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イイね!
2016年02月09日

あり得ないことが、(49)




月曜からまた何時ものように仕事が始まった。あれだけ大騒動を繰り広げたのに誰もそのことには触れなかったし、社長からも特に何もお言葉もなかった。全てが何時もと変わらない月曜だった。僕は次に取り組む課題についての下調べを始めた。勿論世に出したばかりの商品も対応すべきことは山ほどあったので自分が考えるプランについて漠然と資料を探すくらいのことだったが、今度は生涯教育としての語学を考えてみたいと思っていた。つまり幼児から熟年まで一貫して語学を学習する方法を商品として世に出せないかと考えてみようと思いついた。

 
そんな訳でインターネットを使って漠然と検索しているとプロジェクトの応援に来てもらっている商品企画の助手姉さんが「部長が呼んでいます。」と言って僕を呼びに来た。心臓がびくりとした。遂に何かのご沙汰があるのかと思い、恐る恐る部長のところに行くと部長は至極気楽そうな顔をしていた。


「佐山さん、一つ頼みがあるんだけど。実はさる筋から一人面倒を見てくれと頼まれた。大学を中途で休学してイギリスに留学していたらしいが、こっちに戻っても復学しようとしないでふらふらしているらしい。社長の知り合いのお宅のお嬢さんのようだが、本人は語学を生かした仕事をしたいと希望しているようだ。どうせすぐに根を上げるだろうが、しばらく雑用にでも使ってやってくれないか。面倒を頼んで悪いが、こんなことを頼める人が見当たらなくてね。」

 
社長の知り合いと聞いたとたんに何だか嫌な予感がした。背筋を悪寒が走ると言うほどのものではないが、山登りでもしている時に黒い雲がじわじわと広がってきたような感じだった。

 
北の政所様の次は一体どんなのが出てくることやらその時の僕には予想もつかなかったが、部長のやけに明るい能天気な表情が一層不安を募らせた。大体学問を放り出して留学などと称して海外で羽目を外して来るようなのにろくなのがいたためしがない。そういうのに限って外国に長くいたわりには大して言葉も出来ないのが多いんだ。しかも復学もしないで言葉を生かした仕事がしたいなんて百年早い。


「今日の午後にここに来ると言うことなのでその時はまた連絡するからよろしく頼むよ。」

 
部長は軽くそう言ってから打ち合わせとか口走って席を離れてしまった。どうも体よく厄介者を押し付けられたような気がしたが、そうかと言って断るわけにも行かず何となく釈然としない気持ちで昼休みを迎えた。

 
昼食に女土方を誘ってこの話をすると「忙しいのに人手をもらえるなんてけっこうじゃない。」と軽く受け流されてしまった。確かにどこも人手不足で皆人をくれるなら喉から手が出るくらい欲しがっているのだが、そんな状況だからこそプロジェクトが完結した僕のところに敢えて送り込んできた事情を勘繰ってしまうのだった。

 
食事から戻ってしばらくしてまた部長からお呼びが来た。しかしデスクではなく談話室に呼ばれた。


『間違いない。来たな』

 
僕は身構えて談話室に向かった。そして談話室とは名ばかりのパーテーションで仕切った空間に入ると部長と一緒にテーブルに座って自動販売機のコーヒーを飲んでいる娘っ子が目に入った。

 
髪はあの金色、化粧は何だかクレヨンで描いたよう、ノーブラタンクトップにカーデガン、そしてその上に毛皮のコート、ぴちぴちのパンツに鎖のようなベルトをつけて北岳バットレスにでも足を掛けているような絶壁のサンダルという出で立ちに一瞬目を瞑ってしまった。部長は僕の顔を見ると席を立った。


「じゃあ佐山さん、澤本さんをよろしく頼む。彼女がここで面倒を見てくれる佐山さんだ。彼女の指示に従ってやってくれればいいから。ゆっくりと話でもしてから仕事を教えてもらうと良い。」

 
部長はこれ幸いと逃げ出したようだった。僕の脇を通り過ぎる時そっと目配せをして『何とかよろしく』という顔をした。


『こんなの押し付けられても困るよ。』

 
そう言ってやりたかったが、振り返った時には部長はもうどこかに消えていた。こうなってはどうしようもないので僕はこのクレヨン娘の前に立って「佐山です。よろしく。」と一言挨拶をした。本当はこんなところに来ないで秋葉原のメイド喫茶でも行けと言ってやりたかった。


「私、アメリカで長く生活していたから英語でお仕事したいの。よろしくね。」


クレヨン娘はずい分と鼻にかかったアクセントで妙に馴れ馴れしいおかしな日本語を発した。


「少しお話しましょうか。何か聴きたいことはあるかしら。」


僕は出来るだけ優しいお姉さんを装ってクレヨン娘に話しかけた。


「ビジネスファーストでしょう。お話なんていいわ、お仕事しましょう。」

 
クレヨン娘は利いた風なことを言った。「ビジネスファースト」と言う言葉が妙にアメリカっぽくてその点だけは少し感心したが、どんなことをしているのかも確認しないでビジネスファーストもないだろうと力が抜けそうになった。

 
こっちも話していると余計に疲れそうだったので僕たちの部屋に連れて行った。先に立って歩いていると後ろからかぱかぱと間の抜けた足音がついてきた。


「ここが私達企画プロジェクト班の部屋よ。ちょっと狭いけどね。」


ちょっとどころか相当にうなぎの寝床の感がある小部屋をクレヨン娘は見回していた。


「私のデスクは。」


クレヨンのくせに生意気にも仕事机を要求してきたには驚いた。


「え、ちょっと待ってね。急だったから。部長と相談してみるから。」

 
僕は適当に誤魔化しておこうとしたが、クレヨン娘は本当に机を持つつもりのようだった。取り敢えず打ち合わせや休憩に使っている小さな応接デスクをあてがうことにした。


「こんなところでごめんね。」

 
お愛想でそう言っておいてから適当に時間つぶしをさせておこうと軽い内容のコミュニティ教育に関する英語論文を渡して読んでおくように言った。クレヨン娘は怪訝な顔つきで渡された資料を眺めたりぱらぱらとページを繰っていたりしていたが、一向に読み始めるそぶりを見せなかった。そのうちに資料をテーブルの上に投げ出すと僕の方を振り返った。


「この英語、おかしいわ。私の知らない言葉がたくさん出ている。おかしいんじゃないの、この英語って。」


「え・・・」

 
僕は思わず声を上げてしまった。論文はアメリカ人が書いた極めて標準的な英語だった。しかも内容はちょっと気が利いた高校生でも辞書を使えば十分に読める平易なものだった。


「単語が分からないの。だったら辞書があるわよ。英和でも英英でも好きなのを使って。」


クレヨン娘は何だかとてもけだるそうな表情を浮かべた。


「こんなの読むの面倒じゃない。私、英会話とか教えたいわ。向こうの生活長かったから。」


『お前な、こんなものもさっと読めないのが何の英会話だよ。』

 
口に出してはいえないが、一年や二年くらい向こうで生活していたからと言って英語教えて金が取れるほど甘くはないだろうくらいは言ってやりたかった。


「うちはね、直接生徒さんを取って英語を教えたりはしないわ。そういうコースを企画して教材を準備したり講師を配置してそれを商品として販売しているの。だからどんなものを作れば効果的で人気のあるコースになるのかいろいろな文献を読んで研究したり考えたりするの。今度は生涯語学教育と言うのをテーマに商品を開発しようかと思うの。どう、手伝ってくれる。」


クレヨン娘はうかない顔をした。


「言葉なんていろいろな人とたくさんしゃべれば話せるようになるわ。考えることなんて面倒じゃない。」


「そうね、確かにそうかもしれないわ。でもね、いろいろな理由でそういう環境に自分をおくことが出来ない人や何かの具体的な目的を持って外国語を学習しようと言う人もたくさんいるわ。そういう人に効果的で楽しくしかも安価な方法を提供してあげるのが私達の仕事よ。そのためにどんな教材を使ってどんな環境でどんな講師を配置するか、そういうことを何通りも考えるの。そしてコストや受講料を計算して最終案を決めるのよ。そういう仕事って面白そうでしょう。」


クレヨン娘は大きなあくびをした。


「何だかそういうのって面倒臭そうだわ。だって考えるなんて言われてもどうして考えたら良いのか分からないもん。どの洋服を着ようかとか何を食べようかとかどの男の子と遊ぼうかとかそういうことは考えるけど。教材とか環境とかコストとか何だかすごくうざい感じがするわ。
ねえ、そんなことよりあなた、結婚してるんでしょう。それとも独身。」


「独身よ。そんなことはここでは関係ないでしょう。職場はお仕事をするところよ。」


僕は何だかこのクレヨン娘と話をするのが段々面倒になって来た。


「独身なら彼はいるの。どんな人。」


「あのね、言ったでしょう。ここは仕事をするところなんだからここにいる時は仕事のことを考えて。その資料を早く読んでね。辞書ならこれが使いやすいわ。」


僕はケンブリッジのラーナーズディクショナリーを渡してやった。クレヨン娘は体を投げ出すように椅子に腰を下ろした。


「そんなにいきなり考えろ考えろと言われても何をどうして考えていいのか分からないんだもん。」

 
僕は何だかこのクレヨン娘の頭を叩いてやりたくなった。何をどうして考えたらいいのか分からないなんて一体どんな脳みそをしているんだ。考えるなんて簡単じゃないか。目的があってそこに至るための条件があってそれを出来るだけ満たすためにどうすればいいのか、その過程を見つけ出すことがこの場合の考えるということだろう。

 
卑しくも大学に学ぶ者が、実際に学んでいるのかどうかは分からないが、そのくらいのことが分からないのでは困るではないか。クレヨン娘はしばらくは資料を眺めたり辞書を繰って見たりしていたが、今度は電話を始めた。誰と話しているのか、おそらくは六本木あたりにたむろしている洋物なんだろうが、それらしくは聞こえるものの語彙も品もない英語でしゃべり散らかしていた。


「仕事中に私的な電話はお止めなさい。」


クレヨン娘の電話が終わってから一言注意しておいた。


「ああ、面倒くさいな。」


クレヨン娘は不機嫌な声を上げると何も言わずに部屋の外に出て行ってしまった。


「あれ、何ですか。」


戻って来たテキストエディターがクレヨン娘の後ろ姿を見送りながら僕に聞いた。


「お手伝いと言うんだけど私にはお手伝いなのかお邪魔様なのか分からないわ。」


「しばらくここにいるんですか。」


「さあ、それも分からないわ。」


「何をしてもらうんですか。」


「そんなことこっちが聞きたいわ。何をしてくれるかなんて。」

 
クレヨン娘とはほんのわずかな時間しか接触していなかったのに何だか疲れてぐったりしてしまった。何時まで面倒を見るのかは確認しなかったが、これが当分続くのかと思うと情けなくなった。結局クレヨン娘は一時間ほどもしてからほとんど何もなかったような顔をして戻って来た。そしてまた携帯で電話を始めた。


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Posted at 2016/02/09 17:34:54

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