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イイね!
2016年08月16日

翼の向こうに(2)




そして私達の活動が始まった。私達は軍から放出された工作機械や物資を買い入れて会社を始めた。まず組織を設計製造、経理、調査の三部門に分けた。

 
調査部門は徹底した市場調査を行って需要を調査した。経理部門は今でいうコスト管理を担当した。設計製造部門はこれらの結果を元に少しでも付加価値の高い商品を開発した。

 
しかしそうは言っても最初から高度な機械類を製作する技術も設備もなかったことから、取りあえずスパナやペンチといった加工の容易な工具類を中心に製造を始めた。そんなものでも物という物が無かった時代だったから、安くて品質が良ければ飛ぶように売れた。そうして資本を蓄え、人の繋がりを広げながら、徐々に高度な工作機械の製作へと移行していった。

 
私達の会社は朝鮮戦争特需、神武景気と次々に来る好景気の波に乗って拡大していった。そして高度成長期がやってきた。しかし、私達のモットーは、『客観的に判断して、柔軟性を持って対応し、合理的に行動しろ。』
だった。

 
コンピューター制御の精密工作機械の開発、高度成長の歪みを先取りした化学処理、汚水処理プラントの開発、航空機飛翔体部門への進出、個々の事業で失敗することはあったが、そういう時はその原因を徹底的に議論して解明して次に生かそうとした。大きな失態がない限り、失敗に対する責任追及はなかった。原因の究明と再発の防止がその目的だった。そしてそれは次の事業への糧となった。そうして事業は概ね順調に進展した。バブル景気にも不用意、不必要な企業の拡張はしなかったことから、その煽りを大きく被ることはなかった。

 
仕事に没頭する傍ら、私達は暇を見つけて社内や社外で相手を募っては様々な議論をした。政治経済、社会世相、文化、話題を見つけては議論を繰り返した。それは、日本人が陥りやすい教条主義に囚われないよう、常に状況を的確に判断して何が最良の方策なのかを模索する習慣をつけることが最大の目的だった。


しかし、そうして切磋琢磨して来た仲間も方向を転換して袂を別って行った者もあれば、病に冒されて他界する者もあって少しずつ減っていった。何とか自分達の考えを次の世代に引き継ごうと私達は力を尽くしたが、年齢は徐々に私たちの世代を経営の中枢から引き離していった。

 
子供の独立を機会に、私は自分の資産を整理して調布飛行場の近くにマンションを購入した。そしてその後に残った財産のほとんどを注ぎ込んで自家用機を購入した。
 
『スイスピラタス社製PC-9』

各国の空軍で高等練習機にも採用されている高性能機で曲技用の機体はそこそこ性能が割り引かれてはいるが、それでも第二次世界大戦当時の戦闘機に匹敵する高性能機だった。

 
周囲はこんな私の馬鹿げた道楽を諌める者も多かったが、この先長く生きるつもりもなかった私は意にも介さずに月に数回の飛行を何よりの楽しみに生きていた。

 
機体の維持費は決して少なくはなかったが、他に贅沢をしているわけでもなかったし、子供も独立し、妻にも先立たれて、自分だけが生きていけばよかったので、個人で出せない金額ではなかった。また自分が使わない時は他人に貸し出していたので、レンタル料も入ってきていたから何とかやりくりは可能だった。

 
そして今回その機体を駆って、九州の南部へ最後の旅に出かけて来た。自分が動けるうちに高瀬や当時の仲間が眠っている場所をもう一度見ておきたかった。

 
椅子に座ったまま転た寝をしていた私は徐々に深い眠りへと引き込まれて行った。そしてどのくらい眠っていただろう。いきなり、「起床。起床。」という大声に眠りを破られた。

「武田、行くぞ。」

 
切れのいい高瀬の声が頭の上から降って来た。ほとんど条件反射のように体を起こすとベッドの脇にかけてあった飛行服を掴んで足を突っ込んだ。そしてもう用意を整えていた高瀬の後ろ姿を追って駆け出した。まだ朝とも言えないような暗がりの中を全力で走って指揮所に行くと黒板に書き出された搭乗割りを確認した。

「高瀬、今日も三小隊長だな。俺は待機だよ。」

 
高瀬は腕を組んだまま黙って搭乗割りを見詰めていた。私達は当時海軍切っての精鋭と言われていた戦闘機隊に配置になっていた。戦争も絶望的な状況に追い込まれていた当時、ほとんどの予備士官搭乗員が特攻要員として各地に配置されていたことを考えると、私達が戦闘機搭乗員として制空戦闘機隊に配置されたことは例外中の例外といえる措置だった。

 
飛行予備学生の頃から高瀬の操縦技能は群を抜いていた。中練による単独飛行が終わりかけた頃、下士官教官が評判の高い高瀬に後上方攻撃を仕掛けたことがあった。教官にしてみれば『天才と言われているお坊ちゃんをちょっとからかってへこましてやろう。』といった程度のいたずら心だったにちがいない。

 
ところがいきなり降って湧いたように後方から降下して来た教官機を見て慌てるどころか、高瀬は教官機の射程距離一杯のところで機体を一八〇度捻るとそのまま急降下してから、今度は一杯に引き起こして急上昇し、最後は反転して背面急降下、教官機の鼻先をかすめて教官の度肝を抜いた。実戦なら教官機は間違いなく撃墜されていただろう。


「日本は格闘戦という横の旋回で空中戦を戦っている。空戦で勝つために機体を縦横に機敏に操縦するには、それ相当の熟練が必要だ。だけど急降下、急上昇の一撃離脱なら、降下制限速度に気をつけることと引き起こしの腕力だけで、後は特に難しい操作など必要ない。日本のように時間も金もなく、急速に搭乗員を養成しなければならない国は出来るだけ簡単な合理的な空戦の方法を教えるべきなんだ。」

 
その時、高瀬は私達にそんなことを言った。確かに高瀬の空戦は典型的な一撃離脱戦法だった。ただ高瀬はそれ以外に神業のように研ぎ澄まされた射撃技術を持っていた。彼は射撃訓練でどんな方向からでも、ほとんど全弾を曳航標的に命中させていた。その射撃の正確さには教官も舌を巻くほどだった。

 
軽いおふざけとは言ってもたかが単独飛行時間数十時間の飛行予備学生が教官の度肝を抜いた話は航空隊中に広まるのにさほどの時間はかからなかった。

 
そして司令官の命令でもう一度高瀬と下士官教官との模擬空戦が行われることになった。下士官は飛行時間二千時間を越え、十機近い撃墜を記録しているベテランだった。それを飛行機に乗り始めて五、六十時間の飛行予備学生が適うはずもないのは当然だった。

 
高瀬は離陸すると旋回しながら高度を取って行った。そして高度三千メートルくらいで基地の上空を大きく旋回し始めた。一方教官の方は一直線に上昇して高瀬の上に出ると同じように旋回を始めた。双方準備よしと見て指揮所から信号弾が上がった。それが戦闘開始の合図だった。

 
教官の方は更に高度を取ってから、前回と同じ様に高瀬の後上方に出ると高瀬の機体に食いつこうとした。当然高瀬は前回のように機体を捻って降下すると思われた。ところが教官が射点につこうとすると、今度は機体を捻って横転させると速度を落としながら糸の切れた風船のようによろよろと上昇を始めた。

 
降下して逃げると思っていた教官は目の前から突然高瀬の機体が消えたため前にのめって降下していった。そこに素早く態勢を立て直した高瀬の機体がまた鼻先に降って来た。

 
教官はその後何回か高瀬に仕掛けたが、高瀬はゆっくりと旋回を続けるだけで相手になろうとはしなかった。高瀬にしてみれば『もう勝負はついている。撃した敵と二度も戦う必要はない。』といったところだったのだろう。しばらく旋回してから教則にあるとおりの着陸をして、機体を整備に預けると指揮所に走って来た。


「高瀬学生、本日の飛行作業終了しました。」

 
高瀬は大声で申告すると呆気にとられている幹部を尻目に淡々とした表情で待機所に戻って来た。
 

その後何回か数人の教官が高瀬に挑んだが、突っかけても降りるのか上がるのか分からない高瀬に、自分達の立場がある教官は返って緊張してしまい翻弄された。最も高瀬にしてみれば翻弄も何もなく、ただ勝つために最善を尽くしただけだったのだろう。

 
私は、後日高瀬に『攻撃を避けるのに降下するのか、上昇するのか、何時どうして決めるのか。』と聞いたことがあった。高瀬は私を見ながら、『相手を見た時、勝手に体が動いている。考えていたら墜される。』そう言って笑った。急降下と急上昇を繰り返す一撃離脱は確かに易しいところはあるかもしれない。しかし降下点、降下角、そして一瞬を捕らえた射撃とその後の離脱、再攻撃、そう言ったものを総合的に考えると決して簡単なものとは思えなかった。

 
機体を横転させて降下するにも上昇するにも横転と上昇降下という二つの動作をしなければならないために、上から突っ込んで来る相手にはどうしても遅れがちになって頭を押えられてしまうが、高瀬は絶妙のタイミングで背面降下、上昇を使って素早く相手をかわして後上方に出ると、そのまま相手の鼻先をかすめるように降下攻撃をして、そしてまた同じ様に相手の後上方に出ているのだった。

 
空戦の時、高瀬の瞬間を捕らえて的確に機体を操縦する能力は人間のそれを遥かに超えているように思えた。そんな高瀬も飛行機を降りるとあまり目立つところのない物静かな青年だった。そこそこ酒も飲んだが、大言壮語することもなく静かに他人の話を聞く方に回っていることが多かった。

 
戦争の先行きが怪しくなって来た頃、彼は東京の私学に在学していたが、学生に対する徴兵の猶予が撤廃されることを聞いて、陸軍に入隊するのを嫌って海軍予備学生に志願したと話していた。


「陸軍の精神至上主義がどうしても嫌だった。科学的、合理的な考え方をする海軍でお国に奉公したい。」

 
面接でそう言ってまんまと合格したと笑いながら話していたが、高瀬が心底そう思っていたかどうかは当時の私には分からなかった。

 
最も私自身、高瀬と同じ様に陸軍を嫌って三年で大学を休学して海軍を志願したのだから高瀬と似たようなところがあったのかも知れない。

 
練習航空隊で高瀬について記憶に残っているのはそんなことくらいで、後は時々真剣な表情で本を
読んでいるのを見かけたくらいだった。高瀬が読んでいたのはシェークスピア、ジェーン・オースティンやトーマス・ハーディといった英文学の原書や夏目漱石や森歐外といった一般的な文学書だった。


「学問の世界との繋がりを無くしたくないんだ。もう一度元の世界へ戻ることがあるかもしれない。」

 
何を読んでいるのか尋ねた私に本に目を落としたまま高瀬はそう答えた。高瀬の答えは『どのみちこの戦争で皆死ぬんだ。』と思っていた私には奇異に思えたが、その思いもほんの一瞬ですぐに私の記憶から消えてしまった。


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Posted at 2016/08/16 18:43:16

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