1991 (平成3)年6月23日、マツダのロータリーエンジン(R26B型)搭載マシン「787B」が、世界最高峰の耐久レース“ル・マン24時間レース”で、日本車初の総合優勝を達成した正にその日のその時間に、私は市川市南八幡4丁目にあったユーノス市川店でマツダセンティア・エクスクルーシヴの納車に立ち会って居た。
思えば、機械設計と電気制御を請け負う個人のエンジニアとして独立して3年目の42歳の時の事でした・・・・。
何処で最初にセンティアを見たかの記憶は曖昧ですが、特に印象的だったリアクオーターパネルとサイドルーフ付近の造形に一目惚れして、MAZDAのディーラーの何軒かを回ったが、半年以上待たされるという返事が続いていて、半ば諦めかけていた時にロードスターのユーザーだったテニス仲間に市川の南八幡に有るユーノス市川店の店長さんを紹介して頂いて、ユーノス系ディーラーの扱い車種ではない「センティアを売って頂けますか?」と聞くと「大丈夫ですよ」と二つ返事!仕様なども直ぐに決めて即注文したのでした・・・・。
その時に私が乗っていたのはHONDAのABプレリュードでしたが、車検も未だ1年ほど残っていたのですが、下取りにせずに、後に別のテニス仲間の友人に差し上げました。
上の表は今日ネットで拾った当時の価格表です。
会社勤めを辞めて独立後、半年ほどの間に私が辞めたことを何処かから伝え聞いた取引先の全てから連絡を頂いていて、とうとう今の今まで自分から営業活動をすることなく過ごしてまいりました・・・・。
そんな訳で、この一目惚れしたセンティアのエクスクルーシヴを購入した時の価格はこの価格にフルオプション+自動車電話器を搭載して、任意保険やら税金等をプラスするとかなりの価格になっていましたが、一括現金で支払う事が出来ました。
当時を思い出すと、自動車電話は、ショルダーフォンとして車から持ち出すことが出来ましたが、ポケットに入るサイズの携帯電話はまだ普及する前で、持ち歩けても大きくて邪魔なサイズでしたから、ガラケーが誕生する前と言う事になります。
今では一人1台のスマホは普通の事で複数台のスマホを所有する人も少なくない時代なので、まさに時代は高性能バッテリーの進化と共に大きく変わってしまいました。
今思い出しましたが、自動車電話の別置きの受話器セットは、運転席と助手席の間に在るコンソールボックスの中に自分で工夫して入れていました。MAZDAではそこまでのオプション設定は無かったのでした・・・・もちろん当時はハンズフリーなどにはならないので、運転中は受話器を耳に当てて片手運転する事になっていたのです。
都心を離れれば繋がらない地域も今より遥かに多く、通信品質もアナログ電話でしたから相応に悪いものでもありましたから、車載の自動車電話は、トランクリッドに立てたアンテナ共々ステータスシンボル以外の何物でも無かったように思えます。つまり見栄を張るには、正におあつらえ向きだったのですね・・・笑。
そんな独立後3年目の私はとりあえず成功者の仲間になったような気分で・・・、まあ、何と言いますか、やはり見栄と言うか・・・、稼げるようになった自分を誇示したかったのですね・・・。
そんな「昭和~平成は遠くになりにけり」・・・なのです・・・・笑。
Posted at 2025/07/26 15:13:40 | |
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