おはようございます。
都内に緊急事態宣言が出されて2日目、寒い事もあり朝の散歩をしただけで後はほぼ一日中自宅に篭っていました。
今日は第二日曜日ですが早々に代官山蔦屋書店のモーニングクルーズは中止が決定しており、同時にこの日にある予定の有明会も今日は中止と発表されています。
昨日も新規感染者数が二千人を超え重症者数も著しく増加していて入院待ちの患者が数千人居るとか。
流石に政府もGo toトラベルの中断も更にもう1ヶ月の延長を決めた様です。 様子を見て後手後手で判断して小さな対策をするのではなくこう言う時こそ先手先手で大きな対策をして欲しいものです。
話は変わりますがネットニュースを見ていてアメリカメジャーリーグのトミー ラソーダ監督が亡くなられたと言う記事を読んで昔を思い出していました。
私が最初にアメリカに駐在したのが1978年ロサンゼルスでした。 ちょうどドジャースの全盛期で、
1塁にはスティーブ ガービー、2塁にはデイビィ ロープス、サードにはロン セイそしてショートにはビル ラッセルと不動の内野手が揃っていてその監督がトミー ラソーダさんでした。
自身は選手としてはパッとしない戦績でしたが監督として見事に花を咲かせた方です。
ドジャースタジアムにも数十回足を運んでいましたし、私がフェアレディと共に最初の帰国をした翌年から近鉄にいた野茂投手がLAに移籍して大活躍をしたのは有名な話ですね。
私事になりますがアメリカでそれまで細々と日本から輸出していた製品の現地生産と販売を担当するために米国に派遣され今では全米の殆どのスーパーマーケットの棚に並ぶ様になり、 現地生産工場も東海岸と西海岸の2箇所になりましたが赴任当時はリトル東京などの日系の店とごく一部のアメリカ系の高級なスーパーマーケットに入っていただけでした。
一つ余談ですが当時当社の商品を販売時まで保管してもらっていたLAの大きな倉庫会社の社長(ディドーさん)が南カリフォルニア大学(南加大、USCトロージャンズ)の野球のヘッドコーチで南加大の野球場にはその人の名前が付いているのですが、その人がラソーダ監督の友人でその人を頼って江川選手が空白の一日までの一年間南加大で浪人生活を送っていました。 その時から巨人軍の描いた筋書きだったのでしょうね。
その頃商品の販促のためによく展示会やスーパー内で自分自身でも展示販売をしていたのですがある日白人の老婦人が販売しているブースに来られてうちの商品をずっと家族で愛用しているよと言ってくれました。 その人がラソーダ夫人でした。 後でお手紙を書いた覚えがあり、返事も貰えたのですが会社に置いてきて手元には残っていません。 残念。
2006年から2度目の米国駐在になりその後も何度かドジャースタジアムやアナハイムスタジアムへ行っています。 結局野茂さんの活躍は余り見る機会はなかったのですがその後のイチロー選手の試合はよく見ました。
アメリカのメジャーリーグの試合を見に行くと時々全員にギフト(Tシャツやマフラー、グラブなど)配られるのですがある日ドジャースタジアムに行った時にこんな首振り人形が入場者全員に配られました。
ラソーダ監督の殿堂入りを記念した人形ですね。
これは大事に持ち帰っています。
ネットニュースから思い出したラソーダさんにまつわる思い出話でした。
ご冥福をお祈りします。
ブログ一覧 |
アメリカの思い出 | 日記
Posted at
2021/01/10 04:40:42