おはようございます。
昨日も都内では新たに106人の感染者が出ています。 これで6日連続の3桁です。 感染者を減らす政策が取られていないのでもう驚かなくなっています。
新宿や池袋で働く人たちに積極的にコロナの検査を受けて貰う以上の対策費取れないのでしょうか。 大いに疑問に思います。
さて、三日目は早朝にホテルをでて北へ走らせます。
この地図の上のコースをたどって帰ります。
セドナから北へ向かうとすぐにフラッグスタッフという街に出ます。更に北へ行くとアメリカの定番中の定番の旅行先であるグランドキャニオンです。
1985年子供たちがまだ小学校低学年の頃、6月に母が亡くなり8月に父を慰めるためもあって父を呼び寄せ、大きなキャンピングカーを一週間借りてグランドキャニオンからザイオン国立公園を回りました。 その途中にニュースでJAL機が御巣鷹山に墜落したというレポートを聞いたのを今でも覚えています。
このフラッグスタッフを東西に通っているのがI-40のフリーウェイでその旧道がルート66です。
ついでに言うとアメリカのフリーウェイには番号が振られていて偶数番は東西のフリーウェイ、奇数番は南北を結ぶフリーウェイです。 その番号も偶数番は南側から10番で始まり10番刻みで北へ、奇数番は西海岸の5番から始まり東へ向けて同じく10番刻みで番号が増えていきます。
3桁のフリーウェイは主要都市のバイパス的な役割のフリーウェイなどに付けられます。
我々はフラッグスタッフから西に向かいルート66に入ります。
旧道なので片側二車線のやや粗い表面の道路でした。
ルート66上のセリグマンと言う街につきました。
この辺りが映画のカーズの舞台ですね。
カーズに出てきそうな風景です。
ルート66関連のお土産屋さんばかりでした。
セリグマンを出ると延々と道は続きます。道路も片側一車線になります。
長時間の運転も嫌になってきて家内と代わってもらいしばらく家内に運転してもらいます。
車は社用車ですが保険会社と話して家内が運転しても保険が利くようにしてもらっています。
ついでに言うとうちの家内は日本では運転免許を持っていませんでした。 78年にアメリカに来て直ぐに免許を取り、運転していたのでアメリカでは気楽に運転できるが日本では怖くて運転する気がしないという人です。
1992年に家内が先に帰国し、当時はまだアメリカの運転免許証があれば無条件に日本の免許に無試験で書き替えられたので家内は日本では一度も筆記試験も実技試験も受けていないで中型免許を持っている希少な人です。(笑)
ルート66も単調な道路で写真を撮ることも無く単に走らせるだけでした。
左に鉄道が出てきてやっと被写体になりました。
戦車の様な軍事車両を運んでいます。
何十両か数えませんでしたが長い列車でした。
先頭はディーゼル機関車で
三重連でした。
列車を追い越すとまた何もない世界です。
カーナビも直線道を示すだけでした。
夕方になり山際には虹も。
その日だいぶ遅くなって無事に帰宅出来ました。
セドナからルート66を通る旅でした。
ありがとうございました。
Posted at 2020/07/08 06:13:24 | |
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アメリカの思い出 | 日記