2016年03月30日
あり得ないことが、(61)
「いいじゃない、見せてあげれば。ここには女だけしかいないんだし。」
『女土方よ、僕は男だ。』
そう言ってやりたかったがそれこそ身包み取り去ってさらけ出しても証明は出来ないことだから黙っていた。さすがに事ここに至っては僕も覚悟を決めざるを得なかった。前にも話したかもしれないが元々男の僕は上半身を人前に晒すことには何の抵抗もなかったが、下半身となると話は別だった。
「分かったわ。ちょっと待ちなさい。」
僕はバスルームに入るとさっさと着ているものを脱いでバスタオルを体に巻きつけて部屋に戻った。そしてクレヨンの前でやや足を開き加減に立ってバスタオルを開いて見せた。ああ恥ずかしいなんてものじゃない。
「さあこれでいいでしょう。」
僕はバスタオルを閉じて体を覆うとバスルームに戻ろうとした。
「へえすごい。きれいな体。ねえ後ろも見せて。」
何てやつだ、こいつは。どこまで人をおちょくったら気が済むんだ。もうほとんど自棄になって僕はバスタオルを取り去って手に持った。そしてそのまま何も言わずにバスルームに入ってしまった。全くつい口走ったとはいえ、何とはしたないことをしてしまったんだろう。トレーナーやTシャツを着て部屋に戻るとクレヨンが叫んだ。
「佐山さん、素敵じゃない。もっとおばさん体形かと思ったら肩なんか筋肉が盛り上がってとてもセクシーよ。驚いちゃった。」
セクシーだと。お前の脳みそにはかなわないよ。こいつに恥じらいなんて期待した僕が間違っていた。ところでそう言えば女土方の止めるのも聞かずに最近ウエイトを始めたんだった。この時代女も見目麗しさだけではなく力も必要だからな。
「二人ともとても素敵だったわ。でもお遊びはそろそろ終わりにして休みましょうか。」
それまでニヤニヤ笑いながら成り行きを楽しんでいた女土方が口を挟んだ。元祖ビアンの女土方はこの馬鹿馬鹿しいせめぎ合いをけっこう楽しんでいたのかもしれない。僕は女の真似事のようにささっと顔を整えてからコーヒーとタバコを持ってベランダに出た。そういえば今日はごたごたしていてタバコも吸っていなかった。
この家のベランダはとにかくだだっ広くてテーブルとデッキチェアの他に立派な灰皿が備えてあった。タバコを吸うならここで吸えということなのだろう。早速コーヒーを一口飲み込むとタバコに火をつけた。一口吸うと頭がくらくらした。一口でこれだけ影響があるんだからきっと体にはかなり悪いんだろう。止めた方がいいんだろうけど体に悪いことは他にもたくさんあるからまあいいだろうと思ってしまうのがニコチン中毒の言い訳なのかもしれない。タバコを吸い始めると女土方がベランダに出て来てタバコを吸い始めた。
「あなたはあの手の子の扱いにずい分慣れているわね。ちょっと意外だったわ。あなたがあの手の子に慣れているなんて。」
女土方はタバコに火をつけて一口吸い込むと僕の方を向いた。
「ビアンの世界は狭くて複雑だって最初に会った時にあのバーで話したでしょう。なかなか思うような相手が見つからないって。そういう時に温もりが欲しくなったらどうすると思う。あの子みたいな若い子が情報誌か何かで見つけてビアンの世界に迷い込んでくることがあるの。勿論半分は自分がそうじゃないかと思い込んででも半分は興味本位で。そういう子の中でいいなと思う子を選ぶのよ。
でもそんなにたくさんそんな子がいるわけじゃないからほどほどで妥協したり、一人の子をめぐって何人かが競ってトラブルになることもあったわ。けっこうジメジメした暗い世界なのかもね。あなたにこんなことを話すと嫌われてしまうかも知れないけど、人が連合いを求めるのはヘテロセクシュアルでもホモセクシュアルでも同じことでしょう。皆淋しいのよ。」
僕は女土方に「うん」とだけ答えた。にわか女の僕には女の気持ちは分からないし、ましてビアンの思いなど想像も出来ないが、独りで生きることに淋しさが付きまとうということは痛いほど良く分かった。
またビアン入門者に手練が群がるという構図も確かにどろどろした艶かしさを感じさせるが、男なんていう生き物は毎日行き交う女の乳やけつを品定めしては風俗に飛び込むのだからビアンを責める資格なんかないだろう。さる日本のトップエリートの方も「通勤電車で女性のパンツが見えると得したような気持ちになる。」などと酩酊気分で楽しそうにおっしゃっていたから女を求める欲求は知性とはあまり関係がないのだろう。
「軽蔑したでしょう。私のこと。」
女土方が僕を見た。
「どうして。皆同じでしょう。誰もそんなこと責められないわ。私は何とも思っていないわ。」
「ありがとう。」
「お礼なんていわれるようなことじゃないわ。私はあなたが好きよ、だから一緒にいるの。お礼を言いたいのは私の方よ。」
女土方が微笑んで何かを言おうとした時に窓が開いてクレヨンがベランダに出て来た。
「仲良しなのね、あなた達って。いいな、お友達がいて。」
サルが珍しくまともなことを言った。
「あなたにはいないの、お友達が。」
「遊ぶ仲間はたくさんいるけど本当のお友達ってどうなのかな、いるのかな。よく分からないわ。」
「そう、良いお友達が見つかるといいわね。」
女土方は優しく答えたが僕はお前が友達を見つけたいなら日光か高崎山でも行けと言ってやりたかった。そんな僕の気持ちを察したのか女土方が僕に視線を向けて機先を制した。
「さあ、休みましょう。」
女土方が立ち上がったのを合図に僕達は部屋に戻った。そしてそれぞれ寝支度をしてベッドに入った。クレヨンは一人で、そして僕達は二人一緒に。明かりの照度を落としてしばらくするとクレヨンが起き出した。また逃げ出そうとしているのかと思ったが、ベッドに半身を起こしたまま特に動く様子もなかった。
「ねえ、私もそっちに行っていいかな。」
クレヨンは突然おかしなことを言い出した。幾らなんでも三人は窮屈だろうと僕は思ったが、女土方はあっさり承知した。クレヨンは自分のベッドを飛び出して外を大回りすると女土方の側に潜り込んだ。
「ああ、温かい。」
クレヨンは満足そうな声を上げたが、僕はその分押し出されてベッドから落ちそうになった。
「そっちはあなた達に譲るわ。」
僕はベッドから出てからになった隣に移った。クレヨンは小柄な女だったが、大柄な僕達に加えて三人ではさすがの大型ベッドも窮屈極まりなかった。
「ごめんね。」
クレヨンの声が聞こえたが僕は何も答えなかった。その後しばらくは静かだったがいきなり「きゃっ」という女土方の声が響いた。
「こら、そんなことすると私も本気になるわよ。」
何だか満更でもなさそうな女土方の声がした。本当にここでおっぱじめる気だろうか、この二人は。
「一人ぽっちでかわいそう」
クレヨンがそんなことを言ったが僕は一向に構わなかった。男という生き物はこと女に関してはかなり基準が甘い生き物で特に僕のようないい加減は大方の女は許容範囲なんだけどどうしても嫌なのもいる。クレヨンはそのどうしてもの一人だった。
それにこの場合女土方は僕の恋人ということなんだろうからここでクレヨンと絡むのは一種の裏切りなんだろうけどそのことにも僕は何とも感じなかった。ビアンの世界ではどうなのかは知らないが、元の年齢がそういうことを超越し始めた年齢なので特に何も感じなかった。
第一僕はビアンではないし、女土方が他の女と絡んだからと言ってそれが裏切りとは全く思わなかった。もしも目の前で男と絡んだら何かを感じるだろうか。きっと「他の場所でやれば」と言うくらいだろう。元々嫉妬とかそういった類の感情がなかったかと言えばそんなこともない。若い頃は激しく嫉妬したことがなかったとは言わない。
でもだんだんとそんなことで自分が煩わされるのが馬鹿馬鹿しく思うようになってきた。皆それぞれ思うところがあるのだし一度しかない人生だから思い切り好きなように生えればいい。そんなふうに思うようになると何時の間にか嫉妬なんていう感情が心の中から消えていった。嫉妬する人間の醜さを見せつけられたこともあるのかも知れないが。
仮に女土方が他の、例えばクレヨンを気に入って一緒に生きたいというのならそれはそれで仕方のないことだと思う。褪せた感情を取り戻そうとしてもどうにもならないのならそれに追いすがるよりも新しい生き方を探した方が合理的だろう。
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Posted at
2016/03/30 00:28:16
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