2016年05月25日
あり得ないことが、(80)
「なぜ変わったかなんて自分でも良く分からないわ。生き方を変えたかったのが本音かも知れないわね。こんなに変わってしまって自分でも驚いているわ。でも今の私にはこれしか生き方はないの。そう思っているわ。あなたが社長と残りの人生を穏やかに生きるというように私は彼女とこれからの人生を一緒に生きるわ。そのことで誰に何と言われようと私はかまわないし平気よ。もしも私たちに何か不具合を仕掛ける人がいれば本意ではないけれど強硬手段も取らざるを得ないかもね。でもそんなことがないように祈るわ。私、本当は気が弱いのよ。」
そう言うと皆がどっと笑った。誰もが相当に重い問題を背負っている割には誰もお気楽な感じだった。でもそれは表向きのことだけで心の中はうかがい知れなかった。
結局そんなこんなで新体制は押し切られる、クレヨンは押し付けられるで踏んだり蹴ったりの態で交渉は終わってしまった。あまりあっけらかんと告白されてしまったので何だかはぐらかされたように落着してしまったが、それにしても世の中はいろいろ複雑な人間関係があるようで驚かされてしまう。誰も平然と生きているようでいろいろ背負っているものがあるのだな。
社長と北の政所様については当然クレヨンの生き方も背負うべきだと思うが、そう思う僕が間違っているだろうか。いくらサルが馴染んでいるからと言っても僕らに背負わせるべきものではないだろう。でも女土方が面倒を見てやれというのだから仕方ないか。それにしても皆様々なものを背負ってなんて考えてみると一番複雑で厄介なものを背負っているのは僕なのかも知れない。だから無闇に他人のことを同情しないで本当は僕のことを同情して欲しいものだ。
昼食を終えると社長と北の政所様は寄るところがあるとか言って車でどこかに消えてしまった。まさかいかがわしいところに行くんじゃあるまいな。僕と女土方はタクシーチケットをもらってホテルを出たがどうも僕はこのところすっきりしないものがあった。もうこのところクレヨンの世話ばかりでずっと女土方との時間を過ごしていないことだった。
「どうする、車を拾って帰ろうか。」
女土方は真面目にそう言ったが、僕は「ゆっくりして帰ればいい。」という社長の言葉をありがたく真に受けて真面目な女土方を尻目に何となく街をぶらつきながら歩いていた。
「どこに行くのよ。」
問いかける女土方に答えずに特にあてもなく歩いていると路地の奥にラブホテルの看板が見えた。そう言えばこの辺は所々にその手のホテルが点在していることを思い出したが、それらしくない何となく風変わりなホテルの外観に興味を引かれて路地を奥へと入って行った。
最近クレヨンのおかげで女土方と二人で過ごす時間がほとんど持てなかったのでホテルを見たとたん僕は急に女土方と二人きりになりたいという欲求の虜になってしまった。そのホテルは狭い敷地に建てられた五階建のビルで何だか普通の事務所ビルか会社を改装したようなラブホテルには似つかわしくない外観だった。
「ねえ、どこに行くのよ。」
訝りながらついて来る女土方の腕をつかんでいきなりそのホテルに引きずり込んだ。突然のことに抗う暇もなかったのか女土方はあっさりと中に引き込まれた。ドアを入ると正面に小さなエレベーターがありその脇に受付があった。そして奇妙なことに西洋アンティークのイミテーションのような飾り物があちこちに置いてあるのが目を引いた。
受付には年配の女性が座っていたが僕達を見ても特に驚いた様子もなく「ご休憩三時間になっております。」と言った。こういうところでは必ず「ご休憩」と言うが、でもこういうところですることはご休憩なんだろうか。僕は五つしかない部屋のうち空室になっている部屋のボタンを押して鍵を受け取るとほとんど呆けている女土方の腕をつかんでエレベーターに乗った。
ちょっと重々しい雰囲気のドアを開けると思ったとおり中はちょっと古風な洋風の造りになっていたが一般のラブホテルのようなちゃらちゃらしたケバさはないのが面白かった。
「ああ、久しぶりに二人きりになれたわね。」
僕はベッドに腰掛けて女土方を見上げた。
「あんたってなんてことするのよ。いきなり人をこんなところに引っ張り込んで。びっくりして声も出なかったわ。本当にあんたって男みたいに野蛮なことをするのね。」
珍しく女土方が目を剥いて怒っていた。怒るというよりも驚いていたのかも知れない。でもこいつだって会社の更衣室でいきなり人の唇を奪ったんだからこのくらいのことで文句は言えないだろう。
「そんなに興奮してあなたこういうところ初めてなの。」
「もうずっと昔に行ったことはあるわ。でも女同士で入ったことなんかないわよ。」
「いいじゃない、女同士だって。あ、そうか。女同士ならこういうところに来る必要はないのよね。普通のホテルでも問題はないんだろうし。」
「そういう問題じゃないでしょう。勤務時間中に不謹慎だわ。」
女土方は文句を言いながら部屋の中をきょろきょろ見回して落ち着かない様子だった。
「ねえ、もう入ったんだからそんなに動揺しないでここに座りなさいよ。もうずい分あなたと二人きりで過ごしたことがないじゃない。少しくらい私のそばにいて。」
僕は女土方の腕を引っ張って自分の横に座らせた。ベッドにすとんと腰を落とした女土方は少しの間黙って大人しくしていたがしばらくすると僕の方を向いて微笑んで僕を抱き寄せてくれた。僕達はそのまま抱き合ってベッドに倒れ込んだが久しぶりの女土方の温もりが心に染みるように心地良かった。
「あーあ、気持ち良かった。あなたの温かさ良いわあ。」
僕はバスタオルを体に巻きつけてベッドから起き上がった。ずい分長い間女土方と抱き合っていたような気がして時計を見るとまだ三時前だった。
「何だかあなたといるとだんだん悪い子になっていくような感じ。でも今更離れては生きて行けそうもないかも。」
女土方がベッドに横になったまま変なことを言った。どうして僕と一緒にいると悪い子になっていくんだ。こんなに良い子で品行方正に生きているじゃないか。
「コーヒーでも飲もうか。」
僕はこれも古風なコーヒーカップを取り出してドリップ式のコーヒーバッグを開くとカップに載せてポットの湯を注いだ。そして「はい」とカップを女土方に差し出すと女土方はタオルもまとわずに裸のまま起き上がってカップを受け取った。他の者は冷淡だとかお高くとまっているなどとあまり良く言わないし、それはそれで彼女にも責任があるんだろうけど本当は女土方は人一倍心の優しい女だし、僕にとっては美人でかわいい女だった。
そんな女土方は根っからのビアンで、もしも僕が男のままだったらたとえ出会ってもすれ違うだけだったろう。僕が女になったからお互い急接近してそのかわいい美人を抱けるようになったんだけど果たしてそれを喜んでいいのかそれとも悲しむべきことなのかあまりに問題が複雑に過ぎて僕自身よく分からなかった。
「ねえ、あなたはこういうところに来たことあるんでしょう。」
コーヒーを飲みながら女土方が僕に聞いた。
「あるわよ、何回か。」
本当はけっこう利用していたんだけれどそれはそれで男だった頃の過去のことだから積極的に話す必要もないだろう。
「私は良い思い出がないから。この手の場所にはね。」
女土方は首をすくめた。確かずっと以前に無理をして付き合っていた男がいたと言っていたのでその頃の話だろう。そうだとしたら確かに良い思いではないかもしれない。
「でも今日は楽しかったわ。ここってちょっと素敵じゃない。内装にお金をかけているのかもね。」
女土方は西洋アンティークに溢れた部屋を見回した。どうせイミテーションだからそんなに感心するほどじゃないが悪い雰囲気ではなかった。女土方は相変わらず裸で足を組んでベッドに腰を下ろしていたが、その姿が何とも色っぽくてまた抱きしめたくなってしまった。どうも我ながら節操がない生き物だと思う。
ブログ一覧 |
小説 | 日記
Posted at
2016/05/25 20:59:27
今、あなたにおすすめ