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銀河遼のブログ一覧

2019年08月19日 イイね!

全宇宙に思いを馳せることの意味


この以前、2回のBlogで全宇宙に存在する知的生命体の可能性や確率について書いてきましたが、こうした宇宙の果てしない広がりや悠久とも思える永い時間を身近に考えることの意味について書いてみようと思う。

私の「銀河 遼」というペンネームの由来はまさにそこにあるわけですから、一度はそれについて話しておかなくてはなりません・・・。

私は10歳の時、千葉県の市川市にある市立小学校に転校して来ました。

そこで私はその小学校の図書室の掃除をするグループに偶然入れられたことで、たくさんの書物に巡り合うことになったのです。

目にした様々な本の中に宇宙について書かれた図鑑を見つけて、そこに描かれていた太陽と地球の大きさの比較や、さらに巨大なシリウスやアンタレス、ペテルギウスなどの赤色巨星の存在を知り、それらの星が数十億年という年齢であることも知ったのでした。

それは同時にその巨大な星たちが芥子粒のように見える夜空の大きさから宇宙の大きさを理解させられることになったのですが、その瞬間的な理解の飛躍は私の脳内に鮮明に焼き付けられたのでした。

「ガーン!」という音が頭の中で鳴り響くかのような衝撃だったことを今でも覚えています。何が衝撃だったかと言えば、最も小さく描かれた地球、その地上でその地球の丸さも解らないほど自分の存在が小さいものであること、その頃祖母の死を間近で経験したこともあって、それらの天体に比べることが出来ないほどの短い寿命しか自分には無いという事を対比的に理解したことでした。

多分私はその瞬間、10歳分程一気に心の成長が起きたのだと今では思います。自分の周りの出来事や宿題の事、少ないお小遣いの不満なことも、先生に叱られること、親に勉強しなさいと言われることすべてが、なんて小さなことなんだろう・・・と思うようになったからです。
嫌なことがある度に図書室で宇宙の図鑑を見てスッキリしていた自分を思い出します・・・。

客観的に自分を観察することは大きな視野で回りを見ることが出来ないとほぼ不可能ですから、宇宙全体を見渡す精神的な視野を得たことで、私の目に映る景色は一変したし、自分はどんな存在かを常に対比し振り返ることが出来るようになったという事です。俯瞰的な世界に居る登場人物として自分を見ていることに近いものでした。

そんな少学生高学年時代でしたが、未だその頃は自分の生存に無意識な執着があって、自分がやがて確実に死ぬことを受け入れていたわけではありませんでした・・・そして、それから7年かかって自分は死ぬという事をやっとリアリティーを持って受け入れることが出来ました。

当時の私は、たぶん、冷めた感じの・・・扱いずらい少年であったとは思います。

そんな私の話はさて置き、全宇宙を自分の思考の中に収めて何かを考えることは、やはり視野を大幅に広げる効果があります。

この天の川銀河系の中にどれくらいの生命体が居るのか?どんな知的な生物がどれくらいいるのか?全宇宙にはその2兆倍の銀河が在ることをイメージすれば良いのです。

そしてそれを語り、或いは書くことでだんだんと地球に起きている現実が見えるようになると思うのです。

全宇宙を俯瞰することは現実には不可能ですが、思考の中では簡単なことです。
特に恒星の数や銀河の数を具体的に書き表すことでそれは自分の意識の中に納まる大きさとなるのです。

真の理解とは違うものですが、そういう俯瞰的に捉える意識で宇宙のすべてに思いを馳せることは無駄な行為ではないと断言します。

そういう意識になれば、この地球がどれくらい奇跡的な惑星なのかが解り、不毛な厳しい自然環境の他の惑星を想像することで、この地球がどれだけ得難い素晴らしい環境なのかを理解できるようになるはずです。

地球は宝石のような奇跡の星であると解ると思う訳です・・・・。

だから私たちはこの地球を壊してはいけないと早く気が付かねばなりません。

そして私は、そのことに全ての人が気づくために、すべての人に宇宙全体をイメージしてみることを勧めたいのです。

その方法として、宇宙の中の銀河の数や恒星の数、そこに住む様々な宇宙人の数に想像を巡らせば、生物が住めない惑星も無数に在ることに気づくでしょう。

そうすれば奇跡の星である地球の現状を客観的に捉えることが出来るはずです。

私は残念ながら、あと僅かな年月でこの宝石のような惑星から去ることになります・・・・。
それは既定の事実ですから逃れられません。

こんな私の命を投げ打つことでこの美しい地球が守れるなら進んで命をささげるのですが、残念ながらそんな魔法は有り得ないのです。

人類は今、滅亡への瀬戸際に居ます・・・どうかそれに気づいてください。

私は、地球が大好きです!そして人類がどれだけ希少な生命体であるかを思うと何とか地球を守りたいと思うのです・・・・地球は生まれて46億年、生命は38億年間の命のバトンタッチで今の人類まで到達したのです。
Posted at 2019/08/19 17:56:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 人類 | 日記
2019年07月07日 イイね!

地球に似た星は案外多いらしい。

この記事は2013年に私の別のBlogにアップしたものですが、6年たった今でも、特に陳腐化していないと思えたので、「みんカラ」の皆さんの中にも宇宙に居るかもしれない地球生物以外の生物に興味のある方がいらっしゃるだろうと思って今日ここに転載してみようと思ったわけです。

地球に似た星は案外多いと言うのは、ほとんどの恒星には惑星があると解って来たことと、我々の太陽より小さな赤色矮星は、この天の川銀河の中だけでも1600億個あると推測されるようになり、その小さな恒星もほとんどは惑星系を持っていると解ってきたからなのです。

さらに驚くべきことに、その赤色矮星の惑星系1600億の40%に、地球のように水が凍らずに存在する可能性のある位置(ハビタブルゾーン)に惑星が在る事も解ってきたと言うのです。

つまり天の川銀河の中にある赤色矮星の数1600億個×0.4=640億個あまりに、地球と同じ液体の水を必須とするタイプの生命が生きて行ける環境のある惑星が存在することになるのです。

私は、ここまで解って来ると「地球以外の星に生命がいないと考えるほうが誤りである。」と、自然に思えてきます。

圧倒的な確立で地球外生物は存在するし、地球より文明の進んだ星も数かぎり無くあって不思議ではないと言うことが決定的に感じられる訳です。

UFO研究家の矢追純一さんが喜びそうな話題になって行くのですが、宇宙には我々地球生命と同じように誕生し進化を遂げた生物が幾つも、というか、無数に居るのではないかと考えるべきなのです。

この我々の太陽系が属する天の川銀河の中に在る赤色矮星のハビタブルゾーンに存在すると予想された640億の惑星の数に対し、さらにそれらの100分の1の星が、もし我々地球とよく似た環境変遷をたどっていたと仮定しても6億4千万通りの完全に独立進化した生物群がこの天の川銀河の中だけでも存在し得ることになるという計算が成り立つ訳です。

ただ、天の川銀河の中と言っても直径10万光年もの広がりがあるので、地球外文明の証拠を発見する手がかりは現在のところ難しいということだけなのだろう。

ごく近い30光年(光の速さで30年で届く距離)の距離の範囲にある似た星の数は100個ほどあるのではないかと計算されていますから、先ほど書いたように、もし100分の1の星で我々のような人類に似た生物が誕生し、進化していたとすれば、周囲30光年の範囲ではたった1個の惑星でしか文明を築くまでに進化した生物はいない計算になるのです。

実際のところ、その確立が100分の1なのか10分の1なのか?・・・定かではないから、本当のところは解からないけれど、生物が住める可能性のある惑星はこれまで考えられてきたよりも遥かに多いことだけは確かなことのようだ。

これまでの宇宙の研究では、我々が今現在見ることの出来る全宇宙の中には8兆個以上の大小銀河が在り(より新しい観測技術が開発されるたびにその数はここ数10年の間でも数十倍あると更新されてきている)、銀河団や超銀河団という風に密度の高い部分とほとんど何も無い空間で構成されていることが解っていますが、天の川銀河の中にある640億個あまりの惑星が液体の水を保てる位置に在ると言うことは、その数兆倍の数の地球に似た温度環境の惑星があることになるわけで、この宇宙は生命にあふれていると言えることになるのですが、惑星間の距離が離れ過ぎているために互いに交信が出来ないで居るだけだと言うのが正しい捉え方だと気付くべきでしょう。

それと、他の文明からの電波らしきものが意外と発見できないことの理由は、それぞれの星における文明の発達度はバラバラで、我々地球人の文明と同じように通信電波を発射するところまで進化が進むタイミングが宇宙時間的にはほとんど同時期と考えられるようなスケールと言える、数万年単位で異なっていても相互距離によっては通信は不能だし、地球の500年前を異星人が調べたとしたらやはり通信電波は出ていないから地球に文明はないと結論付けられてしまうといったことが起こる訳ですから、まさに現在の地球のようにさまざまな電波を発射する文明の継続時間が数万年続くのか数千年、あるいは数百年で滅び行くのかも解らないことなので、同時期に通信が行える可能性を左右する互いの文明の進捗度が極近い惑星が人間の歴史と言う時間尺度の範囲に入っていて、しかも光の速度を基準とした近距離にあるか?という事の可能性も大きくは無いと言えるのだろう。

地球に似た星には我々人類に似た異星人がいるか?

しかし、宇宙に地球の温度環境に近い惑星が無数にあるということがほぼ確かなこととわかった今、そそうした惑星で進化した文明を持つ生物が居るのは当然と考えるべきだが、その文明を起こす生物はどんな姿かたちなのだろうと想像してみたくなるのは人情というものだろうか。

地球と似た重力の大きさの惑星で、大きな海があるような星で育まれる生物は、進化の法則性から言えば、地球上の生物とよく似た生態系を育むと考えるのが正しいのではないだろうか?

なぜかと言えば、生物が誕生した地球の環境を例にとれば、最も周辺の自然環境に適応したものがより有利に生き残ることで進化が起きるので、惑星の特定の環境にそれぞれうまく適応した生物が生き残って、進化を繰り返すことでさまざまな生物が環境に特化して変化し生き延びるため、似た環境では大陸を隔てても良く似た生物が繁栄することになることが地球上では幾つも確認されているから、星を隔てても同じように良く似た形態に進化することが予想されるのです。

惑星の大きさや海の面積や深さ、地殻の元素分布、海水の成分など地球の環境に似ていれば似ているほど我々の地球で起きた生物の誕生と進化に良く似た歴史を刻むと想像され、数千万年に一度隕石の衝突などで規模の大きな絶滅現象が起きることなども有るなら、やがて進化は人類と良く似た生物を誕生させる可能性があり、体つきや背丈、手足、顔なども同様に進化すると考えるべきだから、あるいは一見しただけでは見分けがつきにくいほどに似ていることも可能性としては有り得ると思われるのだ。

当然微妙に異なる場合もあって指の数が少ないとか、腕が4本なんて可能性が全く無いわけではないだろうし、大人の平均身長が3メートル程ある、といったこともさほど不思議ではないだろう。
この地球上で、有袋類と哺乳類がそれぞれ似た環境下で適応した結果、それぞれ良く似た大きさ、良く似た形態に進化したように、或いは1億5千万年以上昔の海で暮らす爬虫類の一種のイクチオサウルスが現在の哺乳類のイルカの姿と非常に似通っていること等を見ると、地球環境に良く似た星であれは、地球の時間との絶対時間としてのずれは大きいと思われるものの、いずれ地球人類に良く似た生物にまで進化する可能性は有るし、地球人類よりはるかに進化した生物に至っていることも当然有り得ると想像出来るのです。

ただ、我々地球人が違う星の良く似た生物の姿形を出会ったその瞬間に美しいと感じるか?醜いと感じるか?それは全く解らない・・・・、地球人のように僅かづつ違う個性を持つ生物なら、美しく感じられる個体も有れば、そうでない個体も当然あるのだろう・・・。つまり美意識はこちらの主観だからだが、進化の論理から言えば、どんな姿でも、すばらしい能力がある生物は我々にもやがて、その姿こそが美しいと感じられるようになるのかも知れない。

いずれ地球人と正式に出会う異星人が現れるのだろうが、私はその劇的瞬間まで命を永らえることは不可能のように思う・・・・・あと数十年でそういう瞬間が訪れるかもしれないが、数万年後になるのかもしれない・・・・・最初に出会う異星人が、地球人に似ているか?それともかなり異なる環境で進化した想像を絶するような姿の異星人なのかは予想がつかないが、その瞬間に立ち会えないだろうことはかなり確実だから・・・私にとってそれはとても残念なことなのだ・・・・・・・。



Posted at 2019/07/07 11:37:49 | コメント(2) | トラックバック(0) | 人類 | 日記
2018年02月04日 イイね!

血管脳関門を突破する新薬

昨日のWeb記事で読んだのですが、NHKスペシャルの「人体」で放映されたのかもしれないが、私はYahooの記事で知ったことです。

リンク→https://news.yahoo.co.jp/feature/879

ハーラー病と言う、グリコサミノグリカンと呼ばれる物質を分解する酵素の働きが生まれつき不十分だったり、酵素自体を持たなかったりすると、脳の神経細胞にグリコサミノグリカンが蓄積し、運動機能や認知機能に障害を引き起こす難病の治療に光明が見えたという事だが、その治療法がこれまで困難であった血管脳関門を通過して薬品を脳に届けることが出来るようになったことで、治療の成果が出てきているという事でした・・・・。

TV放送があったのかもしれないので、ご存知の方も多いかもしれませんね・・・。

この、脳関門を通り抜ける薬のヒントは、私達人間の食事の時に膵臓から分泌されるインスリンが、非常にサイズが大きいにもかかわらず脳関門を通り抜けるメカニズムに着目して、考えられた仕組みだそうで、インスリンが脳関門の血管壁の突起にくっつくと血管の細胞膜がインスリンを包み込むようにカプセル状の膜を作って脳内に運ぶのそうですが、その働きと同様の仕組みで脳関門血管の突起にくっつく抗体を発見して、薬品にその抗体をくっつけて、インスリンの時と同じように脳内へ運ばれるようにしたのだそうです。

その結果ハーラー病の治療効果が出て来たそうなのです。

それは、脳関門を突破することが出来る薬品が生まれたという事を意味していて、その技術はアルツハイマー病の病原因子として知られた脳内に溜まるアミロイドβを分解するような薬品を脳内に送り込める可能性が有り、今後の研究に期待がかかっています。

あと何年かかるのか?早くても10年以上がかかるのかもしれませんが、アルツハイマー病に効果的な治療法が見つかるのも時間の問題となったと言えるかもしれません。

私と同世代の皆様もう少しで、アルツハイマー病は恐ろしいものでは無くなる可能性が出てきました。

そんな薬が出来るまで・・・、アルツハイマー型以外の老人性の認知症にかからぬように、新聞を読んだり、読書したり、歩くなどの努力をして認知症にならぬように予防してください。
Posted at 2018/02/04 20:08:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 人類 | 日記
2017年09月17日 イイね!

動物由来の食物を食べる事・・・。



自分が動物を食べなければそれで良いと思う人が居ると思うが、 所詮それは問題の根本的解決を目指すものではなく、自分の気持ちの問題と言う事に尽きることだろう・・・・「自分の可能な自由を誰にも迷惑を掛けずに行っている」と言うつもりかもしれないが、自分自身が今そこに存在していられるのは自分たちに遺伝子を繋いでくれた先祖達が居るからであり、現在につながるすべての先祖たちが生死を掛けた血みどろの生存競争を生き抜いて貴方に今の命を届けた歴史的現実を否定することになると思うのだ・・・・。

動物たちを食べなければそれで自分の気が済むと言う所で留まってしまって良いものだろうか?

自分たちが今そこに存在し得るのは30数億年に亘って先祖たちが他の生物を糧にしてきたからに他ならない・・・。
もし他の生物に一切の危害を加えないと言うなら植物の葉一枚も食べることは出来ないのだから、他の生物に危害を一切かけずに生きると言うことが何らかの正しさを持っていると言う考え方に疑問を持つべきだろう。
我々人類だけでなくすべての生物は自分の生存に障害をもたらすような微小な生物や細菌などすべての微生物を殺しまくることで生きているのです。

小さすぎてその動物や植物、真菌類などは目に見えないだけです・・・。

見えなければ許すのですか?野菜につく極小さな昆虫なども農薬や天敵を使って殺すから収穫もできるのです。

もし他の生物を傷つけることが悪と言うなら、地球上の生物はすべて悪の化身と言って良いのではありませんか?そう考えれば、そういう考え方には矛盾があると気づくのではないだろうか?

ジャングルや深い山中で猛獣に襲われて自分が食われるまで気づかないと言うのは生物として生存に適さないことになります・・・・。

現在の地球の人類の文明では、我々が生きて行くための栄養素を無機物から合成することは未だ出来ていません。
しかし、やがて人工的に食料を作り出せる日が来ると私は思っています。それまでは、生物由来の栄養素を摂取する他ないでしょう・・・。

それまでは、それを悪と思わず、犠牲になった植物や動物に感謝しつつ食べて行くべきと思います。
Posted at 2017/09/17 20:29:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 人類 | 日記
2017年09月16日 イイね!

人間は食肉の為どれだけ家畜を殺しているか?



ふと人間の行う動物への殺戮がどれほどなのか疑問になって調べてみたが、世界的な統計の記載が見つからなかったので、正確さには欠けるが、おおむね下記のようなものかもしれない。

牛・・・2億6千万頭以上/年

豚・・・12億頭以上/年

鶏・・・30億羽以上/年

正確でない可能性もありますが、いずれにせよ凄い数になるのです・・・。

全て74億人の胃袋に収まるわけです・・・・・。

日本人は1960年当時は牛肉も豚肉も鶏肉もそれぞれ年間1kg程度しか食べていなかったのですが2014年の調査では牛肉で6倍の6kg豚肉と鶏肉はそれぞれ12倍の12kg食べるようになりました・・・。

これが日本人の食事における西欧化と言う事で、そのために生活習慣病が非常に増えたと言われています・・・・。

自分が動物を食べなければそれで良いと思う人が居るが、その事は、他国の人が戦争で殺されても関心は無いと言っているようで不気味なことに感じるのは私だけだろうか?

所詮それは問題の解決を目指すものではなく、自分の気持ちの問題と言う事に尽きることだから・・・・普遍的ではないな。
Posted at 2017/09/16 22:41:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 人類 | 日記

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何シテル?   11/03 10:03
銀河 遼です。よろしくお願いします。(宝塚とは無縁です) フリーランスの機械系エンジニアです。(面倒な仕事してる面倒くさいかもしれない人です) 3D・C...
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