2016年09月28日
かの有名な天才物理学者スティーヴン・ホーキング博士は、「我々の地球に知的生物がいるということを他の宇宙人に知らせることはリスクがある」とかねてより発言している。
博士には比べるべくもない私の稚拙な脳が考えることとはやや違っているが、稚拙な私でも反論する自由はあると思うので、少しだけ試みてみようと思う。
博士はVODサービス「CuriosityStream」が配信するドキュメンタリー番組の中で、我々地球人が他の知的生命を発見したとしても、そのすべてが歓迎できるものかどうかはわからないと警告しているのだそうだが、その例え話で、進んだ文明と出会うことは、アメリカ先住民がコロンブスにあったようなことだろうと語り、「それは結局うまくいかなかったのだ。」と言っているそうだ・・・・。
そのたとえ話に突っ込むなら、15世紀の人類は21世紀の人類に比べると著しく野蛮で、生物に対する博愛精神などに欠けていたと言わざるを得ない。
人類はその後の500年程度で生物に関する倫理観は高まって、現在ではイルカも殺すべきではないという人が多数を占めるようになったほどであるし、絶滅しそうな種を手厚く保護しようとさえしている。
つまり500年前では動物はおろか先住民族がいても、武力で勝る者は彼らを殺しても大きな呵責はないのが普通だったと言えるが、たったの500年で人類の生命に対する倫理観は大きく成長したと言える訳です。
地球に住む我々人類の、他の生物の生存権に対する姿勢は500年間で劇的に変化したと言えるのではないでしょうか?その間にも人類は数多い種を絶滅に追い込んだことも事実ですが、人類のそうしたた生物への配慮は現在も高まって行く過程であり、今後の数百年を考えれば、人類はやがて無機物からタンパク質などの栄養源を合成する技術を完成させると考えられ、現在は食料としている牛や豚、鶏などだけでなくほとんどの生物の遺骸に由来する食料を摂取しなくなる時代がやって来ると考えるのが妥当ではないだろうか?
地球の知的生物である我々人類の精神がそのように他の生物の生存権を慮るように成熟するのに要した時間は古代文明の時代から起算して1万年未満で有り、電気を利用する高度な文明の勃興から起算すれば僅か300年未満、原子核分裂反応を意図的に実現して大量殺戮を行った時からは70年ほどしか経っていないのです。
地球では生命の尊厳に気づくまでに要する時間は技術文明が起きた後の数百年に過ぎないことになり、他の宇宙で進化した知的生物も、技術文明を起こし得る安定した環境を獲得するために必要な条件を考えれば、言語に依る意思疎通を基本として多数の生命体相互の協力と伝承が不可欠と考えられるし、その星でこの我々の地球に届く電波を出すところまでに至るには、滅びずに生き続ける賢さが必要であり、独善的な環境を求めて他を顧みなければ、やがて自ずと滅びてしまう事になるはずだから、高度な文明を獲得した知的生物は他の生物を顧みないほど傍若無人ではいられないのではないか?と考えるのです。
それはあまりに希望的な考えではないか?と言う方も居るとは思うし、地球の生物とは全く異なるルートで高度な文明を持つに至ることがあり得るかもしれないため、ホーキング博士の言う、「全ての知的生命が我々にとって歓迎すべきものである保証はない」という言葉の趣旨は誤りではないだろうが、私は他の宇宙に居るはずの知的生命は殆どの場合、「他の文明を滅ぼす動機を持ち得ない」のではないかと考える者です。
「ねえねえ・・・ホーキング博士・・・他の宇宙人のバイオレンスを案ずるのも解らないわけじゃないけれど、宇宙人に危ないと思われているのは・・・きっと未だに殺し合いをやっている我々地球人の方じゃないんですか?・・・。」
と私は言いたい。
Posted at 2016/09/28 13:41:39 | |
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