FF技術を実現、既にスバルやホンダが市販化しながら一般にまだ理解が乏しく技術的にも成熟していないFFのチェリーを市販化し先進性を示しました。
チェリーは商業的には時期尚早な部分もあり成功したとは言えないながら後のパルサー、そしてサニーのFF化に対するFFパイロットモデルとして日産にとって大きな役割を果たし80年代の小型FF化の波にトヨタに先んじて掴む事に成功、当時は大きなセールスアピールで注目を集めました。

↓大メーカーとしてはFF初参入を果たしたチェリー


カローラにリードされたサニーは日産らしい軽量ボディとスポーティさを初代から継承した2〜4代目モデルの時代、カローラにはない小気味良さを生かしクーペボディでレースでも大活躍しますが後半はDOHCを搭載してきたレビントレノに押されながらも存在感は安定、神話を築いたスカイラインの4代目“ケンメリ”やHTブームの頂点となる日本初のセンターピラーレスの4HTを高級車セドリック/グロリアに追加、クラウンの敵失もありましたが50年代にお互いが発売し切磋琢磨、代表的高級車として認知されていたクラウンvsセドリックの闘いに於いて初のシュアNo1をセドリックが獲るという偉業も果たしました。

↓廉価スポーツとしてメインの大衆車訴求よりも支持された2代目サニー


↓230型セドグロはクラウンを上回る人気を獲得!


70年にトヨタセリカ、三菱ギャランGTO、マツダサバンナにより開拓されたスペシャリティカー市場には日産は上述のREで参入を目論んでいましたが73年のOILショックで大打撃を受けたマツダの惨状を見て計画が頓挫、これに向けて開発されていた新型シルビアは止む無く既存のレシプロエンジンでデビューする事になりインパクトは激減、スポーツブーム衰退と合わせ75年にデビューした2代目は燦々たる有り様ながら79年の3代目では新時代のパーソナルスペシャリティとして歴史あるセリカ人気を超える支持を得てこのジャンルで初成功を果たしました!

↓クラスを超えた高級感と都会的お洒落さがセリカを超える人気獲得に成功した3代目シルビア


国際ラリーでの活躍から名車とされた510以来は高級化肥大路線でじり貧に落ちっていたブルーバードでしたが79年、FRセダンとしてはこれ以上ない秀逸さを披露する910型が登場、絶大な人気を誇っていたスーパースター・ジュリーを起用したCM効果もあり発売と共に大ヒット!一時はトヨタ(コロナ)、三菱(ギャランΣ)の後塵を仰いだブルの復活起爆剤となりました。

↓ジュリーの“お前の時代だ”の言葉通り70年代末期に絶大な支持を得た910型ブルーバード


トヨタ程の混乱にはならずともやはり悪夢のOIlショック、そして排ガス規制に苦悶した日産、またトヨタに追いつけ意識が強すぎ70年代前半は各モデルが大型化、豪華路線に傾倒しファンを減らす要因にもなりましたが後半に至ってはこれらの路線を見直し従来の日産にあった走りを愉しむモデルを次々にリリース、国産初のターボエンジン搭載も大きな発展となりこれを継承した80年代はターボモデルのラインナップ拡大から“ターボブーム”に火をつけこれがやがて第2次スポーツカーブームを呼び込むなど70〜80年代にかけて自動車業界に及ぼす日産の影響は多大な功績を残したと言えるでしょう!

※他の日産70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・シビリアン(71y)・バイオレット(73y)・キャラバン(76y)・オースター/スタンザ(77y)・パルサー(78y)・ガゼール(79y)


(三菱)
69年のコルトギャランやミニカ70の大ヒットを受けいすゞを抜き去りマツダと第三勢力の座を争うまでになった三菱、REのインパクトに前半はやや劣勢ながらも70年、三菱自工発足と共に目を見張るような発展を成しOILショック打撃のマツダを中盤以降抜き去り特に76年にリリースされたギャランΣ/Λの大ヒットによりNo3の座を安定させました。

70年代は一番この三菱が発展した年代、それまでトラックメーカーが片手間で乗用車を造ってるとややもすれば受け取られる印象だったのを横綱2社を脅かす存在となりました!

60年代より積極的に参加していたラリー参戦も継続、コルト→ギャラン→ランサーに継承、タフで玄人好みのスポーツモデルも一気に取り揃えコルトギャランをベースにした70年のギャランGTO、71年のギャランクーペFTOはスペシャリティカーブームの先陣をトヨタセリカと共に築きました。

↓セリカと人気を2分したギャランGTO、国産初のダックテ―ルがからなる“Hip up cope”が注目されました!


↓レビントレノ、サニーGXを怒涛する実力はラリーで鍛えたギャラン16LからフィートバックしたライトウェイトスポーツのギャランFTO


従来型コルトギャランは73年にコロナ/ブルーバードクラスの2L級セダンに格上げ、また、ホンダによって仕掛けられた軽ハイパワー市場にも参戦、軽スペシャリティのミニGTO、ミニカスキッパーは軽自動車のイメージを一新するスポーティなスタイリングがスズキのフロンテクーペと並び現在でも称賛されています。

↓ミニGTOの軽スペシャリティ、ミニカスキッパー


75年に施行が決まった排ガス規制にもいち早く取り組み73年にはこの規制に対するパイロット版である2代目ギャランにMCA(三菱クリーンエアシステム)モデルを設定、トヨタ日産が数多くリリースしたエンジンを規制適合に向け青色吐息の時期に元飛行機屋のエンジン技術力の高さで挑みパワー低下を最小限とし規制初期に最後まで排ガスの濃いツインキャブモデルも維持していた事からこれらモデルが大手からほぼ消える中、大きな存在感を示しました。

2代目で肥大化の豪華路線に振ったメイン車種ギャランは失敗、コロナ/ブルーバードの軍門にあえなく下りましたが76年のFMCで3代目となるギャランΣ、そしてGTOとギャランHTの統合版であるギャランΛはそれまでの国産セダン、HTにないスタイリッシュさが大きな人気を呼びセダンのΣに至っては排ガス規制で評価を落とすライバルを上回る販売成績を残し大手を慌てさせた事がその2大勢力が絶対!と思われていた時代で第三勢力のモデルが革命を起こしたと言っても過言ではなかったです。

↓従来のセダンにはないスタイリッシュさでクラスNo1の売り上げを記録したギャランΣ


↓国産初の角型4灯ライト、1本バーステアリング他斬新なエクステリアで話題を呼んだギャランΛ


他にもギャランのグレードUPを補う新車種であるランサー(73y)はカローラサニーに真っ向から勝負する大衆車市場に投入するファミリーモデルながらギャランから引き継ぐラリーでの活躍が当時も今も有名、ファミリーカーとしては苦戦でありながらもラリー好きの記憶には鮮明に残る名車となっていますし後のランタボ、VR-4やランサーエボリューションが国際ラリーで活躍する下地を作ったと言えるでしょう。

↓内外のラリーで大活躍した初代ランサーラリー仕様


FTOの進化版でありかつランサーのクーペモデルであったランサーセレステ(75y)は流行のHBクーペでありこれも若年層に人気を呼び三菱の70年代は順調に発展、78年のFF戦略車ミラージュの発売を契機に2番目となるカープラザ店を発足させ大手に学び双子車政策も実施するなど大きく花開いた時代でした。

会社発足と同時に目を見張る充実を見せた三菱、大手とは異なる頑強、高品質のイメージは日本車にはなかったシャープなステアリング性能とロングストロークを特徴とするトルクフルでパンチのあるエンジンが独特な個性で大手2社では飽き足らないファンを獲得、三菱にとっての青春期で一番元気な年代であったと言えるでしょう!

※他の三菱70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・クライスラー318/チャージャー770(71y)・ギャランΣエテルナ/ギャランΛエテルナ(77y)・フォルテ(78y)


(マツダ)
60年代にREエンジンの市販化に成功し沸きに沸く中で迎えた70年代、初頭はそのREを徹底的に売り込み浸透させる事に注力、軽自動車〜マイクロバスまでオールRE搭載を掲げてスタートしました。

REの高性能を象徴させる目的でリリースしたコスモスポーツでしたが第2弾は68年にREを廉価に普及させる目的もあり大衆車・ファミリーカーであったファミリアに搭載、コスモの10A型エンジンはデチューンされていたとは言え100psのパワー、この時代せいぜい60〜70ps程度の1200ccクラスにいきいなり100psのパワーを持つREファミリアのデビューは衝激、勿論メインは既に2代目となっていたファミリアの800/1000/1200レシプロモデルではありましたがやはりRE版はスポーツカーブームもあって注目されモータースポーツにも参戦するなど高額だったコスモとは較べ物にならない庶民的REモデルとして浸透、マツダが目論むRE角は路線は第一段階はひとまず成功を収めました!

↓夢のREエンジンを普及させたファミリアRE(プレスト)


しかしファミリアREは絶対パワーの大きさに比較してシャーシや足廻り、ハンドリングはベースのレシプロモデルと大差なく非常に脆弱、有り余るREパワーを受け止められない言わば未完成な部分が多く評価が得られませんでした。

これに危機をもったマツダは試作的に発売したルーチェREクーペ(69y)を挟み量産モデルとしては第三弾としてカペラ(70y)、第4弾にサバンナ(71y)を投入、カペラは最上級車ルーチェとファミリア間を埋める新車種、サバンナはファミリアとカペラを埋める同時発売のグランドファミリアの兄弟車種、カペラはベースに1500レシプロ、サバンナはRE専用モデル(グランドファミリアがレシプロ専用)の立ち位置を取りREを各車に添えかつ大手2社を見習うワイドレンジを敷きます。

ただ、ここで成功したのはサバンナのみ、カペラもサバンナもファミリアREから引き継ぐカタチでモータースポーツ参戦を行いますがカペラでは新開発でよりパワーのある12A型REを搭載しながらまたしてもシャシの弱さが仇となり好成績は収められずまた、車格的にも半端なイメージ、コロナやブルより格下ながらカローラサニーよりは上、カリーナや後のバイオレット等のカテゴリーではありましたがまだ特に東では弱小イメージのマツダでしたのでこのクラスの開拓者にはなれず商業的には苦戦します。

↓RE第三弾はカペラ、中級セダンの役割も持ちますが車格が半端でヒット作にはならず。


カペラに次ぐサバンナは常勝スカイラインGT-Rをサーキット王者の座から引きずり降ろした事で有名、ファミリア→カペラで学んだREパワーに対応するシャシを持ちその俊足ぶりはREファンだけには留まらない注目を集めデビュー時の人気はかなりのモノ、反面大人しさ=地味目なグランドファミリアは従来型ファミリアの先行モデルとして特に73年のOILショック以降に発展します。

↓スカG神話を崩壊させたサバンナはスポーツマニアに留まらずその獰猛なイメージから暴走族にもご用達となり数奇な運命を辿るモデルでした。


1973年、マツダにとっては悪夢となる中東の情勢不安からなるOILショックが到来、効率が良く小型でスムーズにパワーを出すREの最大の欠点はレシプロ2サイクルにも通じるOIL/ガソリン垂れ流し的な極悪燃費であったため“夢のエンジン”と持て囃されたREエンジンの存在は地に堕ち国内はもとより海外でもRE戦略を広げていたマツダには返品キャンセル等が相次ぎ倒産も視野に入る大打撃を被りRE普及を達成しかけていたな中、深刻な販売不振に喘ぎます。

しかしRE全面展開が肯定路線だったマツダは72年にFMCした2代目ルーチェもREメインとしており排ガス対策の混乱期でもあり手を打てたのはファミリア(72yからサブネームにプレストが入る)からREを廃止しBigマイナーを実施(73y)にしたりカペラのREを縮小しグランドファミリアと併せてレシプロ版を充実させる等の小手先の政策、これだけでは厳しい状況は抜け出せませんでした。
こうした状況の中、RE推し政策の変更を余儀なくされOILショック〜排ガス規制以降は比較的富裕層に訴求する高級車、スポーツカーに搭載する方針を取ります。

方針変更後の第一弾はそんなREの状況を逆手に取ったコスモの発売(75y)当時ではクラウンセドグロクラスとなる200万に近い価格設定(最上級リミデット)を施す高級パーソナルクーペとしてデビュー、“スポーツ”の名前を消し蘇ったコスモ(コスモスポーツは72年に廃盤)は燃費を気にしないハイソサィティーに訴求する高級車として人気を呼びデビュー時に記録的販売数字を上げマツダの窮地を救うモデルでありました。

↓初代シルビア、117クーペのみだった高級パーソナルクーペとしてデビューしたコスモはマツダ救世主!


このコスモの成功からマツダは78yの2代目カペラではRE搭載を封印、この後77年の3代目ルーチェ(レガート)はマークⅡローレルクラスのハイオーナーカーカテゴリーに参戦させ高級グレードにREを搭載、また78年にはサバンナをFMCし本格的スポーツカーとしてサバンナRX-7がデビュー、コスモルーチェには廉価版でレシプロも与えましたがRX-7は先代から引き継ぐRE専用モデルとされREの情熱を失わない姿勢を示しファンから熱い支持を受けました。

RX-7はOILショック〜排ガス対策以降の環境配慮や社会問題化していた暴走族問題を考慮して各社がスポーツモデルを自粛する暗い時代の中、唯一スポーツカーとして継続していたフェアレディZと共に国産スポーツ復活を告げる歴史的名車となりました。
REだからこそ成り立つFrミッドシップ、各スポーツモデルが排ガス規制で牙を失った中、その特性から規制の影響をうけにくい元気なREパワー、トヨタ2000GT以来のリトラクタブルヘッドライトに代表される誰が見ても“スポーツカー”スタイルは飢えたスポ車ファンに大歓迎を受けこれをきっかけに他車もスポーツモデル復権を察知、第2次スポーツブームに向かってゆくのでした!

↓暗い時代に光明を授けた初代RX-7の歴史的役割は偉大でした!


OILショックで苦しみなが大きな転機を迎えたマツダ、75年以降のラインナップ見直しは業績回復の足がかりとなりOILショック時には三菱に奪われた業界第3位の地位を再び狙う立ち位置に70年代後半に回復しました。

マツダにとって厳しい70年代でしたが逆にREエンジンの価値を見出すきっかけにもなり世界で唯一のRE生産メーカーとして独自のファンを築きモータースポーツでも好成績を収め続け世界から認められるメーカーに飛躍した年代でもありました。

また、REばかり目が行きがちながら業界の潮流にはしっかりと対応、2BOXブームには3代目ファミリアにて対応、省燃費から台頭し始めたディーゼル乗用車にもルーチェに搭載したりとRE以外の努力を怠らず確実にNo3を狙う下固めをしていた70年代後半は充実した時期でもあったと言えるでしょう。

※他のマツダ70年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・タイタン(71y)・シャンテ(72y)・パークウェイ(72y)・ロードペーサー(75y)


19××〜あの頃?1970年代(後編)に続く
※アップ時期未定(^^;
Posted at 2019/06/25 21:08:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2019年06月21日 イイね!

19××〜あの頃?1960年代(後編)

 19&#215;&#215;〜あの頃?1960年代(後編) ※この記事は2016/7に上げたモノの改訂版です。

1960年代、日本にとっては激動の年代、交通インフラの急激な発展、東京オリンピック(1964)開催など日本はイケイケどんどんの時代でしたのでモータリゼーションも活性化、各メーカーがまだ拙い技術ながら他車を追い越せ!欧州車に追いつけ!と自動車ファンとして端で見ていてもワクワクとトキメキを持たずにいられませんでした。


そんな時代の各社モデルの振り返り、後編はホンダ〜ダイハツまでを取り上げてみたいと思います。

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(ホンダ)
今や業界2位とも言われるホンダですが4輪市場に参入という意味では最も後発メーカーです。

1946年(昭和21年)、敗戦直後の静岡・浜松で産声を上げたホンダ(本田技研工業)はまず発電機を改造した2stエンジンを自転車に搭載して発売、これが後の“カブ号”と言われた補助エンジン付き自転車→原動機付自転車として大ヒット、この経緯から二輪車に進出し40〜50年代では国際2輪レースでも実績を残し2輪界では世界を含め大手と言われるようになりました。

この経験から卓越したレーシングエンジンの技術を引っ提げて4輪進出を果たしたのが1963年(昭和38年)、当初はその“レーシングエンジン”に相応しいスポーツカーでの参入を目論見ながらも諸般の事情からそれは敵わず「T360」と言う軽トラックにてデビュー、まだまだ当時、業務、作業性に優れる商用車がメインの時代でしたので一部マニアにしか認められないスポーツカーでの参戦を諦め一定の需要が見込める軽トラを第一号とし、かつ360cc軽自動車のスポーツカー認可が降りなかったという側面もありました。

↓4輪初参入は軽トラのT360


第一号のT360、見かけは立派な軽トラながら心臓は当初デビュー1号を目論むS360用に開発した360ccDOHC30psというハイパワーエンジンをそのまま搭載、奇しくもレーシングエンジンとして開発されたDOHCは日本での初お目見えは何と軽トラ!だった訳です。

熟成した2輪技術から造られた360cc2気筒30psDOHC搭載というスーパートラックはエンジン特性と使用用途の乖離から商業的には評価されないながらもDOHCエンジンを語る上で非常に重要、歴史的にも外せない名車?迷車?として語り継がれていますね。

何はともあれT360で4輪デビューを果たしたホンダはT360の失敗も肥やしにして次々にユーザーニーズに合致したモデルをリリース、軽スポーツは敵わぬ夢となりながらもS360の精神を受け継ぐS500(63y)、これのバージョンアップのS600(64y)やS800(65y)発売し2輪イメージからの流れでスポーツ好きマニアに高い支持を受けました。

↓Sシリーズの頂点であるS800!


しかしホンダの秀逸な点は得意のスポーツモデルだけには終わらず一般大衆に訴求しまだ本命は商用車が務めるこの時代ですので積極的に商用モデルもリリース、L700/800、P700/800(バントラックモデル 65y)で足場を固めた上で今ではホンダNo1の名車と言われるN360を67yに発売、これまでスバル360、ミニカ、キャロルで安定していた軽自動車市場に革命を起こしたと言われるN360は非力、我慢車と言われたこのカテゴリーでは正に異端児、30psを超えるハイパワー、利点は大きいながらも技術の稚拙さでなかなか量産化されなかったFF機構を武器に軽自動車の常識を超えたN360は爆発的なヒットを飛ばしホンダの今日を築く立役者になりました。

↓軽自動車の革命児N360は大ヒット!


N360には商用版のLN360(バン)、よりパワーのある輸出モデル→国内版となる普通車登録N600Eというバリェーションも話題、発売後はツインキャブのスポーツ仕様やサンルーフ仕様などワイドバリェーションを展開、何よりもこれだけ話題のN360は非常に廉価で庶民の心を捉えたのが大きかったです。

N360の成功で一気に4輪界のスーパースター化したホンダ、高い技術力と名将(社長)本田宗一郎氏の創意工夫が花開いた、そんな60年代でした!

※他のホンダ60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・TN360(67y)・ホンダ1300 77/99(69y)


(富士重工)
スバル=富士重工の自動車ブランドとして名乗りを上げたのが1954年のスバルP-1(試作)これに続いて発売されたのが国民車スバル360(58y)でした。

元々富士重は旧中島飛行機という会社で戦中には戦闘機をメインとするメーカー、戦後の財閥解体により富士産業に改名、上述のP-1や360の自動車部門に平和産業の転換を掛け側面ではスクーター(ラビット)、民生用飛行機、バスボディや塵芥車他の幅広い事業で地盤を固めました。

元飛行機屋の意地と技術力、そして創意工夫により国民車構想に呼応するカタチで発売されたスバル360はまだ国産車が未成熟な50年代に驚くべき水準で人気を獲得、50年代ではまだまだ庶民には高嶺の花だった“クルマ”というモノを維持費/購入が廉価である軽自動車というカテゴリーに合わせたのも成功の秘訣、飛行機技術からなる軽量モノコックボディの採用、空冷2stので軽くパワーのあるエンジン、小さいながらも大人4人を収め実用に耐える頑強さが後のスバル発展の基礎を築きました。
この好評さから高速時代に対応するかのように市販初の普通車参入版であるスバル450もリリース(65y)されましたがこれは中途半端な排気量である事から支持は得られませんでした。

↓360の思想で普通車市場参入のスバル450!


好評スバル360は50年代でに一気に販売を増やし足元を固めますが60年代になるとスバルに続け!とばかりに三菱からミニカ、マツダキャロル等のライバルも増加し苦戦を強いられるようになり、67yのホンダN360により設計の古いスバル360の役目は終わりに向かいましたがその後1970年まで現役を続け軽ベストセラーとして君臨、後年〜現在でっはスバル、いや、国産傑作車として名車の一つに数えられているのはご承知の通り!

スバル360の成功を元にし66yには独自の技術とアイディアを固めたスバル1000で1Lカーブームに沸く大衆車市場に参入、まだ他社が技術力、生産性で問題を抱えかつ日本車がアメリカコピーで発展してきた経緯もありFRが当然の時代に異端児であるFF機構を採用したスバル1000、限定的にその技術力やスバルの思想に感銘を受けた所謂”スバリスト”と言われる熱心なスバルファンに支持を獲得、以後発展モデルであるff-1、1300G→レオーネと1000を基本としたモデルしか乗らない!という頑固なファン層を築きました。

↓後年のレガシィ、インプレッサ人気の元にはこのスバル1000にアリ!


50年代で庶民の味方となったスバル、60年代は頑なな思想とクルマ造りからやや専門的、拘りのある層に傾倒気味ではありましたが少数でもそう簡単には離れない頑ななファンを掴み確実な基礎を築いた年代だったと言えるでしょう。

※他のスバル60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・サンバー(61y)


(日野自動車)
現在はトヨタの傘下に収まり中・大型車専門のトラックメーカーとしてシュア1位(トラック部門)を堅持するメーカー、歴史は古く母体は明治・大正期にまで遡ります。

戦前〜戦中〜戦後と激動の時代に合併→分離から日野自動車となりその時期に成熟させたディーゼルエンジンを基礎にした大型トラック・トレーラーの大手メーカーとなりました。

あくまで大型車メーカーとして発展してきました日野ですが民生産業の代表であった乗用車部門にも1953年(昭和28年)には参入、仏・ルノー公団からルノー4CVをノックダウン生産を開始し乗用車を学んだ末、61年にはこれを下敷きとした自社開発したコンテッサ900を発売、ルノー同様のRR等基本は継承、頑強な造りと信頼性でまだまだ国道ならぬ酷道が殆どだった時代に主にタクシーなどでは重宝されました。

コンテッサは62年にコンテッサ900スプリントというショーモデルが発表され絶賛、ジョバンニ・ミケロッティの手による美しいデザインは世界的評価を受け一気に日野が周知される事となりこれの市販型が64年のフルチェンジで新型となったコンテッサ1300、スプリント同様にミケロッテティの美しいデザインは4セダンとクーペをラインナップ、400cc拡大された新開発GR100型OHVエンジンは高速型特性で空力がいいクーペはモータースポーツでも用いられました!

↓ミケロッティデザインの2代目コンテッテサはその美しいスタイルで一定以上の人気!


日野はコンテッサ以外で当時乗用車よりも需要が見込める商用小型車にも参入、60年にコンマース(キャブオーバーバン、バス他)、61年にはブリスカ(ボントラ)をリリース、共にルノー4CVやコンテッサのパワーソースを流用しながらコンテッサではRR方式としたのをFR(ブリスカ)、コンスーマでは日本初のアンダーフロア+FFを採用し先進性に注目を集めています。

↓時代的に需要の高いボントラ市場にも参入したブリスカ!


50〜60年代初頭には上記のように庶民性が高くかつ先進的な小型車を開発していた日野ですが66年にトヨタ傘下入り後は元来のトラックメーカーに立ち返りコンテッサは67年、コンスーマは生産性と非力に苦しみ傘下入り以前の62年、ブリスカはそのままトヨタブリスカと移行しますが68年にトヨタ製ハイラックスに後を譲り生廃、全ての小型車から手を引く事となり(一部4ナンバー小型トラックを除く)以後、トラックメーカーとして歩み今日に至っています!


(スズキ)
スズキは元々はトヨタ同様に自動織機のメーカーとして発足、自動車界への参入は1952年の2輪からであり4輪に関しては55年の軽自動車スズライトが初、その後2輪と軽で着実に成長し60年代を迎えています。

60年代に入り50年代に発売したスズライト(SS:セダンSL/SD:バンSP:トラック)を基本にSSをスズライトフロンテ(62y)→フロンテ360(67y)、SL/SDをスズライトTL、SPをスズライトキャリィ→キャリィ(58〜67y)にそれぞれ発展させ軽自動車随一の広い車型を備える軽自動車専業メーカーとしての地位を確立しました。

67年に発売されたフロンテ360は従来のスズライトの思想を一転、それまでFF方式に拘り生産性が悪くコストも掛かるという短所を解消しRR方式にしたところで廉価と大量生産を実現、既にスバル36やキャロル、ミニカという古参が陣取りしかも同時期に発売されたホンダN360との競合もありましたが軽乗用初の2st3気筒エンジンの搭載は大きく話題となりました。
理論上4st6気筒のバランスとスムーズさを持つこの3気筒エンジンはホンダ同様、2輪のレーシングエンジンから学ぶ2st3気筒、この後スズキの売りとなり各車に搭載されてゆく事になります。

↓RR方式、軽初の2st3気筒エンジンで注目を集めたフロンテ360!


軽自動車メーカーとしての地盤を固める一方で1Lマイカーブームの前夜祭である800cc市場に65年、フロンテ800にて参戦、ライバルには見れない先進のスズライト時代に学んだFF方式で訴求しますが既にトヨタパブリカ、ダイハツコンパーノベルリーナ、マツダファミリアによる盤石な体制が築かれていた事に加え66年からはこれの発展→より激戦区となる1Lカーが続々発売され企業力が低いフロンテ800は埋没、69年には大失敗を認め製廃、以後これに懲り暫くスズキは軽専業メーカーに立ち返りますがその意地を示し1973〜2006年、34年間軽自動車シュアNo1という偉業も成し遂げています!

↓65年には早くも小型車市場に参戦したフロンテ800!


自動車界参入がホンダに次いで遅いスズキでしたが60年代の攻勢は今に続く軽No1の自信と手応えを得た年代、軽自動車という限られた枠内でいかにコストを掛けずに可能な限りの最良なクルマ造りを学んだ年代だったと言えます!


(ダイハツ)
このメーカーも歴史は古く量産メーカーとしては最古の部類、明治時代にガス内燃機関を手がけたところからスタート、自動車参入はこれまた古く1930年(昭和5年)、戦後まで庶民の足として親しまれた3輪トラックが最初、60年代までこの分野では第一人者としてライバルのマツダと争いました。

51年のビー以外は時代もあり基本商用車主体でリリース、空前のヒット作である3輪のミゼットを4輪化したハイゼット(60y)を皮切りに続々と4輪モデルの発売を開始、50年代後半〜60年代になり4輪化の波が押し寄せると共に徐々に4輪にシフト、ハイゼットを皮切りにニューライン/同キャブ(63y)、58年デビューの4輪トラックのベスタから変わるV100/V200(64y)等がありこの頃から意外に知られていませんがディーゼルエンジンにも注力、国鉄のディーデゼル機関車への納入実績などの側面もあり同社のトラックなどにも他車に先駆けて搭載されていました。

本格的商用車に参入したのは1963年(昭和38年)のコンパーノベルリーナ、当初は確実な需要が見込めるバンモデル(コンパーノ)でデビュー、好評から乗用化してビー以来の久々の乗用参入でした。

↓本格乗用参入のコンパーノベルリーナ!


伊・カロッツェリアが基本デザインを担当したコンパーノベルリーナはイタリアン調のモダンなスタイルが受け人気を獲得、国民車構想に応え既に700〜800cc級小型車ではトヨタパブリカや三菱500/コルト600が存在するもその洒落たスタイル、仕上げでコンパーノスパイダーは発売直後にはTOPの人気を獲得、ダイハツのメイン車種として発展、バン/セダンに加えオープンモデルのスパイダーやベルリーナのスポーツバージョンコンパーノ1000GT、そしてピックアップとワイドバリェーションを展開、1Lマイカーブームの前夜に広く庶民に愛されるクルマでした!

↓スポーツカーブームに先駆けて発売されたコンパーノスパイダー!


しかしダイハツは67年にトヨタ傘下入りとなり軽〜大型車のフルラインをグループ会社にて達成したいトヨタの意向に伴い商用/乗用とも自社開発としては小型車市場から撤退、ダイハツは軽専業、大型は日野と役割分担する事となり1970年のコンパーノベルリーナ4ドアセダンを最後に暫く小型からは退く事になります。

余った生産設備でトヨタ車の受託生産やダイハツブランドのトヨタ製車輌(コンソルテ-パブリカ、ライトエース/ダイナ-デルタ)等は行うも70年以降は完全軽自動車メーカーとなったダイハツはその後軽の開発に注力、オリジナル(自社製)は66年に発売済の軽乗用(バン、ピックアップの商用も設定)のフェローとハイゼットのラインアップとなっています。

↓後年ダイハツの主力となる軽乗用第一号であったフェロー!


フェローは軽乗用としては後発の部類、オーソドックスなFR機構と相変わらずのデザインセンスの良さから一定の支持は受けるもスバル、三菱、マツダ、スズキ、ホンダの牙城は崩せず苦戦、特に大阪のメーカーであった為西では好評ながら東日本での浸透が弱くこれの拡販に70年代は驀進する事になってゆきました。

明治から続く老舗も戦後急成長した大樹に飲み込まれ60年代後半からは自主性が弱まったダイハツですが日本車の創成期〜青春期には偉大で確実な足跡を残したと言えるでしょう、60年代半ば迄で普通車市場の火は事実上消えましたが確かな功績を遺した、そんな60年代だったと感じます!

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前編後編に渡りご紹介した60年代の国産10社、如何でしたか?

各社の各モデルには個人の主観で思い入れはそれぞれだと思いますが日本のモータリゼーションのスタート地点であるこの年代を文章から感じ取って頂けると幸いです!

長文読破、お疲れサマでした<(_ _)>


19××〜あの頃?1970年代(前編)に続く
※アップ時期未定(^^;
Posted at 2019/06/21 20:24:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2019年06月20日 イイね!

19××〜あの頃?1960年代(前編)

19&#215;&#215;〜あの頃?1960年代(前編)※この記事は2016/6に上げたモノの改訂版です。

19××、以前深夜に懐かしい時代の音楽流していましたよね(関東だけか…?)それのクルマ版と言うか今や色んな意味で世界一となった日本車をその時代時代に於いてメーカーの隆盛、発展やいずれ訪れる飽和状態→衰退(一部メーカー)まで19××、20××として振り返ってみようかなぁと…

かく言うワタクシは60年代製、従って生を受ける以前の50年代以前はリアルには知らないので60年代〜現在の2010年代までの半世紀を主にメーカーさん主体で振り返ろうと思います。

60〜70年代は当然子供、従ってその頃の感想は子供目線の部分もありますが無類のカーキチ(死語)だった亡オヤジの残した知識、そして信頼する文献の力も借りますがなるべく当時、自分が肌で感じた思いを綴って行ければと思います。

いつの間にかに生き字引?な年代になってしまいましたがクルマ好きとしては幸いにも国産車の青春時代〜発展期、そして世界のTOPを取る過程をリアルに見てきました、例によって独断、偏見、私感がたっぷり入るとは思いますがなるべく事実をありのまま語りたいと思っておりますので若い諸君はしっかりと第三者の厳しい目で精査し勉強するように(爆)

それでは早速やりましょ(^^)v

定義としては一度でも乗用車を生産した国産メーカーが対象、従ってこれの経験がないUDトラックス(日産ディーゼル)は除きますし二輪オンリー(川崎重工、ヤマハ発動機)も同様。
また乗用メーカーであっても60年代以前、前後に倒産、吸収、消滅しているメーカー(プリンス、オオタ、NJ、オカムラ、愛知機械等)も対象外、ベースモデルが他社となる光岡も同様ですので宜しくお願いします!

※長文になるので前編/後編に分けています。

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1960年代、一口に言っても10年ある訳ですし特にこの年代は初頭はまだ戦後の雰囲気を払拭できず貧しい時代、逆に末期は高度成長の波に乗りイケイケどんどんという正に激動の時代でした。

現在と似た雰囲気?64年に東京オリンピック開催が決まりこれに合わせるように東海道新幹線や東名、名神高速や首都高速も次々に開通、インフラ整備と相まって日本のモータリゼーションは40〜50年代の創成期を終え発展成長期にありました…。

1$は360円の時代、まだまだ欧米諸国に追いつけ!という中、車、家電は日進月歩の発展を見せ高度成長による急激な時代の変化、しかもこれから発展するというワクワク感、希望を見いだせる年代でした。
所得もうなぎ登り!元々勤勉な日本人は敗戦というハンデをこの勤勉さで戦後20年にて復興を成し遂げGDPも急成長、極東の小さな島国“にっぽん”が世界から注目を集めはじめる、そんな年代でした。

(トヨタ)
1955年に現代にも続くクラウン発売以降波に乗るトヨタでしたがライバルの追撃も激しくまだまだ60年代は盤石というものではありませんでした。

しかし時の通産省が提唱した国民車構想に応じたパブリカ(61y)、これを発展させマイカーブームの大波を確実に捉えた初代KE10型カローラ(66y)、第一次スポーツカーブームをけん引し国際基準で由緒ある欧州スポーツカーにも渡り合えるトヨタ200GT(67y)の発売、これらの廉価版弟分で、スポーツ800(65y)、トヨタ1600GT(67y)の発売と後半になるにつれクラウン/カローラで稼ぐ抜きんでた資金力で相次いでユーザーニーズを的確に捉えるモデルをリリース、また販売店育成にも力を入れ顧客第一主義を徹底し60年代末期には多くのユーザーの心を捉え“販売の神様、販売のトヨタ”と言われる程支持を得ました。

↓後発ながらも1Lマイカーブームをけん引した初代KE10型カローラ!


↓日本初の国際級スポーツカー、2000GTもこの年代の発売!


↓特別高性能エンジンを持たずともベースを大衆車パブリカに置き安価で空力ボディにより低燃費、軽量=高性能を実現したスポーツ800!


トヨタの代名詞と言われていたクラウンも67年デビューの3代目からはオーナー訴求を開始、まだまだ国産フルサイズが公用、VIP用というイメージ中でいち早くオーナードライバーに訴求した事が後の裕福な時代を迎えた際、日本の高級車=クラウンと言う概念に自然になっていったのはこの時に築かれていたとも言えますね!

また、それまで外車頼りだったVIPカーにしてもクラウンエイト→センチュリーという設計から制作まで贅を尽くす最高級車もリリース、“日本車を代表するトヨタ”という立場を鮮明に示した時代でもありました。

↓60年代にはそれまで外車頼りだった高級車市場へもクラウン、センチュリーで本格訴求!


60年代に入り一気に車種編成を拡大、この時期のクルマ造りのノウハウが実を結び現在の盤石な地位を築く基礎となった年代と言えるでしょう。

※他のトヨタ60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・コロナマークⅡ(67y)・ハイエース(67y)・ミニエース(67y)・マッシーダイナ(69y)・コースター(69y)

(日産)
戦前から人気車を積極的にリリースしてきた日産、50年代には既に東の横綱(西の横綱=トヨタ)と言われその頃はトヨタに対し小型の庶民訴求モデルが充実、市民には最も親しまれた国産車だったと思います。

そんな庶民性を60年代でも継承、恐らくこの年代で一番飛躍したのが日産自動車ではないかと感じます!

純血主義のトヨタとは違い日産は古くから吸収合併、グループ化で成長してきた企業、このため労働争議などで物議も醸したりしましたがいい面では各方面の技術を吸収、60年代ではまだ他車が技量不足で採用を躊躇する斬新、新鋭技術を投入、販売のトヨタに対して“技術の日産”と呼ばれていました。
大きな冒険は従来、国民車構想を反映させた各社の700〜800ccの大衆車群の頂点を目指し1Lマイカーブームの火付け役になったサニー1000(66y)の発売、高性能OHVエンジンと軽量ボディからなる内容は新時代のファミリーカーとして大人気を博しました。

↓1Lカーブームの先陣を切って発売されたサニー1000


古くはダットサンスポーツDC3型から始まるスポーツモデルへのこだわりも強く60年代、日産は一気にこれに傾倒するモデルをリリース、第一次スポーツカーブームも味方してモータースポーツにも積極的に参加、その気合の入れ方はトヨタ以上でリリースされる各モデルもトヨタ車に比較てしてスポティ色が濃くカーマニアに歓迎される味付けが多く広い範囲の庶民に訴求するトヨタとは違いやや専門的で玄人好みの車種を揃えていたのが特徴。

各モータースポーツにも積極的に参戦、3代目510型ブルーバード(67y〜)ではサファリ総合優勝、またサーキットではフェアレディSP/SR(62y〜)、そして旧プリンスの自信作スカイラインGT(S54B/A 64y〜)やGT-R(C10 69y〜)と矢継ぎ早に好成績を収めその技術を市販車にフィートバックしてゆく姿勢は多くのモーターファンに支持を受けました、ミッションのフルシンクロ、セミトレーディングアームの4輪独立懸架などまだ他車では満足に商品化できていない技術もこうしたモータースポーツから生まれたモノ、日産のクルマはレベルが高い!!と巷では言われていた60年代でした。

↓日本車が世界一過酷なラリーと言われたサファリを初制覇の偉業を成した510ブルラリー仕様!


↓旧プリンスから引き継ぐスカイラインは伝説を築きました!


↓ダットサンスポーツの流れからフェアレディ1500→1600→2000と進化、2000はモンスターとしてサーキット暴れまくり!


スカイライン(6気筒主体モデル=セドリックや一部商用)にはまだ“DATSUN”ブランドが隆盛の時期、上記車種もプリンス出のスカイラインを除き全てダットサンの名称が車名に入ります

他車より1歩も2歩も先んじた60年代の日産、西の横綱とガップリ四つに組み飛躍した60年代、今振り返ってもこの時代の日産は見た目よりも実で勝負する誠に骨がありクルマ好きを虜にする充分な要素があったと感心してしまいます。

※他の日産60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・セドリック(60y)・ホーマー/ホーミー(64y)・シルビア(65y)・ローレル(68y)・キャブスター(68y)・サニーキャブ/チェリーキャブ(69y)


(いすゞ)
50年代はトヨタ、日産に並び“御三家”と言われたいすゞ、今でこそ完全なるトラックメーカーですが90年代までは乗用車造りに励んでいました。

と言っても元が三菱や日野同様にトラック主体ししてきたメーカーですから乗用車はあくまでサブ、しかし60年代の急激な乗用車発展期にはいすゞもこれに力を入れていました。

50年代にイギリスのルーツと提携し同社のヒルマンをノックダウン生産、これで乗用車を学び64年まで造りますが入れ替わるように62年にまずクラウンやセドリックのハイタク需要に挑戦するベレルを自社開発して発売、続いてベレット(63y)もリリース、この二車は前任のヒルマンのラグジュアリー&スポーツという性格を分けたような内容、ベレルは高級度合いを高めベレットにはスポーツ精神を継承、まだ珍しいフロアシフトやタコメーターも含む丸型メーターといったこの手のモデルではパイオニア的なヒルマンのDNAを確実に継いでおり加えてパワフルなエンジンや高度な足回りはサーキットでも大活躍、日本初のGTを名乗ったのもベレットでスポーツ好きにマニアックな人気を獲得、67年には成功とは言えず短命に終わったベレルの後続であるフローリアンを発売、順調に60年代を駆け抜けました。

↓ヒルマンで学んだ乗用技術を華開かせたベレル


↓ファミリーセダンが主ながらスポーティなクーペが大人気を博したベレット!


68yには伊、Jアローがデザインした美しいクーぺモデルを発売、生産性の悪いハンドメイド製作にて当時破格の172万円という驚きの価格でデビューしたこの117クーペは現在でも名車の名を欲しいままにする国産車の傑作に数えられています。

尚、117、ベレットには市販車としては贅沢なDOHCエンジンを搭載、トヨタやホンダに先がけてこのレーシングエンジンを一般に広めた功績は大きかったです!

↓奇才、Jアローデザイン、ハンドメイド、172万円という超高額が話題となった名作117クーペ


60年代、乗用車と同時に高度成長期の日本ではトラック等商用需要も見過ごせずいすゞの場合、企業力も小さく本業のトラックに重点を置かなざるを得なくトヨタ、日産のように乗用のみに注力する余裕がない中、これだけの名作を生み出しており50年代から継承する存在感は不変でした。

※他のいすゞ60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・ワスプ(63y)・エルフィン(66y)


(三菱)
三菱自工、まだ60年代には存在していません、ただクルマは造っていましたよ=三菱重工自動車部…

戦後の財閥解体の時、中日本とか新三菱とか色々社名は変わっていますが自動車製造は国産最古の部類、戦後は軍需産業大手だった経験から米ジープの生産権を獲得、そしてトラックバス事業でも繁栄しました。

こうした部分でクルマ造りを行ってきた三菱、60年代はにわかに注目を集めだした乗用車部門に参入、三菱500→コルト600(60/62y〜)や国民車構想に軽自動車で応える初代ミニカ(LA型62y〜)が代表作でした。

↓庶民訴求の第一弾であった三菱500!


ただ、ともすれば重工体質の悪い部分もあり“頑強で壊れずに走ればいい”的でデザインや快適性どを度外視した頑なな車造りの姿勢はクルマにそろそろ夢と憧れを訴求しだした市場には受け入れられず苦戦、トヨタ、日産、いすゞの後塵を仰ぐ事になりこれまでの姿勢を反省、コルト1000(63y)でクラスを超える贅沢なセダンを提案、続いて高級乗用車であるデボネア(64y〜),、コルト800(65y)等60年代半ばから車種編成で大攻勢をかけ徐々に評価を得て69年に名車、コルトギャランを発売、これによりここまでどうしても軍用&トラックメーカーとしての認知しかなかった三菱が乗用車メーカーとして認められ70年の三菱自工発足となる訳ですね。

↓1Lカーブーム前夜に1クラス上の贅沢さを身に着けたコルト1000!


↓グロリア、クラウン、セドリックに続くVIP向け高級車市場にも初代デボネアで名乗り!


↓“三菱の乗用車”を広く普及させた名車、コルトギャラン!


乗用車造りは実際長い歴史はありながら日本が辿った軌跡に倣い民間需要から離れていた三菱が戦後、平和産業への転換の一つが乗用車造りでありそれに目覚めた60年代、特に後半からの成長には目を見張るモノがありましたしやがては横綱2強をも慌てさせるクルマ造りを成し遂げる原点がこの時代だったと思います。

※他の三菱60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・ローザ(60y)・キャンター(63y)・ジュピタージュニア(63y)・ミニキャブ(66y)・デリカ(68y)


(東洋工業=現マツダ)
戦後は庶民に高い需要のあった3輪トラックで成長した東洋工業(以下マツダで記載)、当時は広島の中小メーカーといった体で西日本では知名度も高いながら東側にはまだ充分な浸透はなされていませんでした。
3輪〜4輪の軽/普通商用で実績を上げてきたマツダが今後の自動車界のトレンドである乗用車に進出したのが正に1960年(S35y)で軽自動車ながら小洒落たクーペボディを持つR360クーペ、これの一定の成功を見て続いて4ドアも持つ軽乗用の初代キャロル(62y)をリリース、360の小さなボディながら特徴的クリフカットを採用し大人4人をしっかり収めるキャロル、RrエンジンRrドライブの走破性も高く評価され大成功を収めます。

これにより自信を付けたマツダはいよいよ普通車市場に参入、63yの初代ファミリア、66yの初代ルーチェ、67年のコスモスポーツと続々とNEWカーを投入します。

↓特徴的Rrデザインで余裕ある4人乗りを提唱したキャロル!


↓激戦が予測される小型車クラスに名乗りを上げた初代ファミリア!


ファミリアは1Lカーブームの基礎を作った700〜800cc小型乗用での主役、既にこれもトヨタパブリカ、ダイハツコンパーノ、三菱コルト600〜800等ライバルがひしめく激戦区でしたがクラスを超えた質感と先に商用バンを発売しその反応をじってくり研究してからのセダン発売という綿密なリリースはライバルを制す人気をファミリアは得ています、これの成功がこれまで弱かった東日本でも一気にマツダの名前は知れ渡るようにもなりました!

↓世界初のREエンジン搭載市販化を実現したコスモスポーツ!


コスモスポーツは言わずと知れた我が国、いや、世界で初めてロータリー(RE)エンジンを市販化した初のモデル、マツダのREに賭ける情熱は生半可ではなく61年にRE元祖である仏・NSU・バンケルと業務提携しREを研究、コスモ搭載時には独自の2ローターとしてREの欠点を克服、その高い技術力も注目を集めました。

発売時は第一次スポーツカーブームの真っただ中、REの高性能を表現するのには一番適すスポーツカーとしてデビューさせたのも先見の明あり!しかし残念ながらもコスト高からなる車輌価格の高額化とREエンジンの浸透がなされず商業的には決して成功ではありませんでした。

しかし商用→軽→小型と発展させ“夢のエンジン”として社運を賭けたREエンジン実用化と確実に成長した60年代、現在に於いてREはラインナップされないながらもマツダ=REというイメージが根付いているのはこの時代の血の出るような努力の賜物であったという点を付け加えておきます!

※他のマツダ60年代発売の新型車(継続モデル=モデルチェンジは除く)
・プロシード(65y)・ライトバス(65y)・クラフト(65y)・ボンゴ(66y)・ポーター(68y)・ボクサー(68y)・ポーターキャブ(69y)


19××〜あの頃?1960年代(後編)に続く
※アップ時期未定(^^;
Posted at 2019/06/20 23:02:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ

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