今さらいうまでもないが、集団的自衛権は日米同盟の問題である。これを日本一国の都合で論じる人が多いのにはあきれる。たとえば長谷部恭男氏(http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/gover-eco_140623.html)は「集団的自衛権は行使できるが、政府の判断で協力しません」と言うと同盟関係が傷つくので「集団的自衛権は行使できない」という憲法の大義名分を残したほうがいいという。
朝鮮半島で軍事衝突が起こって派兵要請があった場合、国会で外相が「本当は自衛隊を派遣したくないが、そう言うとアメリカが怒るので憲法を理由にして拒否した」と答弁したら、日米の信頼関係は崩壊し、アメリカは日本に対する一切の防衛協力を拒否するだろう。同盟関係とは双務的であることによってのみ成り立つのだ。
この点で本書は2000年の本の増補改訂版だが、今こそ読むに値する。第1次大戦に日本は参戦しなかったが、1917年にイギリスの要請で地中海に駆逐艦を派遣し、機雷で沈没したイギリス軍艦から7000名余りを救助し、その勇気を感謝された。しかしこれが国内に報じられると、日本のマスコミと野党は「日本の利益にならない」と政府を攻撃した。
これは形式的には正しい。日英同盟の対象地域はインド洋から東なので、地中海でイギリス軍を支援することは、今でいえば過剰な「集団的自衛権」の行使だろう(当時そういう言葉はなかったが)。これにこりて政府は、以後の各国からの応援要請をすべて拒否し、日英の信頼関係も冷え切った。これが第1次大戦後に同盟が有名無実化し、1923年に解消された大きな原因である。
それが戦前の日本の岐路だった。第1次大戦では英米側についた日本が、次第にドイツに傾斜し、日独伊三国同盟を結んだことが、日米戦争に突入して敗れた根本原因だ。あのとき集団的自衛権を行使して日英同盟を守っていたら、日米戦争は起こらなかっただろう。
国際秩序は「平和主義」のきれいごとで守られているのではなく、力の均衡と国際的な信頼関係で維持されているのだ。長谷部氏に代表される野党の利己的な一国平和主義こそ同盟関係を破壊し、戦争に至る道である。
まさに言うとおりで平和と言うのは力の均衡が保たれた状態で維持されている。このバランスが崩れた時に戦争が起こるのであって、「平和、平和」と念仏のように唱えていても平和は守れない。軍事同盟というのは価値観を共有する国家が形成する運命共同体で、「うちは家訓で争いごとには加われません」などと言っていては、誰にも相手にされない。
超覇権主義のスーパーパワーにはやはりそれなりの力を示して対抗しないと平和は維持できない。好むと好まざるとに関わらずそれが世界の常識だ。今回の安保法制で一歩半くらいは前進したかもしれないが、まだまだ普通の国には程遠い。
日本は英国と協調していた時代は安定した発展を遂げていたが、英国と袂を分かってからは転落の一途をたどって行った。まがいなりにも日本が日露戦争を勝利で締めくくれたのは英米の後ろ盾があったからでそれがなければ間違いなく日本はロシアに負けていた。
今の国際社会で日本が価値観を共有できるのは欧米であって間違っても中国ではない。戦争をしたい者などいないだろうが、「若者を、孫を戦地に送るな」と言って、この日本が戦場になったらどこに行くのか。
万策尽き果てれば自存自衛のために戦わなければならない時もある。それをどの世代が負担するかは人間の選択ではなく歴史の選択だろう。血で購わなければ平和を維持できない時もある。明治維新というクーデターも血で購った上に築いた改革だった。もしかしたら平和それ自体が血を求めているのかもしれないと言ったら言い過ぎだろうか。
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2015/09/30 19:12:49