2016年10月31日
あり得ないことが、(116)
「私ね、学校を卒業したての頃、職場の上司に『あなたは自分の身は自分で守ろうという意識がとても強い人だ。全身を鎧で被って、その鎧が破られればもっと厚い鎧を着込んで自分を守ろうとする。それは悪いことではないけれどそれでは何時かその鎧の重さに耐えられなくなる時が来るよ』ってね。
確かのその人の言うとおり、それからずい分弾が当たったわ。鎧を貫いて傷を負わされたことのずい分あったわ。その度にもっと厚い鎧に取り替えたけど、本当に重さに耐えかねそうだったわ。それである時ね、うまいことを思いついたの。破られて困るところは絶対に破られない厚さの鎧を着けて破られてもいいところは何もしないことにしたわ。だからそういうところに当たった弾はそのまま通り抜けていくから痛くも何ともないわ。その代わり破られたら困るところは絶対に破られないわ。」
これは僕が若い頃に言われたことで佐山芳恵のことは知らないが、まさかこんなこと言われたことはないだろう。
「それも面白い考え方だなあ。でもそういうものの考え方って極めて男性的だよね。女性はあまりそういうことは考えないだろう。佐山さんは本当に男っぽいなあ。」
「ええ、そのとおりです。考え方ばかりじゃなくて他のこともいろいろと。この人もしかしたら男かも。」
僕はトイレに立つ振りをしてクレヨンの後ろに回りこむと首根っこを掴んで押さえつけてやった。こいつも性懲りもない女だ。だからサルだと言われるんだ。僕はそのままトイレに行って戻ってくると皆がニヤニヤ笑っている。
どうも様子がおかしいと思ったらテキストエディターのお姉さんが「佐山主任、澤田さんに裸を見せたことがあるんですか。佐山主任、言うことややることは男以上だけれど、とてもきれいなかわいい体をしているって。ずい分躊躇った挙句に耳まで真っ赤にして見せたって。澤本さんがそう言ってましたよ。」と言い出した。その一言でいきなり逃げ出そうとしたクレヨンの耳を掴んで引き寄せた。
「あんた、そんなことまで話したの。この耳引きちぎるわよ。」
「佐山主任、顔を真っ赤にして表も裏も澤田さんに見せたんだって。何だか可愛いわね、佐山主任て。」
言葉屋も黙ってはいたが僕を見てニヤニヤ笑っていた。このサル、余計なことばかり言いやがって。お前だって見せたじゃないか。
「佐山さんってとても頭脳明晰で強い女性のようだけど反面意外にお茶目だったり恥かしがり屋だったりするところがあるんだね。きっと内面は尚更可愛い女なんだろうね。」
まあいくらほめてもらっても男になびくことはあり得ないからそれは何と言ってみても無駄なことだ。
こんなことをしながら時間が過ぎてお開きとなった。代金は誘った言葉屋が持つと言って聞かないので一言礼を言って好意に甘えることにした。支払いが済んで店を出るとクレヨンとテキストエディターのお姉さんは数メートル先を二人で歩き、僕は言葉屋とさっき駅まで女土方と歩いた道を並んで歩いた。
「今日はいろいろとありがとうございました。」
特に礼を言う立場でもなかったが、僕は一応言葉屋に感謝の意を表しておいた。
「ああ、いえ、こちらこそ。いろいろと興味深い話を聞いて楽しかった。特に佐山さんのことは。」
「そうですか、別に珍しくもないどこにでもいるような×1の中年女でしょう。」
「いや、なかなか味と深みのある珍しい女性だと思います。とても魅力的な素敵な人です。出来れば今後のお付き合いなどぜひお願いしたいがいかがでしょうか。」
「お付き合いって、私と。」
「そうです。他に誰がいるんですか。」
「私には今は伊藤さんがいます。他のことはちょっと考えられません。ですからせっかくそう言っていただいてもそれにお答えすることが出来ません。」
「いや、そんな愛だの恋だのというお付き合いじゃなくて話し相手でもなんでも良いんです。あなたの考え方には少なからず共鳴する部分がありましてね。いろいろなことをゆっくり話したら面白いんじゃないかと思って。」
「そうですか、そういうことなら別に敢えてお付き合いと言う形を取らなくても出来ますよね。」
「それは確かにそうだ。でもやはり僕にしてみればあなたとその他大勢とは少し違った関係を持ちたいというのが本音かな。まあ急ぐわけでもないし、ちょっと考えてみて欲しい。」
僕は何も答えなかった。元々中年独身男英語屋の僕が何で同じ境遇の中年とお付き合いしなくてはいけないんだ。そんなことを考えていたらかかとを歩道の継ぎ目に引っかけてバランスを崩してこけそうになった。あっと思ったその時僕は言葉屋の両腕の中に抱きかかえられていた。
「大丈夫ですか。」
僕の顔のすぐ上に言葉屋の顔があった。僕はすぐに体を起こすと言葉屋の腕から逃れた。
「失礼しました。ごめんなさい。」
「大丈夫ですか。足を捻ったりしていないですか。」
「ええ、大丈夫です。すみません。じゃあ、ここで失礼します。」
僕は頭を下げると先を歩いているクレヨンとテキストエディターの方に向かって走り出した。駅はもう目の前だった。走るとひっかけた足がちょっと痛んだが構わずに走り続けてクレヨン達を捕まえると駅でテキストエディターのお姉さんと別れてそのまま家へと急いだ。
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Posted at
2016/10/31 20:24:36
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