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イイね!
2016年09月13日

翼の向こうに(19)




武田、『生きていてくれ。』という者がいるのなら生きればいいじゃないか。勿論この時代に生きている者としての責任から逃れてというわけではないが、ただお題目のようにヒステリックに『死ね、死ね。』というだけじゃなくて、生きるということを真剣に考えるべきじゃないのか。」

 
高瀬は言葉と言葉の合間にゆっくりと湯飲みを口に運びながら淡々と話した。当たり前のこととは思いながら、恐怖と言う感覚が高瀬にもあったことに安堵感を覚えた。その安堵感が自分を少しばかり素直にさせた。


「小桜は『俺を死なせないことがあの女にとっての戦争だ。』とそう言ったよ。確かにおまえが言うように人にとって死ぬということはとんでもないことなんだろうと思う。しかしな、いきなり好きだの、死なせないなどと言われても俺はどうすればいいんだ。」


「それは言われてみればもっともだ。」

 
高瀬はまた何時もの軽妙な調子に戻っていた。


「小桜のことはとにかく憲兵の方はどうなるんだろう。迷惑がかからなければいいが。」

 
気に病む私と違って高瀬はそんなことは歯牙にもかけてはいない様子だった。


「奴等だって一時の感情に任せて芸者に向かって軍刀を振り回したりしたんだ。大きなことは言えるか。それに弾の下をくぐったことのない奴等の空威張りなんか何のこともあるもんか。」

 
高瀬はテーブルに残っていた湯飲みの酒を一気に飲み干すと「さあ、寝るか。」と一言言って席を立った。翌日、始業と同時に黒塗りの乗用車を先頭に後にトラック二台を従えた憲兵隊が乗り込んできた。乗用車からは参謀肩章を吊った高級将校二名が降りて足早に司令部に入っていった。それと同時にトラックから一個小隊ほどの武装した憲兵が飛び出して司令部の周囲を固めた。

 
これを兵舎から見ていた隊員達はさすがに動揺したが、飛行長から『司令が対応するのでどんな事態になっても手を出すな。これは命令である。』という厳重な達しがあったので、ただ事態を静観する外はなかった。


「斥候。」

 
山下大尉の指示が飛んだ。すかさず一人の下士官が部屋を飛び出した。続いて「合戦準備。」という次の指示で高藤上飛曹長らが寝台の下から小銃、機関銃、弾薬箱を引き出して隊員たちに手渡した。武器を受け取った隊員達は当然のように数人ずつに別れると、兵舎の外を固める者、窓際に寝台等を立て掛けて弾除けとして、その後で銃を構える者、それぞれ号令一下、射撃を開始出来る態勢について合戦準備を完了した。

 
正直なところ私には山下大尉の意図するところが分からなかったが、とりあえず一つのグループの指揮を執ろうとした時「貴様達、一体何をしているんだ。」という佐山少佐の声が聞こえた。


「全く困った奴等だ。本気で陸軍と一戦交えようと言うのか。だがもうすべて済んだのだから、武器は武器庫に納めて来い。」

 
佐山少佐は言葉とは裏腹に臨戦態勢で配備についている隊員たちを頼もしげに見渡しながら穏やかな口調で言った。


「武器を格納しろ。」

 
山下大尉の号令で全員が素早く配備を解いて武器を納めに走った。外でも同様に憲兵隊が配備を解いてトラックに乗り込もうとしていた。


「司令が憲兵隊の参謀にはっきりと言ったよ。『我が部隊は制空権を奪回せよとの陛下の勅命で編成中の部隊である。その部隊の隊員を勝手に引き渡すことは天命に反することである。軍規に違反するような事実があったというのなら、当方で調査してしかるべく処分する。こちらから手続きをしたうえで必要な関係者の出頭を要請するので、しかるべく準備をされたい。ただし当方の隊員に反戦の言動があったというが、海軍では戦闘に敗れた時のことも検討するのが通例である。それを聞きとがめて詳細な聴取をすることもなく民間人に対して軍刀を振りかざす方が軍規に違反すると思うが如何。また当部隊では隊員が武装集団に拉致され、又は襲撃を受けた時は武装してこれを防護することは当然のこととして本職が認めているところである。左様承知されたい。』とな。憲兵隊もたじたじだったよ。」


「気をつけ。」

 
号令が廊下に響いた。その直後に司令が入って来た。全員がその場で不動の姿勢を取って迎えた。


「諸君、今回はご苦労だった。士気も大いに上がったようで結構である。今後も軍規厳正に軍務に励んでもらいたい。」

 
司令はその場にいた者全員を見渡した。


「各級指揮官には今後それぞれ機会を設けて説明するが、この場にいる者全員によく理解しておいてもらいたいことがある。当部隊は今後急速に人員、装備を整備して戦線に展開することになるが、我々の任務は本土の制空権の奪回と確保にある。諸君はこの国家存亡の危機に際して元より個人の生命を顧みる気持ちは微塵もないと思うが、司令からそのことに関して一つだけ申し渡しておく。当部隊の隊員は特攻、自爆等安易に命を捨てることを一切禁ずる。百回でも千回でも生きて帰還して侵攻してくる米英の戦闘機と戦ってもらいたい。本土上空の制空権の奪回と確保が戦局打開の唯一の方法であることを肝に銘じて諸君の命を司令に預けてもらいたい。以上だ。」

 
それから数日後、第二陣の機体が空輸されてきた。これを皮切りに装備される機体は急速に増えていった。そして機材が揃うにつれて訓練も慣熟飛行から徐々に高度な戦闘機動へと移行していった。そうした訓練飛行には実戦経験のある搭乗員が中心になって私のような実戦経験のない搭乗員を指導する形で行われた。


「紫電二一型は基本的に一撃離脱の重戦闘機だ。これまでのような単機の格闘戦に拘るな。」

 
それが指導員高瀬の口癖だった。高瀬は徹底した一撃離脱を奨励した。
曰く、「単機の格闘戦になれば、結局は数に勝る敵に袋叩きにされる。それよりも優位な位置を確保して敵に一撃をかけた後は一旦戦場を離脱し、態勢を立て直して機会があれば第二撃をかける。日本が敵を撃滅することは今となっては不可能だ。

 
それよりも侵攻する敵に痛撃を加えて、こちらは被害を最小限に止めるような方法で一日でも長く戦闘を継続することが大切なことだ。奴等は手酷い打撃を受けるとその地域にはしばらくは近寄ろうとしない。とにかく侵攻してくるたびに打撃を与えつづけること。それが肝心だ。それも味方の損耗を避けて出来るだけ戦力を維持しながら。

 
後上方から降下攻撃をかけて敵に致命傷を与えたら、そのまま引き起こして離脱しろ。致命傷を与えられなかったら百八十度機体を捻って背面にして、一旦降下してから引き起こして敵の後方に出ろ。そのまま前に出て引き起こすと頭を上げたところを敵に狙い撃たれる。機体を背面にする余裕がなかったら、地上すれすれまで降下して低空を這うようにして安全圏に逃れろ。間違っても格闘戦で敵と絡み合うな。奴等機上無線の性能が良いから、すぐに応援を呼んで数で我々を圧倒しようとする。そうなるとよほどのベテランでない限り勝ち目はない。

 
後から被られた時は急降下で離脱して出来るだけ敵と距離を取れ。つまり逃げろと言うことだ。そんな余裕もなかったら、右か左に思い切って機体を滑らせろ。ロールを打って敵をやり過ごす時は余程うまくタイミングを取らないと逆に速度の落ちたところを狙い撃ちにされる。それから戦場に出たら直線飛行だけはするな。命取りになる。

 
敵を攻撃する時は近づいて撃て。ぶつかると思うくらい近づいて撃てば必ず当たる。弾が当たれば敵は落ちているから実際にぶつかることはない。二十ミリ機関砲は当たれば威力は大きいが、弾丸の初速が遅いので弾道の低下が大きい。撃つ時は敵の少し上を狙って撃て。それから長く引き金を引きっぱなしにするな。機関砲は四門あるのだから、二、三秒で百発ほども弾が敵に向かって飛んでいく。それだけあれば戦闘機を落とすのには十分過ぎるくらいだ。縦の旋回をしながら射撃すると弾は遠心力で下に逸れる。当てるには少しコツがいる。慣れるまでは直線的に敵を狙え。」

 
高瀬は戦闘の方法同様教え方も合理的だった。まず地上で説明してから実際に飛び上がって自分でやってみせる。そしてそれぞれ同じことを各自にやらせてみて、地上に戻ってから各自の欠点とその解決法を教えた。また、ただ勘に頼るのではなく照準環の中に見える敵機の大きさと距離の関係など、実際に経験を積まないとつかみ難い感覚的なものについても模型や説明図を使って視覚効果を活用して具体的に説明するなど、これまでの体で覚えろ、盗んで覚えろ式の軍隊教育とは違っていた。

 
高瀬のやり方は一部から『理屈っぽい。弱腰』などと批判を受けたものの、これまでの軍隊独特の理屈は抜きだ。体で覚えろ方式に批判的な者や合理的な考え方に共感を持つ者、特に学生出身の予備士官からは拍手をもって迎えられた。

 
また高瀬は本拠地が内地に移ったために部品や燃料の供給が比較的潤沢なことに着目して、訓練が終了すると整備班に自ら出かけて行って自分が体験した発動機の不調とその対処方法について説明しては気難しい誉発動機の性能を安定させるための整備方法の研究や電装品、潤滑油等消耗品の交換の期間などについて思いついた方法を実際に自分の乗り物で試したり、陸軍を含めて同じ発動機を使用している他の部隊と情報交換までしては戦闘機の性能を維持するための整備点検マニュアル作成に精を出した。

 
こうした各員の努力や訓練の積重ねで部隊の錬度も向上して戦闘集団としての体裁を整えていったが、人員や装備が増加するにつれて間借りの横須賀では手狭になってきた。そして基地の移転が差し迫った問題として取り上げられるようになった。その候補地は以前に山下大尉や高瀬が視察に行った四国の松山だった。

 
松山は基地として使用する部隊も少なく、また海軍の主要軍港である呉にも、紫電を生産している川西の姫路工場にも近いことから適地と認められ、移動の準備が急速に進められた。そんな慌ただしい年の暮れ、私と高瀬は小桜と小梅を尋ねた。そしてほんのわずかな逢瀬の中で、私は初めて軍規を破って部隊の移動時期と移動先を小桜に告げた。こんなことをしたのは特別に理由があった訳ではなかった。黙って移動してしまうことに何となく後ろめたさを感じたためだった。小桜はただ『分かりました。』とだけ答えた。

 
帰りがけ、高瀬に「基地を移動することを小桜に告げたか。」と聞かれたので、「教えた。」と答えたら、高瀬は満足そうな顔をして「それでいい。」頷いた。


「軍規に違反してしまった。」

 
後ろめたさにそう言う私に高瀬は鼻で笑った。


「今更そんなことくらいで戦局に何の影響もあるもんか。」

 
それが高瀬の言い分だった。


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Posted at 2016/09/13 23:15:40

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