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2010年08月30日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…エメロード編

保存版“華麗なる一発屋!!!”…エメロード編 華麗なる一発屋!!!”シリーズ!またまた不名誉ながら我が三菱の『E52~54A/84A型エメロード』を紹介させて頂きます!

エメロードという車は7代目ギャラン/エテルナ(92/5発売、E52~57A/72A/77A)の4HTバージョン!!
92/5~96/8の約4年の存在、正確には96年にベースのギャランはモデルチェンジしてその後も継続されていますが後続EC/EA系ギャランに4HTモデルが存在しなかった点と4HTとしては上級のディアマンテに吸収されていた点をかんがみ、ギャランのバリェーションモデルではありますが『一発屋』として独断ですが認定させてもらいました~~。

前期モデルのRrビュー


インパネはほぼ7代目ギャラン/エテルナと共通


エメロードは三菱が当時人気のトヨタ・マークⅡやカリーナEDが欲しくて欲しくて仕方なかった!そんな気持ちが大きく感じ取れるモデル。

バブル初期から大人気を博し一時はベストセラーカー・カローラの販売台数すら抜き去ったX70系マークⅡやこれの次期型X80系マークⅡ、都会人のお洒落な日常にと訴えかけ4ドアでありながらクーペ並の低い車高、デザインが受けたカリーナEDの人気は当時絶大でベースのギャラン、旧型E30系はマッシブな佇まいとラリーでの活躍、桁外れの性能だったイメージリーダーVR-4で男性陣には熱い視線で捉えられたが女性にはその男臭さが不評、そこで三菱はこの反省から時期E5/7系ギャランとこのエメロードでは女性ユーザーも意識したマイルドなお洒落路線に振ったモノでした。

この時期は他メーカーでもマークⅡとEDに対する必死の喰い下がりからエメロード同様の”お洒落な4HT”は雨後のタケノコのように発売されていたので三菱だけをを責める気はしませんが頑固なファンの多い三菱車としてはそれらしさを失ってしまいこの時期から変な方向に迷走しだしたのを思うと残念で仕方ないですねー、柳の下ににドジョウは何匹もおらず結果的にはエメロードは花咲く事なく地味~ぃに忘れ去られていきました、デザインも武骨なデザインなら得意の三菱でしたがこの手の”お洒落”路線ではやはり苦手の様子でこの類のクルマで命である『流麗さ、スマートさ』という部分では今イチの仕上がりでこの種を好むユーザーには受け入れられてなかったですねー、ただ設計はバブル真っ盛りの時でしたからその仕上がりは非常に丁寧でキッチリとお金をかけており後続のEA/EC系よりも造り的には立派で足廻りも及第点、ドライブしてみて印象は決して悪いモノではなかったです、マークⅡに遜色ない”高級4HT”の宣伝文句に嘘はなかったです。

搭載エンジンは7代目ギャラン同様にV6が主体、廉価版に1800cc4気筒4G93OHC110psを搭載するもメインは最小排気量V6で話題になった1800ccV6OHC24バルブ6A11型135psとスケールup版2000cc6A12型V6DOHC24バルブ170psとなり決してライバルに見劣りするエンジンではなくその佇まいとは裏腹に力強さは充分、V6のジェントルさも顕著でその走りは好感触でした!
ただギャラン/エテルナに搭載された6A12のツインターボは載せられずエメロードはこんなところからもスポーツ重視ではなく雰囲気重視といった戦略でした!

しかしエメロード登場時には既に小型4HT市場は既に飽和状態でしたしベースのギャランと共に同カテゴリーに3ナンバーパーソナルカーとして成功していたディアマンテがあるにも関わらず無意味なボディ肥大化=3ナンバー化も何とも中途半端な存在感しかなかった印象、ギャランの方はセダンでしたのでそれでもある程度は受け入れられていながらもそれまでのギャラン(主にE30系)支持者からは”デブギャラン” ”バカボンのお巡りさん顔” と散々の言われようでした(-_-;)

ベースとなった7代目ギャラン(92/4~96/8)


エメロードはその後94年2月に6A12 MIVEC-MDの200psエンジンを得て雰囲気+走りを実現、94年10月のマイチェンでは外観の小変更に加え全車エアバック標準装備がなされまた、4気筒の1800と170psの6A12搭載車を廃止し車種整理がなされ1800(V6)とMIVECの基本単グレード(スーパーツーリング)となっています。

マイチェン後の後期エメロード(94/10~96/8)


エメロード、ベースのE5/7/8ギャランやディアマンテのセダン版SIGMA(F11~17A/F25/27A)と共に警視庁や神奈川県警で結構覆面捜査車両が活躍してましたが残念ながら一般ユーザーが乗る姿はマークⅡやED/エクシブ、ローレルHTやディアマンテの比ではなく10/1も見れなかった?感じです、税制変更時に上手く時流に乗ってマークⅡを慌てさせる人気を得たディアマンテ、男臭さが魅力で人気高かったE30系ギャランとは別の方向に行ってしまい出だしから迷走気味だったエメロード!!
マイチェン後もその販売成績は上向く事なく96/8の次期8代目ギャラン(EA/EC系)デビュー時には4HTブームも過ぎ去っていてあっさり絶版、この世を去りました、思えばマークⅡに憧れた三菱社員さんと警察しか乗ってなかってた?は言い過ぎかな(=_=;)

それほど印象に残らず悲運の 『一発屋』 でしたぁ。。。
Posted at 2017/11/14 17:04:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2010年08月01日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…コルディア/トレディア編

保存版“華麗なる一発屋!!!”…コルディア/トレディア編 一発屋と言えば年末なんかによくやる懐メロ番組や”あの人は今”みたいな特番でで「あー、こんなヤツいたなー」なんて懐かしく思い出す歌手やタレントなんかが皆さんにもおられると思います、ワタクシめの世代、歌手では尾崎紀世彦、三善英二とか…
他にクリスタル・キング、もんた&ブラザーズに久保田沙紀、KANとかetc…
結構「一発屋」、多いですよねー!ただ歌い手さんとは違いクルマの場合はヒットしないから一発屋になる訳でそれからすると名前上げた歌い手さんは大ヒットがありますから失礼ですね(;^_^A

まー、そんな訳で主に一代限りでこの世を去った悲運のモデルをUPしてゆきますが何せおぼろげな記憶(忘れた部分はwikiの力も借りますが…)なので不正確、誤認がある場合もあるかもしれませんがご容赦願いますm(_ _)m


栄えある第一弾は我が三菱の最大失敗作(?)と言われた『コルディア・トレディア』を引っ張り出させて頂きました!!

コルディア=クーペ、トレディア=セダンという全く同じクルマ、ちょうどセダンのギャラン/エテルナΣ、HTのギャラン/エテルナΛに次いでボディスタイルで名前を分ける手法が取られました、先輩車種がこれにて大成功を収めたのであやかりたかったのでしょうが…

コルディア・トレディアは両車とも非常に重要な役割を持たせて三菱が結構気合入れて82年2月にデビューさせたモノ、コルディアは6年に渡って三菱のエントリー・スペシャリティカーとして広く認知されていたランサー・セレステの後続モデル、トレディアはちょうど小型ファミリーカーがFR→FFに転換してゆく中で79年に発売された旧態FRのランサーEXに近い将来、取って替わりランサー/ミラージュとギャラン/エテルナ系の間、ミディアムクラスを担い量販車種として大きな期待が寄せられていました。
特にコルディアは『XG』と『XP』の2タイプを設定、XG=ギャラン店(ギャランのG)、XP=カープラザ店(カープラザのP)と分けて併売するという力の入れよう!但し外観上の顔の化粧違いというだけのものでXGがグリル付、XPがグリルレスというだけのものでした!
尚、トレディアはランサーEXが存在するギャラン店には設定なくカープラザ専売モデル。

ギャラン店向けコルディアXG (82/2~83/7)


カープラザ向けコルディアXP (82/2~83/7)


両車は当時FFはまだミラージュのみのラインナップだった為下級ながらこれベースで開発、この為エンジンはミラージュ同様横置きとされた1600cc G32B 1キャブ、1600ターボ付G32B 1キャブと1800ccのG62B 1キャブの3種類(トレディアには1400cc G12Bも設定)で特筆すべきは当時でも既に電子燃料噴射装置が当たり前になっており三菱も既に『ECI』としてΣ/ΛやランサーEXターボ等に採用していたがスポーツグレードであるターボ付でもキャブレーター仕様だったという点!
今振り返ればもっともNAから遠い存在のターボでありながらNAの基本みたいなキャブレーター仕様と言う何とも解せない設定でしたが横置きエンジン+ECI化の体制(スペース不足等も含む)が取れていなかったとの噂でしたねー…
尚この時期、三菱=ターボというイメージ化に必死の時期で親会社の三菱重工製ターボチャージャーを最大にアピール!日産やトヨタが米国製ターボを搭載していたのに対し“内製”を強調してました。
Σ/Λの2000/2300ディーゼルから始まり1800(ランサー)、550(ミニカ)、1400(ミラージュ)に次いで全ての車種にターボを搭載する、“フルラインターボ”をこのコルディア・トレディアで完成させていました。
またもう一点、スポ車=5速MTが常識なところにターボモデルにもミラージュの最大の売りだった副変速機=スーパーシフト(4速のみ)を採用、使いようによっては8段ギアとなるこのスーパーシフトはミラージュ登場時には大いに話題になりながらも“どのギアで走ればいいか分かんねー”的に評判を落とし2代目ミラージュ初期及びこのコルディア・トレディアのみで終了しています…。

このような意気込みで発売されたコルディア・トレディアでしたがコルディアこそターボモデルは1tに満たない軽量ボディと115psのターボエンジンの俊足さ(当時のライバルで標的とされていたTE71レビン/トレノ=同排気量、同馬力 これと乗り較べてみてもその差は驚くモノでさすが”ドッカン”TURBOパワーと驚いたモノでした!)その俊足から一定の注目は浴びたがセダンボディのトレディアは当初から”鳴かず飛ばず”といった感じでした。
コルディア・トレディアとも初期型は何となく野暮ったく派手さがないおとなしいイメージ、特にトレデイアは今振り返ればヨーロッパ調のシックな点も美点だと思えますが当時の日本人はスポ車なら派手、セダンならアメリカン的キンキラ豪華のイメージがないとウけない時代だったのでこうした点が低迷した理由であると分析した三菱、両車を早くも83年7~10月にマイナーチェンジします。

83年7月、マイチェンで中期型となったコルディア (83/7~84/10)


83年10月、マイチェンで中期型となったトレディア (83/10~84/10)


まずコルディアではXG、XPと分けていたものを統一、旧XGのグリルをより精悍にし迫力を強めました。
一方のトレディアはそれまでミラージュ/ランサーに近い、素っ気ない外観をモールの追加や意匠変更で上級Σに近づけた豪華なイメージに振り廉価版1400を廃止してます。
尚、両車ともターボモデルが1600キャブ→1800ECIとなり135psにハイパワー化、パートタイムながら三菱乗用(セダンタイプ)としては初の4WDモデルをトレディアにこのマイチェン時(83/10)に追加、コルディアには84/10=最終型マイチェン時に追加(この時、コルディアはFFと1600モデルを廃止し18004WDターボモデルのGTターボGSRターボの2車種に整理)等パワーアップと豪華/スポーツイメージを高めテコ入れ、販売UPを期待しますが劇的な改善を見る事はなく当時、あまりにも初期型の”野暮ったい”印象が拭えなかった記憶が鮮明です。
4WDはまだまだクロカンのイメージが強い時代でスポーツ4駆が浸透する以前のモデル(先駆けと言えますが…)だった為イメージUPには役立たなかったようですねー、コルディア4WDのグリルは所謂”ガンダム・ルック”化、これもゴツいイメージがやはりクロカン4駆のような印象でとても他スポーツモデルの流麗さは感じられずかえって悪い結果を招いていたように感じます…
またこの時代はAE86のレビン/トレノがデビューし大人気となり同じ三菱の同じ1800G62Bターボのランサーターボがインタークーラー付160psにパワーUPされたり伏兵であるいすゞジェミニのZZ、日産FJ20 4バルブDOHC(ターボ化)搭載のスカイラインRSシリーズやシルビア/ガゼール等、スポ車の話題には事欠かない時代でそんな中、出だしから地味なコルディアは浮上する事はできませんでした。

84年10月、1800ターボ4WDモデルに整理された最終型コルディアとそのインパネ(84/10~87)



トレディアも84/10に最終型にマイチェンされ前回のマイチェンよりもさらに派手、豪華に変貌、上級Σの豪華仕様で一定の人気があったエクシードや~エクストラ、また更にその上級のS11/12デボネア等の意匠にそっくりになり85年頃からは怒涛なる、半ばヤケクソ気味に特別仕様車が発売されます。

最終型トレディア(84/10~87)


しかしこうした改良、モデル追加もむなしく両車の人気、販売は上向く事なく元々一部にしか需要を見込んでいないコルディアは発売3年の85年頃からはほぼ放置プレイ状態、一方のトレディアはセダンという事から何とか一定の需要は取りたかったのか最終年の87年春頃までは『最後のあがき』とも取れるような特別仕様を追加と頑張りましたが結局販売不振は最初から最後までつきまとい遂に87年秋口頃にひっそりとその姿を消す事になり『コルディア・トレディア』は車そのものも、ネーミングも一代限りで終了となりました、振り返れば時代のトレンドに乗り切れず見当違いの方向に必死に悪あがきをしていた印象だけが今となっては残りますが80年代後半~90年代にかけて本気で三菱が重要戦略車として気合を入れて発売しながらこの体たらくは『華麗なる一発屋 !!!』に相応しいと思っているのはワタクシめだけでしょうか。。。?

ただあえてフォローするとすれば『コルディア・トレディア』は三菱の期待した実績は残せなかったがこれらの立ち位置的に後続であるE30系ギャラン(87/10)はその後大人気を博し三菱ファンには今も忘れられない名車となっているのを考えると ~失敗は成功の元~ を文字通り表しておりこれの失敗がなければE30の成功はなかった!と個人的には考えてコルディア・トレディアの供養としてやりたいですネ(^^;)
Posted at 2017/08/13 15:37:58 | コメント(2) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2010年07月30日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…コンパーノ編

保存版“華麗なる一発屋!!!”…コンパーノ編 “華麗なる一発屋!!!”、今回は今やトヨタの下請けメーカーと化したダイハツがかつて素敵な、魅力あるクルマを造っていた時代の名作である『F30/F40型コンパーノ』を紹介させて頂きます!

このクルマ、ダイハツ工業がまだトヨタグループに参加する以前の同社の代表作!
現役時代もそのイタリアンチックで気品があり丁寧に煮詰められた仕上がりは非常に評判が良く63~69yの7年に渡り生産、67年のトヨタとの業務提携により惜しまれながら生廃された気の毒な、そして不運な『一発屋』です!
これの立ち位置的後続は親会社のトヨタ・パブリカ(P30)や同スターレット(P40)のOEMであったコンソルテになりますが当然クルマ的には何の脈略もございませんです。。。

尚、ダイハツはコンパーノ生廃後暫くは普通車の自主開発はなくなりますが74年に当時旧型になった20型カローラをベースにしたシャルマンを皮切りにタフト(クロカン=エンジンはトヨタ)を経て77yのシャレードでオール自家製の完全復帰を遂げております!

さて、コンパーノですが戦後のオート三輪でマツダと激しく首位争いを演じつつ来る4輪/乗用車時代に名乗りを上げる為に開発したダイハツの肝入りのモノ、ライバルのマツダも同様に4輪メーカーとして確実に足固めをしている時期に企画開発、63/4にまずは市場の様子見の為にまだまだマイカーより商用車が重要視されていた時代の背景もあり商用バンから発売されています、この施策は後にライバルのマツダ・ファミリアも同じ方式を取られ後年~現在では商用バンは乗用のオマケ(一部を除く)的扱いであったのに乗用モデルのパイロット版的な重要な役割を負っていたという今では考えられない時代ですね~…

まずは“バン”で登場したコンパーノ ・バン(後期型F30V)


発売されたコンパーノバン、そのイタリアン調のそれまでの国産車にはないモダンなスタイルがライトバンながらすこぶる評判が良く「これなら行ける!」と感じたダイハツは63/6に5ナンバー登録の同社初の乗用車であるコンパーノワゴンを発売したのを皮切りに同年11月、セダン、65/4にスパイダー(オープン)、同10月にトラックと次々にボディバリェーションを拡大し市場の要求に応えてゆきました!

このように次々あらゆるボディを造れたのはコンパーノがフレーム式を採用していた点、当時でも車重やコスト、生産性の面でフレーム式はトラックや商用車、乗用ではクラウン以外は廃れつつあった前時代的な方式で一部今更何でフレーム?と疑問視する声もあったがダイハツはフレーム式の長所を生かしこのように当時ではまだ珍しいワイドバリェーションで注目を浴びたのでした!
フレーム式の為このクラスとしては約800kgと決して軽くはなくエンジンも800ccの為走りはイマイチだったとの事、しかしフレーム故の頑強さ、堅牢さを売りにしたノモさすが商売上手の関西メーカーだな!と納得です(^^)

63/11に追加された本流のセダン「ベルリーナ」(最初期型63/11~66/3)


エンジンは800ccFC型4気筒OHV41ps、駆動はFRで足廻りはフレーム車である為古典的なFrウィッシュボーンRrリーフリジット。
このFC型はOHVとは思えない鋭い吹け上がりだったとの事、レーシングチューンをすると1万回転をも超えたらしく後に双子のパブリカ(2K型 1L 58ps)とコンソルテ(FE型1L 58ps)を両方乗った時に感じた同じ排気量とPSでもダイハツ製エンジンの方がパンチがあったのを考えると意外に?ダイハツオリジナルエンジンは回るんだなと思います。。。

コンパーノ、追加されたセダン、当初は2ドアセダンのみの設定で『ベルリーナ』(F40型、以下セダンと表記)というサブネームが付けられました、スタイルはこれまたイタリアンそのもので特にセンターピラーが逆三角になりそこにサイドマーカーが埋め込まれるという遊び心があるデザインで非常に今見ても個人的にお洒落に感じます!またインパネがまたまたお洒落!この時代のこのクラスは単にメーターが鉄板の上にありスイッチがぽこぽこ出てる みたいな良く言えば機能的、悪く言えば味も素っ気もないものばかりだったのが上級車並に上部をソフトパッドで多い一面ウッド張り、しかも丸型(当時はバー式が主流)メーターとシャレた物!またライトスイッチなんかも常識のノブ式ではなく何て言うんだろ?家電調?でとてもこれにも高級感ありました。実はコレ、親戚が乗ってて当時うちのパブリカ700と較べたら同じような車格ながらとても豪華な感じで乗せてもらう度に羨ましかったのを憶えています。。。

65/4に追加のオープンは『コンパーノ・スパイダー』(F40K型)と名付けられフレーム式だからこそ簡単にセダンのルーフを思い切り切り取ったモノ、モノコックだとこうはいかずあちこちと補強したりと大変な処理と重量増が伴いますがコンパーノ・スパイダーの場合セダンとほぼ同重量で済んでいます!
尚、スパイダーにはエンジンを1000ccにスケールUP!! 型式をFE型としOHVは同様ながらソレックス×2で65psという頼もしい性能を得ています。

65/4~66/3の最初期型「スパイダー」


65/10にはトラックも追加、後年の本家であるトヨタも真っ青なワイドバリェーションを誇ります!(後期型)


木目&ソフトパッド(ドアロック=丸いU字型のモノまでもが!)で高級感溢れるインパネ(バン/トラ~スパイダーまでほぼ共通)


スパイダーで話題冷めやらぬ65/5、セダンのベルリーナに4ドアモデル(タイトル画像)が追加、4ドアにはスパイダーに搭載のFE型1000を1キャブ化しファミリーユースに出力を下げた(55ps)を設定すると同時に2ドアにスパイダー同様のツレックスツイ65psのスポーツグレード「1000GT」を設定します。

この後コンパーノシリーズ、66/3にテールレンズを大型化し赤目だっやモノにアンバーを追加、66/6にはセダン2ドアもGT以外を1キャブ1000cc化(廉価版は800)し主力を1Lとします。
67/4に2速ATの追加と2ドアGTに量産日本初のインジェクション(機械式燃料噴射)モデルを追加します。
以前道楽者の叔父(コンパーノ・ヲタ・・・汗)がスパイダーを所有していた時期がありその叔父によるとスパイダーのソレックスよりメンテがラクなGTのインジェクションは当時は時代が早過ぎて普及しなかったがソレックスよりは格段に扱いやすく現代でも通用するんでは?なんて言ってました!
尚インジェクションもソレックス同様の65psでした。

67/6、コンパーンノシリーズは初めて顔のマイチェンが行われます。
これまで車体の割に小さいライトだったモノを大型化しお目めぱっちりのよりベッピンさんに顔を変えグリルも普及グレードはより豪華に、スポーツグレードはよりスポーティに味付けされています。(尚この時ベルリーナGTのみベルリーナの名前が取れコンパーノGTとなっています)

67/6~顔の印象を大幅に買えラグジュアリー&スポーツ度を高めた後期型コンパーノ(㊤コンパーノ1000GT㊥㊤スパイダー㊥㊦ベルリーナ4ドアのFrビュー㊦ベルリーナ4ドアのRrビュー)





このようにますます魅力を高め充実するコンパーノシリーズですがこの時期、お家はトヨタとのお見合いも上手くいき目出度く業務提携(後には完全子会社化)!
ココで今後はトヨタの意向もありダイハツはトヨタの持たない軽自動車部門の強化、普通車部門の撤退を選択しなければならなくなってしまいました・・・

これまでのコンパーノユーザーには代替え策としてトヨタ車のOEMを用意という策を取る事になりコンパーノは68/4に最後のマイチェンを行いその1年後、69/4をもって好評だったコンパーノシリーズは生廃(一部を除く)とされます…

68/4~69/4、最終型では普及グレードもGT/スパイダーの顔付となる。


最終型のテール(スパイダー)


ダイハツユーザーの今後の代替え需要の為に用意されたのはトヨタのK30系パブリカ、この為パブリカと被る2ドア、バン、トラックにスパイダーは全て廃止、パブリカには設定のない4ドアモデルのみがコンパーノ、4ドアの最高グレードのスーパーDXを70年前半までは受注生産/販売していました。
全てはパブリカながらネーミングには“ベルリーナ”が引き継がれ前期型のみ「コンソルテ・ベルリーナ」となっています(後期から単に「コンソルテ」に改称)

尚、後続に据えられたパブリカはコンパーノを造っていたダイハツ工場に生産が移管、当然ラインではパブリカとコンソルテが同時に組み立てらておりこの時のダイハツの職人さんの気持ちを思うと切ないですネ~~(;_;)

↓コンパーノの後釜となったパブリカの双子「コンソルテ・ベルリーナ」


今ではトヨタの子会社、悪く言えば“下請けさん”になってしまったダイハツ、大きな傘の下に入るまではコンパーノのような魅力的なクルマを造れたセンスや技術を思うと非常に惜しい気持ちがします、好評でそれなりに台数も出たコンパーノ、お家の事情で止む無く引退しましたがもしダイハツが独力で生きこのクルマが発展していたらさぞイイ物が造られていたと思います、他の『一発屋』とは異なる気の毒な理由からココに紹介される羽目になったコンパーノ、個人的に大好きなクルマだったのでいつまでも心に留めておきたい“華麗なる、そして不運なる一発屋” であります!!!
Posted at 2017/11/17 20:14:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2010年07月17日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ヴェロッサ編

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ヴェロッサ編 “華麗なる一発屋!!!”…38弾は『GX/JZX110型トヨタヴェロッサ』を取り上げます!
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ヴェロッサ、メジャーなトヨタ車としては壮大な失敗作でしたねー、コレは人気の高かった前任のクレスタやチェイサー(X100系)を潰してまでデビューさせた割には“駄作”でした~(あくまで個人的見解です)

デビューは01/7、77のデビュー以来初めて親玉?のマークⅡの人気を上まわったとされるチェイサーと80yにパーソナルセダンとして登場以来少数派のシブイ存在で注目を集めてきたクレスタを統合したモノ、ベース/兄弟車はフルチェン期を迎えた後発の110系マークⅡになりますがヴェロッサはこれに3カ月先駆けて発売、110系マークⅡは同年10月にフルチェンしそれまでの4HTボディを安全面からセダンボディに変更、保守層に対応した落ち着き、気品高いセダンイメージを大事にしたのに対しヴェロッサは“エキゾティックな存在感”をデザイン開発のキーワードにしイタリアの石畳をイメージにした「エモーショナルセダン」、その出で立ちは狙い通りエキゾチックで日本車離れしたモノでした!

2001/7、独特なボディデザインで登場!


↓Rrビュー うねるようなプレスラインが個性を主張!


ヴェロッサもボディはセダンボディを採用、旧チェイサーが4HT、旧クレスタがセダンというこれまでの慣例?(84yのX70系より継続)を時代の要請から破る事となりこれもチェイサーとクレスタの統合の一因でもあったようです。

↓ベースは最後のマークⅡであるX110系マークⅡ


↓ヴェロッサ前任はX100系のパーソナルカー、クレスタと走り屋さんには絶大な人気だったチェイサー


上記のようにヴェロッサは統合モデルという事もあり外観にはより趣味的要素を表現、パーソナル性でクレスタから、また各部スポーティな味付け/性格はチェイサーからイメージ継承を行いユーザーが多いマークⅡを平凡で保守的にした分、思いきった性格付けがなされておりました。

搭載エンジンは下記の通りで一部を除きマークⅡと共通、今となっては貴重な縦6最後の世代になっていますね!

(ヴェロッサ搭載エンジン)
1G-FE型  直6 ハイメカDOHC VVT-i 2L 160ps
1JZ-FSE型 直6 ハイメカDOHC VVT-i 2.5L 200ps 直噴 (写真)
1JZ-GTE型 直6スポーツDOHCターボVVT-i 280ps


上記を見て頂くと解るようにマークⅡの2.5LスポーツツインカムNAの1J-ZGEのみがヴェロッサに搭載されませんでした。
また、マークⅡ同一エンジンでも排気系は専用チューンが施されマークⅡとは違うサウンドを奏でたのもこのクルマのパーソナル性を伺わせます!
脚廻りはALLダブルウィッシュボーン、駆動方式は古典的なエンジン縦置き+FRにこれをベースとしたと4WDを設定、ミッションは2Lに4速AT、2.5L直噴に5速AT、2.5Lターボに4速ATと5速MTをそれぞれ積み分けATは流行り&操作ミスを防ぐゲート式シフトレバーを採用していました。
この種のクルマですから装備は至れりつくせりで細かい贅沢装備を除いては2Lベースグレードであっても当然フル装備になっています。

インパネ&インテリアもマークⅡの保守的で当たり前なモノと較べるといかにも個性的かつスポーティ度満点デザインでした。

↓個性&スポーティなインパネ


マークⅡの『豪華』をテーマにした雰囲気に対し『ムーディ』を演出
したヴェロッサのインテリア


このヴェロッサもほんの短期間でしたがある実験で乗りました(FRのVR25)、見かけの大きさの割に古典的FRセダンの為室内やトランクが狭いのはこのクルマ(マークⅡ3兄弟)の伝統で後席は当時でもFFクラスのラージセダンが多かったのでもはや時代遅れ的狭さ、但し走りの部分では慣れ親しんだドライバビリティ、一部では“なんちゃって280ps”と揶揄されていた1JZ-GTですがなかなかどうしてTRCを切ったウェットではまともに前向かない大パワーながらた90~100系の同エンジンとは味付けが変わり低速での粘りが強くなり扱いくなっておりました。
脚はセダンとしてはゴツゴツ感が強いながらよくできた印象、しかし限界は意外にと言うか4駆スポーツに乗り慣れると低い印象でワンディングでは安心してアクセルは全開にはできずTRCを入れても割と低い段階で尻は態勢を崩します、まっ、走り好き峠好きにはタマラン乗り味でしょう。。。

このようなヴェロッサですが発売後は見事にスベリました、やはり独特過ぎる出で立ちと個性はこの種のモデルの購買層には受け入れらず旧クレスタ/チェイサー代替需要もマークⅡに流れる事になってしまいました。
トヨタはここでよりこのクルマの性格をアピールする為02/1にモデリスタ製カスタマイズ車、エアロパーツを装着しエンジンをヤマハチューン(VR25)、サスペンションも特別チューニングを施したスペチアーレを加えています。
03/1にはグリルや内装をこれまでのスポーツ一辺倒だった味付けをやや豪華路線に振った特別仕様車「エクシード」を追加、エクシードは旧クレスタのやはり特別仕様モデルのグレードでグリルをハニカムタイプから縦線の豪華仕様とし内装色を明るい配色でまとめあげ保守層にアピールしたモノでした。

03/1追加の「エクシード」は専用エクステリア&内装を持つ。


上記のように何度かのテコ入れは行うも遂に最後までこのヴェロッサ、狙い通りの“エキゾチック”さが強過ぎて嫌われ04/4にマークⅡのフルチェン(→マークX、04/10)を待たずに製廃されてしまいます。

後続はナシ、と言いますかマークXに統合という形ですがクレスタ/チェイサーを扱っていたビスタ店/オート店がネッツ店に同時期(04/4)に統合されていますがココ扱いのクレスタ/チェイサー~ベロッサ直系モデルの存在はありません…

ヴェロッサの短命は同車発売時、トヨタラージクラスFRセダンはマークⅡを始めプログレ、ブレビス(これも一発屋!)にこのヴェロッサと同じカテゴリーに同じようなモデルが数多く存在、一番個性が強く少数派のヴェロッサが割を喰った形になってしまいましたが当然の結果かと。。。
日産が散々失敗した尻下がりのデザインと日本人受けしないコンセプト、出た当初からこれは売れないと思いましたがそれはズバリ適中でした!
いくら余裕のあるトヨタでもコレを出した理由、今も不明で保守層にはマークⅡがありパーソナルセダンとしては既に一定の評価を得ていたプログレが存在、若々しさを求めながらも保守的を大事にする向きにはほぼ同時に出したブレビスがあったのでこれの存在理由、後付けかもしれませんがなかったと思いますねー。
そもそもこのカテゴリーは高額車ですし購買層は中高年、やはりこの年代ではあまりの冒険過ぎるスタイルは抵抗強いと思いますしもう少しマーケット動向を研究してもらいたかったと思いますが如何でしょうか・・・?
ただトヨタがこのようなクルマの提案を行ったのは“失敗作、駄作”と言われながらもある意味リーダーとしての余裕を示すいい例だったのかとも(汗)

これは文句ない『一発屋!!!』ですが何だろう?華麗では絶対ないし『エキゾチックな冒険一発屋!!!』とでもしておきましょう~(;^_^A
Posted at 2017/11/17 20:01:25 | コメント(1) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2010年06月18日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…シャンテ編

保存版“華麗なる一発屋!!!”…シャンテ編 今回はマツダ(当時東洋工業→以後マツダ)最後の軽乗用車(オリジナルという意味)であった『KMAA型シャンテ360』を取り上げたいと思います!

シャンテは72/7~76/4まで生産された軽乗用車で後にも先にもコレに関わるモデルは存在しないこれぞ完璧なる『一発屋』です!



当時はまだ珍しい2トーンカラーをまとった最高グレードのGFⅡ


このシャンテ、62~70yに生産され前半は人気も高く一定の支持があった軽乗用の初代キャロルがその後続々と登場したライバルに撃沈された為最後は生廃、マツダが商用を残しながらも60年にR360で軽自動車に参入以来足固めをした軽市場撤退を余儀なくされた後2年の充電期間を終えて復活した軽乗用車!

キャロル廃止の70年前後というのはマツダがRE開発、搭載に夢中の時期であり余裕のなさから軽自動車としては商用の軽トラ、ポーター/ポーターキャブは残すも軽乗用市場からは撤退、RE戦略が一段落した72年にリベンジを賭け後発ライバルを研究して発売されたモノでした。

実はシャンテ、72年当時軽乗用にも普通車の流行りが伝染したハイパワーブームの真っ盛りでココで一気にTOPに躍り出る為、前作キャロルで開発された発売直前で中止となったキャロルREの1ローターの3A型REエンジンを搭載する計画でした。
しかし排気量解釈やREの大パワー+軽という信頼性の不安、他社や政治的圧力等から計画は一時頓挫、しかしゆくゆくは搭載をと目論んでいたところ例のOILショックにより結局は陽の目を見ず最初から最後まで平凡なレシプロエンジンを搭載したマツダとしては無念のモデルだった訳です。

試走まで行われ発売目前で中止となった1RE・3A型搭載の幻のキャロルRE


上記のような理由でRE搭載が適わなかったシャンテに積まれたのは商用軽トラ、ポーターに搭載されていたCC型(空冷2st)を水冷化したAA型360cc 2st 35psというモノ、推定50ps前後は出ていたと言われる1REには及ばないもののAA型レシプロでも水準のパワーは持ってお走行性能には何も問題なかったどころかREを視野に入れた設計の為いつものマツダ車とは違いシャーシ面の不安もレシプロであれば無問題だったらしいです。
このエンジンを前作軽のキャロルがRrにエンジンを搭載するRR車だったのに対しシャンテはオーソドックスにFrに搭載しRrドライブ方式を採用、しかし軽最長の2m超というロングホイールベースで室内はFRながら窮屈感はないもの。ワタクシも昔一度だけほんの少し移動程度に乗りましたが足元や横方向のタイト感はサブロクらしいモノでしたが確かに縦方向は当時の大衆車と大差なく驚いた記憶アリです!

Rrビュー(GLⅡ)


インパネ


室内、インパネ等は質素で飾り気のない造りでコレ言って特筆点はなく目立度も全くないといった感じ、一番目立ったのは当時はまだ珍しい2トンカラーのボディ色を最高グレードに設定していた事位?という地味なクルマでした。。。

尚、余談ですがシャンテと言えばREチューニングの聖地、千葉のREチューニングショップ『RE雨宮自動車』が製作したチューニングカー、“雨宮シャンテ”が有名!!

ワタクシがバリバリの若造の頃に伝説的存在だったこのクルマ=雨宮シャンテ!
サブロク軽の小さなボディながらRE最大の利点=小型である点からSA22CサバンナRX-7のRE12A型を移植、更にエンジン系統をウェーバーキャブ、KKKターボ、インタークーラー、ウェイストゲート等で武装、駆動系、5速化にノンスリ、60パイ大口径マフラーで強化し外装も叩き出しオーバーフェンダーや特注スポイラーで固めた怪物マシンで190psの車重690kg(最初期)746kg(後期)というスペック!これにより実力はポルシェを超えると言われ0-400mは13.5秒、最高速240.5km/hという化け物、一度乗ってみたかったですネ~~。

伝説のチビモンスター、雨宮シャンテ


↓“化け物”のインパネ


2年ぶりのリベンジを賭け再度軽市場に乗りこんだシャンテ、しかしライバル各車のように多彩なエンジンバリエーションも持たずグレードも4種、ボディもライバルが流行のHTやクーペ、ファミリーユースには欠かせない4ドアの設定もなされず発売時から全く目立たず1RE頓挫がなければ恐らくは軽自動車の傑作になったであろう筈ですが残念な4年間の生存となり76/4、2st故の排ガス対策クリアが不可な点、軽の新規格化などの事情と当時OILパニックによる壊滅的なも社内事情から需要、人気とも低い軽乗用の排ガス適合エンジンへの換装や新規格での再開発という余裕がなかったのを理由に再度このカテゴリー撤退を選択、この後マツダは一切の軽乗用(先記の軽商用、ボントラのポーターはシャンテと共に生廃されるがポーターキャブは唯一の同社製軽として三菱ミニキャブの2G23型エンジンで89yまで生産されていいた)の開発販売を89yの19年ぶりに登場した2代目キャロル(エンジン、シャーシはスズキ)まで長くこのカテゴリーから退きました。

時代が時代ならばきっと傑作車になっていたんでしょう、“1REさえあれば”という言葉を『儚い、華麗なる一発屋』だったシャンテにお悔やみとして贈ります。。。
Posted at 2017/11/18 16:32:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ

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