2021年01月23日
赤城山山麓でのバイク暴走逮捕劇についてのコメでした・・・。
40年ほど前に、私はRZ350というバイクで、CB750-Fとの2台で良く信州方面へツーリングに行っていて、峠のコーナーではスタンドガリガリ擦って火花を出していたので、この方達のことをバカ呼ばわりできません…しかし年齢を見ると「??」頑張るなあ~・・・と、笑。
私は当時バイクでは2台でバトル(ウサギとカメ)でしたが、それ以前の50年近く前は車で、いつもたったの1台で峠を攻めてました。当時はハコスカHTの2000GT-Xで日曜日の朝4時頃白々と夜が明ける頃を狙ってタイムアタックのスタートをしたものでした。
私の、群れない習性はその頃から変わらないのですが、それはガキの頃からイタズラがバレて学校で絞られるのは、口を割る仲間がいるからだと解ったからですね・・・笑。
徒党を組むことのデメリットは、そこでした。
一人で走って一人でコケて車をお釈迦にしても自損事故という扱いで済むとは思うけれど、数台で繰り返し走っていれば誰かに危険だとか言われて通報されても仕方ないでしょうね・・・。
つまり、「自己責任でケリがつく範囲なら私は何でもやれば」という考えですね、他人に迷惑を掛けないことが前提ですが、場所を選び時間を選び、音で迷惑を掛けないようにして、ちょっとだけ遊ぶのはNOというほどのことでもないと考えています。
でも、事故を起こせばその論理は破綻すると言うべきです。誰にも知られることなく、そっと楽しむだけですね。
もう4年ほど前ですが、高峰高原の車坂へ昇るワインディングロードで、途中で追いついた相手は(VWゴルフ)私に追いつかれて引き離そうとしました・・・、これは楽しかったです。デミオXDに乗る私はそのトルクを生かして離されることなく頂上まで走ったのですが、その人も十分楽しんだのは解りました。早朝で他に車もなく見ず知らずの人とのそういう出会いも良いものなんですけれどね。
それを反社会的という人はいると思いますよ、だから言いたい人は仕方ないし、証拠があって法律で縛ろうとするなら、こちらとしてはバレないようにしないとね。
この世界は全てが許されているが、地域の法はそれを許容していないというだけのことです。
このコメントの趣旨は、言うまでもなく「人間は全てのことが自由である」ということであり、それを規制するのは、人間の倫理と罰則の有る取り決め(法律)があることでの、価値判断だけであるという単純なことである。
法や取り決めによる罰を受けたくなければ、法に従えば良いのだ。
そして犯罪さえバレなければそれは無かったことと同じという事も認めざるを得ない現実であろう。
敢えて言い方を極端にすると、法を守ることは社会生活の中で生きるには必要なことと言えるが、守らせる力は罰が有るからであり、罪に問われない、罰を受けないで済むという条件さえあれば人はどんなことでもやってしまう事だろう。
つまり、刑法や道路交通法などは取り引きという事なのだ。守れば罰しないが、守らなければ罰しますという脅しとの損得勘定で人の行動を制御しようというものだ。
それを普通、社会契約と呼ぶ・・・。
遵法精神を純粋に履行する人が僅に居ることは知っているが、一般道と高速道を一日走って見れば現実は理解できるだろう。
現実はバレなければ問題は起きないし、捕まって罰金を払う必要もない。
うっかり速度違反をしてしまったことを警察署へ告白に行き罰金を払いたいし罰を受けますと言う人が居るか?これまで一人でも居ただろうか?どう処遇されるか試しに私はそう言って警察署に出頭してみようとさえ思う程だ。
だからさ、些細なことでも通報する貴方!自分がうっかりでも、バレないと思った時でもいいからさ、交通法違反をした時は自ら警察に出頭して自白して罰を受けてくださいな!!それならチクった場合も私は許すよ。
ちょっと脱線するが、以前中央道で勝沼から大月方面へと車を走らせた時のこと、僅かに路面はウエットだったが、なぜか50km/h規制がかけられていたのです。
私はゆっくりと帰りたかったこともあってその50km/h規制に従って速度を落として速度メーターの50km/hに維持して新笹子トンネルを走り更に大月方面へと走ったが、私以外の大多数の車は100km/hほどは軽く出ていると思われる速度で私の車をビュンビュン抜いて行くのだ。
さすがにこれは非常に危険だと解り、通常時の80km/hに戻したが80km/hでも追い抜かれる状態は続いた。
新笹子トンネルから八王子方面へは下り坂が長く続くので皆速度が高いのは、普段流れに沿って走っているので良く知ってはいたが、制限速度を守るという事が何を起こすか良く解ったのです。
私はそのことのあったすぐ後に、大月の高速警備隊?だったかな?に電話してみました。
「50km/h規制だったので50km/hで走ったがものすごい速度差でビュンビュンと抜かれて非常に怖かったですがなぜ50km/h規制にしたのですか?」
「そういう条件で速度規制を守ることは本当に事故防止効果があるとでも思ってますか?」
「そもそもそういう速度規制を出すような状況には見えませんでしたが正当な理由が有って50km/h規制にしましたか?」
「実際に私が50km/h規制を守っていることは実は自然な道路の流れを大きく乱すことになって却って大きな危険要因になっていたと考えますがどうですか?」
「もし私の速度が低いことがきっかけで多重衝突事故が発生したような場合、原因は何だと発表しますか?」
「50km/hで走る車に100km/hで走る車がぶつかって多重衝突事故が起きれば死人が出る可能性も大きいと思いますが、50km/hの速度規制がそもそも問題であったということをあなた方は言えるのですか?」
「もしかしたらわずかな雨で濡れた長い下り坂の高速道路で事故が起きた場合、道路交通管制管理側として制限速度を落とす指示を出したという事で安全サイドへ措置をしたという自己弁護だけのための措置ではありませんか?」
「しかし、もし中央道の実情を知っていればそこで50km/hで走る車が実際に1台居ることがどれほど危険な状態を生むか解るのではないですか?」
「つまりあなた方は50km/h規制を守って走る車は僅しか出ないという中央道の現実を全く理解していないという事ですか?それとも速度規制を出せば直ちに全ドライバーが守るとでも思っているのですか?」
「同様な条件の日に50km/h規制を出した後に実際に新笹子トンネルから大月インターチェンジまでの区間が何km/hで流れるか本当は経験的に解っているのではないのですか?」
「現実を無視して建前で速度規制を変更することが何を起こすか解っていても、あなた方はそれで事故が起きたとしても責任を取りませんよね?」
「私は一体あの時どうすれば良かったのですか?事故が起きなかったのは幸運だっただけだと思いますけれど、どう考えてますか?私はどうすれば良かったのですか教えてください」
電話に出た警察官は私の話に、非常に困っていたとだけ報告しておきます。
Posted at 2021/01/23 16:34:40 | |
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