菅直人首相が、東日本大震災からの復興を担う「復興庁」の新設について、「1つの組織をつくると、権限の調整にエネルギーを取られ、必ずしも機能しない」と慎重姿勢を示した。だが、ちょっと待て。震災後、20もの本部や会議を立ち上げて機能不全に陥っているのは、他ならぬ菅政権ではないか。平気で天につばする菅首相の頭の中をのぞいてみたい。
「復興庁」は、関東大震災後に後藤新平が率いた「復興院」をモデルにしたもので、復興に関する権限を各省庁から移管して一元化する組織として、政府内で浮上していた。しかし、菅首相は18日の参院予算委員会で、冒頭のように否定的な考えを示した。復興庁の功罪はともかく、組織を作りすぎて機能不全を起こすのは、皮肉にも震災や福島第1原発に臨む菅政権が実証している。
政府・与党は震災後、雨後のたけのこのように組織を乱立させた。しかし、官僚は資料作りに追われ、司令塔は不在。実務は滞り、震災対策では復興関連の法案は全く通っておらず、義援金の配分割合も決まっていない。原発事故への対応でも後手を踏んでいる。野党は会議乱立がその原因のひとつになっているとして、猛批判している状況だ。
18日には、公明党の加藤修一氏は「会議名を全部知っているか?」と菅首相に聞いたが、首相は会議名を答えられず。「決して、無責任に作ったわけではなく、(地震津波と原発事故の)二面作戦にならざるをえなかった」と正当化したが、支離滅裂だ。
また、菅首相は自らの内閣について、「100%とは言わないが、関係者が全力を挙げており、政府全体としては一定の評価を頂いている」と自画自賛した。首相に好意的とされる朝日新聞の世論調査でさえ、震災対応を「評価する」は22%、福島原発事故への対応を「評価する」は16%。サラリーマンなら、この査定で「評価されている」とは誰も思えない低評価なのだが…。
菅首相は「欲張りかもしれないが復興・復旧、財政再建に道筋がつくところまでやれば政治家として本望だ」と長期政権への意欲まで示した。どこまで面の皮が厚いのか。
この総理大臣様の能のなさと権力に執着する粘着力には呆れるを通り越して畏敬の念さえ覚える。しかし、よくぞあの国難とも言える大災害の中で20もの会議や本部を思いついて立ち上げたものだ。その上、政局まで持ち出して、さらには自分の外国人からの個人献金も金を返してうやむやにしてしまう。その知恵と熱意を救援と復旧に使えばもう少しは東北も原発も違った状況になっていたんじゃないか。能なしが権力の座にしがみつくことの恐ろしさをこの国の国民も少しは学んだのではないだろうか。
災害に救助対策本部と生活普及対策本部の2つがあれば十分だろう。復興は復旧が緒に就いてから考えていけばいいことだ。もう一つ作るなら原発問題対策本部だろう。組織をどう動かすかは官僚がノウハウを持っている。首相がやるのは意見を聞いて決断をすることだけで他のことは実務家に任せればいい。国難、国難と言っていたが、今回の大災害は確かに国難だろうが、自分自身も国難だということに気がつかないのはバ菅のなせる技だろうか。
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2011/04/19 22:07:29