2022年06月22日
我々地球に住む人間は、美しいものとそうでも無いもを個人的な感覚で評価する習慣がある。
しかし、何故か、その「美しいと感じる感覚」は多くの人に共通していて似通っているし、多くの人が美しいと感じる対象は私にとっても美しいと感じられるのだ・・・。
よく考えて、改めて美女の誉れ高い女優の北川景子さんと、一般的には決して美しいと言われない芸人さんの画像を比べてみたりしたのだが、印象には大きな差が生じ、大方の予想通りの結果となるのは、当たり前という事になるだろう・・・、そうでなければ美人コンテストなどと言う物は成立しないと言いきれてしまうのだろう。
ではその美しさには普遍性が有るだろうか?という所まで考えて見ると、なかなか難しい事にも気づく。
もし普遍性が有ると主張するのであれば、誰もが理解できるような明快さを以て美のルーツへの論理的な説明が出来る筈ではないか?
美人は何故美しいと感じられるのか?そして何故それはほぼ共通して多くの人にも同様に感じられるのか?
もしかしたら美感に対応した遺伝子セットなるものが我々の体には組み込まれていたりするのであろうか?(現在ではそのような研究もなされていて(米ウイスコンシン大学)遺伝子が関与することはむしろ当然とされているようでもある)
はたまた、そうでは無く経験と言う学習から育まれる相対的で同調的な評価基準に過ぎないのか?(一般的にはそういう解釈が優勢であった)
そんなことに考えを巡らし、詭弁のような回答を引き出し、ジョークを書くのが、そうした脳の機能の研究者ではない私流の暇な時間の過ごし方でもある訳だが、今日も又そこに入って行こうと思う。
ここで私の今回の試みの傾向として、人間の「意識」とは、すべての発端を意味する独立した個人の「神聖で侵されざるべきものでは無く」、自分の持つ意志とは無関係に起こす人間の反射的な反応による行為の結果を追認して意識が形作られているという考え方を重視したものであることをお伝えしてからにしたいと思う。(ここ、解りにくいですかね?)
多分、解りにくいと思うので、少しそのことを書いてみます。
人が行動を起こす理由は、一般的には、大きく分けて自発的な行動と何らかの刺激に対する反応的な行動が有ると言えるかと思いますが、問題は真に自発的な行動と言う物が存在するのか?という所であり、そこを掘り下げてみようとする訳です。
そうすると、何の刺激も受けずに、自分の意思だけで何か行動を起こすという事が実際には有り得るのか?という事について、細かく、厳密に分析しなくてはならなくなって来る私が居るという訳です。
自分が何かしかの行動を起こすまでには、それ以前の時間帯に何らかの刺激が必要であるはずだが、そうした刺激が全くない時、人間は本当に行動を起こすのであろうか?と考えて見れば、何かを食べる行動は空腹感と言う刺激が無くては起こさない事であるかも知れないし、何かが見えるとか、聞こえるとかいう体の感覚器への情報による刺激無しに人間は何かを自発的に起こすという事がどれほどあるのか?という事を少し考えれば、私の言っている意味も少しは理解してもらえるのではないかと感じるがどうですか?
そこで、そうした行動のきっかけとなる事柄にはどんなことが有るのか?更に挙げられるかを考えて行くと、自分自身の体の中で自分の意思とは関係も無く作られるタンパク質等の物質がホルモンのように自分の脳や神経を刺激して自分を突き動かしているだけなのではないか?と思えてきませんか?つまり、女性に対して感じてしまう性的欲求は自分自身の意識が生みだした自発的なものでは無く、人間と言う生体が作り出した性ホルモンが自分に行動を起こさせているのであると言えるのではないだろうか?・・・、だとしたなら、それ以外の生きるための全ての行動も、そのような人間の生物的な仕組みから生み出されている何らかの物質の働きによって引き起こされているだけであり、自分自身の純粋な意志と呼べるような精神的な指向性などそこには関与していないのではないか?ただそのように行動してしまった自分自身が、そのように思い込むことで自分と言う意識在る存在を纏め上げているだけなのでは無いのだろうか?
つまり、人間の行動と言うものは、殆どの場合、生命維持と子孫を残すという生命体特有の逃れざる宿命のような仕組みに操られているだけであって、それによって作られる脳内物質等の働きに縛られるように反応し続けてしまう自分が、実は存在するのであり、意識とはそうした意図しているわけでは無い生体の必然の反応を事後に追認して、あたかも自分と言う独立した存在が全てを決めて行動している様に纏めることで、生きるという行為を正当化して、それを容易に止めさせないように誘導していると考えられるのではないでしょうか?
もう少し突っ込んでみて、ではその人間の意識とは本来どんな役割を持っているのか?何故人間には意識と言う客観的に自分を捉える場が生まれたのか?という事を考えて見ます。
続く
Posted at 2022/06/23 17:22:38 | |
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