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銀河遼のブログ一覧

2020年12月28日 イイね!

マツダの商品本部主査が逮捕されたというニュース・・・・。


マツダの車が好きで、気に入って乗っている私にとっては実に心が痛みます。

当事者は57歳と言う年齢らしいですから、壮年の働き盛りの頃なので、年を取って判断が悪くなって来たとか言う問題では無いでしょうね・・・。

酒気帯び運転と万引きの両方で逮捕されたらしく、社会人として有ってはならない事件を起こしたと言えると思います。

私と同じようにマツダの車を愛する人たちは、大なり小なり今回のニュースを残念に感じていることでしょう。

事件を起こした当人は、法的処罰と社会的な制裁の両方を受けて、再び車両開発主査に戻ることは無いと思えます。たとえ本人がそれを望もうと望むまいとね・・・。

個人的な犯罪ですが、会社やその立場に関連付けて何かと物議を醸すことになると思いますし、職業と関連付けて云々されることは特にこの日本の風土を考えれば避けられないと感じますが、本来別の問題です。

仕事上での非合法な振舞でもなく、常識を欠いた手法で問題のある車を作ったわけでもありません。

全米の非営利団体による車の信頼性評価で、トヨタ自動車を首位から追い落として今年の第1位の座に輝いたのは他ならぬマツダ自動車であることからも解る通り、車作りで汚点を残したわけではないのです。

皆さま、特にこの問題を取り上げるブロガー様、その辺をどうか勘違いされませんようお願いしたいと思います。そしてマツダ自動車の車両画像などをBlog記事に添えて、誤解させるような印象操作は止めて下さい・・・、これは個人の問題であることに気づいて、そのように取り扱っていただきたいと思います。

人は精神を病むこともあり得るし、過ちを犯す存在であると理解すべきです。人間とは時とともに様々に変化することも認めなくてはなりません。

旧通産省工業技術院の元院長が起こした人身事故での裁判で、被告はトヨタ自動車のプリウスの欠陥であると主張しています。

そのような事柄に関したBlog記事を書く場合では被告が使った車の画像を掲載することもやむを得ないことと言えましょうが、それは事故の当該車両としての事実と被告の主張がそこに有るからです。

今回の万引きと酒気帯び運転での逮捕はマツダ車での加害事故ですら無いのですから、勤め先の自動車会社を引き合いに出すような画像を使うのは天理に反すると思います。





Posted at 2020/12/28 16:24:44 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思う事 | 日記
2020年12月20日 イイね!

先日オークションで買った小型3次元加工機だが・・・。




画像のこまごまとした切削工具やデジタルノギスなどはオマケでついてきた・・・。

引き取りに行ったときは、数人でCX-30のトランクスペースに簡単に乗せる事が出来たが、我が家に帰って来てからそれを降ろせずにいる・・・。

加工機本体の重量は70Kgちょっとという所だから、持ちやすい姿勢が取れれば、2人でなら降ろせると思うのだが、車は狭いから簡単にはいかないのは解っていたが、やはりなかなか難しい。

もう少し若い頃なら一人でも無理すれば降ろせた重さなのだが、今ではそれが危険なことであることは良く解っているので、自分の腰や筋力を考えて何とか安全に降ろすことを考えた・・・。

そこで昨夜、簡易型の小型クレーンを設計して作ろうと考えたのだが・・・。



余談ですが・・・、約40年間機械設計で飯を食ってきた私ですが、この簡易クレーンのフレームは直感で寸法を適当に決めて描いてみたものですが、要求強度を2倍として150Kgを吊れるものとしました。安全率を応力解析して調べたら1.2倍でした‥‥殆どドンピシャですよね・・・。経験と言うのはそういう物ですかね・・・・。

もしかしたら小さなクレーンが安価に売っているのではないかと調べてみたところ以下のようなものをオークションサイトで見つけた。





サイズはピッタリで500Kg程度は持ち上げられるという・・・。

価格は税別で¥12500、運賃が多少高くて¥6500、税金を入れると¥18300となったが、自作するよりも明らかに安く済むので直ちに落札した。(安さから多分確実にCINA製なのだろう)



こんな風にバイクなども吊り上げられるようだ。

明後日には到着するようだから、これで何とか荷下ろしが出来ようというものだ。

ベースには24mm厚さのコンパネを取り付けて転倒しないようにして使うつもりである・・・。
Posted at 2020/12/20 22:51:30 | コメント(1) | トラックバック(0) | 購入品 | 日記
2020年12月19日 イイね!

「さらば昴」について考える (その2)


書き足した部分が多く倍ほどの文字量になってしまったこともあり、再度アップしました。古い楽曲についてでもあり、あまり知らない曲、とお感じの人も多いかと思いましたが、「嘘も100回も言っていればそれが本当になって行く」という事は許しがたい事と思っているので、そこは厳しく言って行こうと思います。

「昴」はヒット曲であり評価も高い楽曲で、谷村新司氏の代表作でもある・・・。

目を閉じて 何も見えず 悲しくて目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
ああ 砕け散る宿命の星たちよ
せめて密やかに この身を照らせよ

我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ

呼吸をすれば胸の中 凩は吠き続ける
されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり
ああ さんざめく 名も無き星たちよ
せめて鮮やかに その身を終われよ

我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ

ああ いつの日か誰かがこの道を
ああ いつの日か誰かがこの道を

我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
我は行く さらば昴よ


この「昴」に書かれた詩は一見謎な部分もあり、その曲の発表以来多くの解釈を皆さま見聞きしたかもしれませんね・・・。

作詞作曲をした谷村新司氏によれば・・・、「プレアデスの意識ある存在からの啓示」・・・とか言うトンデモな発言もありますが、そんな作り話を真に受ける私ではない。(日本語の「昴」は地球から443光年離れたところに在るプレアデス開散星団を示す言葉)

「さらば昴」と言うフレーズが先ず最初にインスピレーションとして突然浮かんできたと谷村氏は言っていますが、まあそれはままあり得ることとしてもね・・・・。

また、石川啄木の歌に酷似している部分については、谷村氏は啄木の歌は学生時代に読んだというより食べたとおっしゃる・・・・。
そしてそれが消化されて詩や曲となって出てきたとか言ってます・・・じゃあこの「昴」という詩はウンコということでしょうか?・・・笑。

呼吸(いき)すれば、
胸の中(うち)にて鳴る音あり。
凩(こがらし)よりもさびしきその音!

― ― ― ― ― ― ― ―

眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし。
さびしくも、また、眼をあけるかな。


上の歌は石川啄木が亡くなる4・5日前にノートに書かれた歌をそのまま出版した「悲しき玩具」と言う歌集の中にある最後の二首でありますから、石川啄木の死の直前の作品に外なりません・・・・。

谷村氏の作詞になる「昴」と言う曲がヒットし、後になって、谷村氏はプレアデスからの意識在る存在からの語りかけのことや、更に20年も後に「蒼白き頬のままで」の意味について触れています。蒼白き頬はヒンドゥー教のシバ神の蒼い顔のことだとおっしゃる・・・orz。

所詮後付けのお話ですから、取って付けたような話ですし、宇宙からの脳への直接の通信とかは何?・・・・笑。

所で・・・、御存じの方も多いはずですが、石川啄木は「スバル」という文学雑誌の創刊号の発行人です。

谷村新司氏の作詞になる「昴」の詩の中には啄木の辞世の歌ともいえる2首の歌が明らかに埋め込まれていて、更に啄木はそれらの歌を書いた直後にこの世を去っているわけで、言うなれば「さらばスバル」を地で行ったわけですよ。

谷村氏が何を言おうと勝手ですが、そのことを無視するように言い逃れ的な説明をしても、「はあ?」と言う印象しか私には感じません。「なんだそりゃ?」と言う印象ですね。

だから、謎と言われる「蒼白き頬のままで」と言うフレーズは、谷村氏が今際の際に在る啄木を想像した時に感じたであろう、死にゆく人間の顔色のイメージでしょう?

ああ 砕け散る宿命の星たちよ せめて密やかに この身を照らせよ

こういう表現も、星を擬人化していて、黄泉に旅立つ啄木の最後の二首の歌を示して、そこに光を当てようしている様ですが「この身」ならば「荒野に向かう道より 他に見えるものはなし」と言っている人のことを指し示すことになるから、プレアデス(スバル)よ、この私(啄木)をすこしだけその光で照らしておくれ、と言う意味になる。
後に「その身を終われよ」と言っている名も無き星とスバルは違う星で、星々もまた死んでゆくことを示して人との共通点を歌っている。

それだけではなく、この「昴」の詩全体を見てみれば、結核に肺を侵され、若くしてこの世を去ってゆく啄木の最後の輝きの様と宇宙の星々の運命とを対比的に捉えて、啄木の心持を想像して書かれた詩であると私は確信している。

それなのに、なぜ谷村氏があえてバレバレの頓珍漢な出まかせを言うのか?

詩は盗作では?と言う批判を否定したいのか?・・・まあ、「今、まさに死にゆく石川啄木やその瀕死の顔色をモチーフにした詩です。」なんて、恐れ多くて普通言えないわな~・・・、ストレートに言うには石川啄木が文芸人として巨人であり過ぎるという事もあるのでしょう・・・。

追伸:私は「昴」と言う楽曲が嫌いではありませんし、アリスや谷村新司氏を特に嫌ってもいませんでした。

「昴」は楽曲としてそれだけをみれば、大陸的な雰囲気を醸すメロディーと詩のマッチングも良いと思います。

ですから、谷村新司氏は「昴」の詩が石川啄木の歌に影響を受けていると言う事を認めた上で、他に何も語るべきではなかったと思います・・・・。

(聖書より)「言葉多ければ虚しさが増す。」・・・とか言いますね。

石川啄木の最後の歌とその歌の書かれた状況に敬意を示すべきであり、作詞のヒントとして存在した事柄を、一度自分の中に知識として取り込んだものが出てくる場合は真似や盗作では無いと強弁する姿勢は石川啄木への敬意を著しく欠いている。

更にプレアデスは財の星であり、つまり「昴」は物質文明を意味しているとか、「蒼白き頬」とはシバ神の顔の色であり、シバ神が破壊と再生の神であるところから、それらを合わせて「さらば昴」の意味は物質文明の呪縛を破壊し別れを告げるという意味だとか、等の発言もある。

そもそもこの詩は、啓示的に頭の中に降りてきたものだと言い、何故か解らないけれど宇宙の何物かによるテレパシーでの通信があるとか、他でも、尤もらしく聞こえる理由を後付けして行こうという言い訳の手法そのものはたいそう見苦しいもので、それらを書いた本を発行してしまったという(「谷村新司の不思議すぎる話」)、そこまでの自己弁護を聞くと本当に悲しくなるから・・・「昴」と言う楽曲のファンである私にすれば、ぜひそういう心根を改めて、石川啄木への敬意を先ず表して欲しいと思う。

「言葉多ければ尚墓穴を掘るが如し」これ、私が今日作った言葉です・・・笑。
Posted at 2020/12/19 13:42:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年12月15日 イイね!

「さらば昴」を考える・・・・。


「昴」はヒット曲であり評価も高い楽曲で、谷村新司氏の代表作でもある・・・。

目を閉じて 何も見えず 悲しくて目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
ああ 砕け散る宿命の星たちよ
せめて密やかに この身を照らせよ

我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ

呼吸をすれば胸の中 凩は吠き続ける
されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり
ああ さんざめく 名も無き星たちよ
せめて鮮やかに その身を終われよ

我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ

ああ いつの日か誰かがこの道を
ああ いつの日か誰かがこの道を

我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
我は行く さらば昴よ


この「昴」に書かれた詩は一見謎な部分もあり、その曲の発表以来多くの解釈を皆さま見聞きしたかもしれませんね・・・。

作詞作曲をした谷村新司氏によれば・・・、「プレアデスの意識ある存在からの啓示」・・・とか言うトンデモな発言もありますが、そんな作り話を真に受ける私ではない。(日本語の「昴」は地球から443光年離れたところに在るプレアデス開散星団を示す言葉)

「さらば昴」と言うフレーズが先ず最初にインスピレーションとして突然浮かんできたと谷村氏言っていますが、まあそれはままあり得ることとしてもね・・・・。

また、石川啄木の歌に酷似している部分については、谷村氏は啄木の歌は学生時代に読んだというより食べたとおっしゃる・・・・。
そしてそれが消化されて詩や曲となって出てきたとか言ってます・・・じゃあこの「昴」という詩はウンコということでしょうか?・・・笑。

呼吸(いき)すれば、
胸の中(うち)にて鳴る音あり。
凩(こがらし)よりもさびしきその音!

― ― ― ― ― ― ― ―

眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし。
さびしくも、また、眼をあけるかな。


上の歌は石川啄木が書いた最後の二首でありますから、死の直前の作品に外なりません・・・・。

この「昴」と言う曲がヒットし、後になって、谷村氏はプレアデスからの意識在る存在からの語りかけのことや、更に20年も後に「蒼白き頬のままで」の意味について触れています。蒼白き頬はヒンドゥー教のシバ神の蒼い顔のことだとおっしゃる・・・orz。

所詮後付けのお話ですから、取って付けたような話ですし、宇宙からの脳への直接の通信とかは何?・・・・笑。

所で・・・、御存じの方も多いはずですが、石川啄木は「スバル」という文学雑誌の創刊号の発行人です。

谷村新司氏の作詞になる「昴」の詩の中には啄木の辞世の歌ともいえる2首の歌が明らかに埋め込まれていて、更に啄木はそれらの歌を書いた直後にこの世を去っているわけで、言うなれば「さらばスバル」を地で行ったわけですよ。

谷村氏が何を言おうと勝手ですが、そのことと無関係な説明をしても、「はあ?」と言う印象しか私には感じません。「なんだそりゃ?」と言う印象ですね。

だから、「蒼白き頬のままで」と言うフレーズは、まさに死にゆく人間の顔色のイメージでしょう?

ああ 砕け散る宿命の星たちよ せめて密やかに この身を照らせよ

こういう表現も、星を擬人化していて、死にゆく石川啄木の最後の二首の歌を示して、そこに光を当てようしている様ですが「この身」ならば「荒野に向かう道より 他に見えるものはなし」と言っている人のことを指し示すことになるから、プレアデス(スバル)よ、この私(啄木)をすこしだけその光で照らしておくれ、と言う意味になる。
後に「その身を終われよ」と言っている名も無き星とスバルは違う星で、星々もまた死んでゆくことを示して人との共通点を歌っている。

それだけではなく、この「昴」の詩全体を見てみれば、結核に倒れ、若くしてこの世を去ってゆく啄木の最後の輝きの様と宇宙の星々の運命とを対比的に捉えて、啄木の心持を想像して書かれた詩であると私は確信している。

それなのに、なぜ谷村氏があえてバレバレの頓珍漢な出まかせを言うのか?

詩は盗作では?と言う批判を否定したいのか?・・・まあ、「今、まさに死にゆく石川啄木をモチーフにした詩です。」なんて、恐れ多くて普通言えないわな~・・・、ストレートに言うには石川啄木が文芸人として巨人であり過ぎるという事もあるのでしょう・・・。

追伸:私は「昴」と言う楽曲が嫌いではありませんし、アリスや谷村新司氏を特に嫌ってもいませんでした。

「昴」は楽曲としてそれだけをみれば、大陸的な雰囲気を醸すメロディーと詩のマッチングも良いと思います。

ですから、谷村新司氏は「昴」の詩が石川啄木の歌に影響を受けていると言う事を認めた上で、他に何も語るべきではなかったと思います・・・・。

「言葉多ければ虚しさが増す。」(聖書より)・・・とか言いますね。

石川啄木の最後の歌とその歌の書かれた状況に敬意を示すべきであり、作詞のヒントとして存在した事柄を、一度自分の中に知識として取り込んだものが出てくる場合は真似や盗作ではないと強弁する姿勢は石川啄木への敬意を著しく欠いている。

更にプレアデスは財の星であり、つまり「昴」は物質文明を意味しているとか、「蒼白き頬」とはシバ神の顔の色であり、シバ神が破壊と再生の神であるところから、それらを合わせて「さらば昴」の意味は物質文明の呪縛を破壊し別れを告げるという意味だとか、等の発言もある。

そもそもこの詩は、啓示的に頭の中に降りてきたものだと言い、何故か解らないけれど宇宙の何物かによるテレパシーでの通信があるとか、他でも、尤もらしく聞こえる理由を後付けして行こうという言い訳の手法そのものはたいそう見苦しいもので、それらを書いた本を発行してしまったという(「谷村新司の不思議すぎる話」)、そこまでの自己弁護を聞くと本当に悲しくなるから・・・「昴」と言う楽曲のファンである私にすれば、ぜひそういう心根を改めて、石川啄木への敬意を先ず表して欲しいと思う。

「言葉多ければ尚墓穴を掘るが如し」これ、私が今日作った言葉です・・・笑。

Posted at 2020/12/15 21:00:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思う事 | 日記
2020年12月14日 イイね!

レッドブル・ホンダ&マックス・フェルスタッペン優勝!


アブダビのヤス・マリーナサーキットで開催されたF1の2020年の最終戦はレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンがポール・トゥ・ウインの完勝でフィナーレを飾った。

2位はメルセデスのバルテリ・ボッタス、3位はメルセデスのルイス・ハミルトン。

4位には、レッドブル・ホンダのアレクサンダー・アルボンが入り、ファイナルラップでは3位のルイスまであと2秒という所まで迫って見せた・・・。

レッドブル・ホンダはアルファ・タウリのピエール・ガスリーと共にホンダエンジンとして3台がポイントを取り、2020年型のW11の開発をほぼ停止して久しいメルセデスに追いついた格好である。

来年のアルファ・タウリのシートに角田裕毅が座るとも言われていて、小林可夢偉以来久しく日本人ドライバーが居なかったF1に日本人が戻って来るのではないかと期待される。

又、来年1年を戦ってHONDAがF1から撤退することもあり、出来ればメルセデスを負かして欲しいが、早々とダブルタイトルを決めたメルセデスはすでにリソースを来年型のマシンに注いでおり、他のチームよりも一歩前に居ると考えられるので、なかなかメルセデスを捉えるのは難しいかもしれない・・・・。

ホンダエンジンは耐久力もパワーもすでにメルセデスに並んだと言えそうなので、来シーズンのスタートが楽しみになった。

それでも未だメルセデスがもう一歩前に進むという可能性もあるので、来年のF1レース開幕戦を見るまでは何とも言い難い・・・・。

マックス・フェルスタッペンおめでとう!レッドブル・ホンダ優勝おめでとう!!

Posted at 2020/12/14 00:28:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | F1 | 日記

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何シテル?   11/03 10:03
銀河 遼です。よろしくお願いします。(宝塚とは無縁です) フリーランスの機械系エンジニアです。(面倒な仕事してる面倒くさいかもしれない人です) 3D・C...
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