2016年09月25日
私がBlogを開く理由は様々あって、一概に刹那的な自己満足だけではない。
文章を書く理由の一つに、いずれこれらのBlog記事を纏めてみようと思っていることが挙げられるけれど、「自分の考えを、より整理するために書いてみる」と言う側面もあって、文章に綴ることで自分の考えを定着させたり、認識を強くすることもある。
更にもう一つ、読書を昔ほどしなくなった今、様々な人の書くBlogを読む機会は非常に増えて、新聞を読むよりも多くの時間を割いていて、恐らくその行為は自身の脳の活性化に大きく貢献していることと思う。と同時に、自分が文章を綴ることで更に自分の認知力や理解力を維持して行けることを実感しても居るので、敢えて文は簡素化せずに克明に詳しく、くどいほどに書く習慣が身についている。
文章を書くという事が自分にとって精神的なデトックスになっていることは、とっくに理解していて、実際に自分を落ち着かせるだけでなく、外界の刺激に対して非常に強固になり、冷静に反応する事にも繋がっていると感じる。
たぶん認知症になって行く可能性が高まる年齢に達した時に、今日の私の行動が幾らかそれを遅らせる効果を持つ物だろうと期待していたりする。
長い段落の複雑な言い回しでも、文脈を維持して、誤りなく言いたいことを伝えることは脳にある程度負荷を与えることになるが、その繰り返しが自分の脳を鍛えてくれると感じているから、私はあえてそういう文を良く書くことになる。いわば脳のアンチエイジングの為という事もある訳だ。
だから読んでもらって、そのことで何かを起こそうと言ったことは全くと言って良いほど期待していないわけで、私の文は影響力を意識したものではなく、その時点での私自身の考えを投影しているだけになる。とは言え基本的には誰かにとって何らかの役に立つのであれば尚良いとは思っている。
では、こうしたBlogの文章を纏めてみようと思っているのはどんな理由からだろう。
それは、いずれ去ることになるこの世への未練、と言ってしまえばその通りかもしれないが、私という人間が20世紀から21世紀にかけて存在したという事を、出来れば自分の子孫達に知ってもらいたいからかもしれない。
もちろん私が努力しても、誰もそれを読んでくれないかもしれないことは充分解っているつもりだ。
まあ言って見れば、何か残したと自分自身が思えると言う所で十分なのかもしれないな・・・・。
Posted at 2016/09/25 15:26:09 | |
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