おはようございます。
昨日は暑かったですね。
しかし気象データでも最近の数年が特に暑いそうで昔は8月と言ってもさほど毎日暑い訳では無かった様です。
明治41年8月1日に有栖川宮を先導に10台の自動車が日比谷公園から甲州街道を西へ走り日本最初のドライブツアー「遠乗会」(とおのりかい)が行われました。
車は有栖川宮が当時の東京自動車製作所に作らせた吉田式自動車「タクリー号」が3台、他には輸入のフィアット、フォード、メルセデスなどだったそうです。
その遠乗会で昼食の場になったのが国立市の谷保天満宮の梅林でした。
その昼食の場で日本最初の自動車クラブの「オートモビル クラブ ジャパン」の設立が合意され立ち上げられたそうです。
その当時の東京にさえ全部で二十数台しか自動車が無かった時代の話ですから一大行事だった事でしょう。
そして110年後の昨日 約10台のクラブ員の車と関係者の計70名ほどが谷保天満宮の神殿前に集まり記念セレモニーが行われ、全く同じ梅林で昼食会がありました。
当時はさほど暑くはなかった様子ですが昨日は暑かった。 それでも梅林の木陰では幾分暑さもおとなしく当時も風でもあれば気持ち良い時間帯だったでしょう。
その頃の甲州街道はもちろん旧道で未舗装の砂利道だったと思います。 あの細いタイヤのアンティークカーでの行程はさぞかし大変だったでしょうね。
いただいた資料の当時の新聞記事からも大きな出来事だった事が分かります。
その往路で問題が発生しました。
このセレモニーに参加する為に朝から赤なまず君を運転して谷保へ向かったのですが流石にこの暑さは赤なまず君にも応えたようで谷保天満宮の手前1kmほどの所で突然エンジンが止まりました。
交通量の多い右折交差点で短い右折矢印信号の為に信号3回分ほど停まって信号待ちをしていました。
もちろんクーラーはオフです。
最後にアイドリングが乱れ始め何度かアクセルを煽ってやって信号は曲がりましたがもうパワーは出てきません。
過去にも経験した事なので直ぐに道路際のビルの駐車場に退避したので後続車に迷惑はかけずに済みました。
セルモーターは回るものの再スタートが出来ずどうもパーコレーションの様です。
先ず深呼吸してからボンネットを開き熱を逃がしつつ、キャブレターとコイルに積んでいたペットボトルの水を掛けて温度を下げてみました。
加熱したキャブを冷ますと数分後にはエンジンはまた問題なく始動でき走行できました。
電動ファンを増やしてオーバーヒート対策をしたつもりでしたがキャブの加熱によるパーコレーションには効果なかったのかも知れませんね。
食事会の後、解散になり赤なまず君は少しは冷めたのか何事もなかった様に無事に猛暑の中を帰宅できました。
しかし今夏の猛暑は旧車には酷でしばらくは夏場の走行は避けることにします。
その昨日の記念セレモニーの参加車は改めて後日ご紹介したいと思っています。
Posted at 2018/08/02 05:28:40 | |
トラックバック(0) |
クラブ行事 | 日記