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元Gureのブログ一覧

2014年06月09日 イイね!

保存版・ 珍車PART415

保存版・ 珍車PART415今回のお題、スバリストさんお待たせ致しました!って感じのコレ

⇒『昭和61年(1986)3代目AL5型スバルレオーネツーリングワゴン1.8スーパーツーリング』!!

3代目レオーネはここでも何回か取り上げましたがこれの中でも一番好評かつ般的人気?も高かったツーリングワゴンは初めてのご紹介!

後続レガシィで空前のステーションワゴンブームを作りそれまではバンと混同され敬遠されてきたワゴンの新境地を拓きましたがそのベースはこのレオーネツーリングワゴン(T/W)、過去ブログでも散々記載した通りスバル1000~2代目レオーネまでは熱狂的スバリスト以外にはその独特なスタイルや機構が万人受けするものとは言えず“変わったクルマ”的イメージが大きかったのですが一早い4WD乗用の一般訴求などは熱心でしたので2代目のT/W辺りから4WDモデルが注目を集めていました。
そして更にそれまでのアクの強さが控えめになった3代目ではセダンやクーペ、そしてT/Wもそれまでの富士重デザインではないシャープさ、お洒落さを纏い90年代に向かう好景気の中、RVブームもあり
T/Wはアウトドア派に注目、その流れがバブル突入と共に次期型レガシィにそのまま継承、レオーネ以上にワゴンの究極を目指したレガシィT/Wの他を寄せ付けない爆発的人気となっていました!

さて、レオーネT/Wは84年、セダン系のMCにやや遅れてデビュー、これは先代がそこそこモデル末期でも台数を稼いでいた事と生産調整もあったのでしょう…

3代目は初代レオーネ以来伝統のサッシュレスドアを継承、直線基調のクリーンでシャープなスタイリングはボディ車型に関わらず非常にワタシみたいな凡人、スタイル派にも好感が持てる出で立ち。

特にT/Wは先代の好評であったアップルーフを継承、1.8Lクラスのこの類もモデルでは非常に広大なラゲッジを持ち余裕のある世の中でクルマを余暇にも活用しよう!と世が謳い出したこの時期にピッタリとハまるモノで現役~後年も比較的一番多く見れたのがT/Wでしたねー。

セダン系も随分一般的にはなりながらどうしても“スバル”“レオーネ”には一種、一般人には近寄れないイメージもありましたからその中でワゴンは異端児?までは言いませんがワタシの仲間でも「レオーネ?あぁ、ワゴンなら乗ってもいい!」って言う意見、ワタシも含めて多かったです^_^;

現車をここで見てみますがよくぞ頑張った22万㎞!EA81型水平対向は永年守り通した?先代までのOHV→OHCに進化、相変わらず例の♪ドコドコドコ~は健在でしたが先代までのモノと較べるとOHCの恩恵か高回転の伸びが劇的に気持ち良くなっていたのを憶えています。

T/Wはこれに加え4独、しかもRrはありがちなストラットではなくセミトレのしっかりしたコストのかかった形式でやや柔らかすぎるキライはありましたが乗用ワゴンとしては及第点だったと感じます。

↓お疲れ様の実走22万㎞オーバー!ここまで飛んだEA型エンジンって経験ないのですがパーツはまだ出るでしょうしO.Hでまだまだ延命可!?


R点で前ヒット、後遺症もあるようですが特に大事ではない様子、ただOIL漏れやドラシャも×な様子なのでそれなりに修復には予算必要ですね~。

しかしこの型のT/Wも全くと言っていいほど見なくなりました、まだ旧車価値としては出ていない感じながら程度のいいモノであれば“マニア向き”のセールス文句が付き結構なプライスボードを掲げているよですしこれからは跳ね上がるのみでしょう…

↓C評価の室内、28年モノですからね、極上部類でしょう!


レオーネを語る時はどうしても元祖“AWDのスバル”ですからね、永らくパートタイムで4駆をリードして来ましたがWRCで脅威の強さを見せたアウディ・クワトロに端を発し世界的にフルタイム4WDが主流となり日本ではこれを初採用したのがマツダ、ここに先を越された更にフルタイムのAT化も遅れを取り“元祖”の面目も怪しくなりかけましたがラリーのような競技の世界では別として生活4駆としてはパートタイムの方が理に叶っている部分もありましたしね、初期はパートタイム方式ですが何らレオーネの魅力を失うモノではなかったと思います。

↓外装も未記載ですがCレベルは行く感じ、プラ部品の経年変化のヘタリが見られますが塗装はまだしっかりしてますね!


余談になりますがT/Wは商用バンとボディを供用、いすゞにも『 ジェミネットⅡ 』としてビッグホーンとの相互OEMで供給しておりワタクシの地元神奈川ではいすゞ関係企業も多かったのでレオーネバンよりこちらの方を見かけた度合いも多かった感じ、勿論T/Wはスバル専売でしたが提携していたいすゞの工場社員PにはこのT/Wも多かったですね、当時は。

↓凹、大傷も画像の限りはナシ、マニアにはお宝になる可能性大きいですね!


出品は北関東と思いきや岐阜!お膝元の群馬やその近県茨城栃木の会場でもまず出品もないですが岐阜とかって意外…。

落札額は両手をやや下回る感じでやはり機関の不具合や距離的に不安要素もあるからでしょう、しかしこれがもう少し距離浅でしたら価格の伸びは間違いないでしょうしやはり“マニア向け”でいい値段を出せる希少車になってきていますねー(^.^)/
Posted at 2018/03/11 14:48:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | スバル | クルマ
2014年06月06日 イイね!

保存版・ 珍車PART414

保存版・ 珍車PART414昨日の“大衆車ベストテン”に刺激された訳ではないですが今回はその大衆車部門から!(^^)!

⇒『昭和60年(1985)5代目AE81型カローラセダン1500SEサルーン』!!

現車、理由は分かりませんが不動車ですね~、外観もどこかの放置車輛の体を示してますし10~15年前なら文句なく解体屋さんに直行って感じ…

それでも今や貴重な80カローラですから部品取り?レストアベース?を見込んで出品されているのでいょうか…輸出には強い旧いカローラですが不動、しかもAT、これでも立派に落札されていますがE/g載せ換えorミッション載せ換えても利益の出る国に渡るのでしょうね~。

70→80へのFMC時、ワタシはちょうどカローラ店でバリバリセールスしていたのでこのモデルは印象強い!と、言いましてもいい印象ではなく悪い印象だけ(+o+)

Jアローのデザインなのですが珍しくこれが不評、保守層がユーザーであるカローラの中ではかなり冒険したデザインがまずは大不評、先代の70がシャープなデザインで好評でしたのでネ、ファミリーカーとしては70より決定的な有利であるFFになりなながら全てがスタイルで新型の評価はブチ壊し、展示会でもお客さんから「何でこんな変になったの?」とよく聞かれたモノでした(汗)

クーペ系は今では“ネ申”とされるあのAE86、4A-GEのレビンが走り屋層にハナから注目、持て囃されますがセダン系は最後まで売れなかったですねー、ライバルのサニーもこの頃はB11で不調でしたのでシュアNo1の座は降りなくて済みましたがワタシなど不良営業マンは自分が嫌いなモノだからカローラ買いに来店したお客さんにカローラⅡを勧める始末!それでお客さんもそちらを買う方も多かったですよ、ワタシのいた店では(笑)

スタイリッシュ、低価格、当時流行のHBという事でカローラが売れない分カローラⅡAL20を随分売り上げて救われましたが先代70がモデル末期なのに労せず納められたのに対し80カローラは苦労させられました。

↓内外D、評価3は全ては走行距離だと思います、これも走らな過ぎの実走8329km


29年で8000㎞って何なんでしょうね、こんなんなら絶対レンタカーやタクシー使った方が安い!!

特に記載もないので実走と推測、不良箇所に“バッテリー不良”の文字がある事から案外これでE/gが掛からないだけの不動かもしれません、8000kmで少なくともE/g関係のトラブルじゃない、放置が永く燃料系か駆動系の固着…

↓D評価ですがインパネは綺麗な状態だし生活感があり長期放置って感じではないですが…


カローラセダンと言えば折があれば触れるGTの存在、セダン系には先代から追加(TE71)、80になってFF変換もあり当初GTはカタログ落ちします。

FFに慎重だったトヨタはDOHCは当面FRにしか載せないと発表、このためカローラ以外のカリーナやコロナもFFとFRの両方をラインナップ、DOHCはFR専用としていましたが84年から80カローラベースのHB、『カローラFX』がデビュー、これは当時流行であった“HOTハッチ”戦線に乗るためのモデルなのでFFでありながら下の根も乾かないうちに4A-Gを搭載するGTを設定、これを機にセダンにもGTが復活しこの時は一定の注目を集めました。

セダンGT、しかしこれも鳴かず飛ばずでしたねー、FXのGTはブームにドンピシャ!でバカ売れしましたがセダンは全く売れずって感じで今や超希少車!後続90系~111系までGTはラインナップされどれもいぶし銀のシブさが語られる中、80のGT(AE82)は存在すら知らない方も多い様子で今でも「80カローラにGTあったんだ!」なんて驚く御仁もおりますしね(^^ゞ

↓グレードは推測ですが上級グレードの「SEサルーン」と思われます!


現車、外装Dはもっと酷いんでない?って感じですが凹がない分いい評価なんかな?Fr/Rrともフェンダーの錆が酷いですね。

ただこの時期のトヨタの大衆モデルは錆にはとにかく弱くワタシの乗っていたTE71レビンも7年でフェンダー裏や窓枠が酷い事になりました、毎週休みには洗車してWAX掛けてと今のモノグサおやじにはないマメな手入れしていたのに(*_*;

↓生かすなら再塗装は必須ですが凹が見える範囲に見えないのが救い?


出品は神奈川、落札額こんなのでもカローラは強いですね、解体価格を遥かに上回り片手以上両手以下のレベル、やはり外人さんかなぁ~。

個人的には歴代カローラの中でも苦手な80ですが今やこれも希少な存在、不動が大した事なく蘇って欲しいモノです(^.^)/
Posted at 2018/03/11 15:19:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタ | クルマ
2014年06月06日 イイね!

保存版・大衆車“ザ・ベストテン”

保存版・大衆車“ザ・ベストテン”
性懲りもなくまだやるワンパターン企画“ザ・ベストテン”!!
今回は『大衆車』をお題にしてみました~(*^^)v

“大衆車”、もう現代では死語ですよねー、いつ頃までこれ言っていたかな?と振り返ると90年代の後半、それまでのファミリーセダンがワンボックスやミニバンに取って代った時期…?
いやいやその頃でも使っていない、断定はできませんが多分90年代の半ば位までかな!?と感じます。

言い始めはマイカー元年と言われた初代B10サニーやKE10カローラがデビューした65~66年、軽自動車から一般庶民に広がった“マイカー”という文化はこの2台の出現により“1億総マイカー族”と云われる程爆発的に普及、浸透した事により広く一般大衆が求めた(求められた)クルマという事から【大衆車】と呼ばれるようになった訳ですネ!

別のいい方ならばお馴染“ファミリーカー”なのでしょうしこれは今でも聴く言葉、個人的Gure的分類で恐縮ですが『大衆車』と『ファミリーカー』って似て非なるモノ、もちろん広いククリで言えばファミリーカーの中に大衆車は含まれますが大衆車と言えるのは原則正統なる3BOXの2/4ドアセダン、悪くても2BOXでもHBでないもの、排気量は1L~せいぜいこれをスケールUPした1.6L位の普通のエンジンを搭載したモデルだと思っています^_^;
このためツインキャブやらDOHCやらインジェクションのスポーツグレードなんてとんでもない、あくまで普及型エンジンを載せ現役時代はそこらじゅうに生息、下手すりゃ向こう三軒両隣が色違いの同じクルマなんて事も決して少なくなかった70年代が主流になりますかね?

80年代以降はこれに被る“ファミリーカー”である2BOXのハッチバックモデルも台頭、大衆車と呼ばれた車群からもこれの派生は産まれましたがココでは前述の定義に従ったベストテンでやってみたいと思います!


さぁ、今週の!?第10位!!

【マツダグランドファミリアSTC型他(1971~1978)】


グランドファミリア(Gファミリア)、40代以上の方しか分からないでしょうね(汗)
このクルマは71年、コスモ→ファミリア→ルーチェ→カペラに続きマツダRE政策第5弾目のモデルでそのパフォーマンスを最大限にアピールするサバンナのレシプロ版としてラインナップされました!

ボディはスポーティなクーペと保守的な4ドアセダン、他にバンと当時の車型のオーソドックスなバリェーションを揃えています(いずれもサバンナとボディ共用、但しサバンナはバン→ワゴンとしてラインナップ)
当時大衆車カテゴリーには歴史を持つファミリアが存在しておりましたので正直デビュー時のGファミリアはパッとしない存在、排ガス規制やOILショック前夜でまだまだ日本が1psでも上、10㎞でもMAXスピードが高い方がイイ車と信じられていた時代に出で立ちだけはサバンナの派手派手さを持ちながらファミリアプレストのレシプロ1.3L 87psと言う何の変哲もない、速くも何ともないエンジンを搭載したGファミリアは上級になるためファミリアよりは車輛価格は高いしサバンナのような劇的アピールもなくどっち付かずの半端なイメージが新型車であるにも関わらず注目、話題は同時発売のサバンナに集中、極端に言えば殆ど見向きもされないモデルでした…。

そんな不幸な?Gファミリアですが73年のOILショックで燃費が著しく悪いREは大打撃を受けサバンナもレースでの大活躍を他所に売れ行き、人気は激減、そして下級の大衆市場ではネームバリューのあった従来型ファミリア(2代目)が67年発売から既に6年を経過し商品力が衰えた事などがGファミリアには幸いしこの頃からクーペはサバンナの影武者的に、そしてセダンはファミリアセダンに代るマツダの代表的大衆車として見直されこの頃から街行く同車の姿を多く見かけるようになりRE普及を前提に車種展開を行っていたマツダのある意味?救世主の如く売れ行きが伸び始めファミリアのターゲットであるカロ-ラやサニーよりも元々ひと回り余裕のあるボディを持っていたのも幸いし上級指向のフユーザーには一定の注目と評価を得ていました。

何せOILショック以前は軽とこのGファミリア以外ではREを大々的にアピールしてきたマツダ車の中で唯一“レシプロ”専用として売っていましたからね、ガソリン喰い、スポ-ティが昨日までとは180度変わってこれが“罪悪”と言われるマスゴミのネガティブキャンペーンの中、この影響をモロに被り苦しむマツダの一筋の希望だった訳です。

この事から以後充実化が図られより余裕のある1.5Lモデルの追加(後に1.6Lへ格上げ)や大規模なMCなどで商品力を高め77年までの永い寿命を生き10年ぶりにFMCした3代目ファミリアデビューまでマツダの大衆車部門を守り切ったGファミリア、数奇な運命、人(車)生を歩んだモデルとして世間とは逆に忘れられない1台なので堂々10位とさせて頂きました(*^^)v


続いて第9位!!

【三菱初代ランサーA70/140系(1973~1979)】


三菱が本格的に大衆車市場に参戦したのがこの初代ランサー、それまではコルトシリーズで1L前後の排気量モデルも存在しましたが60年初頭の設計で新鋭カローラ/サニーには全く歯が立たず細々とコルト、そして69年発売のコルトギャラン(A50系)の低グレードでこれらと張り合いますがギャランはライバルよりは一段車格は上、値段的にも不利であり73年のこれのFMCで一気に2Lクラスへの格上げに伴い空きの出来た下のクラスにランサーを投入、この頃にはライバルも1Lで始まりながら年々にグレードUPで1200/1400が主流化、ランサーもここにターゲットを据えて本格参戦しました。
しかし菱ヲタをこれほど自認するGureですが初代ランサーはラリーで一世を風靡した1600GSRは別格としてとても好きになれないモデル、70年代になりそれ以前のデザインは無いに等しかった三菱がギャラン、同GTOやFTO、ミニカ70等でデザイン的に大変革を見せ大歓迎していた最中、ランサーは60年代チックのカエルのように飛び出た目玉、何のしゃれっ気もないスタイリングは朴訥で田舎臭くまた60年代の三菱に戻ってしまったかのようでガックリが第一印象でした。

しかしギャラン譲りのパワフルなサターンエンジンやネプチューンエンジン、軽量ボディ、ハンドリングには定評あった三菱らしくシャープなドライブフィール、大衆車として合格であるリーズナブルさと大人4人がしっかり座れる室内と充分なトランクルームはあまりスタイリングに五月蠅い事を言わないこの類のユーザーには概ね好評でカローラ、サニーに次ぐ大衆車第3位の売り上を記録、ラリーばかりが注目された走りのランサーですがそのイメージ戦略は成功し少し腕に覚えのある?玄人ユーザーが選ぶ大衆車としての地位を安定させていました!

排ガス規制の混乱もありこのランサーも6年間ラインナップされましたが最後まで“玄人好み”の味は失わず一定の販売量を確保したのは立派!個人的には数ある三菱車の中でもあまり萌えないモデルですが高度成長期に“三菱車”の拡販に貢献したのは事実なので敬意を表して9位
に挙げました!!


さぁ、8位行ってみましょー!

【ダイハツコンパーノベルリーナF30/40系(1963~1970)】


このモデルは正確に言えば“大衆車”という言葉が産まれる以前、63年に発売した老舗?のファミリーカーでした。
この頃のダイハツはトヨタグループ参入前の独自なる立派なメーカー、50年代は庶民の足として持て囃された軽自動車でしたが60年代になると各高速道路の開通もありましたし何より平均の4人家族で乗るには寸法的に辛い…という不満がチラホラ聴こえ始めた頃、時の通産省から提唱された“国民車構想”を具体化する研究を各社行い一つの着地点として従来の軽よりワンサイズ余裕を持たせ排気量は700~800ccという回答を各社具体化、それがトヨタパブリカ(UP10700cc)、マツダファミリア(初代 800cc)、そしてこのダイハツコンパーノベルリーナ(800cc)でした!

まだまだ貨客兼用車=バンを平日は仕事、週末はレジャーと使い分ける文化がある時代(要は乗用専用なんて“贅沢は敵”の考えが残っていた時代)でしたからパブリカは除きファミリアもコンパーノもこのバン型からスタート、両者ともにこれの売上が順調である事を見極めてセダン版を出してゆきました。

そんなコンパーノベルリーナ(コンパーノだけですとバン/トラックのネーミング、ベルリーナがセダンを表します)パブリカが当初、あまりにも質素過ぎて失敗気味の中でP・ファリナによるモダーンなスタイル、欧州車のように洒落た内装が人気を呼びファミリアとともにマイカーブームの前夜に広く“普通車”というカテゴリーを庶民に提唱した功績は大きくこれらの成功が後のサニー、カローラを産んだと言っても語弊はないでしょう。

マイカー元年の前後にはこれに呼応するべく排気量を1Lにまで拡大、激戦にも敢えて飛び込み2大メーカーの狭間で一定の評価を得たのも立派!創意工夫に溢れ大企業下請け前のダイハツの底力を感じさせるモデルであり現在ではマイナーメーカーではありますがコンパーノベルリーナ、8位は相応しい立位置だと自負します!(^^)!


盛り上がってまいりました(汗)第7位!!

【6代目日産サニーB12型(1985~1990)】


“トラッド・サニー”で有名なこの型、第2世代(FF)サニーの中では在任時期が丁度バブルに向かう好景気の最中でしたので売れまくり街角を走りまわっていました。

65年に“大衆車”の火付け役になった初代B10型サニーから常にライバルのカローラと切磋琢磨、代を追うごとに大型化し豪華にもなり81年の5代目B11からは新世代の大衆車としてライバルに先んじてFF化を断行、残念ながらB11の時代はまだ早過ぎたキライもありまだFRだったライバルの後塵を仰ぐ結果となりましたがFFが浸透した85年のFMCでデビューしたB12は古臭くも日本人には安心して手の出せるオーソドックスなスタイル、幅広い車種展開、マーチ以上ブルーバード(オースター/スタンザ)以下の保守的立位置を忠実に守りながら先進性もアピール、この時期カローラも強かったながら先代B11で水をあけられたシュアを取り戻す実力を発揮し国
内のみならず海外では『セントラ』の名前で全世界に広く普及、個人的にも嫌味がなくクリーンなスタイリングがツボでした!

そんなB12ですからもちろん大衆車に要求される機能は完璧、クーペやワゴン(カリフォルニア)や高性能ツインカムエンジンやDe等も充実していましたがメインである1.3/1.5Lエンジンは万人に何のストレスを感じさせる事なく扱え役割を充分以上に果たしたモデルだと思います。

歴代サニーの中でもTOPクラスの評価を得ているB12、強力ライバルが多く7位としましたがそれ以上の順位でもこれはおかしくないです(*^^)v


どんどん行きます、第6位!!

【2代目マツダファミリアFA3型他(1967~1977)】


コンパーノベルリーナと共に大衆車ブーム第一ラウンドである800ccクラス普及の王者となったファミリアは67年、先代で1LまでスケールUPしましたがこの時のFMCでサイズ拡大と後発サニーカローラに先んじて1.2Lをラインナップ(従来型1Lもアリ)、イタリアンな洒落たスタイルはRrホイルハウスをハーフにしたりボディ一体式バンパーなどデザインにはお遊びながら目新しさも取り入れ幼少だったワタクシ、失礼ながら単なる田舎のイチメーカーとしか認識しかなかったマツダ(当時東洋工業)の作品と知ってかなりの衝撃を受けたのを憶えています。

この後コスモスポーツやルーチェREでその認識は完全に打ち消されましたが初代ファミリア時代はいい悪いは別にして50年代の古臭いフラットデッキスタイルを用いどことなく垢抜けなかった印象があり2代目デビューでは他に類を見ない新しさに目を見張ったモノです。

この型のファミリアはどうしてもハイパォーマンス、身の丈に合わない“ファミリアRE”につい目が行ってしまいますがレシプロの素のファミリアも前述の近代的スタイル、当時の強力ライバルにはない余裕の排気量でこの時代の大衆車に求められるモノ以上の魅力があったと思います!

ただこのファミリアは永く作り過ぎましたね~(+o+)
マツダとういメーカー事情から70年のカペラ、71年にサバンナ/Gファミリアと立て続けに新型車をラインナップした関係上、ファミリアにまで手が廻らなくなり余裕が出たか?と思えた73年にはマツダにとっては地獄のOILショックが到来、70年にサブネームに『プレスト』を付けて大規模MC、73年にはボディ拡大等の手は入れますが既にデビューから73年でも6年を経過、この間にカローラサニーは2度のFMCを断行、三菱からはランサーという新ライバルがデビュー、スバルも1000/ff-1/1300GをレオーネシリーズにFMCして臨戦態勢を整える中、ファミリアは忘れ去られた存在になってゆきます…。

まっ、10位の項で申し上げたようにこれの代役はGファミリアが立派に勤めましたのでファミリアを酷評する気は毛頭ございません、しかし不幸な出来事がなく順調なるFMCでボディ拡大などの小細工ではなく新型ファミリアが出ていたら当時のパニック前のマツダならきっと魅力的なモデルになったろうな~ と妄想します!


☆☆☆~今週のスポットライト!!~☆☆☆
今一歩、惜しくもベストテンに入らなかったモデルはこちら…

【富士重工スバルレオーネ(初代1971~1979)】


前々回のマイナー&変態車“ザ・ベストテン”で堂々8位にランクインした初代レオーネ、今回は惜しくも圏外ですがベスト11は大健闘!!

そちらでも書きましたが決して万人受けではなかったスバル1000/ff-1/1300Gの精神を継続しながら流行も取り入れ何とか特殊?なスバリスト以外にも拡販しようと頑張った富士重、結果これも成功とは言えないモデルになってしまいましたが大メーカーに負けない車型展開や幅広い搭載エンジン、そしてFF先駆のスバルらしくこだわった造りからなる大衆車レベルを超える室内空間と走破性、パイオニアである4駆セダンのラインナップは雪国大衆車の地位を欲しいままにしていましたしね、レガシィ、インプ前の富士重1のメジャーなレオーネ、先代に比較できない知名度を残し実力的には大衆車を超えた大衆車であったと思います!


さぁ、ベストテンに戻ります!今週の第5位!!

【初代トヨタパブリカ800UP20系(1966~1969)】


クラウン、コロナで着々と乗用車市場で存在感を示していた昭和30年代前半のトヨタ、“国民車構想”提唱をチャンスに捉えこれの具体化に着手、その回答がこの初代パブリカであり従来の庶民の足であった軽自動車に代る普及を目指しました。

内容の割には軽とほぼ変わらない廉価さで一気の普及を目論みますが世は高度成長期、せっかく軽を卒業し普通車に乗る層には少しでも立派に見え贅沢さも感じたい、それが当時の庶民の夢だった事から発売直後のパブリカは低価格実現のため無駄な装飾や贅沢装備の一切ないシンプルさが受け入れられず商業的にはパッとしませんでした。

うちにも初期UP10があり幼児ながら憶えているのは水平対向の空冷2気筒エンジンは冬場はクランク棒でないとかからずやっとかかっても白煙モクモクで♪パパパパ~ンとやたら五月蠅くそこらにある軽となんら代りに無い代物って感じでした…。

そんな中、後発のコンパーノベルリーナやファミリアが軽にはない華やかな雰囲気を得てデビュー、人気を得て行くのに慌てたトヨタ、パブリカにまず内外装の充実化を施した“DX”を追加、その後の66年には大幅改良しエンジンを100ccパワーUPしライバルに遜色ない800ccとし基本ボディはそのままながらFrとRrの意匠を大幅に高級感を与えたUP20系にBigマイナーを行いました。
このMCは大成功、見栄も走りも良くなったパブリカは前年発売された元祖大衆車であるサニーをUP20直後に新発売したカローラで挟み打ちする作戦を取りこれが当り1000ccのサニーに“+100ccの余裕”でカローラを訴求、それでも価格的に難を示すユーザーには排気量が小さいのみで装備面では何らカローラサニーに劣らないパブリカを提案、UP10時代には考えられない急激な販売増を実現しました!

大衆車とういう言葉の無い時期に試行錯誤したUP10と大衆車ブームにMCされたUP20、どちらも基本同じクルマなのですがより庶民に訴求力を高めたUP20が5位に相応しいと思います、軽の代替だけでなくあくまで庶民に夢も与える、そんな“大衆車”に合致するのはやはりUP20だと思いますのでこれ限定の順位とします!


いよいよ上位に行きます、第4位!!

【6代目トヨタカローラE90型(1987~1991)】


第2世代No1のサニーがB12ならカローラのそれは間違いなくこの6代目90系だと思います。

90カローラ、従来型カローラの有名な所謂80点主義を返上、クラス最高を目指し開発されただけありその品質、仕上がりはデビュー時、「これがカローラか!」と思わせる程の出来映えで多くのヒトが持っていた“カローラ”に対する概念を変えたモデルでした。
B12とほぼ同時期でやはりバブルに向かう好景気の時代でもあった事もあり上級マークⅡやグレードによってはクラウンをも彷彿させれる豪華さには初代KE10から知るカローラユーザーには驚きのモノ!車型、搭載エンジンやグレードなど全ての面で他社をリード、売れに売れまくり品質の良さを実証するかのように現在でも流通の場には少なくない数が出てきます。

開発資金が潤沢の中で最高のクオリティを与えられた90系、数あるカローラの中でもこれは販売・実力ともNo1だったと感じます。
この頃になると“大衆車”という言葉も風前の灯、ここまで立派になった90カローラには似つかわしくない言葉でもありましたがそれとしての役割は十二分に果たしたのは言うまでもありません!


ベスト3に入ります!今週の第3位!!
【4代目トヨタカローラE70系(1979~1983)】


カローラが続きます^_^;
E90が第2世代の最高のカローラだとしたらFRの第一世代のカローラの中ではコレがNo1だと信じて疑いませんネ!

エンジンの一部や思想には初代KE10から継承する部分も多々ありましたが確実に進化、進歩、もはやこのクラスでFRを採る事が限界であった時代にその古典的レイアウトの中、大衆車として最高の内容を与えられていたと感じます。

ワタクシ、これ売ってましたからね、先代の当時旧態以前としたE30~50系と較べサイズこそ僅かに拡大していますが同じFRレイアウトとしては比較にならないRrの居住性やトランクの積載力には30との圧倒的設計年度の開きを痛感した反面、同じFRでここまで進化するか!と驚愕、スタイルも個人的に好みの直線基調でスッキリと嫌味のない味が好きでしたしね、次期E80型にFMCした時はFF化された80に当然広さの面では敵わないながらも敢えて変える程の恩恵も感じず勿論激戦区ですのでFF化は必須ではありましたがこのクラスのFRセダンの極限をも実現した70、名作だと思います。
90より順位が上なのはワタクシの独断、てか単にワタシがFR世代である事が大きく影響していますネ(^^ゞ


とうとう来ました!第2位!!
【2代目サニーB110型(1970~1973)】


B110サニー、個人的には全てのサニーの中でこれがNo1だと思っています。

B110は軽量、癖がなく素直な特性のドライブ特性、オーソドックスなFR機構、名機と言わしめたOHVとは思えないパフォーマンスを持ちつつ低燃費のA12型エンジンなど数えきれない魅力がつまったクルマ、素性がいい事から競技でも大活躍したので現在ではかつての代表的大衆車としてよりスポーティなクルマ、弄り甲斐のあるクルマ!として持て囃されついついそのスポーツ感性にばかり目が行きがちですが大衆車としてもなかなか秀逸でデビュー時“隣のクルマが小さく見えまぁす”とKE10カローラを揶揄したように当時としてはクラス最高の居住空間を提供、2/4ドアセダンに若者向きクーペ、コマーシャルカーとしてバンとトラック、そして高級指向のエクセレント1400(L14型搭載)もラインナップ、我儘なユーザーのライフスタイル、好みに可能な限り応える努力は激戦区での辛さと日産の頑張りを感じ取れたモノです。

どの車型でもどのエンジンでも万人に難なく扱え何らストレスを与えない出来映えは当然ですがライバルのカローラに較べそれだけではなくドライブする楽しさ、悦びを与えておりカローラよりも退屈さを感じさせずかつ経済性も上回り販売では追い付けずともクルマとして、大衆車としては同時期の20カローラを上回っていたと思っています。

販売力で負けより戦闘力Upの為、僅か3年で次期型にバトンタッチされてしまいそのせいかGXなどのスポ-ツグレードを除き比較的早く市場から消えてしまった感もありますが今となっては勿体無い話ですよね~…(+o+)


さっ、そしてオオトリ!今週のTOPを飾るのは!!

【初代トヨタカローラKE10型(1966~1970)】


大衆車の代名詞であるカローラ、それを名乗ったのはB10サニーが先かこのカローラが先かは論争の分かれるところですが一番その言葉を言われパッと思い浮かぶのはKE10に相違ないでしょう…

軽量ボディと元気な1Lエンジン、シンプルさで一般庶民にアピールしたB10サニーに対しその戦略をじっくり研究、後発のためサニーに欠けていた“豪華イメージ”そしてそれを具体的な形とした1.1Lエンジンの搭載、シンプルなノッチバックセダンのサニーに対しグラマラスなセミファストバックの流麗なスタイルでデビューしたKE10はサニーを圧勝、当時子供ながらに見ていたワタシら世代は小さく、何となく貧相に見えたサニーよりカローラに注目した御同輩、多いと思います。

後年この2車を乗り較べれば100ccの余裕どころか絶対数値は100cc低いサニーの方が走りは上で軽量さと元気なA型エンジンの実力を思い知りましたが当時、見た目で判断する日本人、特に大きく贅沢に憧れた高度成長期でしたのでトヨタの作戦勝ちはアッパレ!だったと思います。

これはパブリカ700での失敗を活かしたトヨタの戦略でカローラ以後410ブルに対するコロナのHT作戦、ローレルに対するマークⅡ、年月が開きますがレパードに対するソアラ等にも展開、60~90年代、いや、現在に於いても独特なトヨタ商法は全てはこのKE10から!!という気がします。

1位という順位、クルマ、大衆車としてサニーが劣っていた訳ではありませんがあの時代、誰でもクルマが持てる、豪華で高性能なクルマが買えるという庶民の夢を実現したという面ではやはりB10はKE10には劣るかな~って感じのレベルですので日産ファンの方、どうぞご勘弁を!
マイカー元年=大衆車の生誕=カローラというイメージ、もちろんそれが“サニー”と思う方もいれば“スバル1000”と思う方もいます(笑)
しかし圧倒的販売台数の優位さが当時のKE10の神的存在は資料として残っていますしね、1位をこれとするのは異存はないかと?考えます<(_ _)>


ランキングは以上です、ここからはいつものように圏外11位~20位をご紹介!
11位:初代スバルレオーネ(1971~1979)
12位:初代B10サニー(1965~1970)
13位:初代ホンダシビック(1972~1979)
14位:2代目E20型カローラ(1970~1975)
15位:スバル1000(1966~1968)
16位:3代目E30/50型カローラ(1974~1979)
17位:初代KP40系スターレットセダン/ダイハツコンソルテセダン(1972~1978)
18位:4代目B310型サニー(1977~1981)
19位:ホンダ1300 77(1968~1972)
20位:初代E10型チェリー(1970~1974)

如何でしたか?毎回〆では書きますがあくまでもこの企画はお遊び、『それは違うだろ?』とか『あれが入ってねーじゃん!!』的な反論もあるでしょうがこれはワタクシの基準、これを読んで皆様も独自なベストテンを楽しんで頂けたらと思います。

今回は当然の成り行き?ですが代名詞になる程にイメージの強いカローラまたはサニー一色って感じになってしまいました^^;

冒頭申し上げたように90年代半ば以降はその“大衆車”という言葉も聴かれなくなりましたのでこの時期からのカローラ、またはサニーを見てもその言葉は浮かばないのですがやはり60~80年代の両車にはこの代名詞がこびりついていますね~。

11位以下はスバルやホンダも入ってきます、KE10カローラと一見似通っていても全然違うスバル1000(~レオーネ)は違った意味での存在感は強かったですしOILショック到来と共に終焉したハイパワーブーム時代では考えられなかった間逆のタイプの初代シビックもこのお題からやや外れる2BOXながら(初期はHBではなかったのでギリOK!?)当時絶大な普及を見せ固定概念があった“大衆車”像の新しい姿を提案されたように感じました。

と言う訳でまたベストテンは思いついたらやります、今度は何だろう?って思いつかなかったらやりませ~~ん(笑)

長文読破、心よりお疲れ様です(^.^)/
Posted at 2016/10/25 17:56:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | ザ・ベストテン | クルマ
2014年06月05日 イイね!

保存版・ 珍車PART413

保存版・ 珍車PART413久々コイツが出てきました!

コレも既に立派な旧車、いすゞの中では最も硬派でシブさが今も光る今回の主役

⇒『昭和60年(1985)PF60型初代ジェミニセダン1800ZZ/R』!!

前回( 珍291 )のご紹介ももう少し年式の古いクーペでしたが今回はセダン、しかもほぼ最終型PF60となります!

このジェミニについては詳細は291で触れたので割愛しますがいすゞらしく(?) 74~87年、計13年間基本を変えずに生産されたどれも長寿がイメージあるいすゞ車の中でもその在任期間はTOPクラス(トラック除く)になります。

初代ジェミニ、80年代に入ると各社このクラスはFFに転身しますがその風に乗れた?乗った?のは80年代も半ばとなる85年で最も後発、そもそもジェミニというクルマは他社がFR時代でも同クラスの中で「何でこんなに狭い?」と思うほど窮屈なクルマ、1600/1800というエンジンだけはミディアムでも寸法は大衆車、しかもそれの代表であった下級であるFR時代のカローラ(E30~E70)やサニー(B210~B310)に較べても圧倒的に狭い(+o+)
友人がこれの中期(78年型)のLSを持っていて若い頃さんざん乗りましたが小さいボディで大きめのエンジでしたので元々パワフルないすゞのエンジン、1600でも出品車のハードモデル=DOHCのZZでなくともパフォーマンスはなかなかのモノでしたがとにかく狭い印象が一番残っています(*_*;

「このサイズのFRだから仕方ねーべ!」とご意見はあると思いますがこれ、知らない方が想像する以上に狭い…

Rrシートはセダンですらファミリーカーとしては失格、足元スペースなんてFFの軽に余裕で負けてました(笑)
座面、背もたれもミニマムサイズ、ワタシはけっして大男(H174/W68)ではないのですがこのクルマのRrシートは勘弁、前席出してもらっても膝は常に前席にぶつかる、そんな感じでした。

かと言ってこれがFrシートでも足元が狭い、後席乗員に気を遣いシートを前に出そうものなら膝は余裕でダッシュにぶつかる、いや、ハマる?感じで運転席ですらペダルの間隔に余裕がなくクラッチ操作時にブレーキに干渉しないように気を遣う程でしたからねー、干渉避ければコンソロールに膝こする感じでクラッチ踏んでたし(汗)

と、まずは悪口を書き連ねましたがそんなジェミニながら13年もいすゞの表看板そ背負えたのはいすゞの十八番であるDeモデルのラインナップと当時(80y)唯一、トヨタのDOHC展開に対抗したZZシリーズのラインナップ、永いモデルライフだからこそ幾度も改良されMCも多く陳腐化を可能な限り防御したいすゞの努力以外何物でもないでしょう…

Deは現代~後年とは比較できませんが当時としては充分乗用車として許容できる音、振動に納まってましたしこの頃としては充分なパワー、そして低燃費…

ベレル/ベレットでDe乗用市場を開拓しフローリアンでそれの普及に尽力したいすゞの意地と自信のジェミニDe、専門家の評価も高く当時Deなど何ら興味のなかったワタシも後年これに乗りその完成度の高さには“さすがいすゞ!”と感心したモノです。

そのDeに反比例するかのようなZZシリーズは排ガス規制で牙抜かれたトヨタの18R-GEU(2000 135ps)や2T-GEU(1600 115ps)に比較してそれらの中間である1800cc130psを発揮するG180型DOHC+ECGIを搭載、そのパフォーマンスは18R-GEUをフィーリング的には上回りこれを小さく、1tをも切るボディに搭載していたのでランタボやR30のRSデビュー前はREエンジンのマツダを除きレシプロではクラス最速だったと思います!

85年に次期型JT系がようやくFFを得てデビューしますが好評のこのDeとDOHCはPF型を継続、さすがにファミリーモデルはFFに移行しましたがJT型デビュー後、2年も生きながらえたのはPFのDe/DOHCモデルの完成度と人気を物語っていましたネ!

↓距離は飛んでますが全体3.5に内外Cはこの類のスポ車で車としては奇跡的評価のZZ/R!


どうもこのPFジェミニ、クーペにせよセダンにしてもグローバルカーだった割には個人的意見ですがどことなく野暮ったく田舎臭くて乗れば前述の通り窮屈であまりいい印象はないのですがZZに関してはそれらが帳消しになる速さ、玄人好みのドライブフィールが無視できない存在感があり当時峠に凝っていたワタクシ、ZZ/Rはこのクルマのコツさえ掴めば尋常じゃない速さで峠攻めができる楽しいクルマでしたし当時は野暮ったく思えたスタイルも今見ればいぶし銀のシブさもありますしね、いすゞマニアでなくとも当時のスポ車好きには一目置かれたクルマでした!

出品車は次期JT系がデビュー後のモデル、但しこれは前オーナーさんの趣味か?Frマスクは79年にデビューした中期型マスクに変更されています。

PFは81年に3回目のMCにて後期型になっており本来85年モデルは異形角型ライトの顔になっていましたからね、これは現代的でスマートでしたが荒々しさは中期型にあるのでその辺の好みで変更されているのでしょう、インパネもこの後期時代に全面変更されており出品車の出で立ちでこのインパネは存在しないので間違いなくマスク替えです!

↓81年より74年から永らく使用された旧態化のインパネを現代的にリファイン、この手直しで延命効果は抜群でした!


C評価としてもこの類のモデルとしては非常に室内の状態はいいです、狭さだけは相変わらずでしたが新デザインのインパネに野暮ったさはなくこの辺もPFの陳腐化を阻止できた大きな要因でしょうね~。

外装もブラックの割には綺麗、ALLペンしている感じもありますが未再生でしたらかなり気合の入った手入れ、維持で大事にされてきたクルマだと思います。

↓凹、大傷も見られず無問題のRrビュー、出で立ちは普通のファミリーカーですがこのテールに追い付けるのは限られたクルマでした!


どちらかと言えばベレG以来でもDOHCを117クーペで維持してきましたが高級パーソナルだったこれと比較しZZ、高級装備のZZ/T、普及型ZZ/L、そしてZZ/Rが用意されていましたが特にRに関しては後のギャランVR-4に対する同RS、エボGSRに対するRSのように走りに徹した“漢”であり競技、走り屋に絶大な支持を受けたモノ、その分弄られ使い込まれ廃車というパターンが多い中、よくぞ現車、この状態で残っていたものです!

↓顔だけ見たら80~81年のZZですが実は最終型!迫力はこの顔が勝る感じ!(個人的意見)


出品地は東京、落札は…店売りならば3桁付けてもおかしくない価格で立派に“旧車”“絶版車”の価格に乗っています。

今ではトラック専業メーカーとなってしまったいすゞですが数少ない現代のクルマ好きの若い諸君!!
“いすゞというメーカーはこんな熱いクルマを造っていたんだよ~” と声高らかに叫びたい、そんなモデルの御紹介でした(^.^)/    
Posted at 2018/03/11 15:25:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | いすゞ | クルマ
2014年06月04日 イイね!

保存版・ 珍車PART412

保存版・ 珍車PART412珍412弾はまたもクラシック・トラック行ってみましょうか!

もっともどこぞのクラシックカーヲタクに言わせると20年や30年で“旧車”なんて言うのはけしからんそうでそれを名乗っていいのはどんなに新しくても戦前だそうですわ(爆)

そこから言えば今回のモノも“たかが”40年ですからね、こういう輩に言わせるとこのレベルでクラシックなんて語るな!と激怒されそうですwww

旧車だのクラシックカーなんてものは個人の主観によるものでこれをそうだ!そうじゃない!なんて誰に決められるものでもないしテメェの価値観を押し付けれれてはタマらん、こっちが激怒したい位ですヨ、これだから金持ちは困る、って金持ちってのはこっちの勝手な推測ですがね、古いMGだのブガッテイだの乗りまわして騒いでるなんてマチャアキか!(笑)てな感じで金持ちの道楽以外には考えられんでしょ、僻みは承知で書けば。(って別にそんな“クラシックカー”に全く興味ないですがね、ゴッドファーザーやバラキじゃあるまいし…爆)
まっ、金持ちってのは金でヒトの思いまでコントロールできるとでも思ってるんかいな?まっ、ホントに大金くれたらやめるけどね(節操ねーし…爆)、クレームに負けて(激爆)

いけねー、また憎まれ口、いやね、ワタシ他ワタシの仲間、みんともさんが旧車とかの言葉を容易に使うのがお気に召さないハイソな方もおるようで…一言、“ほっとけ!”ですよね(爆)

そんな事はどうでもいいんだ(^^ゞ

今回のお題はコレ⇒『昭和49年(1974)三菱ふそうT654EK 3段積載型クレーン付』!!

トラックマニアにはお馴染“ジョナサン号”、ふそうT650、まだいましたぁ…

これもベストセラートラックで70yの発売、Tシリーズはこの時代の4t/大型に冠されるシリーズ名でした。

この中でも元々ジュピター、T620等で中型4t市場を絶大な人気で切り開いてきたふそうが年々激しさを増すライバルの攻勢から防衛するためFMC、丁度新星三菱(重工→自動車)になった同じ年にT650を発売、トラックらしかぬモダーンで近代的なスタイリング、大きなグラスエリアで広い視界を確保したキャビン外観と4tとしては広いスリーパ(寝台)がドライバーにも好評、ライバル日野レンジャーの猛追もありましたが70年代でもTOPを走り東映の人気映画“トラック野郎”でも準主役だった愛川欣也氏扮する“やもめのジョナサン”の愛車としても登場、未だに時折放送される人気作品でこれの勇姿を拝める事もありますがさすがに現役実働はNox/PM法の絡みでもちろん首都圏では全滅、地方でもまず残っていないレベルまで時は経ちましたね~…

現車、これも今では珍しい南星製の3段クレーン付、今やタダノとユニック(T650の時代は多田野鉄工、古河ユニック)の2強しか見なくなりましたが70~90年代位までは南星、カトー、新明和、前田等そうそうたるクレーンメーカーが積載型カーゴクレーンにも多く華やかな?時代でした。

↓R点、内装Cですが年式からしたら極上!E/gはそろそろヤバそうですがこれだけ状態いいとOHしてでも活かして欲しいですね。


その南星クレーンもホイストが現代のモノとは異なり上方に取付られた古代?のタイプでしてクレーン不動の文字が見当たらないので実働でしょうが今ではなかなか見れないこのタイプ、動くサマを是非久々に見てみたいです(笑)

内装もトラックとしてはかなり丁寧に使われたと推測、何とか造園の文字が入ってますからね、個人商店レベルっぽいですし5桁メーターの為改ざん扱いですが案外実走、または12万㎞程度かも?しれません…

キャビン内、汚れや経年変化は仕方ないですがこのレベルならプロの手にかかれば充分新車のコンデションには近づけそう!

↓ヒーターレバー等のレトロ感にも参りますが何よりフロアマットが初代ミラージュってのが!この造園屋さんは間違いなく菱ヲタwww


ふそうTシリーズ、大型は73y以降Fシリーズに発展、4tも76年に新たに現在でも型式を継承する『FK』にFMC、意外に見かけた割にトラックとしては短命に終わった(6年)T650ですがレンジャーと並んで90年代初頭位ではまだ走ってましたし先記のようにスクリーンでもよく見れるクルマでしたので4t車=T650のイメージ、個人的には強く残ってますね~。

標準カラーはこの頃の三菱で多かったグレー、と言うかねずみ色!キャンターも大型もこの色の印象が強いですが現車は薄いブルー?水色にカラーリング、煽り部分だけは写真?PCの特性で断定できませんがそのねずみ色元色に感じます。

↓40年前の働くクルマとしては荷台、クレーンとも大した痛みはない奇跡的状況、メンテがマメかよほど働かなかったのでしょうね(笑)


このクルマも愛知出品、落札はやはり値がそれなりに付いてます、輸出だろうと思いますが3桁に迫る勢いですからね~、恐れ入ります!

↓キャビン、一度位は修正ペイントされているでしょうがそれにしても綺麗です!まだまだ現役ですね!


それにしてもこの愛知会場、乗用のみならずこんな“クラシック”“旧車”が出てくるなんぞこの手のトラックの宝庫、北関東の某会場も安泰ではないですナ~(^.^)/
Posted at 2018/03/11 15:38:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 三菱ふそう | クルマ

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