↑画像は一泊後の翌朝、出発前の記念写真の様子です。
昨日のことだが、本棚から古い紙を見つけた。
なんと昭和56年に千葉県の市川市に住んでいた頃の、バイクでのツーリングの募集案内状だった・・・・。
39年前のことを懐かしく読んでみたのだが、・・・ずいぶんと無謀な企画であることを、今更ながら反省する思いだった・・・・。
この募集案内状は私が作成したもので、私がRZ350を購入して間もない頃にCB750Fに乗っていた焼き鳥屋さんの主人のヒデさんと二人でバイククラブを作り、記念ツーリングを兼ねて、仲間を募るものだった・・・・。
実際に決行した5月の連休の初日では、清里の牧場の有刺鉄線の柵に主催者の一人のヒデさんが砂利にタイヤを滑らせて突っ込んでしまい、モトコ製のカウルは割れ、自身は左手の親指の付け根を痛めてしまう・・・。
本人は主催者という事もあり、痛みをこらえながらその後を走り切る。後に骨折していたことが判ったのだが、二日目は親指の周辺は2倍にも腫れ上がり、グラブに手は入らない状態だった・・・・。
ツーリングそのものは一日の予定をほぼ消化したものの、渋峠から見えるはずの北アルプスは夕暮れのためほぼ見えず、雪の壁の中を走って志賀高原に出た時はすっかり夜になってしまい、発哺温泉までが非常に遠く感じたものだった・・・。
そしてあと少しで発哺温泉の宿泊予定地に着く寸前、道路工事で坂道が砂利道となっていて、普段なら難なく登れるようなところであったのですが、次々にバイクは転倒してしまい、皆本当に疲れ切っていることが判ったのです。
私を含む3名の30代、5名の20代の若者も体力を使い果たしていたためか、数台のバイクはあっけなくコケてしまい、体力に余裕のあった私はすぐに自分のバイクを降りて不安定になったバイクを後ろから直立に支えて押して補助した記憶が鮮明に残っています・・・・。
今も記憶にあるのはスキーロッジのような宿の食事はお世辞にも良いとは言えず、疲れていて、せめてたらふく美味しい料理をと願った私たちの気持ちは裏切られたのでした・・・・・。
Posted at 2020/07/03 11:50:49 | |
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