2016年04月20日
あり得ないことが、(68)
それでもいくら若い女の体とは言っても抱き合ったまま同じ姿勢でいるとあちこちが突っ張って苦しくなって来るので目を覚まさせないようにそっと押し返すのだがクレヨンの奴すぐにまた転がり込んで密着してくるのには閉口した。
こんなことを何回か繰り返しているうちにいいかげん面倒臭くなって足蹴にして蹴落としてやろうかとも思ったが『窮鳥懐に入れば猟師もこれを撃たず。』なんていう諺を思い出してじっと耐えた。結局まどろんでは体が痛くなって目を覚まし、クレヨンを少し押し離してまたまどろみそんなことを繰り返しているうちに朝になってしまった。
「ああ良く眠れた。」
クレヨンは何とも清々しく目を覚ましたが僕の方は頭は寝不足でぼうっとしているし体はあちこち痛いし清々しいどころの騒ぎではなかった。こんなことならせめてしばらくぶりの若い女のけつくらい撫でておくんだった。サルにこれだけ優しくしてやったんだからそのくらいのことをしても罰は当たらなかっただろう。
しかし今日から出社しろとの仰せなので寝不足なんて言っていられない辛い事情があるため慌しく支度をしてのん気に構えているクレヨンを引き摺るように家を飛び出した。そして慣れない交通機関を使いながら何とかいつもどおりに出勤することが出来た。
「あ、主任、ずい分久しぶりですね。警察から釈放されたんですか。」
僕の顔を見るなりテキストエディターのお姉さんが驚いたような声を上げた。こいつ等釈放って人聞きの悪い。一体何てことを言うんだ。
「釈放ってどういうことよ。」
僕はちょっとむっとして聞き返した。
「え、だって会社の中では主任と澤本さんが警察に逮捕されたらしいって噂になっていますよ。社長がもらい下げに行ってもだめだったって。皆心配していたんです。」
こいつ等何を言っているんだ。どうして僕が逮捕されなきゃいけないんだ。
「逮捕なんてされてないわよ。昨日は社長からの特命で社外で仕事をしていたのよ。変なこと言わないで。」
寝不足に加えて体が痛い僕はいきなり逮捕などと言われて不機嫌に椅子に体を投げ出すように座った。ところが諸悪の根源であるクレヨンは鼻歌交じりで棚から資料を取り出すとそれを開いて読み始めた。昨夜あれだけ熟睡すれば気分もいいだろう。
午前中は重い頭を抱えて四苦八苦しながら乗らない仕事に取り組んでいたが昼少し前になってとうとう我慢が出来なくなって仕事を放り出した。そこに女土方から電話があった。
「お昼一緒しない。」
女土方も何となく含み笑いをしているような言い方だった。そして外で食事をするためにクレヨンを連れて社内を歩いていると皆の視線が僕たちに注がれているような気がした。僕たちを見ながらひそひそ話をしているのもいた。どうせろくなことは言っていないだろう。
会社の近くのサンドイッチハウスで女土方と落ち合った。女土方は僕たちの顔を見るなり吹き出した。
「あなた達、警察に逮捕されたって。会社中その話で持ちきりよ。」
もう僕は返事をする気にもならなかった。
「昨夜は彼女と抱き合って眠ったわ。とても気持ちが良かった。」
癪に障るのでわざとそう言うと女土方がまた笑った。
「そうなの。良くお休みになった割には目が赤いわね。お二人でずい分お励みになったのかしら。」
くそ、女土方にはブラフも全く通じないようだ。
「佐山さん、とても優しかったんです。ずっと私を抱いて背中を撫でていてくれて。安心出来てとても気持ちが良かった。」
僕はこのクレヨンの一言で飲みかけたアイスコーヒーを吹き出しそうになった。この野郎、寝たふりなんかして起きていやがった。やっぱり変な色気を出してけつなんか撫でなくて良かった。
「二人で仲良く出来たのね。よかったわ。これからも仲良くしてね。」
女土方は僕たちに嫉妬するどころか仲良くしていたことを聞いて余裕で嬉しそうだった。
「私も行ってあげられればいいんだけどずっと行きっぱなしって訳にも行かなくてごめんね。今度の週末には行ってあげるからね。」
「じゃあ、週末には三人で一緒に寝られるわね。楽しみだわ。」
クレヨンはうれしそうにそう言ったが、そんなに毎晩お前に張り付かれた日にはこっちが寝不足で倒れてしまう。寝不足は健康にも美容にも一番悪いんだ。今度張り付いたら自存自衛のために足蹴にしてやるかそれでなければ今度こそけつでも撫で繰り回してやる。
「ねえ、何とかしてよ。もう一晩で疲れちゃったわ。ずっとしがみつかれて。寝られやしなかったわ。」
クレヨンが席を立った隙に僕は女ひじ方に泣きついたが、女土方は「若い子と抱き合って眠れるんだから感謝しなきゃ。」と言って相手にしてくれなかった。そりゃビアンか男なら大喜びなんだろうけど僕は極めて特殊事情なんだからそういう訳にいかないんだよ。
午後はさらに重く何かが張り付いたようにはっきりしない頭で仕事を処理して定時になったらさっと帰ろうと思ったら今度は北の政所様に呼ばれてしまった。
「ちょっと二人で来てくれない。社長が話したいって言って待っているから。」
『社長、お前もそんなに心配なら自分の家にこのサルを連れて行って添い寝してやれ。』
僕は社長にそう言ってやりたかったがここは宮仕えの辛さ、まさかそんなこと口が裂けても言えないので指定された店にクレヨンを連れて行った。全く幼稚園の子供でも連れているような気がした。指定された店に入ると社長と北の政所様が二人で待っていた。
「時間がないので手短かに言うけど僕と森田さんは急遽明日から一週間シンガポールに出張することになった。それで大変申し訳ないんだけどその間どうか澤本君をよろしく頼む。部長にはよく言い含めておいたので必要なら出社しなくてもかまわない。金も使ってもらってかまわないから。どうかトラブルのないようよろしく頼む。」
『君達こそシンガポールでトラブルを起こさないように。』
そんなことは言えないので「分かりました。」とだけ答えた。
「毎日電話を入れるからね。お願いね。」
北の政所様も言わなくてもいいようなことを言った。どうしてこの二人はこんなにクレヨンのことを気にかけてかまうんだろう。やっぱり隠し子なのか。僕の頭にはまたその疑惑が浮かんできてしまった。
「じゃあ僕たちはこれで。」
社長と北の政所様はそそくさと店を出て行ったがこんなことなら電話でもいいじゃないか。こんなところに呼び出す必要もないだろうに。僕は疲れた体とクレヨンを引き摺るようにして家に帰るとまた豪華なダイニングで高価な食器に盛られた普通の食事をした。普通の食事とはいっても材料は良いものを使っているらしく味は悪くなかったが。その晩、風呂も終わってベッドに転がって本を読んでいるとまたクレヨンが入って来た。
「今日もここで寝ても良い。」
僕は黙って頷いた。一人で寝ろと言ってもぐずぐず言うんだろうし、一緒に寝ればどうせまた寝不足になるんだろうが、この際仕方がない。今日こそけつでも撫で繰り回してやるか。クレヨンは笑顔ホクホクで部屋に入って来ると隣のベッドに飛び込んだ。そしてまた雑誌を読み始めた。そうそう、そうして静かにしていてくれればいいんだ。クレヨンはしばらく静かにしていたが突然とんでもないことを口にした。
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Posted at
2016/04/20 22:50:27
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