2016年08月18日
翼の向こうに(4)
今の戦が容易な状況ではないことは知っていたが、本土にいるとまだそれほどの切迫感はなかった。それが硝煙の燻るようなフィリピンの最前線から帰って来た高瀬から聞かされると容易ならない状況にさすがに神妙になってしまった。
零戦の空戦能力が相対的に低下していると聞いても、実際に敵と渡り合ってきたわけではなく、何時も零戦同士で訓練をしている我々には敵の新鋭機の話を聞いても実感が沸かなかった。
「空戦ではどうしてたんだ。」
私は高瀬達がどんな戦争をしていたのか興味があった。
「俺は奴等のやり方を借用させてもらったさ。こっちが有利な時に一撃食らわせて、その後は尻に帆をかけて逃げたよ。中には妙に勇敢な海兵出の士官がいて、何倍もの敵の中に飛び込んで行くんだが、そんなことをしていたら命なんか何日も持ちゃしない。それよりも奴等は兵力を集中して一度ガンと叩いておくと、しばらくは近づかないからな。少しでも長く生きて戦う方が結局は国の役に立つと思うんだけど、どうもこの国は花と散るのが好きなようでな。
それでも最後には他の隊から紫電を借りて単機でB二四に殴込みをかけたよ。あまり卑怯未練と言われて腹が立ってな、たったの二機か三機で敵の機動部隊を真っ昼間に攻撃して来いなんて馬鹿なこと言うから、『そんなことするよりも陽動作戦で敵を揺さぶった方がいい。残った飛行機を大事に使いながら出来るだけ長く戦争を続けて敵を引きつけておくべきだ。奴等は後ろに敵を残すのを嫌がる。細くてもいいからここで長く戦を続けるべきだ。』と言ったら、『俄か雇いの予備士官はそんなに命が惜しいか。』とか何とか言いたい放題言うんで『それなら零戦ではなくて紫電を借りてくれ。B公が二度と来ないようにしてやる。』って司令部で啖呵を切ってな。
その時は二機を落とした。敵機と反航して目の前で背面になってそのまま降下して主翼の付け根に二〇ミリ撃ち込んでそれから操縦席に射線を移して行くんだ。そうして敵の機首すれすれに抜けてから反転上昇してもう一度高度を取り直してまた攻撃する。それを敵が落ちるまで繰り返したんだ。
うまいこと敵の爆撃機を撃墜して帰ろうとしたら、護衛のP三八に追いかけられてな。一機は落としたけど残りのが四機も五機も群れてきてしつこくてな。単機にB公二機も撃墜されて頭に来たのかな。飛行場に滑り込んで乗り物から逃げ出した途端に銃撃を食らって、せっかくの紫電も燃えちまった。奴等、対空砲火で一機落とされたのに本当にしつこかった。日本人のようなその場だけの情緒的な勇気じゃなくて、これと目的を定めると、そんな時は呆れるくらい執拗に食いついてくるよ。でもその時そうしてガンとやっておいたので、それからしばらくはうちの基地には本当にB公は来なくなったよ。
紫電はいい乗り物だよ。視界が悪いの、操縦性が悪いのと言って嫌う奴も多いけど、機体は頑丈でいくら突っ込んでも軋んだりしないし、防弾もほとんどないも同然の零戦に較べれば遥かにしっかりしている。発動機も整備していい油を使えばよく回る。弾がガンガン当たっても簡単には燃えない。もしもあの時零戦に乗っていたら俺も撃墜されていたかもしれない。
日本は元々資源がないし、国も小さい。技術だって欧米に較べれば劣っている。それなのにそんな国が防弾もろくにしていない戦闘機や爆撃機を作ったりして戦闘員も兵器も消耗品扱いだ。たった一回だけ損害を無視しても勝つためにやるのならそれもいいだろう。けれど日本のような貧乏国は、損害を出来るだけ少なくして戦果を最大に上げるような戦争のやり方を考えなくてはいけないのに、日本なんかよりも遥かに裕福な米英の方が合理的な戦争のやり方を研究して日本はその場の感情だけでろくな考えも陸海軍相互の連携もなく個々ばらばらに敵に当たっては皆粉砕されてしまっている。」
高瀬が憤懣やる方ないといった風情で杯を取り上げようとした時、部屋の襖が開いた。私たちが振り返るとそこには中将の階級章を付けた士官が立っていた。
「君達、なかなか面白い話をしているな。私にもその話を聞かせてくれないか。」
その提督は私達の話を聞いていたにも関わらず、特に激昂した様子もなく、穏やかな風情で部屋に入って来た。私達はバネに弾かれた人形のように立ち上がって不動の姿勢を取った。中将などという階級の高級士官に間近で相対するのは海軍に入隊して以来これが初めてだった。
「邪魔させてもらうよ。」
提督は床の間を背にして胡座をかいて座った。
「名前を聞いておこう。」
「横須賀航空隊付き、海軍予備中尉高瀬美孝であります。」
「同じく筑波航空隊所属、海軍予備中尉武田史朗。」
氏名を申告する時、脂汗が粘りつくように首筋を流れた。高瀬も私と同じように汗を流していた。
「そうか、まあ座れ。私は・・・・」
海軍次官の植松云々という言葉が遠くに聞こえた。その後にもう一度「座れ。」という声が聞こえたのをいいことに私たちは尻餅をつくようにさっきまで大あぐらをかいて座っていた座布団にへたりこんだ。
「突然割り込んで済まなかった。君達がなかなか面白い話をしているので、つい覗いてみたくなった。もう一度飲み直しのつもりで付き合ってくれ。おい、副官、何か頼んでやってくれ。それから君もこっちに来いよ。」
副官と呼ばれた士官は帳場に注文に行ってから部屋に入って来た。これも少佐の階級章を付けた壮年の士官だった。
「佐山君、これからこの若者達が言うことを聞いても怒っちゃいかんよ。我々職業軍人とは違った視点でこの戦争を見ている者の意見として聞いておくんだ。」
佐山と呼ばれた士官は黙って頷くとその後で私と高瀬を交互に睨み据えた。その目にはありありと私達に対する抑え難い憎悪の色が滲んでいた。
「この戦争を君達はどう思う。忌憚のない意見を聞かせて欲しい。」
次官の言葉に高瀬が答えようとするのを遮って私が口を開いた。ついさっきまで海軍省次官の前で縮みあがっていた私のどこにそんな勇気があったのか、私自身にも分からなかった。
「軍法会議を覚悟で申し上げます。この戦争は満州事変、支那事変を含めて、開戦したこと自体間違っています。日本は開戦すべきではなかったと思います。そして今の時点で言わせていただけば、戦争の仕方それ自体が間違っていると思います。
日本はアジアの盟主として経済、技術援助を中心として地域を主導すべきでした。資本と技術を投下してアジアに産業を興し、アジアの国と共存共栄を図るべきだったと考えます。」
「その経済進出の段階で米英を中心とする欧米列強と衝突したらどうするのか。」
「その場合は日本の軍事力を背景に、あくまでも外交交渉を続けるべきでした。三国同盟を締結しなければ、または脱退していれば、単に経済的な権益だけが問題ならば交渉成立の望みはあったと思います。
米英は自国の利益を第一に計算づくで外交を推進します。その場合、開戦時の日本の軍事力は米英にとって最終的に屈服させることはできるとしても、そのために支払う犠牲は決して無視できないものだったと思います。
米英にとってドイツを支配するナチはどのような犠牲を払っても打倒しなければならない敵であったかもしれませんが、日本が中立を維持する限り米英には敢えて日本と事を構える必要はなかったはずです。しかし日本のなりふり構わぬ大陸や東南アジアへの進出に対して、それを抑えようとする米英に対抗するためにナチと手を組んで歯向かったことが、西太平洋、アジア地域における米英の権益の保全、あるいは以後のこれらの地域への経済進出と相俟って、米英に『日本はナチとともに打倒しなければならない敵である。』と認識させた。
あるいは英米が世界に日本をそう認識させるのに成功したのだと思います。石油、鉄等の物資の安定供給と通商の回復、中国その他のアジア地域における日本の資産の保全を条件に、同時に米英の権益の保全及び経済的な進出を認める形で譲歩すれば、あえてこちらから戦争を仕掛けない限り、たとえ米英に日本を軍事的に屈服させ得る確信があったとしても、そのために被る自国民の被害や軍事的損失を敢えて受け入れてまで彼等が開戦に踏み切るようなことはなかったと思います。」
「ハルノートのような屈辱的な最後通諜を突きつけられたらどうするか。」
「どの時点まで遡って申し上げればよいのか、それによっても異なりますが、本来日本がアジア、特に中国に対して軍事侵攻ではなく経済あるいは技術的な支援という平和的進出を行っていれば、日米交渉も違った形で行われたでしょうし、たとえ現実通りの通諜が行われたとしても、政治に携わる者が『外交は基本的に自国の利益のために行うものであって他国や世界平和のために行うものではない。』という功利冷徹な哲学を持ってことに当たっていればその結果も変わっていたと思います。」
次官は特に自分の意見を言うでもなく、黙ったまま私の話を聞いていた。そしてまた次の質問を口にした。
「国内問題はどうするか。特に陸軍をどう押えればいいと思うか。本来、国家の中で軍はどうあるべきか。」
私は考え込んでしまった。軍の統制について論ずると、どうしても天皇制と統帥権の独立について触れなければならなくなってしまうからだった。実際戦闘の第一線に立っていればこそ戦闘や戦術についての批判をすることについてはそれなりに言い訳も立つが、天皇制について言及することは絶対禁避だった。
「この国では国内問題は外交よりも難しい面が多くあります。それはこの国が内部の和を非常に重要視するからです。意見の統一、又は一致、調和、それらが表面上のことであっても、それが達成されないとこの国の内政は容易に動かないからです。
根回しといった日本独特の手法もそんなところから生まれてきたものだと思います。様々な思惑や利権が絡み合う政治の世界で、国家の意思を全会一致によって決定することは非常に難しい事だと思います。将来にわたっての軍の統制ということに限って意見を申し上げれば、内閣による軍の管理といった文民による軍の統制といった方法が考えられると思います。」
そこまで言ったところで佐山少佐が立ち上がった。私は『殴られる。』と思い、口を結んで備えた。左顔面に衝撃が走り、その直後、「貴様は、恐れ多くも陛下の大権を何と心得るか。」という怒声が浴びせられた。顔を上げると怒りに体を震わせている佐山少佐の姿が目に入った。
「統帥権を私物化して陛下を蔑ろにしてきたのは陸軍を中心とした軍部の方ではないのですか。この日本の国力を遥かに超えた戦争のために国は荒廃して、多くの国民が血を流して傷つき、死んでいます。そんな状況を陛下がお喜びになるはずはありません。」
私はいつになく興奮していた。立ち上がって佐山少佐と睨み合いになった。
「もういい。やめなさい。」
次官の静かだが重みのある声が響いた。佐山少佐は次官の方を振り返った。
「しかし、次官。」
「怒っちゃいけないといっただろう。」
次官の言葉で漸く佐山少佐は下がって腰を下ろした。
「国内問題についてはもういい。高瀬中尉、今度は戦術について君の意見を聞かせてくれないか。確か練習航空隊で教官を手玉にとってきりきり舞いさせたと評判だった予備学生がいたそうだが、君がそうなのか。横須賀航空隊付きといっていたが、その前はどこの部隊にいたのか。」
「第一航空艦隊第二〇一航空隊で比島におりました。」
「そうか。御苦労だった。ところで君の戦闘に対する考えはどうか。」
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小説2 | 日記
Posted at
2016/08/18 16:58:33
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