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2018年11月15日 イイね!

珍車PART793

珍車PART793
体調がいい間にドンドン進めましょー!珍車お次も結構なレア度だと思いますヨ!

てーんで今回のお題はコレ

⇒『昭和59年(1984)4代目C31型ローレルセダン1800グランドエクストラ』!!

C31、コレは当時マークⅡ兄弟に牽引されハイソブーム初期の頃ながらあまりにマークⅡ(X60)人気が凄まじくて不人気と言っていいモデル、それでも天下の?日産車ですから4HTならばそこそこいましたがセダンはほぼ教習車かTAXIって感じ、やはりマークⅡ(4HT専用だったX50/60クレスタ含む)4HT需要が主ながら少なからずセダンもいた中、C31セダンなんてほぼ見かけなかった印象…。

6ライトの落ち着きある出で立ちで決して悪いクルマではなかったと思いますが4HT人気、マークⅡ絶対人気があまりにも強すぎた、そうした強力ライバルの中で埋没、セダンモデルですとほぼ兄弟になっていたR30スカイラインのセダンがよりシャープで若々しさもありローレルセダンの需要も喰っていた感がありましたネ、脚やハンドリングには伝統の血筋を感じるR30と較べC31、ほぼ同じクルマながら高級と言う名の元にそれら味付けもダル、脚はフニャだしシートも不必要にフカフカでこの点はマークⅡにすら劣る印象、先代230からの進化は殆ど感じられなかったのが残念でした。

初代C30ローレルからスカイライン(ハコスカ)とは密接な関係にありましたがこのC31ではスカイラインの父・桜井慎一郎氏が手掛け元々シャーシ始め共用パーツが多かったローレルはよりスカイラインとの関係が深まり次期C32ローレルとR31スカイラインになると双子車か!?と思う程クリソツ化、いやR31がローレル化したってのが正確なところでしたがこの時からローレル、スカイラインの評価が低下したような気がしますね、ローレルらしさ、スカイラインらしさが弱まりトヨタ的になっていくサマに当時の日産ファンはNGを出していた?気がします。

設計者が同一になり思想も近かったR30スカイラインはネーミング力からセダンも好調でしたが…


CD値を押し出し先代230型の豪華絢爛成金趣味を封印、ヨーロッパ調のシンプルでスポーティなイメージ訴求で1980年に発売されたC31でしたがそれが災い、ハイソブームの先陣を行く新型マークⅡやクレスタの気品、豪華さに勝負にならず82年の後期へのMCで再び成金旦那仕様にするも時既に遅しで4HT含めローレルは不人気車の烙印を押されてしまいます。
今でこそ旧車になると強い日産車ですからC31も往時を知らんカブレらにより持ち上げられたりしていますがあの時代、高級車と言われるプライス=200万も250万も出してローレルを選ぶヒト、あまりいなかったというのが実状ですわな。

現車、その後期型になって設定された廉価版の高級版!?つまりは見かけや内装は最上級の『メダリスト』とほぼ同じながらエンジンはショボイ4発、足回りもそれらが持つ4IRSではなくリジットに落とし大幅に価格を抑える所謂お買い得ナンチャッテグレードでチェイサーのXGエクストラ、マークⅡのGRサルーンを倣ったモノ、それらを含めそんなにしてまでもワインカラーのキャバクラ内装が欲しいんかい!と哀しくなる“ナンチャッテメダリスト”のグランドエクストラですがこういったグレードも一つの文化ですわねぇ(笑)

後期型から前述の通り成金路線に回帰したのもあり最上級のメダリストを上回るジバンシーバージョンも追加、グロリアのジャックニクラウスに次ぐ海外の著名人キャラ起用でしたがデザイナーだったバンシー氏、CMで得意げに“ローレル、モニマージュ!”なんてやるもまだ国内ではそれほど名前も知られておらずファッションにはとんと興味ない元Gureとしては「ジバンシー、誰やねん?」って感じでしたwww

C31後期CM、今見ても「だからジバンシーって誰!?」ですわ(笑)


ここで出品車を見てみますがかなりの溺愛された車輛、34年落ちで実走4万㎞弱、総評3.5内外BCという奇跡の程度!


不具合はE/g異音程度?C31の1800、前期はドンガメZ18、後期はそれよりは格段に良くなった当時新開発のCA18、但し耐久力は60年代開発のZ型(ベースのL型4気筒が60年代)が上で不安もありますが距離が距離だけに7まぁ、大丈夫でしょう。

出品地が北の大地という事もあり下回りもケア済、ここまで金も手間もかけて大して価値も付かないのに何故に手放したんでしょうね~?



この年式で奇跡的B評価をもらった室内、お約束のワインカラー焼けも軽傷で非常に綺麗!



C31はメダリスト(現車と同一シート)は経験済、見かけは立派ながら腰がなく1時間も乗ると腰痛発生、一度これで横浜~栃木に行った事ありますが往生したの記憶してます、トヨタにしてもより上級のクラウン、セドグロにしてもまんま走る応接シート、クルマのシートっていう点をも少し考えられんかったんかな?と今更ですがw

インパネもイイ状態ですネ!


このインパネ、従来日産の十八番だった絶壁をスカイラインと同時に止め見切りのイイ集中型にしたのはいいもデザインはまるで大衆車のサニーやパルサーのように安っぽくて酷評、この辺りもマークⅡの敵ではなかった気がします、スカイライン、ローレル共に車格に見合ってなかったですナ。。。

メダリスト、ジバンシーのイメージカラーだったシルバー/マルーン2トンも文句ない程度!





とこんな内容ですが哀しくは1800ってのが災いし落札は一桁、L20E搭載のメダリストやSGLならばいくら不人気C31であっても今となっては相当レアだしそこそこの値段にはなると思いますがね、まぁこれもガメツィ旧車屋によって5倍位盛られて何でも80年代マンセーのカブレが有難く買って行くのかもしれんですがのう(^_^)v
Posted at 2018/11/16 01:13:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日産 | クルマ
2018年11月15日 イイね!

珍車PART792

珍車PART792久々の珍車シリーズ、いつものように業オクからのレア車出品という事で(^_^)v

このモデルも最早絶滅と言ってもいいでしょうねー、街行く現役を最後に目撃したのはいつだろうか?恐らく10~15年は見ていない、元々がリーズナブルな入門車、今の感じに置き換えれば外人ご用達の格安レンタやカーシェアリングで重宝されるようなコンパクト、使い捨て感の強いカテゴリー車なのでね、四半世紀以上経過して現存する方がスゲェって訳で…

そんな今回のお題はコレ

⇒『平成3年(1991)初代DA3PF型フォードフェスティバ1300GL』!!

お若い層に申し上げておけばフォードの名前ながらも開発製造はマツダ、当時提携していたフォードのブランドでマツダとフォードの販売店である暗黒のマツダ5チャンネル政策の一つであるオートラマ店扱いのメイン車種でした。


フォードの名前らしく?当時の日本車離れした小洒落た外観は特に若い女性には人気がありワタクシも昔勤めていた会社の事務員さんが乗っていて素でもソコソコ可愛い、出退勤時にフェスティバ蹴るのを見るとやたら可愛い(笑) 女子+フェスティバにはスキー場マジック的効果があったナ、なんて懐かしく思い出しますわw

往時は5チャンネルの悪夢が冷めやらない中、マツダのボトムとしてそこそこのセールス、日産マーチやダイハツシャレードといった強力なリッターカーライバルがいる中で特にマツダの弱い関東・首都圏でもそのお洒落で都会的出で立ちから結構見かけたクルマ、86~93年という7年という長寿、93年のFMCで2代目となりますがクーペスタイルに変貌したのが災いし初代程の高評価が得られず静かに退場しますが初代~2代目フェステイバで開発されたシャーシやB型エンジンは後続となる初代デミオDW型に引き継がれてデミオは大成功、経営危機に喘ぐマツダの救世主となったのも有名な話です。

今のワタシには『デミオ』の名前は禁句ですがフェスティバを語るには外せないんでwww


それでは現車を見てみましょう!

グレードは全体意匠から中間グレードのGLと推測、珍しいのはフェスティバと言えばキャンバストップというイメージの中でOPだったサンルーフ仕様である点、27年落ちで10万㎞弱、総評3.5で内外D,Cはこのテのモデルでは奇跡的な?上物でしょう。


フェステイバは後にDWデミオにも積まれたB3型1..3Lがメイン(廉価版に1.1L B1型も搭載)、デミオでは廉価版とされ重量増と大型化によりややカッタるい印象のB3もフェスティバでは元気!見かけのチャラさ?とは裏腹に脚もハンドリングも結構シャープでスポーティな味付けはこれ、女の子にこの乗り心地ってそこそこキツくねーか?と思った事もありますね、本場アメリカやチ〇ンの国でも売られるグローバルカーでしたので中身は真面目に煮詰めておりその思想がDWデミオの成功に繋がったのは間違いないと思います!

D評価で痛みも出てるも画像の限り不快なレベルにはなってない!


MOMOステ以外はオリジナル、電装系(PWスイッチ等)不調が不安ではありますナ


カクっとスクエアなBOXスタイルにブリスターフェンダー、キャンバストップグレードが特徴的でともすると安物感オーラ半端ないこのクラスで遊び心を満たしかつスポーティ&若々しさを訴求する等、個性を放っていましたねー。





外装に関しては醜いクリア剥げや著しい傷やダメージもなし、恐らく屋根下保管なのでしょう、安手のクルマで27年経過でこの状態は拍手モノですね!

あっ、すっかり忘却の彼方に行ってますがフェスティバには1.3L DOHCを搭載したハードモデルのGT/GT-XやGT-Xをベースに丸目の個性的顔付にロッコルサカラーとしたGT-Aも追加、GT-Aに関しては300台限定でしたしイベント以外で見た事はありませんがこれらハードモデル?はフェスティバも含めこのカテゴリー車=女性向けのイメージがある中では異端児でもあり変態の心をくすぐる効果は満点でしたネ!

この出品は西から、落札は無事なされますが解体価格程度、希少車ですから潰しは惜しいので格安でも値段入り取引されたのは安堵です(^^)/
Posted at 2018/11/15 17:39:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | フォード | クルマ
2018年11月14日 イイね!

草ヒロ55

草ヒロ55本日は体調いいので連投、てか単に前ブログで上げ忘れたっつー話もwww

この個体、前々から補足していたんすが廃屋?のガレージに置いてあり撮影アングルが良くなくて見送ってきました、しかし廃墟撤去され全貌が現れたんで記念パピコ(笑)

アンチスバルを公言して止まない元Gureですらコレと初代レガシィツーリングワゴンは購入検討した程の名車である初代GC型インプのWRX、恐らくRAでしょうね~。

長年、旧富士重の屋台骨だったレオーネから代わり89年、レガシィが登場、良くも悪くも従来の富士重のイメージをガラリと変えるレガシィは大ヒット!その勢いが衰えない92年により軽量コンパクトなインプレッサを発売、三菱のギャランVR-4とランサーエボリューションの関係同様にレガシィ→インプWRXにてWRCを始め各ラリーシーンで三菱と並び世界に名を売った名車、ワタシも以前エボ(Ⅲ)とWRXを乗り較べする機会もありましたがどちらも一長一短、選択に悩む当時としては化け物ハイパフォーマンスカーでその後の発展やエボとのし烈な闘いの日々、ご承知通りですね(^^)

しかし人気が出れば堕落する?のもパターン、何もこれはインプに限らずですが代を追う事に肥大化高級化され現在ではインプから独立したWRX、手の出せない高級スポーツになってしまい初代にあった庶民性は皆無になってしまってますよね、エボにしてもⅩファイナルなんてとても手軽に買える“ランサー”ではなかったしでorz…

エボにはない富士重十八番のワゴン(スポーツワゴン)まで取り揃えてましたねー!


現車、草なんて言っては失礼かな!?今まで一応屋内保管だったのもあり荒れはそれ程でもなくかつては草ラリーか本格ダートか解りませんが競技に出ていたのを全体の雰囲気からそれを伺わせます。


エボの第一世代(Ⅰ~Ⅲ)が直接的ライバルだったインプWRX、当時も今もエボ派とインプ派に分かれスバルバカ、ボクサーマニアには絶対的支持がありますしアンチとしても好敵手のWRX、見過ごせない存在!

エボもミラージュアスティのボディでコイツに対抗して欲しかったですが…


往時に走り込んでお蔵入りになったjかどうかは不明ですが外装だけなら磨けば充分現役、廃墟の持ち主が今頃移動し復活に向けて作業しているか近年このテのクルマが人気の輸出に回されてるんでしょうがエボ第一世代同様に希少な存在になっているGC、まだまだ現役でいて欲しいモンですネ(^_^)v
Posted at 2018/11/14 22:26:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | 草ヒロ | クルマ
2018年11月14日 イイね!

先月の捕獲www H30.10月

先月の捕獲www H30.10月
10/18の事故前に捕獲したネタです、そろそろ1ヶ月になるし蔵出しっす(^^;)

まずは前請負の陸屋では毎週行っていた横浜最大のオク会場に久々訪問、事故車買取業の委託にてココから業者に移送する時に捕獲成功!

まずはコレ↓


ややブレンビ~で恐縮ですが1978~1980(昭和53~55年)のブタ目のマーバン!

これも往時はかなり見かけましたが絶滅と言ってもいい現況ですよね、ベースのX30/40マークⅡが人気ありましたしコマーシャルカー文化がまだまだ盛んだった当時、バンモデルでも高級な部類となるマーバン、かなり数は出ていました…。

現車はセダンやワゴン系のメッキフェンミに激突吸収バンパー装着でワゴン風味、ナンバーは4なのでバンを高級カスタマイズしたのかワゴンを4ナンバー化したのかは不明ですが内装の意匠からはバンと判断です!

今では実質トヨタのプロボと日産ADだけのボンバンラインナップになってしまってますがこの頃は乗用ラインナップ同様に商用にも序列が構成されトヨタで言えばスターレット<カローラ<カリーナ<コロナ<マークⅡ<クラウンと言ったメイン車種には全て設定、他社も同様で今では商用自社生産から撤退したホンダ、三菱、マツダ、スバル、いすゞ等も他社のバッジ替えではない自前のライトバンを持っていましたし造り込みやグレード編成も乗用モデルに遜色ない充実度、現在の淋しくなった商用モデルが想像できない程各社力を入れていた時代、ブタ目マーバンに久々に出会いそんな賑わっていた時代?を懐かしく思い出してしまいましたw

そしてお次も往年の商用モデル!


おぉ、ミニエースですよミニエース!

今も残る商用を表すトヨタエースシリーズ(トヨエース、ハイエース)の末梢だったミニエース、1960年代、それまでは操縦性や乗り心地の面からバントラであろうともボンネット型が主流だったところに道路整備が進み積載効率面で有利なキャブオーバー型に変革していた時代、それまで乗用パブリカ(スターレット~ヴィッツの前身)ベースのトラック(=ピックアップ、バンもあり)をボトム商用としていたトヨタはこのパブリカのコンポーネンツを使いキャブオーバーモデルを1967(昭和42年)に発売、パブリカの2U型800cc空冷エンジンを使い軽を持たないトヨタの廉価商用、維持費や当時は無車検など強敵だった軽トラのライバルでありそういった面で商業的には成功とは言えずミニエース発売後もラインナップされ続けたパブリカトラックや日産のサニトラ、そして前述の軽トラ群に挟まれ市場普及は少数であり街で見かける姿、トヨタ車としては少ないモノでした。

しかしトヨタ最小の商用として小改良を繰り返しながら1975年までの8年も存在、バンモデルを乗用化した5ナンバーのコーチ(ワゴン)モデルが追加されたり後のライトエースに繋がる多人数乗車モデルの先陣でもありましたっけ、後年のスパーキーやドミンゴの元祖ですね(笑)

往時でも滅多に拝めなかったミニエース、久々の可愛く微笑ましい顔が印象的でした!

そして別の日に事故車港入れ時に目撃したMrハンドメイド!


奇才Jアローの国産車最高傑作とも言われるいすゞ117クーペ、レアなのはハンドメイドだった事と当時としては超高額だった事もあり極少量生産だった前期型1967~73年モデルという点ですね、トヨタ2000GTやマツダのコスモスポーツ同様、一部富裕層にしか手にできなかった幻的存在は当時も今も変わりありませんナ。

117は73年以降大幅MCが施され量産化、グレードも充実し廉価モデルも設定されたので大幅に普及、現在でも残るのはこの2次モデル以降なので前期型の残存はかなり稀と言っていいでしょう。
その前期でも67~70年まではモノグレード、ベレットGTタイプRの1.6L G161W型DOHC搭載モデルのみでしたが70年に1.8L SOHCインジェクションの廉価版ECを設定、外観はDOHCモデルとの識別はパッと見では難しくこの画像だけではDOHCかSOHCか不明ですがSOHCにしてもクルマの性格上、当時殆ど出なかったとの事で現車がどちらか?だったにしても前期モデルという点で発狂モノですね、いすゞ&117マニアさんにはw

ベレGとフローリアンをベースにしながらそれらからは想像できない美しいクーペでした!


この117、外観の状況は決して上物ではなかったのでレストアベースなのかもしれませんが国内便の長距離フェリー乗り場に居たのでね、関東で買付され地方で蘇り作業に入るのでしょう…

と捕獲シリーズの余り分はここまでっす、当分プーなのでシリーズ再開はもう少々こらえてつかいや( ;∀;)
Posted at 2018/11/14 16:47:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 捕獲 | クルマ
2018年11月13日 イイね!

サラバ!ZZR( `ー´)ノ

サラバ!ZZR( `ー´)ノ
事故後のその後…

相手の都合で加害車輛の修理入庫が遅れコチラのバイク損害認定も遅れていましたがようやくそれも進捗、我がZZR250は予想通りの“全損”という判定orz…


相手保険会社も処分は自由にという事なんで数社、バイク事故車買取屋に見積もり出してその中で微々たる額ながら金額提示してくれた業者に処分依頼、元々台数が多くかつ古く中古市場にはワタシのよりよほど状態のいいZZRもあるしマトモでもそう高額付く代物でもない、元々格安で手にしてるし事故でFフォーク、カウル割れ、フレーム曲がり多々ある状態ですしね、金額なんてあってないような額ですが請負しているロードサービス会社に預かっていてもらいこれ以上置くのもご迷惑、相手の損害賠償で購入&加修金額以上の保証もあるしバイクの価値は圏外と割り切り本日処分してきましたー。

痛々しい姿の愛機ZZR250



振り返れば4月に導入、あまり状態が良くなかったので自己整備&プロ(バイク屋)整備で日常使用に支障なく仕上げ乗り出し熱海や山中湖、湘南に横須賀三浦、横浜ベイサイドなんかにプチツーリングを共にし普段のストレス解消に大いに貢献してくれましたが僅か半年でお釈迦になるとは(泣)

他人様から見たら単なるボロバイク?でも手を掛けた分可愛くできるだけ長く乗ってやろう、最後のオーナーになってやろう…なんて愛をかけてきましたがクソデミオの一撃で終了、クルマにしてもそうですが愛機との別れは哀しいし予期せぬ別れは2号機ギャランが雪害でやられ以来2度目、こればかりは切ない感傷に浸ってしまいますわ(*_*;

ナンバーを外しETCと電源ソケットも取外し、いよいよお別れorz…



腰がまだまだ痛くかがむのもヤレヤレですが何とか必要なパーツを外します、外し終わった頃バイク屋が引き取りに来て見送り、ホイールとエンジンを部品としてストックするだけで後は解体との事でそれ聞くと余計切ないですが仕方ないっすネ~。

まっ、ZZRとの予期せぬ別れによる哀しさを乗り越えて次の愛機(あくまで候補↓)に胸膨らませましょう(^_^)v


てか実はまだ悩み中、遊んで暮らせる間に合宿で大型2輪取りに行こうか?という企みも諦めてませんヨwww
普通2輪あれば10万弱、5泊6日で取れるし魅力的なんですがねー、カミさんや子供らの顔色伺いながらこの計画をまだ言い出せないでいますが果たして…

しかし心配する家族には逆行するような行為、無理にそこは押し通すつもりはなし、いい返事なければ免許代をプラスして少しでも状態いいゼファーを探す事としましょう、まだそこまでの回復になっていないんでまだ妄想の域を出てませんがね(^^;)
Posted at 2018/11/13 21:09:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | ZZR250 | クルマ

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「オウチ弄り記 2025.6/14 http://cvw.jp/b/2682511/48485636/
何シテル?   06/14 18:18
元GureのHNで活動、新規ネタ&過去ネタをUP中、過去記事はかつてほぼ移住していた山梨や本拠でのクルマ弄り記録や過去シリーズ的に上げていた独自の企画モノを再U...

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