2016年06月23日
あり得ないことが、(86)
部屋に入ると北の政所様とマルチリンガルはもう出勤していた。秘書だから社長出勤前に済ませておかないといけないことも多いだろうから当然出勤も早いのだろう。僕たちの部屋は机やロッカー、パソコンといった基本的な事務用品は運び込まれていたが、書類や資料、その他もろもろのものはほとんど手付かずの状態で本格的に始動するにはまだまだ時間が必要だった。
さてどうしようかと思案していると北の政所様に呼ばれたので僕は取り敢えずテキストエディターのお姉さんとクレヨンに資料やその他の書類の整理分類を頼んで部屋を出た。北の政所様の前に立つと彼女はあっちこっち忙しそうに書類を繰りながらろくに僕の顔も見ないで早口にまくし立てた。
「さっそくで申し訳ないんだけれど当面の企画内容とそれに沿った活動方針を早急に取りまとめて欲しいの。来週の役員会で報告しなくてはいけないから。お願いね。」
「分かりました。他には。」
僕が聞き返すと北の政所様はやはり顔も上げずに書類に目を走らせて「今のところはそれだけよ。」と答えた。その姿がいかにも女性キャリアという感じだったが、何だか沖縄のホテルで彼女のけつを剥いて叩いた時の光景が目に浮かんで来ておかしくなって口元が緩んでしまった。
「どうしたの、何かおかしいことでもあるの。」
そんな僕を目敏く見止めて北の政所様が不思議な顔をした。
「いえ、何でもありません。じゃあすぐに作業にかかります。」
まさかあの時けつを叩かれたあんたを思い出しておかしくなったとも言えないので適当に答えると仕事に戻った。部屋ではテキストエディターのお姉さんがクレヨンを叱咤激励して書類や資料の山と格闘していた。
「ちょっと急ぎを言いつけられたのでごめんね。」
僕は二人にそう言って席についた。今、僕が考えているのは、幼児期から老年期までの生涯語学教育、高速デジタル通信網とデジタルメディアを活用した語学教育、語学教育と旅行、外食、映画、観劇その他エンターテインメント部門との融合など使える語学教育とは別の言葉を楽しむ語学学習の開発などだった。
高速デジタル通信網とデジタルメディアの活用は特に目新しいことではなく今の世の中当たり前のことだが、生涯語学教育と言葉を楽しむ語学学習はちょっとした目玉のつもりだった。特に言葉を楽しむ学習で組み合わせるものは何でも良かった。スポーツでもリラクゼーションでもファッションでもエステでもガーデニングでも芸術でも音楽でもペットでもいちいち挙げていれば切りがないがとにかく興味のあることを通じて言葉を楽しく学んでしかもこちらは業務としてそれぞれの分野に進出することが出来ればというのが僕の考えだった。
もちろん自社で乗り出すのではなくその分野の会社とのコラボレーションで十分いけると踏んでいた。その三項目を基礎に据えて今後の業務の進め方などを織り交ぜた文書を作成して北の政所様に提出した。しばらくすると北の政所様から電話があった。
「あなたの報告書、とてもよく出来ているわ。それに言葉を遊ぶという感覚が新鮮ね。良いかも知れない。それでね、営業にこの手の商品が出ているのか、それとこうした企画にどの程度の需要が見込めそうなのか営業に確認しておいて欲しいの。お願いね。」
壁一つ隔ててほとんど同じ部屋にいるんだからこっちに来て話せばいいだろうにわざわざ電話してくることもないだろう。まあそれはいいとして営業のことなら営業君に頼めば良いだろうと思い報告書をコピーして手渡した。
「この内容についてあなたの意見が聞きたいの。今の市場の動向や今後の需要も合わせて何か数字でもあったらつけ加えてね。」
「はい、分かりました。佐山さんから仕事を頼まれるなんて本当に光栄ですからがんばります。」
営業君は立ち上がって書類を受け取りながら余計なことを言った。くだらないことを言っていないでとっとと仕事をしろと言ってやろうかと思ったがほとんど初対面も同様の関係なので黙っていた。営業君は書類の写しを持って飛び出していったのでひとまず安心して同じような企画があるのかどうかインターネットで検索を始めた。
ところがそうして検索してみるとこれがけっこう同じような企画があるのに驚いた。儲け話を考える奴は誰も似たようなことを考えるんだろうと納得した。ただ年齢の若い者だけを対象としないで高齢者つまり仕事からリタイアして時間も金もあるが何か趣味をという人たちを取り込もうというのが僕の考えだったが団塊の世代を対象とした商売がいろいろ目白押しなのでこれも競争相手が多いんだろう。
しかし自分が勉強するのは簡単だが他人に勉強して理解もらうことはずい分難しいことだと思う。学生時代に教員免許を取得するため教育実習に参加したことがあるが、理解度の異なる多数の人間に必要なことを理解させるのがどれほど大変なことか思い知らされた。大体僕は短気で同じことを三回言って分からないと叩きたくなってしまう方なので人にものを教える仕事は全く向いていないようだ。
何よりも頭のよろしくないがきが大嫌いという性格からして最大の教員欠格事由だろう。教員になるためには人格も知識も必要なんだろうが、何よりも子供が好きなことが絶対の基本条件だと思う。教え方とか知識なんていうのは自分がその気になればいくらでも増やしたり工夫も出来るが本質的に嫌いなものはどんなに努力しても人格変化でも起こさない限り決して好きにはなれない。街中や電車の中でがきがそばに来ると嫌な気分になるようでは子供の相手なんかとても覚束ない。
今の仕事は企画をするだけで直接教えるわけではないが、これまでの経験から語学は机に向かって勉強するよりも好きなとこと一緒に楽しみながら勉強した方が良い結果が出るものだと思う。そんなわけで今回の企画を思いついた。それでも調べてみると同じようなことを考える奴はいる者であちこちのホームページに似た企画が掲載されている。
後はどんな趣味と語学を結び付けてどういうプログラムを組むかということが売れ筋を取れるかどうかの分かれ目になるのだろう。その辺のことは僕よりも営業の範疇に属することなのでそれを営業君と調整していこうと思ったら何だか営業君に対して嫌な予感がして両腕に鳥肌が立ってしまった。人間は予知能力があるというが、この悪い予感が的中するとは未だこの時点では思いつかなかった。
そんなこんなで種々様々な雑用をこなしているうちに夕方になってしまったが営業君が戻って来ないので仕方がないからクレヨンに間違っても道草なんかしないように釘をさして先に帰しておいて僕は営業君を待っていたが六時になっても七時になっても戻って来ず、携帯も通じなかった。北の政所様を始め皆さっさと帰ってしまって女土方も七時を過ぎたところでしびれを切らせて「ごめんね。」というと先に帰ってしまった。
急ぎの結果でもないし翌日聞いても良かったのだが自分で頼んでおいてさっさと帰ってしまうのも仁義に反すると思い仕方なく一人で待っていると八時近くになって営業君が戻って来た。何所に行っていたのかと思ったら自分の知り合いのツアープランナーと会っていたようだった。
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Posted at
2016/06/23 00:26:08
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