2021年12月05日
社会的な基準で考えれば、価値は概ね金額に換算できるものであろうが、個人的な基準を持ち出すとしたら、それこそ千差万別!極端な話、路傍の小石にも価値があり、その付近を歩く蟻に価値を見出す人も居るに違いない。
しかしながら、多くの人々に認められている標準的な価値というのも有って、それは個人的な感覚である満足感や快感をもたらす全ての事柄に当て嵌まって来る「何か」である。
美味しい食材や酒などの飲み物も価値が有るし、感動を与えてくれる書籍の文章であることも有るし、映画などのコンテンツにも価値は有る。
暑い夏の冷たい水一杯や涼しい風にも大きな価値を感じるし、青く透明に輝く海岸や白い雪を頂く山々の景色にも素晴らしい価値を認めざるを得ないだろう。
そうした、人間ならほとんどの人が感じるであろう標準的な価値感とは、それは同じような文化基盤の中で育った比較的同質な人間に言い得る共通項と言えるのではないだろうか?・・・、つまり最低限この自然豊かな地球で育った人類に共通する価値観という尺度はほぼ大部分が人類共通の感覚であり、僅かに、国や地域の違いやその地域の宗教的な基盤の差で生じる違いがあるものの、全体としてみればそんなに極端な差は無いのであろう・・・・。
ところが、専門分野とも言うべき掘り下げた深みの中にいる人々のみが感じることが出来るような満足感というのがあることも事実で、そうした一般的でない深く掘り下げた時に初めて解るような世界で、その専門分野での研究者だけが感じ得る小さな謎と、その謎を解く小さな理由の発見時に感じるかもしれない喜びや達成感のような感動をもたらす新たな理解などは、その人間が到達しているステージに在る者でしか分かり合えないような価値と言うものが有るのです。
個人の趣味の場合、傍からそれは解らないこともある為、個人が或る趣味の範囲でスペシャリストである場合もあるから、そういう彼の価値観の在り方が謎であることも多いのだ・・・。
スペシャリストだけが知るスペシャルな価値は一般人(門外漢)には理解できないことである場合も多いという事になるから、自分がその道に居ない人間である場合、全く解らないことが有り得るので、それを捉えて容易く評価してはならないと心に刻むべきと思う・・・・。
Posted at 2021/12/06 00:59:07 | |
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思う事 | 日記
2021年12月05日
サウジアラビアGP予選はルイス・ハミルトンがポールポジション。
マックス・フェルスタッペンは0.2秒以上速いタイムで最終コーナーまで来たが、フロント左タイヤをロックさせてオーバースピードで外側の壁にヒットして3位
2位はバルテリ・ボッタス。
4位はシャルル・ルクレール。
5位にはセルジオ・ペレス。
6位にピエール・ガスリー。
7位はランド・ノリス。
8位に角田裕毅。
9位エステバン・オコン。
10位はアントニオ・ジョビナッツイー。
レッドブル・ホンダ陣営としてはマックス・フェルスタッペンの前に2台のメルセデスが居る状態で明日スタートすることになった。
これは残り2戦の予選後の状況としてはかなり厳しいもので、明日どんな結果が待っているのか判らないが、何事も無く過ぎるレースにはならないという予感は有るな。
Posted at 2021/12/05 03:13:12 | |
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F1 | 日記