私が免許を取得したのは18歳の時だから、昭和の42年(1967年)という事になり、当時の道路状況は現在とは大きく異なっていて、簡易舗装を含む舗装道路は20%以下であったと言うことです。
東京や大阪などの大都市では市街や国道の殆どは舗装されていたように記憶しているが、東京から数10km離れた千葉県などでも都市部を除けばほとんどが砂利道であったのを思い出す。
昭和46年(1971年)に私がスカイライン2000GT-Xを手に入れた時点でもそれはあまり変わらず、主要な国道以外では舗装されていない道が非常に多かったのです。
そんな時代でもモータースポーツは盛んになっていて、ニッサンとトヨタのレースでの対決はエスカレートしてニッサンR382とトヨタ7、ポルシェ917が日本グランプリで戦ったのは1969年の10月の事で、私はバイト先のパブリカバンを借りて富士スピードウエイに見に行っていました。
下は実際に私が富士スピードウエイで撮った写真です。(スタート直後の画像です)
私が車を速く走らせることに魅力を感じた頃、つまり1971~1972年当時、丹沢のヤビツ峠を秦野側から登り始めると直ぐに砂利道となって、そのころは津久井湖までも砂利道でしたし、更にそこから山中湖に至る道志みちも全て非舗装であったのです。(宮ケ瀬ダム湖は未だ無かった時代です)
つまり、全国何処でも、ちょっと山に入れば当然のように非舗装の砂利道となってしまうのですから、速く走ろうと人のいない場所でトレーニングするという事は非舗装路で腕を磨くという事になっていたような時代でした。
私は当時のそうした道路状況を受け入れていた事もあり、スカイラインにはPMCSで開発されたラリー用のガスショックを組み込んでその状況に対応させていましたから、若干車高は上がっていましたが、非舗装路ではノーマルサスよりも良好な走破性を得ていました。
ラリー競技に参加する訳では無いとしても、一般車に迷惑を掛けずに速く走る趣味を楽しむには、殆ど車が居ない山岳路を選ぶしかなかったと言う訳です。
その頃のそういう車好き達が皆そうであったかと言うと、全くそういうことは無く、車高を下げてレース車両風の固めたサスで舗装された街道を大きな排気音を出したりしながら走る若者の方が多数派であったように感じます。
私は少数派でしたがそうして山間の非舗装路を走ることが趣味となって行って、当然の帰結としてラリー競技に興味を持つことになって行きました。
それ以前より、アルバイトで大きな穴がそこいらじゅうにある道路を走ることもあったので、そういう非舗装路を少しでも車を安定させて走らせるために、穴に落ちたタイヤが穴から出る瞬間に合わせてブレーキを踏んでノーズダイブを起こさせ車のフロントが跳ね上がらないようにして走っていたので、それを速度を上げて実行するにはと考えた挙句、左足でブレーキを短く踏んでノーズを下げ低いギアでアクセルペダルから右足を離さないようにしてタイヤが穴に落ちるタイミングではノーズをリフトさせる走法を自分で編み出していました。
当時の山岳非舗装路は何処でも穴だらけなことも普通で、車を壊さずに走るには10~15km/h以下の速度で走る他なかったような道を30km以上でも走る事が出来るようになっていたのでした。
雨飾山付近の山岳非舗装路を走る事を今日Blogに書いて、昔自分がそうした非舗装路を走るトレーニングをしたことを思い出しました・・・・。
しかし、今はゆっくりと走って、そういう走法を積極的に使ってアベレージを高めることは殆どありません・・・家内が隣にいる事もありますが、それより私が歳を取ったという事ですね・・・笑。
それでも、人里離れた山岳林道等へ出かけて走ることは今でも好きで、年に何度か家内を説得して出かけています・・・・。
Posted at 2021/04/25 23:43:14 | |
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