2016年08月20日
翼の向こうに(6)
「そんな戦闘は邪道だ。正攻法で敵を徹底撃破しなければ日本がこの戦争に勝つことは出来ないんだ。」
佐山少佐が身を震わせて叫んだ。
「そうです。邪道です。しかし今の日本の現実はそんな邪道や奇策を使わなければ、この戦争を戦い続けることも出来ないのです。そう言えばその陸軍の中尉も大学出の予備士官でした。私達は戦闘の素人です。だから『戦争に勝つためには何でもあり。』なんです。海兵出の士官は空母を中心とした輪型陣に正攻法で飛び込んでいって皆戦死してしまいます。陸士の士官は歩兵操典の基本的攻略法である銃剣突撃で弾の中に飛び込んで行って全滅してしまいます。まず周りの護衛艦を攻撃して輪型陣の威力を減殺してから攻撃するとか、あるいは同時に多方向から空母を攻撃するとか、考えれば方法はいくらでも考えられるはずです。
足りないものは精神力で補うなんて気張ってみても、大和魂や気迫では敵を倒すどころか、弾を避けることも出来ません。大きな作戦には専門家の戦略戦術に関する知識が必要でしょう。しかし戦争の基本は計算です。状況を判断して、それに応じた柔軟な対応をすることが今は本当に必要なのではないでしょうか。中部太平洋からフィリピンまで物資を運ぶ奴等の船は単独あるいは数隻で護衛もなしに航行しているというではないですか。その補給線を攻撃すれば奴等は船団を組んで護衛せざるを得なくなり、正面の戦力はその分だけ減殺されます。何よりも補給が途絶えれば大艦隊も動けないのです。海軍は潜水艦を泊地攻撃や軍港への張付け攻撃で磨り潰してしまいましたが、自由に通商破壊をさせればもっと戦果を挙げられたかもしれません。
『海戦要務令』や『歩兵操典』は我が軍の聖書かもしれませんが、それだけが絶対真理ではありません。仮にそうだとしても状況判断もしないで何でもかんでもその金科玉条にしがみつくのは常識の通用しない、何が起こるか分からない実際の戦場では自殺行為にもなりかねません。
まだあります。軍令承行令です。その制度がいいとか悪いとか言いたいのではありません。海戦要務令が作戦の聖書なら軍令承行令は統率、統制の聖書だと思います。制度としては大変良くできたもので理論上は極めて有効に機能し得ると考えます。戦時に指揮官が戦死、負傷又は行方不明等、指揮不能な状態に陥った時、次に誰が指揮権を継承するかを誰もがはっきり認識できるし、何よりも指揮に間隙を生じないことから誠に合理的な制度とされています。しかしこれも次に指揮を継承する者が適格者であれば、という前提があってこその話です。たとえ適格者であったとしても、下位の者で更にその任に相応しい人物がいたとしたら、海軍は上位の者を差し置いてその者を指揮官の任に付けるでしょうか。」
「誰が指揮を継承しても海軍の方針に変わりはない。海軍は微動だにせん。」
佐山少佐が叱り付けるように口を挾んだ。
「それがいけません。統制と戦略戦術は別です。統制は不動でなければいけませんが、戦略戦術は状況に応じて柔軟であるべきです。」
「海軍の教育はそんなに酷いと思うかね。」
次官が穏やかな口調で私達の会話に割って入った。
「海軍の教育が悪いとは思っていません。むしろ敬意を払っているくらいです。この時期、陸軍の圧力でほとんどの中等、高等教育機関が英語教育を廃止してしまったのに、海軍だけはこれを続けています。同じ軍という力の後ろ盾があるにしても、海軍内部でも廃止の圧力は強かったと思います。海軍兵学校は日本の高等教育機関として、その自由な気風溢れる教育方針は世界に誇り得るものだと思います。
帝国大学にしても海軍兵学校にしても、失礼しました、兵学校は普通教育機関ではありませんが、日本の高等普通教育は金科玉条とされる知識の暗記を基本としているのですが、それが最大の問題なのです。本来高等普通教育の目的は社会の様々な分野において指導的役割を果たすために必要な高度に専門的な知識と円満かつ感性豊かな知性を兼ね備えた高潔な人格を有する人材を養うことと、それからもう一つは常に客観的かつ冷徹な状況判断の出来得る能力を備えることによって国家又はそれぞれの社会を取り巻く種々の状況を適確に把握し、長期的展望を持って国家社会を主導し、突発的緊急事態が発生した際にも柔軟な対応策を持って対応することにより国家や社会の存続、安定と発展を図り得る人材を養うにあると思います。
しかし現在の高等教育機関は陸海軍のそれも含めて、ほとんど不変の教義と化した知識の暗記に終始して自由な学問的研究や個人の意見を闘わせる討議の場があまりにも少な過ぎるのです。日本人は本来集団の和を基調にした穏やかな性質の民族です。勤勉で予め定められた手続きに従って黙々と努力をすることを惜しまない民族です。しかし日本人は集団の和を保つことに熱心なあまり自分達と異なるものを排除して同質のものを求めようとします。そのような価値観や判断基準が似通った者が集まった社会では、結論を導き出す時間もそれに要する過程も短く、様々な方向から多角的な検討が加えられることも少なく、また集団の和を重んずるために個人の意見を押さえ込んでしまうことから物事の本質を見誤ることがあります。それは誰もが似通った価値判断基準を備えているので、思考の単一化、固定化が発生し易く、意見を闘わせる場面が少ないために多方面から実態を判断するための検討を加える機会も生まれないので、判断を誤った際も誰もが誤りに気がつかず、あるいは集団の決定として従ってしまうといった傾向が発生し易いからです。
そんな社会でこそ柔軟で多面的な思考を経て結論を導き出すことの出来る者が必要なのです。しかし多面的な思考によって結論を導き出すことが出来る者は、今の日本の高等教育からは決して生まれては来ません。今の日本の高等普通教育によって育成された人間は、その金科玉条を律義に守り続け、たとえそれが崩壊しても、ただ頑迷に縋り続けるか、拠り所を失って茫然自失の状態に陥るかどちらかです。
海軍軍人は常に最先端の技術を取り扱っていて科学的かつ合理的な物の考えかたが身に着いています。しかも海外の事情にも通じていて視野が広く自由な風潮に溢れています。いわば日本でも最も進歩的な組織の一つだと考えます。しかしその海軍でも金科玉条型思考の呪縛から逃れることができないのではないのですか。日本海軍の水上戦闘部隊のほとんどを擦り潰して行われたレイテ沖海戦でも、敵の空母機動部隊撃滅という幻想から逃れることが出来ず、いたずらに歴戦の兵士と貴重な艦隊を壊滅させて所期の目的を達成することもできませんでした。今度日本海軍を再建する時はどうか幹部の教育を考え直していただきたいと思います。」
「敵の機動部隊を撃滅しなければ皇国の安泰はない。どんな方法でも、海軍がすべて特攻となっても、これを撃滅しなければならないんだ。」
佐山少佐は呻くように呟いた。
「たとえ今の新鋭機と開戦当時の熟練搭乗員をその任務に当てたとしても、あの空母機動部隊を壊滅させることは不可能です。実は不思議な現象を見たのです。私は特攻機の直援で奴等の機動部隊を攻撃したことがありました。その時、奴等の砲弾はどれも必ず味方の飛行機の周辺で撃発しているのです。時限信管であれば、とんでもないところで撃発するものが沢山あってもいいはずなのに、必ず味方の飛行機の側でだけ撃発しているのです。どうしてそんなことが起こるのか、その理由は分かりませんが、敵は何か特別な信管を使用しているような気がしてなりませんでした。もしも飛行機の何かに反応して撃発する信管なら、ただ飛行機の近くに弾を撃ち上げていればいいのですから、味方には大変なことになると思います。」
高瀬の言葉に答える者は誰もいなかった。当時米軍が電波の反射を応用した近接信管を使用していたことは、誰にも想像もできなかった。重苦しい雰囲気が辺りを支配していた。そして誰もが口を開こうとはしなかった。圧倒的な物量と次から次へと投入される新鋭兵器、それに想像もつかないような新しい技術が加わっては口に出して言うべき言葉もなかった。
「最後に聞きたい。軍の目的とは何か。戦争とは何のためか。それを君達はどう考えるか。」
私達を圧迫していた重苦しい沈黙も意に介さないような次官の落ち着いた声が部屋の中に静かに拡がった。
「軍は何のために存在するのか。そして戦争の本質とは何なのか。」
次官はもう一度私達に向かって言った。私達は顔を見合わせた。そしてすぐに次官が『どんな意見でもいいから口に出していってみろ。』と言う意味で二度も同じ質問を繰り返したのだと解釈した。
「軍の究極の目的は戦わないことにあると思います。」
そう一気に言ってから、私は高瀬の方を振り返った。高瀬は私の意見を肯定するように黙ったままゆっくり頷いた。
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小説2 | 日記
Posted at
2016/08/20 18:26:11
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