
6月に
”自分の源流をたどる旅をしてきました♪”のブログで自分の名字の原点を探る旅をしてきました。
人にはもうひとつの名字、母方の郷里があるわけで、そこにも自分の源流を探してみることにしました。
母の郷里は広島県竹原市忠海町ということろで、最近ではNHK「マッサン」で有名になった竹原の中心を外れた郊外にあります。
忠海はかって平家の水軍がいたところで、平忠盛の海という意が地名の縁と言われています。
先祖が代々住んでいたところは、今は地名表示はないですが二窓(ふたまど)と言われる小さな集落です。
二窓 posted by
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海に面したまちは多くの漁師が生計を立てています。二窓漁港は瀬戸内海の希少な魚が揚がる漁港として知られています。
二窓の港 posted by
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二窓のひるがお posted by
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二窓の睡蓮 posted by
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二窓の祠 posted by
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二窓の井戸 posted by
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二窓の乳母車 posted by
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ここはまた戦国時代には小早川隆景の勇猛な武将、浦 宗勝(乃美宗勝)が領主であった地です。浦宗勝は厳島の合戦などで戦果を上げた武将です。

乃美宗勝肖像画(勝運寺蔵)by Wikipedia(public domain)
和田 竜さんの小説”村上海賊の娘”の中でも、小早川水軍最強の武将として描かれています。
忠海には浦宗勝の建てた城”賀儀城(かぎじょう)”の城跡があります。
賀儀城入り口 posted by
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このお城、今でも表通りからは簡単にアクセス出来ない場所にあり、幼いころから帰省していた私でもこの城の存在を知ったのはほんの数年前のことです。
賀儀城案内板 posted by
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賀儀城址と忠魂碑 posted by
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遠くしまなみ海道を見渡すことができます。
賀儀城からの景色2 posted by
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おそらくこの砦は海の向こうから敵が攻めてくるのを見張るような位置に建てたんでしょうね
賀儀城からの景色1 posted by
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向かいに見える小さな島が大久野島。うさぎがたくさんいるぴょんぴょん島としても近頃人気です。戦時中は毒ガスを秘密裏に製造し、地図からも島の存在が消されていました。
床浦神社 posted by
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後方の山の裾野には浦宗勝の建てた勝運寺があり、宗勝のお墓もここにあります。
勝運寺 posted by
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私の先祖代々の菩提寺も同じ勝運寺で法事などもあるので現住職も先代ともとても親しくしています。そういったことからおそらく漁師集落の二窓に住む先祖は小早川水軍の兵ではなかったかと思われます。
二窓にはもうひとつ浦宗勝にちなんだ行事があります。
それが忠海東小学校で毎年8月15日に行われる盆踊り(新仏合同供養祭)です。
ここの小学校は映画
”花田少年史”のロケ地にもなったところです。
新仏供養盆踊り案内 posted by
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ここの盆踊りは前年のお盆以降に無くなった方々の遺影を新仏として大きな祭壇に飾り、線香を上げて弔うその前で、遺族たちと周辺住民が供養のために盆踊りをするというものです。
盆踊り自体あちこちで行われていますが、盆に帰ってくる霊魂を弔う意味でのお盆踊りをしているのは中でも珍しいように思います。
新仏供養盆踊り posted by
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またここの盆踊りは独特の伝統的なもので、浦宗勝のころにつくられた唄と踊りが今も400年以上そのまんま受け継がれているものなのです。
江戸時代は一体は広島藩浅野家の領地になったためか、周りの学校などでも盆踊りはやってますがまったく違う新しいものばかりです。
もしかするとこの二窓は特に浦宗勝との結びつきが濃かったのかもしれません。
この動画は2011年に私がYoutubeに上げたものです。今年撮り直そうと思ったのですが、歌い手の方が若い方に変わってとても下手になってしまっていたのでやめました。タイムカプセルのように昔のままの風景を残している忠海、二窓も少しずつ時代の変化を感じるようになってきました。
二窓にはまだ叔父が住んでいるので繋がりはまだ残っていますが、叔父がいなくなってもこの盆踊りには毎年訪れたいなぁと思っております。
最後までお読みいただきありがとうございました。(^O^)
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Posted at
2015/08/22 12:38:48