
“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る、第4弾はこいつも変態車愛好家?には非常にメジャーでオースター/スタンザに負けない変態オーラを放っており必ずと言っていいほど話題に上がるこのクルマを取り上げます⇒『A10/20/30/40型初代ダイハツシャルマン』!!
シャルマン、若き日の小川知子さんが『ウィ?シャルマン!』とCMでやっていたのをアラフォー世代以上では記憶に残っておられるのではないでしょうか…
シャルマンは67年のトヨタ-ダイハツ業務提携(実質的にダイハツのトヨタグループ入り=後年完全子会社化)によりそれまで自主生産していた『コンパーノ、同ベルリーナ』以来久々のダイハツ自主開発車としてデビュー時は結構注目を集めたモデルでした。
業務提携後コンパーノをトヨタP30型パブリカの双子モデルである『コンソルテベルリーナ』としてFMC、それまでのコンパーノユーザー向けにトヨタ製双子モデル(実際にはコンソルテ、パブリカ共にダイハツ工場にて生産=委託生産)もダイハツの看板で細々ラインナップされてはいましたが親会社の~ダイハツは自社が持っていない部門=軽自動車に専念せよ~ 的施策から戦後長く小型も生産していたダイハツから半ばこれを奪った格好となってしまい前作、コンパーノが秀逸な小型車だった事もあり業提携⇒合併を嘆くダイハツユーザーも少なくなかったようです。
コンパーノを知る旧ダイハツファンにはトヨタお仕着せのコンソルテでは満足できず“ダイハツオリジナルモデルの復活”は首を長くして待ち望んだもの、そんなファンの期待を一身に背負って74/11に発売されたのがコンパーノ以来約10年ぶりの自社開発モデルとなりコンソルテの上級=ダイハツフラッグシップモデルの『シャルマン』でした。
それまで頑なに自社開発を認めなかった親会社のトヨタ、シャルマンの開発許可はフラッグシップ設定のダイハツ側の強い要望を聞き入れたモノですが実際、自社開発と言っても当時型遅れとなったE20型カローラのライン、パーツをダイハツに移管、これをベースにダイハツが手を加えており実際シャーシやエンジンは20カローラを流用、Frドアは20そのまま、Rrドアは20スプリンターセダンのものにオリジナルのラインを加工して採用、他外板はオリジナルでありインパネや内装も20の雰囲気は残りながらもここもオリジナリティ度を高めていました。
しかし当時、シャルマンデビューはコンパーノのファンでもあったのでワタクシも嬉しいながら子供ながらにトヨタでは大衆車と言われたカローラがダイハツに来ると“高級車”“フラッグシップ”と宣伝文句にあるのを見て非吸収側メーカーの情けなさを感じてしまいましたねー、“フラッグシップ”なんてのはトヨタならばセンチュリー、日産ならプレジ、三菱デボネアにマツダロードペーサー、いすゞステーツマンデビルなどフルサイズカーの称号だとばかり思っていたGure少年、カローラを少しお化粧しただけのシャルマンにこの称号が謳われた時にはホント、驚きました、まぁ、確かにダイハツ最上級には間違いないのですがたかが1200や1400のクルマでフラッグシップって(*_*;
まっ、そんなある意味驚きを伴ってデビューしたシャルマン、外観はこのクラスでは珍しい“フラッグシップ”らしく?丸目4灯ライトを採用、当時は2灯はファミリーカーや大衆車、4灯は上級車というイメージが確立されていた時代ですのでシャルマンは“上級”を意識させるためカローラでは20どころか当時最新の30型ですら設定がない4灯の豪華な顔付が特徴、全体的には20カローラのそれに限りなく近く20のセミファストバックスタイルも継承、しかしながら独自のボディライン(Rrドア後半~ボディ後半に至る主張の強いライン)をあしらって雰囲気を異にしテールも20より大型化して豪華なイメージの意匠としていました!
尚、20カローラ/スプリンターには2/4ドアセダン(2ドアはカローラのみ)、クーペ、バンの設定がありましたがシャルマンデビュー時は4ドアセダンのみのラインナップでした。
↓丸目4灯の豪華グリルが与えられたダイハツのフラッグシップ『シャルマン』(74y前期1400ハイカスタム)
↓Rrコンビランプも大型の豪華なイメージ『74y前期1200DX』
↓シャルマンのベースとなったE20型トヨタカローラ(70~74y)
このような背景でデビューしたシャルマンは久々ダイハツオリジナルが感じられるクルマとして主にダイハツ支持者には暖かく迎えられまた、豪華イメージながら20カローラをベースにした事から30となり大幅値上げとなったカローラをターゲットにしていた層には30よりはかなり安く伏兵ともなりでデビューから1年(74/11~75年末)では販売が4万台超えいう好成績を記録、横綱のカロスプやサニーには遠く及ばないないながら3位の三菱ランサー(A70系初代)がデビュー3年の商品力低下の時期ながらこれにほぼ並ぶ数字を叩き出しています。
多分、ダイハツというメーカーは当時結構厳しくメーカーもディーラーも親ながらトヨタ車での通勤や営業が認められない事も多くファローMAXやコンソルテを嫌々乗っていた社員が多く購入したのでは?と推測されますがしかし実際当時、初期型シャルマンが街行く姿はそう珍しいモノではなく結構見かけた記憶もあるので残っている販売の数字に疑問はないですね!
余談ですが上記でランサー=ラリーに強かった が出てきましたので記載しておきますがシャルマンもメーカーが意図しない?草ラリーストには結構愛されたクルマでラリーキットも存在、一部は27レビン等のパーツも流用可能で時々車高が上がったガチガチなシャルマンのロールバーを組んだ個体も見かけたりしました、当時の雑誌などを見るとタイム、戦績も悪くなく軽いボディと3Kエンジンの組み合わせがラリーストの歓迎されていたようです!
それではモデル概要に移ります!
[諸元]
(発売)
1974年(昭和49年)11月
(ボディ)
4ドアセダンのみ
(バリエーション)
1200・1400DX/1200・1400カスタム/1200・1400ハイカスタム
(型式)
ダイハツA10型(1200)及びA20型(1400)
(サイズ)
全長3995mm全幅520mm全高1370
(ホイールベース)
2335mm
(車重)
790~885kg
(搭載エンジン)
トヨタ3K型(ダイハツ式エンジン呼称A10K型)1200cc 直4 OHV シングルキャブ グロス71ps/9.7kgm
トヨタT型(ダイハツ式エンジン呼称A20K型)1400cc 直4 OHV シングルキャブ グロス86ps/12.0kgm
いずれも縦置き搭載
(ミッション)
4速MT
(脚廻り)
Frストラット/Rrリーフリジット
(駆動方式)
FR
以上を見てお気づき、と言うか当たり前ながらサイズ、スペック、機構はほぼ20カローラを踏襲、ベースがこれですから当然ですがエンジンも一時ダイハツ呼称を表示していましたが紛れもない20、そしてこの時代のトヨタの小型車には数多く載せられていたお馴染3KとTとなります。
(エンジン、ミッション)
前述の通り何ら20時代から変りない信頼の3KとT型エンジンを搭載、この2つは日産の名機と呼ばれるA型エンジン同様のOHVという当時としても古めかしい機構ながらA型のトドメを知らない吹け上がり!って程ではないにしろOHVとは思えないストレスのないスムーズな回転上昇が味わえるエンジンでした。
トヨタDラー時代、トヨタ車でもシャルマンでもさんざん乗った経験ありますがどれに載っていようがこのTと3Kはフィーリングは同じ、セリカやカリーナクラスになるとT型(3Kは設定なし)は廉価版でコレの上である1600の2Tににはかなりの見劣りでしたが3KとTにそれほどのパワー差は感じた事なく前述の通り“トルクフルで静粛なTにパワフル元気感モリモリの3K”と例えておきますね!
T型は重い分排気量は大きいながら俊敏性は3Kには欠け元気さでは1200ながら3Kが上、但しT型の方が音質は優しく特に回した時は3KはやかましくTはそれに較べ静粛性、高かったです。
↓お馴染のトヨタT型㊤と3K型エンジン㊦
このエンジンに組み合わされるのはデビュー時は4速MTのみ、スポーツモデルの設定が性格上ありませんでしたのでこの時代すでにポピュラーになりつつあった5MTはお預け、ただ、これもE20カローラのミッションをそのまま受け継いでいますが個人的にこの20=シャルマンで一番気に入っていたのがシフトフィール!
この時代ですからFRのダイレクトミッションは当然、リンクを介さずにダイレクトに“カチッ”と決まるのが身上のこのミッションはドライブが楽しくなるものでややローとサードが位置的に遠い感じはKE10時代から引きずっておりますが同年代の日産やマツダがどちらかというとシャキっとしないフィーリングでしたのでトヨタと三菱もですがこの気持ち良さだけで選ぶ価値アリ!と思います、まぁ、現代ではバックと駐車以外シフトレバー(セレクター)を触る事なんてないヒトが多いようなので今となっては太古の感覚ですが(汗)
ただこれはミッションと言うよりエンジンやミッションマウントの問題か?6~7万㎞走ると劣化からなる振動→ギア抜けする個体もありミッションそのものは頑強でもこの辺の耐久力は弱かった気がします、勿論新車時でこうしたトラブルの話は耳にしませんでしたが。
(ボディ)
ボディに関してはラリーに使う位だからさぞ頑強では?と思われるでしょう、ワタシも初めて乗った時はそれを期待しましたが実際は極普通、と言うか74年レベル。
私が乗った頃なんてもう初代シャルマンは解体送りにされる8~9年落ちでしたからね、それなりにヤレていて耐久力は既に低下したモノばかりでしたが当時の水準として良くも悪くもない、ただ、これを競技フィールドに持ち込むならそれなりの補強や対策は必要だっただろうなーと。
まっ、コンセプトが“フラッグシップ”ですからね、しかも純粋なファミーり-セダンがベースですからその目線ならば充分及第点に届いていたでしょう…。
(スタイリング、エクステリア)
前述の通り端正で高級感溢れる顔付にセミファストバックのスタイルは非常にマッチ、ベースの20スプやカローラ以上の仕上がりと個人的には感じます。
絶対的台数が少ないのもありカロスプの面影は感じさせますが嫌味にならない程度にデコレートされたシャルマンは狙ったイメージ通りお洒落感は充分ありました!
↓この「1400カスタム」は20スプリンターHIDXのホイールキャップを流用(74y前期)
ベース的に一世代前のデザインながらダイハツの手直しが効き当時でも古臭さは感じずかえって日産他がこの頃はS10シルビア、210サニー、710バイオレットが“三次局面”を謳う未来的デザインが新し過ぎと後方視界不良でバッシングされる中、オーソドックスで視界も良好なこのスタイルは評論家などにも好評でした。
(インテリア、居住性)
この部分については旧型カローラベースという中で一番欠点が現れていました。
FRの小型クラスですからそう広い室内は期待できませんがやはり時代的に一世代前の居住性、セダンですのでヘッドクリアランスには問題有りませんが前席、後席とも決して充分ではなく後ろに人を乗せる場合は前席も結構前方にスライドさせなければならず前後ともに窮屈感を持たざる得ない感じでしたね。
新型になった30カローラやランサー、グランドファミリアやファミリアプレストな激戦区の中で決して優位な車室空間は誇れずこの点ではやはり凝ったデザインのおかげで窮屈なイメージのあった210サニーとどっこいだった印象があります、サニーよりグラスエリアが広い為、解放感はシャルマンの方がありましたが…。
シートや内張りのデザインも20カローラを彷彿させますが“フラッグシップ”を謳うだけあり最廉価のDXモデルにおいても20の黒一辺倒ではなくブラウン/クリームの明るい内装色が用いられ高級感を訴求、カローラ時代は全面ビニールレザーだったハイバック(Fr)シート、Rrシートともに部分ファブリック(通気性発泡)やモケット織物(部分)シートが用いられこの辺は時代に合わせていました!
↓20カロスプには設定の無かった明るい色彩のシート&内装(74y前期1200DX)
インパネにおいては20カローラからは格段に進化、エアコン(op)装備も可能な吹き出し口&エアミックス式ヒーターも採用、大径角型3連メーターが新鮮な印象を与えていました。
↓最上級「ハイカスタム」のインパネ
↓中級「カスタム」のインパネ
インパネのデザインそのものはクラス的に平凡そのもの、フラッグシップと言えど過度な装飾はなされず奇をてらわないイメージに好感が持てました、最上級「ハイカスタム」には旧20カローラSLやHIDXで採用していたウッド3本スポークステアリングを、中級カスタムにはやはり20系DXのプラ3本スポークを、廉価DXには20STDのプラ2本スポークを採用しこれが内装においてのグレード識別点でした。
(装備)
70年代の小型クラスに当たり前に付く物は全て装備、この点は新型となる30カローラと遜色なかったと思います。
ただ20カローラの悪い部分も継承しており一例がこの頃(20時代)から装備され始めたチャイルドロック!
これは今ではお馴染ですが後年~現代はドア内側にこのロックS/Wを設けドアを閉めている限り絶対に子供が触れられない文字通りの装備ですが20→シャルマンは通常のドアロックと並びこのS/Wが設けられており操作性はやや硬くて乳幼児では無理でも2~3歳の子供なら訳なく解除できる代物でこれ見る度に“無意味!”と呟いていました(汗)
まっ、これにより20やシャルマンから子供が転落する事故が多発!!なーんて聞いてませんから大した問題ではなかったですが小さい子供を育てた経験がある方ならこの不完全なロック装置は不安なのが一目瞭然、今ならクレーマーが黙っていない!?って感じがしないでもなしです(笑)
↓チャイルドロック(小さいスライドS/W)がここにあるって?不完全な安全装置は今ならばやり玉に挙げられますね(*_*;
他には間欠ワイパーにフルエアミックス式ヒーター(エアコンop装備可能)など先進の装備は施され最新の30カローラに見劣りないものでした。
(シャーシ、脚廻り、ドライブフィール)
この分野は20カローラそのもの!
80点主義を良くも悪くも主張したカローラのドライブフィールそのまま、と言うかいくらか“高級”を謳う分頼りなささもありました。
ラック&ピニオンなんていう高級メカなんてまだまだこのクラスにはフィートバックされていない時代のボールナット式ステアリングは遊びが大きく応答性も悪いラフそのもの、よく言われる「ゴムをよじる」感覚そのものでした。
当然パワーアシストなんてない時代ですから据え切りなどは重々しいのですが特に1200はエンジンが軽いのもありそれほど苦労は感じませんでした、走行時はスポーティさは皆無ながら誰でも操るのは安心できる水準(当時の)は満たしていたと思います。
脚はこの時代ポピュラーなFrストラット/Rrリーフリジット!今や非エアサスのトラックのみにしか設定はない形式ですがコストが安く構造が簡単でしたからこのクラスはまだまだこれがメイン、サニーやランサーも当然この形式で最新の30カローラも当然これです。
リンク式や独立(ストラットやセミトレ)なんていう高度な脚は比較的Rrサス設計に自由度のあるFFモデルか高価な上級車の装備でありカローラですら79yのE70まで待たなければ設定はありませんでした。
板バネ特有のRrが跳ねるイメージはカローラ以上に“高級”を謳うシャルマンですから柔らかい設定でそれほどは感じませんでしたが限界は低くフニャサスの印象。
ブレーキ踏めば大した速度でもないのに大袈裟にダイブ、少し荒く扱えばすぐにRrは限界が来て尻は廻るし柔らかすぎて体制の立て直しもそう簡単には行かずでorz…
驚く事にラリー出場した27レビントレノ、そしてシャルマンも当然基本的にこの形式でしたからね、やはり当時のラリーストの腕は凄いです(笑)
ただ一度だけシャルマンのガチガチに固めたラリーバージョンをドライブする機会ありましたがLSDとハード化された脚は簡単にテールスライドを助長する代りに修正もたやすいものに変えてくれ構造が簡単な分素直で驚く程コントロールがしやすく限界も高まっていたのが印象深いです。
↓オーソドックスなシャルマンの脚廻り
ノーマルではお世辞にも楽しいとは言えない20カローラ→シャルマンですがこの時代としては誰でも安心して扱える素直さは持っており及第点だったと思います!
それではこれよりモデル改歴に移ります、初代シャルマンは計2回のMCを行っていますので前期・中期・後期の記載となっています。
※特別仕様、小変更など全ては網羅していませんのでご了承願います。また、一部上記解説と重複箇所があります。
(74/11)
シャルマン、ダイハツフラッグシップとして8年ぶり自主開発車として発売。
(74/12)
コマーシャルモデルの4ナンバー、商用バンを追加します。
やはりバンも旧20カローラバンをベースとしており全体的雰囲気はセダン以上にカローラの面影を感じさせますがテールの造形やRrドア~ボディ後端に伸びるセダン同様の太いラインはダイハツの主張を感じ取れるに充分のものでした!
尚、20カローラバンでは2ドアバンも存在しましたがジャルマンバンは4ドアのみの設定、エンジンはセダン同様に1200/1400(バン用は3K-J/T-J型)となります。
↓74/12~追加されたコンパーノバン以来の商用バン=「シャルマン・バン」
(75/12)
1400搭載モデル(A20)がDECS-C方式により50年排ガス規制適合となります。
DECS-Cはダイハツの規制適合システムの呼称ですが内容はトヨタTTC-C方式と同一、T型エンジンに主にエアインジェクション装置、酸化触媒を追加し昭和50年排ガス規制に適合させたもので型式にそれを示すA-が追記されまた適合エンジンのT-U型に換装、出力は補機装置により78psと未対策から8psダウンでした。
↓DECS-Cにより50年排ガス規制に適合したT-U型エンジン
↓DECS-Cの概要図
(76/2)
1200搭載モデル(A10)もT-Uと同様内容ながらEGR(排気ガス再循環装置)を追加し51年規制に適合、こちらはそれを示す型式はB-、エンジンは3K-U型となり64ps、-7psでした。
↓1200シリーズも51年対策の3K-U型エンジンに換装
尚これら対策エンジンは当然トヨタからの供給、一部排ガス対策部分にダイハツオリジナルの部分はあったようですが基本的にはトヨタはもちろんの事、当時大騒ぎになった規制適合のある意味教科書通りの対策を行っています。
基本的にはカローラE30系、パブリカ/スターレット等と同一エンジンですから出力ダウンの感覚も一緒、そのフィーリングはこの話に触れる際幾度も書いてきた通り数値以上の悲惨な状況でもはや元気さが取り得だった1200ではパワー不足でストレスだらけに豹変、1400も重々しくとてもまともなドライバビリティではなかったです。
ただ、車重が軽い分救われ上級のカリーナやコロナに較べれたら実用ユースには耐えられましたがシャルマン、そしてカローラもこの時に大幅に魅力を失っていますね(*_*;
ただこの時に出力不足からなる燃費悪化を避ける意味合いで5速MTが、そして時代のイージードライブ要求に応える3速ATモデルを追加、5MTはハイカスタム/カスタムに(1200/1400)、3ATは1400モデルに設定。
ライバル他社も同様に出力ダウンは免れないながら日産も三菱も富士重も苦労の末、規制適合に不利なツインキャブも残りましたがトヨタは全滅、見かけの豪華さに突っ走ってきた代償がこの時馬脚を現しさんざん苦言を呈されたトヨタ、以後この時の教訓から高性能エンジンや排ガス規制にも貪欲に取り組み後年~現代の地位を築いたと言っても過言ではないでしょう…
(76/11)
MCを施され中期型となります。
大きなイメージ変更は顔付→Frフェイスリフトでより高級イメージを訴求する彫の深いマスクとなりました!
同時に1400、T-U型エンジンも1200と同内容にて51年規制適合となり型式B-A20に変更、これによりシャルマンは全種51年対策モデルとなります。(バンはT-J)
またグレード追加がなされ従来のハイカスタムの上級にグランドカスタム(GC)とスポーツカスタム(SC)を設定、これまでにない超?高級バージョンとスポーツバージョンの2種でユーザー層拡大を図りました!
↓76/11~ の中期型シャルマン(1400SC)
GC/SCは30カローラから流用する13インチキャップレスホイールを装備、GCではホイールリングで更に高級感をアップ、SCはノーズ部にストライプをあしらい黒塗装のタルボ型ミラー(GCはメッキ)装備とスポーティ雰囲気をを演出、従来モデルが最高峰であっても平型ミラー、ホイールキャップだったところに一気にエクステリアを充実させていました。
内装もGCに全面ファブリックシートに高級カーペットを採用、SCはストライプ地の若々しいデザインを表現、SCではシャルマンでは初めてタコメーターも装備、GC/SCともインパネには木目採用も施され高級&スポーツイメージをここでも高めています。
↓中期型で追加された最高峰1400GC
↓1400GCのインパネ
↓中期型となってもテールの意匠はほぼ前期型を踏襲(76y中期型1200カスタム)
尚、この時に3ATモデルを廃止、5速はGC/SCのみとなりこれ以下は廃止となり4MTオンリー(SC/GCの4速もあり)となっています。
(78/3)
2度目のMCを行い後期型となります。
この時点でシャルマンはデビュー4年が経過、大メーカーではFMCが行われるモデル末期という事になりますがダイハツのような弱小&子会社化したメーカーではそれもままならず大幅なテコ入れで延命となります。
外観上の変更はお決まりのFr/Rrのリ・デザインですが顔付は全く別のクルマ?という位手が入れられフェンダーは新たなカタを起こしています。
従来型が前期~中期において逆スラントの顔付を採っていたのに対し一転してスラントノーズ化、当時カーデザイン敵には空力に有利なスラントノーズ化が流行りでこれに倣ったモノでしたが同時の流行りだった角目4灯は採用されていませんでした。
ワタクシ、丸目4灯でデザインされたモノにMCで無理くり角目4灯にするのは反対でしたがこの後期シャルマンのように顔面全面整形し更に流行りのスラント化までやったなら角目4灯にした方がバランス取れてたのでは?と今このモデル見ても感じます、スラウウントの丸目はいかにも中途半端な感じですしね、まぁ、個人的には初代シャルマンの場合中期顔が一番の好みでしたしこれに次ぐのは前期、どうも後期型はこの後このクルマの運命となる“オーバーデコレート”感が鼻に付きゴテゴテとしてしまい前期~中期にあったお洒落感が消え失せた気がします…。
後期となり新たにGC/SCとハイカスタム間に新グレードである『ラグジュアリーカスタム(LC)』を追加、これを含め中期型のインテリア、エクステリアをベースに更に豪華な味付けがなされ最上級のGCとLCはヘッドレスト別体のセパレートシート、GCではこのクラスでは例がないRrセンターアームレストを採用し一段と“フラッグシップ”さを強調しています!
↓GCに装備されたクラス初のRrセンターアームレスト
またこの他ELR付シートベルトやFM付きカセットステレオ(op)などの安全&快適装備もこの時に施されています。
↓時代の要請に応えた安全装備のELR付シートベルト
↓まだまだ8トラも残る時代にopとは言えカセットステレオと言った先進快適装備も用意!
尚、この後期型ではエンジンを換装、1200→1300に、1400→1600となっています。
1300/1600共に同様にトヨタからの供給エンジンを搭載、これも既にスターレットやカローラでお馴染である13004K-U型OHV72psと160012T-U型OHV88psに換装しています。(バン用は4K-J/2T-J)
両エンジンとも三元触媒を用い53年規制に適合したモノ、相変わらずDECSを謳いますが内容はトヨタTTCに倣っています。(型式にE-が付記されます)
↓後期型シャルマンのラインナップ
このMCでGCとハイカスタムに3ATが復活、これとシングレードの追加も併せ後期=最終型シャルマンは本家カローラにも遜色ないワイドバリェーションを実現、またエンジン換装と大幅MCにより型式をA30(1300)A40(1600)に変更しています。
この後期で81年までの3年引っ張りますがベースが70年登場の20カローラでは流石に80年代を迎えどうしようもなく古臭くこれはスタイリングも勿論ながら上述で解説してきたシャーシやハンドリング、脚など全てが時代遅れとなりました。
シャルマンに限らず長く造られる弱小メーカーの長寿モデルの哀しい性ですがベース(20)からは11年、シャルマンとしても7年経過した81/10、新世代の2代目シャルマンにバトンタッチし初代は長き生涯を終えました。
(81/10)
2代目A35/55型にFMC、シャルマン第2世代となります。
↓81/10~2代目シャルマン
(総評)
提携→子会社~合併以後、トヨタの下請けに甘んじてきたダイハツが威信をかけて“フラッグシップ”として誕生させたシャルマン、デビュー当初は予想を上廻る好評と販売台数となりましたが2年目以降はジリ貧、それでも74~81年の全台数で10万台オーバーしていますのでダイハツのような立場のメーカーとしては大いに健闘したモデルだと思います。
モデル途中からは本文記載したようにオリジナルの持つ小洒落た雰囲気はどんどん影を潜めていき分不相応な贅沢さを身にまとう悪い方向の“フラッグシップ”化したのが残念ですがこれも多くの車種を造る事が簡単ではなくましてやトヨタという親の統制下であるダイハツのモデルですから致し方ない部分も多いですからシャルマンのマイナスポイントとして計上するのは酷に感じます。
ただ、素生(前期~中期)がベースの20カローラを超える魅力があったのも事実でこの部分は残念に思います、現在では歴史的価値も見出されずほぼ死滅状態、このシャルマン時代はダイハツも輸出に好むと好まざるは別にして消極姿勢でしたから後進国等での生き残りもまず存在しないでしょう、マイナーメーカーのマイナー車ですがそれが逆に“変態度”は際立ち別の意味で今では語られたりもします(一部のマニアにですが…笑)
量販を望めずある意味カルト的立場のシャルマン、後にアプローズ→アルティスと発展しますがその思想はアプローズで華開いたかに見えましたが不幸な事件によりこれも潰えてしまい現在のアルティス=フラッグシップはカムリのバッジ違いとなりダイハツの意地は感じさせないモノに成り下がりました。
時代的に裏事情がなくともOEMが盛んの現代でもはやシャルマンのような中身は借り物でもオリジナルなモデル、そして完全オリジナルなアプローズや下級シャレードのような車造りはもはや求められないでしょう、しかしダイハツオリジナルまたはセミオリジナルでもいいのです、元々センスあるクルマ造りをするメーカーさんですのでいつの日か“ダイハツスピリット”を感じさせるモデルを見てみたい!と初代シャルマンを振り返ってそんな風に感じました(^.^)/
“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る・『A10/20/30/40型初代ダイハツシャルマン』編……終
※次回は続いて『A35/A55型2代目シャルマン』編を第5弾としてUPする予定ですが時期未定です(^^ゞ