
カメラのイベントCP+で横浜に行くのに合わせて、昔の友人T君と1日過ごしてきました。今回は懐かしい再会にあわせて、ちょっと昔話を書きたいと思います。
写真は当日の歩きながらのスナップです。時系列で貼ってますが、話の流れとは無関係ですのでご了承ください。
T君は私より年齢が一つ下。37年前オーストラリア留学中に出会い、その後私の結婚披露宴に来てくれて以来ですから、26年ぶりの再会となりました。
話は私の高校卒業後「1982年」に逆上りますが、南オーストラリアの田舎町にホームステイで1年間滞在するスキームに、15歳から18歳の日本人男女計12名で参加してました。
留学とかいうとカッコいいみたいですが、実際には1ヶ月も経たないうちに留学生たちの間では様々な問題が発生してました。言葉の問題、預けられたホストファミリーとの問題、食事の問題、勉強の問題、学校での現地生徒との交流の問題、そして何よりもホームシックの問題などなど問題がてんこ盛りでした。
当時はネットもメールもありませんし国際電話は高額でまだ電話交換士がいた時代です。FAXもなく日本との主な通信手段は届くのに約一週間かかる郵送の手紙のみでした。
そんな中でも、私はもともと親と一緒にいたくなくて留学を決意したこともあってかホームシックは無縁でした。預かってもらった家庭が親日で兄弟が多かったのもあって、どちらかというと毎日面白おかしく過ごしてました。
現地では最年長の男子が私だったので、悩んで毎日泣いてる他の留学生の相談に乗ったり、遊びに訪れては慰めたりに忙しかったと当時は思ってました。しかし今考えると私も私の現地の両親や家族に対し無遠慮かつかなりワガママ放題で、「相談に乗ってくる」とか言ってよくもあれほど毎日放課後や休日にあちこち送り迎えをさせていたものだと、今も恥ずかしくて足を向けて眠れない気持ちです。
T君は横浜の高校の交換留学生で私達より1月早く来ていました。彼はなぜか私達日本人とほとんど話もせず、何だか関東人ということを鼻にかけているような雰囲気でした。ところがしばらくした頃彼のクラスメイトから私に「T君はクラスで孤立していつも独りぼっちだから励ましてやってくれ」と頼まれたのです。そんなことから私が積極的に話しかけていくようになり、その後彼も明るく社交的になっていったと。そういう仲です。

そうして一年間、泣いたり、悩んだり、怒ったり、13人の男女が異邦の田舎町でともに助け合い、支え合って過ごしてきました。でも帰国後はそんな自分たちが照れくさくて、いつしかだんだん距離を置くようになっていったように思います。
その後、それぞれ大学を出て仕事に就き、バブルが弾けた時代を経て、みんな50歳を超えました。実はブログには書けませんでしたが先月大阪で数人の当時の仲間と会う機会がありました。会食の間の短い時間ではとても、その後を振り返る余裕もなく当時の話をするだけで時間が過ぎてしまいました。多分みんな色んな人生を歩んできたんだと思います。
こうして横浜の桜木町駅でT君と会って、食事をとりながら、散歩しながら、横浜の船と風景を眺めながら、当時の話、その後の長い長い人生の話を、二人でずっと話してました。
若い頃の当時の話ですから、恋愛の話もひとつやふたつはあるわけです。今ではお互い誰にも話さない墓場に持っていくんだろうなぁと思うような話も、37年を経てやっと話すことができました(^^)。
これからは健康の話とかがもっぱらの話題になりそうだなと笑いながら、今後は連絡を取り合っていこうと約束し別れました。
もう生きてるうちに会うことは無いだろうと思っていた旧友に会えた奇跡のような1日でした。
つまらない昔ばなしにお付き合い、有難うございました。
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一言放言 | 日記
Posted at
2019/03/06 22:02:34