2016年05月22日
あり得ないことが、(79)
「さあ食べよう。七面鳥なんて珍しいじゃないか。」
社長はナイフとフォークを手に取ると料理を貯め始めた。北の政所様も「美味しそうね。」と言うと料理に手をつけ始めた。女土方もラズベリージャムが添えられたターキーを器用に切り分けて口に運んでいた。ここにいるのはどいちもこいつもアブノーマルばかりなんだからこのくらいのことでは驚かないのかもしれない。何だか僕だけ緊張しているのもばかみたいなので料理を楽しむことにした。
「僕たちのことを不道徳な奴等だと思うだろうけどそんなに関係を続けていたわけじゃない。その頃ちょうど冴子が仕事にもある男性との交際にも行き詰まって僕のところに転がり込んで来た。その後はお定まりなんだが、こいつ当時はちょっと荒んでいて以前の男とよりが戻りかけていたり込み入っていたんで。女性は複数の男性と関係があっても妊娠すれば誰の子供か分かるというがどうなんだろう。冴子はいくら尋ねても何も言ってはくれないし。」
「私の子供だということは間違いないわね。」
北の政所様が微笑んだ。
「その後またいろいろとあって結局子供を欲しがっていた今の家に養子という形で預けることになったの。その当時のことを詳しく話してしまうとややこしいことになるから言えないけれど、でも自分で育てなければいけなかったのよね。あの子には本当に悪かったと思っているわ。」
北の政所様は複雑な心境であるべきところをかなり淡々と語った。そんな訳だから実際に淡々としているのかそれとも敢えてそう振舞っているのかこの女の本当の心の内側は見えなかった。
「いろいろ訳ありなんだろうとは思っていましたがそういうことだったんですね。分かりました。でもこれからどうするんですか。あの子のことを。私達だって何時までも一緒にはいられませんけど。」
僕がそう言うと女土方が口を挟んだ。
「あの子ももう大人なんだから一緒にいてやることはないんじゃないの。何かあった時や淋しい時に相談相手になってやれば十分だと思うし、それ以上のことは出来ないと思うわ。あの子はこれまでいろいろなものを背負い過ぎていて自分を磨くなんてことにまで手が回らなかっただけで本当にお馬鹿さんじゃないでしょう。
今度企画室に配置になったら彼女が自分を磨くことにそれなりに手を貸してあげられるかもしれないじゃない。ねえ、あなたはあの子のことをサルだのばかだのと言うけれど本心は違うんじゃないの。あの子もあなたを慕っているし結構なついているじゃない。私も手を貸すから面倒を見てあげましょう。今ここであの子を見放したらかわいそうだわ。」
どうしてもこういう状況になると手を差し伸べてしまう女土方はクレヨンにとても好意的な見方をしているが僕は本当にクレヨンはただのばかだと思っている。ただ根っからの根性曲がりではないようには思う。それから確かに背負っているものが重過ぎたということはあるのかも知れないが、自分を磨けなかったということは本人の自覚や努力が足りなかったせいでクレヨンの周囲にばかり責任を押し付けるのは間違っていると思う。企画室の体制について事ここに至っては僕がいくら反対してもどうにもならないだろう。だからそれについてはもう受け入れざるを得ないのかも知れない。
しかし世の中というのは平和そうに見えてもいろいろと事情があるものだな。僕はクレヨンが社長と北の政所様の子供だと信じているがこんなことは世間にはけっこうありふれたことなのかも知れない。それとも僕が佐山芳恵になってから世間の異常な人間関係を招き寄せるようになってしまったんだろうか。
「彼女を非常勤で使うということは分かりました。会社の決定事項というのならそれはそれでけっこうです。でも彼女の大学はどうするんですか。彼女はまだ大学生ですよね。」
「そう、そのとおりだ。そのことは彼女の父親とも相談しなくてはいけないが、当面大学は休学させることで向こうも冴子も了解している。もう少し彼女自身が落ち着いた時点でそれから先のことを考えればいいと思っている。」
「もう一つお聞きしても良いですか。」
何だかややこしい状況の中へと引きずり込まれて行く僕にとっては聞きたいことや確認しておきたいことはたくさんあった。
「彼女を企画室で使うということは親子が同じ職場で勤務することになります。親は私の上司でもある人です。でも今度新しい体制になったら私は誰にも遠慮はしないで彼女を使いますがそれでよろしいのですね。」
僕は社長と北の政所様を交互に見据えてやった。
「かまわないわ。私はそういうところには私情は挟まないから。あなたの部下になるんだからあなたが思うようにしたら良いわ。」
社長も北の政所様に何度も頷いた。
「僕はそれを期待しているんだ。佐山さんのその厳しさを。もっとも佐山さんと言うよりもニュー佐山さんと言った方がふさわしいかな。」
僕は社長の言葉に驚いて切りかけたターキーの肉を大きく滑らせて無様な音を立ててしまった。やはり分かるんだな、僕が、あ、いや、佐山芳恵が変わったのが。もっともこれだけ派手に立ち居振舞っていればそんなこと当たり前のことか。
「ねえ、森田さんは社長さんのことを愛しているの。」
女土方が落ち着いた口調で静かに尋ねた。北の政所様はナイフとフォークを操る手を止めて女土方を見た。
「どうして、そんなことを聞くの。」
北の政所様が穏やかに応じた。どうもこいつ等が向き合うと何とも言えない迫力がある。剣豪同士が剣を構えて向き合っているようだ。
「いえ、こんなこと余計なことなんだろうけどちょっと聞いてみたかったの。あなた達を兄弟にしてしまうなんて神様も罪なことをするわね。」
「そうね。」
北の政所様はまた手を動かし始めてターキーを切り分けると口に運んだ。
「好きよ、彼のこと。好きと言うよりもきっと愛しているんだと思うわ。私ね、たくさん恋をしてきたけど結局恋と愛の違いがよく分かっていなかったのね。恋をするたびに今度こそこれが本当の愛だと思ったけれどその度に失望させられたわ。
そうして傷ついて戻って来ると彼がいたわ。彼は何時もそうして戻ってくる私を暖かく迎え入れてくれたわ。私も彼といると気持ちが安らいで安心出来るの。傷ついた自分が癒されていくような気がするのよ。でもそれが愛だなんて分からなかった。兄弟だからって思っていたわ、何年も年を重ねるまで。
それは分かっているわよ。それは世間では許されないことだって。でもそういう人がたまたま血縁関係のある人だった。それだけのことでしょう。もう私達の人生も半分以上終わったわ。もう少しがんばらないといけないけどその後は穏やかに残りの時間を過ごすことが出来れば良いなと思うけどね。
良いことをしているなんて思わないけどごく身近な人を除いて迷惑をかけているわけじゃないし法律に背いている訳でもないわ。しようと思ってしたことでもない。気がついたらそうなっていただけ。誹りは受けるわ。でも多かれ少なかれ他人を本当に非難できる資格のある人がこの世の中に一体何人いるのかしら。一体誰が本当に私達を非難出来るのって思いはあるわ。でもこれって開き直りかもね。でももういいのよ、開き直りでも何でも。
あなたは良い人が見つかってよかったわね。外見は厳しくて素っ気無さそうに見えるけどとても優しい良い人ね、佐山さんって。さっき彼がニュー佐山さんて言っていたけど本当にそうね。全く別人と言うくらいに変わったわね、彼女。
そうだ、どうしてそんなに変わったの。沖縄でも聞いたけどそんなに急に変わった理由が分からないわ。でもとても興味があるから是非聞きたいわね。佐山さんの変身の秘密って。」
北の政所様がまた変なことを言い出した。自分のことをはぐらかすために人をだしに使うんじゃない。変わった理由なんて何度も言っているじゃないか、自分達で。全く別人になったからだよ。
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Posted at
2016/05/22 01:57:21
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