昨日は私の68回目の誕生日であった・・・・。
16歳の頃、ヘルスノイローゼを病んでいた時のことを思うと、ここまで生きられるとは思っても見なかった・・・・。
その当時は書物ばかり読んでいて、成るべくして成ったノイローゼだったのかも知れないが、本気で明日にもこの世を去らねばならないという恐怖の毎日を過ごしたものだった・・・・。
幸か不幸かは解らないが、大して長くは生きられないと思う事は無駄ではなかったと思う。
自分の人生が残り少ないと悟る(たとえ勘違いでも)ことは、生きていることの素晴らしさや、命の価値を痛感することになり、残り少ない時間で何をすべきか?必死になれたから、その後の私の人生はチャレンジする人生になったと言えるのだろう・・・。
普通、大病から生還した人が、「この世の事柄は、全て生きているからこそ」と、その意味を悟り、悔いの無い生き方を選んで、迷うことが少なくなる様なことを、歳若くして経験出来たことは、たとえ勘違いであったとしても得難いものだったと今は思う。
思い起こすと、多分・・・11歳の時(昭和35年)に、市川市立八幡小学校の図書室で、宇宙にある太陽よりも遥かに巨大なサイズの巨星の存在を知り、地球の大きさと比較するとその大きさはかけ離れていて、そのちっぽけな地球の中に居る自分の存在の希薄さ矮小さに気付き、何かに目覚めたのがきっかけで、無限の広がりを持つ宇宙を自分の意識の中に収め得たことから、「自分の持つ意識とはいったい何なのか」と言うところに関心を強く持ったという事が、哲学書を読むきっかけとなり、ノイローゼにもなって行ったのだと解ります・・・。
「宇宙の中の自分の存在の矮小さ」という物にひとたび気づいてしまうと、人間には変化が起きるものだと思うのですが、そんな少年の57年後の変化した成れの果ての姿が当に私であります。
「銀河 遼(ギンガ ハルカ)」というペンネームはそうして生まれて来た名前です・・・・。
自分の全ての意識のルーツがその名前に込められているのです。
とまあ、前置きが大げさで・・・長くなりましたが・・・・。
以下の画像は、我が家からさほど遠くない場所の「ラ・スペランザ」というイタリアンレストランでささやかな誕生日を家内と二人で祝いましたが、その時のものです。
ランチコースAの前菜(ドリンクにホットコーヒーを頼めばおかわり自由です。)
下の画像は、撮影する前に半分以上食べてしまって、だいぶ減っているピッザ・マルゲリータであります・・・。(ランチコースA1450円で前菜からドリンク・デザートまでです)
下はペスカトーレ・ロッソの画像(ランチコースAで前菜からドリンク・デザートまでで1800円税別)
下はデザートとドリンク(ホットコーヒーはおかわり自由)の画像
話題は変わって、トルクプロの画像で、PMAccとPMGenはMAXで4000.0と400.0付近でDPF再生が起きるように設定してあり、もうじきPMGenの値が限界となってDPF再生が始まるでしょう。
多分275km辺りでしょうか?
そしてこの次はコモンレール式ディーゼルシステム クリーンプロテクトを燃料に入れる番です。
 
				  Posted at 2017/12/12 14:26:02 |  | 
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