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元Gureのブログ一覧

2013年12月11日 イイね!

保存版・ 珍車PART354

保存版・ 珍車PART354出ました(*^^)v

354弾はかつての愛車であるコレ、なかなかNAはもう存在しないでしょう…

⇒『昭和57年(1982)6代目DR30型スカイラインセダン2000RS』!!

いやー、ド初期のRS!しかも珍しいNAのセダンが出ていましたヨー!!
これはかつて愛車にしていたので思い入れは当然大きいです(^^ゞ

↓かつてのGure号、この後脚やキャブ弄ったりドアミラー化して楽しみましたが管理不足?で3年でおしゃかでした(泣)


何せこれ乗ってる頃はベースは菱ヲタながら隠れ?トヨタファンでもありホントはTT140のコロナGT-TRかPFジェミニZZ、そしてA175Aランタボを狙っていた時期、どちらかと言えば日産はアンチの頃でしたがやはりスカイラインとZだけは別枠(笑)

色々検討し予算的なモノもありこの3車に較べいくらか中古市場ではリーズナブルなRSを選んだのです。
当時は既にターボ、そしてターボCも出た後でしたし人気の中心はこれらのHT、鉄仮面の赤黒ツートンのHTターボCは憧れましたが当時赤ん坊がいる身でHT(2ドア)はカミさんから却下(;_:)

そして個人的には3本グリルも捨てがたい魅力がありNAならばターボと較べ下手すると50万位安かったので昭和62年に6年落ちながら走行4万㎞台の程度上モノを購入しました!

FJ20の野太い排気音は今でも耳に残るイイ音でノーマルマフラーでも充分しびれる感じ、若気の至りで触媒取っ払ったり最後はソレックスに変えたりして楽しみましたねー、弄れば弄るほどオモロイFJ20エンジン、最終的には管理が悪かったのでしょう、点火系がやられて多額の修理代が払えず引退となりましたが20年過ぎた今でもこのクルマの印象は薄れないですねー…

80年代車ながらFJは結構70年代の様な神経質なエンジン、EGIのまま乗っていればもう少し乗れたのでしょうが下手に弄ると調整が難しくて(*_*;

初期RSは内装なんてビニール多用のタクシー並のショボさながらさすが走りのスカイライン、見かけは頼りないながら純正バケットシートはなかなか良くできていてこれで大阪・神戸位まで遊びに行き6~7時間連続ドライブしても殆ど疲れなかったのには驚きでした、まっ、若かったのもあるんですがね^^;

御承知の通りRSは排ガス規制やOILショックの影響からGT-R、4バルブDOHCエンジンがステータス&伝統だったスカイライン(最後はケンメリR KPGC110)から消え8年ぶりに”R”の付くモデルが還って来た!と発売時の81yには大騒ぎになったモデル、GT-RのS20のような6発ではなく4発だったためGT-Rとは名乗れず”RS”となりましたが排ガス対策期を挟み出力大幅ダウンしながらもDOHCをラインナップし続けたトヨタからはスカイラインは”名ばかりのGT”(セリカのCM)と揶揄されるなど日産ファンは歯ぎしりする思いでその時期のケンメリ後期~ジャパンを見守っていましたが80y、ジャパン後期でまずターボ(L20ET)で一矢を報い6代目R30デビュー後2カ月遅れでこのRSを追加、カタログにトヨタDOHCに対し『2バルブのDOHCほど許し難いモノはない!』とやり返し日産&スカイラインファンは溜飲を下げたのでした。(スカイラインRSについては こちら で詳細UPしています。)

さて、現車ですが82/8登録ですからまだターボデビュー前のほぼ初期モデル、この時期のRS(FJ20)は色々問題あったようで生き残りは83y以降のターボが多い中よく残ってくれていました!

実走10万㎞手前は年式からすれば少走行ながらやはりFJでは少し怖い距離、FJを触れる日産のメカって当時も少なかったですし今ではまずいないでしょう、ただ、人気車ですから専門ショップなどは数多く存在してますしね、現代で乗るにはこういうところとのお付き合いを心がければまだまだイケるしょう…

↓R点、内外DCと極上とは言えませんが希少車なのでベースとしてここから色々手を入れるのもRS所有の醍醐味だと思います!


不具合はそれなりあり事故修復があまりうまくできていないのか?センターピラー歪みとの記載が少々気になりますが現車チェックで今後のトラブル備えは充分可能なレベルと感じます、他はいくらでも修正できる範囲ですからね、DR30は今でもやはり結構残っていますがしつこいながら初期モノはホント少ないので弄れる方はヨダレものではないでしょうか…

↓殆どノーマルなインパネは程度イイ感じ、吹き出し口横の丸いのはスピーカー?意味不明ですが純正ラジオ&カセットも残っているのがポイント高し!


昔からトヨタや三菱で慣れていたのでRS、てかこの時代の日産縦6搭載モデル(セドグロ、ローレル、サメブル&G6系にスカイライン)って何かシフト位置が遠く個人的にはドラポジが決まらないのが不満、サーキットや峠でもこの操作性の違和感がついて廻り手放すまでしっくりと来なかったのですがこれは慣れの問題、910やS110シルガゼなんかはそんな違和感もなかったので4気筒慣れした自分の体が6気筒モデルはどうしても馴染めなかったのが未だに印象に残ります、RSは4発ながらドラポジはL20系と同じでした。
ただ、トヨタの6発にはこの違和感はなかったですねー^^;

↓Rrビュー、艶もありそこそこ綺麗ですね!「DOHC RS」のエンブレムが残っているのはかなり希少でこれ、ターボモデルの「DOHC TURBO RS」に大概付け替えていたような!?


しかしこの個体は外観もほぼオリジナル状態といのが凄い!!

ワタシのもやはり初期モノでしたのでフェンダーミラーでしたが即ドアミラーに交換、脚廻り、タイヤ&A/Wや前述の弄りを軽くしてましたしね、当時、と言うかクルマ好きが選ぶ急先鋒のスカイラインをノーマルで乗るなんて方は非常に数少ないですし現代にカタログそのままに近い出で立ちのRSに出会うとは驚きです、先日のハチマルミーティングでもやはりオリジナルのRSやセリカXXを拝見させて頂きましたが弄って当たり前!のスポーツモデルのオリジナルってやはり感動しちゃいますわ(^^)

↓初期RSでは一番人気のガンメタツートンに純正14インチアルミがもう発狂モノです!これも他銘柄で久々”ポチッ”としたくなる逸品でした!


出品は新潟、雪降りますからね、下回り錆は重点的に見ないといけませんねー…
落札額はやはり高い!て言っても今や旧車となったR30の中ではやはりNA、セダンという部分から比較的リーズナブルで手が出る三桁半分以下!勿論商品として店頭並べば6~70万位のプライスにはなるでしょうがそれでのマニアにとっては“安い”と言えるのではないでしょうか!?!?

思い入れが強くこれ見るとまだまだ若くてピチピチだった?カミさんや可愛い赤ちゃんだった娘の姿も同時に蘇ります、~あぁ、あの日に帰りたい~って感じですかね(^.^)/

↓若き日のカミさんと可愛い頃の?娘とDR30
Posted at 2018/08/16 17:49:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2013年12月07日 イイね!

保存版・ 珍車PART352

保存版・ 珍車PART352今回の国内流通珍はコレ

⇒『昭和54年(1979)2代目TA49型カリーナバン1600スーパーDX』!!

4ナンバー商用貨物の太古車の登場です(*^^)v

いやー、単なるライトバンもここまでの境地に来ると非常にカッカイイ!!ワタクシのランカゴも将来こんな風に捉えられたらいいんですがメジャーなトヨタさんの作品でないから無理かな(汗)

2代目40系カリーナのバン、70年に発売された初代カリーナ(A10系)が御承知の通り当初スペシャリティーカー、セリカのセダン版としてデビューした経緯もあり当時トヨタの売り方としてはセリカをメインとし車格の被るコロナ(T80系)やカローラ(E20系)の存在もありあまり積極的なセールスは行いませんでした。
しかしメーカーさんの思惑とは裏腹に派手な出で立ちを嫌う少なくないユーザーからセリカよりもカリーナを選ぶ層が多かったのでしょう、まだまだファミリーカー全盛時代の当時ですからね、この現象も納得ででこのためカリーナは追加ラインアップも多く当初はカリーナやコロナに較べバリェーションはボディも含めて少なかったのですが高性能DOHCエンジンやEFI搭載モデル、そしてHT追加もありいつしか若者限定人気のセリカ、そして年齢層が当時でも高くなり始めたコロナを上回る人気を獲得、トヨタの重要量販車へとステップアップしたのでした。

このため最後にはカローラバンとコロナバンの間を埋めるモデルとして商用バンも追加、カローラ30系バンのパーツ流用が多いながらも後年~現代のように顔付をチョイと変えただけというお茶濁しではなくカリーナらしい独自のデザインで登場、追加は1975年とモデル末期(初代は77年まで)でありながらも一定の支持を得ており幼少時代はワタクシも平凡極まりないカローラバンやコロナバンよりもお洒落さ、遊び心を伺わせたスタイル=クオーターウィンドウがオペラ風味でバンにしてはケンメリバンに次いで非凡なイメージが子供心に響いたモノです(^^)

↓バンにしては実用一辺倒ではなくスタイリングにお洒落心を加味しいかにもカリーナらしい都会的な商用モデルに注目しました。


って初代バンの解説に熱入ってしまいましたが出品車は2代目、77年に7年の長寿を全うしデビューした2代目T40系カリーナのコマーシャルカーでした。
これにより初代バンは僅か2年でFMCした形になりますねー…

2代目バンは初代のような遊び心は消え実用度合いを高めたモノにチェンジ、この型はワタシも数多く乗り実用にも使いましたが初代バンの特徴だったオペラウィンドウは通常の広いガラスエリアに変更、お洒落さは消えながら後方視界は格段にアップ、サイズ拡大ももちろんながらスクエアなスタイルは積載能力、効率も高まりビジネスパートナーとしては格段に向上したと思います。

現車はT40系の後期(79~81y)モデル、セダン/HTが丸目4灯→スラントノーズの角目4灯になったモデルですがバンは廉価グレード扱いでスラントにはそのままMCしていますが丸目4灯は継承、T40系は個人的には先代の面影を感じる丸目4灯非スラントの前期型が好みでどうも角目モデルは好きでなかったのですがバンに関しても角目を収めるためにスラント化したにも関わらず相変わらず丸目にするなどいささか中途半端、まっ、この頃はトヨタに限らずバンは廉価扱いでこうしたケースは多く見受けられましたので当時としては違和感なく受け入れましたがね、この顔ならばあえてMCせず前期顔のままバンは残せばいいのに!とコストダウン他大人の事情を知らない世代でしたから強く思ったものでした(^^ゞ

現車、実走が驚く事に9万弱!働くクルマで34年経過ながらこの距離は奇跡ですね~
大事にされてきた個体のようで致命的不具合もなく軽くカスタマイズされたボディも綺麗!!

メジャーなトヨタの車ですから時々商用ながらも太古車が出てきますね、当時乗用が箸にも棒にもかからないド初期のTTC(50~53年規制)で青色吐息の中、商用は規制値も緩く12T-Jの1.6Lエンジンも未対策時代の乗用(2T系)からのパワーダウンをそれほど感じさせないドライバビリティでしたしエアコン使用時を除けば現代でも距離的、後は昔の頑強なT型エンジンですからまだまだ現役続行に問題はなく感じます。

↓総合評価3、内装B、商用なので外装評価はなしですがC~Bは確定ですね!


珍しいのはこの時代、特にバンとしては希少なATという点!
もちろん年代的に3速ATですし決して燃費が良かったという訳ではないエンジンとの組み合わせですから燃費は覚悟しなければなりません、経年の不具合も心配されます。
扱い方によってですがこの時期のトヨタATは8万㎞台でもパーッていうのを数多く見ていますのでやや不安ありますが逆にATだからこそ現代まで生きながらえたって気もします、エアコン装備も最初からの装備だとしたら驚きと一抹の不安要素ですが…

乗用、高級車ですらまだ普通にMT設定がありユーザー選択も8割位がMTだったと思います、80年前後は。エアコンなんてよほどの高級車でなければOP設定でしたし。

この頃はATなんて選ぶと口の悪い人間言わせると「身○○害者のクルマ」なんて揶揄される位まだ浸透していないATをしかも積載でトルクフルが命!のライトバンでチョイスした最初のオーナーさん、珍しい存在の“変態”だったかもしれません(笑)

↓内装Bと言う年式からすると奇跡の状態!ナビ?TV?にオーディオにATですので現代車感覚でドライブできますね。


現車は当時のバン最高グレードのスーパーDX、セダン系でも初代はGTやSTのスポーツグレードを除く最高峰でして2代目になりこの上にSEという高級版がラインナップされましたが2代目バンでは初代の名残ですね、元々実用が大事なバントラでカスタムとか乗用に準じたグレードって不要に思われますが後年~現代で人気のハイエーススーパーGLなどを見てもわかるようにこの分野でも“高級”を求める層は必ず存在、いまでこそボンバンにそれほどいいグレードは存在しませんがこの時代ではこのカリーナバンのスーパーDXやコロナバンで言えばGL、カローラバンのHiDX、日産でも三菱でも高グレードバンは存在、中でも三菱Σバンのスーパーエステートなどはこれまでの全ライトバンを見てもこれほそ高級さのあるバンはいない!と断定できるある意味実用一辺倒になった現代の商用車事情とは違うまだ余裕があるイイ時代でした。

↓未再生でしたら驚きの艶々した外装、日本一大事に管理されたカリーナバンかもしれません…


軽くローダウン、ナルディと思われるステアリングに深リムAHPアメリカンディッシュにカローラ系のSLやセリカST以上の砲弾型フェンダーミラーへと変更された程度のカスタマイズは充分オリジナリティを残し“海外生き残り”とは違い日本らしいセンスで非常に好感を持って見れます!

↓現役時は角目設計に丸目がどうにも貧乏臭かったですが今見るとこれはこれでまとまってます!


出品地はここの変態度合いが高い様子の岐阜県!! 落札は驚く事に40を少し切る程度という高額落札!
セダンやHTなら分かりますがね、バンでもここまで状態よければ立派な値段に化けてきていますが変なセレブマニアにコテコテにカスタムされないかが心配…

ここまでイイ状態で高額ですと今後の生存も確実で心配はいらんでしょうがこの素敵な姿での存続を期待せずにいられない、そんなカリーナバンでした(^.^)/
Posted at 2018/08/16 18:06:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタ | クルマ
2013年12月07日 イイね!

保存版・ 珍車PART353

保存版・ 珍車PART353業オク流通珍353弾はこのクルマ!

⇒『昭和62年(1987)7代目Y31型セドリックセダン2000ターボブロアム』!!

御存じの通りY31セダンは今でも現役、営業用専用車にはなりながらもかつてFMCをせず時代遅れだのシーラカンスだの揶揄された我が三菱の初代デボネアや最後はタクシー/教習車専用となったいすゞフローリアンなんて目じゃない26年の継続生産、同じく営業用のライバルコンフォートや格下のクルーを抑え堂々乗用車としては国産No1の長寿を誇っています!


↓26年の国産乗用最長寿記録更新中の現行Y31セダン


余談ですが10~20年前の所謂”トレンディドラマ”を観ていてもお洒落なギロッポン(笑…六本木)、渋谷に原宿などが映ると主人公の男女がバブリー丸出しのDCブランドやソバージュで武装する中、普通に街中にはY31タクシーが映っていたりしてその部分の光景は現在の都内と少しも変りなく変なところで風俗とクルマの歴史を感じたりします、いかにも前時代的なファッションながらタクシーはそのまま、おもろいです^^

さて、現車はその”シーラカンス”Y31ながらまだまだオーナー向けとして立派に日産の高級車ラインを一線で支えていた時期のモノですね、87年に7代目としてセダン/HTともそれまでの430→Y30とは違い現代のフーガやトヨタ高級車群にも影響を与えた若々しく70年代とは違った走りにも注力しスポーティ路線(グランツーリスモグレード)にも目を向けアメリカン的高級車から欧州車的高級車に舵を切り90年代の新たな高級車象を作るエポックメーキング的なモデル、これがY31でした!

Y31の成功が後のシーマやトヨタセルシオやアリストに繋がるモノと個人的には思います、技術と時代の流れもありますがY31の功績は大きかった!!

出品車はそんなY31のド初期、現行のそれとは外観で言えばFr/Rrドア以外は全て新たなカタを起こされておりパッと見は別のクルマにもなりかけている、そんな印象すらある出で立ちで特に初期はクォーターピラー部のオペラウィンドウが最大の特徴、91年のHT、FMC時にこれは廃されていますのでセダンもメインバリバリ時代の象徴ですね!

↓奇跡の総合3.5、実走3万㎞は驚愕!これほどの初期Y31セダンはそうはいないでしょう…


出品車、クリア剥げ、ダッシュ浮きというどうにでもなるような不具合のみでふんだんなパワー装備がこの年式の日産車ですから不安無いと言えば嘘になりますがマニアならば揃えたい逸品に思います…。

Y31の2L最高となるターボブロアム、まだまだこの頃のVG20ETは80年代のようなドッカンターボでしたし現代目線からすると速いとはお世辞にも言えないですがこの距離、程度ならば現役時の“ヒュイーン”とこれ見よがしで尻を思い切り下げて加速する姿、充分拝めますね(笑

↓現Y31セダンには全く面影ない初期モノのインパネ、懐かしいですねー。内装C評価ですが充分な綺麗さです!


Y31はセダン/HTともに従来のこの類のクルマとは違い着座位置が低くY30やクラウンのイメージで乗り込むとまずそれに驚いた経験があります。
シートやサスもブロアムなど高級グレードにしてもかつてのフワフワの頼りなささはなくしっかりと走りも見つめた設計に驚嘆、当時それまでは疲れる、柄じゃないとの理由からなるべく高級車には乗りたくなかったワタクシでも本気にY31は所有したい!と思えるモノでした。

初期Y31はHTならば未だ人気もあり生息車を首都圏でも見かけますが初期セダンはもう何年見てないだろうか?オーナー使用はやはり人気度からHTがメインでセダンはハイタク公用が多かったですが現車のようなオーナー向けも少なからず見かけましたがね、地味なのは間違いないですがセダンでもそれなりに人気は高く後年HTで一世を風靡したグランツも設定された位でしたが…

↓確かに艶は剥げ気味ですがボデイの状態やシャシも問題なさそうなのでALLペン一つで新車の出で立ち間違いないですね!


出品は東京、落札は片手をやっとオーバーというリーズナブルさ!仮にこれと同程度のHTでしたら3~40はもう付くY31、セダン好きにはたまらん価格(笑)

『エッ、そんな安いなら欲しかった!』とファンの多いセドリックですから多くの声が聴こえてきそうですがこれも検整備に一通り加修すれば店頭プライスは30や40万、簡単に掲示される筈で26年前のセダン、燃費極悪VG20DETでシロートさんは手出ししない方が無難ですが変態は見逃さんでしょうね!(^^)!

↓顔は現行にも面影ありますね!てか同じクルマだっちゅーの(笑)


現代の高級サルーンの元祖とも言えるY31セダン、多分現代のフーガやシーマ、レクサスLSやクラウンと乗り較べてもそうテイストは違わないと思いますよ、パーツ供給も一部を除けば何せ現行ですから心配ないさー!って感じでしょうし久しぶりに菱以外にグラッときた、そんな初期Y31セダンでした(^.^)/
Posted at 2018/08/16 17:59:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2013年12月06日 イイね!

保存版・“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第4弾!!

保存版・“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る…第4弾!!“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る、第4弾はこいつも変態車愛好家?には非常にメジャーでオースター/スタンザに負けない変態オーラを放っており必ずと言っていいほど話題に上がるこのクルマを取り上げます⇒『A10/20/30/40型初代ダイハツシャルマン』!!

シャルマン、若き日の小川知子さんが『ウィ?シャルマン!』とCMでやっていたのをアラフォー世代以上では記憶に残っておられるのではないでしょうか…

シャルマンは67年のトヨタ-ダイハツ業務提携(実質的にダイハツのトヨタグループ入り=後年完全子会社化)によりそれまで自主生産していた『コンパーノ、同ベルリーナ』以来久々のダイハツ自主開発車としてデビュー時は結構注目を集めたモデルでした。

業務提携後コンパーノをトヨタP30型パブリカの双子モデルである『コンソルテベルリーナ』としてFMC、それまでのコンパーノユーザー向けにトヨタ製双子モデル(実際にはコンソルテ、パブリカ共にダイハツ工場にて生産=委託生産)もダイハツの看板で細々ラインナップされてはいましたが親会社の~ダイハツは自社が持っていない部門=軽自動車に専念せよ~ 的施策から戦後長く小型も生産していたダイハツから半ばこれを奪った格好となってしまい前作、コンパーノが秀逸な小型車だった事もあり業提携⇒合併を嘆くダイハツユーザーも少なくなかったようです。
コンパーノを知る旧ダイハツファンにはトヨタお仕着せのコンソルテでは満足できず“ダイハツオリジナルモデルの復活”は首を長くして待ち望んだもの、そんなファンの期待を一身に背負って74/11に発売されたのがコンパーノ以来約10年ぶりの自社開発モデルとなりコンソルテの上級=ダイハツフラッグシップモデルの『シャルマン』でした。

それまで頑なに自社開発を認めなかった親会社のトヨタ、シャルマンの開発許可はフラッグシップ設定のダイハツ側の強い要望を聞き入れたモノですが実際、自社開発と言っても当時型遅れとなったE20型カローラのライン、パーツをダイハツに移管、これをベースにダイハツが手を加えており実際シャーシやエンジンは20カローラを流用、Frドアは20そのまま、Rrドアは20スプリンターセダンのものにオリジナルのラインを加工して採用、他外板はオリジナルでありインパネや内装も20の雰囲気は残りながらもここもオリジナリティ度を高めていました。

しかし当時、シャルマンデビューはコンパーノのファンでもあったのでワタクシも嬉しいながら子供ながらにトヨタでは大衆車と言われたカローラがダイハツに来ると“高級車”“フラッグシップ”と宣伝文句にあるのを見て非吸収側メーカーの情けなさを感じてしまいましたねー、“フラッグシップ”なんてのはトヨタならばセンチュリー、日産ならプレジ、三菱デボネアにマツダロードペーサー、いすゞステーツマンデビルなどフルサイズカーの称号だとばかり思っていたGure少年、カローラを少しお化粧しただけのシャルマンにこの称号が謳われた時にはホント、驚きました、まぁ、確かにダイハツ最上級には間違いないのですがたかが1200や1400のクルマでフラッグシップって(*_*;

まっ、そんなある意味驚きを伴ってデビューしたシャルマン、外観はこのクラスでは珍しい“フラッグシップ”らしく?丸目4灯ライトを採用、当時は2灯はファミリーカーや大衆車、4灯は上級車というイメージが確立されていた時代ですのでシャルマンは“上級”を意識させるためカローラでは20どころか当時最新の30型ですら設定がない4灯の豪華な顔付が特徴、全体的には20カローラのそれに限りなく近く20のセミファストバックスタイルも継承、しかしながら独自のボディライン(Rrドア後半~ボディ後半に至る主張の強いライン)をあしらって雰囲気を異にしテールも20より大型化して豪華なイメージの意匠としていました!

尚、20カローラ/スプリンターには2/4ドアセダン(2ドアはカローラのみ)、クーペ、バンの設定がありましたがシャルマンデビュー時は4ドアセダンのみのラインナップでした。

↓丸目4灯の豪華グリルが与えられたダイハツのフラッグシップ『シャルマン』(74y前期1400ハイカスタム)


↓Rrコンビランプも大型の豪華なイメージ『74y前期1200DX』


↓シャルマンのベースとなったE20型トヨタカローラ(70~74y)


このような背景でデビューしたシャルマンは久々ダイハツオリジナルが感じられるクルマとして主にダイハツ支持者には暖かく迎えられまた、豪華イメージながら20カローラをベースにした事から30となり大幅値上げとなったカローラをターゲットにしていた層には30よりはかなり安く伏兵ともなりでデビューから1年(74/11~75年末)では販売が4万台超えいう好成績を記録、横綱のカロスプやサニーには遠く及ばないないながら3位の三菱ランサー(A70系初代)がデビュー3年の商品力低下の時期ながらこれにほぼ並ぶ数字を叩き出しています。

多分、ダイハツというメーカーは当時結構厳しくメーカーもディーラーも親ながらトヨタ車での通勤や営業が認められない事も多くファローMAXやコンソルテを嫌々乗っていた社員が多く購入したのでは?と推測されますがしかし実際当時、初期型シャルマンが街行く姿はそう珍しいモノではなく結構見かけた記憶もあるので残っている販売の数字に疑問はないですね!

余談ですが上記でランサー=ラリーに強かった が出てきましたので記載しておきますがシャルマンもメーカーが意図しない?草ラリーストには結構愛されたクルマでラリーキットも存在、一部は27レビン等のパーツも流用可能で時々車高が上がったガチガチなシャルマンのロールバーを組んだ個体も見かけたりしました、当時の雑誌などを見るとタイム、戦績も悪くなく軽いボディと3Kエンジンの組み合わせがラリーストの歓迎されていたようです!


それではモデル概要に移ります!

[諸元]

(発売)
1974年(昭和49年)11月
(ボディ)
4ドアセダンのみ
(バリエーション)
1200・1400DX/1200・1400カスタム/1200・1400ハイカスタム
(型式)
ダイハツA10型(1200)及びA20型(1400)
(サイズ)
全長3995mm全幅520mm全高1370
(ホイールベース)
2335mm
(車重)
790~885kg
(搭載エンジン)
トヨタ3K型(ダイハツ式エンジン呼称A10K型)1200cc 直4 OHV シングルキャブ グロス71ps/9.7kgm
トヨタT型(ダイハツ式エンジン呼称A20K型)1400cc 直4 OHV シングルキャブ グロス86ps/12.0kgm
いずれも縦置き搭載
(ミッション)
4速MT
(脚廻り)
Frストラット/Rrリーフリジット
(駆動方式)
FR

以上を見てお気づき、と言うか当たり前ながらサイズ、スペック、機構はほぼ20カローラを踏襲、ベースがこれですから当然ですがエンジンも一時ダイハツ呼称を表示していましたが紛れもない20、そしてこの時代のトヨタの小型車には数多く載せられていたお馴染3KとTとなります。

(エンジン、ミッション)
前述の通り何ら20時代から変りない信頼の3KとT型エンジンを搭載、この2つは日産の名機と呼ばれるA型エンジン同様のOHVという当時としても古めかしい機構ながらA型のトドメを知らない吹け上がり!って程ではないにしろOHVとは思えないストレスのないスムーズな回転上昇が味わえるエンジンでした。

トヨタDラー時代、トヨタ車でもシャルマンでもさんざん乗った経験ありますがどれに載っていようがこのTと3Kはフィーリングは同じ、セリカやカリーナクラスになるとT型(3Kは設定なし)は廉価版でコレの上である1600の2Tににはかなりの見劣りでしたが3KとTにそれほどのパワー差は感じた事なく前述の通り“トルクフルで静粛なTにパワフル元気感モリモリの3K”と例えておきますね!

T型は重い分排気量は大きいながら俊敏性は3Kには欠け元気さでは1200ながら3Kが上、但しT型の方が音質は優しく特に回した時は3KはやかましくTはそれに較べ静粛性、高かったです。

↓お馴染のトヨタT型㊤と3K型エンジン㊦



このエンジンに組み合わされるのはデビュー時は4速MTのみ、スポーツモデルの設定が性格上ありませんでしたのでこの時代すでにポピュラーになりつつあった5MTはお預け、ただ、これもE20カローラのミッションをそのまま受け継いでいますが個人的にこの20=シャルマンで一番気に入っていたのがシフトフィール!

この時代ですからFRのダイレクトミッションは当然、リンクを介さずにダイレクトに“カチッ”と決まるのが身上のこのミッションはドライブが楽しくなるものでややローとサードが位置的に遠い感じはKE10時代から引きずっておりますが同年代の日産やマツダがどちらかというとシャキっとしないフィーリングでしたのでトヨタと三菱もですがこの気持ち良さだけで選ぶ価値アリ!と思います、まぁ、現代ではバックと駐車以外シフトレバー(セレクター)を触る事なんてないヒトが多いようなので今となっては太古の感覚ですが(汗)

ただこれはミッションと言うよりエンジンやミッションマウントの問題か?6~7万㎞走ると劣化からなる振動→ギア抜けする個体もありミッションそのものは頑強でもこの辺の耐久力は弱かった気がします、勿論新車時でこうしたトラブルの話は耳にしませんでしたが。

(ボディ)
ボディに関してはラリーに使う位だからさぞ頑強では?と思われるでしょう、ワタシも初めて乗った時はそれを期待しましたが実際は極普通、と言うか74年レベル。
私が乗った頃なんてもう初代シャルマンは解体送りにされる8~9年落ちでしたからね、それなりにヤレていて耐久力は既に低下したモノばかりでしたが当時の水準として良くも悪くもない、ただ、これを競技フィールドに持ち込むならそれなりの補強や対策は必要だっただろうなーと。

まっ、コンセプトが“フラッグシップ”ですからね、しかも純粋なファミーり-セダンがベースですからその目線ならば充分及第点に届いていたでしょう…。

(スタイリング、エクステリア)
前述の通り端正で高級感溢れる顔付にセミファストバックのスタイルは非常にマッチ、ベースの20スプやカローラ以上の仕上がりと個人的には感じます。

絶対的台数が少ないのもありカロスプの面影は感じさせますが嫌味にならない程度にデコレートされたシャルマンは狙ったイメージ通りお洒落感は充分ありました!

↓この「1400カスタム」は20スプリンターHIDXのホイールキャップを流用(74y前期)


ベース的に一世代前のデザインながらダイハツの手直しが効き当時でも古臭さは感じずかえって日産他がこの頃はS10シルビア、210サニー、710バイオレットが“三次局面”を謳う未来的デザインが新し過ぎと後方視界不良でバッシングされる中、オーソドックスで視界も良好なこのスタイルは評論家などにも好評でした。

(インテリア、居住性)
この部分については旧型カローラベースという中で一番欠点が現れていました。
FRの小型クラスですからそう広い室内は期待できませんがやはり時代的に一世代前の居住性、セダンですのでヘッドクリアランスには問題有りませんが前席、後席とも決して充分ではなく後ろに人を乗せる場合は前席も結構前方にスライドさせなければならず前後ともに窮屈感を持たざる得ない感じでしたね。

新型になった30カローラやランサー、グランドファミリアやファミリアプレストな激戦区の中で決して優位な車室空間は誇れずこの点ではやはり凝ったデザインのおかげで窮屈なイメージのあった210サニーとどっこいだった印象があります、サニーよりグラスエリアが広い為、解放感はシャルマンの方がありましたが…。

シートや内張りのデザインも20カローラを彷彿させますが“フラッグシップ”を謳うだけあり最廉価のDXモデルにおいても20の黒一辺倒ではなくブラウン/クリームの明るい内装色が用いられ高級感を訴求、カローラ時代は全面ビニールレザーだったハイバック(Fr)シート、Rrシートともに部分ファブリック(通気性発泡)やモケット織物(部分)シートが用いられこの辺は時代に合わせていました!

↓20カロスプには設定の無かった明るい色彩のシート&内装(74y前期1200DX)


インパネにおいては20カローラからは格段に進化、エアコン(op)装備も可能な吹き出し口&エアミックス式ヒーターも採用、大径角型3連メーターが新鮮な印象を与えていました。

↓最上級「ハイカスタム」のインパネ


↓中級「カスタム」のインパネ


インパネのデザインそのものはクラス的に平凡そのもの、フラッグシップと言えど過度な装飾はなされず奇をてらわないイメージに好感が持てました、最上級「ハイカスタム」には旧20カローラSLやHIDXで採用していたウッド3本スポークステアリングを、中級カスタムにはやはり20系DXのプラ3本スポークを、廉価DXには20STDのプラ2本スポークを採用しこれが内装においてのグレード識別点でした。

(装備)
70年代の小型クラスに当たり前に付く物は全て装備、この点は新型となる30カローラと遜色なかったと思います。
ただ20カローラの悪い部分も継承しており一例がこの頃(20時代)から装備され始めたチャイルドロック!

これは今ではお馴染ですが後年~現代はドア内側にこのロックS/Wを設けドアを閉めている限り絶対に子供が触れられない文字通りの装備ですが20→シャルマンは通常のドアロックと並びこのS/Wが設けられており操作性はやや硬くて乳幼児では無理でも2~3歳の子供なら訳なく解除できる代物でこれ見る度に“無意味!”と呟いていました(汗)
まっ、これにより20やシャルマンから子供が転落する事故が多発!!なーんて聞いてませんから大した問題ではなかったですが小さい子供を育てた経験がある方ならこの不完全なロック装置は不安なのが一目瞭然、今ならクレーマーが黙っていない!?って感じがしないでもなしです(笑)

↓チャイルドロック(小さいスライドS/W)がここにあるって?不完全な安全装置は今ならばやり玉に挙げられますね(*_*;


他には間欠ワイパーにフルエアミックス式ヒーター(エアコンop装備可能)など先進の装備は施され最新の30カローラに見劣りないものでした。

(シャーシ、脚廻り、ドライブフィール)
この分野は20カローラそのもの!
80点主義を良くも悪くも主張したカローラのドライブフィールそのまま、と言うかいくらか“高級”を謳う分頼りなささもありました。

ラック&ピニオンなんていう高級メカなんてまだまだこのクラスにはフィートバックされていない時代のボールナット式ステアリングは遊びが大きく応答性も悪いラフそのもの、よく言われる「ゴムをよじる」感覚そのものでした。
当然パワーアシストなんてない時代ですから据え切りなどは重々しいのですが特に1200はエンジンが軽いのもありそれほど苦労は感じませんでした、走行時はスポーティさは皆無ながら誰でも操るのは安心できる水準(当時の)は満たしていたと思います。

脚はこの時代ポピュラーなFrストラット/Rrリーフリジット!今や非エアサスのトラックのみにしか設定はない形式ですがコストが安く構造が簡単でしたからこのクラスはまだまだこれがメイン、サニーやランサーも当然この形式で最新の30カローラも当然これです。

リンク式や独立(ストラットやセミトレ)なんていう高度な脚は比較的Rrサス設計に自由度のあるFFモデルか高価な上級車の装備でありカローラですら79yのE70まで待たなければ設定はありませんでした。

板バネ特有のRrが跳ねるイメージはカローラ以上に“高級”を謳うシャルマンですから柔らかい設定でそれほどは感じませんでしたが限界は低くフニャサスの印象。
ブレーキ踏めば大した速度でもないのに大袈裟にダイブ、少し荒く扱えばすぐにRrは限界が来て尻は廻るし柔らかすぎて体制の立て直しもそう簡単には行かずでorz…
驚く事にラリー出場した27レビントレノ、そしてシャルマンも当然基本的にこの形式でしたからね、やはり当時のラリーストの腕は凄いです(笑)

ただ一度だけシャルマンのガチガチに固めたラリーバージョンをドライブする機会ありましたがLSDとハード化された脚は簡単にテールスライドを助長する代りに修正もたやすいものに変えてくれ構造が簡単な分素直で驚く程コントロールがしやすく限界も高まっていたのが印象深いです。

↓オーソドックスなシャルマンの脚廻り


ノーマルではお世辞にも楽しいとは言えない20カローラ→シャルマンですがこの時代としては誰でも安心して扱える素直さは持っており及第点だったと思います!


それではこれよりモデル改歴に移ります、初代シャルマンは計2回のMCを行っていますので前期・中期・後期の記載となっています。

※特別仕様、小変更など全ては網羅していませんのでご了承願います。また、一部上記解説と重複箇所があります。

(74/11)
シャルマン、ダイハツフラッグシップとして8年ぶり自主開発車として発売。

(74/12)
コマーシャルモデルの4ナンバー、商用バンを追加します。
やはりバンも旧20カローラバンをベースとしており全体的雰囲気はセダン以上にカローラの面影を感じさせますがテールの造形やRrドア~ボディ後端に伸びるセダン同様の太いラインはダイハツの主張を感じ取れるに充分のものでした!

尚、20カローラバンでは2ドアバンも存在しましたがジャルマンバンは4ドアのみの設定、エンジンはセダン同様に1200/1400(バン用は3K-J/T-J型)となります。

↓74/12~追加されたコンパーノバン以来の商用バン=「シャルマン・バン」


(75/12)
1400搭載モデル(A20)がDECS-C方式により50年排ガス規制適合となります。
DECS-Cはダイハツの規制適合システムの呼称ですが内容はトヨタTTC-C方式と同一、T型エンジンに主にエアインジェクション装置、酸化触媒を追加し昭和50年排ガス規制に適合させたもので型式にそれを示すA-が追記されまた適合エンジンのT-U型に換装、出力は補機装置により78psと未対策から8psダウンでした。

↓DECS-Cにより50年排ガス規制に適合したT-U型エンジン


↓DECS-Cの概要図


(76/2)
1200搭載モデル(A10)もT-Uと同様内容ながらEGR(排気ガス再循環装置)を追加し51年規制に適合、こちらはそれを示す型式はB-、エンジンは3K-U型となり64ps、-7psでした。

↓1200シリーズも51年対策の3K-U型エンジンに換装


尚これら対策エンジンは当然トヨタからの供給、一部排ガス対策部分にダイハツオリジナルの部分はあったようですが基本的にはトヨタはもちろんの事、当時大騒ぎになった規制適合のある意味教科書通りの対策を行っています。

基本的にはカローラE30系、パブリカ/スターレット等と同一エンジンですから出力ダウンの感覚も一緒、そのフィーリングはこの話に触れる際幾度も書いてきた通り数値以上の悲惨な状況でもはや元気さが取り得だった1200ではパワー不足でストレスだらけに豹変、1400も重々しくとてもまともなドライバビリティではなかったです。
ただ、車重が軽い分救われ上級のカリーナやコロナに較べれたら実用ユースには耐えられましたがシャルマン、そしてカローラもこの時に大幅に魅力を失っていますね(*_*;

ただこの時に出力不足からなる燃費悪化を避ける意味合いで5速MTが、そして時代のイージードライブ要求に応える3速ATモデルを追加、5MTはハイカスタム/カスタムに(1200/1400)、3ATは1400モデルに設定。

ライバル他社も同様に出力ダウンは免れないながら日産も三菱も富士重も苦労の末、規制適合に不利なツインキャブも残りましたがトヨタは全滅、見かけの豪華さに突っ走ってきた代償がこの時馬脚を現しさんざん苦言を呈されたトヨタ、以後この時の教訓から高性能エンジンや排ガス規制にも貪欲に取り組み後年~現代の地位を築いたと言っても過言ではないでしょう…

(76/11)
MCを施され中期型となります。

大きなイメージ変更は顔付→Frフェイスリフトでより高級イメージを訴求する彫の深いマスクとなりました!

同時に1400、T-U型エンジンも1200と同内容にて51年規制適合となり型式B-A20に変更、これによりシャルマンは全種51年対策モデルとなります。(バンはT-J)

またグレード追加がなされ従来のハイカスタムの上級にグランドカスタム(GC)とスポーツカスタム(SC)を設定、これまでにない超?高級バージョンとスポーツバージョンの2種でユーザー層拡大を図りました!

↓76/11~ の中期型シャルマン(1400SC)


GC/SCは30カローラから流用する13インチキャップレスホイールを装備、GCではホイールリングで更に高級感をアップ、SCはノーズ部にストライプをあしらい黒塗装のタルボ型ミラー(GCはメッキ)装備とスポーティ雰囲気をを演出、従来モデルが最高峰であっても平型ミラー、ホイールキャップだったところに一気にエクステリアを充実させていました。

内装もGCに全面ファブリックシートに高級カーペットを採用、SCはストライプ地の若々しいデザインを表現、SCではシャルマンでは初めてタコメーターも装備、GC/SCともインパネには木目採用も施され高級&スポーツイメージをここでも高めています。

↓中期型で追加された最高峰1400GC


↓1400GCのインパネ


↓中期型となってもテールの意匠はほぼ前期型を踏襲(76y中期型1200カスタム)


尚、この時に3ATモデルを廃止、5速はGC/SCのみとなりこれ以下は廃止となり4MTオンリー(SC/GCの4速もあり)となっています。

(78/3)
2度目のMCを行い後期型となります。

この時点でシャルマンはデビュー4年が経過、大メーカーではFMCが行われるモデル末期という事になりますがダイハツのような弱小&子会社化したメーカーではそれもままならず大幅なテコ入れで延命となります。

外観上の変更はお決まりのFr/Rrのリ・デザインですが顔付は全く別のクルマ?という位手が入れられフェンダーは新たなカタを起こしています。

従来型が前期~中期において逆スラントの顔付を採っていたのに対し一転してスラントノーズ化、当時カーデザイン敵には空力に有利なスラントノーズ化が流行りでこれに倣ったモノでしたが同時の流行りだった角目4灯は採用されていませんでした。

ワタクシ、丸目4灯でデザインされたモノにMCで無理くり角目4灯にするのは反対でしたがこの後期シャルマンのように顔面全面整形し更に流行りのスラント化までやったなら角目4灯にした方がバランス取れてたのでは?と今このモデル見ても感じます、スラウウントの丸目はいかにも中途半端な感じですしね、まぁ、個人的には初代シャルマンの場合中期顔が一番の好みでしたしこれに次ぐのは前期、どうも後期型はこの後このクルマの運命となる“オーバーデコレート”感が鼻に付きゴテゴテとしてしまい前期~中期にあったお洒落感が消え失せた気がします…。

後期となり新たにGC/SCとハイカスタム間に新グレードである『ラグジュアリーカスタム(LC)』を追加、これを含め中期型のインテリア、エクステリアをベースに更に豪華な味付けがなされ最上級のGCとLCはヘッドレスト別体のセパレートシート、GCではこのクラスでは例がないRrセンターアームレストを採用し一段と“フラッグシップ”さを強調しています!

↓GCに装備されたクラス初のRrセンターアームレスト


またこの他ELR付シートベルトやFM付きカセットステレオ(op)などの安全&快適装備もこの時に施されています。

↓時代の要請に応えた安全装備のELR付シートベルト


↓まだまだ8トラも残る時代にopとは言えカセットステレオと言った先進快適装備も用意!


尚、この後期型ではエンジンを換装、1200→1300に、1400→1600となっています。

1300/1600共に同様にトヨタからの供給エンジンを搭載、これも既にスターレットやカローラでお馴染である13004K-U型OHV72psと160012T-U型OHV88psに換装しています。(バン用は4K-J/2T-J)

両エンジンとも三元触媒を用い53年規制に適合したモノ、相変わらずDECSを謳いますが内容はトヨタTTCに倣っています。(型式にE-が付記されます)

↓後期型シャルマンのラインナップ







このMCでGCとハイカスタムに3ATが復活、これとシングレードの追加も併せ後期=最終型シャルマンは本家カローラにも遜色ないワイドバリェーションを実現、またエンジン換装と大幅MCにより型式をA30(1300)A40(1600)に変更しています。

この後期で81年までの3年引っ張りますがベースが70年登場の20カローラでは流石に80年代を迎えどうしようもなく古臭くこれはスタイリングも勿論ながら上述で解説してきたシャーシやハンドリング、脚など全てが時代遅れとなりました。
シャルマンに限らず長く造られる弱小メーカーの長寿モデルの哀しい性ですがベース(20)からは11年、シャルマンとしても7年経過した81/10、新世代の2代目シャルマンにバトンタッチし初代は長き生涯を終えました。

(81/10)
2代目A35/55型にFMC、シャルマン第2世代となります。

↓81/10~2代目シャルマン


(総評)
提携→子会社~合併以後、トヨタの下請けに甘んじてきたダイハツが威信をかけて“フラッグシップ”として誕生させたシャルマン、デビュー当初は予想を上廻る好評と販売台数となりましたが2年目以降はジリ貧、それでも74~81年の全台数で10万台オーバーしていますのでダイハツのような立場のメーカーとしては大いに健闘したモデルだと思います。

モデル途中からは本文記載したようにオリジナルの持つ小洒落た雰囲気はどんどん影を潜めていき分不相応な贅沢さを身にまとう悪い方向の“フラッグシップ”化したのが残念ですがこれも多くの車種を造る事が簡単ではなくましてやトヨタという親の統制下であるダイハツのモデルですから致し方ない部分も多いですからシャルマンのマイナスポイントとして計上するのは酷に感じます。

ただ、素生(前期~中期)がベースの20カローラを超える魅力があったのも事実でこの部分は残念に思います、現在では歴史的価値も見出されずほぼ死滅状態、このシャルマン時代はダイハツも輸出に好むと好まざるは別にして消極姿勢でしたから後進国等での生き残りもまず存在しないでしょう、マイナーメーカーのマイナー車ですがそれが逆に“変態度”は際立ち別の意味で今では語られたりもします(一部のマニアにですが…笑)

量販を望めずある意味カルト的立場のシャルマン、後にアプローズ→アルティスと発展しますがその思想はアプローズで華開いたかに見えましたが不幸な事件によりこれも潰えてしまい現在のアルティス=フラッグシップはカムリのバッジ違いとなりダイハツの意地は感じさせないモノに成り下がりました。

時代的に裏事情がなくともOEMが盛んの現代でもはやシャルマンのような中身は借り物でもオリジナルなモデル、そして完全オリジナルなアプローズや下級シャレードのような車造りはもはや求められないでしょう、しかしダイハツオリジナルまたはセミオリジナルでもいいのです、元々センスあるクルマ造りをするメーカーさんですのでいつの日か“ダイハツスピリット”を感じさせるモデルを見てみたい!と初代シャルマンを振り返ってそんな風に感じました(^.^)/

“変態と呼ばないで!”納得のマイナー・モデルを振り返る・『A10/20/30/40型初代ダイハツシャルマン』編……終


※次回は続いて『A35/A55型2代目シャルマン』編を第5弾としてUPする予定ですが時期未定です(^^ゞ
Posted at 2017/12/09 16:59:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 変態車 | クルマ
2013年12月05日 イイね!

保存版・ 珍車PART350

保存版・ 珍車PART350珍車350弾はこんなクルマを取り上げました!

⇒『1993年(平成6年)4代目N14型パルサーGTI-R』!!

これもすっかり見なくなりましたよねー、比較的近年のモデルながらクルマがクルマだけにラリーにダートに遣い潰されて息絶えたか!?って感じですかね…

御承知のように日産が並々ならぬ熱意でWRC参戦目的に開発したラリーウェポンでありこの頃でも既に珍しい小さなボディにデカい排気量+I/CターボDOHC16バルブ(SR20DET)、そして日産御自慢のアテーサ(4駆)で武装、今で言うコンパクトカーに2L 230psを搭載した正にモンスター!

60~70年代ではこうした“即席ハイパワーマシン”の存在は数多くスカイラインGT-B、RにファミリアRE、マークⅡGSSやTE27レビン/トレノ等ぱっと思い付くだけでもどれも「名車」の名を欲しいままにしていますよね。

ただ、この手法は安直にスゲェ車が造れる反面、基本設計が大衆車だったりハイオーナーカーだったりでよほど綿密にハイパワー化に伴うリスクも見つめなければならず様々な問題も発生、結局は80年代になると第二次ハイパワーブーム~スポーツカーブームにより専用設計が主軸になっていきこのような手法は廃れ気味になるのですが80年代末~90年代初頭にかけて起きたWRCブームの影響からホモロゲ取得の兼ね合いもあり再び各社、ベースの市販車を大幅にテコ入れしてWRCマシンを造り上げる、と言った方法を採りマツダファミリアや三菱ギャラン、スバルレガシィやU12ブルなんかがそういった類の代表でした…

そんな中、日産がU12以上に戦闘能力を高めさせてデビューさせたのがGTI-R!!

エクステリアからして一般のパルサーとは印象が異なりハチの巣のような?独特な形状のボンネットのパワーバルジ、巨大な(当時としては)Rrスポがいかにも“ワル”の印象(笑)
U12ブルより格段に軽くpsはそれを上回る230ps、ベースモデルではとにかく競技に必要なモノは全て装備されLSD、クロスレシオミッションにボディスポット増しなどラリーストにはたまらにモデルでしたし限定販売のGTI-R NISMOとなると更にロールバー、強化サスなども奢られていました。

ただこれはワタシも何度かハンドル握りましたが速いのは間違いなく速いのです、しかしFrヘビーの印象は拭えずアテーサ4駆の制御も個人的にはイマイチで回答性が悪く似たようなモンスターのファミリアGT-A等と較べ取り回しに難がある感じ、E38/39ギャランも曲がらないですがこいつもスピードが乗ると“曲がらない止まらない”の印象が大きく早く言えば大パワーにシャーシが負け制御系も追い付いていない感じでこいつを乗りこなし競技で速く走らせるには相当のGTI-R慣れ?が必要に感じました。

昔のGT-Rのようにその“乗りこなし”が楽しくなるようなドライブフィールならまだいいのですが下手に近年でコンピユータ制御もかかるせいかどうしてもその操縦性は個人的生理的には合わずでしたね~。

案の定WRCでも日産によくある小さいボディ+大きなエンジン=冷却不足、長時間ドライブでのヤレや走破性の限界低さなどが露呈、目立った成績は数えるほどで早々と撤退しファンをガッカリさせたものです(*_*;

そんなGTI-Rですがそのクセモノ?のパフォーマンスは峠の走り屋さんやプライベートラリーストには好まれ現役時代は結構見かけたモノですがやはり扱い方がそうしたマニアは手荒いですからね、早々と死滅し現代ではマトモな個体はそう残っていないだろうと推察します。

さて、現車ですが先記のような荒い使われ方をするこの手のモデルとしては比較的マシ?な状態に感じます。
R点内外Cという評価で走行も14万㎞オーバーですから無理はもうそうはさせれませんしエンジンや駆動系に関しては何らかの不具合も予見しなければならない状況に思えますがまだ致命的な不具合は出ていないようで今後の愛情のかけ方によりまだまだ延命はできる感じです。

↓カマ掘られたのが逆カマかは知りませんがRrの修正がどこまできちんと直ってるかですね、E/g関係には不具合記載ないので取りあえずはまだ大丈夫かな…


↓室内の状態は画像の限り悪くないですね!


出品車は一番出た普及型GTI-Rのようでエアコン以外の快適装備=各パワー装備標準装備のモノ、ワタシがかつて何度か乗ったのもこれですが当時コンパクト扱いのパルサーであっても幅は5ナンバー枠一杯の1690mmでしたから全長が短いHBモデルの分差し引いてもU12やE38/39と取り回しは大差なかった気がします、明らかにファミリアや後の第一世代のエボインプより軽快感は薄かったですね、その分室内は“コンパクト”としてはかなり当時の水準でも広かったですが競技に居住性はさほど関係ないですからもう少し小さく軽ければこのクルマの活躍も違ったのでは?と感じます。

↓Rrビュー、今見ればさほどですが当時のHBモデルでこのRrスポは衝撃的でした!


外装C評価の事ながら黒のボディはクリア剥げもなく大きな凹や傷も画像の限り見受けられませんしね、しつこいですがこの類のクルマとしては外観の状態はイイと思います。

出品は雪国長野から、落札は意外と低く20万に届いていません…

やはり現役~その後の評価が例えばR32のGT-R等のような伝説的な部分がなく“名車”になり損なった感がありますがこれも店頭プライスでは検整備と利益で多分4~50万は付くかな?マニアならその額出しても買うでしょうし…

ただ、これも絶対的生息が絶望的になってきているようですし数年後には化ける可能性は大だと思います!

↓Frまわりも往年の迫力と“ワル顔”は失っていませんね!当時でも没個性が謳われていた時代にこれは個性的でした。


気合の割に競技では華開かず草ラリーや走り屋の格好の餌食となったGTI-R、イメージ的にはかつてのスカイラインGT-Bのような“羊の皮を”を目指した?のかもしれませんがやはりTE27レビン/トレノのようにアッと言わせる競技での好成績も残せずいささか“ゲテモノ”的に見られがちの部分もありましたが今やこれも貴重品、できれば余生は大事にメンテされ間違ってももう競技で酷使される事なく平穏に長生きして欲しいと願わずにはいられませんですぅ(^.^)/
Posted at 2018/08/16 18:17:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ

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