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2023年05月26日 イイね!

”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第24弾!!

”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第24弾!!
”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る、今回は久々?我がMMCから(^^;


ギャランGT、ギャランスポーツと三菱も基幹車種でド変態をやらかしてますが第二の重要基幹車種であるランサーでもやってるんですわ、その変態車こそこれですナ




⇒『初代A155A/A156A型ランサーフィオーレ(1982 昭和57年~1983 昭和58年)
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まっ、ランサーの名前ではありますが実際はミラージュだってのはご承知の事と思います、当時、既存小型車がスペースで有利だったFFモデル、これの老舗であるホンダシビック、日産チェリー(→パルサー)、スバルレオーネに追従しトヨタが初代ターセル/コルサでFFに名乗りを上げBIGネームの日産サニー、マツダファミリア等続々とFR→FFに転換、この時のFF化の波は世界的なモノで後年はミディアムクラスまでこれに倣いFF化され今やクルマ=FFが常識となる基礎をこの時のコンパクト~大衆車クラスの転換で築いた訳です。

三菱も1978年の初代ミラージュで初のFFモデルを設定、新設販売店「三菱カープラザ店」から発売しこのミラージュは順調にヒット、これに対し旧態化FRモデルだったランサー(2代目 EX)に危機感を持った従来の三菱販売店(カープラザ発足以「三菱ギャラン店」に名称変更)向けにミラージュのセダンモデル(ミラージュサルーン)を借りてきて同クラスのランサーの名を冠させ「ランサーフィオーレ」とし”ウチにも流行りのFFセダンあります!”的にリリースしたモデルです。

ミラージュも78年の発売以来、3ドアHB/5ドアHBでモデルを維持してきましたが82年のMCでノッチバックのセダンであるサルーンを追加(この時にミラージュⅡに名称変更)、これと同時にフィオーレも発売、中身は勿論まんまミラージュ、グリルの僅かなリ・デザインとエンブレムのみ違う完全双子車ですね、この時代は三菱に限らず双子三つ子は当たり前の時期、アンチョコに一粒で2度美味しいがまかり通った時代ですわなw

ベースとなったミラージュⅡサルーン
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初代ランサーフィオーレの概要…

ボディ
4ドアセダンのみ

駆動 FF

搭載エンジン
G11B型 1.2L 直4 SOHCキャブ 72ps/G12B型 SOHCキャブ 82ps

ミッション
4速MT+2段副変速機

足回り
Frマクファーソンストラットコイル/Rrセミトレーリングアーム式4輪独立懸架

車両寸法
ホイールベース2380mm 全長4105mm 全幅1610mm 全高1350mm

車重
830kg(1400SL)

まんまミラージュなので同車の売りだった実質10速となる”スーパーシフト”なる副変速機もそのまま、ただミラージュのアイコン?であるHBモデルは未設定であくまでセダンのみ、この時代はまだまだ一般ファミリーカーはセダンが常識でありHBは若年層向け、遊び車的に捉えられる時代でもあり中身はどうでも一応ランサーの為、ランサーが伝統的に維持するセダンボディのみでデビュー(クーペ版セレステは派生モデルのためあくまで本流ランサーを基準)

ミラージュのHBボディをトランク付きノッチバックとしたスタイリングは案外破綻もなく自然な成り立ち!?
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発売は82/2月でミラージュⅡサルーンと同時、しかし三菱自身もミラージュに力を入れるもフィオーレはほぼ訴求はなく当時、ミラージュⅡサルーンとフィオーレの比率は9:1といった感じで例え見かけていてもほぼミラージュと認識されフィオーレと気付くのは困難と言っても相違ない程見れないモデルでしたねぇ…

82/8月にはやはりミラージュと同時にG12Bエンジンにターボを装着したランサーフィオーレ1400GTターボをTOPグレードに追加、これが初代フィオーレの唯一のトピックらしいトピック。

1400GTターボ
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日産に日本初ターボで先を越された三菱は親会社三菱重工のターボチャージャーを三菱全車種に順次搭載、軽のミニカアミ~大型のふそうまで排気量に合わせた内製ターボを揃え”純血ターボ””フルラインターボ”を売りにターボ元祖の日産を上回るターボ攻勢を掛ける一環がこのフィオーレ/ミラージュターボ、現代目線で見ると何ともショボイSOHCのキャブレターながら1.4Lで105psの性能は当時としては破格のスペックでそれなりの注目は集めておりました!

三菱重工TC-04型ターボチャージャー装着のG12Bターボエンジン
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これによりランサーはEXターボ通称ランタボとフィオーレのターボで2つのターボモデルをラインナップ、ラリーで強く内外で名声を高めた”ランタボ”の弟分としてセールスを掛けるもあまりににミラージュなのでその戦法は失敗、ターボ追加もフィオーレの販売増強は知名度UPには貢献できなかったのが事実ですね。

フィオーレは母体のミラージュが発売以来5年を経過し83/10にFMCを実施、同時にフィオーレも2代目にチェンジ、初代フィオーレは僅か1年半のモデルライフで終了となります。

ミラージュとの兼ね合いで極短期間で消えた初代フィオーレ、あくまでサブ・ランサー的役割でミラージュのオマケ的扱いだったものが2代目からはランサーEXの陳腐化もあり本腰入れてフィオーレの拡販に取り組み初代フィオーレとランサーEXの立場が逆転、最終的にEXは87年まで引っ張るも廉価版と人気のターボのみに絞られ従来のランサーの系譜は2代目フィオーレに受け継がれギャラン店の本気の取り組みからミラージュ同等の知名度、販売を誇るまで成長しました、このためより初代フィオーレの影は無残なモノでランサーフィオーレと言えば実際2代目のイメージしかない という方が殆どだと思います…。

時代の流れに合わせ急遽FF車の埋め合わせに用意された初代ランサーフィオーレ、ミラージュやランサーEXの常に影に隠れた僅か1年半の人(車)生、変態車に相応しい境遇だと思いませんか……!?!?
(^_-)-☆

変態度指数:★★★☆☆
Posted at 2023/05/26 22:11:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 変態車 | クルマ
2023年05月20日 イイね!

”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第23弾!!

”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第23弾!!
思い返すとあるもんですナ=変態車(あくまでワタシの基準ですが…)

今回の”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る、第23弾はかつてのマツダ重要戦略車であった『ファミリア』から抜粋の変態モデルをご紹介(^^;

ファミリア、もしかしたらもう若い世代では知らないクルマかも?しれませんが現在のマツダ3の元祖でファミリア→アクセラ→マツダ3となったのはオッサン達には当たり前のお話(;^_^A

かつてはマツダを代表するファミリーカーとしてトヨタカローラ、日産サニーに対抗し名を馳せたファミリア、そのファミリアに何が変態?と思うかもしれませんね、あるんですよこれが…

※該当車種のモデルライフが長いので長文です、ご了承下さい。

1963年(昭和38年)に初代ファミリアが発売、まだマツダ(当時東洋工業)の浸透力の弱い東日本ではカローラ/サニーの敵ではなかったながら西日本では高い実績を上げています、そして1967年に2代目がデビュー、今回のお題はこの2代目の末期モデルを差しますね…。

67/11に新発売された2代目ファミリアSPB/STA型(画像はクーペ)
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2代目ファミリアは発売時、当時斬新なボディ一体式バンパー、角型ライト、三角窓廃止などスタイリングがオシャレで革新的で人気を呼びライバルに対抗し2/4ドアセダン、クーペ、バン、トラックのワイドバリェーション、エンジンは1L/1.3Lを搭載、その後コスモスポーツで市販実用化したロータリー(RE)エンジン、10A型を搭載するファミリアREセダン/クーペも追加、このREは高性能をリーズナブルに手にできるとあって大きな話題とスポーツマニアには大人気を博し軽いボディに100psの高性能はカペラ、サバンナ以前のサーキットで暴れまわりました!

ファミリアREクーペ(M10A型、画像はプレスト)
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商業的にも順調な2代目ファミリアは70年にMCが入り前後意匠、インパネの全面改良がなされ全体的によりライバルに対抗心を燃やし高級化、名称もサブネームが付され『ファミリア・プレスト』(バン、トラックはサブネーム付かず)となります。

1970~1973ファミリアプレスト


しかしマツダはこの時期悪夢のOILショック以前の時期、心血注いで市販化に成功したREエンジンの普及に邁進、これを契機に三菱と争う第三メーカーの立ち位置を確保するべく新型車種を矢継ぎ早にリリース、ルーチェREクーペ、カペラ、サバンナ、グランドファミリア(Gファミリア)が68~71年の僅か3年間で発売されます。

こういった状況でファミリアは次第にNEWカーの中に埋没、既に当時常識的なFMCの時期(4年)も経過、人気の高かったREモデルはカペラ、サバンナに移管、レシプロのみのマツダボトム(軽を除く)の廉価版への立場へ変わってゆきます…。

事実上従来のファミリア(プレスト)の需要はGファミリアに流れ発売10年を超え基本設計が古いファミリアは商品寿命も低下、陳腐化は避けられず販売数も減少の一途でしたがそんな中1973年、ファミリアは大幅なMCを実施し一応?テコ入れ、これが今回お題の最終型ファミリアプレストです!

ファミリアプレスト最終型セダン(73~76)
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大幅なMCと言っても時代が進むにつれこのクラスもボディが大きくなっておりこれに対応するため基本はそのままながら車幅を拡大した程度、他はインパネ改良と前後意匠の変更というお決まりのMC内容。

車幅拡大に呼応して新デザインされたインパネ
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ボディは従来通りの布陣、バン/トラックについては車幅拡大はされず従来型を継続しておりエンジンも変更なくPC型、TC型の設定という内容で見た目では多少どっしり感が出た?程度でほぼ不変の印象。

最終型(73~78年モデル)ファミリアプレストの概要…

ボディ
2/4ドアセダン、クーペ

駆動 FR

搭載エンジン
PC型 1L 直4 SOHC 62ps/TC型 SOHC 87ps

ミッション
4速MT

足回り
Frマクファーソンストラットコイル/Rrリーフスプリング

車両寸法
ホイールベース2260mm 全長3855mm 全幅1540mm 全高1358mm

車重
800kg( クーペ1300GF)

TC型1300エンジン
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クーペ1300GF
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クーペ1000DX
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このMC以降ファミリアはほぼ放置プレイ状態、今回のMCも多少幅を広げたのみ代わり映えせず古臭さは否めない、前後デザインも従来のファミリアのアイコンでもあった角型2灯を丸目2灯にしテールも貧相なデザイン、共産圏のような意匠は評判悪くMCで販売上昇どころか更に低下、75年に排ガス対策が施され車名に『AP』を付記、76年にはFrグリルをややサバンナ風に改める小変更が行われこのまま78年までずるずるとカタログモデルではありましたがこの最終型、西はまた違うかもしれませんが東日本では川で砂金探す程の珍しさ、ワタシも昔からクルマの商売していますが車幅拡大以前ならばDラー時代下取りで何台か転がすも拡大以降のモノは触った事ナシ、街で見かけたのも2~3回かな!?ってレベルでした…。

76年MC版セダン/クーペ
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73年~78年の5年もの間、現役ながら忘れ去られていたファミリアプレスト最終型、これは間違いなく変態車でしょうしあの時期、より新しくよりスタイルも良く価格も僅かしか高くなかったGファミリアを選ばずあえてプレスト最終を選んだオーナー、この方たちの変態度はかなりのモノかとwww

因みに最終型プレストは5年間で約8万台の販売、前期~中期(プレスト)が67~73年の6年間で約35万台の販売実績ですからいかに最終型のレアさがお解り頂けるかと思います(^_-)-☆

変態度指数:★★★★☆
Posted at 2023/05/20 15:14:03 | コメント(5) | トラックバック(0) | 変態車 | クルマ
2023年05月14日 イイね!

”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第22弾!!

”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第22弾!!


”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る、第22弾はかつてないほどの大スター2人に大々的に売り出してもらったにも関わらず1982年(昭和57年)のデビューから1990年(平成2年)、8年間2代に渡りながらも鳴かず飛ばずだったこのクルマを独断的偏見で”変態”に認定、ご紹介って事で(^^;

そのクルマとは『初代N12型及び2代目N13型リベルタビラ』


リベルタビラ、 この変態車コーナーしょっパナの こちら でも取り上げたバイオレットリベルタの惨敗を取り返すべく鼻息荒い日産が新型車として1982年にデビューさせたモノ、バイオレットリベルタのリベンジ? を込めて車名をにリベルタの名を継続させるもこの時代ならではの三つ子モデル、基本はパルサーでその派生ラングレーに次ぐ着せ替えモデルでした。

日産初のFFとしてでビューしたチェリーの後続として1978年デビューのパルサー、これが当時のHBブームに乗りかつエントリーカーとしても好評を博し成功、これの双子として日産プリンス店扱い(パルサーは勿論日産チェリー店→パルサー店)のラングレーが1980年に追加、 プリンス扱いという事でミニ・スカイラインのイメージでスカイラインファンには一定数の支持を得ておりパルサーよりスポーティかつ高級イメージは及第点の売り上げを日産にもたらします。

初代パルサー
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初代ラングレー
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そして1982年、母体のパルサーFMCのタイミングで不振のバイオレットリベルタを廃止してリベルタビラに切り替えて登場、ラングレーのそこそこの成功もあり二匹目のドジョウを狙い今度はブルーバード系の○○日産店扱いという部分で”ブルーバード・ミニ”にアレンジ、販売戦略では当時910ブルーバードでイメキャラを勤めた沢田研二氏(ジュリー) とF30レパードのイメキャラ、加山雄三氏を起用、二人揃って「僕たちの新しい仲間をよろしく」と当時、今をトキメク大スターのジュリーと”若大将”の愛称で安定の人気を誇る加山氏に送り出された訳です…。

大スター二人により送り出されたNEWカー? リベルタビラ!
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リベルタビラの概要…

(初代N12)
ボディ
4ドアセダン

駆動 FF

搭載エンジン
E15S 1.5L 直4 SOHCキャブレター/ E15E SOHC EGI/E15ET SOHC EGIターボ
CD17 De1.7L 直4気筒

ミッション
3速AT /4、5速MT

足回り
Frマクファーソンストラットコイル/Rrトレーリングアームコイル

車両寸法
ホイールベース2415mm 全長4120mm 全幅1620mm 全高1390mm

車重
820kg( 1500GF-E)

(2代目N13)
ボディ
4ドアセダン/3ドアHB

駆動
FF/4WD

搭載エンジン
E15S →GA15S 1.5L 直4 SOHC12バルブキャブレター
E15E →GA15E 同EGI
CA16DE 1.6L 直4 DOHC EGI
CD17 De1.7L 直4

ミッション

3、4速AT / 4、5速MT

足回り
ALLストラット

車両寸法
ホイールベース2430mm 全長4255mm 全幅1655mm 全高1380mm

車重
1040kg(セダン1600SSSツインカム)


初代となるN12型はメインのHBモデルは母体のパルサー/ラングレーに任せセダンのみの設定、旧バイオレットリベルタの後継車種と言う点でセダンメインとされており車格的にはパルサーはバイオレット系の1クラス下だった事もありリベルタビラにはパルサー/ラングレーに設定していた廉価版1.3Lは未設定、 上級1.5Lとしバイオレット後継という体裁を整えていました。 (実際バイオレットリベルタは1.6~1.8Lだったのでグレードダウン感は否めません…)

この時期の日産コンパクトクラスメインのE型エンジン
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母体のN12型パルサー
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ボディはパルサーのサルーン(セダン)のお化粧直し、パルサーのクーペバージョンだったEXAを彷彿させる鋭角で鋭くルーフを切り落としたようなデザイン、EXAならその性格上賛否両論ながらある程度評価されるも保守的ユーザーが選ぶセダンではあまり芳しい評価ではありませんでした。
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エクステリアは随所に似非ブルーバード的なあしらいはあるものの特徴的スタイルでブルーバード感皆無、 この辺りはラングレーのアレンジに較べ下手でありそれ以下の評価しか得られないのも当然、室内意匠はパルサーそのものでした。

パルサー/ラングレーと共通インパネ
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あまりに地味なリベルタビラ、ジュリーと若大将効果も虚しくデビュー早々でじり貧、1983年には兄弟と共にターボモデルを追加しグレードに『SSS』を名乗らせ派手めなボディカラー等で若い世代に訴求しますが人気上昇とはならず1986年、2代目N13にバトンタッチ、 4年間の販売台数は7万台少しという結果に終わっておりその販売台数はパルサーやラングレーに遠く及びませんでした。

1986年2代目N13型が登場、ジュリーも若大将も影もカタチもいなくなりましたw

2代目N13型
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N13ではテコ入れに3HBを設定、勿論パルサー/ラングレーのリ・デザインであり目新しさは皆無、N12/ 13リベルタビラの失敗は三つ子のでの明確な位置付けができていなかった点が大きいと思いますし値段的にも明らかに金額が離れるスカイランに対するラングレーやローレルに対するローレルスピリット等はそれなりに存在価値はありましたが頑張ればブルーバードに手が届いてしまう程の差しかないリベルタビラの場合、 いくらブルーバードに寄せようとも本家の方が良い訳で更にN13になって高級化やボディ拡大もありブルとの差はますます縮まりFMCやHB追加でもリベルタビラにはカンフル剤にはならなかった…

兄弟のラングレー
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N13ではメインエンジンを新開発12バルブのGA型、ツインカムのCA型搭載、4駆モデル設定等、売れないながらもバブル期の恩恵でモデル拡充も行われるも販売拡大には繋がらず1990年、母体のパルサーが4代目移行時に廃盤、2代、8年の歴史を閉じます。

CA16DE型ツインカムエンジン


2代目は販売店の力とテコ入れ甲斐もありN12よりは販売的には上回るもそれでもやはりパルサー/ラングレーには遠く及ばず折からの日産販売店統合(ブルーステージ、レッドステージ)により数モデルがリストラ、 パルサー兄弟ではラングレーも同時廃盤となりますがこれはパルサー店がプリンス店に統合された事によるモノ、リベルタビラ廃止により日産系販売店は710バイオレットから繋がるブルーバードアンダーを失う事となりますが件の販売店統一化によりサニーやパルサー、マーチがそれを穴埋めする格好となり無くなっても影響なかったリベルタビラ、 哀しい生涯でしたね~。

さてリベルタビラ、造れば売れた、モデルを増やせばユーザーも増える、そんな業界にとってはいい時代に産まれた迷車!? これまで紹介してきた数々の変態車よりはその度数は往時見かける割合、実際の販売数からしたら低いですがこのクルマが記憶に残っているヒトはそう多くない筈、同じように今は亡きパルサーやラングレーは憶えていてもリベルタビラ? はっ? って思いませんか?

そう言った部分でこれも立派な”変態”、バイオレット、リベルタ、このネーミングは間違っても二度と使わない方がイイ! と断言できますネ(^^)/

変態度指数:★★☆☆☆

Posted at 2023/05/14 20:26:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 変態車 | クルマ
2023年05月07日 イイね!

”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第21弾!!

”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第21弾!!”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る、第21弾は日本製のアメリカ車?の取り上げっす(*^^)v

日米貿易摩擦が深刻化した80年代、アメリカさんの御機嫌取りでこの時期、こうした国産車を外車風に仕立てて国内で売る、または海外製モデルを日本車として売るという施策が結構行われました、後者の代表例が以前このコーナーでも取り上げたトヨタのキャバリエ(GM)とか日産のサンタナ(VW)…。

一方前者に関しては79年に米・フォードと資本提携したマツダが顕著、フォードは環太平洋地域向け小型車をマツダに任せこの一環から国内ではマツダとフォードの小型車が存在、もちろんマツダ車とフォード車を造り別けるという予算も手間も掛けれないマツダはフォード向けに既存車種のファミリア、カペラ、ボンゴのバッジチェンジ、Fr/Rrを独自デザインとし各部意匠にアメリカンな雰囲気を醸し出す双子モデルを乱立した訳です!

これらモデルの中でファミリアベースのレーザーは種車が当時大人気のBDファミリア、またボンゴベースのスペクトロン(商用はJ80/J100 スペクトロンの後継フリーダも含む)も折からの1BOXブームもあり勿論ベース車よりは格段に少数ながらも往時はソコソコ見かける事もありマツダ好きでもヒトと違ったモノに乗りたい!という層には存在価値があったようです。

ただ、問題なのは今回のお題であるカペラをベースにしたこのモデル…

『フォードテルスター(歴代GC、GD/GV、GE、CG、GF/GW型 昭和57年(1982)~平成13年(2001)』!!

初代GC型テルスター(TS5)
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今回はこのテルスター全5代全て”変態”に認定、発売期間は長期ながらこれだけ知られていないクルマもそうはないでしょ(-_-;)

レーザー、スペクトロンがある程度普及したのに対しテルスターはベースのカペラが生涯を通し芳しくなかった事が大きく激戦区のミディアムカテゴリー、コロナ、ブルーバード、ギャラン、アコード等強力ライバル陣に対しカペラは苦戦、ベースが売れない中でその派生が売れる筈もなく乗ってるのはオートラマ(マツダのフォードブランド店)のおエライさんだけ?という有様…。

それでは代ごとのテルスターの概要をご紹介!
(初代GC型 1982~1987)
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”アランドロンカペラ”としてマツダマニアには親しまれた3代目GC型カペラがベース、エンジンラインナップやボディバリェーションもカペラを踏襲、全て4気筒の1.6L/1.8L/2.0Lで駆動はFF、ボディはコンサバの4ドアセダンと5ドアHBを用意しHBはTS5の名称が用いられた。

82年にカペラともどもCOTYを受賞、長いテルスターの生涯でこれが一番華開いたとも思われるが話題はアランドロンの効果?ほぼカペラに集中しあくまで影武者扱いといったした感じ…。

83年に時代の流行りを受けTX5に2Lターボ、セダンに2Lディーゼルがを追加しモデル拡充。

GC型TS5ターボ
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後のテルスターも共通だが前後デザインやステアリング意匠をアメリカ車的に変更、グリルとRrエンブレムに本家フォード車と同様の青い【Ford】エンブレムを纏いこれだけでも結構アメ車風の雰囲気、しかし米人と日本人のデザイン好みに差が大きくわざわざカペラの落ち着いたデザインを日本人ウケしないアメ車風雰囲気は評価を得る事なく終わってますナ。

(2代目GD/GV型 1987~1991 ワゴンのみ~1997)
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ベースの4代目カペラがバブル期の恩恵を受けフルタイム4WD、4WS、プレッシャーウェーブ(PWS=スーパーチャージャーDeモデル)等ハイテク満載装備のモデルでテルスターもこれをそのまま採用、ボディは6ライトになったセダンとTS5(5ドアHB)と変更なくカペラに用意されたC2(クーペ)は未設定、90年から折からのワゴンブームでカペラ史上一番人気あったんでは?と思われ88年から設定されていたカペラカーゴ・ワゴンをテルスターにも追加、名称はテルスターワゴンで広大なラゲッジルームはFFは7人、4WDは5人乗り設定。

ワゴン
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GD/GV型のインパネと室内はバブル期モデル特有の派手なイメージ!
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(3代目GE型 1991~1997)
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ベースのカペラがマツダ5チャンネル政策と共にカペラ→クロノスに名称変更、テルスターはそのままの名称ながら従来型より1クラス車格を上げvsコロナ/ブルーバードが主だったこれまでに対しvsマークⅡ/ローレルまで視野に入れるグレードUPが行わる。

ボディはクロノスベースのセダン、そしてTS5はクロノスベースであるアンフィニMS-6のバッジチェンジとなり搭載エンジンにはV6が加わりFFが1.8L 4気筒/2L V6、4WDが2L 4気筒の布陣で92年からはFFに2.5L V6、セダンに2.0LPWS Deが追加。

TS5
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ボディは3ナンバー化されグレードUPを如実に訴求、ワゴンに関しては先代をMCの上継続。

インテリアはマツダらしく上質!
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(4代目CG型 1994~1997)
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カペラ→クロノスが大失敗で販売不振に喘ぐマツダは急遽94年にワゴン/バン以外で廃盤となったカペラを復活、クロノスベースながら車格を1クラス下げ従来の立ち位置に戻す、これによりクロノス/テルスターは継続ながらコレの下に新カペラ、そしてそれをベースとしたテルスターⅡを設定、ボディはセダンのみで4気筒1.8/2Lガソリンのみ、駆動もFFオンリーで変化を嫌った旧カペラ層に訴求する策ながらカペラ、テルスターⅡ共にマツダ救済策には遠く及ばずじり貧。

(5代目GF/GW型 1997~2001)
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折からのセダン需要縮小もありこのモデルが最終型、名称は単なるテルスターに回帰、ボディはCG型を引き継ぎセダンとワゴンの2タイプ、5HBのTS5は廃止、また2代目をMCで継続していたワゴンもこのモデルでFMCして新型に切り替わる。

GW型テルスターワゴン
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シャーシや機構は先代テルスターⅡを継承しておりエンジンは4気筒1.8/2LガソリンのFFモデル。

2001年、ベースの7代目カペラのモデルライフ途中でマツダ5チャンネル政策の変更→オートラマ店廃止、売れ行き不振のた製廃、カペラは2002年まで販売後後継となるアテンザがデビューするもテルスターはそのまま廃盤で生涯を終えている。


以上テルスターの概要はこんな感じ、最初から最後まで人知れずって感じのテルスター、大体影武者でもベースになるモデルの知名度が高ければある程度は普及するもので例えればトヨタのカローラに対するスプリンター、日産のパルサーに対するラングレー、三菱ギャランに対するエテルナ等々…

これら車種程ベースもあまり芳しくなかったので必然的にテルスターは人知れない”変態”だったのは致し方ないとしても日米貿易摩擦の影響から造りたくもない、出したくもないこうしたマイナーモデルを長きに渡りラインナップしたマツダに思わず同情しちゃいます(^^;


変態度指数:★★★★☆

Posted at 2023/05/07 20:56:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | 変態車 | 日記
2023年04月27日 イイね!

”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第20弾!!

 ”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第20弾!!
”変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る、第20弾はとっておきの?変態マイクロバスと行きましょー(*^^)v


変態マイクロと聞けばすぐにコレを思い出す方は結構な変態、まぁ、バスマニアには超メジャーかもしれませんが乗用車のド変態はそこそこ注目されるもトラックやバスってなかなか、しかしコレは変態度はかなり高いんで変態マニアには知られた存在…


『TA13L型マツダパークウェイロータリー26』!!
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出ましたヨ、日本どころか世界を見回しても唯一無二の存在だったロータリー(RE)エンジン搭載の俊足バス、パークウェイRE、知る人ぞ知る!?いや、変態マニア、マツダヲタには有名かもしれませぬw

今でこそバス市場から撤退しているマツダながらかつては総合メーカーを目指しマイクロバス市場にも参入しておりその歴史は古い、昭和40年(1965年)に発売されたマツダライトバスが元祖、これのFMCとして1972年に登場したのがパークウェイ!

パークウェイの元祖、マツダライトバスAタイプ
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パークウェイは既発売の2tトラック基本であるタイタンをベースにし当初、エンジンはガソリンは2LVA型、ディーゼル(De)は2.5LXA型の搭載でデビュー、現在ではトラックやバスにガソリン?と訝る方も多いでしょうがまだこの時期、Deエンジンの性能は低く中型トラックですらガソリンエンジンをライナップしていたのでこの辺は当時目線で常識的な布陣、勿論バスとしてはトルクの太いDeに分があるモノの高速走行等を考慮するとガソリン需要も一定数ありました。

パークウェイには26人乗りと18人乗りが設定、デザインが若干異なり両車、ベースのタイタンや一部パーツにファミリアやサバンナから流用されており他社のマイクロ(トヨタコースター、三菱ローザ、日産エコー、いすゞジャーニー等)がオリジナル度が高い出で立ちの中、マツダの苦しさ?が伺えるような外観でした。

しかしマイクロでは後発のマツダ、その普及は芳しくなく地元の広島県を主に納入、他県では一般的に見れる代物ではなかったのも事実で特に当時マツダの浸透力が弱い東日本地区では皆無といっていい状況でしたね~。

60年代にご承知の通りマツダは血と汗の結晶であるREエンジンの開発→市販化に成功、70年代前後からこれをマツダの財産とし全モデルにRE搭載を目論見まずはその性能アピールを最大に示すコスモスポーツに搭載、その後ルーチェ、ファミリア、カペラ、サバンナと順次REカーをリリース、その計画は行く行くは軽自動車まで搭載を視野に入れ試作車も開発(キャロルRE)商用車も例外ではなく国内では未発売ながら1t積ボントラのプロシードに搭載、正に”夢のエンジン”を謡いREまっしぐら!でした…。

ところが1973年に起こったOILショックにより状況は一変、燃費が悪いREは忌み嫌われ始め不当に下取りが安くなる”マツダ地獄”もこの頃から起きマツダ車に関する世間の目は冷たいモノとなりました。

そんなREにも利点はあり1975年から始まる排ガス規制=マスキー法には既存レシプロエンジンに較べ非常に有利、燃費さえ目を瞑ればほぼパワーを失う事なくラクラク排ガス規制も適合できるという点をマツダは売りとし従来の”何でもかんでもRE”施策を辞め高級車やスポーツカー等燃費云々より性能に重点を置くユーザーに訴求し始めます、そこでパークウェイREの出番ですwww

1974年(昭和49年)、ガソリン/Deモデルのパークウェイに秘密兵器?マツダお家芸のREを移植して『パークウェイRE 26』を追加、10A→10B→12Aと歩んできたREの最高峰である13Bエンジンは当時のマツダREのTOPエンジン、654CC×2ローター、僅か1.3L程度の排気量からレシプロ2L DOHCと肩を並べる室力は当時のマツダ戦艦でありショーファーのロードペーサーやオーナーカーではTOPになるルーチェグランツーリスモに搭載していたモノ、75年以降にはコスモにも積まれる高性能RE!!
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高性能、俊足でスポーツカーマニアからは注目されていた13B型REエンジンをアンダーフロアに搭載、スペックはルーチェグランツーリスモ同様の135ps/18.3kgmというおよそバスのものとは思えないスーパーエンジンで重量級ボディを120㎞まで引っ張る俊足さとREの静粛性で鈍重・煩いが当たり前のマイクロバスの概念を変え勿論ルーチェ同様、いち早くREAPS(AP)システムにより昭和50年排ガス規制に適合、新時代のバスとしてマツダは自信を持って送り出した逸品!

1974年にデビューした最初で最後の?REバス、パークウェイRE26
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タイタンの梯子フレームに搭載される13B!
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”お弁当箱”と言われたマツダAPモデルの角型マフラーカッターもしっかり装備!
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ここでパークウェイREの概要を…

駆動 FR
搭載エンジン
RE-13B RAPES型 654X2ローター 135PS/18.3kgm

グレード
スーパーDX(13人乗り)/DXクーラー付き(22人乗り)/DX(26人乗り)

ミッション
4MTコラム

車両寸法
ホイールベース3285mm 全長6195mm 全幅1980mm 全高2275mm

車重3260㎏(スーパーDX)

ルーチェやコスモではミッションは5MTながらさすがにこの部分は4速としギア比は低回転向けに設定、しかしルーチェ等と同様に低回転域での運転性能や燃費向上させるトルクグライド=流体継手を採用、トルクコンバーターではないのでギアチェンジそのものはまんまMTながらミッションには物理的ロックが可能なAT同様の『P』モードがありルーチェやコスモでは注目された装備でした。

低回転向けとしながらもタコメーターは8000rpmがレッド、バスのメーターじゃない(-_-;)
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パークウェイREはバスとしての快適さも提唱、スーパーDXとDXクーラー付きには当時は少なかったサブエンジン(ボンゴ用レシプロ4気筒)駆動によるエアコンも備えREならではの静粛性と四季を問わない快適性を提唱します。

DXの室内
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しかしパークウェイRE、軽く小さなREエンジンとは相反するクーラー用エンジンやフル乗車時では最大級の重さで4t超え、その重量を僅か1300超ccのエンジンで動かすには相当廻す必要がありただでさえ大食いのREの燃費は更に悪化、地元広島県の自治体からもこれは実使用には耐えないとの評価も下されたようで1974~1976年にかけて生産台数44台で世界的にもレアなREバスは廃盤となっています。

あの時代、排ガス対策は急務でその有利性を見出していち早くバスにもクリーンさを提唱したマツダの考えは決して間違っていない、OILショックがなければ燃費と言う部分にかなり寛容な時代だと思われますし時代が違ったら!?と思います。

まぁ、しかしバスを一度でも転がした事あれば解りますがバスに高回転でピーキーなエンジンは必要ない、現代のようにトルクで余裕があるDeが一番理に適っているのは当然、レシプロガソリンでさえトラック、バス業界から消えかかっていた時代に敢えてREで殴り込み掛けたマツダ、まぁ、マツダらしいって言やその通りですがいすゞやふそうのように長く裏打ちされた経験がないがための冒険、今や幻といってもいいかもしれんですネ(;^_^A


変態度指数:★★★★★
Posted at 2023/04/27 16:06:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | 変態車 | クルマ

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