2016年07月13日
あり得ないことが、(91)
結局午前中はこの話で持ち切りで仕事にもならずに終わってしまった。テキストエディターのお姉さんとクレヨンがあまり監禁、監禁というので「あんた達はそんなに私が監禁されれば良いと思っているの。そんなことばかり言っていると私が監禁される前にあんた達を首輪でつないで監禁するわよ。」と叱っておいた。でも考えてみればクレヨンは首輪でつながないだけで後はほとんど軟禁状態と変わらないには違いないが。昼食を終えて、さあ午後くらいは真面目に仕事を、と思っているところに営業部長が入って来た。
「やあ、佐山さん、昨夜は災難だったな。君がエレベーターから脱出するときに大分泣いたというからそんなこともあるもんかなと半信半疑だったが、やっぱりうちの若い衆が大分発破をかけられたらしいね。でも彼は営業の精鋭で社長から是非と言う要望があったので出したんだ。ああ見えても繊細な大人しい男なのでどうか一つよろしくお願いしたい。」
相手の気持ちも考えずに好きだ、好きだと連呼して夜更けの会社で女性を襲う男のどこが繊細で大人しいんだ。昔は朝に夕に押して押して押しの一手も女を口説く方法として社会的に認知されていたが、今はそんなことをすると警察沙汰にもなりかねなくなってしまった。男にとっては辛い時代になったものだが、押しの一手と言っても相手の気持ちも考えずにただ自分の感情に任せて迫りまくるのとは趣が違ったような気がする。それにしてもこの営業部長の言葉で収まりかけた怒りがまた燃え上がってしまった。あの野郎、どこまでも自分に都合の良いことばかり言う野郎だ。
「繊細なのか大人しいのかは知りませんけど部長はあの男が本当にどんな男かご存知ないんですか。営業では優秀なのかどうかは知りませんが、私は誰が何と言ってもあんな男は認めません。」
僕自身も男だった頃は決して立派とは言いがたい人間だった。だから他人のことはとやかく言える立場でもないし言いたいとも思わない。世の中から外れてはいたが、女にはそこそこ縁があったし女に対して訳の分からない妄想を抱くこともないとは言えなかった。実際女の扱いも結構えげつないことをしたこともある。でもそれはあくまでも相手との合意があってのことで合意のないことは決してしたことはなかった。
僕はこう思うのだ。人間誰にも人格もあれば誇りもある。だから最低限それは尊重しないといけない。監禁だの調教だの女に対して訳の分からない妄想を抱く輩がいるようだが自分の頭の中でだけ妄想を抱く分には実害はないのだろう。しかしそれを力に任せて実行に移すことは個人の人格を土足で踏み躙ることだ。個人に限らず国際社会でも力に任せて横車を押す不埒な輩が多いようだがそんなことばかりしているから人間は神が創った偉大なる失敗作と言われてしまうんだ。ただ女性の方もその場の雰囲気に任せて理屈も何もなく男に自分の感情をぶつけまくるのはお止めいただきたいとは思うが。
しかしエレベーターの中で泣き喚くくらいは情けない男もいたものよと笑って許しもするが、好きだ、好きだと連呼の挙句に力ずくで己の横恋慕を遂げようとしたことは許し難い。更には己の罪や恥を覆い隠さんとして事実を殊更に歪曲して伝えるなど言語道断。天に代わって成敗してくれる。勧善懲悪の時代劇ならそう啖呵を切ってぶった切れば終わるんだろうがこれはまだまだ悩まされそうだ。どうも前置きが長くなったが、僕のあまりの剣幕に営業部長はややたじたじの態だったが「他に何かあったのか。」と聞き返した。
「すみません。ちょっと昨夜からのトラブル続きで気が立っていて。また後ほど報告にうかがいますから。」
女土方が慌てて割って入ってこの場を収めようとした。
「あることないこと言われてちょっと気が立っていますから。」
女土方は僕の前に立ってこれ以上僕が部長と話をしないように遮ろうとした。そうして言葉を遮られることが余計に腹立たしくて女土方を押しのけようとしたが、女土方に「だめ、だめ」と手を振られてしまったのでさすがにはっと気がついて口を噤んだ。
「何か若干の問題があるようだが、まあよろしく頼むよ。」
営業部長はそう言い残すと逃げるように立ち去った。営業部長がいなくなると女土方が僕を睨みつけた。そして「ちょっとこっちに来なさい。」と言うといきなり手を引っ張って僕を外に連れ出して近くの喫茶店に連れ込んだ。
「ねえ、あなたの気持ちは良く分かるけどあまり興奮しないで聞いて。今うちの部屋でトラブルを起こすのはまずいわ。社長が無理押しをして立ち上げたばかりなのに。社内には今回の組織改編を快く思っていない人も多いのよ。ここで騒ぎを起こすと『それ、見たことか。』とばかりに叩かれるわ。
私は自分の立場に未練はないし却って無役に戻してもらった方が肩の荷が下りて楽になるけどせっかく社長や室長が一生懸命やったことなんだから。それに今の部門を拡充していけばこの先うちの会社のためにもなると思うの。だから今ここで問題を起こしてこの部門を潰したくないの。これからは絶対にあなたと彼を二人きりにはしないわ。私も残っているから。でね、一度私が彼に話してみるわ、少し考えるように。」
女土方は組織人のお手本のようなことを言った。冷静に考えれば確かに女土方の言うとおりで間違いはないが、当事者にしてみれば腹の立つこと夥しい。どう考えてもあの野郎だけは許せん。
「あなたの言うことは分かるわ。正論だと思う。でもね、悪意がないのか知性がないのか恥を知らないのかあんな男のことは分からないけど私は感情的には許せないわ。」
そうして話しているうちにあの男に抱きしめられそうになった時のおぞましさが甦って来てまた新たな怒りが込み上げて来た。考えてみれば男と言う生き物は酒席を主な活動場所として女性に絡みついてばかりいるが、立場が逆になると当たり前のことなのだろうが感じ方や受け取り方がまるで違う。だから自分の考え方、感じ方だけでものごとを判断するととんでもない結果に陥ってしまう場合がある。戦争などもそうした片手落ちの判断で始まってしまったことがずい分あるのだろう。だから相手の立場に立てないまでもちょっと視点を変えてものごとを見てみることは必要なんだろう。
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Posted at
2016/07/13 18:38:26
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