筑波山へ始めて行ったのは1981年の事だろうと記憶しているが、和暦で言えば昭和56年と言う事か・・・・。
それは新春の初ツーリングに50ccの HONDA MB5を購入してから最初の正月だった・・・。(写っているのは32歳になった頃の私と黄色の耐熱塗料で排気系を塗ってしまったMB5。HONDAのジャンパーはMB5を購入した際に貰った物。そして更に言えば、この画像を撮った駐車場は現在閉鎖されていて木々や草が生い茂ってしまい、白い鉄柵も確認できない状況の様だ。)
↓ 現在の駐車場の様子(Google st.viewより)、入口は確認できるが長く使われていない為か、草木で眺望など全く望めない状況の様である。)
私が31歳の1980年に発売直後のMB5という原付バイクを購入したのだが、それより前にヤマハのチャッピーと言う原付バイク(↓の画像がチャッピー)を借りて通勤していて、その簡便さと風を切る爽快感に魅せられていたという前振りが有った・・・。
MB5自体は仕事場のタイヤ屋さんの近くの自転車店の店主に勧められて知ったような訳だったが、自動二輪の免許の無い自分が手に出来る最速のバイクであることが決め手になったのだと思う・・・。
何故今日のBlogがこの話題になったかと言えば、前回の投稿で散歩の途中に高台から筑波山を見た事で、筑波山にまつわる記憶が蘇ってきたことに依るのですが、原付のMB5で筑波山を走った時を計算してみると42年も前のことで、当然のように筑波山のスカイラインなどに2輪車通行禁止措置が施行される前の事です。
とは言っても、1980年~1983年辺りでも表筑波スカイラインやフルーツラインでの2輪車の単独事故による死者などは多く出ていて、私達が正月ツーリングに行った時も多くの2輪車が集まり、路面のブラックマークが真新しいガードレール迄連続している個所などもあって、ただならぬ雰囲気を醸し出していました・・・。
↓ 現在の
2輪車通行禁止の路線を示す地図です。青いラインの道は2輪車通行禁止。
そこで今日の主題ですが、筑波山周辺の主要道路の
「2輪車通行禁止」と言う道路規制について、私なりのアプローチをしてみているところで、それは主に今後の通行禁止措置の解除への働きかけと、通行禁止になるまでの経緯や、昭和何年にこの禁止令が出たのか等を調査して、どうすればこの道路がエンジン付きの2輪車でも通行可能になるか?、何が問題で通行禁止になったのか?を明らかにして行こうと考えていて、既に茨城県警に電話してその辺を詳しく調査することを開始しました。
乞うご期待ください・・・・。
Posted at 2023/12/08 17:03:44 | |
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