1990年、スイス国内スーパーバイク750cc(S/B)&スーパースポーツ750cc(SS750)クラスの、2クラスに出場するために、メカニックとして1シーズンスイスでの生活が始まりました。
チーム母体は、ミューレバッハホンダセンターという「オートバイ屋」さん。
このチームのライダーは昨年ランキング2位で、この年のS/B出場にスポンサーが日本よりZero-VX7を購入して走らせることになっています。
ちなみに、このチームには数年来、日本人のメカニックが所属しています。
ニックネームは「近ちゃん」。
まっさくんより2つくらい若いですが、ドイツ語(スイスドイツ語~訛りがある)ペラペラです。
そんな事情から、初の海外メカニック体験も少し心強い感じ。
まっさくんが到着した時には、日本より車両が届いていて、シーズン前のテストで1週間ほど隣国のサーキットへ遠征中だった。
まっさくんが、スイスに来る前に日本で一度お会いしているので、面識はあるから大丈夫ですが、この1週間の食事がつらかった。
先ず、生活方法が分かんない。
仕事は、朝の8時~17時まで。
日本じゃぁ、仕事終わってからスーパーに買い出しに行けるでしょ?
当時のスイスでは、17時以降はレストランと、飲み屋さん以外は「閉店」してしまうのよ。(笑)
土日祝日は、宗教上の関係でお店は全て「休み」。(笑)
いやいや、スイスって「観光の国」でしょ?(笑)
でも当時は、土日祝日は、外食関係のお店以外すべて休み。
日本じゃぁ、ありえないくらいの衝撃。(笑)
そんな状態なので、買い物に行けなかった。
オーナーさん宅に居候していても、「キッチンここだから好きに使ってね。」ってな感じ。~買い出しいけてないんですけど?(笑)
だから、食料1週間分とかのまとめ買いをするのがやっと判った感じ。(笑)
仕事は、土曜日昼までの、日、月曜日休みだったから、当時1990年3月21日が水曜日、3月26日が月曜日でやっと買い出しできるように。(笑)
「近ちゃん」がかえって来たのは、この25日の日曜日で、お会いしたのが27日火曜日くらいだったかな。
1週間近く、ひもじい思いしてたのを思い出した。(笑)
後の話になってきますが、こんな状態だから、レースシーズンが始まって遠征がある時が凄くうれしいことに。
当時、海外旅行等のバイブルに、「世界の歩き方」なる本が出回っていた。
まっさくんも、スイス編と、ヨーロッパ編を持って行っていた。
旅行者の「経験」などをお元に色々な情報が載っている本。
「当時物」の地球の歩き方(笑)
この本は、「必要」な所だけばらして使うようにするのが「定番」。(笑)
そん中で、スイス編で、「スイス人は冷たい人が多い」という記事があったのを思い出した。
日本人だったら、初めての人などには今風で言う「おもてなし」みたいな感じがあると思うけど、そういうのが無い。
まさくんも、最初はスイス人は冷たい人が多いと感じる所でしたが、それはすぐに違う事に気が付いた。
簡単に言うと、余計な「おせっかい」はしないという事。
極端な事をいえば、「あなたは、体に障害は無いでしょう、五体満足でしょう?
また困って助けを求めている事も無いでしょう?(しゃべれるでしょう?)」。的な感覚。
後に、バスに乗ることになった時、何度かベビーカーを押して乗車する女性を見たことがある。
スイスのバスは、乗降用ドア開閉ボタンに「人のみ」と「ベビーカー」のボタンが付いていた。
「ベビーカー」のボタンを押すと、乗降ドアが通常の倍の大きさで開くようになっていた。
そんな時、ベビーカー近くの他の乗客が当たり前のように、ベビーカーを乗せたり降ろしたりして、ベビーカーの女性の乗り降りをスムーズにサポートしている。
これ見た時、めちゃくちゃ感動したのよ。
一見やんちゃそうな若者でも当たり前のように対応している。
困っている人には、ためらいなくサポートする。
短期間でスイスに旅行に来た日本人が、スイスの人を冷たく感じたというのは、その人が助けを求めているような発言も無かったからじゃぁないかなと。
まっさくんも、後に言われた事。
「口に出して言わないと相手は解んないよ。日本とは文化も違うから黙ってたら何も伝わらないよ。」
そーなんだなぁ。
それと、短期間の「旅行者」とみてくれた「時」は、スイス国内の「言語」が出来なくて「英語」でも相手してくれるけど、やはりその国の人はその国の「言語」に誇りをもっているから、流暢な英語より「下手、カタコト」でも頑張ってしゃべっていく方が、やっぱり相手してくれる。(笑)
日本でも「同じ」でしょ?(笑)
学生時代、第二外国語科目が「ドイツ語」だったんだけど、まさか使うとは思ってもいなかったんだが。。。
もう少し真面目にやっとけばよかった。(笑)
「近ちゃん」がいない1週間を何とか、生きなえながら(笑)、生活のやり方を教えてもらって。
まっさくんも、レース車両のメンテナンスに入ります。
まっさくんはサテライトチームの「Team Nock」というヨーロッパキックボクシングチャンピオンのオーナーが率いるライダーを担当。
昨年はランキング3位だった、Huby-Maiyer(通称フービィ)というライダー。
チームの車両は、ミューレバッハホンダに保管して、まっさくんがメンテ。
使用した部品はチームに請求しますが、まっさくんの作業工賃はチームに対して無償という形でのメカニックサポート契約。
なので、レースが無い時、レース車両に問題が無い時は、ミューレバッハホンダの社員として「一般バイク」を整備します。
当時のスイス国内S/B選手権は、TT-F1レギュレーションに基づいて開催されていたので市販車ではないフレームの使用も認められていました。
フレーム以外は、当時のW-S/B選手権に規則に基づいたルール。
スーパースポーツ750ccクラス(SS720)は、量産ストックバイクの保安部品を外した状態のクラス。
当時、この2クラスにエントリーして年間11戦のシリーズチャンピオンを競います。
又、前年、各国内3位以上の選手には、ヨーロッパ選手権と世界選手権のスポット参戦が出来る機会がありますので、それにも各1戦づつ参加予定。
なので、メカニック1人で2クラスの車両をメンテナンスすることになります。
RC30S/B仕様の車両とRC30SS750の車両。
ちなみに、日本と違ってENG.担当、車体担当、メカニック担当などと言う分業は有りません。
ENG.チューニング~O/H、車体メンテナンス、セッティングetc.すべて1人でやっていきます。
赤ゼッケン~S/Bクラス
青ゼッケン~SS750クラス
この2台を1シーズンメカニックとしてメンテ。
「近ちゃん」も1人で2台面倒を見るので、レース時の大きなアクシデントが無い限り、お互いの車両に関しては全く関与しません。(笑)
はっきり言えば、「別チーム」なわけ。
レース時に一緒に同行しているイメージかな。
これねぇ、「日本の時」とは全然違う環境。
車体からのENG.積み下ろしも1人で行う。(驚)
日本の環境が甘い状態だったのかも。
続く。