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銀河遼のブログ一覧

2019年08月18日 イイね!

銀河系では30億個の惑星で知的生命が生まれた?全宇宙では?


計算に誤りがあったので8月18日pm7:19に一部修正をいたしました。

我々の居る天の川銀河系では30億個の惑星で知的生命が生まれたと想像されるが、その根拠は前のBlogに書いたアメリカの天文学者フランク・ドレイク氏の基本パラメーターA,B,C,Dの数値をそのまま適用することで得られた数値です。

以下はドレイク博士のパラメーター

A=あらゆる恒星のうち半数が惑星を持つ=1500億
B=惑星を持つ恒星は、生命が誕生可能な惑星を二つ持つ=1500億×2=3000億
C=生命が誕生可能な惑星では、100%生命が誕生する=3000億×1=3000億
D=生命が誕生した惑星の1%で知的文明が獲得される=3000億×0.01=30億
E=知的文明を有する惑星の1%が通信可能となる=30億×0.01=3000万
L [年] (通信可能な文明は1万年間存続する)



天文学の観測技術はドレイク氏の方程式が発表された頃に比べると飛躍的に進歩していて、銀河系の中に在る恒星の数も倍以上多いと考えられるようになっており、それもまだ確定的ではない為3000億±1500億と書かれていたりします。

さらに、この我々の天の川銀河系の在る全宇宙の中に在る銀河の数に至っては当時の予測をはるかに上回る数であると言われていて、その数は2兆個以上と考えられるようになりました・・・・。

まあ、我々の天の川銀河系は大きなサイズを持っている銀河であると言われていますけれど・・・。

仮に天の川銀河を標準サイズとすれば30億×2兆=6000000000000000000000個の惑星で知的生命がこの宇宙には生まれたことになります。{60垓(ガイ)個}そして通信電波を出すまでに文化を高めるのはその1%なら6000京個となる。

故に、宇宙人は間違いなく居る。というより居ないと言う事は有り得ないとさえ思えます。

ただ、生命体にとって宇宙の大きさはあまりに大きく広大な広がりであるため、遠くの惑星まで行くことが出来ないうちに、または彼らが出した電波さえ、どの惑星の知的生物にも届かないうちに、その知的生命体の文明は滅びてしまう。という事でしょう・・・、だから我々も、他の宇宙人も互いに直接あるいは電波的にも出会う事が出来ないでいるという事だと思います。


更に言えることは、138億年と見積もられているこの我々の居るビッグバン後の宇宙では、高度な文明に達した惑星の知的生命体がどれくらいの期間その文明を維持するのか?という所で、ドレイク氏のパラメーターLでは1万年と推定していましたが、その推定に正確性等無いはずで、地球では電波を使うようになってまだ123年に過ぎませんが10年後に核戦争で壊滅する可能性もあり、また50年後に地球環境が激変して、やはり今の文明が失われる可能性がありますから、1万年は長すぎるかも知れません。おそらく100年~10万年程度の幅が有っても不思議ではないと思います。

それでも仮に1万年そうした文明が続くと仮定した時、同じ時期に異なる惑星で互いに通信電波を出せる知的生命体が存在する確率は138億年÷1万年で計算した割合で少なくなるはずです。138億年÷1万年=138万ですが地球の場合のように46億年で高度な文明に達することを標準的なものとすると、その2倍~3倍の可能性になり、少なく見積もっても2回のチャンスは同じ惑星でも有り得ると思えるので×2=276万としてみます。
従って、もし6000京個の惑星で電波を使う高度な文明が起きたとしても、その276万分の1の割合で同時期に文明は存在しないことになります。つまり≒2兆1700億程度にまで少なくなりますがどうでしょう・・・


この2兆という数字は全宇宙にある銀河の数と符合しますから、同じ銀河の中では一つの惑星が高度な文明を1万年築き、その文明が滅びる頃また別の惑星で高度な文明を起こし、1万年維持する。と言った確立という事になります・・・。


もし、ドレイク氏のパラメーターのどこかに間違いがあるとすれば、D=生命が誕生した惑星の1%で知的文明が獲得される。という所が最も怪しいと思えます。

私は、C=生命が誕生可能な惑星では、100%生命が誕生する という部分は当然として、生命が誕生したとしても、神経系を発達させる生物にまで進化できないうちに絶滅してしまう可能性が非常に高いのではないか(地球で言えばカンブリア爆発と言われる時期以前に絶滅が起きてしまう)と想像できるので、D=生命が誕生した惑星の1%で知的文明が獲得される。の1%と言う確率が、0.0001%としなくてはならないのかもしれないと思います。

このようにパラメーターの数値が1万倍多く間違っていたとして考えると2兆1700億÷10000=2億1700万個この全宇宙には通信電波を使う知的生命が生まれた惑星が在ることになるのです。


いかがでしょうか?

しかし、私はドレイク氏のパラメーターEとL の値にも異論もあります。かなりの確率で知的生命体はいずれ高度な文明を持つに至ると考えているので、パラメーターE の値は10%としても良いと思っていますから少なくとも20億の惑星で地球同等かそれ以上の文明に達すると考えても誤りではないのではないでしょうか?

そしてパラメーターLでドレイク氏は高度な文明が1万年続く、としたのですが、そこも非常に懐疑的に思え、例えばこの地球でも、1000年も続かない可能性が高いと感じており、500年程度(地球は現在123年でしかない)が平均的なのかもしれないとしてみると・・・。


10000年÷500年=20ですから20億個あるはずの同時期での高度な文明は1/20となって20億から1億個に減ります。

全宇宙で同時に電波を出せる文明は僅か1億個になってしまうとすれば、全銀河の数は2兆個として計算を始めたので、全銀河の1/20000の割合で同じ時期の通信電波を出す惑星が有り得るという事になります。

天の川銀河系も2兆個あるという銀河の一つですからその銀河の中で今現在電波を出せる我が地球があるので、周囲の20000個の銀河には同じ時期に電波を出せる惑星は確率から言えばほとんど無いと言う事になってしまいます。

そう考えてみれば、我々の天の川銀河の中で同時期に通信電波を出すことが出来る高い文明を持つ惑星は限りなく少ない(1/20000以下)という確率になりますから、SETI(地球外知的生命探査)では見つけられなくても当然という事になります。


と、まあ・・・私たちの生活には、どうでも良い研究発表でした・・・・笑。

Posted at 2019/08/18 12:14:41 | コメント(1) | トラックバック(0) | 偽学者の論文もどき | 日記
2019年08月16日 イイね!

地球の文明はあと77年で滅びるかもしれない


フランク・ドレイクというアメリカ人の天文学者によれば、銀河の中の恒星系の2個に1つの割合でその恒星を周る惑星には平均2個の生命が生まれ得る環境があると考えても間違いではないと言う。

フランク・ドレイクの方程式

N=R×A×B×C×D×E×L  (元の代数とは変えてあります)

変数        定義

R 人類がいる銀河系の中で1年間に誕生する星(恒星)の数
A ひとつの恒星が惑星系を持つ割合(確率)
B ひとつの恒星系が持つ、生命の存在が可能となる状態の惑星の平均数
C 生命の存在が可能となる状態の惑星において生命が実際に発生する割合(確率)
D 発生した生命が知的なレベルまで進化する割合(確率)
E 知的なレベルになった生命体が星間通信を行う割合
L 知的生命体による技術文明が通信をする状態にある期間(技術文明の存続期間)

上記のパラメーターの値については様々な見解があるが、ドレイクらが用いた値は以下のようなものである。

R =10 [個/年] (銀河系の生涯を通じて、年平均10個の恒星が誕生する)
A  (あらゆる恒星のうち半数が惑星を持つ)
B  (惑星を持つ恒星は、生命が誕生可能な惑星を二つ持つ)
C (生命が誕生可能な惑星では、100%生命が誕生する)
D (生命が誕生した惑星の1%で知的文明が獲得される)
E 知的文明を有する惑星の1%が通信可能となる)
L [年] (通信可能な文明は1万年間存続する)

以上の値を代入すると、Nは次のようになる。
 
N=10×0.5×2×1×0.01×0.01×10000=10 という事なのだが、最近の研究では銀河系に存在する恒星の数は2500億±1500億個と言われているため、ここでは全天の川銀河の恒星の数は3000憶として計算します。


ドレイクの方程式に当てはめてみると

それらの生命が生まれる可能性のある惑星系のうち1%つまり100個に1つの割合で知的生命が育まれると仮定していて(D)、さらにそのうちの1%が通信電波を出すと仮定すると(E)、この我々の属する天の川銀河の中には3000億個前後の恒星があるため、3000億÷2(A)×2(B)=3000億の惑星に生命が生まれ、さらに1/100(C)の惑星では知的生命が生まれ、さらにその1/100(D)が通信電波を出すようになるとすれば、少なくとも3千万個程の惑星で知的な生物が通信電波を出すようになるという事になります。

そこで、次に時間的なズレによる知的生命の同時性はどうかという問題を考えます。

すると、我々人類のような電波を使った通信手段を持つに至った生命がどれくらいその文明を維持していられるかという予測を計算に取り入れる必要が生じますから、人類が電波通信を利用するようになって僅か120年余り、今後どれくらいの間、我々人類が滅びずに電波を使い続けるであろうかを予測しなくてはなりませんが、ここはドレイクに従って1万年間(L)続くと仮定してみます。

そこから次に銀河系の歴史を考える必要があり、現在では132億歳の恒星が我々の天の川銀河で見つかっているため、132億年のスパンで1万年間続く文明が同じ恒星系で何度出現するかを考えなくてはならないのですが、恒星の大きさによって惑星系が生命を育める期間が大きく異なることから、平均値を求めなくてはなりませんし、人類のような文明を持つ知的生物の滅亡が、巨大な小惑星などの衝突によって全球溶解と言った全生物の大絶滅によって起きるのか?それとも核戦争などによって人類を含むほとんどの生物が滅びるのかによって、同じ惑星で文明が再び起きるまでの時間には大きな差があるため、ここではその最悪のケースを想定し、惑星が生まれて8億年で最初の生物が誕生し、その後38億年で我々人類が誕生したことを根拠として、完全に全生物が絶滅したと仮定しても38億年あれば再び電波を使える知的生命を育むことが出来ると考えれば、それより少ないという事は無いと思われます。

我々の太陽系の恒星である太陽は46億歳と言われていて、それは天の川銀河の中でもかなり若い部類であるのことが挙げられますが、我々の太陽より2倍の質量がある恒星は1/8の寿命しかないので恒星系の寿命も13億年に満たないことになってしまうので、地球と同じように最初の生命が生まれるまでに8億年かかるとすれば生命が生まれて文明を築くまでに至れないうちに恒星系そのものが死んでしまいます。

そこから導いて、太陽の大きさよりもわずかに大きいサイズからより小さなサイズの恒星では生命が生まれるとして、太陽ほどのサイズの恒星では100億年が寿命とされ、100-42=58となり、58億年間に2回目の文明を築くまでに到達する生命が生まれる可能性がありますからチャンスは2度です。赤色矮星の寿命は数百~数千億年以上と見積もられるので天の川銀河の誕生時から3度のチャンスはあると考えられます。

それにしても地球のケースで考えて46億年でたったの1万年しか電波を使うような文明が続かないとすれば、天の川銀河の歴史の中でも同様な時間を必要とするなら、46億年÷1万年ですから46万分の1の確率でしか同じ時期に同じように電波を使える文明は存在しないことになります。

天の川銀河の恒星は、銀河が形成されてから徐々に出来て現在まで増えてきたと考えれば、古い恒星系では132億年前に出来ていたから、そこでも46億年で知的生命が誕生していれば86億年前から1万年の間は電波を出していた可能性はある。しかし1万年でその知的生命が絶滅していれば、2度目の文明がその後46億年で起きても、それは今から40億年前で、その文明も1万年しか電波を出していないかもしれない・・・・。

そのようにすべての恒星系の誕生が均一にバラけていたとして、46万分の1しか時間的な同時期性は無いという事になるわけです。

そこで、先ほどの数的な可能性と合わせて計算するのですが、天の川銀河系の中には3千万個の知的生命を育む惑星があると推測できているため、時間的な同時期性を加味する計算を行うと3千万個÷46万=65個程となります。

この計算の結果から解ることは、私たちの太陽系の在る天の川銀河の中に在る恒星系の中に、同時期の今現在、電波を使うほどに文明を発達させた知的生命体の住む惑星は65個程しか存在しないという事になるのです。

次に距離的な問題について考えますが、天の川銀河はおよそ10万光年以上の直径がありますが、我々人類が電波を出し始めたのはわずか123年前ですから、最初の電波は123光年先までしか届いていないことになり、銀河系の中の1%弱の距離にしか届いていません。

従って、我々地球人の電波を他の知的生命が見つけてくれる可能性は運が良くても先ほどの同時期に存在する知的生物の居る確率を考慮するとわずかに0.65個の惑星しかありませんが1万年のスパンで電波を出した場合での確立上の話でしたから、実際に123年では更に1/100程度可能性は下がり、同時期性という部分の確率が下がるため0.0065%と考えるべきです。

しかし、我々の出した電波ではなく誰かの出した電波を考えれば、今現在約65個の惑星から電波が出ているという風に予測されるため可能性はかなり高くなるはずですが、それでもここ十数年で何ら有力な電波を発見できていないという事をどう考えればよいのでしょうか?


現在まで行われているSETI(地球外知的生命体探査)では、有力な情報はいまだに見つかってはいない・・・フランク・ドレイクの方程式の変数パラメーターに入れるべき数値にさほど大きな誤りがあるとも思えませんが、それでも彼らの入れた数値の何処かに致命的な予測違いがあるのかもしれません。

なぜ地球外生命の出した電波は見つけられないのか?・・・もしかしたらパラメーターL=10000に誤りがあるとは言えないだろうか?、電波を出せる文明は1万年も続かないという事ではないのか?

その理由はドレイクのパラメーターL=10000年ではなく1000年程度しかそうした機械文明は存続しないとすれば納得が行くのかもしれない・・・もしかしたら500年もしないうちにテクノロジー文明は滅びるのが普通だとすればさらに理解はしやすい。

ドレイクのパラメーターLを1万年ではなく、500年にしてみると1/20となるから天の川銀河の中で同時期に通信電波を出せる文明を育んでいる惑星は65個÷20=3.25個となり、僅かに3.25個しかないと計算されるのです・・・・。もし500年ではなく、200年だとしたらあと77年で地球の文明は滅びてしまうという事になりますが、それで計算すると我々の天の川銀河の中には僅かに1.3個という結果になります。

天の川銀河の中で同時期に通信可能な惑星は1.3個しかない!という事はどういうことかと考えれば、その1.3個在る惑星の内の1個は地球ですから、可能性は0.3となってしまい1以下となります。それは10万光年という天の川銀河の大きさゆえの距離を全く無視して、同時通信が可能だとしても0.3個であり、四捨五入すれば0と言うことです・・・。

何となくこれで結論が出たような気になりました・・・。

現在の地球の文明はあと100年程度しか続かず、滅びるのが普通のパターンだという事ですね・・・・そういう事なのだ・・・・・だからSETIでも有力な情報が得られないというのは当たり前のことになりますね・・・・。

天の川銀河の直径の距離と電波の速度を考え、通信電波を使うテクノロジー文明は500~1000年程度しか続かないと考えれば、SETIで有力な情報が得られないことも不思議ではなくなります・・・・1000年その文明が存続できたとしても天の川銀河で同時期に通信電波を出す文明を持つ惑星はたったの6.5個ですから・・・よほど運がよくないと通信は難しいでしょう。

そうした高度な文明の存続する期間が500年ならあと377年人類は滅びませんが、もし200年であるなら後77年で自滅する計算です・・・・。

明らかに、その兆候はあるね!! 我々は今、その瀬戸際にいるのだろう・・・・。

Posted at 2019/08/16 17:37:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | 偽学者の論文もどき | 日記
2019年07月19日 イイね!

猫や犬が人間のペットになった最大の理由とは




犬が古代より人間と共存できた理由は、猟犬として人の役に立つと言う事や、羊飼いには欠かせないパートナーであったり、犬ぞりを引いたり、ボディーガードの役割もこなしたことなどが理由で、人間にとって役に立つ動物として長い歴史を持っているからだと解ります・・・・。

では、猫はどうだろう?・・・、たぶん猫はネズミを捕って人間の大事な食料である穀類などの備蓄された食料を守ってくれるという大事な仕事を任された歴史があるから、と理解が出来るだろう・・・・。

確かに、古くから人間の傍で生きてきた理由は人の役に立つからであると言うことに疑いは無いが、では何故今の時代、犬と猫が人間のペットとしてこれほど多く飼われているのかそれだけで説明が出来るとは思えない。

ここからは私の推理による仮説です。

私は、犬も猫も彼らが地上で暮らす動物であったこと、そして自分のねぐらをほぼ固定して、一か所に暮らす動物であったこと、そして生態系の中で王者にはなり得ない肉体的な脆弱さなどを持っていたことなどが原因していたと考えました。

彼ら犬や猫の先祖は、より強力な捕食者に狙われる立場で長い時代を過ごしてきたと考えたのです。

たびたび襲ってきた氷河期や、間氷期に彼らは共に自分たちよりは小さく、戦闘力のより低い小動物を捕らえて食料にする生き物だったわけですが、同時に自分たちよりも大きく獰猛な肉食獣に常に狙われていたのです。

その結果彼らの生態は収斂進化し、犬の仲間は集団を作って強力な肉食獣と対峙して命を守り、また狩りもしてきました。
猫は素早い瞬発力と柔軟な身のこなし、高い木に登って攻撃を避けるなどの身体能力を身に着けて生き抜いて来たと考えられます。

彼らにとって最も恐るべき捕食者が彼らが眠っている時間にそっと近づいて来ることを防ぎ得なかったかもしれません。それは犬や猫を捕食する者は嗅覚によって獲物を追跡できる野獣であった可能性が有り、しかも鳥や猿のように樹上で睡眠をとれない肉体的な特徴に進化していた為、夜間に匂いを追跡して近づく猛獣に対し有効な防御手段を得るまでに進化する必要があったはずです。

犬は現在も少し体臭がありますが汗腺が体にあるような種はその匂いを追跡されて食べつくされてしまったかもしれません。そしてマーキング行為は集団として戦う犬の縄張り主張を示し、同程度の危険度を持つ捕食者への警告になっていたとも思われます。

猫に至ってはほぼ体臭と言うものが無いところまで進化を遂げていますから、匂いで追跡されることを犬よりも恐れているように見えるが、匂いが少ないことは狩りをするときに、ターゲットの動物に気づかれにくいという理由が有ったことも見逃せない事実かもしれない。
猫のスプレーマーキングと言う行為は、もしかしたらより大きな豹などのスプレーとよく似た匂いを残すことで大型の肉食獣に対する脅しの意味を込める戦略であったかもしれません。

恐らくそれは彼らが決して大型ではない為、戦いで勝ち残れるほどに身体的戦闘力が無かったことで、強力な敵に夜間追跡されにくく収斂進化したものだと考えてみました。

猫は、その進化の途上、自分の排泄物を土に深く穴を掘って埋め、しかも自分の住処の付近に排泄しないという習性も身に着け、さらに老いた猫は死期を悟った時に、巣を離れて遠くで息絶えることを選ぶのも、死臭を家族のいる住処の周りに残さないことでスカベンジャーに襲われる危険を避けようとする行為であると思われ、結果的にはそういう親猫の家系は生存率が高かったために現在まで生き残ったと考えられるのです。
糞の匂いは死臭に近く、臭気を辿って追跡するスカベンジャー動物を近づけないためにそういう習性を持つに至った可能性も感じるのです。

犬が散歩に出た時に糞をするのも同様な理由であるかもしれず、匂いで強力なスカベンジャーを住処に近づけないための習性の名残であり、排泄後砂をかけて隠す性質は、こうした進化の途上に獲得した習性であったと考えられるわけです・・・・。

そして現在の様に部屋の中でペットと暮らす時代、彼ら犬、猫のそうした習性は私たちの生活形態に実にマッチすることになったとは気づきませんか?もし彼らが猿のように便意を感じた途端に排泄してしまう動物であったら、部屋中に糞尿をまき散らしてしまいます。また鳥も同じです。鳥籠に入れておかねば部屋中場所を問わず糞をしてしまうのです。

犬や猫が人間の飼い主を意識して排泄を所かまわずしない訳では無いことは前に記述した通りであり、多少の訓練で専用のトイレを使わせる事が出来るのも、もともとそういう習性を彼らが持っているからに他ならないのです。

猿などが歩きながらでも排泄するのは、その進化の歴史の大部分を樹上で生活したことに依るはずで、鳥類と同じように樹上から排泄しても彼らの生存に危険を及ぼす事が無かったと言う事の証拠であると思います。

犬も猫もその点で言えば、殆ど地表で暮らす種族であった為、排泄物匂は自分たちの居場所を悟られる可能性が有ったことで、その様な習性を育んだと想像しました。

つまり、犬や猫の持つ排泄の習性が人と共に家の中で場所を規制されずに自由に暮らす上で非常に都合がよかったことが決定的な理由として考えられるのです。

Posted at 2019/07/19 16:20:03 | コメント(1) | トラックバック(0) | 偽学者の論文もどき | 日記
2019年07月09日 イイね!

人間の顔への視覚的な美の観念は何処から生まれたか?


またまた専門家でもないのに、研究者のようなふりをして、論文もどきの長い分を書きました。大変恐縮ですが、もし興味がありましたら、暇なときにでも読んでいただければ幸いです・・・。

チータや、キリン、インパラ、イルカ、などの哺乳類の動物たちの生存の方法への収斂具合を見ていると、やはり、自分たちの住む環境と生存する為の生き残りの戦略について、非常にそれぞれ進化適合してきたことが窺われ、とりわけ、生きる事すなわち食べる能力について進化し、また肉食動物などに容易に食べられないような対抗手段についても進化してきたことが解ると思うが、それは現実に自分が生き残る事で生殖のチャンスを得られたというパッシブな事実によって、収斂した、適者生存という進化の特徴であるように思う・・・・。

我々人間の目には、環境に鋭く適応し研ぎ澄まされた彼らの肉体は美しい物に映るが、我々人間の自然界における動物としての位置を考えると、やはり我々は小動物に近いのであり、肉体の造形美に対する感覚は、無駄の無い研ぎ澄まされた運動能力の証といえるような肉体が本来、憧れの対象として見え、優れているもの、美しいもの、という意識を持つのだろう。

それに対し、象やセイウチ等の大型の哺乳類は、メスが大きいオスを好むか、オスが大きいことでメスの獲得に成功するという特徴があり、生きるか死ぬかという次元の次の次元で、子孫を残せる行為として生殖を行い得る条件についての競争が存在し、そのために、オスは大きくなれる方が子孫を残しやすくなる為、子孫は大きくなる方向への遺伝的志向性を得ているといえるだろう。

つまり、象やセイウチでは現状の肉体的サイズは、未だ大きくなり続ける進化の途中と言えるだろうし、大きいことによるパワーは、他のオスに対し、肉体を使って戦う力という部分で圧倒し、大きくなれる可能性を持つ事が、特に重要な遺伝的性質であり、それが生存する能力と繁殖することについて今なお有利であることを物語っているだろう。

特にセイウチ等を見ていると、およそ肉の塊か脂肪太りの極致に見えるし、我々の美的理想からはかけ離れているが、彼らにとっては大きいことは美しいことであるかもしれないのです・・・・。

ヒトを除く哺乳類の研究では、フウチョウや孔雀など多くの鳥類で見られる姿かたちの「美しさ」を理由に繁殖の機会が増大する事と同様な報告を私は知らないのですが、我々と似た類人猿であるチンパンジーやゴリラの間でも、彼らの種族の中では、「美醜」が繁殖の機会の量をある程度左右する事が有るかも知れない為、人類の遠縁としての彼らが、より古いサルの特徴を多く持つものを嫌うといったことが証明されるならば、私の仮説は定説になり得るかもしれないのだ。

本論の主題である「美しさのルーツ」をさておけば、人間という種族は明らかに顔や姿という外見の美醜によって生殖の機会が増減することは研究の結果を待つまでも無いことであるから、外観の美しさは子孫繁栄の重要なファクターとなっていることは疑いようの無い事実と言って差し支えないだろう。

思えば・・・女性が化粧し、着飾り、香水などを振り掛けるという行為は、まさにこの部分で女性側からのアプローチとして自分の子孫を残す機会を増やす為の行為、若しくはその名残に他ならないと言えて、実に愛らしく、微笑ましいものと私自身は感じている。

人間の女性の繁殖行動の特徴は、顔や姿が美しいと沢山の男性の関心を呼ぶから、そこに現代的な倫理観などを持ち出さないとするなら、基本的には選択の余地が生まれ、より優秀と思える男性の遺伝子を選びえるし、また望みさえすれば数多く受け入れることが出来るので、優秀かもしれない子孫を多数この世に送り出せると言えるだろう。

また、現代社会の仕組みの中ではその対象は不特定多数では有り得なくとも、婚姻と言う社会制度の存在があるため、選りすぐりの優秀な男性の遺伝子を選ぶことが出来るということになり、それは雌雄の問題でなく、生物がより優れた子孫をこの世に残し、自分の遺伝子を持った子孫の生存をより確実にしたいと願うことであって、生物の遺伝子に仕組まれている基本的な機能の成せる当然の行動と言うことが出来るだろう。

さて本題に戻って顔の美醜は何が基準となっているか?についてだが、一説には乳児が授乳の時に、おぼろげな視覚で見上げる母の顔がそのルーツではないかという物があるが、まあ、一般的な女の顔の美の観念がそのときに育まれるかといえば、懐疑的にならざるを得ない・・・・。マスクをして眼鏡をかけた保母さんや看護婦さんに育てられると、女という美的観念がどうなるかの研究を待ちたいと思う。

また、生物にほぼ共通してあるかもしれない母性本能が、小さな幼体を慈しむ事が知られていて、子供っぽい顔が可愛く感じられるように、遺伝子によって仕組まれているという説もあろう・・・。

体に比して頭が大きく、顔の上下がやや扁平で相対的には目が大きく、目や口などの各部品が未発達な小さめの頭骨に取り付いているために相対的には顔が小さいのと同じ効果があり、そういう、子供に多く見られる顔の特徴は大人にとっては可愛らしく見えるというものだが、そういう顔に近い顔つきが可愛らしいとする考え方だが如何なものだろう?。
尤もらしい感じもやや受けるのだが、犬猫を見すぎかもしれない・・・・人間のしかもモンゴロイドの生まれたばかりの赤子を見ればそんな顔には程遠く、少し育ったとしても、コーカソイドの幼児の特徴なら或いはそんな感じもややするが、一般論にはやや遠いと感じてしまうし、繁殖期の大人にはどうもピッタリと嵌る感じはしてこないのだがいかがだろうか。

むしろ問題を解くカギは、フウチョウやクジャクのような鳥類が、己の羽の美しさをアピールしてメスに求愛をするというところを、生物の進化の仕組みの一部として整合性のある説明が出来れば、その核心に迫れるような気がするのだ・・・・・。

此処からは推論になるが・・・・、フウチョウやクジャクの羽の美しさは、栄養状態の良さや、争いで傷付いていないことを示す上で意味があることなのかもしれないのです。

つややかで色彩豊かなことは充分な食料を得られる能力の保証を相手に見せる事かもしれないし、戦いに敗れること無い強さの結果としての美しい羽を誇示するのかもしれませんから、彼らにとっては太って大きいセイウチと同じ生存への逞しさをそこに見出している可能性も有って、一概に彼ら鳥類が「美しさ」という概念を持っていて、それゆえの視覚的快感によらない可能性もあるわけです。

今、視覚的快感と書きましたが、そこが一つ引っかかります。

強さや逞しい証拠を見る時は、麻薬的無条件な快感とは言えなくとも、脳内麻薬を分泌させる間接的効果があれば良い訳であり、生物としてより良い生存とさらなる進化と繁栄を予感出来るような印象をもたらす形などはやがて条件反射として、ドーパミンやエンドルフィンの分泌を誘発させるようになって来るとは考えられないだろうか?。

つまり、鳥類にとって美しさという概念が出来上がっていないとしても、光り輝く宝石のようなブルーやグリーンの翼を見ているだけで脳内麻薬が間接的にでも出るのであれば、当然快感と感じているかも知れず、ヒトであれば美しいヒトの顔や体を眺めているだけでも幸せな気分になってくるということである。

そうした反応を、もし鳥類がしているなら、それは経験的な学習の結果を元に「美」という抽象的観念が脳の機能によってもたらされていると言い得るのではないかと考えるのだが、あの小さい脳容積を考えると抽象的観念を持っているかどうかは疑問に思えるが、カラスの賢さを考えると或いはそうした観念を持つに至っている可能性も捨てきれないと思うが・・・いかがだろうか?

米国の精子バンクの需要実績で、長身で金髪碧眼の高IQの白人男性の精子に人気が偏るということの理由を考えると、高IQを条件にするのは至極当然としても、やはり金髪碧眼、長身に人気があるということは、その姿形が精子バンクを利用する女性にとって魅力的に見えているか、現代を生き抜くのに有利になると感じていることの証拠であるはずです。

それは、精子バンクを利用する彼女たちの潜在意識の中で、そうした白人の持つ一部の特長が、濃い色の体毛に覆われた黒褐色の皮膚を持つ類人猿のイメージとの対極にあることを見逃さず、人類の進化の道のりの中で到達した最先端としての姿と感じているということが有りはしないだろうか?

ヒトは視覚的な情報に最も影響される生物のようだから、視覚的に進化の方向にあると思えるような形態的特徴を持つ顔が最も自分の子孫を作る相手として望ましく感じるということがあって、実際に最も進化した遺伝的形態とは言えなくとも、視覚的に知られている類人猿からより遠く見える姿形が好ましく見えてしまうということかもしれない・・・。

それは自分の先祖である祖父や祖母を見ることがあればその後に生まれた父や母の方が形態的に強く逞しく見えることがあるように、古いものより新しい方が美しく見えるという経年変化の様子を知ることで得られる学習効果によって生まれ出る意識かも知れないが、視覚的に感じる活動的な容姿の優劣を時系列的に捉えることが出来ることの一因になっているかもしれない。

現代人である私たちも、視覚的に進化して行く方向を直接知ることは不可能なはずだが、何らかの知り得た情報から進化していない古い姿を直感的に認識できるのかも知れないし、現代人ならば考古学者の研究の成果を学習することが出来ることから、古い人類やそれ以前の猿人の姿や顔を視覚的に学習していて、古く進化していない状態と現在の自分たちの姿を知って、発達した大脳の処理力によって進化すべき方向を無意識の中でイメージ出来るようにまで進化していると言えそうだし、その能力によって人間は顔の美しさの理想形を潜在意識の中で選択或いは分別出来るようになり、それが現代人のヒトの顔の美しさを比較する基準になっているのではないだろうか?

少女向けコミックスなどに登場する人物の顔を一度見てみて欲しいのだが、異様に大きな目を持つ主人公たちがキラキラとした目で登場していると思うが、しばらく見ていれば巨大なその目を持つ登場人物もさして違和感無く見られるようになる事もわかるだろう。

何故、ことさら巨大な目を持つ主人公が好感を持って受け入れられ、逆にリアルな大きさの目や、誇張した小さな目を持つ人物で描くコミックスは、シリアスであり、またやや暗くネガティブなキャラクターに多く用いられるのかの意味を考えてみて欲しいのだ。

それこそ、私たち現代人が、その発達した大脳の働きで、ヒトの顔の美しさ、好ましさについて志向する姿が集約されていると言えないだろうか?

我々現代人は、多くのヒトの顔という情報を、脳内で無意識のうちに平均化し、その抽象的平均値に対して斬新な側に外れる事が進化であり、その逆が後退と捉え得る能力があるということではないだろうか?その、平均から外れる量が過大でなく適当である時に、外れる方向が古い特徴でない場合、それが好まれるという結果が存在するのではないかと考えた訳なのです。

ヒトは、「美」という抽象的概念を持つに至った生物なのであり、基本的には「より洗練された姿ほど美しい」と感じるような仕組みを持つことで、自己のより良い生存と子孫の繁栄を図ろうとする仕組みが有ると言えるだろう、そして 美しい姿や顔形を持つことは、生殖のチャンスが大きくなり、より多くの美しい子孫を残せる可能性が高いので、男も女も、基本的には美しい外観を備えた伴侶を得たうえで、その子孫を得たいと願う生物である。と言えるのではないだろうか。

一般的人間の感覚では、より優れている物、より洗練されている物が美しいという解釈があると考えるが、適者生存という理論が100%正しいとすれば、ヒトに於ける美しい顔はこの地球環境での生存に適していなくてはならないが、ヒトの顔の美醜はそうした自然環境に対して意味を持たないと考えられるので、100%通用する理論ではないことが解る。

人間の顔が美しいか醜いかは、無意識のうちに人間の顔の平均値を認識していて、その漠然としたイメージと比較することによって判断するようになっているのではないか?と仮説を立てて以下のように考えてみた。

この平均値を描き出す機能は概ね人類に共通した能力のはずだから、平均的な顔の概念は地域的な範囲で見ればほぼ似通った物なっているはずである。

絵を書く気持ちで試してもらいたいのだが、少しだけ「目」を大きく描いて見たり、少しだけ「足」を長く描いてみると、より美しく感じられるのは私だけではないと思う。

だが、目を2倍大きく描いたり、足を2倍長くしてみたら如何だろう?そこまで変化が大きいと、漫画でもない限り美しいとは感じられなくなってしまうはずなのだ。

その平均値の存在と、そこからの変化の量と方向にどうやら謎を解く鍵があると考えたのが私の基本的な考え方だ。

そして、ヒトの進化の方向性を意識し、より進化していない霊長類の中ではヒトの祖先に最も近いと考えられているチンパンジーの顔の特徴と、平均的ヒトの顔の特徴を、試しに一つ一つの部分について顔の大きさに対する相対的な大小を比較してみるという手法で検証すると。

繁殖年齢のチンパンジーに対する20歳頃の人間の平均的顔の特徴は、

1.顔の面積の大きさに比して目の大きさが人間の方が大きい。
2.鼻は立体的に人間の方が前方向に高い。
3.額は人間のほうが垂直に近く上方向に長い。
4.口角は左右に人間の方が小さい。
5.顔の長さが上下に人間の方が短い。
6.目の水平ラインと口の距離が顔の横幅に比較して人間の方が短い。
7.鼻と口の間の距離は人間の方が短い。

といったことが解り、その特徴をヒトの平均的な顔の特徴に対し、類人猿の特徴から遠ざかる方向へほんの少しだけ変化させた時と、類人猿の特徴にほんの少しだけ接近させたた時の顔を作ってみることで得られる印象の違いを基に、私は仮説を立ててみたのです。

これらの大きさと長さだけを指定した特徴だけを見ても、ほぼ全ての項目でより類人猿の特徴からの距離を遠くする方向への変化が、私の感覚ではより美しいと感じる方向への変化であることに着目したわけです。(以下参照)

1.目は現状より大きい方が好ましい。
2.鼻はやや高い方が低くなるよりは好ましい。(東洋人に限るかもしれない)
3.額はやや広い方が狭くなるより好ましい。
4.口角は左右に大きいより小さい方が好ましい。(多少の時は差を感じない)
5.顔の長さは短いほうが長い方よりは好ましい。
6.目と口の距離が短い方が長い方よりは好ましい。
7.鼻と口の間の距離は短い方が長い方より好ましい。

以上の検証から、ヒトは本能的に、より古い人類の特徴から、より新しい人類の特徴の方向への変化の延長軸方向への変化を好むかもしれないと考えたのです。(好む=進化の方向に合致している)

その変化が人間の文明社会の物理的生活環境に、より適合しているかといえば、関連は殆ど無く、此処では自然環境を対象にする適者生存の論理はほぼ当てはまらず、単に進化の不可逆性ということを間接的に証明しているように感じられるのだ。

地球生物の食物連鎖の頂点に立った人類では、地球の自然環境への適応という意味ではそれ以上進化する必要がなくなったと考えられ、同属の種同士の社会の中で、より子孫を多く残せる手法についての近道として、性交のチャンスをより確実に増やすことに進化の方向性か決まったのでしょう。

視覚的により進化しているように見える形態に対し本能が働いてしまうという部分を利用する戦略が重要になって来て、繁殖できる年齢に達する頃は、少し進んだ遺伝的形質に見える視覚的に美しい姿や顔を欲するようになり、自分をそこに近づける努力もするようになるが、それは同時に自分が性交相手に美しい相手を選ぶことによって、生まれてくる子が美しく好まれる外観を持つことを期待する本能的な行為でもあるのだ。

従って、 人は社会環境という人間社会の中で、より優位になる為、より好まれる外観に近づくことがより適応することだと言えるのだろう。

知的生物というのは、自らの種の姿の指向では、過去を生きた先祖の姿に近づくことを嫌悪し、時間軸としての変化の延長線方向を歓迎するということなのかもしれない。

それを言い換えれば・・・人間は新しく見える姿を好むという事になるのだろう。

このblogテーマに近い話題を扱った2017年の私のblog記事「人間は美しくなろうとしている生き物である」も同様な事柄を一昨年に書いたものです。参照してみて下さい。

それにしても、仕事以外の事で、こうして時間を使い、思考し自分の考えを文章にするのが普段の私の過ごし方になっています。

もしここまでの全文を読んでいただけたとしたら、その方には本当に感謝したいと思います・・・。「ありがとうございました。」
Posted at 2019/07/09 14:11:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 偽学者の論文もどき | 日記
2019年07月07日 イイね!

もし、6600万年前に恐竜が絶滅しなかったら・・・・・・。


前回のBlogで、この宇宙には生命があふれているだろうと書き、その地球外生物が進化して我々によく似た姿になっているかもしれないとも考えられることの理由に数千万年のスパンで起きうる大絶滅の歴史もまた必要であると書いた部分を思い出してもらいたいのだが、そのことについての仮説を立てて考えて見ようと思う。

現在の考古学でも、概ね信じられていることだが、約6604万年前に、現在のメキシコ、ユカタン半島に、直径10Km~15Kmの大きさの小惑星が、秒速20Kmほどの速度で衝突し、さらには、その30万年後にはインド洋の西に直径40Kmに及ぶ小惑星が衝突して、この二つの小惑星の衝突は地球規模の大災害を引き起こし、その破壊的な威力がそれまで繁栄を極めていた大型爬虫類に最後の一撃を加え、絶滅させたのではないかと言われているのです。

最後の一撃というのは、地層から発掘される恐竜の化石の年代を正確に調べると、いわゆる恐竜と呼べる大型の爬虫類はユカタン半島にクレーターを作った小惑星の衝突年代やインド西の海中にあるシバ・クレーターを作ったとされる小惑星の衝突時期より以前に、すでにかなりの種が姿を消したと考えられていて、その主原因は地球の火山活動が活発化したことに依って引き起こされた火山性の有毒ガスやエアロゾルの影響、大気中の粒子による気候の変化を含む地球環境の変化によるものと推測されているからです。
(おおまかに6500万年前と言っている記述が多いが、最近の研究でユカタン半島にチクシュルーブ・クレーターを作った小惑星が衝突したのは、6603万8千年前という報告がある。)

これらの研究が正しいものとして考えればだが、ペルム紀から始まる2億年もの長期にわたって繁栄を極めた大型爬虫類の恐竜は、地球の地殻変動やそれに伴う火山ガスなどによる環境の大きな変化と、宇宙からの小惑星の衝突という巨大なエネルギーに依って生じた大災害によって滅びたと言えるわけです。

そういう地球の歴史に「もし****が無かったら」といった仮定を持ち出すことはほぼ意味の無いことなのだが、この我々の居る宇宙の中での生物の進化につながる地球に似た惑星の条件を考えるとすれば、生物の進化の途中で起きた恐竜時代とその終わり方は別の意味を持ってくることになるだろう。

つまり、地球の歴史について、もしあの時小惑星が地球に衝突しなかったなら・・・、という議論は地球史としては無意味かもしれないが、宇宙の中の他の惑星で何が起きるか?を考える時には、そうしたことの確率や偶然性によって、地球と同じように進化してきたが大型爬虫類が絶滅すると言うような事件が起きない可能性もあり、その場合、或る地球型惑星が、50億年程度の歴史を刻んだとしても、我々地球人と良く似た生物を誕生させるとは言えない可能性も出てくる。

ということに古代生物学の研究者でもない、一介のエンジニアでしかない私が、無謀にも言及しようと試みるのである。

それは・・・恐竜が絶滅しないという地球型惑星モデルにおいて、霊長類は誕生出来るか?人類は生まれ得るか?という問題について考えることです。

哺乳類は、ほぼ爬虫類が両生類から進化した時代の直後に分岐した単弓類といわれる爬虫類から進化した種であり、哺乳類は爬虫類と共に三畳紀、ジュラ紀、白亜紀という中生代を共に生き残ってきた種だが、その1億9000万年に及ぶ時代には地球上の覇者にはなれなかったのです。

それどころか、実際は明らかに昼間は強力な捕食者から隠れて過ごし、闇にまみれて夜間にこそこそと食べ物を探し回る夜行性スカベンジャーの生活を余儀なくされていた日陰者のような生物と言うべき生態で生き延びてきたのだろう。

哺乳類は、恐竜と共に中生代の終わりの大絶滅期を経験し、ネズミに良く似た小さな動物として生き残った1種から全ての哺乳類が進化を遂げたと考えられているのだが、そうした哺乳類を良く観察すると、決して最も進化した生物とは言えない部分が多いことに気づくだろう。

例えば鳥類は竜盤類から進化した獣脚類という分類のティラノザウルスなどの種族の末裔であり、最も新しく地球に現れた種族と言えるが、鳥類は現在の地球の自然環境に最も適応した生物なのかも知れないのです。

私がそう思う理由のひとつは、彼らの心肺機能が哺乳類より優れていて効率が高いことにあります。

哺乳類の肺はご存知のように風船のような構造であり、入り口と出口が共通で、横隔膜の運動によって肺胞が拡張する時に空気を充填し、次に横隔膜が逆に動くときに肺胞が縮むことで排気している。

つまり肺胞の周囲の毛細血管が酸素を取り入れて二酸化炭素を捨てるのだが、肺胞の中に入り込んだ空気の全てが毛細血管の付近を通れるような構造ではないため、吸いこんだ空気の中の酸素を余すことなく利用することも出来ないし、肺胞内の空気を完全に排気することも出来ないから、酸素の少なくなった空気と新鮮な外気が必ず入り混じった状態を作り出すために呼吸の効率としては最善とは言い難いのである。

また、呼気を吐いて、次に吸うまでの時間は、肺のガス交換は一時停止するような間欠方式となってガス交換は断続的で効率も悪いと言える。

しかし鳥類では、気嚢と呼ばれるフイゴのような器官を多数持っており、貫通したパイプを束ねたような構造をしているガス交換臓器である肺は気嚢に通じる気管の途中にあって、その肺の後部と前部に気嚢が有るため、空気を吸う時にもフレッシュな空気だけを肺に通してガス交換を行うし、吐く時にもフレッシュな空気を溜めてある気嚢からの空気を選択的に肺に通すことでガス交換を行うという極めて巧妙な仕組みを持っているのです。

さらに、毛細血管の取り巻く細いパイプを束ねた構造の肺臓を空気が流れ通って行くために、空気の中の酸素が毛細血管を流れる血液と触れ合うチャンスが多く、動的であり高い変換効率を得ているのです。

しかも気嚢の数は7~9室あり、それらとバイパス気管を巧妙に使うことで円滑な連続式呼吸を実現し、非常に高い心肺機能を獲得したことで、アネハヅルなどは8千メートルを超えるヒマラヤ山脈の上空を飛び越えるといった人間なら死んでしまうレベルの希薄な空気の高度を長時間飛ぶと言う過酷な飛行が可能になっているのです。

少し話が本題から逸れてしまったが、この地球上で生きるということを最も肉体的に洗練して実現している種は恐竜たちの末裔である鳥類なのではないか?と言うことで、哺乳類の人間は肉体の能力ではなく脳機能の高さによって賢く生きる術を見出した種であると言うことだから、もし恐竜が滅びなかったとしたら、新生代の環境に於いて、類人猿が高い知能を育める条件が成立し得たか?疑問になるわけです。

例えばネズミのような小型の哺乳類が夜行性の生活を捨てて樹上生活をするまでに進化することが出来たとしても、多くの爬虫類が滅びずに進化を続けたとすれば、霊長類として脳を発達させるのに不可欠な、両手を自由にする二足歩行をする類人猿にまで進化する環境が成立し得ただろうか?。

アフリカだけでなく、どの大陸の草原にも大小の極限まで進化した肉食爬虫類の仲間があらゆる環境にも進出していたとすれば、猿までに進化していた哺乳類が居たとしても草原に降りて両手を使って知能と文化を発達させる環境が成立したとは考えにくく、哺乳類よりも肉体的な機能に優れた俊敏な恐竜たちの子孫があらゆる環境に君臨し、類人猿の仲間が昼間の地上で進化するようなチャンスは殆どやって来ないのではないかと思えてくるのです。

何故なら、現実として哺乳類は恐竜と共に生きた中生代の殆どを夜行性の小動物として生き、中生代から新生代への絶滅期に生き残ったネズミのような種から全ての現存する哺乳類に進化したことを書きましたが、その1億9000万年の間に、爬虫類と同様に持っていた4原色の色覚受容体を失ってしまいました。

それは、夜間にのみ動くことで生き抜いた哺乳類が、色覚を失ってまで暗い夜間の僅かな光でも周りを見られるように進化したために失った能力でした。

そのため現在の鳥類は人間が再び獲得した400nm~700nmの三原色の波長受容能力に対し、360nm~700nmの4原色の波長受容体を持つと研究によって解っています。
鳥は我々人類が視覚で感じることが出来ない紫外線の一部が見えているのです。

鳥は我々人類が憧れてやまない・・・あの空を飛ぶことが出来るだけでなく、息が切れない強靭な心肺機能を持っているし、人間以上の視覚も聴覚も備わっている。

6600万年前に恐竜が絶滅しなかったとしたら、その後にどんな優れた爬虫類を誕生させていたか、今のカラスより数倍知能の高い、猛禽類のような人間の10倍も視力の有る、そして恐ろしく器用な手を持った・・・、もしかしたらその上、空を飛べる鳥のような爬虫類が出現していたかもしれないと考えると、SF映画のように人間型の爬虫類が棲む惑星が実際にあるかもしれないと思えて来るのです。

したがって、爬虫類の栄えた世界が存在する惑星の歴史から、人間とそっくりな知的生物を育むためには地球で起きたような大型爬虫類の絶滅が必須とも言えて、その大型爬虫類の栄枯盛衰の偶然性まで地球の歴史にに似ていなければ、我々地球人にそっくりな知的生物は生まれて来られないのではないかと思えて来てしまうのでした・・・・。

それ故6600万年程前に起きたであろう大型爬虫類の絶滅を促した地球の火山活動と隕石の衝突と言う二つのイベントが我々人類の誕生のプロローグとして必要不可欠な事件であったと言えるのではないでしょうか?

正に我々人類の歴史にとって「災い転じて福となす」という事が運よく起きたのだと思えます・・・・。


Posted at 2019/07/07 21:02:37 | コメント(3) | トラックバック(0) | 偽学者の論文もどき | 日記

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