2020年05月24日
それが誰であれ、個人攻撃は良い結果を生まないと気付いて欲しい。
ツイッターなどのSNS上での誹謗中傷が問題化される中で、若い女性が命を落とした・・・・。
此処での問題は、攻撃を受けた個人の演技やパフォーマンスではないことに向けられた誹謗中傷であることだ。
つまり攻撃の対象は人間の人格や存在そのものに向けられたものであります。
観衆同然の一般人にその演者の内面の何が解ると言うのか?
コンテンツの中に登場する者は、役者であり、エンターテイナーであるから、殆どのケースでは演じているのだ、という事を知らねばならないはずだ。
その場合、称賛或いは非難されるべきは演技であり、コンテンツのソースでなくてはならないのです。
何を血迷ってしまうのか、演じた役者個人を攻撃してしまう人が少数だが存在する。
「罪を憎んで人を憎まず」と言う古いことわざを思い出してください。
演技の未熟さや至らなさが批判の対象になるのは、或る意味仕方ないことではあるので、甘んじて受けねばならないこともあろう・・・。
しかしながらそれを演じた役者個人を攻撃すべきではないと言えるだろう。
討論や議論も同じですね、発言の内容にとどまらず発言者の名誉にかかわるような表現で、発言した本人を攻撃すれば、議論ではなくなってしまい個人攻撃になってしまいます。
それは正義の行使とは言えないのですよ。
例えば、間違っていると思える意見や思想についてならば、よく話し合うことによって考えを改めてもらえる可能性はありますが、個人の人格攻撃のような態度で臨めば理解されることは無く、議論は不可能になるでしょう。
誰にも誤りはあるし、罪を犯すこともあるでしょう、しかし批判する者は神でも正義の使者でもないのです。
つまり、問題に意見を言うにとどめ、人間性や人格までもを糾弾してはならず、その考え方や思想の是非について議論すべきであるという事です。
「そんな発言をするあなたは信じられない」とか「頭が悪すぎです」または「ウザイから消えて」などと言うのは人格攻撃になっているので、問題を解決しようという態度ではありません・・・。
批判の矛先は人格に向けられるべきではないのです。
行為や言動の内容(ソース)に向けて解決を図るべきなのです。
そのことが判らない人が少数ではありますが存在してます。
Posted at 2020/05/24 22:51:31 | |
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