2022年04月15日
「他人はどうなっても良いので、自分は、より快適に生きたい」という人間の浅ましい考えがどんな戦争でもその根源に在る。
つまり源をたどれば、生物の基本的な性質に依るものだと言っても良いだろう。
社会的な人間の理性的な判断と行動は、そこを越えて、自分が良ければ他人のことはどうでもよいという人間の本質を封じ込め、みんなで少しづつ我慢をして皆が生存できるようにしようではないか?という所に持って行こうとしたのだが、時として誰かが「それでは嫌だ」と言い行動を起こすのだ。
「自分だけ良ければ良い」というのと「不公平感」とは違うものだ。
公平であるべきというのは理性そのものの話であって、「自分さえ良ければ」という感情は原始的なものである。
つまり「指導的誰かの感情が人間の理性を越えてしまった」と言えると思うが、今回の戦争の遠因にもなっている地域的な気候や地下資源の偏在性が人間を勘違いさせていると感じる。
山を行く人が木に成る果実を発見するように、地球は私が発見したから私の物だと言うようなことがまかり通っているという事なのだ。
そもそも地下資源等をその地表を区分した国や個人の所有物と認める国際的基準そのものが可笑しいのであって、地球にある資源に所有権を認めるならすべての生物に平等にその権利が有ると言うべきものなのだ。
地下資源の真上に、たまたま家を持ったことで地下にある埋蔵物の所有権をその住人に与えるというバカげた基準が全ての誤りの根源ではないのかと私は思う。
言うなれば、古い慣習である地表の所有権を人間に与えるということ自体が基本的には間違っているのだろう。
つまり地球とその利用に関するルールは未成熟で、既得権のような慣習に縛られた古臭く、正当とは決して言い難いルールが今現在も強く蔓延っていると言う訳だ。
私は断言するが、人類がそのレベルから抜け出す日が何時になるか?いや、何時かは抜け出せるのかさえ疑問なのだ。
人類ってその程度なのさ・・・・・。
自分が一番大事・・・・・笑。
Posted at 2022/04/15 12:54:54 | |
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