2021年01月27日
私は、姉に言わせるとドン臭くて長靴をズルズルと引きずるような歩き方をする幼少期であったそうだ。
小学2年で野球を始めたが特に才能を褒められた覚えもない。
駆け足もごく普通の速さだったから、恐らく筋肉の収縮速度に関する才能は無かったと思う。その証拠に高校時代の体力測定での垂直ジャンプ力は凡庸なものであった。
小学校の6年の時に鉄棒が仲間の間で流行った時、いち早く蹴上がりが出来たのだが、それは全員が出来たと言う訳では無かったので、自分に自信めいた気持ちが生まれたのを記憶している。そして通っていた小学校内で砂場等の地面でバック転が出来た唯一の生徒でもあった。
中学校ではそのバック転が出来ることで迷うことなく体操部(部活)に入った。
1年の時からレギュラー選手となって小学校の運動会に招待され体操の模範演技などもしていた。市内の体操競技大会にも出た。
中学2年の時は市川市の体操競技会で6位となり、千葉県の体操競技県大会に出場したが入賞にはかなり距離があった。
このころは身長が1年間で10センチ以上伸びていて170センチに届くようになって体操の技は切れを失っていった(筋力が追いつかない様だった)。
中学校の2年を終えて3年になる春休みの始まる時に軟式テニスを友人と遊びでやったのが面白くて、春休み中毎日学校へ出てきてテニスで遊んだ。春休み中にかなり上達して新学期が始まる頃にはテニスクラブのキャプテンペアと互角に近く戦えるようになっていた。パートナーも新人でそのころは私が前衛でパートナーが後衛だった。
3年の1学期になると、体操部は辞めることにして正式にテニス部員となった。
私は自分が前衛であることがしっくりと来ていなくて、パートナーにポジションチェンジを申し出て代わってもらってからはより本気でトレーニングをした。朝早く学校に行き授業の前にひと汗かいて、放課後は暗くなってボールが見えなくなるまで練習に明け暮れ、夏休み前にはキャプテンペアにはほぼ勝てるところまで来ていた。
夏休み中に開かれた市川市の中学校の総合体育大会で私たちペアは個人戦で優勝した。私のパートナーは私と一緒に練習することは少なかったが、独特の攻撃性で当時としては新しいタイプの前衛であった。私の練習時のパートナーは違う部員だったが、良く付き合ってくれて二人だけで休みの日も良く練習に明け暮れていた。
4ヶ月で優勝した新人同士の私たちペアが市川市の中学チャンピオンとなった時、入学時からテニス部員だった一人が「自分たちは2年間何をしていたんだろう」と言ったことが今も記憶に残っている。
約4ヶ月間、練習に明け暮れた甲斐あって優勝出来たが、優勝した翌日か2日後だったか体操部の顧問の先生から電話が有って体操の試合にも出ろと言われて、言われるがままに出場して規定演技もその場で見様見真似で覚えて演技したことを覚えている。テニスの県大会ではやはり強豪校が桁違いに強くベスト16位が実力的に限度だった。
高校時代、体育の授業で走り高跳びの記録が155cmとクラスで1番になったことは有るが、垂直飛びではクラスの平均値と変わらない記録であったから、155センチを跳べたのは、ジャンプの時、体を真横にした状態でバーを越えるという技術によって達成していたことは明白だ、正面飛びとロールオーバー、ベリーロールの三種の跳び方が出来たが記録はロールオーバーであった。
自分が本気で熱中したスポーツは中学校時代のテニスが最後で、以後結婚するまで殆どスポーツを本格的にすることもなく偶に硬式テニスをやる程度で、成人した後はすっかり車に熱中していて、バイトに明け暮れて車を買って、社会人となった後も峠や林道を駆け回っていた。
結婚後しばらく東京の足立区に住んで居た私だったが昔の市川の友人から誘われて草野球チームに入った。26歳頃だと思う。
硬式テニスでのフラットサービスの体の使い方は野球の投球に似ているからか?自分の投げるボールは結構速く、それを生かして捕手としてすぐにレギュラーとなり2年目には監督兼キャッチャーとして活躍した。たまにピッチャーもやって8四球を出しながら7回で戦う試合でノーヒットノーランを達成したこともあった。
その頃遠投では良くて90m程度でしたから、投手としての自分の直球の速さは130km/hに届くかどうか?という程度であったと思うので、高校時代の垂直飛びでの筋力からすれば全身を使った投球技術で十人並みの筋力をカバーしてやっと出る最高速度ではなかったかと思っている。
ただ、よくよく思い出してみれば勤め人であったときは昼休みに、よくキャッチボールしてピッチングはやっていたのだった・・・。
草野球はそれでも8年~10年ぐらいやっていたと思うがどうもはっきりとした記憶が無くなった。
こうして振り返ってみるとスポーツでは中学校3年のテニスの優勝経験だけが実績として人に話せることかもしれない。
持久走も上位1/3に入るのが精一杯でだったから長距離走にも向いていなかったし水泳もごく普通の記録だった。
スケートは数回の経験はあり滑れたが競技とは全く無縁だ。
スキーは3回ほど板に乗った程度、上手くは無い。
ゴルフはチャンスが無く殆どやらなかった。これまで付き合いのあった社長職の方も多いが不思議とゴルフをやらない人と付き合ってきた気がする。
格技はほぼ経験がないので何とも言えないがスピードがある訳ではない為大成するとは考えにくい。
という事で私は体を上手く使う事で成績が上がる種目であれば上位へ進める可能性はあったとは思うが、スポーツ選手として、基本的に言って筋肉の収縮速度は速くないので、スポーツの世界で成功する可能性はほぼ無かったと言って間違い無いだろう。
もし有り得るとしたら射撃やアーチェリー等の筋肉の収縮速度を要求されない種目だけではなかったかと思うが、死ぬほど努力する人が何人かいればそこでトップになれるかどうかは何らかの才能が必要だと思うので、それはやってみて初めて解ることと言うしかないだろう。
Posted at 2021/01/27 18:06:30 | |
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