
このBlogにも度々紹介して来た「アメーラ」というトマトは1993年、静岡県 農業試験場 (現 静岡県農林技術研究所 )が研究を開始し、1994年に発表された灌水を抑えた養域栽培システムによる高糖度トマトの栽培方式により、静岡県と長野県の一部で栽培されている。
私の大好きな「アメーラ」トマトですが、そもそも私はトマトについて十分な知識が無かったので、Webで少し調べてみると。
原産は南アメリカのアンデス地方の高原と言われていて、トマトの先祖は南アメリカ大陸北西部で雑草のように生い茂っていた野生種
「ソラナム・ピンピネリフォリウム」と解っています。(南米アンデスの高原付近が原産地と言う事だけは知っていた・・・。)
「トマト」という呼び名は、アステカのナワトル語
「トマトゥル」に由来するそうです。(「トマトゥル」とはナワトル語で「膨らむ果実」という意味があり、もともとは「ホオズキ」の果実の意味があったそうです)
アンデス地方の雑草だったトマトは、そこに住む人間や野鳥によってより北部のメキシコに伝わって行き、食用として栽培されるようになったとされますが、歴史的に見て有史以前の事だと言われています。
やがて、コロンブスの南アメリカ大陸発見を契機に、南アメリカにヨーロッパ人が侵入し南米を支配するようになりますが、1519年にメキシコへも上陸したスペイン人エルナン・コルテスがトマトの種子をスペインに持ち帰ったとされています。
メキシコやペルーでは食用にされていたトマトでしたが、ヨーロッパの貴族社会で使われていた金属食器は銀に鉛が多く混じっていたことも有って、トマトの持つ強い酸が鉛を溶かし出したことで、トマトを食べたことと鉛中毒が関連付けられて、有毒な植物とされてしまい、食用にはされず観賞用としてヨーロッパで生き延びていましたが、数世紀の間に貧困階層の人々によって食べることが試されたことで実は毒は無いと解って、徐々に食用となって行ったのだそうです。
18世紀ごろまでには品種改良も進み、現在見かける様な姿のトマトが食用として普及したという事ですが、オスマン帝国のスルタンの美食傾向がその後トマトを使った様々なレシピを生んだとされ、特にトマトを発酵させたサルチャの発明があり、サルチャは1kgを作るために6kgのトマトが必要になる為、大量のトマト栽培に繋がったと言われています。
現在のトマト消費の多い国を調べると地中海沿岸の国が多い事は、オスマン帝国時代の支配地を反映したものと考えても間違いでは無いと言えそうです。
そしてトマトが日本に伝わったのは何時頃かと言えば、
1817世紀の江戸時代と言う事になるのですが、食用にされたのは19世紀の後半あたりとも言われ、それは明治時代ということなのですが実際に庶民の食卓に並ぶのは戦後の昭和20年以降になってからの事だそうなので未だ80年程度ですかね?
私の記憶では、中学3年生(昭和39年)の夏休みに、その春から始めたテニスの練習に友人と二人だけで学校に毎日出て練習に明け暮れたのですが、その時に友人が大きなトマトを冷凍にしたものを持ってきてくれて、それをかじった事が、トマトの記憶としては最も古い記憶です。
その頃のトマトは独特の強いトマト臭があり酸味もかなりあったのですが甘みはさほど強くは無かったと記憶しています。
現在私が愛してやまない「アメーラ」は栽培法に大きな特徴があり、結実する頃に灌水をかなり少なくし、実を大きくしないという方法で濃厚な味を生み出しているということなので、原産地のアンデスの高原の乾燥した環境に近くすることに似ていると聞きましたから、その昔雑草だった「ソラナム・ピンピネリフォリウム」という原種に近い味なのでは無いかと、勝手に想像しながら頂いているのです・・・・。(日本中でトマト栽培は温室水耕栽培が主流かも知れませんが、それ故、味に乏しいのかもしれませんね、アメーラの栽培法はほぼその真逆ですからね)
追伸:トマトの本場と思われるスペインで日本で生まれた
「アメーラ」が2019年から栽培されているそうで、価格は、現地のトマトの価格の10倍程だそうですが、最高級品として流通しているのだそうです・・・・。
蛇足:日本人の1年間に食べるトマトは一人当たり約9kgなのだそうですが、世界で最も多くトマトを食べているのはトルコ人で、一人当たり年間109kgに及ぶのだそうです・・・・。日本人と10倍以上の開きがあるのは凄い差です。
私に限って言えば1日1個以上の「アメーラ」を食べていますから、それだけでも28kg/年は確実に超えているので平均的な日本人の食べるトマトの量の3倍は確実ですかね・・・。(アメーラ1個の重さは65g~85g程度です。)
Posted at 2024/06/02 13:06:24 | |
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