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イイね!
2016年11月02日

翼の向こうに(33)




医務室に戻ると昨日の若い軍医が待っていた。私の方から昨日の礼を言うと軍医は笑顔を向けて「元気になってくれてうれしいですよ。」と言った。


「ここじゃあ命を救うという医者の使命も何もあったもんじゃないですからねえ。戦争をしているから仕方がないのかもしれないですけど、助かりそうな患者を優先的に治療して重傷者にはモルヒネを打つだけで放置するとか無闇に手足を切り落としたり、まともな治療も何もあったものじゃないですからねえ。ここは軍隊で国の命運を賭けて戦争をしているのだから戦力の維持という点では軽傷者を治療して早く戦線に復帰させるのは合理的なことで仕方がないんでしょうけどね。でも、うれしいですよ、昨日は丁寧な治療ができて、しかも患者が元気になってくれて。」


「軍医は職業軍人ではないのですか。」


私はそっと尋ねてみた。


「志願ですよ。どっちにしても軍隊に行かなければいけないのなら、ねえ、軍医はいい商売ですよ。」


若い軍医は笑いながらいたずらっぽく答えた。


「ところで傷は痛みますか。眩暈や頭痛はありますか。」


真顔に戻った軍医は私に尋ねた。


「傷の痛みは少しありますが眩暈や頭痛はありません。」


「それなら結構です。一番恐れていたのは頭蓋内への出血だったのですが。休暇も出たことでしょうし、少しのんびりしてきてください。」

 
軍医はまたいたずらっぽい笑顔を浮かべた。私はもう一度礼を言ってから薬と包帯を受け取って居室に戻った。そして三日分の着替えや食料を袋に詰めると感状伝達の時間を待った。五分前主義で飛行長の部屋に行くと飛行長は笑顔で私を迎え入れた。そしてそのまま司令の部屋に通された。司令を前にして規則どおりの敬礼を済ますと直立不動で司令と向き合った。


「傷は痛むか。」


司令が短く尋ねた。


「いえ、痛くはありません。機体を破損して戦列を離れ申し訳ありません。」

 
申し訳なく思っていたのは高瀬や他の列機に対してだったが他に言葉もなかったのでそう答えた。


「初陣で敵機を撃墜し、しかも負傷した体で破損した機体を冷静に操ってよく帰って来た。司令から改めて礼を言う。早く負傷を癒して一日も早く戦線に復帰して欲しい。」

 
司令は巻かれた感状をそのままに差し出した。私は差し出された感状を礼式に従って受け取ると司令の前を辞した。時間にすればほんの二、三分のことだった。飛行長から副賞の現金を受け取るとそのまま自分の部屋に戻った。そして荷物を担いで出かけようとすると司令部付の下士官が入ってきた。


「分隊士、ご自宅までお送りせよと飛行長から指示がありました。外に側車が待たせてありますのでどうぞ。」

 
司令部の側車で小桜の家の前まで送ってもらい、運転の下士官に礼を言い終ると下士官は小気味良く敬礼をしてから戻っていった。

 
木戸をくぐって離れに行き中を覗いたが、小桜は不在のようだった。上がって待とうかとも思ったが荷物だけを畳に投げ出してそのまま植え込みの間を抜けて母屋の方に歩いて行くと庭先でまきを割っている小桜が目に入った。


「帰ったよ。」

 
そっと近づいて声をかけると小桜は驚いたように振り返って私を見上げた。私の声に一瞬輝いたように見えた小桜の表情は私の頭に巻かれた包帯に気がつくとみるみる強張っていった。小桜は鉈と薪を投げ出して立ち上がると私と向き合った。


「怪我をしたのですか。こんなところにいてはいけません。すぐに横になって休んでください。」


「弾がかすめただけだ。大丈夫だよ。」

 
小桜の取り乱し方に私の方が慌ててしまい「大丈夫だ。」と何回も繰り返したが、小桜は私の言うことを聞き入れようとしないで押し込められるように強引に家の中に連れて行かれた。


「今、すぐに床を取ります。横になって休んでください。」

 
小桜は手際よく蒲団を敷くと私に『ここに横になっておとなしくしていろ。』と言うように私を見上げた。


「昨日の空戦でしくじった。TBFだとなめたのがいけなかった。高瀬には気をつけるように注意をされていたんだけれど実戦は思い通りにはいかない。それでも二機撃墜したよ。」

 
私は照れ隠しもあって初手柄を披露してからズックの袋に入れてあった司令からの感状を取り出して見せたが、小桜はそんなものにはまるで無関心で取り合おうともしなかった。最後に司令からの金一封を渡そうとすると小桜は目にうっすらと涙を浮かべた。


「私はあなたが無事であればそれでいいのです。他には何もいりませんし、戦争のことなど聞きたくはありません。」

 
私は小桜の涙を見てさすがに口をつぐんでしまった。戦争をしているのだからそれが当たり前のように思っていて深く考えもしなかったが、戦争の匂いをここに持ち込んだことを後悔した。

 
小桜は畳の上に置かれた感状と金一封の袋を取り上げると箪笥の上にそっと置いた。その間に私は米や乾燥味噌、醤油、缶詰を取り出すと畳の上に並べて置いた。


「何時ものとおりたいした物もないけれど何かの足しにしてくれ。」

 
小桜は深々と頭を下げると米の入った袋や缶詰を大事そうに抱えて台所に下がって丁寧に戸棚にしまい込んだ。


「もう少し仕事がありますから、どうぞゆっくり休んでいてください。昼前には戻ってきますから。」

 
小桜は頭に被った手ぬぐいを直して前かけを締め直すとそのまま外に出て行った。一人残された私は作業服を脱ぐと小桜が用意してくれた浴衣に着替えて蒲団の上に横になった。小桜が出て行くと自分の心臓の鼓動が聞こえて来そうなくらいほとんど何の物音もしなくなったこの小さな空間には戦争の匂いは微塵も感じられなかった。

 
小さな整理箪笥の他にはこれといった家具もない殺風景な、それでいてどこか安らぎを感じるこの部屋を見回しているうちに苦しい夢に苛まれた昨夜の疲れのせいか蒲団についた小桜の匂いに包まれて眠りに落ちていった。

 
ほとんど物音のしなかったこの小さな部屋に響く包丁のまな板を打つ音で目が覚めた。蒲団の上でゆっくりと体を起こすと土間で食事の支度をしている小桜の後ろ姿が目に入った。そのまま立ち上がって土間の方に二、三歩歩いて行くと小桜が振り返った。


「横になっていてください。用があれば言っていただければ私がしますので。」


小桜は私を制するように土間の上がり口まで小走りに近寄って来た。


「水をくれないか。」

 
私が頼むと小桜は湯飲みを取って水瓶から柄杓で水を汲んで差し出した。私はそれを受け取って一気に飲み干すと畳の上に腰を下ろした。頭が少し重くかすんだようにはっきりとしなかった。


「よくお休みになっていました。気分はいかがですか。」


小桜が小さなお盆を差し出して湯飲みを受け取りながら言った。


「ああ、よく寝た。でも何だか頭が重い。」


私が頭をゆっくりと左右に振ると小桜の表情が少し曇って見えた。


「傷に障るといけません。横になっていてください。食事の支度はすぐに出来ますから。」


「もう一杯水をくれないか。」

 
小桜は黙ったまま頷くと瓶から水を汲んで差し出した。私は差し出された湯飲みを受け取って、今度は一口づつゆっくりと飲みながら頭を左右に動かしてみた。小桜はそんな私を心配そうに見ていたが、頭を動かしても特に頭痛や眩暈は感じなかった。


「寝起きだから頭が重いのだろう。」

 
私は独り言のように言ったが小桜の心配そうな表情は変わらなかった。そんな小桜を見ていると私自身はこれ以上横になっているのは気が進まなかったが、小桜の手前起き上がるわけにもいかず私はもう一度蒲団へと戻った。

 
そうしてまたしばらく横になっていると小桜が卓袱台を出して食事を運んできた。雑穀の混じった飯に小さな魚の干物、それに漬物程度の粗末な食事だった。部隊の食事に比べれば天と地ほどの開きがある内容だったが、これでも精一杯のご馳走なのだろうと思うと空襲で家を焼かれ、命を脅かされ、食事さえ満足に摂れない民間人が気の毒に思えた。


「突然だったので何も用意が出来ませんでした。でも夕食にはもう少し何か付けますので。」

 
申し訳なさそうに言う小桜に「何でも構わない。」と笑顔で答えてお椀に盛られた雑穀混じりの冷たい飯を口に運んだ。娑婆の食料事情が悪いということは聞いていたが、軍にいると備蓄の軍用食が豊富なために実感として迫ってこなかった。味気のない雑穀を噛み締めながら、いかに俄か雇いの軍人とはいえ国民を守るという軍人としての責任を果たせないことに心の痛みを感じていた。


「いつもこうなのか。」


箸を休めて小桜を見た。


「これでも食べられるだけいい方なんです。こんな食事でも食べられない人も多いのですから。」

 
私は皿に載せられた小さな赤い魚の干物を箸で摘んでみた。今まで見たこともないような魚だった。小さい割にはむやみに頭が大きく食べる部分などろくにないように見えた。


「以前はこんな魚は畑の肥料にするくらいで食べることはなかったそうです。でも塩気がきいてなかなか美味しいのです。よく焼けば頭から皆食べられますので。」

 
小桜は皿から一番小さな魚を取って口に入れた。そして微笑みながら何度も口を動かして飲み込んだ。私も真似をして魚をかじってみたが、小さい割には骨が多くていくら噛んでもとても飲み込めるような代物ではなかった。しかし小桜の手前吐き出すわけにもいかず無理をして飲み込んだ。


「どうですか。」


小桜は私に向かって尋ねた。


「あ、ああ、なかなかいける。」

 
骨っぽさが口の中に残って言葉につかえながらやっと答えた。こんなものも十分に口にすることもできずに空襲で軍人と同じように命の危険に晒されている民間の人達のことを考えると、喉をひっかく骨の痛さよりもこの国を守りきれない自分のふがいなさが情けなかった。

 
食事の片付けが終わると小桜は「午後は早く帰る。」と言い残して出て行った。一人残された私は蒲団に横になったが、眠るでもなく漠然とこの戦争や自分の先行きに思いを巡らせた。とりわけ自分の先行きについて考えるとどう考えても先に待っているものは『死』しかなかった。しかもこれまでは観念的にしか捉えることができなかった自分の死が昨日の空戦で避け得ざる現実として迫ってきた。


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Posted at 2016/11/02 00:37:10

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