2016年03月13日
あり得ないことが、(58)
そうこうしているうちに社長は会社に戻ると言い出した。社長も忙しいのだろうからこいつに付き合って何時までもここにいるわけにもいかないのだろう。北の政所様も一緒に帰るようなので夜女土方が来るまでは僕一人ということになる。
「ねえ取り敢えず家の中を見せてくれない。こんなに広い家に住んだことがないから迷子になりそう。」
僕はお手伝いに頼んだ。お手伝いは黙って頷くと先に立って応接間を出ようとした。
「あなたも一緒に来るのよ。あなたの部屋も見せなさい。いいわね。」
僕はクレヨンに向かって言った。クレヨンはだるそうに立ち上がると後をついて来た。一階は玄関、応接間、ダイニング、キッチン、家事室、バス、洗面所、トイレ、フィットネスルーム、オーディオルームにお手伝いの部屋が二か所、一つは住み込みのお手伝いが使いもう一つは運転手が時々使っているそうだ。
使用人用のバスとトイレは別に設えてあった。二階は主寝室と書斎、ベッドルームが四室、洗面、バス、トイレに居間を兼ねたユーティリティスペース。どの部屋も馬鹿みたいに広くて僕等には想像もつかないくらい内装の作りも家具も豪華だった。
しかしそれもクレヨンの部屋を見せられて打ち砕かれた。作りや家具は豪華なのだろうけどそれが見えないのだ。何故ってあまりにも散らかり過ぎていて。片付けられない症候群というのがあるそうだが、どうもこいつもそうじゃないのかと思うくらいに乱雑に取り散らかっていた。
床は衣類やバッグ、雑誌、CD、化粧品その他諸々でほとんど足の踏み場がないほどだった。どうしたらこんな部屋になるんだろう。ベッドの上は衣類や雑誌が山のよう。一体こいつはどこで寝ているんだ。
「あんたねえ、ここすぐに片付けなさい。いいわね。」
僕はクレヨンを振り返った。クレヨンは横を向いたまま答えなかった。
「大体何よ、若い女性がどうしてこんなに下着を散らかしてるのよ。ああ見ていると頭がおかしくなりそうだわ。」
「私は一度着けた下着は二度と着けないのよ。」
クレヨンはどこかの女優のようなことを言った。
「二度と身に着けなくてもいいからそれだったら捨てなさいよ。とにかくすぐに片付けなさい。」
僕はクレヨンの腕をつかんで部屋に引き入れた。
「どうして片付ければいいのか分からないわ。捨てればいいの。」
クレヨンは部屋の中に立ち尽くしたまま辺りを見回しているだけで片付けに手を付けようとはしなかった。
「世話の焼ける子ね。要る物と要らない物に分けなさいよ。」
僕は錯乱しそうな精神に鞭打ってありったけの蛮勇を奮って床の上に沈殿している様々なものの中に手を突っ込んでよく見もしないで布切れをつかんだらそれがクレヨンが身に着けて投げたパンティだった。その手の愛好家なら喜んで買うのかもしれないが、何だか気味が悪くて鳥肌が立った。
でももうこうなったら乗りかかった船だと思い、次から次へと下着やら衣類やらをつかんでは必要かそうでないかを聞いてより分けていった。こんなにたくさんパンツがあればこれだけで満艦飾が出来る。アダルトショップに売っても一財産かも知れない。
小一時間で大分床が露出してきた。CDは棚に戻して要らない雑誌は束ねて衣類やバッグ類はクロゼットに収めて下着はポリ袋に放り込んだ。こうして苦闘三時間ほどで概ね片付けは終わったが、どうもクレヨンにやらせるのではなくて僕がやってしまったようだった。
お手伝いに床の掃除をさせて何とか周りと調和するくらいになったところで精も根も尽き果てた。でもまだ洗濯が待っている。ポリ袋に二袋も下着を洗うのはかなり異常だが仕方がない。家事室に行って洗濯機に全部放り込んで回し始めると水が異様な色に濁って来た。何だか洗濯槽を見ているのが恐ろしくなってきて蓋を閉めてしまった。
パンティは何となく不気味だったので2回洗濯してやった。その後洗い上がったパンティを乾燥機にかけたが、ドラムの中で色とりどりのパンティがぐるぐる回っているのを見ていると万華鏡でも見ているように幻想的な気分になって来た。
乾燥が終わるとお手伝いと二人で端から畳んだが、どうして女という生き物はこんなにひらひらのついた布切れみたいなものばかり身に着けたがるんだろう。こんなのじゃあ下着の役どころかただ中身を飾って見せるだけの用しか足さないじゃないか。もっともそれが目的の場合も少なからずあるのかもしれないが。この際身に着けるパンツのタイプも制約条項に入れてやろうか。
そんなことを考えながら一生懸命畳んだが二回洗っても不気味なシミの取れないのは全部捨ててやった。クレヨンは一度身に着けた物はいらないと言い張ったが、贅沢を言うなと押し付けてやった。
クレヨンの部屋の片付けとパンツの洗濯だけで日が暮れて夕食の時間になったが、考えてみれば昼飯抜きでサルの檻の片づけをしていて昼飯がまだだったことに気がついたらひどく空腹を感じ始めた。
「夕食は何がよろしいですか。」
お手伝いが僕に夕食のことを聞いたが、まさか希望したらフランス料理のフルコースでも出てくるのだろうか。
「どうぞお構いなく。何でも結構ですから。」
そんな心の内は明かさずに至極控えめに答えておいたが、正直なところこういう家庭ではどんな食事が出てくるのか興味があった。
「もう一人いらっしゃるのですか。その方の分も用意しますか。」
お手伝いは女土方のことを聞いたのでこれも控えめに「良しなに」と答えておいた。取り敢えずこの空腹を何とかしないといけないとは思ったが、まさか他人様の家で冷蔵庫を漁るわけにもいかないので困っていたところお手伝いが気を利かせたのかコーヒーと洒落た洋菓子を器に盛って運んで来た。
「今日はお昼を召し上がっていらっしゃらないのでお腹が空かれたでしょう。申し訳ありませんが食事の支度が出来るまでこれで辛抱してください。」
「ああ、気を使っていただいてすみません。」
一応表向きは女性なので腹は減っていてもあまりがつがつと食らいつくわけにもいかず、一言御礼を言ってから一つ摘んで口に運んだ。しかし空腹の時というのは一つ手をつけると歯止めが利かなくなったように次から次へと手が出そうになるのを必死でこらえながら『品良く』をモットーに手にとった菓子を少しづつ口に運んだ。それにしても欲望というのは際限のないもので少しでも腹に入るともっともっとと欲求がこみ上げて来て目の前に山と積まれた菓子を見るのが恨めしかった。
僕もちょっと妙齢は過ぎているかもしれないが、まだまだ売り物の女性として振舞わないと佐山芳恵に申し訳がないので食いたいものも我慢しながらコーヒーをお代わりして耐えていたところに女土方から電話が入った。
「今戻ったけどどうすればいいの。あなたの着替えは用意して持っていくけど。ところで社長から直接電話があって『明日は出勤しなくてもいい。』と言われたけどどうなっているの。本当にややこしいことばかり引き寄せる人ね、あなたって。」
女土方はそう言うが一番ややこしいのは僕が佐山芳恵の体に住み着かなくてはいけなくなったことでこればかりはややこしいことばかりと言われても僕にもどうしようもない不可抗力か災難のようなものとしか言いようがなかった。
「ごめんね、変なことにばかり巻き込んで。着替えは上から下まで全部お願いね、動き易いものを。食事はこっちで用意してくれるそうだから来るまで待っているわ。車を停める場所はいやというほどあるわ。ここの場所は分かる。」
「ナビがあるから大丈夫。社長から地図がファックスされて来たし。じゃあもう少ししたら出るわね。」
本当に女土方は何でも嫌がらずによくしてくれる女だ。こんなあほらしいことにも手助けしてくれて本当に涙が出るほどありがたい。
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Posted at
2016/03/13 17:37:40
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